甘い物は好き?
大通りから少し離れた静かな所にあるディアンの家は二年前に報酬代わりにジャイアントアントが建ててくれたらしく、一階は診療所で二階が居住空間になっている。僕は、二階の元物置の部屋を整理して空けてそこに下宿させてくれる事になった。
ファフは魔物にも穏やかだけど、入った事はないので知り合いも門番のリズエぐらいだ。ジャイアントアントやサイクロップスみたいに特別な能力がある訳でもなく、小柄でなんのツテもないのに仕事にありつくのは流石に難しい。
夜だけやっている色を売る店という選択肢は無い訳じゃないけど、それでは本末転倒だし、ディアンが僕の事を薬師見習いとして雇ってくれた。
一瞬“材料にされるの?”とか考えたけど、材料になる部分は足の人で言う爪みたいに伸びてくる部分だけらしいし、仮に全身を材料にできてもやらないよ、と苦笑いされた。
1つ、町の中で人を襲わない事
1つ、ちゃんと手伝いをする事
1つ、何か困ったら相談する事
結局、ディアンが僕を診療する上で提示した条件はたったの三つだった。
「今週も身長が伸びているね」
「ほんと?見せて!見せて!」
身長をカルテに書き込みながら、ディアンは自分の事のように嬉しそうに目を細めた。カルテを見せてもらうと、確かに身長が伸びている。一ヶ月下宿したうちの最初の一週間は町に長期滞在するための手続きや治療する前の検査をしていたため、ほとんど何もしていないので一週間あたり5センチも伸びている計算になる。
成長のペースは多少遅くなっているものの、このペースで成長すれば、あと三ヶ月もしないうちに立派な成体になれるらしい。
「早く成体になって、襲いたいな!」
「駄目だよ、イル。そんな事を言っては」
僕が思わず言うと、少しだけ困ったような表情をディアンは浮かべた。
いけない、いけない。
ファフ自体が教会も含めて魔物の存在を黙認はしていて、町の住人も友好的なので失言しても笑って許してくれるし、もちろん、ディアンも親魔物派の人間だ。けど、外から来た旅人が親魔物派とは限らない。
町の外で“人を襲いたい”なんて冗談で言ったのを反魔物派に聞かれて教会にヒドイ目に遭わされた知り合いも少なからずいる。
「ごめんなさい」
「うん、分かれば良いよ」
机の上でトントンとカルテを揃えるとニッコリと笑みを浮かべた。
用心に越した事はないのだ。
「あ、魔法薬を渡してない」
ポン、とディアンは手を打って戸棚から5本の小瓶を取り出して僕の手の中に置いた。
「これ、多くない」
一日一回飲めば効くので明らかに多い。薬の量を間違えるなんてディアンらしくないな、と思いつつ顔を上げると微笑を浮かべていた。
「あぁ、3日分だからね。2本は予備だけど
イルも俺が毎日薬を管理するより、自分でできた方が良いだろ」
「そうだね」
今までは、強い薬という事で様子を見てもらいながら使っていたけど、なんとなく要領も掴めてきた。当たり前だけど、ディアンに何から何までお世話になる訳にはいかない。自分の事ができなくては、一人前の魔物になるとか、人を襲うとか以前の話だ。
「じゃ、それ仕舞って、準備したら出掛けようか」
「うん」
・・・
「三日後の午後から休みで、用事があって通りに行こうと思うんだけど一緒に行く?」
この前、ディアンがそう誘ってくれた。
通りには人がいっぱいいて、道の両側には店が立ち並ぶ。時々、患者としてやってきて見た事のある人が露店で気さくに声を掛けてくれたりした。
はぐれないように手を握り、ディアンが服を買うとお店の主人は僕のためにおまけしてワンピースをつけてくれたので、ちょっとその気になってくる。確か、町にいる魔物は人からの貢ぎ物がいっぱいあるとかなんとか。どこかのサキュバスは領土の半分を王様に貢がせた、というのも聞いた事がある。
「何にも知らない人が見たら、僕が誘惑したように見えるのかな?」
「単なる、買出しなんだけどね」
だからって間違っても襲わないでくれよ、とディアンは釘を刺した。
もう、少しくらい気分を味わわせてくれても良いじゃないか。
現に僕だって約束は守っているじゃない。全くディアンは優しいくせに、こういう事にはデリカシーが足りなさ過ぎる。
「魔物だって約束ぐらい守るもん!町の中で襲ったりしないよ」
なら安心だ、とディアンは笑った。
言っておいてなんだけど、僕みたいな魔物を信用して良いの?と思わず訊きたくなってしまうくらいに簡単に魔物を信用する。ディアンは僕が嘘をつくとは考えてないのだろうか、それとも、僕が襲ってきても問題ないとか失礼な事を考えているのだろうか。
「そういえば、魔物ってなんで人を襲うの?」
「・・・へ?」
まさか、そこから?
