第2話 使い魔の触手がテンタクルになったので服を買いに行く
触手からテンタクルへ。
魔物娘になる以前から家族同然に扱ってきたつもりだったけれど、こうして明確に意思疏通が取れるようになると「使い魔」という呼称が急にそぐわなくなってしまう気がするのは少しばかり考えすぎだろうか。試しに訊いてみたら、当事者であるはずのクロはヘラッと緩みきった笑顔を浮かべて「シーラと一緒ならなんでもいいー」と答えてくれた。
自分のことなのに随分と適当だと若干頭痛を覚えなくもないけれど、当人にとってみれば呼び方なんてものはなんだって良いのかもしれない。肝心なのはいつだって関係の在り方で、その関係が健全ならば呼称がなんであれ大差はない。
世の中には対外的には主人と奴隷という関係であるにも関わらず、なぜか奴隷の方が主人のことを手のひらの上でいいように転がしている不思議な関係というのもある。それでも、二人が夫婦同然に互いを大切にしているのであれば、それはやっぱり健全な関係であって余人がとやかく言うものでもないのだろう。
関係の呼称はともかく、当面は普段通り名前で呼べば良いか。そのうち良い名前が思い付くだろう。
「でもねー でもねー わたしねー シーラのこと、おねーちゃんって呼びたーい」
「お姉ちゃ・・・・・・」
あまりの唐突なシーラの申し出に、私は頭を石で殴り付けられたような衝撃を覚えて思わず言葉を失ってしまう。
「ねぇー シーラ、だめー?」
コテンと首を傾げて訊ねてくる。
そんなに可愛らしく言われたら誰が断れるだろうか。無邪気で他愛のないお願いを断るのは、それこそ血も涙もない無慈悲な輩だけだ。断じて妹に慕われるような寛容で包容力のあるような姉がやるようなことではない。
「ダメじゃない。クロの好きなように呼んで良いよ。ううん、呼んで。クロ、私のことお姉ちゃんって呼んでみて」
「シーラ・・・・・・?」
「お姉ちゃん」
思わず華奢で細い肩に両手を置くと何かに気圧される表情で僅かに身を引いた気がする。
恐らくは私の思い違いだろう。クロは人懐っこくてスキンシップが大好きだけど、触手だった時から積極的に触れられることにはあまり慣れていない節がある。突然、私の方から触れたせいで少し驚かせてしまったようだ。
間違っても私の目力に驚いて引いている訳ではないし、私が「お姉ちゃん」と呼ばれることを期待して興奮して鼻息荒くしていることに戸惑っている訳でもない。
「シーラ、おねーちゃん・・・・・・?」
私よりも頭ひとつ小さいので少しだけ上目使いになり、慣れない呼称に頬を僅かに染めさせている。そんな少女が躊躇うような表情を浮かべ、鈴の寝のような細い声で口にする。
不覚にもキュンと来てしまった。
お姉ちゃん・・・・・・ うん、悪くない響きである。
我が子のようだとは思っていたけれど、彼女だって一個の立派な人格を持った存在だし、どちらかといえば私とクロは年齢的にはほとんど変わらない。それなら、親子という関係よりも姉妹の方が感覚的には近いはずだ。間違いない。
今後は姉妹ということにしましょう。もちろん、私が姉でクロが妹だ。
この年になって念願の妹ができた。やっほい。
「シーラおねーちゃん、なんかわらいかた、へん・・・・・・」
「え、あ? そう? 私はいつも通りだよ?」
彼女は不審そうな視線を送ってくるので、少しばかり浮かれて落ち着きをなくしていたかもしれない。お姉ちゃん足るもの妹の見本にならなくては。
私の心中を気取られないように小さく咳払いをして仕切り直す。
