連載小説
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第3話 使い魔の触手がテンタクルになったけど粘液採取はする
 トリスの店で買ったのは、普段着を三着と寝間着、それから下着を何枚か。たくさん買ったらトリスがオマケしてくれたけれど、結構な出費になってしまった。それも可愛いクロの為なら仕方ない。
 服の微調整もあるので、当面の生活のための普段着一枚と代えの下着だけを先に受け取って、残りは後日取りに来ることにする。
「服は二日もあれば微調整が終わるから、そのあとに取りに来てちょうだい?」
「無理ばっかり言ってごめんね、トリス」
「ううん。全然無理じゃないから平気よ。こんなに可愛いお客さんを連れて来てくれたんだもの、私だって少しくらいサービスしないとね」
「なにするのー・・・?」
 トリスがそう言いながらクシャクシャとクロの頭を撫でると、クロは気恥ずかしそうに頭を振って逃れると仕返しとばかりに触手でトリスの脇腹を突っつき始めた。放っておけばいつまででも二人でジャレあっているだろう。それはそれで面白いけれど、帰るのが暗くなってしまう。
「ほーら、クロも帰るよ?」
「わー 放してー・・・」
 仕方なく羽交い締めにして実力行使に出ると、クロは触手を伸ばして抵抗してみせたが結局そのままズルズルと引きずられた。魔物が人間の小娘に力負けするというのも情けない気がするが、本人も帰らなくてはいけないことは理解しているのだろう。
 もうちょっと遊びたいけど帰らなくちゃいけない、帰らなくちゃいけないけどもう少しだけ遊びたい。そんな気持ちが、ムスッとしながら唇を尖らせている表情に現れている。
 トリスもクロのそんな表情を見て、ちょっぴり苦笑していた。
「服を受けとる時に、また一緒に来よう?」
「また来れるの?」
「えぇ、調整するのだって時間が必要だからね。今日受け取った分の残りはまた後日」
「私もクロがシーラと一緒に来てくれるの、楽しみにしているわ」
「・・・・・・ん!」
 一旦は寂しそうな表情を作ったものの、クロは改めてトリスの店に来ると知ると嬉しそう頬を緩めた。よっぽどトリスのことが気に入ったのだろう。随分と仲良くなってくれたようで私も嬉しい。
 ポンポンと頭を撫でてあげると、立ち上がって私の腕に触手を絡めてきた。
「それじゃ、また来るね」
「トリス、またね」
「はい。二人とも気を付けて帰ってね」
 こうして私たちはトリスの店をあとにした。

・・・・・・

 オマケしてもらったのに次回来るときに手ぶらという訳にもいかない。帰路の途中で、次回行くときにはお礼を用意しようか、と提案したらクロは目を輝かせて乗ってくれた。トリスのために何かができるというのが嬉しくて堪らないようだ。
 当然、何を作ろうかという話になってくる。
 私としては家にあるものでちょっとしたお菓子でも作って持っていくつもりだったのだけど、クロは折角だからテンタクルらしいものが良いと言って譲ってくれない。あんまり手の込んだ物を作っても渡すと、トリスが受け取りにくくなるし、延々とお礼のやりとりが続いてしまって収集がつかなくなると説明しても、当然ながらやる気になっているクロに理解してもらうのは難しい。
 まぁ、トリスもクロと一緒に作った品物なら喜びこそすれ嫌がることもないだろう。
 どうやって受け取ってもらうかは一旦棚上げしておいて、あとはテンタクルらしいものとして何を作るか、だ。