「いやいや、それは理屈としては“精”の摂取っていうのは分かるけど、ここらには親魔物派の人間もいるし、親魔物派の人間相手なら、わざわざ“襲う”必要なんてないでしょ?
下手に襲った相手が反魔物派だったら怪我どころでは済まないと思ってさ」
あぁ、そういう事か
「魔物が人を襲うのは、別に精を摂取するのだけが目的じゃないよ」
「そうなの?」
うん、と僕は頷く。
精を人間でいう食事と勘違いする人もいるけど、あくまでも魔法を使うのに必要なだけで、栄養を摂取するのは食物でも大丈夫だ。特に僕みたいに光合成ができる植物系の魔物はそもそもその食事すら必要ない。実際に僕はディアンの所で下宿するまで、水以外の物を口にする機会というのは、ほとんど無かった。
「確かに、イルも下宿し始めたて日光浴はしていたけど口にしていたのは水だけだったね」
最初は食事している間はテーブルで食べ終わるのを待っていたのだけれど、それだとディアンも食べにくいという事と僕も見ている内に食事に興味が沸いたので一緒に少しだけ食事してみた。
今では、ディアンと毎日食卓を囲むのは習慣になっている。
「じゃあ、なおさら襲う理由は何?」
「聞きたい?」
僕がディアンの顔を覗き込むと、わずかに迷ったように目を瞬かせた後に頷いた。
コホン、と僕はわざとらしく咳払いをして胸を張る。
「それはねぇ・・・魔物にとって“襲う”って事は神聖な儀式だからだよ」
「儀式?」
ディアンは首を捻った。
「そ、魔物が自分の勇者を見つけるための儀式なんだよ」
「勇者?」
「生涯のパートナーとなる人だよ!」
「人間で言う婚活みたいなものか、それなら普通に付き合えば良いのに・・・」
チッチッチ、と僕はディアンの前に指を突き出して左右に振る。
「人にとって“格好良い”とか“性格が良い”とかが一種のステータスなのと同じ様に、魔物にとって“強い”って事は一種のステータスなんだ。
もちろん、人間みたいにお付き合いして勇者を見つけるのが悪い訳じゃないけど、やっぱり魔物なら自分の事をアピールしたい。惚れるより惚れさせたいのと同じだよ。もし、自分の培ってきたもので篭絡できたら、やっぱり嬉しいでしょ?」
自分の事を知ってもらうために“襲う”のだ。
だから、魔物は例え前から交際があるにしても襲おうとする。それに、魔物たちは、たくさんの困難を乗り越えた方が愛情もより深いものになると考えているのだ。
「てっきり、“精”ために襲うとばっかり思ってた」
「他にも純粋に人との関わりを求めてっていうのもあるけどね」
「なるほど、それは分かった」
今度は僕が首を捻ると、ディアンは悪戯っぽく口の端をあげた。
「俺も一ヶ月程前にマンドラゴラに襲われたからね」
「もう!」
なんで魔物の触れて欲しくない場所を突くかな。
「悪かったって、ほら、クレープでも食べよう」
頬を膨らまして拳で背中を叩くと楽しそうにカラカラと笑った。そんな風に言われたって全然反省しているようには見えない。大体、甘い物で釣るのも短絡的じゃない?