「それじゃあ、クロ。今日は服を買いにいきましょうか」
「えー だいじょうぶだよー? おねーちゃんのふくー きれるからー」
「そうは言っても、いつまでも私のお下がり着る訳にはいかないでしょう?」
「えー? そうかなぁー・・・・・・? おねーちゃんのふくがいーなぁー」
やんわりと諭すと腕を振りヒラヒラと袖を踊らせながら抗議した。
慕ってくれるのは嬉しいが、そういう訳にもいかないのだ。私だって手持ちの服が決して多い訳ではないし、クロの触手が引っ掛からずに着れるような余裕のある服となると一枚か二枚である。
無理に人間の服を着ると触手の粘膜が擦れて炎症の原因になったりする。いまだって仕方なくシーツを服代わりに羽織らせているのだ。
クロは、むぅ、と唇を尖らせて不満そうな表情を浮かべるが、こればっかりは納得してもらう他ない。
「ね?」
「わかったー・・・・・・」
根気強く説得すると納得してくれた。もっとも頭では分かっていても感情までは簡単に割りきれるものではないらしく、本当に不承不承という感じで名残惜しそうに服の裾を触手で摘まんだりしている。
触手だったころから優れた学習能力があるとは言っても、まだまだ上手に気持ちを切り替えられるほど成熟してはいないのだ。
今はまだそこまで求めていないし、話せば分かってくれるだけでもありがたい。
「ん」
「へへー・・・・・・」
頭を撫でて軽く額に口づけしてあげると一瞬で機嫌を直してくれた。
感情の扱い方なんて、これからゆっくり学んでいけばいい。
「それじゃ、準備して行こう」
「いまからー?」
「こういうのは早い方が良いからね」
「わかったー! すぐじゅんびするー」
ペタペタと足音を立てながら自室へと引っ込んでいく。その後ろ姿を眺めながら、私はクロがどんな服が似合うだろうかと想像してしまうのだった。
・・・・・・
クロのことは前から町の方には連れてきていたし、魔物に友好的な人間と人間に対して好意的な魔物娘が多いので、当初こそクロの急激な見た目の変化に驚いた様子を見せたものの少し説明するだけですんなりと受け入れてくれた。
こちらから話しかける言葉を理解できるとはいえ、うねる触手とどうやって意思疏通をとって良いのか分からずちょっぴり遠巻きに眺めていた子供たちが、分かりやすい人形をとったクロの姿を見てオズオズと近づいてきたのは嬉しい誤算だった。
どうやら子供たちも興味を抱いて仲良くしたいとは思っていたものの、どうやって接して良いのか分からなかったらしい。
クロの方はといえば、私越しにしか接してこなかった子供たちが直接話しかけてくれるのが嬉しいらしく、最初こそ戸惑いながら接していたもののすぐに彼らに触手を絡めてハグをしたり、顔を擦り付けて一緒に笑ったりしていた。
ただ、声をかけられる度に立ち止まってはハグしてまわるお陰で、予想以上に時間を食ってしまったのも事実だ。
この身体になってから初めての遠出なので、休息がてらゆっくり行くつもりで余裕をもって出発したつもりだったけれど、服屋に来たときにはすでに太陽は頭の上を通りすぎてしまっていた。
「こんにちは、トリスさん」
「あら、シーラちゃん」
木戸を開けて店内に入ると、帳場で糸を紡いでいたアラクネの店員さんがパッと顔を輝かせて迎えてくれた。相変わらずあまり繁盛していないらしく、今いるお客さんは私だけのようだ。
「今日はいったいどんな用件かしら?」
「服を新調しようと思いまして」
「新しい服がほしいの? ふふ、嬉しいわね。どんな服がご所望?
