お泊り
それほど大きくないこの街では住人の全員が知り合いと言っても良いし、娯楽と言えば住人達同士のありふれた世間話であるこの町では、外からの来訪者と言えばあっという間に町中に広がってしまう。
ましてや、触手は魔力の濃い場所に生息する生き物であり、更に言えば自我を持つ触手は特に珍しい。そんな触手がわざわざ町の中に訪れてきてくれたのだ、見に行かないはずがない。お陰で、喫茶店はクーネを一目見ようとやってくるお客で一杯だ。
あっちに注文を取りにいったり、こっちにカップやお皿を届けたり。繁盛時でもそれなりに忙しいのだが、今日は特に目が回るような忙しさである。もっとも、注文を受けに行く事や配膳が多少遅くなっても笑って許してくれる心の広い人ばかりなので怒られることはなく、その点は安心してお手伝いに望めるのだが、逆に言えばもっと心地良く喫茶店を利用して欲しいという思いだけが募ることとなる。
「ありがとうございました!」
会計を済ませたサキュバスとヴァンパイアにお礼を言って笑顔を向けると、二人は笑い返してくれた。サキュバスは顔全体で笑うのに対して、ヴァンパイアは僅かに目元と口元を歪めて笑みを作る。二人とも全く逆の笑みなのだけれど、どちらも「もっと頑張ろう」とか「もっと気持ちよく使ってもらおう」という気持ちにさせてくれる。
「そうだ。 頑張る子には御褒美をやらないとな」
「え?」
そっとヴァンパイアの白魚のような手が私の手を取ると、そっと数枚の銅貨を握らせた。二人は会計を済ませているし、余剰分は受け取れない。そう思って口を開けると、それを察したのかサキュバスが背後で「受け取るのが礼儀だよ」と目配せした。
「・・・ありがとう、ございます」
慌てて言い直すと、二人はちょっとだけ笑った。
何となく恥ずかしい。
「クーネと二人分だ。 手伝いが終わったら、仲良くアイスクリームでも食べるといい」
「良かったわね、リディア。 二人ともまた来てください。 お待ちしておりますよ」
「あぁ、そのつもりだ」
「もちろん」
カウンターの奥から出てきたエリシアが私の頭に手を置きながら二人に礼を言った。二人は微笑を浮かべて「また来るよ」と言って店を出て行った。感謝の気持ちを一杯に二人を見送った。
「さ、リディア。 悪いけど・・・お客さんも多いし、今日は頑張って閉店まで手伝ってくれるかしら?」
「はい!」
お客の状況にもよるが、喫茶店は大体日中から夕方の日が傾く頃まで営業している。
今日はお客も多いので、ちょっと長めだろう。元々、それほど大きくない店であるので私が抜けると、人手が足りなくなってしまうのだ。喜んで頷くと、エリシアは「よろしくね」と再び頭に手をおいた。
チラリ、とカウンターに居るクーネの方を見る。
クーネはマスターの隣で触手を曲芸の様に動かして、テキパキと手伝いをこなしていた。棚から絡め取ったカップを温めて紅茶を淹れる準備の傍ら、テーブルから下げられた食器を丁寧に洗っていく。その姿は常日頃クーネを見ている自分でさえ、よく絡まないものだと感心してしまうほどの動きだ。
マスターはクーネの手際の良さに驚き、お客は変わった店員が見せるコミカルな動きに魅入っていた。
私も負けないようにしないと。
クーネの姿を見ていたら対抗意識がフツフツと湧き上がって来た。よし、と一人小さく気合いを入れ直す。クーネが動きでお客を楽しませるなら、私は元気の良い挨拶で気持ちよく使ってもらう事にしよう。