それに、僕は別に甘い物が特別好きって訳じゃないよ。食事はあくまでも趣味であって、その中でも甘いっていう味覚が一番好きってだけ。辛いのは口の中が痛くなっちゃうし、苦いのは合わなかったんだ。
「イルは何にする?」
「サンデーストロベリーチョコレートスペシャルにする」
「じゃあ、チョコレートミックスとサンデーストロベリーチョコレートスペシャルを一つずつ」
「はい、かしこまりました」
言いたい文句はいっぱいあったけど、ディアンは僕の手を引いてそのまま売り子に声を掛けてしまったので渋々従う。
「200ゴールドと250ゴールドとで合わせて、450ゴールドですね・・・はい、500ゴールドですね、50ゴールドのお釣りになります」
「ディアン、僕だって自分の分ぐらい出すよ?」
「俺が誘ったから良いの、席に座って待っていて」
手伝いしているとディアンは下宿代と診療代を差し引いた額の給料をくれる。小遣い程度でも、出ているならやっぱり出さないといけない駄目な気がするのに、毎度毎度ご馳走してくれる。今回もディアンが財布から肉厚の銅貨を5枚出して、店員から一回り小さい銅貨1枚受け取ってしまった。
何が“俺が誘ったから良いの”だよ、誘うのは魔物の役目なのに
納得いかないと思いつつ、膨れっ面でディアンを通りに並べられているテーブルに座って待つ。ほどなくして両手にクレープを持ってやってきた。
「はい、イルの分」
「ん、ありがと」
ちょっぴり豪華なクレープを受け取ってかぶりつく。
やっぱり甘い物を食べている時は幸せかも。前に、コカトリスのフウが山の中を走り回った後は甘い果物を食べると疲れが取れると言っていた。きっとそれと同じだ。
ディアンはクスクスと笑いながら、クレープの端を齧った。
「あ、コラ。顔にチョコが付いてるぞ。小さい子供じゃないんだから・・・ほら、動くな」
「ヘヘッ、ごめんなさい」
一体どうやったら鼻の頭なんかに付くんだか、なんてぼやきながらポケットからハンカチを取り出して僕の顔をぬぐってくれた。自分の事を気に掛けてくれるのが嬉しくて本当は駄目なのは分かっているのだけど、ついついやってしまう
「あ、先生。お久しぶりです」
クレープ屋の前でのんびりしていると涼やかな声が降ってきて、振り返ると綺麗な女の人がいた。出来すぎた芸術品みたいな印象を受ける彼女はサキュバスと言われる最もポピュラーな魔物だ。
「久しぶりだね、ルア、調子はどう?」
「えぇ、お陰様で」
前よりも調子が良いくらいですよ
そう言いながら、空いている席についた。
体の運びから指先に至るまで、優雅な動作だ。椅子に座るという極々ありふれた動作なはずなのに、すごく魅惑的だ。テンプテーションも使っていないのに、道行く人が振り返る。僕が真似してやっても、あんな風にはならない。
やっぱりスタイルが良くないと誘惑できないんだな、と納得する。
「駆けつけて頂いた時は魔力の大半が抜けてしまっていましたからね、命の恩人ですよ」
魔物は、第一印象が重要。そんな話を前に習った。もちろん中身もおろそかにしてはいけないけれど、第一印象の良い方が相手の注意も引きやすくなるし、誘惑もしやすい。いくら中身が良くっても、相手の注意を引けなければ意味が無い、という事らしい。
「いやいや、恩人だなんて恥ずかしい。見つけたのはアレサだから、アレサに言ってやってください」
見た目がよければ、誘惑の初歩と言われる“褒め殺し”でさえあれだけの効果をあげる。
分かりきっているはずなのに、男の人ってやっぱり馬鹿だから見え見えのお世辞にひっかかる。ディアンは頬を緩ませて恥ずかしそうに笑った。
サキュバスは悪魔の一種だ。悪魔の言葉を鵜呑みにするのは自分の首に縄をくくりつけてその先を持たせるのと一緒だ。
「でも、助けてくださったのは先生でしょう?」
もう、勝手に襲われてよ。
さっきまで美味しかったはずのクレープの味がなくなったみたいに美味しくない。熱とかも無いから、風邪ではないとは思うけど気分が悪い。なんだか早く家に帰りたくなった。“帰る”と言えば送ってくれるだろうけど、ディアンの仕事は薬師だ。この場を白けさせて、患者さんとの関係が悪くなっても困る。
信頼が大事
ディアンが診察する上でのモットーだ。だから我慢する。
手持ち無沙汰になった僕は、楽しそうに話をする二人を見ながら美味しくも無いクレープをチビチビと齧る。しばらく待ってみても話は終わりそうにない。そればかりか話が盛り上がっている。とっくの昔に自分の分を食べ終わり、まだ八割以上残っているディアンのクレープを奪い取って食べ始めた。
ハーピィに弁当をさらわれたみたいな表情をしたけれど、無視を決め込む。僕だって、お腹が減っている訳でもないのに美味しくも無いものを食べているのだ。どちらかというと作業に近い。
「あら、もうこんな時間ですの?
