仲良く喧嘩
「はい、二人にお給金。 あとは紅茶の葉っぱね。 ちょっと古くなったやつだけど良いかしら?」
「ありがとうございます」
お金と商品の入れ替えのために余った茶葉を受け取って御礼を言うと、クーネもゆらゆらと身体を揺らして感謝の意を示す。エリシアはニコリと微笑み、頭に手を載せた。ヒンヤリとした手の平は心地良い。
「じゃあ、気をつけてね。 また二人が手伝いに来てくれるのを楽しみにしているから」
「うん!」
手を振り返して、喫茶店を後にする。
今日の天気は気持ちよい快晴。思いっきり息を吸い込むと新鮮な空気が胸を満たした。クーネは私が光合成をしているのを見て楽しそうに触手を振り、眩しそうに太陽を見つめた。今日は絶好の光合成日和だ。
のんびりと光合成をしながら歩く。
クーネは石畳の上を壷状の体の下にある小さな足でチョコチョコと動かしながら可愛らしく歩く。見ていて微笑ましい仕草なのだけれど、ペースはクーネの方が遅いので歩くペースは自然とクーネにあわせることになる。
そんな様子を通りかかった知り合いが足を止めて声を掛けてくる。
二人で歩く時はいつでも嬉しそうにするのだが、今日のクーネは特別に機嫌が良さそうだ。きっと色んな人と仲良くなれて、話では聞いていた町の様子を実際に見ることができて嬉しいのだろう。
「ん? どうしたの」
不意にそっとクーネが触手を絡めて、クイクイと引っ張ってきたので振り返る。緩やかな動きで道端に店を構えている一件の屋台を差ししめした。風に揺られて幟(のぼり)がなびく。
モーモーとヒンヤリ 美味しいアイスクリーム
ひらひらと踊る文字が、クーネは気になって仕方ないようだ。幾つか露店があるので他の所も訊ねてみたが、あそこに寄りたいのだという。僅かに思案する。
新鮮なミルクの風味とキンキンに冷たいのに爽やかな清涼感が人気の一番美味しいアイスクリーム屋という噂ではあるのだけれど、露店の中では値が張るのだ。一度は行ってみたいとは思ってはいるものの、ずっと行けずにいる。
幾ら安定した生活できるといっても決して裕福ではないのだ。多少の蓄えはあると言っても、病気になったときの事を考えるとおいそれと使う気にはなれない。
ただ
クーネは初めて町に来たのだ。初めて来たのに思い出もないのも寂しかろう。できるだけ思い出を作らせてやりたい。それに、クーネはいつも遠慮ばっかりして滅多な事ではおねだりをしないのだ。
「あ、そうだ」
大事な事を思い出してポケットをまさぐり、鞄の中から皮袋を取り出す。クーネは不思議そうに私が手に持っている袋を覗き込んだ。いつも財布として使っている皮袋と違うのが余程気になるのだろう。
「チップをもらったんだ。 クーネの分もあるから、これで食べよう」
袋の中から銅貨を取り出して触手に握らせる。クーネは、ぱっと表情を輝かせ感謝を示すように身体を摺り寄せてきた。少しだけくすぐったい。
「クーネ、どれが良い?」
「いらっしゃい。 ゆっくり見て良いからね〜」
「どれも、とっても冷えていて美味しいよ」
ガラスの向こう側にはバニラやイチゴやチョコレートなどの色とりどりのアイスクリームが詰まったケースが納まっていて、それらに触手を押し付けるようにして魅入っている。店の邪魔になってしまうかとヒヤヒヤしたが、売り子のホルスタウロスはノンビリと嬉しそうに笑いかけてくれた。雪女もクーネが一生懸命アイスクリームを覗き込んでいるのを見てクスクスと笑い声を漏らしている。
「クーネ、決まった?」
訊ねるとコクコクと頷いて、チョコレート味のアイスクリームを指し示した。
「じゃあ、チョコレート味とバニラ味を一つずつ」
「はいはーい。 ちょっと待ってねー」
カウンターの上にお金を置くと、ホルスタウロスが手際よくコーンの上にアイスクリームを乗せる。
「はい。 どうぞ♪」
「ありがと」
手渡しで商品を受け取り、クーネも触手で器用に差し出されたコーンを絡め取った。ホルスタウロスと雪女の二人の売り子に見送られながら店を後にする。
「私もあんな風な素敵な魔物になりたいなぁ・・・」