「いらっしゃいませ! ご注文は何にいたしますか?」
丁度やってきたお客を飛び切りの笑顔で迎え入れた。
・・・
仕事が終わったのは太陽が沈み、丸くて綺麗な月が真っ黒い夜空で輝き始めて大分経ってからだった。多分、今までで一番長く営業していただろう。
「クタクタだぁ〜」
「お疲れ様、ごめんね。 こんなに長く付き合わせて」
「あはは。 楽しかったから気にしないで」
流石のエリシアもマスターもこんなに長く営業するとは思っていなかったらしく、店を閉める時は机に伸びている私とクーネを見て苦笑を浮かべていた。クーネも働いた感想は同じだったらしく、キューと小さく鳴いた後に「楽しかったから、大丈夫」と言うように触手の先端を軽く左右に振った。
「材料を全部使ってしまったから、残り物で申し訳ないけどね」
マスターはそう言いながら、パンやスープなどを持ってきてくれた。バスケットの中のパンは潰れてしまい形が悪くなったものや、切った後の端っこの部分などが入っていた。けれど、それらは少し見た目が悪いだけで食べるには問題ないし、味は保証つきの一級品だ。
「ちょっと遅いけど夕飯にしましょう」
簡単に食事の準備をすると、全員でテーブルを囲みささやかな晩餐が開かれる。クーネは残念ながら、硬い物や消化の悪いものは食べられないのでスープを多めに貰い、パンの柔らかい部分をスープに浸しながら食べていた。
それでも皆で囲む食事は楽しい事には変わりないらしい。
今日あった出来事や、喫茶店に来るまでの話をする度にクーネは身体一杯を使って自分の感情を表現した。何の意味も無く、なにも特別な話ではないのだけれど、マスター達は私達の話に耳を傾け、反応してくれる。
「さて。 今日は遅いし泊まっていきなさい」
「良いの?」
「明日は材料もないから喫茶店を休みにするつもりだったし、問題ないわ」
「それに、ここの大事な看板娘にもしもの事があったら大変だからね」
二人はニッコリと笑って言った。
どうする? とクーネを見ると「ご好意に甘えよう」と頷いた。
「決まりね。 お風呂出してあげるから先に入ってきなさい。 その間に布団を出すから」
・・・
この喫茶店の客間は隠れた宿代わりに使われることもあるし、何らかの理由で家に帰れなくなった町の住人が緊急避難用に使われることもある。今日は客間が空いているので客間で寝ても良いと言われたけれど、私は屋根裏部屋を借りることにする。万が一、喫茶店に助けを求めてやってきた人が居た場合に私が寝ていて断るなんて事があったら可哀想だからだ。
はしご階段を登った先の屋根裏部屋はそれほど広くなく、人が二人も横になれば身動きが取れなくなってしまうぐらいの大きさだ。もちろん、机なんて置くスペースはない。
少し埃っぽく狭い部屋なのだけれど、私としては秘密基地みたいで結構気に入っていたりする。私がエリシアから借りた布団を敷くと、クーネはキョロキョロとス自分の寝るペースを探していた。
きゅー、と情けない声で小さく鳴くクーネを抱き上げて膝の上に抱える。突然抱えられたクーネは慌てたように触手を動かしたが、すぐに大人しくなりぬいぐるみ扱いの抗議を示すように頬を撫でた。
「今日は私と一緒の布団で寝るんだよ」
ボシュン!
