H&N
「式場、ファフで良い?」
朝起きた、ディアンの第一声はそれだった。僕の中で渦巻く様々な疑問にまるで気がつかないようで、とうとうと結婚式の式場の説明をしてくれる。
「とりあえず、教会はファフが一番近いんだけど・・・ ファフの教会だと来たいって希望する人が多すぎて手が足りないみたいだからスタッフを借りてくるみたい。 スタッフはクロムが呼んでくれるらしいから安心して良いよ。 そうそう、ドレスの話だけど寸法を測らなくちゃいけないから今度H&Nのナタリーさんが直接測りに来てくれるって。 その時にドレスに注文があれば言って欲しいってさ・・・それで」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って? え、ディアン? 何したって?」
「だから、式場予約したって。 クロムにみんな祝福してくれてるから、早く式場予約してくれって言われてね・・・ サバトの皆を抑えるのが大変なんだって・・・」
心底申し訳なさそうな表情を浮かべ、困ったような溜め息をつく。でも、その表情の奥は喜色が滲み、口の端は緩んでいる。
「おーい、イル? 聞いてるー?」
ディアンの声で我に返る。
「えっと、あ・・・ごめん、ちょっと急だったね・・・ 勝手に決めて悪いんだけど・・・クロムとかが早く決めてくれってせかすから・・・ え・・・イル? なんで泣くの? 怒らせちゃった?」
僕の頬を温かい液体が伝うと、ディアンは分かりやすく狼狽した。ディアンの狼狽する姿はなんだか可笑しくて、面白い。ずっと見ていたくて、僕は声を上げて泣いた。
・・・
「なんだよ・・・泣くから驚いたじゃないか・・・」
「えへへ・・・ グスッ だって嬉しかったんだもん」
腕の中で鼻をすすりあげながら笑うと、ディアンは恥ずかしそうに顔を背ける。本気で心配してくれていたらしく、ちょっとだけ拗ねてしまった。僕はその顔も好きだったりする。
ディアンの胸に顔を押し付ける。
さっき流した涙が嬉し涙だって分かって、ディアンが慌てているのを見たくてすぐに言わなかったのも分かるから、ディアンは拗ねている。温もりを感じていると、そっと僕の身体を抱く力に少し力を込めた。
「もう・・・グチャグチャじゃないか・・・ほら・・・」
そっと指で僕の涙を拭い、それからポケットからティッシュを取り出して鼻をかませる。オデコにキスをした。子供扱いされている気がしたけど、今は嬉しいから許してあげよう。
「じゃあ、二人で決めようか」
ディアンに膝の上にすっぽりと収まって抱かれるような体勢のまま、僕は様々なカタログに目を通す。ケーキ入刀用のウェディングケーキはどれが良いか、ウェディングドレスはどれが良いか。ついでだから、スーツも新調してしまおうか。楽しくおしゃべりしながらディアンと決める。
「スーツとドレスは、前日に僕が預かって良い?」
「どうして? 結婚式場で受けと取った方がお互い楽だと思うけど」
「前日にスーツに僕の匂いをつけておきたいの♪」
「おいおい、恥ずかしいだろ」
「駄目?」
「ううん・・・駄目じゃないよ」
「やった♪」
歯の浮くような台詞に笑いあう。まったく、恥ずかしいったら有りはしない。でも幸せだ。ディアンもそう感じているようで嬉しくなる。
「とりあえず、測定しに行こうか」
「うん!」
・・・
「ハインツです」
「ナタリーだ」
「お待ちしておりました、ディアンさん。 どうぞ奥へ」
「イルは、こっちだよ」
H&Nの本店までクロムの転移魔術で送ってもらうと既に話はついていたらしく、簡単に自己紹介した後はすぐに店の奥の方に連れていかれた。もちろん、同じ部屋で測定する訳にはいかないので隣同士の部屋で、測定することになる。
イルの面倒はナタリーさんが見てくれるのだが、イルは僅かに緊張気味だった。診療所でも簡単な問診をできるようにはなっているが、イルは初対面の人と話すのが苦手だ。ましてや、特にアラクネのように眼光が鋭い魔物だと、恐がって一歩退いてしまう。
そこがまた良い、と強気な魔物には好評だったりするのだが、いつかは直さなくちゃいけない癖ではあると思っている。
「気になりますか?」
イルがナタリーと一緒に部屋に入るのを見ていると、ハインツは訊ねた。
「えぇ、少しだけ」
「大丈夫ですよ。 ナタリーは襲ったりしませんから。 多少口の悪い時もありますが、なんだかんだ言って優しいですよ」
ハインツはそう言って笑い、俺は、でしょうね、と頷いた。
慣れないとアラクネの眼光や爪の鋭さには引いてしまうかもしれないが、まとう雰囲気は温かみがある。相手を引っ張っていってくれる安心感のあるナタリーと、一目見ているだけで危なっかしいと思ってしまう頼りない雰囲気を持つイル。対極な二人であるが、なんとなく見た瞬間に気が合いそうだと確信した。正直なところ、どのように仲良くなっていくのかが見る事ができないのは残念だったりする。
「ディアンさんもですか? 僕も、妻はイルさんと気が合いそうだと思ってました」
「じゃあ?」
「どんな風に仲良くなるのか、少し見たかったです」
なんという呆れた愛妻家だ。もしかしたら、イルとナタリーが部屋に入っていくのを眺めていたのも、イルと仲良くできるか不安だったのだろう。
「大丈夫です。 イルは襲ったりしませんから。 多少ヘタレている部分もありますが、なんだかんだ言って素直な子です」
わざと口調を真似て返す。僅かな沈黙の後、プッ、と二人同時に吹き出す。生まれた笑いは、頬を緊張させ、耐え切れなくなると忍び笑いになり、やがてどちらともなく恥ずかしげもなく笑い始める。
「馬鹿やってないで、そろそろ測定しますか」
「そうですね。 お願いします」
一しきり笑ったあと、無理矢理笑いを納めて言った。このまま話をしていると、いつまでも話が弾んでしまいそうだ。強引に納めたため、まだ口の端が引きつっている。
けれど、いざ仕事が始めると目は真剣そのものとなり、鮮やかな手付きで次々と測定を済ませていく。一切の妥協を許さない職人芸だと一目見て分かる。
必要な部位を測定してメモすると、何枚かのデッサンを見せてくれた。どれも気品に溢れる素晴らしいデザインだ。一枚を選べという事らしいが、正直どれを選んで良いのか分からない。