立派に仕事ができて、居るだけで自然と笑みが湧き上がってくる。そんな魔物になれたらどれだけ素敵だろう。きっと、獲物も向こうからやってきてくれるに違いない。
そんな私の様子が可笑しかったのか、気がつくとクーネは隣で震えていた。
「クーネ、そんなに可笑しい?」
じっとりとした視線を向けるとブンブンと触手を振って否定した。なんて白々しい嘘だろう。そんなことで私を騙せると思っているのだろうか、クーネは私の事を絶対笑っていた。
「今なら、謝れば許してあげるけど?」
一応、他人ではない一つ屋根の下で暮らしている関係なので私も最後通牒を出しておく。
けれど、クーネは「笑ってないから、謝る必要なんかないもん」と、知らん顔でアイスクリームに齧りついている。良い度胸じゃないか、クーネのクセに。よろしい、ならば戦争だ。目にモノを見せてやる。
アイスクリームを持っている触手を掴み、そのままクーネのおやつに噛り付く。クーネは「きゅ〜〜〜!!!」なんて大慌てで抗議とも悲鳴ともつかない声を上げた。チョコレートの濃厚な甘みと少しだけビターな味が病みつきになる。もう一齧りしてやろうと思ったら、別の触手を持ち替えて安全地帯へと逃げ、それだけでなく反撃まで試みてきた。
不意を突かれ、一口齧られてしまった。
結果は傷み分け。
あんまりやっても知っている人に見られてしまっては恥ずかしい。不満は残るけど、この辺で仲直りするのが得策だろう。
まぁ、良いか。
クーネのアイスクリームも食べれたし。
・・・
本当は、馬鹿にしたつもりは全く無かった。
売り子の二人のようになりたいと言った時、既になっていることに気がつかないことが可笑しかったのだ。それはエリシアのお墨付きで、喫茶店に来る客の中にはリディアが目的の客もいる。まさに隣の芝は青い、というやつだ。
まぁ・・・ 笑ったのは確かに事実なので、そう考えると、リディアに怒られるのは仕方がないのかもしれないのだけど・・・
でも、リディアにアイスを齧られたのにはちょっと驚いた。
全く持ってリディアは無防備すぎる。
人懐っこいのは良いけれど、だからと言って人のアイスを齧りつくのは駄目だ。他の人に見られてしまったらどう釈明するというのだろう。恋人でもあるまいし、リディアが触手に興味を持っていると勘違いされてしまったらどうするつもりだ。
リディアは女の子なのだ。
自分の事は大切にしないといけないし、幸せになってもらわないといけない。
折角ファーストキスを残しておいてあげたのに、間接キスだなんて・・・
・・・あれ?
そういえばリディアは自分のアイスを齧ったし、自分もリディアのアイスを齧ったよね。
ということは、互いに間接キスをしたという事であって、それはつまりは結果的には直接キスしたのと大差ないわけではないだろうか。
「クーネ? どうしたの? アイス溶けちゃうよ?」
視線を移す。
リディアの両手は空っぽだ。間違いなく先ほどの「自分が齧ったバニラアイス」は既におなかの中に納まっている。
「食べないんだったら、クーネの分も食べちゃうぞ〜♪」
ニヤリと笑い触手からアイスを奪い取る。
させてなるものか。
慌ててリディアの手首に触手を絡めて手からアイスを奪い返し、そのまま口の中に押し込んだ。無理矢理食べると美味しいはずのアイスでも、ただただ冷たいだけだ。もしゃもしゃと咀嚼するが、味は全く分からないし、リディアには半目で睨まれる。
リディアのためを思っての行動なのに、どうして怒られるのだろう・・・
・・・
「クーネ・・・ もっと味わって食べてよ〜」
折角、奮発して買ったのに大して味わわずに食べきってしまった。もっとキチンと食べて欲しかったのだけど、少し悪戯が過ぎてしまったかもしれない。もっとも、食べてしまったものは仕方ない。折角なので買い物をしてから帰ることにしよう。
時間もあるし、クーネには町をみせてあげたい。
クーネを連れ立ってみんなの憩いの場である公園へと足を運ぶ。
緑豊かな公園には子連れの親子や元気に飛び回る妖精達が居た。平和そのものの公園の様子を見て、クーネは心なしか嬉しそうに見えた。気に入ってくれて何よりだ。