笑いながら告げると、そんな擬音が似合う慌てぶりで触手を振り回し、それから壷の中に逃げ帰った。あんまり可愛い仕草だったので、壷の中に手を入れて突こうとすると「触るなよ!」とでも言うように押し返してきた。
触手らしからぬ初心さ加減に思わず声を立てて笑ってしまう。別に一緒に寝ることなんて特別な事ではないし、友達や家族同然なら別に構わないじゃないか。
可笑しすぎてお腹が痛くなるくらいに笑っていたら、不満げにクーネが触手を伸ばし拗ねた表情でジッとコチラを見つめてきた。どうなっても知らないからな、そんな事が言いたいようだが私は一向に相手にしない。
こうなった時にどっちが勝つか、クーネは良く知っている。
やがて諦めて降参を示すようにヒラヒラと触手を躍らせた。もう好きにしてよ、クーネが人語を喋れたとしたらそんな事を言うのだろう。申し訳ない気が全く無いわけではなかったが、私としてはクーネと一緒に寝られることが単純に嬉しかった。
誤魔化すように軽く壷状の外殻にキスをする。
「お休み!」
クーネを隣に置き、ランプを消して布団に潜り込む。鮮やかな月の光が窓から差し込んできたが、目を閉じると暗い闇が包み込んだ。布団の中にする青臭い日光の匂い。クーネの匂いだ。
あぁ、安心する。
今日は兵士達にも優しくしてもらったし、マスターにもエリシアにも沢山良くしてもらった。常連のサキュバスやヴァンパイアには悪戯されちゃったけど楽しかった。言葉では言い尽くせないほど、皆には感謝している。
・・・
貸してくれた毛布は随分と上等なもので、上に一枚掛けているだけで夜の寒さを十分に凌ぐことができる。もっとも、それはあくまでも「掛けていれば」の話だ。掛けられていない毛布は寒さを防ぐためには何の役にも立たず、薄い布でも被っていた方が役に立つ。
妙に寒いと思って、周囲を見渡すといつの間にか毛布から出ていた。
壷状の殻を持っているので、それほど寒い訳ではないにしても「一緒に寝よう」と誘われたのに毛布を奪われたのだったら文句の一つでも言いたくなる。オデコでも小突いてやろうと思ってリディアを探すと、寝返りを打ったせいで毛布から出てしまい寒そうに身を縮めていた。
自業自得とはいえ怒る気が失せてしまう。
起こさないように静かに触手を伸ばし、毛布の端を摘んで引き寄せる。胸元まで掛けてやるとホッとした表情を浮かべて安らかな寝顔を見せた。
「・・・」
無防備な寝顔だ。
常に甘い香りを漂わせる彼女は誘っているようにも見える。悪戯をしたところで簡単には起きないだろうし、拘束するには十分すぎるだけの時間はあるだろう。それでも、リディアは安心した表情で眠っている。
この幼子のように無垢で無力な彼女を犯したらどんなに気分が良いだろう。
汚し、蹂躙し、犯し、支配し、征服し、破壊し、そして、その全てを奪い去りたい。
誰にも渡さず、誰の目にも触れさせず、ただ自分だけの物にしたい。
いや・・・
そこまで考えて頭を振る。
そんな恐ろしいことはできないし、できるはずがない。魔力が足りないせいで飢餓感に襲われ、ストレスが溜まりそんな物騒な事を考えてしまうのだ。こんなに安心して傍にいてくれる彼女を傷つけるのは裏切り以外の何物でもない。
何よりもリディアの気持ちを無視した行動は、彼女を傷つけるだけだ。リディアの頭の花が優しく香り心を落ち着けると、同時に胸の奥で抱いたどす黒い感情が浄化され代わりに汚そうと思ってしまった事に対する罪悪感が残った。
リディアには幸せになって欲しい
育ててくれたリディアに対する最大級の感謝を持っている。同時に、それだけが自分の中にある切なる願いだ。リディアが笑顔でいるためにならどんな事でもするつもりだし、身を粉にする事だって全然構わない。
スヤスヤと寝息を立てて薄い胸が規則的に上下に動いている。まるで自分が襲わないと知っているように信頼しきった寝顔だ。そんな自分の苦悩を全く知らないようにも見えるし、逆に自分の結論を予め知っていたかのような表情にも見える。いずれにしろなんだか、少しだけ腹が立った。
身勝手で理不尽な被害妄想ではあるのだけれど、このまま引き下がっては雄として廃るものがある。
ゆっくりと身体を伸ばしリディアの頭の葉を左右に分けると、可愛らしい額が姿を現した。リディアは全く何も気が付いていないようで、相変わらず呆けたように眠っている。