「はは。 ディアンさんは、あまり服装には拘られないんですね」
「えぇ、まぁ・・・ 恥ずかしながら・・・ 時間が無くて・・・」
「駄目ですよ。 イルさんのためにも服装には気を使わないと。 では、こちらで一番映えるものを選ばせて頂きますね」
「お願いします」
「ついでですから、私服も何着か作っておきますね」
「え・・・ですが」
「ご祝儀代わりです」
僅かに戸惑ってが、ここはご好意に甘えることにしよう。
ふっとハインツは柔らかく笑い、おめでとうございます、と告げた。
・・・
「入って」
「うん」
ナタリーさんに言われて、僕は部屋に入る。パタンと扉が閉じると僕は作業部屋でナタリーさんと二人きりになる。初対面のヒトと会うのはどうしても苦手、特に目が恐いと視線が合わせられなくなってしまう。薬師として働くなら、直さなくちゃいけない所だとは分かっているけど、どうしても抜けない癖だ。
「そんなに緊張しなくて良いわよ。 とって食べたりしないわ」
「は・・・はぁ」
緊張している僕を見て、ナタリーさんは苦笑いを浮かべた。気を使ってくれるのが分かったので、精一杯笑って見せたがどう頑張っても頬が引きつってしまう。
「でも、本当に可愛いわね。 やっぱり食べちゃおうかしら」
「ふぇ!?」
驚いて顔を上げると愉快気にナタリーさんは微笑んでいた。その時、やっと僕はからかわれたのだと気がついた。いくらアラクネが肉食な種族だからと言って、魔物を食べるなんてありえない。常識で考えればすぐに分かる事なのに、一瞬でも真に受けてしまった自分が馬鹿らしい。
「笑わないでよぉ・・・」
「ふふ。 ゴメンね」
僕が抗議しているのに、ナタリーさんは嬉しそうに笑っている。唇を尖らせると、ナタリーさんは余計に上機嫌になった。ナタリーさんは僕の話を聞いていないのではないだろうか。はぁ、とわざとらしく溜め息をつく。
そういえば、ディアンはどうだろう。
ハインツさんと仲良くやっているだろうか?
柔らかい雰囲気を持つハインツさんと、度を越えたお人よしのディアンは似たもの同士だと思っている。仲良くするところは容易に場面が思い浮かぶけど、喧嘩しているところは全く想像できない。
すぐに仲良くなるとは思うけど、一体どんな風に仲良くなるのだろう。
「気になる?」
「え?」
ナタリーさんはニヤリと笑って顔を覗き込んできた。
悪戯っぽい笑みに僕はちょっぴりドキリとする。まるで、一緒に秘密を共有しようと誘っているようだ。大人っぽいナタリーさんが見せる子供っぽい表情がたまらなく魅力的だ。「そんなことないよ!」って、顔を背けようと思ったのに、蜘蛛の巣に捕らえられた虫みたいに顔を背ける事ができなかった。僕は思わず頷いてしまう。
「大丈夫、私もちょっとだけ、ハインツが気になってたから」
「そうなの?」
「だって、あの二人・・・似てない?」
「似てる、と思う」
「あの二人、仲良くできると思うのよ。 どんな風に仲良くなるか知りたくない?」
「・・・知りたい」
「じゃ、ちょっと来て・・・」
「でも、測定・・・」
「良いのよ。 どうせアッチも、まだ終わってないと思うわ」
手を引かれ隣の部屋と隔てる壁の前にやってくる。何をするのかと思ってみていると、壁をカリカリと引っかいて巧妙に隠されていた糸を引っ張り出した。それを僕に見せると、ピンと張って近くの板に貼り付ける。
「何してるの?」
「知ってる? 世の中には地面に張り巡らせた糸の振動によって様々な情報を得る事の出来る蜘蛛もいるのよ? 要は糸電話の要領よ」
「でも、それって盗ちょ・・・」
「シーッ」
人差し指を艶やかな唇に当ててウィンクする。そっか、僕達は共犯者なんだ。悪い事をしているのに、なんだかドキドキでワクワクする。長年背中を預けてきた相棒みたいに、視線だけで僕達は会話する。ナタリーさんも、なんだか楽しそうだ。
「ねぇ・・・ナタリーさん」
「ん? なに?」
「隣、見てみたくない?」
「できるの?」
頷く。ナタリーさんは顔を輝かせた。いくら音の情報を拾えても、やっぱり見たいらしい。僕もナタリーさんの期待に応えたい。
ここの部屋は木で出来ているからできるはず。
そう言い聞かせて、まず僕は家屋全体を思い描く。その中から隣の部屋を取り出してイメージする。僕の魔力は木や土には流しやすい。魔力を手の平に集中する。淡い光を帯び始め、その手で木の壁に触れた。
フワリと光が壁に波紋を作る。
「なにが起きてるの?」
「待って・・・ もうちょっとだから・・・ もうちょっとだけ集中させて」
流れ込んだ魔力が薄く部屋に広がり固定される。手に取るように鮮明なイメージが僕の頭の中に写る。空いた左手に魔力を集中させる。僕の左手は七色の光が踊っている。
イメージは幻灯機。フィルムは僕の中に流れ込んでいる部屋の像。回路を構築、完了。左手を壁に触れると、手に溜まっていた魔力が拡散した。
「どう?」
「・・・すごいわ!」
壁一面がスクリーンとなって隣の部屋を映し出した。ナタリーさんは驚いたように目をパチクリさせている。僕がナタリーさんに笑いかけると、ギュッと抱き締めて褒めてくれた。僕の頑張りを手放しで褒めてくれるのは照れくさいけど、やっぱり嬉しい。
僕だって、植物や土を媒介にすれば多少の魔術なら使える。今やったのは、僕の全力。慣れない魔術を使ったのと達成感が入り混じって、心地良い倦怠感となって僕の胸を満たす。僕はそのままナタリーさんに身体を預けた。
ナタリーさんの胸は少しだけ甘い匂いがした。
「さて、どうかしらね」
「あ、もう仲良くなってる」
どうやらディアンとハインツさんは既に楽しげに談笑していた。どうやら、仲良くなるところは見逃してしまったらしい。僕とナタリーさんは顔を見合わせて苦笑する。予想通り、いや、予想以上に二人は仲良くなっていたのだから。
まぁ、良いや。
気を取り直して、僕たちは二人の会話に耳を澄ませる。
「あはは。 そうなんですか。 以前にそんなことが?」
「えぇ。 魔物なんですけど、その手の話に弱かったり・・・」
「ほぅ? その手の話というのは?」
「夜の話ですよ」
「わぁぁぁああああ!!!」
慌てて板から糸を引っぺがし、ナタリーさんを目隠しする。
何を話ししているんだよディアン! そんな話しないでよ!