まずは試着してみて、気に入ったの教えて。微調整ならできるから遠慮なく試して頂戴」
トリスはそう言いながら棚の間を歩き始め、何着か服を手にして戻ってくる。そして、見繕ってきた服を私に見やすいように並べてくれた。
魔物娘は露出の多い服や華美な服を好むが、人間の私が着るには少し勇気が要る。トリスはそんな私の好みを言わなくても察してくれているようで、選んできてくれたのは小さな刺繍のついたワンピースや細い飾り紐のついたスカートなどだった。決して人目を引くような派手さはないかもしれないが、どれも出掛けるのが楽しくしてくれそうな魅力がある。
「日常を豊かにしてくれる服との出会いは運命みたいなものだからね。そう言ってくれると私も嬉しいわ。でも、日常から一歩冒険に誘ってくれる服も良い刺激になるわよ?」
そう言いながら、ちょっと背伸びすれば着れそうな太ももを強調する魔物好みの服を変化球で選んで忘れずに勧めてくれるあたりが心憎い。
試しに着てみてと主張する服達の誘惑に乗せられそうになるが、無意識のうちに伸ばした手をなんとか押さえ込む。このまま試着したら、間違いなくそのまま会計してしまうだろう。あくまでも今回の目的は私の服ではない。
後ろ髪を引かれる思いで机からトリスへと視線を戻すと、彼女は不思議そうな表情で目を瞬かせた。
「もしかしてお気に召さなかった?」
「ううん、すごく気に入った。やっぱりトリスなら安心して任せられるよ。
あっちの子の服を見繕ってもらって良い?」
「まぁ! 新しいお客さん? ごめんなさいね、気がつかなくて」
そう言って入り口に立ったまま入るべきか悩んでいたクロを指差すと、トリスは笑顔を浮かべて彼女のことを歓迎した。
クロは手を合わせて喜ぶトリスのことを見て、ようやく入店する決意を固めたらしくやや緊張した面持ちのまま店の中へと一歩足を踏み入れた。
正直なところ、クロの今の心境は理解できなくもない。
品も良いし、値段も手頃。店員も親身になって対応してくれるし、同じ魔物娘ということで種族ごとの細かな微調整にも対応してくれる。人間やそれに近い体躯を持つ魔物娘にとってはもちろんのこと、クロのように大衆向けの服を着ることが難しい魔物娘にとってはトリスの店は有り難いことこの上ない。
ではなぜ、こんなにもお客がいないのか。
答えは単純で入りにくい雰囲気だからである。
天井や壁の全面に蜘蛛の巣が張り巡らされている建物を思い浮かべてみて欲しい。そこが清潔で風通しの良い建物だとしても、好き好んで居たいとは思わない。ましてや巣の上を人の頭ほどの大きさの蜘蛛が動き回っているのなら誰が入っていくだろうか。
大部分の人間が蜘蛛のご飯になりにいくような恐怖を覚えるに違いない。
「そう、かしら・・・・・・?」
「初めて入るのは、なかなか勇気が要ると思うよ?」
そういう訳で店の評判は良いのに、客は最低限の買い物だけでそそくさと帰ってしまう。特に昆虫の特徴を持つ魔物娘の間では深刻で、つい先日はキラービーが死地に赴く戦士のような面持ちで店の中に入り、半べそのまま商品を手に帰ってきたのが目撃されている。
「こんなに可愛いのに・・・・・・」
彼らがこの店の従業員であり、決して人に危害を加えることはない。見た目だけで嫌煙されてしまうことに納得がいかないトリスは、若干むくれた表情を浮かべながら小さくため息をついた。
もっとも客側からしてみれば、そんなことは解っていても本能というのはどうしようもない。人語の分かる魔物は増えたが、人をタンパク源としか認識していない猛獣の類が居なくなった訳ではないのだ。誰とでも偏見なく親しく接するのは大切だが、それも相手の晩御飯になってからでは遅すぎる。
このあたりの認識の溝は深く一朝一夕で埋まるものではないし、コツコツと交流を重ねる以外に解決方法はないだろう。どちらが正しいというのもないし、単純に根っこから違うのだからどこかで折り合いを付ければ良いだけの話だ。
「とにかく今日は新しいお客も連れてきた訳だし、クロにぴったりの服を見繕ってよ」
「あ、そうそう! ごめんなさいね?」
少し話が脇道に逸れそうだったので、話題を当初の目的へと戻す。
私の後ろにやや隠れるように立って不安そうに触手を絡めていたクロを引っ張り出してトリスの前へと押しやると、クロは振り返って肩越しに困ったような視線を送ってきた。
「大丈夫、トリスに任せて? 悪いようにはならないから」
「おねがい、しまーす・・・・・・」
「任せて! 貴女にぴったりの服を見繕ってあげるから」
私が言葉にクロは小さく頷き、やや緊張した面持ちのままトリスに向かって頭を下げる。油を差し忘れた玩具のようなぎこちないクロの態度ではあったが、トリスは気に止めた風でもなくニッコリと笑いながら手を差し出して応じてくれた。