クーネは穏やかだけれど人懐こい性格で、見知らぬ人をせずに誰とでも仲良くしようとする。特に同世代には強い興味を示し、文字通り積極的に(文字通りの意味で)絡み、遊ぼうと誘うのだ。
そわそわと先ほどから落ち着かない様子で見上げてくる。折角の楽しい遊び場を目の前にして、お預けを喰らっているようなものなのだろう。行っておいで、と頷いてやると喜び勇んで妖精達の群れへと突撃していった。
「お久しぶりー」
「久しぶりだね、リディア」
「あ、お久しぶりです。 クレスさん、ミレイユさん」
振り返ると鴛鴦夫婦として有名なネレイスの夫婦がいた。有名なシービショップに司祭を頼もうとしたものの、予定を変更して司祭の娘に司祭を勤めてもらったらしい。結婚式に出席した人は「幼い司祭は上手くできなかったけれど、彼女の進行のお陰でこの上なく素晴らしい結婚式だった」と口々に感想を述べていた。
一体どのような結婚式だったかと気になるところだ。
「あれ?」
ふっとミレイユが抱いているものが気になって視線を移す。二人は嬉しそうな笑みを浮かべ、慈しむように抱いていた包みを見えるように腰を落とした。
真っ白な布にくるまれた深い青色が小さく動く。
一目見て分かった。
「おめでとうございます!」
「「ありがとう」」
本当の幸せと言うのは自分だけのものではない。本当の幸せと言うのは自分だけではなく周囲まで幸せにしてくれることを言うのだ。そういう意味ではこの二人は、これ以上ないくらい幸せそうだ。きっと世界で一番幸せな二人組み・・・いや、この子も含めて三人組みにちがいない。
「この子の名前はなんですか?」
「ケネイク。 ケネイク・クロライド」
「司祭と私と夫から一文字ずつもらって、この子のために一文字足したの。 どういい名前でしょ?」
「うん、とっても」
名前を呼ばれ、ケネイクは産衣の中でキャッキャと声を上げた。無垢で無邪気な笑い声が心を和ませる。可愛らしいホッペに触ってみたくて指を伸ばすと、ぎゅっと指を掴まれてしまった。
「わかったよぉ・・・ ほっぺたを触らないから、離してよぉ・・・」
「うぃー・・・♪」
にこーっと満足気な笑みを浮かべるだけで、一向に離してくれそうにない。クレスとミレイユはそんな様子を見て楽しげに笑っていた。人が困っている姿を見て笑うなんて、本当に困った人たちだ。
「抱っこしてみる?」
「良いの?」
「えぇ、沢山の人に抱っこしてもらった方が幸せになれるから」
手を差し出すとケネイクをそっと腕の中に降ろした。
不思議な感触だった。
触れれば壊れてしまいそうなほどの繊細なガラス細工を思わせるのに、産着の上からでも温かみが伝わってくる。ずっしりと重いけれど、ちょっと気を抜くと羽のように飛んで行ってしまいそうだ。
「あ、クーネ。 おかえり」
「へぇ、この子がクーネかぁ」
「本当に触手なのね」
触手の上にフェアリー達を乗せながらクーネが戻ってきた。「きゅ〜」と鳴いて触手を差し出して握手を求めると二人は快く応じた。
どうやら私が赤子を抱いているのが気になったらしい。さっきからしきりに触手を動かしてケネイクを覗き込んでいる。
「だぁ〜?」
ゆらゆらと揺れる触手に興味を示したのか、小さな手を伸ばして掴もうとする。あと少し、というところでヒョイと触手が安全圏へと逃げた。それから、再びゆるゆると様子を見るように戻ってくる。
他愛の無い、二人の真剣な攻防。
周囲は温かく見守っている。圧倒的優勢に見えたクーネだが、ケネイクが不機嫌そうな表情を浮かべたのを見るや否や慌てはじめた。
「きゅ!」
クーネが不意に情けない声を上げる。
触手が濡れている。ケネイクが水を吹きかけたのだ。フェアリー達があまりにも可笑しそうに笑い始めたので、私も釣られて笑ってしまう。クレス夫妻は娘の突然の水鉄砲に申し訳なさそうにする。
もちろん、クーネはそんな事ぐらいでは怒らない。
「駄目だよ、そんな事しちゃ」と、鼻先を軽く押した。赤ちゃんは不満げに「ぷぅ」と息を吐いたが、渋々と納得したようだ。