そんな思いも裏腹に僕の失敗談や惚気話をハインツさんに話始める。もう怒った。後でディアンの事を顔の形が変わるまでひっぱたいてやる。もう、絶対に許さないんだから。
「でも」
一しきりハインツさんを笑わせたあと、ディアンは笑いを納めて話を区切った。手に持った糸からは多少の音が伝わってくるのが分かる。でも、そんなくぐもった声じゃなくて、明確な音としてディアンの声が分かる。
「簡単な事で失敗して、何度も落ち込んで、下らない事で悩んで、立ち止まる事も多いけど。 それでも、キチンと前を見て、一生懸命に問題に取り組んで前に進もうとするイルを尊敬していますし、大好きです」
いや、愛しています
僕にだけディアンとリンクした糸がそう続けた。
「なにするのよ? もう・・・大事な話がよく聞こえなかったじゃない」
「あ、えっと・・・ごめんなさい」
ナタリーさんに持っていた糸を渡す。板と糸とくっつけて、隣の部屋の声が聞こえるようにする。けど、声は半分も耳に入ってこなかったし、どうでも良かった。ただ、心臓が早鐘のように脈打っている。
僕はディアンと並びたかった。隣に居て、支えたかった。
だから、そのために一生懸命勉強したし努力もした。それを見ていてくれて、ちゃんと認めてくれた。これ以上、嬉しいことはない。夢みたいだ。足元がフワフワして体の重さがなくなってしまったよう。
外に出て跳んだら、ケセランパサランみたいに風に吹かれてどこかに行ってしまいそうだ。
僕も愛してるよ
小さく僕は涙ぐみそうになるのを堪えて応えた。
・・・
実を言うとアラクネの私には、板に糸を貼り付けて音を拾わなくても会話の内容を床に張り巡らせた糸からの振動で聴き取る事ができる。それに、イルは私の事を目隠ししたかったみたいだけれど、人間と同じ場所にある目だけを隠すだけじゃなくて残りの目も隠さないと丸見えなのだ。
イルが私にしたかった妨害工作は、ずさんで妨害にはなっていない。ディアンが言いたかった事は一字一句聞いているし、どんな表情をしていたかも見え見えだった。それでなくても、イルの嬉しそうだけれど泣き出しそうな顔を見れば何を言ったかなんて分かってしまう。
けれど、そんなこと言っても何も変わらない。それに、犬も食わないような甘ったるい惚気話なんて話題はこっちの方が恥ずかしい。私も耳が熱くなるのを堪えるので精一杯なのだ。
みせつけてくれるわね
わずかに嫉妬を抱き、後でハインツの事をタップリ搾ってやろうと決める。八つ当たりなんてしたい訳じゃない。ただ、そうしないと負けた気がしただけだ。こっちの事なんて全くもって考えていない隣の男二人の声をBGMにしながら、そろそろ仕事に取り掛かる。
ハインツの方が珍しく仕事が早く、祝儀用の私服のデザインを決めている。少しだけ急がないと、けれど、手がける仕事には一切の妥協は許さない。丁寧かつスピーディーに、H&Nに来て良かったと素直に喜んでもらえるような製品でないといけない。
イルの身体に巻尺を滑らせてサイズを測っていく。
小柄で控えめな体つきだ。けれど、ディアンには抱き締めやすそう。
他愛のないことを考えてしまう。決めた。イルに最も似合いそうなデザインを思い浮かべ、デッサンを見せる。一生に一度そんなおめでたい席を飾るドレスはどれが良いか。それを訊ねる。
慎重にたっぷりの時間を掛けて、イルは一枚のデッサンを選んだ。
最高
そのデッサンを選んだ瞬間にそう褒めてあげたくなった。イルに一番似合い、ハインツが作るスーツを着たディアンに一番似合うと思ったデッサンを選んでくれた。今ならドレスを一晩で2枚は作れそうだ。
やるわよ、と僅かに気合いを入れて、イルに向けて笑いかける。イルも笑い返してくれた。ちらりと壁の向こうを見る。ハインツは作業をしていた手を止め、一瞬だけ顔を上げた。目が合う。ハインツはすぐに作業に戻ったので、時間にすれば一秒もないだろう。けれど、時が止まったような感覚になった。
思いの一方通行のような気持ちになる。むず痒く、もどかしい。けれど甘酸っぱい。もしかしたら、イルはずっとこんな気持ちを抱えていたのだろうか。ふ、と頭の中にインスピレーションが湧いた。
ドレスにアクセントをつけてあげよう。
小さな実をモチーフにしたようなアクセサリーが良いだろう。想像したら森の小人みたいで似合っている。
「じゃ、そろそろ。 遊びは終わりにしようか」
「うん」
糸を外して壁に隠し、イルも回路を切断して隣の部屋のリンクを切る。イルに眺められながら作業を開始した。
・・・
「そろそろ隣の二人も終わったと思いますからね、行きましょうか」
「そうですね。 っとその前に」
型紙さえ作れば、後は本人がいなくてもスーツの作製することができる。そろそろナタリーも型紙が出来上がった頃合だろう。そう思って、声を掛けて部屋を出ようとするとストップを掛けられた。
「どうしました?」
「いえ、お守りを渡して置こうと思いまして」
「お守り?」
「えぇ、身の危険を感じたときに使って下さい」
「・・・ありがとうございます?」
「使い方は、ナタリーさんに飲ませれば良いですから」
何か液体の入った小瓶を手渡し、微笑んだ。これは自分をナタリーから守ってくれる魔法の薬らしい。ナタリーには不機嫌な事があると夜に襲われ次の日に立てなくなる事があるが、こんな小瓶でそれが回避できるのだろうか。噂に聞くほどの素晴らしい腕前の薬師ではあると知っていても、なんとなく信じられない。