そうしてトリスの後ろにくっついて店内を歩き始めたクロの後ろ姿を確認して、私は手近な椅子へと腰を下ろす。
クロも最初こそ手を伸ばすのは怖がるけれど、根っこは甘えん坊で人懐っこい。トリスは多少威圧感のある姿をしているけれど、気配りができて面倒見の良いお姉さん気質だ。二人の相性は悪くないと思うし、気に入った服を見つける頃には仲良くなっているだろう。
戻ってくるころには打ち解けて帰ってくるに違いない。
・・・・・・
最初こそトリスが一方的にクロの手を引っ張り着せ替え人形にしているような印象があったが、徐々にクロの緊張が解れてくると試着してみたいものを選んで自分からトリスに見せはじめる。トリスはそんなクロの申し出に快く頷き、嬉々として試着室へと誘った。
以前の触手の姿のクロは、友好的な魔物ということは解っていても見た目から町の人にはどうしても近寄り難い雰囲気があった。そのため人懐こくて甘えん坊なクロには、少しばかり寂しい思いをさせてしまっていた。もともと表情豊かな触手ではあったけれど、魔物娘の姿をとった今、こうしてクルクルと変わるクロの表情をみることができるのは単純に嬉しい。それだけでも彼女を町に連れてきた価値があったという気がしてくる。
「ねぇ、シーラみてみてー?」
「あ、良いじゃない。似合ってるよ」
試着室からクロはヒョコっと顔を出して私に笑いかけると、目隠しを開けて着ている服を見せた。
どうやらクロが選んだのは清楚なワンピースのようだ。白を基調にしたワンピースは、わずかに緑がかった肌によく映え、遊びのある裾の隙間から悪戯っぽい表情を浮かべた触手が顔を覗かせているのはちょっとしたアクセントになっている。
素直に感想を述べると、クロはむず痒そうに笑った。
「あのねー トリスが選んでくれたんだよー?」
「触手があるから服のなかで苦しくないようにゆったりしたワンピースにしたの。
今は裏地が普通の布だから少し擦れたりして不具合もあるだろうけど、あとで擦れやすい場所には当て布もするし、粘液対策もするから安心して?」
トリスは「どうだ」と自慢げに胸をそらす。
案の定、彼女たちは短い間でも仲良くなってくれたようだ。
「それじゃあ、その服貰おうかな。クロのために調整してもらっていい?」
「もっちろん!」
魔物娘になる以前から家族同然に扱ってきたつもりだったけれど、こうして明確に意思疏通が取れるようになると「使い魔」という呼称が急にそぐわなくなってしまう気がするのは少しばかり考えすぎだろうか。試しに訊いてみたら、当事者であるはずのクロはヘラッと緩みきった笑顔を浮かべて「シーラと一緒ならなんでもいいー」と答えてくれた。
自分のことなのに随分と適当だと若干頭痛を覚えなくもないけれど、当人にとってみれば呼び方なんてものはなんだって良いのかもしれない。肝心なのはいつだって関係の在り方で、その関係が健全ならば呼称がなんであれ大差はない。
世の中には対外的には主人と奴隷という関係であるにも関わらず、なぜか奴隷の方が主人のことを手のひらの上でいいように転がしている不思議な関係というのもある。それでも、二人が夫婦同然に互いを大切にしているのであれば、それはやっぱり健全な関係であって余人がとやかく言うものでもないのだろう。
関係の呼称はともかく、当面は普段通り名前で呼べば良いか。そのうち良い名前が思い付くだろう。
「でもねー でもねー わたしねー シーラのこと、おねーちゃんって呼びたーい」
「お姉ちゃ・・・・・・」
あまりの唐突なシーラの申し出に、私は頭を石で殴り付けられたような衝撃を覚えて思わず言葉を失ってしまう。
「ねぇー シーラ、だめー?」
コテンと首を傾げて訊ねてくる。
そんなに可愛らしく言われたら誰が断れるだろうか。無邪気で他愛のないお願いを断るのは、それこそ血も涙もない無慈悲な輩だけだ。断じて妹に慕われるような寛容で包容力のあるような姉がやるようなことではない。
「ダメじゃない。クロの好きなように呼んで良いよ。ううん、呼んで。クロ、私のことお姉ちゃんって呼んでみて」
「シーラ・・・・・・?」
「お姉ちゃん」
思わず華奢で細い肩に両手を置くと何かに気圧される表情で僅かに身を引いた気がする。
恐らくは私の思い違いだろう。クロは人懐っこくてスキンシップが大好きだけど、触手だった時から積極的に触れられることにはあまり慣れていない節がある。突然、私の方から触れたせいで少し驚かせてしまったようだ。
間違っても私の目力に驚いて引いている訳ではないし、私が「お姉ちゃん」と呼ばれることを期待して興奮して鼻息荒くしていることに戸惑っている訳でもない。