赤子は優しい相手というのが分かるらしく、優しい相手の言葉には一生懸命理解をしようと耳を傾ける。クーネが仲直りの握手を求めると、ケネイクは小さな手を伸ばした。
腕に触手を絡められるとケタケタと無邪気に笑い声を立て、小さな指を使って触手を握り返す。
二人は、あっという間に仲良しになってしまった。
クーネにも、赤ちゃんを抱かせてあげたい。
そんな思いを込めて夫妻の方を見ると、ニッコリと笑って頷いた。
蠢く触手に向けて赤子を差し出す。
世の中には触手は凶暴で汚らわしい生き物と思っている人がいる。もし、そんな人がこの姿を見たら触手に生贄を捧げているように見えるのだろうか。触手がまだ自分で自身の命を繋ぐことさえできないほど、か弱い赤子に伸ばされる。
この触手が命を喰らう化物なら、次の瞬間には幼い命は無残に食い殺されるのだろう。
もちろん、クーネはそんなことをしない。
ハンモックのように編みこまれた触手が赤子を優しく包み込み、あやすように左右に揺れた。触手に止まるフェアリー達は祝福するようにそれを眺めている。自分の身体を伸縮させて楽器のようにして子守唄を歌い始める。
ケネイクは安心したのか、遊びつかれたことも相まってうとうとと瞼を下げ始める。
「あらあら、寝ちゃった。 珍しいわね、この子はよっぽど安心しないと寝ないのに」
「そうだね。 クーネの事をよっぽど気に入ったんだね」
褒められると誇らしげに「きゅ」と鳴く。
慈しむように触手の中で寝息を立て始めた幼い命の頭を撫でると、名残惜しげに母親の元へと差し出した。
「・・・この子、まだ触手を掴みっぱなしね」
触手を離させると、ケネイクが起きてから大泣きしたのはまた別の話。
「ありがとうございます」
お金と商品の入れ替えのために余った茶葉を受け取って御礼を言うと、クーネもゆらゆらと身体を揺らして感謝の意を示す。エリシアはニコリと微笑み、頭に手を載せた。ヒンヤリとした手の平は心地良い。
「じゃあ、気をつけてね。 また二人が手伝いに来てくれるのを楽しみにしているから」
「うん!」
手を振り返して、喫茶店を後にする。
今日の天気は気持ちよい快晴。思いっきり息を吸い込むと新鮮な空気が胸を満たした。クーネは私が光合成をしているのを見て楽しそうに触手を振り、眩しそうに太陽を見つめた。今日は絶好の光合成日和だ。
のんびりと光合成をしながら歩く。
クーネは石畳の上を壷状の体の下にある小さな足でチョコチョコと動かしながら可愛らしく歩く。見ていて微笑ましい仕草なのだけれど、ペースはクーネの方が遅いので歩くペースは自然とクーネにあわせることになる。
そんな様子を通りかかった知り合いが足を止めて声を掛けてくる。
二人で歩く時はいつでも嬉しそうにするのだが、今日のクーネは特別に機嫌が良さそうだ。きっと色んな人と仲良くなれて、話では聞いていた町の様子を実際に見ることができて嬉しいのだろう。
「ん? どうしたの」
不意にそっとクーネが触手を絡めて、クイクイと引っ張ってきたので振り返る。緩やかな動きで道端に店を構えている一件の屋台を差ししめした。風に揺られて幟(のぼり)がなびく。
モーモーとヒンヤリ 美味しいアイスクリーム
ひらひらと踊る文字が、クーネは気になって仕方ないようだ。幾つか露店があるので他の所も訊ねてみたが、あそこに寄りたいのだという。僅かに思案する。
新鮮なミルクの風味とキンキンに冷たいのに爽やかな清涼感が人気の一番美味しいアイスクリーム屋という噂ではあるのだけれど、露店の中では値が張るのだ。一度は行ってみたいとは思ってはいるものの、ずっと行けずにいる。
幾ら安定した生活できるといっても決して裕福ではないのだ。多少の蓄えはあると言っても、病気になったときの事を考えるとおいそれと使う気にはなれない。
ただ
クーネは初めて町に来たのだ。初めて来たのに思い出もないのも寂しかろう。できるだけ思い出を作らせてやりたい。それに、クーネはいつも遠慮ばっかりして滅多な事ではおねだりをしないのだ。
「あ、そうだ」