礼を言ってポケットにしまって外にでると、隣の二人も丁度終わって出てきたところだった。あまりのタイミングの良さに俺とディアンは顔を合わせ、イルとナタリーは互いの顔を見合わせた。鏡合わせのような仕草に誰ともなしに笑い始める。
「やっぱり仲良くなってましたね」
「予想通りでしたね」
ディアンは笑いながら応える。イルとナタリーはちょっとだけ目を丸くして息を顰めた。どうやらあの二人も仲良くなると予想していたようだ。その事が分かって全員の笑い声がより大きいものになる。
・・・
「ヌシら、遅かったの」
クロムは欠伸を一つして俺たちを迎えた。教会に応援のスタッフを要請するついでに俺たちの事をH&Nにつれて来てくれたのだ。トントン、と肩を杖で叩いて立ち上がると腕を振り魔法陣を展開する。淡く光を帯びるそれに乗り、俺たちを急いた。
「では、よろしくお願いしますね」
「ご注文、承りました。 楽しみにしていてくださいね?」
「じゃあね、ナタリーさん」
「ふふ、また来てね。 今度はゆっくりお茶でも飲みましょ」
互いに硬い握手を交わし、次の再会を楽しみにしながら俺達は魔法陣に乗る。
「準備は良いかの、ディアン。 イル」
「えぇ、大丈夫です」
「大丈夫だよ」
わざわざ俺達の事を店先まで見送ってくれたハインツとナタリーに手を振って俺達は転移した。
・・・
ディアンとイルを見送り、魔法陣が消えるまでボンヤリと見つめていた。
「アナタ」
早くスーツを仕上げて二人とまた会いたいな、などと考えていると隣でナタリーが声を掛けてきた。視線を移すとナタリーが真っ直ぐにコチラを見ていた。8つの瞳は全て自分を映している。
なんとなく嫌な予感がした。そして嫌な予感というのは大抵当ることも、身に染みてよく知っている。ナタリーはイルと二人のときに何があったのだろう。仲良くなるのは構わないが、女同士のときの会話は時として卑猥になる事があるらしい。
「わたし、隣の部屋から覗いていたんだけどイルに見せ付けられちゃったのよねー・・・」
「っと、言いますと?」
「あら? 分からないかしら?」
「もしかして、新婚さんよりもラブラブになりたいと」
「そんなこと言ってないわ。 ただ、アナタの愛を身体で感じさせてって言っているだけ」
それって要はそういう事じゃないの?
そう訊ねる間もなく首筋に甘噛みされ、痺れ毒を送り込まれる。鮮やかな手付きで縛り上げるとホクホク顔でナタリーにお姫様抱っこで家まで持ち帰られた。
・・・
「ねぇ、ディアン? どうして笑ってるの?」
「イル、俺たちの事を覗いてたんだろ?」
「え、あ・・・ そ、そんなことないよ!」
「じゃ、聞いてないのか・・・ イルに聞かせるために恥ずかしいのを堪えて言ったんだけどな」
「もしかして、大好きって言ってくれた・・・こと?」
「ふふ、やっぱり聞いてたんじゃないか」
「あ!!! もうディアン!!! 騙すなんてズルイよぉ!!!」
「魔力が部屋中に満たされれば気がつくだろ。 ・・・でも、念のためハインツさんにお守り渡しておいて良かったな。 今日は襲われるだろうから」
「お守り?」
「そ、お守り。 単なるカフェインの溶液なんだけどね」
「どうしてカフェインなんか?」
「蜘蛛がデタラメな巣を張っているのを見た事ない? カフェインには蜘蛛の感覚器官を狂わせる作用があってね、分かりやすくいうと酔っ払うんだよ。 それでお守りって訳だね」
「へぇ〜・・・」
「魔物相手に治療するには色々な知識が必要なんだよ? まぁ、ゆっくり覚えていけば良いよ」
「うん。 分かった」
「それとイル?」
「ん?」
「覗きは、いけない事って知ってた?」
「うん。 ・・・痛っ! なにするんだよぉ?」
「お仕置きだよ。 お仕置き」
「も〜・・・ 暴力はんた〜い! ディーブイで訴えるぞぉ?」
「ふふ ほら、帰るよ?」
朝起きた、ディアンの第一声はそれだった。僕の中で渦巻く様々な疑問にまるで気がつかないようで、とうとうと結婚式の式場の説明をしてくれる。
「とりあえず、教会はファフが一番近いんだけど・・・ ファフの教会だと来たいって希望する人が多すぎて手が足りないみたいだからスタッフを借りてくるみたい。 スタッフはクロムが呼んでくれるらしいから安心して良いよ。 そうそう、ドレスの話だけど寸法を測らなくちゃいけないから今度H&Nのナタリーさんが直接測りに来てくれるって。 その時にドレスに注文があれば言って欲しいってさ・・・それで」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って? え、ディアン? 何したって?」
「だから、式場予約したって。 クロムにみんな祝福してくれてるから、早く式場予約してくれって言われてね・・・ サバトの皆を抑えるのが大変なんだって・・・」
心底申し訳なさそうな表情を浮かべ、困ったような溜め息をつく。でも、その表情の奥は喜色が滲み、口の端は緩んでいる。
「おーい、イル? 聞いてるー?」
ディアンの声で我に返る。
「えっと、あ・・・ごめん、ちょっと急だったね・・・ 勝手に決めて悪いんだけど・・・クロムとかが早く決めてくれってせかすから・・・ え・・・イル? なんで泣くの? 怒らせちゃった?」
僕の頬を温かい液体が伝うと、ディアンは分かりやすく狼狽した。ディアンの狼狽する姿はなんだか可笑しくて、面白い。ずっと見ていたくて、僕は声を上げて泣いた。