「クロ、粘液採るからおいでー」
「あーい!」
 一通りの準備を用意してからクロを呼ぶと、元気な返事と共にスプーンや刷毛といった小道具を持ってやってきた。
 テンタクルらしいとなると、やっぱり粘液だろう。
 一見すると使い道のないように見える粘液ではあるが、皮製品の加工のためにも使われたり、魔法薬の材料としても重宝されたりする。もともと皮膚を守るために分泌されるものなので肌への負担が少なく、高級な化粧水の原料として高値で取引されることもあるくらいだ。
 触手を使い魔としている人間の多くは、彼(女)たちから粘液をもらい、代わりに住居や魔力を提供するという契約を結んでいることが多い。
 一応、テンタクルの古くなって生え変わった触手にも使い道がないわけでもないけれど、流石に抜けた触手を刻んでメカブ感覚で食べるというのは抵抗があるだろうし、増毛剤というのもトリスには無縁だろう。
 ちなみに食べたことはないが、噂によると水っぽいくせに妙に生臭い海草みたいな味がして美味しくないらしく、微妙に催淫効果もあるので、よほどの物好きでもなければ食べたがらないという。
「それじゃ、採るよ」
「んー!」
 居間を片付けて布を敷き、そこにクロを座らせる。粘液を採取できるように彼女の服を緩めると、魔物にしては随分と華奢な身体が露になった。
 その慎ましくも均整のとれた肢体に思わず見入っていると、その視線に気づいたのかクロは少しだけ気恥ずかしそうに身じろぎをした。
「このからだになってから、はじめてー」
「緊張する?」
「んー ちょっとくすぐったいけど、へーきー」
 声を掛けるとニヘラと笑って答えてくれたので、私も少し安心する。
 元々、触手だったときから粘液を採取することにあまり抵抗はないようだったし、むしろ自分の方から粘液をとってもらいたがるような素振りさえみせていた。テンタクルとなって落ち着かない部分はあるにせよ、この初めての状況を楽しんでいるのだろう。
 それにしてもクロが同性でよかった。
 もしも私が男なら同じ女でさえ魅力的だと感じるクロの身体を前にして自制が利くかどうか保証できないし、逆にクロが男であったら目のやり場に困って作業どころではなかったに違いない。
「それじゃ、採るよ」
「いたくしないでねー」
「任せて」
 気を取り直して作業を再開すると、クロは目を閉じ、寛いだような表情を浮かべながら身体を預けてきた。甘えるように、ゆったりと触手を絡めるのはクロの昔からの癖。腰や背中に巻き付いてくる触手は、優しく抱き締めてもらっているような感じがして嫌いじゃない。クロは手や足などに触手を絡めたがるが、それはさすがに作業の障害になるので遠慮してもらう。
 どうにもテンタクルが他人の身体に触手を巻き付けていると安心するのは触手が魔物だったころの名残なのだという。当時は種族繁栄のために繁殖し、強い遺伝子を取り込むために様々な苦労があったようだ。
 余談ではあるが、触手というのは魔物の中でも実は弱い部類に入るらしく、どちらかというと食物連鎖でいう分解者や植物の類にあたる。他人に寄生したり、他の生き物を苗床にする種族も居ないわけではないが、魔物と人間が争っていた時代から、争乱を避けて細々と暮らしていた種族も多かったらしい。
 触手とは見た目によらず、存外難儀な種族である。
「・・・・・・クロ、どう?」
「ん、きもちー・・・・・・」
 クロの肌を傷つけないように注意しながら肌の上を削ぐようにスプーンを動かすと、透明な粘液が溜まる。ある程度スプーンの上に粘液が溜まったら、瓶のなかに落とす。粘液を回収したあとは触手が乾燥しないように軽くマッサージして粘液腺を刺激し、分泌液を薄く全体に伸ばして馴染ませてやって粘膜のケアをする。
 クロに声を掛けて確認すると至福の一時とでもいうように目を細めて甘えてきた。
 少々不安ではあったが、要領としてはクロが触手だった時と変わらない方法で問題なさそうだったのでひと安心だ。
「ふー・・・・・・」
「ふんふんふふん♪」
 強いて問題を挙げるなら、どうして主人である私が重労働に従事しているのに使い魔であるクロがこんなに寛いでいることに、少々納得いかないことくらいだろうか。
 クロではなくわざわざ私が作業しているのは、直接触れることで彼女の体調を確認する触診の意味も含んでいるからだ。使い魔の健康維持は主人の大切な義務の一つであるし、クロに健やかな生活を送ってもらうために契約したときにも最初に取り決めたことである。私もその事に関しては今さら覆すつもりはないし、彼女を妹同然と思っているので姉としての当然の責務だと思っているので不満はない。
 やっとの思いで瓶一つ分だけ回収して蓋を閉めると、相変わらずクロは幸せそうに小さな声で鼻唄を歌いながら目を閉じて微睡んでいた。

