連載小説
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第5話 使い魔の触手がテンタクルになったので服を取りに行く
 部屋の中では不便に感じなくても、外に出ると不便に感じる場面というのは多々ある。
 例えば、休憩の場所。
 動きが活発な触手がテンタクルになったと言っても、やはり元々が触手であることを鑑みると長距離を歩くというのは色々と弊害が出てくる。人の身ではあまり気にならない距離でも、歩きすぎると地面と擦れて足の部分の粘膜が傷ついてしまうのだ。靴下と靴を履けば大分負担も軽減されるが、それでも根本的な解決には至らない。
 結果的に休み休み歩く必要があるのだけど、休憩したいときに丁度よく椅子があるとも限らないし、かといって道端にいつまでも座り込む訳にもいかない。事情を知っている町の人達は、快く手を貸してくれたり、休んでいくように声をかけてくれるけれど、毎回好意に甘えるというのも心苦しいものだ。
 最初は勝手が分らず、動けなくなったクロと道の端で座っている所を通りがかったケンタウロスに手を貸してもらったりもしたが、何度か一緒に外を歩くと段々とクロの身体の調子が掴めてくる。
 朝ごはんを軽めに食べて出発し、疲れる前に軽食屋に入って少し早めの昼食を摂る。そこで少し休んでから、人で店が混み始める前に出発するのがお決まりの流れになってきた。
 クロも気に入っているらしく、最近では出かける前に予め昼食を摂る店を提案してくるくらいだ。
 そういう訳で、今日はクロが以前から気になっていたというコボルトの経営する喫茶店「子犬のお部屋」で昼食を摂ることにした。
「ごちそうさまでしたー」
「はい、ありがとうございました」
 食事を終えたクロがコボルトの店員に声を掛けると、彼女は満面の笑みを浮かべて答えてくれた。二人とも同い年くらいで人懐っこい性格をしているので、意気投合するまでに時間はかからない。軽く食事をとっただけだというのに、既にお茶会に招待された仲睦まじい友人同士という印象だ。
「美味しかった、また来るね?」
「えぇ、えぇ、ぜひお願いします!」
 私も会計を済ませて声を掛けると、彼女は尻尾を振り回しながら私にも愛想よく笑顔を向け、扉を開けて外まで見送ってくれた。
 忙しく店内を動き回りながらも、どこか楽しそうに働いている彼女の姿は見ているこちらまで癒されたし、ホットケーキも美味しかった。これなら繁盛しているのもうなずける。今度は休憩を兼ねてではなく、この店を目的に出かけてもいいだろう。
「このお店、特製のアップルパイがおすすめなので……
 次回はぜーったい食べにきてくださいねーー!」
「ほーら、コル。いつまでも遊んでないで、手伝ってくれ!」
「あ、はーーーい!」
 彼女に店の前で大きな声でそんなことを言われて、道行く人が振り返ったのは少しだけ恥ずかしかったけれど。
 もっともこの辺りでは、初めて「子犬のお部屋」を利用した客が通る道なので、その光景も珍しいものではないらしい。通行人は口に手を当てて微笑みを隠していたし、常連と思しき近くの八百屋の店員は「お、新しいお客さんか?」なんて笑っていた。
「ねぇ、シーラー…… また来ようねー?」
「うん、また今度来よう」
 ユルリと触手を私の腕に絡め、ちょっぴり甘えるように見上げながらクロは笑った。

………

 食べたパンケーキの感想を交換し、次は何を注文しようかなんて他愛のない会話をしていると、あっという間に目的地に着いてしまう。
「こんにちは」
「トリスー 来たよー? 元気ー?」
「あら、二人ともよく来てくれたわね」
 木戸を開けて入るとトリスは顔を綻ばせて歓迎し、使い魔の蜘蛛達は片方の前肢を上げて挨拶をするように牙を鳴らして迎えてくれた。
「注文の品、できてるわよ?」
「本当? よかった」
「ちょっと待ってね?」