・・・
「なんだよ・・・泣くから驚いたじゃないか・・・」
「えへへ・・・ グスッ だって嬉しかったんだもん」
腕の中で鼻をすすりあげながら笑うと、ディアンは恥ずかしそうに顔を背ける。本気で心配してくれていたらしく、ちょっとだけ拗ねてしまった。僕はその顔も好きだったりする。
ディアンの胸に顔を押し付ける。
さっき流した涙が嬉し涙だって分かって、ディアンが慌てているのを見たくてすぐに言わなかったのも分かるから、ディアンは拗ねている。温もりを感じていると、そっと僕の身体を抱く力に少し力を込めた。
「もう・・・グチャグチャじゃないか・・・ほら・・・」
そっと指で僕の涙を拭い、それからポケットからティッシュを取り出して鼻をかませる。オデコにキスをした。子供扱いされている気がしたけど、今は嬉しいから許してあげよう。
「じゃあ、二人で決めようか」
ディアンに膝の上にすっぽりと収まって抱かれるような体勢のまま、僕は様々なカタログに目を通す。ケーキ入刀用のウェディングケーキはどれが良いか、ウェディングドレスはどれが良いか。ついでだから、スーツも新調してしまおうか。楽しくおしゃべりしながらディアンと決める。
「スーツとドレスは、前日に僕が預かって良い?」
「どうして? 結婚式場で受けと取った方がお互い楽だと思うけど」
「前日にスーツに僕の匂いをつけておきたいの♪」
「おいおい、恥ずかしいだろ」
「駄目?」
「ううん・・・駄目じゃないよ」
「やった♪」
歯の浮くような台詞に笑いあう。まったく、恥ずかしいったら有りはしない。でも幸せだ。ディアンもそう感じているようで嬉しくなる。
「とりあえず、測定しに行こうか」
「うん!」
・・・
「ハインツです」
「ナタリーだ」
「お待ちしておりました、ディアンさん。 どうぞ奥へ」
「イルは、こっちだよ」
H&Nの本店までクロムの転移魔術で送ってもらうと既に話はついていたらしく、簡単に自己紹介した後はすぐに店の奥の方に連れていかれた。もちろん、同じ部屋で測定する訳にはいかないので隣同士の部屋で、測定することになる。
イルの面倒はナタリーさんが見てくれるのだが、イルは僅かに緊張気味だった。診療所でも簡単な問診をできるようにはなっているが、イルは初対面の人と話すのが苦手だ。ましてや、特にアラクネのように眼光が鋭い魔物だと、恐がって一歩退いてしまう。
そこがまた良い、と強気な魔物には好評だったりするのだが、いつかは直さなくちゃいけない癖ではあると思っている。
「気になりますか?」
イルがナタリーと一緒に部屋に入るのを見ていると、ハインツは訊ねた。
「えぇ、少しだけ」
「大丈夫ですよ。 ナタリーは襲ったりしませんから。 多少口の悪い時もありますが、なんだかんだ言って優しいですよ」
ハインツはそう言って笑い、俺は、でしょうね、と頷いた。
慣れないとアラクネの眼光や爪の鋭さには引いてしまうかもしれないが、まとう雰囲気は温かみがある。相手を引っ張っていってくれる安心感のあるナタリーと、一目見ているだけで危なっかしいと思ってしまう頼りない雰囲気を持つイル。対極な二人であるが、なんとなく見た瞬間に気が合いそうだと確信した。正直なところ、どのように仲良くなっていくのかが見る事ができないのは残念だったりする。
「ディアンさんもですか? 僕も、妻はイルさんと気が合いそうだと思ってました」
「じゃあ?」
「どんな風に仲良くなるのか、少し見たかったです」
なんという呆れた愛妻家だ。もしかしたら、イルとナタリーが部屋に入っていくのを眺めていたのも、イルと仲良くできるか不安だったのだろう。
「大丈夫です。 イルは襲ったりしませんから。 多少ヘタレている部分もありますが、なんだかんだ言って素直な子です」
わざと口調を真似て返す。僅かな沈黙の後、プッ、と二人同時に吹き出す。生まれた笑いは、頬を緊張させ、耐え切れなくなると忍び笑いになり、やがてどちらともなく恥ずかしげもなく笑い始める。
「馬鹿やってないで、そろそろ測定しますか」
「そうですね。 お願いします」
一しきり笑ったあと、無理矢理笑いを納めて言った。このまま話をしていると、いつまでも話が弾んでしまいそうだ。強引に納めたため、まだ口の端が引きつっている。
けれど、いざ仕事が始めると目は真剣そのものとなり、鮮やかな手付きで次々と測定を済ませていく。一切の妥協を許さない職人芸だと一目見て分かる。
必要な部位を測定してメモすると、何枚かのデッサンを見せてくれた。どれも気品に溢れる素晴らしいデザインだ。一枚を選べという事らしいが、正直どれを選んで良いのか分からない。
「はは。 ディアンさんは、あまり服装には拘られないんですね」
「えぇ、まぁ・・・ 恥ずかしながら・・・ 時間が無くて・・・」
「駄目ですよ。 イルさんのためにも服装には気を使わないと。 では、こちらで一番映えるものを選ばせて頂きますね」
「お願いします」
「ついでですから、私服も何着か作っておきますね」
「え・・・ですが」
「ご祝儀代わりです」
僅かに戸惑ってが、ここはご好意に甘えることにしよう。
ふっとハインツは柔らかく笑い、おめでとうございます、と告げた。
・・・
「入って」
「うん」
ナタリーさんに言われて、僕は部屋に入る。パタンと扉が閉じると僕は作業部屋でナタリーさんと二人きりになる。初対面のヒトと会うのはどうしても苦手、特に目が恐いと視線が合わせられなくなってしまう。薬師として働くなら、直さなくちゃいけない所だとは分かっているけど、どうしても抜けない癖だ。