「シーラ、おねーちゃん・・・・・・?」
私よりも頭ひとつ小さいので少しだけ上目使いになり、慣れない呼称に頬を僅かに染めさせている。そんな少女が躊躇うような表情を浮かべ、鈴の寝のような細い声で口にする。
不覚にもキュンと来てしまった。
お姉ちゃん・・・・・・ うん、悪くない響きである。
我が子のようだとは思っていたけれど、彼女だって一個の立派な人格を持った存在だし、どちらかといえば私とクロは年齢的にはほとんど変わらない。それなら、親子という関係よりも姉妹の方が感覚的には近いはずだ。間違いない。
今後は姉妹ということにしましょう。もちろん、私が姉でクロが妹だ。
この年になって念願の妹ができた。やっほい。
「シーラおねーちゃん、なんかわらいかた、へん・・・・・・」
「え、あ? そう? 私はいつも通りだよ?」
彼女は不審そうな視線を送ってくるので、少しばかり浮かれて落ち着きをなくしていたかもしれない。お姉ちゃん足るもの妹の見本にならなくては。
私の心中を気取られないように小さく咳払いをして仕切り直す。
「それじゃあ、クロ。今日は服を買いにいきましょうか」
「えー だいじょうぶだよー? おねーちゃんのふくー きれるからー」
「そうは言っても、いつまでも私のお下がり着る訳にはいかないでしょう?」
「えー? そうかなぁー・・・・・・? おねーちゃんのふくがいーなぁー」
やんわりと諭すと腕を振りヒラヒラと袖を踊らせながら抗議した。
慕ってくれるのは嬉しいが、そういう訳にもいかないのだ。私だって手持ちの服が決して多い訳ではないし、クロの触手が引っ掛からずに着れるような余裕のある服となると一枚か二枚である。
無理に人間の服を着ると触手の粘膜が擦れて炎症の原因になったりする。いまだって仕方なくシーツを服代わりに羽織らせているのだ。
クロは、むぅ、と唇を尖らせて不満そうな表情を浮かべるが、こればっかりは納得してもらう他ない。
「ね?」
「わかったー・・・・・・」
根気強く説得すると納得してくれた。もっとも頭では分かっていても感情までは簡単に割りきれるものではないらしく、本当に不承不承という感じで名残惜しそうに服の裾を触手で摘まんだりしている。
触手だったころから優れた学習能力があるとは言っても、まだまだ上手に気持ちを切り替えられるほど成熟してはいないのだ。
今はまだそこまで求めていないし、話せば分かってくれるだけでもありがたい。
「ん」
「へへー・・・・・・」
頭を撫でて軽く額に口づけしてあげると一瞬で機嫌を直してくれた。
感情の扱い方なんて、これからゆっくり学んでいけばいい。
「それじゃ、準備して行こう」
「いまからー?」
「こういうのは早い方が良いからね」
「わかったー! すぐじゅんびするー」
ペタペタと足音を立てながら自室へと引っ込んでいく。その後ろ姿を眺めながら、私はクロがどんな服が似合うだろうかと想像してしまうのだった。
・・・・・・
クロのことは前から町の方には連れてきていたし、魔物に友好的な人間と人間に対して好意的な魔物娘が多いので、当初こそクロの急激な見た目の変化に驚いた様子を見せたものの少し説明するだけですんなりと受け入れてくれた。
こちらから話しかける言葉を理解できるとはいえ、うねる触手とどうやって意思疏通をとって良いのか分からずちょっぴり遠巻きに眺めていた子供たちが、分かりやすい人形をとったクロの姿を見てオズオズと近づいてきたのは嬉しい誤算だった。
どうやら子供たちも興味を抱いて仲良くしたいとは思っていたものの、どうやって接して良いのか分からなかったらしい。
クロの方はといえば、私越しにしか接してこなかった子供たちが直接話しかけてくれるのが嬉しいらしく、最初こそ戸惑いながら接していたもののすぐに彼らに触手を絡めてハグをしたり、顔を擦り付けて一緒に笑ったりしていた。
ただ、声をかけられる度に立ち止まってはハグしてまわるお陰で、予想以上に時間を食ってしまったのも事実だ。
この身体になってから初めての遠出なので、休息がてらゆっくり行くつもりで余裕をもって出発したつもりだったけれど、服屋に来たときにはすでに太陽は頭の上を通りすぎてしまっていた。
「こんにちは、トリスさん」
「あら、シーラちゃん」
木戸を開けて店内に入ると、帳場で糸を紡いでいたアラクネの店員さんがパッと顔を輝かせて迎えてくれた。相変わらずあまり繁盛していないらしく、今いるお客さんは私だけのようだ。
「今日はいったいどんな用件かしら?」
「服を新調しようと思いまして」
「新しい服がほしいの? ふふ、嬉しいわね。どんな服がご所望?