そろそろお暇しないと・・・」
二つ目のクレープの半分を食べ終える頃になって、ルアは残念そうに呟いて腰を上げた。
「では、先生も今度うちの店に遊びに来てくださいな
特別にサービスして差し上げますから」
「まぁ・・・機会があれば」
もちろん、ルアの店というのは色を売る店だ。
ディアンは曖昧に笑って、サキュバスを見送った。
「・・・なに?」
見送った後、ディアンは微妙な表情を浮かべて僕を見た。
「いや、“なに”じゃなくて・・・それ、俺のクレープだろ・・・」
そう言って、残り一口大になったクレープを指差した。
「あ・・・全部食べちゃったよ、コイツは・・・・」
パクンとクレープを口の中に放り込むと、心底がっかりしたように肩を落とした。悪い事をしたのは分かっているのだけれど、あまり謝る気にはなれなかった。バツが悪いのは変わりがないので、顔を背ける。
「まぁ、良いや。そろそろ行こうか」
「僕、帰る」
椅子から腰を上げかけていた、ディアンはそのままの態勢で固まった。
「どうした?」
「気分が悪い」
僕が答えると、瞳に心配そうな光が宿る。
「風邪か?」
「ディアン、薬師でしょ」
椅子から立ち上がる姿を見ただけで患者を精密検査並みの正確な資料が作れ、靴の減り方を見ただけで患者のどこの内臓に慢性疾患を患っているかが悪いかが分かるような薬師がなにを間違って風邪なんかを見逃すはずがない。
「仕方ない、一旦家に戻ろう」
「良い、一人で帰れる」
「でも・・・」
「大丈夫、一人で帰れる。それに用事もまだ済んでないんでしょ」
・・・
あのあと結局はディアンが折れて、僕は家の鍵を受け取った。
家に帰り、まず自分のカルテを探した。複雑な魔法薬や強力な薬の調合はやらせてもらった事はないが、簡単な傷薬や止血剤の作り方や急患の応急手当ぐらいは教わったし、一通りの問診ぐらいはできる。当然、カルテや薬の位置はバッチリ把握している。
パラパラとカルテをめくっていると、ほどなくして目的のものは見つかった。
几帳面な文字で詳細に書き込まれているカルテを見て、溜め息を漏らす。
「やっぱり」
確かに、僕の体は前よりも成長している。前より身長は伸びたし、胸の辺りだって前よりずっと女の子らしくなってはいる。カルテを机の上で揃え、元あった所に戻す。近くにある鏡の前に立つと花を頭に乗せた小柄な魔物が写りこんだ。
女の子らしくはあったけれど、あくまでらしいというだけで豊満な魅力はない。
カルテを見る限りだと薬に慣れてしまっているため成長の速度は少しずつ遅くなっているようだ。成体になれるといっても、やはり平均より少し小柄になってしまうだろう。
ファフなら魔物に理解があるし、実際に町で並んで歩いているつがいを見かける。
でも、口を揃えて“魔物”というだけで相手を探すのに苦労する。差別ではないけれど、どうしたって育った文化や思考が違うから溝があるのだ。それは、どうしたって仕方ない。
その代わり、魔物は“少々強引な手段”や“誘惑呪文”という武器を持つ事によって対等の土台に立てるのだ。
でも、武器を持てない僕はどうすれば良いんだろう
臆病な僕には強引な方法なんてできない。テンプテーションだって上手くできない。
二階に上がり、ベッドに身を投げる。
だから、魅力的な体が欲しかった。
そうすれば同じ所には立てると思ったのに
「ひどいや・・・」
コテン、と寝返りを打つ。
あんなのになんか勝てっこない。