「そんなに緊張しなくて良いわよ。 とって食べたりしないわ」
「は・・・はぁ」
緊張している僕を見て、ナタリーさんは苦笑いを浮かべた。気を使ってくれるのが分かったので、精一杯笑って見せたがどう頑張っても頬が引きつってしまう。
「でも、本当に可愛いわね。 やっぱり食べちゃおうかしら」
「ふぇ!?」
驚いて顔を上げると愉快気にナタリーさんは微笑んでいた。その時、やっと僕はからかわれたのだと気がついた。いくらアラクネが肉食な種族だからと言って、魔物を食べるなんてありえない。常識で考えればすぐに分かる事なのに、一瞬でも真に受けてしまった自分が馬鹿らしい。
「笑わないでよぉ・・・」
「ふふ。 ゴメンね」
僕が抗議しているのに、ナタリーさんは嬉しそうに笑っている。唇を尖らせると、ナタリーさんは余計に上機嫌になった。ナタリーさんは僕の話を聞いていないのではないだろうか。はぁ、とわざとらしく溜め息をつく。
そういえば、ディアンはどうだろう。
ハインツさんと仲良くやっているだろうか?
柔らかい雰囲気を持つハインツさんと、度を越えたお人よしのディアンは似たもの同士だと思っている。仲良くするところは容易に場面が思い浮かぶけど、喧嘩しているところは全く想像できない。
すぐに仲良くなるとは思うけど、一体どんな風に仲良くなるのだろう。
「気になる?」
「え?」
ナタリーさんはニヤリと笑って顔を覗き込んできた。
悪戯っぽい笑みに僕はちょっぴりドキリとする。まるで、一緒に秘密を共有しようと誘っているようだ。大人っぽいナタリーさんが見せる子供っぽい表情がたまらなく魅力的だ。「そんなことないよ!」って、顔を背けようと思ったのに、蜘蛛の巣に捕らえられた虫みたいに顔を背ける事ができなかった。僕は思わず頷いてしまう。
「大丈夫、私もちょっとだけ、ハインツが気になってたから」
「そうなの?」
「だって、あの二人・・・似てない?」
「似てる、と思う」
「あの二人、仲良くできると思うのよ。 どんな風に仲良くなるか知りたくない?」
「・・・知りたい」
「じゃ、ちょっと来て・・・」
「でも、測定・・・」
「良いのよ。 どうせアッチも、まだ終わってないと思うわ」
手を引かれ隣の部屋と隔てる壁の前にやってくる。何をするのかと思ってみていると、壁をカリカリと引っかいて巧妙に隠されていた糸を引っ張り出した。それを僕に見せると、ピンと張って近くの板に貼り付ける。
「何してるの?」
「知ってる? 世の中には地面に張り巡らせた糸の振動によって様々な情報を得る事の出来る蜘蛛もいるのよ? 要は糸電話の要領よ」
「でも、それって盗ちょ・・・」
「シーッ」
人差し指を艶やかな唇に当ててウィンクする。そっか、僕達は共犯者なんだ。悪い事をしているのに、なんだかドキドキでワクワクする。長年背中を預けてきた相棒みたいに、視線だけで僕達は会話する。ナタリーさんも、なんだか楽しそうだ。
「ねぇ・・・ナタリーさん」
「ん? なに?」
「隣、見てみたくない?」
「できるの?」
頷く。ナタリーさんは顔を輝かせた。いくら音の情報を拾えても、やっぱり見たいらしい。僕もナタリーさんの期待に応えたい。
ここの部屋は木で出来ているからできるはず。
そう言い聞かせて、まず僕は家屋全体を思い描く。その中から隣の部屋を取り出してイメージする。僕の魔力は木や土には流しやすい。魔力を手の平に集中する。淡い光を帯び始め、その手で木の壁に触れた。
フワリと光が壁に波紋を作る。
「なにが起きてるの?」
「待って・・・ もうちょっとだから・・・ もうちょっとだけ集中させて」
流れ込んだ魔力が薄く部屋に広がり固定される。手に取るように鮮明なイメージが僕の頭の中に写る。空いた左手に魔力を集中させる。僕の左手は七色の光が踊っている。
イメージは幻灯機。フィルムは僕の中に流れ込んでいる部屋の像。回路を構築、完了。左手を壁に触れると、手に溜まっていた魔力が拡散した。
「どう?」
「・・・すごいわ!」
壁一面がスクリーンとなって隣の部屋を映し出した。ナタリーさんは驚いたように目をパチクリさせている。僕がナタリーさんに笑いかけると、ギュッと抱き締めて褒めてくれた。僕の頑張りを手放しで褒めてくれるのは照れくさいけど、やっぱり嬉しい。
僕だって、植物や土を媒介にすれば多少の魔術なら使える。今やったのは、僕の全力。慣れない魔術を使ったのと達成感が入り混じって、心地良い倦怠感となって僕の胸を満たす。僕はそのままナタリーさんに身体を預けた。
ナタリーさんの胸は少しだけ甘い匂いがした。
「さて、どうかしらね」
「あ、もう仲良くなってる」
どうやらディアンとハインツさんは既に楽しげに談笑していた。どうやら、仲良くなるところは見逃してしまったらしい。僕とナタリーさんは顔を見合わせて苦笑する。予想通り、いや、予想以上に二人は仲良くなっていたのだから。
まぁ、良いや。
気を取り直して、僕たちは二人の会話に耳を澄ませる。
「あはは。 そうなんですか。 以前にそんなことが?」
「えぇ。 魔物なんですけど、その手の話に弱かったり・・・」
「ほぅ? その手の話というのは?」
「夜の話ですよ」
「わぁぁぁああああ!!!」
慌てて板から糸を引っぺがし、ナタリーさんを目隠しする。
何を話ししているんだよディアン! そんな話しないでよ!