まずは試着してみて、気に入ったの教えて。微調整ならできるから遠慮なく試して頂戴」
トリスはそう言いながら棚の間を歩き始め、何着か服を手にして戻ってくる。そして、見繕ってきた服を私に見やすいように並べてくれた。
魔物娘は露出の多い服や華美な服を好むが、人間の私が着るには少し勇気が要る。トリスはそんな私の好みを言わなくても察してくれているようで、選んできてくれたのは小さな刺繍のついたワンピースや細い飾り紐のついたスカートなどだった。決して人目を引くような派手さはないかもしれないが、どれも出掛けるのが楽しくしてくれそうな魅力がある。
「日常を豊かにしてくれる服との出会いは運命みたいなものだからね。そう言ってくれると私も嬉しいわ。でも、日常から一歩冒険に誘ってくれる服も良い刺激になるわよ?」
そう言いながら、ちょっと背伸びすれば着れそうな太ももを強調する魔物好みの服を変化球で選んで忘れずに勧めてくれるあたりが心憎い。
試しに着てみてと主張する服達の誘惑に乗せられそうになるが、無意識のうちに伸ばした手をなんとか押さえ込む。このまま試着したら、間違いなくそのまま会計してしまうだろう。あくまでも今回の目的は私の服ではない。
後ろ髪を引かれる思いで机からトリスへと視線を戻すと、彼女は不思議そうな表情で目を瞬かせた。
「もしかしてお気に召さなかった?」
「ううん、すごく気に入った。やっぱりトリスなら安心して任せられるよ。
あっちの子の服を見繕ってもらって良い?」
「まぁ! 新しいお客さん? ごめんなさいね、気がつかなくて」
そう言って入り口に立ったまま入るべきか悩んでいたクロを指差すと、トリスは笑顔を浮かべて彼女のことを歓迎した。
クロは手を合わせて喜ぶトリスのことを見て、ようやく入店する決意を固めたらしくやや緊張した面持ちのまま店の中へと一歩足を踏み入れた。
正直なところ、クロの今の心境は理解できなくもない。
品も良いし、値段も手頃。店員も親身になって対応してくれるし、同じ魔物娘ということで種族ごとの細かな微調整にも対応してくれる。人間やそれに近い体躯を持つ魔物娘にとってはもちろんのこと、クロのように大衆向けの服を着ることが難しい魔物娘にとってはトリスの店は有り難いことこの上ない。
ではなぜ、こんなにもお客がいないのか。
答えは単純で入りにくい雰囲気だからである。
天井や壁の全面に蜘蛛の巣が張り巡らされている建物を思い浮かべてみて欲しい。そこが清潔で風通しの良い建物だとしても、好き好んで居たいとは思わない。ましてや巣の上を人の頭ほどの大きさの蜘蛛が動き回っているのなら誰が入っていくだろうか。
大部分の人間が蜘蛛のご飯になりにいくような恐怖を覚えるに違いない。
「そう、かしら・・・・・・?」
「初めて入るのは、なかなか勇気が要ると思うよ?」
そういう訳で店の評判は良いのに、客は最低限の買い物だけでそそくさと帰ってしまう。特に昆虫の特徴を持つ魔物娘の間では深刻で、つい先日はキラービーが死地に赴く戦士のような面持ちで店の中に入り、半べそのまま商品を手に帰ってきたのが目撃されている。
「こんなに可愛いのに・・・・・・」
彼らがこの店の従業員であり、決して人に危害を加えることはない。見た目だけで嫌煙されてしまうことに納得がいかないトリスは、若干むくれた表情を浮かべながら小さくため息をついた。
もっとも客側からしてみれば、そんなことは解っていても本能というのはどうしようもない。人語の分かる魔物は増えたが、人をタンパク源としか認識していない猛獣の類が居なくなった訳ではないのだ。誰とでも偏見なく親しく接するのは大切だが、それも相手の晩御飯になってからでは遅すぎる。