リディアが悪い
いつもより強く触手の先端を額に押し付ける。「ファーストキスは奪わないことに感謝することだね、奪う気になれば奪えたのだから」などというささやかな優越感を抱きながら。
「・・・ん」
リディアは僅かな身じろぎをして小さく呻いたが全く気が付いていないようだ。小さな復讐を果たし、柔らかな頬を撫でてから満足の内に触手を引っ込める。やはり毛布の中は暖かい。良い夢が見られそうだな、などと思いながら夢の中へと舞い戻っていく。
・・・
「ふわぁ・・・」
目を擦りながら大きな欠伸を一つ。ボンヤリとしたまま、周囲を見渡せばいつもと違う景色だった。一瞬自分がどこに居るのか分からなかったが、すぐにエリシアの好意で泊めてもらったことを思い出す。
安心は非日常を日常のスパイスに変える。
新鮮な気分で清々しい朝を迎え、布団から抜け出す。クーネの事を起こそうかと思ったが、壷の中で幸せそうに眠っている。着替えを終えて顔を洗っても、まだ、起きそうにない。
「クーネ」
小さな声で名前を呼んでみる。
触手がピクリと動いたので起きたかと思ったら、ただ単に寝返りを打っただけのようだ。全く起きる様子がないクーネを見て、胸の奥にちょっとした悪戯心が芽生える。そっと、手を伸ばして起こさないように優しく触手を掬い取った。
柔らかいクーネの触手は手の平の上でじっとしている。
「・・・ちゅ♪」
気がつかれないように唇をクーネの先端に触れさせる。
柔らかいクーネの触手は心なしか甘酸っぱい味がする。頬が緩み、なんだか心の底から幸せな気分になり、ちょっとした罪悪感と背徳感が胸の奥をちくちくと突く。誰も見ていないのに恥ずかしくなり、慌てて触手を元の位置に戻した。
「クーネ! おっきろー!」
そんな気分を吹き飛ばすようにクーネを揺さぶる。
突然の私の襲撃にクーネは驚き、バタバタと触手を暴れさせた。やがてフラフラとしながらも私の存在に気が付くと、じっとコチラを見上げてきた。
「帰るよ? いつまでもエリシアさんのお世話になるわけにはいかないからさ」
笑いかけるとクーネは小さく頷いた。布団を片付けて簡単に掃除をする。忘れ物は無いか振り返って見直しをしてから、天井裏の部屋を後にした。
ましてや、触手は魔力の濃い場所に生息する生き物であり、更に言えば自我を持つ触手は特に珍しい。そんな触手がわざわざ町の中に訪れてきてくれたのだ、見に行かないはずがない。お陰で、喫茶店はクーネを一目見ようとやってくるお客で一杯だ。
あっちに注文を取りにいったり、こっちにカップやお皿を届けたり。繁盛時でもそれなりに忙しいのだが、今日は特に目が回るような忙しさである。もっとも、注文を受けに行く事や配膳が多少遅くなっても笑って許してくれる心の広い人ばかりなので怒られることはなく、その点は安心してお手伝いに望めるのだが、逆に言えばもっと心地良く喫茶店を利用して欲しいという思いだけが募ることとなる。
「ありがとうございました!」
会計を済ませたサキュバスとヴァンパイアにお礼を言って笑顔を向けると、二人は笑い返してくれた。サキュバスは顔全体で笑うのに対して、ヴァンパイアは僅かに目元と口元を歪めて笑みを作る。二人とも全く逆の笑みなのだけれど、どちらも「もっと頑張ろう」とか「もっと気持ちよく使ってもらおう」という気持ちにさせてくれる。
「そうだ。 頑張る子には御褒美をやらないとな」
「え?」
そっとヴァンパイアの白魚のような手が私の手を取ると、そっと数枚の銅貨を握らせた。二人は会計を済ませているし、余剰分は受け取れない。そう思って口を開けると、それを察したのかサキュバスが背後で「受け取るのが礼儀だよ」と目配せした。
「・・・ありがとう、ございます」
慌てて言い直すと、二人はちょっとだけ笑った。
何となく恥ずかしい。
「クーネと二人分だ。 手伝いが終わったら、仲良くアイスクリームでも食べるといい」
「良かったわね、リディア。 二人ともまた来てください。 お待ちしておりますよ」
「あぁ、そのつもりだ」
「もちろん」
カウンターの奥から出てきたエリシアが私の頭に手を置きながら二人に礼を言った。二人は微笑を浮かべて「また来るよ」と言って店を出て行った。感謝の気持ちを一杯に二人を見送った。
「さ、リディア。 悪いけど・・・お客さんも多いし、今日は頑張って閉店まで手伝ってくれるかしら?」