魔王様がいるなら、なんで生まれつきにこんなに差があるのか文句の一つでも言ってやりたい。魔王様が文句を直々に聞いてくださると言っても、結局言えない気もするけど・・・
「頑張ってたのに」
自分に言い訳するように呟く。
ふと目をやると机の上に魔法薬の入った瓶が乗っていた。朝、自分で管理できるようにした方が良いと渡してくれたものだ。
「・・・そうだ!」
パッと目の前が明るくなる。
成長が遅くなってしまったのなら、薬の量を増やせば良い。自己管理と言うのだから、そういう事も含まれているに違いない。
今日の分も含めて、二本分の瓶のフタを開ける。ツンと薬草の匂いがした。この魔法薬は味がヒドイなんてものではないのであまり飲みたくない。
「うぇ・・・にがい・・・」
二本だとかなりキツイけど、それで成長してくれるなら安いものだ。
きっとこれで明日には
安心したのも束の間、強烈な吐き気に襲われる。
とっさに桶を探すけれど、そんなもの部屋に置いておくはずがない。下になら、そう思い部屋を出ようとすると、足元がふらついた。壁に手をつかないと立っていられない。頭が割れるように痛くて、全身に気持ちの悪い汗が纏わりつく。
あと少し
そう思いながら、階段を降りた所で僕の視界はブラックアウトした。
・・・
目を覚ました時、僕はいつものベッドの上にいた。ランプに火が灯っている所をみると、多分夜だろう。半日ぐらい寝ていた事になるのかな。
身を起こすと額に乗せられていた濡れタオルがペシャリと落ちた。まだ少し気持ち悪くて倦怠感はあるけど、あの時より大分マシだ。
記憶を辿っていると、誰かが階段を上がってくる足音がした。多分、ディアンだ。きっと僕の事を介抱してくれたのだろう。ディアンは患者と接する時はとても優しい。優しくしてくれるかな、なんてちょっぴり期待してみる。
「なんで二本も飲んだんだ」
けれど、あっさりと、その幻想は打ち砕かれた。
ディアンは部屋に入ってきて、僕が起きている事を見つけると開口一番にそう言った。口調は静かだけど抑揚がなく、全身からは怒気がにじみ出ている。こんな姿は見た事ない。いつも患者に接する時はあんなに優しいのに・・・
机の上に空になった小瓶を置く。
「この薬が、強い薬だと分からなかった訳じゃないだろ」
それとも、心配でもさせたかったのか
ザクザクとディアンは僕の心を刻む。そんな言い方しなくたって良いじゃないか。
強い薬だとは分かってはいたし、心配させるつもりは無かった。
違う、と叫ぼうとした言葉はただ口から漏れた。
「じゃあ、なんだ」
陽炎のような怒りの炎を瞳に宿して問う
(・・・そんなの決まっているじゃないか)
けれど反論の言葉もただの嗚咽になり、目からは雫がポロポロと零れ落ちる。小さな部屋を沈黙が包む。
「心配、したんだよ?」
不意に優しい手付きで僕を抱き寄せた。
ともすれば聞き逃してしまいそうな掠れた声だったけど、その声は優しくて心からの安堵の色がにじむ。顔を上げてみれば、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
「昼から様子が変だったからさ、心配だったから早く帰ってきたら廊下で倒れていたんだ」
そっと繊細なガラス細工を扱うように頭を撫でる。
そこで、やっと怒ってくれていた理由を理解した。
どんなに副作用が少ないといわれている薬でさえ、用法や用量を間違えれば毒にしかならない。それが体に直接働きかけるような強力な魔法薬であれば、副作用どころではすまないかもしれない。