大事な事を思い出してポケットをまさぐり、鞄の中から皮袋を取り出す。クーネは不思議そうに私が手に持っている袋を覗き込んだ。いつも財布として使っている皮袋と違うのが余程気になるのだろう。
「チップをもらったんだ。 クーネの分もあるから、これで食べよう」
袋の中から銅貨を取り出して触手に握らせる。クーネは、ぱっと表情を輝かせ感謝を示すように身体を摺り寄せてきた。少しだけくすぐったい。
「クーネ、どれが良い?」
「いらっしゃい。 ゆっくり見て良いからね〜」
「どれも、とっても冷えていて美味しいよ」
ガラスの向こう側にはバニラやイチゴやチョコレートなどの色とりどりのアイスクリームが詰まったケースが納まっていて、それらに触手を押し付けるようにして魅入っている。店の邪魔になってしまうかとヒヤヒヤしたが、売り子のホルスタウロスはノンビリと嬉しそうに笑いかけてくれた。雪女もクーネが一生懸命アイスクリームを覗き込んでいるのを見てクスクスと笑い声を漏らしている。
「クーネ、決まった?」
訊ねるとコクコクと頷いて、チョコレート味のアイスクリームを指し示した。
「じゃあ、チョコレート味とバニラ味を一つずつ」
「はいはーい。 ちょっと待ってねー」
カウンターの上にお金を置くと、ホルスタウロスが手際よくコーンの上にアイスクリームを乗せる。
「はい。 どうぞ♪」
「ありがと」
手渡しで商品を受け取り、クーネも触手で器用に差し出されたコーンを絡め取った。ホルスタウロスと雪女の二人の売り子に見送られながら店を後にする。
「私もあんな風な素敵な魔物になりたいなぁ・・・」
立派に仕事ができて、居るだけで自然と笑みが湧き上がってくる。そんな魔物になれたらどれだけ素敵だろう。きっと、獲物も向こうからやってきてくれるに違いない。
そんな私の様子が可笑しかったのか、気がつくとクーネは隣で震えていた。
「クーネ、そんなに可笑しい?」
じっとりとした視線を向けるとブンブンと触手を振って否定した。なんて白々しい嘘だろう。そんなことで私を騙せると思っているのだろうか、クーネは私の事を絶対笑っていた。
「今なら、謝れば許してあげるけど?」
一応、他人ではない一つ屋根の下で暮らしている関係なので私も最後通牒を出しておく。
けれど、クーネは「笑ってないから、謝る必要なんかないもん」と、知らん顔でアイスクリームに齧りついている。良い度胸じゃないか、クーネのクセに。よろしい、ならば戦争だ。目にモノを見せてやる。
アイスクリームを持っている触手を掴み、そのままクーネのおやつに噛り付く。クーネは「きゅ〜〜〜!!!」なんて大慌てで抗議とも悲鳴ともつかない声を上げた。チョコレートの濃厚な甘みと少しだけビターな味が病みつきになる。もう一齧りしてやろうと思ったら、別の触手を持ち替えて安全地帯へと逃げ、それだけでなく反撃まで試みてきた。
不意を突かれ、一口齧られてしまった。
結果は傷み分け。
あんまりやっても知っている人に見られてしまっては恥ずかしい。不満は残るけど、この辺で仲直りするのが得策だろう。
まぁ、良いか。
クーネのアイスクリームも食べれたし。
・・・
本当は、馬鹿にしたつもりは全く無かった。
売り子の二人のようになりたいと言った時、既になっていることに気がつかないことが可笑しかったのだ。それはエリシアのお墨付きで、喫茶店に来る客の中にはリディアが目的の客もいる。まさに隣の芝は青い、というやつだ。
まぁ・・・ 笑ったのは確かに事実なので、そう考えると、リディアに怒られるのは仕方がないのかもしれないのだけど・・・
でも、リディアにアイスを齧られたのにはちょっと驚いた。
全く持ってリディアは無防備すぎる。
人懐っこいのは良いけれど、だからと言って人のアイスを齧りつくのは駄目だ。他の人に見られてしまったらどう釈明するというのだろう。恋人でもあるまいし、リディアが触手に興味を持っていると勘違いされてしまったらどうするつもりだ。
リディアは女の子なのだ。
自分の事は大切にしないといけないし、幸せになってもらわないといけない。
折角ファーストキスを残しておいてあげたのに、間接キスだなんて・・・
・・・あれ?