「はい!」
お客の状況にもよるが、喫茶店は大体日中から夕方の日が傾く頃まで営業している。
今日はお客も多いので、ちょっと長めだろう。元々、それほど大きくない店であるので私が抜けると、人手が足りなくなってしまうのだ。喜んで頷くと、エリシアは「よろしくね」と再び頭に手をおいた。
チラリ、とカウンターに居るクーネの方を見る。
クーネはマスターの隣で触手を曲芸の様に動かして、テキパキと手伝いをこなしていた。棚から絡め取ったカップを温めて紅茶を淹れる準備の傍ら、テーブルから下げられた食器を丁寧に洗っていく。その姿は常日頃クーネを見ている自分でさえ、よく絡まないものだと感心してしまうほどの動きだ。
マスターはクーネの手際の良さに驚き、お客は変わった店員が見せるコミカルな動きに魅入っていた。
私も負けないようにしないと。
クーネの姿を見ていたら対抗意識がフツフツと湧き上がって来た。よし、と一人小さく気合いを入れ直す。クーネが動きでお客を楽しませるなら、私は元気の良い挨拶で気持ちよく使ってもらう事にしよう。
「いらっしゃいませ! ご注文は何にいたしますか?」
丁度やってきたお客を飛び切りの笑顔で迎え入れた。
・・・
仕事が終わったのは太陽が沈み、丸くて綺麗な月が真っ黒い夜空で輝き始めて大分経ってからだった。多分、今までで一番長く営業していただろう。
「クタクタだぁ〜」
「お疲れ様、ごめんね。 こんなに長く付き合わせて」
「あはは。 楽しかったから気にしないで」
流石のエリシアもマスターもこんなに長く営業するとは思っていなかったらしく、店を閉める時は机に伸びている私とクーネを見て苦笑を浮かべていた。クーネも働いた感想は同じだったらしく、キューと小さく鳴いた後に「楽しかったから、大丈夫」と言うように触手の先端を軽く左右に振った。
「材料を全部使ってしまったから、残り物で申し訳ないけどね」
マスターはそう言いながら、パンやスープなどを持ってきてくれた。バスケットの中のパンは潰れてしまい形が悪くなったものや、切った後の端っこの部分などが入っていた。けれど、それらは少し見た目が悪いだけで食べるには問題ないし、味は保証つきの一級品だ。
「ちょっと遅いけど夕飯にしましょう」
簡単に食事の準備をすると、全員でテーブルを囲みささやかな晩餐が開かれる。クーネは残念ながら、硬い物や消化の悪いものは食べられないのでスープを多めに貰い、パンの柔らかい部分をスープに浸しながら食べていた。
それでも皆で囲む食事は楽しい事には変わりないらしい。
今日あった出来事や、喫茶店に来るまでの話をする度にクーネは身体一杯を使って自分の感情を表現した。何の意味も無く、なにも特別な話ではないのだけれど、マスター達は私達の話に耳を傾け、反応してくれる。
「さて。 今日は遅いし泊まっていきなさい」
「良いの?」
「明日は材料もないから喫茶店を休みにするつもりだったし、問題ないわ」
「それに、ここの大事な看板娘にもしもの事があったら大変だからね」
二人はニッコリと笑って言った。
どうする? とクーネを見ると「ご好意に甘えよう」と頷いた。
「決まりね。 お風呂出してあげるから先に入ってきなさい。 その間に布団を出すから」
・・・
この喫茶店の客間は隠れた宿代わりに使われることもあるし、何らかの理由で家に帰れなくなった町の住人が緊急避難用に使われることもある。今日は客間が空いているので客間で寝ても良いと言われたけれど、私は屋根裏部屋を借りることにする。万が一、喫茶店に助けを求めてやってきた人が居た場合に私が寝ていて断るなんて事があったら可哀想だからだ。
はしご階段を登った先の屋根裏部屋はそれほど広くなく、人が二人も横になれば身動きが取れなくなってしまうぐらいの大きさだ。もちろん、机なんて置くスペースはない。
少し埃っぽく狭い部屋なのだけれど、私としては秘密基地みたいで結構気に入っていたりする。私がエリシアから借りた布団を敷くと、クーネはキョロキョロとス自分の寝るペースを探していた。
きゅー、と情けない声で小さく鳴くクーネを抱き上げて膝の上に抱える。突然抱えられたクーネは慌てたように触手を動かしたが、すぐに大人しくなりぬいぐるみ扱いの抗議を示すように頬を撫でた。
「今日は私と一緒の布団で寝るんだよ」
ボシュン!