 ただ

 ただ・・・・・・私が手を動かしているにも関わらず、クロが御機嫌なのはやっぱり気になる。
 クロがただの触手だった時は構って欲しそうに手の甲に先端を押し付けたり、少しだけ退屈そうに身体をくねらせる程度だった。しかしながら、私が汗水垂らして働いている前で、幸せそうにだらしなく頬を緩ませながら鼻唄を歌っているのは・・・・・・気になる。
 クロがテンタクルになって感情表現豊かになり、より密な意思疏通が取れるようになったのは喜ばしいことだ。彼女の幸せそうな顔を見ていると私も嬉しくなる。私の使い魔になれて良かったと全身で表現して慕ってくれるのは、彼女の主人として光栄の極みである。
 でも、それとこれとは話が別。私と同じく手を動かせなどと言うつもりはないが、少しくらい主人を労ってもバチは当たらないと思う。
「むふー・・・・・・」
 もとより人と魔物は相容れぬもの。敵に隙を見せれば刺されて当然である。自然の掟は絶対であり、たとえ主従の契約を結び、姉妹同然の関係を築き上げたとしても変わらない。
 ならば、不肖このシーラ、心を鬼にして森羅万象の理に逆らわんとするクロに天誅をくださん。
 これは別にやりたくてやっている訳ではないのである。ましてや、腹いせ交じりにちょっとばっかりイタズラしてやろうという気持ちは微塵もない。誓って本当である。
「······♪」
 占いやら調薬を生業とする私に大掛かりな魔術は使えない。頑張っても獣を追っ払うのが良いところで、人並みに以上に使える魔術と言えば、保温や点火と言った生活が少し便利になる程度のものだ。
 だが、そんな数少ない私が使える魔術にも有効な魔術が無いわけではない。
 足りない威力は工夫で補い、知恵によって種族の差を埋める。工夫こそが、能力に劣る人類が圧倒的な力を持つ魔物達と対等に渡り合う上での最大の武器なのだ。
 手の平に魔力を集めて冷却の術式を編み上げる。本来は薬の保管のための魔術であり、空気中の魔力を集める刻印と一緒に棚に刻んで冷蔵庫として活用するための術式だ。そのため、冷却と言ってもせいぜい周囲を数度〜十数度程度までしか冷やすことができない。
 しかし、それはあくまでも自然に任せて温度を下げた時の話だ。人為的に魔力を供給すれば更に温度を下げることができる。
 その温度、実に氷点下。外にできた水溜まりがすべからく凍りつき、地面に霜柱が出来上がる温度に等しいのだ。
 手の上に編み上げた術式に魔力を送り込むと、手の平の上に強烈な冷気が渦巻きはじめる。クロに悟られないように平静を装いながら霜焼けになりそうなほどの冷たさに耐え、ひたすらに冷気をためていく。
 粘液の回収の時に残った水分が熱を奪い、既に指先の感覚はない。捨て身とも言える所業ではあるが、その死中に活を求める姿勢こそが魔物に一矢報いる一手となるのだ。
 食らえクロ。我が心の平穏の礎になれ。
「えい」
「んみゃあ!?」
 クロの首筋に冷えきった両手を当てると、クロは奇声を上げながらバネ仕掛けの人形のように身体を跳ねさせた。首を庇うように竦めながら、何が起こったのか分からないと言った表情で目をパチクリさせている彼女の姿を見ていると、私も冷たい思いをした甲斐があり、溜飲も下がってくるというものだ。
「ふふっ・・・・・・」
「・・・・・・」
 クロのじっとりとした恨みがましい視線も今は心地よい。沸き上がってくる笑みを堪えるのが大変なくらいである。
「し〜ら〜・・・・・・」
「ん、なぁに?」
「”なぁに”じゃ・・・・・・なぁーい!」
「わっ!?」
 だから、かもしれない。勝利に酔っていた私は、魔物の方が人間よりも優れた身体能力を持っているなんて当たり前で大事なことを失念していた。
 ついでに言うなら、悪戯されて機嫌が良い魔物なんて居るわけがなく、それが自分の最も寛げる時であればなおさらだ。そんな状態で悪戯の犯人が目の前で笑っていたら、報復しないはずがないだろう。
「クロ、お姉ちゃんは話し合いって大事だと思うな!」
「うん、いいわけがあるならきくよー? お・ね・え・ちゃ・ん?」
 飛びかかってきたクロに押し倒され、そのまま覆い被さられてしまう。クロの下から抜け出そうともがいてみるけれど絡み付いた触手がギッチリと関節を固定していて、捕獲という点においてはテンタクルは優れた能力を持っていることを実感しただけだった。
 にっこりと人懐っこい笑みを浮かべたまま顔を近づけてくるクロが怖い。
 きっと、魔物に食べられる人間の気持ちというのはこういう気持ちだったに違いない。