 そう言いながらトリスはクロのために調整してくれた服を奥の棚から持ってきて帳場に広げてくれた。
 一見するとワンピースは変わっていないように見える。しかし、裏地には粘膜を保護するように擦れやすい部分には柔らかい当て布がされていたし、粘液を吸い込まないように刺繍でルーンが刻まれていた。
 無理難題だったに違いないのに、その要望にトリスは見事に応えてくれた。
「やっぱりトリスに頼んで良かった」
「ふふ、この子達が手伝ってくれたからね」
「ちっちゃいのに、ありがとうねー」
 謙遜するトリスの横で、自己主張するように蜘蛛がカチカチと牙を鳴らす。クロが触手を伸ばして蜘蛛を撫でると、蜘蛛は甘えるように身体を擦り付け、それからお礼を言うように触手の先端に甘噛みをした。
 事情を知っている人間からすれば微笑ましいやりとりだが、全く知らない人間から見たら恐怖以外の何物でもない光景だろう。私も、今でこそ大蜘蛛が頭の上に乗ってきたり甘噛みしてくることを笑顔で受け入れることができるが、最初は触れることにも少しばかり抵抗感があったのだ。
 適応が早いのは魔物同士なにかしら通じ合うことがあったということにしておこう。
 そう考えないと、クロは半日で打ち解けたのに半年も掛かってしまった私が情けなくなってくる。
「ねぇ、シーラ。早速だけど、クロにここで着てみてもらっても良い?」
「良いの?」
「もちろん。私も仕立てた着心地とか気になるし、何より自分の仕立てたワンピースを着てもらっているところ見たいしね」
「分かった。クロ、ちょっと試着してみて」
「うぇ? あ、はーい」
 いつの間にか蜘蛛と遊ぶことに夢中になっているクロを呼び寄せてワンピースを持たせる。試着室で着替えるように促すとパッと顔を輝かせて素直に頷き、それからいそいそと試着室の方へと歩いて行った。
「どうかなー 似合うー?」
 ほどなくして目隠しが開くとワンピースを着たクロが現れた。
 白を基調にしたワンピースは僅かに緑がかったクロの肌とよく似合い、全体的に柔らかい印象を与えてくれる。しかし、その柔らかい印象に釣られて不用意に近づくことなかれ、どんなに温和そうに見えても彼女は魔物なのだ。その証拠に袖からは絡みつける相手を狙って悪戯っぽく触手が顔を覗かせている。
 実にクロの性格をよく表している服で、花のように可愛らしい。
「もちろん、似合ってるよ」
「うん、私の見立ては間違いなかった!」
「ほんとうー? わーい」
「こら、お店の中で踊らないの」
 素直に感想を述べると、彼女はそれこそ陽の光を受けた大輪の花のような笑顔を浮かべながら踊るようにその場で回り始める。無邪気に喜ぶ姿に思わず私とトリスは顔を見合わせ苦笑いを浮かべてしまった。
「ねぇ、クロちゃん。着心地とかはどうかな?」
「着心地ー? 前よりずっと良いー 肌が擦れたりー 服が重くなったりしないのー」
「そう、それは良かったわ」
「ありがとう、トリスー」
「あら、喜んでもらえたら私も嬉しいわ」
 ニヘッと気の緩んだような笑顔を浮かべてクロが抱き着くと、トリスも嬉しそうに顔を綻ばせながらクロを受け入れて頭を撫でる。
 クロは緩んだ頬を更に緩ませ、全身で喜びを表現するかのようにトリスに触手を絡めながらお腹に顔を埋めた。
「あぁ、もぅ…… 可愛いなぁ、クロは。シーラ、クロのこと持ち帰って良い?」
「ダメに決まってるでしょ。クロはれっきとした私の使い魔なんだから」
 ペンっと蜘蛛の腹部に手刀を振り下ろすと、トリスは「せっかく私の巣に獲物が掛かったのにー」と露骨に残念そうな表情を浮かべてきた。流石に彼女も本気ではないのだろうけれど、お尻が糸を出そうと小さく動いていたので、放っておいたら糸で捕獲された上で一日か二日くらいは強制的にお泊り会をさせられていたかもしれない。
 トリスのところなら何も心配は要らないのだけど、今日はクロと一緒に触手の森に行くので残念ながら、そういう訳にもいかないのだ。