笑いながら告げると、そんな擬音が似合う慌てぶりで触手を振り回し、それから壷の中に逃げ帰った。あんまり可愛い仕草だったので、壷の中に手を入れて突こうとすると「触るなよ!」とでも言うように押し返してきた。
触手らしからぬ初心さ加減に思わず声を立てて笑ってしまう。別に一緒に寝ることなんて特別な事ではないし、友達や家族同然なら別に構わないじゃないか。
可笑しすぎてお腹が痛くなるくらいに笑っていたら、不満げにクーネが触手を伸ばし拗ねた表情でジッとコチラを見つめてきた。どうなっても知らないからな、そんな事が言いたいようだが私は一向に相手にしない。
こうなった時にどっちが勝つか、クーネは良く知っている。
やがて諦めて降参を示すようにヒラヒラと触手を躍らせた。もう好きにしてよ、クーネが人語を喋れたとしたらそんな事を言うのだろう。申し訳ない気が全く無いわけではなかったが、私としてはクーネと一緒に寝られることが単純に嬉しかった。
誤魔化すように軽く壷状の外殻にキスをする。
「お休み!」
クーネを隣に置き、ランプを消して布団に潜り込む。鮮やかな月の光が窓から差し込んできたが、目を閉じると暗い闇が包み込んだ。布団の中にする青臭い日光の匂い。クーネの匂いだ。
あぁ、安心する。
今日は兵士達にも優しくしてもらったし、マスターにもエリシアにも沢山良くしてもらった。常連のサキュバスやヴァンパイアには悪戯されちゃったけど楽しかった。言葉では言い尽くせないほど、皆には感謝している。
・・・
貸してくれた毛布は随分と上等なもので、上に一枚掛けているだけで夜の寒さを十分に凌ぐことができる。もっとも、それはあくまでも「掛けていれば」の話だ。掛けられていない毛布は寒さを防ぐためには何の役にも立たず、薄い布でも被っていた方が役に立つ。
妙に寒いと思って、周囲を見渡すといつの間にか毛布から出ていた。
壷状の殻を持っているので、それほど寒い訳ではないにしても「一緒に寝よう」と誘われたのに毛布を奪われたのだったら文句の一つでも言いたくなる。オデコでも小突いてやろうと思ってリディアを探すと、寝返りを打ったせいで毛布から出てしまい寒そうに身を縮めていた。
自業自得とはいえ怒る気が失せてしまう。
起こさないように静かに触手を伸ばし、毛布の端を摘んで引き寄せる。胸元まで掛けてやるとホッとした表情を浮かべて安らかな寝顔を見せた。
「・・・」
無防備な寝顔だ。
常に甘い香りを漂わせる彼女は誘っているようにも見える。悪戯をしたところで簡単には起きないだろうし、拘束するには十分すぎるだけの時間はあるだろう。それでも、リディアは安心した表情で眠っている。
この幼子のように無垢で無力な彼女を犯したらどんなに気分が良いだろう。
汚し、蹂躙し、犯し、支配し、征服し、破壊し、そして、その全てを奪い去りたい。
誰にも渡さず、誰の目にも触れさせず、ただ自分だけの物にしたい。
いや・・・
そこまで考えて頭を振る。
そんな恐ろしいことはできないし、できるはずがない。魔力が足りないせいで飢餓感に襲われ、ストレスが溜まりそんな物騒な事を考えてしまうのだ。こんなに安心して傍にいてくれる彼女を傷つけるのは裏切り以外の何物でもない。
何よりもリディアの気持ちを無視した行動は、彼女を傷つけるだけだ。リディアの頭の花が優しく香り心を落ち着けると、同時に胸の奥で抱いたどす黒い感情が浄化され代わりに汚そうと思ってしまった事に対する罪悪感が残った。