・・・・・・・・・

 世の中には擽りの刑という拷問があるらしい。受刑者を身動きできないように固定し、文字通りひたすらくすぐるという拷問である。随分と変わった拷問ということで知識としては知っていたのだが、世の中には残虐な刑罰なんてものは枚挙にいとまがないし、この刑罰もせいぜいポイ捨てした人間を懲らしめる程度の罰だと思っていた。
 だって、怖い道具も使わなければ痛くもない。くすぐられているのを我慢するだけなんだから気楽なものだ。
 でも、私は見誤っていた。いつだって残虐なのは、この世のどんな刑罰でもなく、歯止めの効かなくなった人の心なのだということを。
「しーら、おちついた? お水、のめる?」
「・・・・・・うん」
 相手が笑っているので、くすぐっている側も楽しくなってくる。辛いことは続けられないが、楽しいことを続けるのは簡単だ。するとどうなるか、当然ながら際限なく続けることになる。
 ところで笑っていると呼吸はどうなるだろう。笑いすぎて噎せたことはないだろうか。
 その結果、危うく私は使い魔にくすぐられて過呼吸で死にかけるはめになった。
 使い魔に裏切られて命を奪われた主人は星の数ほどいるかもしれないが、ちょっかいだした仕返しで使い魔に擽られつづけて命を落とすなど、世界でも最高峰の間抜けな死に方だろう。
 心配そうに背中をさすりながらコップを差し出してくるクロから水を受け取って飲むとようやく気持ちが落ち着いた。
「ごめんね、お姉ちゃん・・・・・・」
「ううん、悪戯した私も悪かったから気にしないで」
「でも・・・・・・」
「ね?」
「・・・・・・うん」
 お互い様というか八割がた最初に悪戯した私が悪いのだけど、それでも彼女は罪悪感がぬぐえないらしい。申し訳なさそうにシュンとするクロの頭を撫でてやると彼女は弱々しく笑った。
「・・・・・・粘液採取、まだ途中だったね」
「うぇ?」
「また、クロから粘液もらってもいいかな?」
 努めて明るい声を出す。
 クロはキョトンとした表情で私を見上げたけれど、すぐに私の意図を察すると明るい色を帯びた表情でコクコクと頷いてくれた。甘えるように絡めてくる触手に苦笑いを隠せないけれど悪い気はしない。
「一休みしたらまたやろっか? トリスのお礼の準備もしたいしね」
「うん!」
 元気よく返事してくれると私も嬉しくなる。

 こんなにたくさんのクロの表情を独り占めできるなら、また悪戯したいなんて思ったのは秘密にしておこう。
17/01/22 22:08更新 / 佐藤 敏夫
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■作者メッセージ
連載したら? と言われたので、連載形式に纏めました。
当初は本当に読み切りだけしか考えていなかったので、この後どうしようか不安でしたがトリスとクロが勝手に話を続けてくれたので助かりました。

感想くれたら嬉しいです(チラチラ

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