このあたりの認識の溝は深く一朝一夕で埋まるものではないし、コツコツと交流を重ねる以外に解決方法はないだろう。どちらが正しいというのもないし、単純に根っこから違うのだからどこかで折り合いを付ければ良いだけの話だ。
「とにかく今日は新しいお客も連れてきた訳だし、クロにぴったりの服を見繕ってよ」
「あ、そうそう! ごめんなさいね?」
少し話が脇道に逸れそうだったので、話題を当初の目的へと戻す。
私の後ろにやや隠れるように立って不安そうに触手を絡めていたクロを引っ張り出してトリスの前へと押しやると、クロは振り返って肩越しに困ったような視線を送ってきた。
「大丈夫、トリスに任せて? 悪いようにはならないから」
「おねがい、しまーす・・・・・・」
「任せて! 貴女にぴったりの服を見繕ってあげるから」
私が言葉にクロは小さく頷き、やや緊張した面持ちのままトリスに向かって頭を下げる。油を差し忘れた玩具のようなぎこちないクロの態度ではあったが、トリスは気に止めた風でもなくニッコリと笑いながら手を差し出して応じてくれた。
そうしてトリスの後ろにくっついて店内を歩き始めたクロの後ろ姿を確認して、私は手近な椅子へと腰を下ろす。
クロも最初こそ手を伸ばすのは怖がるけれど、根っこは甘えん坊で人懐っこい。トリスは多少威圧感のある姿をしているけれど、気配りができて面倒見の良いお姉さん気質だ。二人の相性は悪くないと思うし、気に入った服を見つける頃には仲良くなっているだろう。
戻ってくるころには打ち解けて帰ってくるに違いない。
・・・・・・
最初こそトリスが一方的にクロの手を引っ張り着せ替え人形にしているような印象があったが、徐々にクロの緊張が解れてくると試着してみたいものを選んで自分からトリスに見せはじめる。トリスはそんなクロの申し出に快く頷き、嬉々として試着室へと誘った。
以前の触手の姿のクロは、友好的な魔物ということは解っていても見た目から町の人にはどうしても近寄り難い雰囲気があった。そのため人懐こくて甘えん坊なクロには、少しばかり寂しい思いをさせてしまっていた。もともと表情豊かな触手ではあったけれど、魔物娘の姿をとった今、こうしてクルクルと変わるクロの表情をみることができるのは単純に嬉しい。それだけでも彼女を町に連れてきた価値があったという気がしてくる。
「ねぇ、シーラみてみてー?」
「あ、良いじゃない。似合ってるよ」
試着室からクロはヒョコっと顔を出して私に笑いかけると、目隠しを開けて着ている服を見せた。
どうやらクロが選んだのは清楚なワンピースのようだ。白を基調にしたワンピースは、わずかに緑がかった肌によく映え、遊びのある裾の隙間から悪戯っぽい表情を浮かべた触手が顔を覗かせているのはちょっとしたアクセントになっている。
素直に感想を述べると、クロはむず痒そうに笑った。
「あのねー トリスが選んでくれたんだよー?」
「触手があるから服のなかで苦しくないようにゆったりしたワンピースにしたの。
今は裏地が普通の布だから少し擦れたりして不具合もあるだろうけど、あとで擦れやすい場所には当て布もするし、粘液対策もするから安心して?」
トリスは「どうだ」と自慢げに胸をそらす。
案の定、彼女たちは短い間でも仲良くなってくれたようだ。
「それじゃあ、その服貰おうかな。クロのために調整してもらっていい?」
「もっちろん!」
17/01/22 22:03更新 / 佐藤 敏夫
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