そういえばリディアは自分のアイスを齧ったし、自分もリディアのアイスを齧ったよね。
ということは、互いに間接キスをしたという事であって、それはつまりは結果的には直接キスしたのと大差ないわけではないだろうか。
「クーネ? どうしたの? アイス溶けちゃうよ?」
視線を移す。
リディアの両手は空っぽだ。間違いなく先ほどの「自分が齧ったバニラアイス」は既におなかの中に納まっている。
「食べないんだったら、クーネの分も食べちゃうぞ〜♪」
ニヤリと笑い触手からアイスを奪い取る。
させてなるものか。
慌ててリディアの手首に触手を絡めて手からアイスを奪い返し、そのまま口の中に押し込んだ。無理矢理食べると美味しいはずのアイスでも、ただただ冷たいだけだ。もしゃもしゃと咀嚼するが、味は全く分からないし、リディアには半目で睨まれる。
リディアのためを思っての行動なのに、どうして怒られるのだろう・・・
・・・
「クーネ・・・ もっと味わって食べてよ〜」
折角、奮発して買ったのに大して味わわずに食べきってしまった。もっとキチンと食べて欲しかったのだけど、少し悪戯が過ぎてしまったかもしれない。もっとも、食べてしまったものは仕方ない。折角なので買い物をしてから帰ることにしよう。
時間もあるし、クーネには町をみせてあげたい。
クーネを連れ立ってみんなの憩いの場である公園へと足を運ぶ。
緑豊かな公園には子連れの親子や元気に飛び回る妖精達が居た。平和そのものの公園の様子を見て、クーネは心なしか嬉しそうに見えた。気に入ってくれて何よりだ。
クーネは穏やかだけれど人懐こい性格で、見知らぬ人をせずに誰とでも仲良くしようとする。特に同世代には強い興味を示し、文字通り積極的に(文字通りの意味で)絡み、遊ぼうと誘うのだ。
そわそわと先ほどから落ち着かない様子で見上げてくる。折角の楽しい遊び場を目の前にして、お預けを喰らっているようなものなのだろう。行っておいで、と頷いてやると喜び勇んで妖精達の群れへと突撃していった。
「お久しぶりー」
「久しぶりだね、リディア」
「あ、お久しぶりです。 クレスさん、ミレイユさん」
振り返ると鴛鴦夫婦として有名なネレイスの夫婦がいた。有名なシービショップに司祭を頼もうとしたものの、予定を変更して司祭の娘に司祭を勤めてもらったらしい。結婚式に出席した人は「幼い司祭は上手くできなかったけれど、彼女の進行のお陰でこの上なく素晴らしい結婚式だった」と口々に感想を述べていた。
一体どのような結婚式だったかと気になるところだ。
「あれ?」
ふっとミレイユが抱いているものが気になって視線を移す。二人は嬉しそうな笑みを浮かべ、慈しむように抱いていた包みを見えるように腰を落とした。
真っ白な布にくるまれた深い青色が小さく動く。
一目見て分かった。
「おめでとうございます!」
「「ありがとう」」
本当の幸せと言うのは自分だけのものではない。本当の幸せと言うのは自分だけではなく周囲まで幸せにしてくれることを言うのだ。そういう意味ではこの二人は、これ以上ないくらい幸せそうだ。きっと世界で一番幸せな二人組み・・・いや、この子も含めて三人組みにちがいない。
「この子の名前はなんですか?」
「ケネイク。 ケネイク・クロライド」
「司祭と私と夫から一文字ずつもらって、この子のために一文字足したの。 どういい名前でしょ?」
「うん、とっても」
名前を呼ばれ、ケネイクは産衣の中でキャッキャと声を上げた。無垢で無邪気な笑い声が心を和ませる。可愛らしいホッペに触ってみたくて指を伸ばすと、ぎゅっと指を掴まれてしまった。
「わかったよぉ・・・ ほっぺたを触らないから、離してよぉ・・・」
「うぃー・・・♪」