そんな思いも裏腹に僕の失敗談や惚気話をハインツさんに話始める。もう怒った。後でディアンの事を顔の形が変わるまでひっぱたいてやる。もう、絶対に許さないんだから。
「でも」
一しきりハインツさんを笑わせたあと、ディアンは笑いを納めて話を区切った。手に持った糸からは多少の音が伝わってくるのが分かる。でも、そんなくぐもった声じゃなくて、明確な音としてディアンの声が分かる。
「簡単な事で失敗して、何度も落ち込んで、下らない事で悩んで、立ち止まる事も多いけど。 それでも、キチンと前を見て、一生懸命に問題に取り組んで前に進もうとするイルを尊敬していますし、大好きです」
いや、愛しています
僕にだけディアンとリンクした糸がそう続けた。
「なにするのよ? もう・・・大事な話がよく聞こえなかったじゃない」
「あ、えっと・・・ごめんなさい」
ナタリーさんに持っていた糸を渡す。板と糸とくっつけて、隣の部屋の声が聞こえるようにする。けど、声は半分も耳に入ってこなかったし、どうでも良かった。ただ、心臓が早鐘のように脈打っている。
僕はディアンと並びたかった。隣に居て、支えたかった。
だから、そのために一生懸命勉強したし努力もした。それを見ていてくれて、ちゃんと認めてくれた。これ以上、嬉しいことはない。夢みたいだ。足元がフワフワして体の重さがなくなってしまったよう。
外に出て跳んだら、ケセランパサランみたいに風に吹かれてどこかに行ってしまいそうだ。
僕も愛してるよ
小さく僕は涙ぐみそうになるのを堪えて応えた。
・・・
実を言うとアラクネの私には、板に糸を貼り付けて音を拾わなくても会話の内容を床に張り巡らせた糸からの振動で聴き取る事ができる。それに、イルは私の事を目隠ししたかったみたいだけれど、人間と同じ場所にある目だけを隠すだけじゃなくて残りの目も隠さないと丸見えなのだ。
イルが私にしたかった妨害工作は、ずさんで妨害にはなっていない。ディアンが言いたかった事は一字一句聞いているし、どんな表情をしていたかも見え見えだった。それでなくても、イルの嬉しそうだけれど泣き出しそうな顔を見れば何を言ったかなんて分かってしまう。
けれど、そんなこと言っても何も変わらない。それに、犬も食わないような甘ったるい惚気話なんて話題はこっちの方が恥ずかしい。私も耳が熱くなるのを堪えるので精一杯なのだ。
みせつけてくれるわね
わずかに嫉妬を抱き、後でハインツの事をタップリ搾ってやろうと決める。八つ当たりなんてしたい訳じゃない。ただ、そうしないと負けた気がしただけだ。こっちの事なんて全くもって考えていない隣の男二人の声をBGMにしながら、そろそろ仕事に取り掛かる。
ハインツの方が珍しく仕事が早く、祝儀用の私服のデザインを決めている。少しだけ急がないと、けれど、手がける仕事には一切の妥協は許さない。丁寧かつスピーディーに、H&Nに来て良かったと素直に喜んでもらえるような製品でないといけない。
イルの身体に巻尺を滑らせてサイズを測っていく。
小柄で控えめな体つきだ。けれど、ディアンには抱き締めやすそう。
他愛のないことを考えてしまう。決めた。イルに最も似合いそうなデザインを思い浮かべ、デッサンを見せる。一生に一度そんなおめでたい席を飾るドレスはどれが良いか。それを訊ねる。
慎重にたっぷりの時間を掛けて、イルは一枚のデッサンを選んだ。
最高
そのデッサンを選んだ瞬間にそう褒めてあげたくなった。イルに一番似合い、ハインツが作るスーツを着たディアンに一番似合うと思ったデッサンを選んでくれた。今ならドレスを一晩で2枚は作れそうだ。
やるわよ、と僅かに気合いを入れて、イルに向けて笑いかける。イルも笑い返してくれた。ちらりと壁の向こうを見る。ハインツは作業をしていた手を止め、一瞬だけ顔を上げた。目が合う。ハインツはすぐに作業に戻ったので、時間にすれば一秒もないだろう。けれど、時が止まったような感覚になった。
思いの一方通行のような気持ちになる。むず痒く、もどかしい。けれど甘酸っぱい。もしかしたら、イルはずっとこんな気持ちを抱えていたのだろうか。ふ、と頭の中にインスピレーションが湧いた。
ドレスにアクセントをつけてあげよう。
小さな実をモチーフにしたようなアクセサリーが良いだろう。想像したら森の小人みたいで似合っている。
「じゃ、そろそろ。 遊びは終わりにしようか」
「うん」
糸を外して壁に隠し、イルも回路を切断して隣の部屋のリンクを切る。イルに眺められながら作業を開始した。
・・・
「そろそろ隣の二人も終わったと思いますからね、行きましょうか」
「そうですね。 っとその前に」