だから、本気で怒った。
「ごめんなさい」
すんなりと謝罪の言葉が出た。
しっかりと僕を見て信頼してくれていたのに、僕は自分の事しか考えていなかったし、それどころか僕の方が約束を破っていた・・・
ディアンは柔らかく微笑む。
「もう駄目だよ」
君は大切な人だからさ
「ほぇ?」
突然の告白に耳を疑う。僕がポカンと口を開けていると、しまった、みたいな顔をした。
耳まで紅葉みたいに真っ赤にして、目を泳がせる。
「あ、いや・・・変な意味じゃないぞ、大切な事には間違い無いけど・・・他意は無くて・・・その、家族っていうか、妹みたいに大切って意味だからな?」
だから、安心して良い
ディアンは頼んでもいない言い訳を口にした。
マンドラゴラは家族というのは良く分からない感覚だ。一応、血縁関係みたいなのはあるにしても、幼少期は土の中で生活しているため両親に直接会う事はない。僕もお父さんとお母さんの顔を知らない。
だから、僕には良く分からない例えだ。
良く分からないけど、大切にしてもらえているというのだけは伝わった。
今はそれで十分だ。
「ありがと」
本当に嬉しかったから、さっきみたいに素直に言えるはずだったのにポソポソとしか言えなかった。顔もなんだか熱いし、変だ。全部、薬のせいという事にしておこう。
ディアンは曖昧に笑って、頬を指で掻いた。
「おかゆを作ってくるけど、何か食べたい物ある?」
「ううん、おかゆだけで大丈夫」
着替えと固く絞ったタオルを渡して訊いた。僕は首を横に振る。マンドラゴラは光合成で栄養はまかなえるので、光合成できない時以外は基本的に食事を必要としない。そのため、人と比べると消化器系がどうしても弱い。体調が悪い時は、人以上に食べ物を選ばなくてはならない。
ディアンもその事は分かってくれているので、分かった、と言って立ち上がる。
クルリと背を向けて部屋を出て行こうとする。
折角のチャンスなのに!
「うん?」
思わず、手を掴んでしまった。
暖かい日溜りみたいな匂いのする手。
「イル?」
無防備に首を傾げる。
僕は答えられない。
頭の中がグチャグチャになって、なんて言って良いか分からない。武器も持てない、誘惑の言葉だって紡げない、半人前以下の半人前。
でも見つけたんだ、そんな半人前に付き合ってくれる、お人よしな勇者を。
初めて、僕は勇者と向き合う。
「その・・・」
「うん」
ディアンが僕を見る。僕もディアンを見る。
「えっと・・・食べたいものが・・・ある・・・」
「言ってごらん?」
耳元まで心臓の鼓動が聞こえる。
手を握る指に力をこめる。
どうか、僕に勇気を下さい。
祈るように、瞳を閉じる。
「・・・クレープ」
「駄目に決まっているだろ」
ディアンは溜め息混じりに肩をすくめて、ポン、と頭に手を置いてから再び背を向けてしまった。取り残された僕は、ベッドの上でしょぼくれる。
やっぱり言えない。僕には勇気が無い。
結局、チャンスを逃した。
カチャリと扉が開く。
「元気になったら、な」
部屋の外から、ディアンは言った。
「うん!」
「じゃあ、待っているよ」
そう言い残し、パタンと扉を閉じた。
頬が緩むのを我慢できずに毛布に顔を埋める。
やっぱり、勇者だ。
優しくて、お人よしで、ちょっぴり間の抜けている勇者。
僕、一人前の魔物になるよ。ディアンに負けないくらいの立派な魔物になるから。
だから、ちょっとだけ・・・ちょっとだけ待っててね!