にこーっと満足気な笑みを浮かべるだけで、一向に離してくれそうにない。クレスとミレイユはそんな様子を見て楽しげに笑っていた。人が困っている姿を見て笑うなんて、本当に困った人たちだ。
「抱っこしてみる?」
「良いの?」
「えぇ、沢山の人に抱っこしてもらった方が幸せになれるから」
手を差し出すとケネイクをそっと腕の中に降ろした。
不思議な感触だった。
触れれば壊れてしまいそうなほどの繊細なガラス細工を思わせるのに、産着の上からでも温かみが伝わってくる。ずっしりと重いけれど、ちょっと気を抜くと羽のように飛んで行ってしまいそうだ。
「あ、クーネ。 おかえり」
「へぇ、この子がクーネかぁ」
「本当に触手なのね」
触手の上にフェアリー達を乗せながらクーネが戻ってきた。「きゅ〜」と鳴いて触手を差し出して握手を求めると二人は快く応じた。
どうやら私が赤子を抱いているのが気になったらしい。さっきからしきりに触手を動かしてケネイクを覗き込んでいる。
「だぁ〜?」
ゆらゆらと揺れる触手に興味を示したのか、小さな手を伸ばして掴もうとする。あと少し、というところでヒョイと触手が安全圏へと逃げた。それから、再びゆるゆると様子を見るように戻ってくる。
他愛の無い、二人の真剣な攻防。
周囲は温かく見守っている。圧倒的優勢に見えたクーネだが、ケネイクが不機嫌そうな表情を浮かべたのを見るや否や慌てはじめた。
「きゅ!」
クーネが不意に情けない声を上げる。
触手が濡れている。ケネイクが水を吹きかけたのだ。フェアリー達があまりにも可笑しそうに笑い始めたので、私も釣られて笑ってしまう。クレス夫妻は娘の突然の水鉄砲に申し訳なさそうにする。
もちろん、クーネはそんな事ぐらいでは怒らない。
「駄目だよ、そんな事しちゃ」と、鼻先を軽く押した。赤ちゃんは不満げに「ぷぅ」と息を吐いたが、渋々と納得したようだ。
赤子は優しい相手というのが分かるらしく、優しい相手の言葉には一生懸命理解をしようと耳を傾ける。クーネが仲直りの握手を求めると、ケネイクは小さな手を伸ばした。
腕に触手を絡められるとケタケタと無邪気に笑い声を立て、小さな指を使って触手を握り返す。
二人は、あっという間に仲良しになってしまった。
クーネにも、赤ちゃんを抱かせてあげたい。
そんな思いを込めて夫妻の方を見ると、ニッコリと笑って頷いた。
蠢く触手に向けて赤子を差し出す。
世の中には触手は凶暴で汚らわしい生き物と思っている人がいる。もし、そんな人がこの姿を見たら触手に生贄を捧げているように見えるのだろうか。触手がまだ自分で自身の命を繋ぐことさえできないほど、か弱い赤子に伸ばされる。
この触手が命を喰らう化物なら、次の瞬間には幼い命は無残に食い殺されるのだろう。
もちろん、クーネはそんなことをしない。
ハンモックのように編みこまれた触手が赤子を優しく包み込み、あやすように左右に揺れた。触手に止まるフェアリー達は祝福するようにそれを眺めている。自分の身体を伸縮させて楽器のようにして子守唄を歌い始める。
ケネイクは安心したのか、遊びつかれたことも相まってうとうとと瞼を下げ始める。
「あらあら、寝ちゃった。 珍しいわね、この子はよっぽど安心しないと寝ないのに」
「そうだね。 クーネの事をよっぽど気に入ったんだね」
褒められると誇らしげに「きゅ」と鳴く。
慈しむように触手の中で寝息を立て始めた幼い命の頭を撫でると、名残惜しげに母親の元へと差し出した。
「・・・この子、まだ触手を掴みっぱなしね」
触手を離させると、ケネイクが起きてから大泣きしたのはまた別の話。
11/05/20 00:07更新 / 佐藤 敏夫
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