リディアには幸せになって欲しい
育ててくれたリディアに対する最大級の感謝を持っている。同時に、それだけが自分の中にある切なる願いだ。リディアが笑顔でいるためにならどんな事でもするつもりだし、身を粉にする事だって全然構わない。
スヤスヤと寝息を立てて薄い胸が規則的に上下に動いている。まるで自分が襲わないと知っているように信頼しきった寝顔だ。そんな自分の苦悩を全く知らないようにも見えるし、逆に自分の結論を予め知っていたかのような表情にも見える。いずれにしろなんだか、少しだけ腹が立った。
身勝手で理不尽な被害妄想ではあるのだけれど、このまま引き下がっては雄として廃るものがある。
ゆっくりと身体を伸ばしリディアの頭の葉を左右に分けると、可愛らしい額が姿を現した。リディアは全く何も気が付いていないようで、相変わらず呆けたように眠っている。
リディアが悪い
いつもより強く触手の先端を額に押し付ける。「ファーストキスは奪わないことに感謝することだね、奪う気になれば奪えたのだから」などというささやかな優越感を抱きながら。
「・・・ん」
リディアは僅かな身じろぎをして小さく呻いたが全く気が付いていないようだ。小さな復讐を果たし、柔らかな頬を撫でてから満足の内に触手を引っ込める。やはり毛布の中は暖かい。良い夢が見られそうだな、などと思いながら夢の中へと舞い戻っていく。
・・・
「ふわぁ・・・」
目を擦りながら大きな欠伸を一つ。ボンヤリとしたまま、周囲を見渡せばいつもと違う景色だった。一瞬自分がどこに居るのか分からなかったが、すぐにエリシアの好意で泊めてもらったことを思い出す。
安心は非日常を日常のスパイスに変える。
新鮮な気分で清々しい朝を迎え、布団から抜け出す。クーネの事を起こそうかと思ったが、壷の中で幸せそうに眠っている。着替えを終えて顔を洗っても、まだ、起きそうにない。
「クーネ」
小さな声で名前を呼んでみる。
触手がピクリと動いたので起きたかと思ったら、ただ単に寝返りを打っただけのようだ。全く起きる様子がないクーネを見て、胸の奥にちょっとした悪戯心が芽生える。そっと、手を伸ばして起こさないように優しく触手を掬い取った。
柔らかいクーネの触手は手の平の上でじっとしている。
「・・・ちゅ♪」
気がつかれないように唇をクーネの先端に触れさせる。
柔らかいクーネの触手は心なしか甘酸っぱい味がする。頬が緩み、なんだか心の底から幸せな気分になり、ちょっとした罪悪感と背徳感が胸の奥をちくちくと突く。誰も見ていないのに恥ずかしくなり、慌てて触手を元の位置に戻した。
「クーネ! おっきろー!」
そんな気分を吹き飛ばすようにクーネを揺さぶる。
突然の私の襲撃にクーネは驚き、バタバタと触手を暴れさせた。やがてフラフラとしながらも私の存在に気が付くと、じっとコチラを見上げてきた。
「帰るよ? いつまでもエリシアさんのお世話になるわけにはいかないからさ」
笑いかけるとクーネは小さく頷いた。布団を片付けて簡単に掃除をする。忘れ物は無いか振り返って見直しをしてから、天井裏の部屋を後にした。
11/04/10 00:23更新 / 佐藤 敏夫
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