「それなら、あんまり引き留めるのも悪いわね」
「ふふっ、ありがとう」
「ううん、次に来るの楽しみにしてるから良いの」
 ポンポンっとトリスがクロの頭に手を置くと、クロも緩やかに巻き付けていた触手を解き少しだけ名残惜しそうにトリスから離れた。
「そうだ。クロ、トリスにあれは持ってきた?」
「え、あれ? んー…… あ、あれ! うん、持ってきたー」
 クロは少し考えるような表情を作ったが、すぐに私の言いたいことが分かったらしく、試着室に残してきた自分の鞄の元へ小走りで走っていった。そして、鞄の中から透明な液体の入った小瓶を取り出すと、満面の笑みと共にトリスへ手渡した。
「トリス、あげるー」
 トリスは小瓶を受け取ってしげしげと眺めたものの、結局何か分からなかったらしく少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「これはなぁに?」
「私の粘液だよー?」
「クロの粘液?」
「ほら、トリスもテンタクルスの粘液を使ってみたいって言っていたじゃない?」
「……あぁ!」
 私の補足を受けてトリスは合点がいったらしく、持っていた小瓶を大事そうに抱きかかえた。
 粘液とは元々非常に敏感な粘膜を保護するための分泌物だ。そのため、肌を有効に保護してくれると同時に、例え口に入っても悪い影響がほとんどない。そのため、テンタクルスの粘液の用途は保湿液や皮の加工など多岐に渡る。
 その用途は肌に最も触れる機会の多い衣料品にも使えるらしい。テンタクルスの粘液を混ぜて染料を溶かし布を染めると、鮮やかに染まるだけでなく柔らかな肌触りに仕上がるそうだ。
 以前、シーラはそんなことを教えてくれた。
「良いの貰って?」
「うん、服を直してもらったお礼だからー」
「本当? ありがとう!」
 ギュウっとトリスがクロを抱きしめて頬ずりをする。
 トリスはあまり気づいていないようだが、アラクネが元々蜘蛛の魔物のせいか、抑え込む力が意外と強い。喜びのあまり全力で抱きしめられたクロは少しだけ苦しそうなしかめ面を浮かべながら、触手で腕をペチペチと叩いて抵抗していた。
「ごめん…… 苦しかった?」
「ううん、トリスが嬉しかったなら、私も嬉しいからー」
「クロは本当に良い子ねぇ。持って帰りたいわぁ……」
「だからダメだって」
「何よ、言うだけなら自由でしょ!?」
 私も言うだけなら自由だと思う。しかし、隙あらば持って帰ろうとする魔物を相手には流石に看過できない。今だって私が止めないで放置していれば糸で捕縛して連れて帰っていただろう。天丼が通じるのは、漫才の中だけの話である。
「分かりました、分かりましたよ……」
「それは上々」
 心底残念そうにクロを開放し、ポンポンと頭を撫でる。一番の標的であるはずのクロは一番何も分かっていないという感じで嬉しそうにヘラっと笑って喜んだ。
 さて、戯れはここまでにして、いい加減にそろそろ出発しないと触手の森に辿り着けなくなってしまう。
「それじゃあ、二人とも気を付けて。また来てね?」
「うん。トリスも元気で」
「蜘蛛さん達もまたねー?」
 クロがゆるゆると触手を振りながらトリスの店を後にすると、シーラと蜘蛛の従業員たちが総出で私たちを見送ってくれた。
17/09/03 00:42更新 / 佐藤 敏夫
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■作者メッセージ
冬コミ目指して毎日SSを書こうと決めて息抜きがてら書いてみる。
仕事 ≪(超えられない壁)≪ 趣味 で生きていくと決めてから生きるのが少しだけ楽しくなりました。

毎度のことですが感想くれると嬉しいです(チラチラチラッ

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