型紙さえ作れば、後は本人がいなくてもスーツの作製することができる。そろそろナタリーも型紙が出来上がった頃合だろう。そう思って、声を掛けて部屋を出ようとするとストップを掛けられた。
「どうしました?」
「いえ、お守りを渡して置こうと思いまして」
「お守り?」
「えぇ、身の危険を感じたときに使って下さい」
「・・・ありがとうございます?」
「使い方は、ナタリーさんに飲ませれば良いですから」
何か液体の入った小瓶を手渡し、微笑んだ。これは自分をナタリーから守ってくれる魔法の薬らしい。ナタリーには不機嫌な事があると夜に襲われ次の日に立てなくなる事があるが、こんな小瓶でそれが回避できるのだろうか。噂に聞くほどの素晴らしい腕前の薬師ではあると知っていても、なんとなく信じられない。
礼を言ってポケットにしまって外にでると、隣の二人も丁度終わって出てきたところだった。あまりのタイミングの良さに俺とディアンは顔を合わせ、イルとナタリーは互いの顔を見合わせた。鏡合わせのような仕草に誰ともなしに笑い始める。
「やっぱり仲良くなってましたね」
「予想通りでしたね」
ディアンは笑いながら応える。イルとナタリーはちょっとだけ目を丸くして息を顰めた。どうやらあの二人も仲良くなると予想していたようだ。その事が分かって全員の笑い声がより大きいものになる。
・・・
「ヌシら、遅かったの」
クロムは欠伸を一つして俺たちを迎えた。教会に応援のスタッフを要請するついでに俺たちの事をH&Nにつれて来てくれたのだ。トントン、と肩を杖で叩いて立ち上がると腕を振り魔法陣を展開する。淡く光を帯びるそれに乗り、俺たちを急いた。
「では、よろしくお願いしますね」
「ご注文、承りました。 楽しみにしていてくださいね?」
「じゃあね、ナタリーさん」
「ふふ、また来てね。 今度はゆっくりお茶でも飲みましょ」
互いに硬い握手を交わし、次の再会を楽しみにしながら俺達は魔法陣に乗る。
「準備は良いかの、ディアン。 イル」
「えぇ、大丈夫です」
「大丈夫だよ」
わざわざ俺達の事を店先まで見送ってくれたハインツとナタリーに手を振って俺達は転移した。
・・・
ディアンとイルを見送り、魔法陣が消えるまでボンヤリと見つめていた。
「アナタ」
早くスーツを仕上げて二人とまた会いたいな、などと考えていると隣でナタリーが声を掛けてきた。視線を移すとナタリーが真っ直ぐにコチラを見ていた。8つの瞳は全て自分を映している。
なんとなく嫌な予感がした。そして嫌な予感というのは大抵当ることも、身に染みてよく知っている。ナタリーはイルと二人のときに何があったのだろう。仲良くなるのは構わないが、女同士のときの会話は時として卑猥になる事があるらしい。
「わたし、隣の部屋から覗いていたんだけどイルに見せ付けられちゃったのよねー・・・」
「っと、言いますと?」
「あら? 分からないかしら?」
「もしかして、新婚さんよりもラブラブになりたいと」
「そんなこと言ってないわ。 ただ、アナタの愛を身体で感じさせてって言っているだけ」
それって要はそういう事じゃないの?
そう訊ねる間もなく首筋に甘噛みされ、痺れ毒を送り込まれる。鮮やかな手付きで縛り上げるとホクホク顔でナタリーにお姫様抱っこで家まで持ち帰られた。
・・・
「ねぇ、ディアン? どうして笑ってるの?」
「イル、俺たちの事を覗いてたんだろ?」
「え、あ・・・ そ、そんなことないよ!」
「じゃ、聞いてないのか・・・ イルに聞かせるために恥ずかしいのを堪えて言ったんだけどな」
「もしかして、大好きって言ってくれた・・・こと?」
「ふふ、やっぱり聞いてたんじゃないか」
「あ!!! もうディアン!!! 騙すなんてズルイよぉ!!!」
「魔力が部屋中に満たされれば気がつくだろ。 ・・・でも、念のためハインツさんにお守り渡しておいて良かったな。 今日は襲われるだろうから」
「お守り?」
「そ、お守り。 単なるカフェインの溶液なんだけどね」
「どうしてカフェインなんか?」
「蜘蛛がデタラメな巣を張っているのを見た事ない? カフェインには蜘蛛の感覚器官を狂わせる作用があってね、分かりやすくいうと酔っ払うんだよ。 それでお守りって訳だね」
「へぇ〜・・・」
「魔物相手に治療するには色々な知識が必要なんだよ? まぁ、ゆっくり覚えていけば良いよ」
「うん。 分かった」
「それとイル?」
「ん?」
「覗きは、いけない事って知ってた?」
「うん。 ・・・痛っ! なにするんだよぉ?」
「お仕置きだよ。 お仕置き」
「も〜・・・ 暴力はんた〜い! ディーブイで訴えるぞぉ?」
「ふふ ほら、帰るよ?」
10/11/27 02:00更新 / 佐藤 敏夫
戻る
次へ