ファフは魔物にも穏やかだけど、入った事はないので知り合いも門番のリズエぐらいだ。ジャイアントアントやサイクロップスみたいに特別な能力がある訳でもなく、小柄でなんのツテもないのに仕事にありつくのは流石に難しい。
夜だけやっている色を売る店という選択肢は無い訳じゃないけど、それでは本末転倒だし、ディアンが僕の事を薬師見習いとして雇ってくれた。
一瞬“材料にされるの?”とか考えたけど、材料になる部分は足の人で言う爪みたいに伸びてくる部分だけらしいし、仮に全身を材料にできてもやらないよ、と苦笑いされた。
1つ、町の中で人を襲わない事
1つ、ちゃんと手伝いをする事
1つ、何か困ったら相談する事
結局、ディアンが僕を診療する上で提示した条件はたったの三つだった。
「今週も身長が伸びているね」
「ほんと?見せて!見せて!」
身長をカルテに書き込みながら、ディアンは自分の事のように嬉しそうに目を細めた。カルテを見せてもらうと、確かに身長が伸びている。一ヶ月下宿したうちの最初の一週間は町に長期滞在するための手続きや治療する前の検査をしていたため、ほとんど何もしていないので一週間あたり5センチも伸びている計算になる。
成長のペースは多少遅くなっているものの、このペースで成長すれば、あと三ヶ月もしないうちに立派な成体になれるらしい。
「早く成体になって、襲いたいな!」
「駄目だよ、イル。そんな事を言っては」
僕が思わず言うと、少しだけ困ったような表情をディアンは浮かべた。
いけない、いけない。
ファフ自体が教会も含めて魔物の存在を黙認はしていて、町の住人も友好的なので失言しても笑って許してくれるし、もちろん、ディアンも親魔物派の人間だ。けど、外から来た旅人が親魔物派とは限らない。
町の外で“人を襲いたい”なんて冗談で言ったのを反魔物派に聞かれて教会にヒドイ目に遭わされた知り合いも少なからずいる。
「ごめんなさい」
「うん、分かれば良いよ」
机の上でトントンとカルテを揃えるとニッコリと笑みを浮かべた。
用心に越した事はないのだ。
「あ、魔法薬を渡してない」
ポン、とディアンは手を打って戸棚から5本の小瓶を取り出して僕の手の中に置いた。
「これ、多くない」
一日一回飲めば効くので明らかに多い。薬の量を間違えるなんてディアンらしくないな、と思いつつ顔を上げると微笑を浮かべていた。
「あぁ、3日分だからね。2本は予備だけど
イルも俺が毎日薬を管理するより、自分でできた方が良いだろ」
「そうだね」
今までは、強い薬という事で様子を見てもらいながら使っていたけど、なんとなく要領も掴めてきた。当たり前だけど、ディアンに何から何までお世話になる訳にはいかない。自分の事ができなくては、一人前の魔物になるとか、人を襲うとか以前の話だ。
「じゃ、それ仕舞って、準備したら出掛けようか」
「うん」
・・・
「三日後の午後から休みで、用事があって通りに行こうと思うんだけど一緒に行く?」
この前、ディアンがそう誘ってくれた。
通りには人がいっぱいいて、道の両側には店が立ち並ぶ。時々、患者としてやってきて見た事のある人が露店で気さくに声を掛けてくれたりした。
はぐれないように手を握り、ディアンが服を買うとお店の主人は僕のためにおまけしてワンピースをつけてくれたので、ちょっとその気になってくる。確か、町にいる魔物は人からの貢ぎ物がいっぱいあるとかなんとか。どこかのサキュバスは領土の半分を王様に貢がせた、というのも聞いた事がある。
「何にも知らない人が見たら、僕が誘惑したように見えるのかな?」
「単なる、買出しなんだけどね」
だからって間違っても襲わないでくれよ、とディアンは釘を刺した。
もう、少しくらい気分を味わわせてくれても良いじゃないか。
現に僕だって約束は守っているじゃない。全くディアンは優しいくせに、こういう事にはデリカシーが足りなさ過ぎる。
「魔物だって約束ぐらい守るもん!町の中で襲ったりしないよ」
なら安心だ、とディアンは笑った。
言っておいてなんだけど、僕みたいな魔物を信用して良いの?と思わず訊きたくなってしまうくらいに簡単に魔物を信用する。ディアンは僕が嘘をつくとは考えてないのだろうか、それとも、僕が襲ってきても問題ないとか失礼な事を考えているのだろうか。
「そういえば、魔物ってなんで人を襲うの?」
「・・・へ?」
まさか、そこから?
「いやいや、それは理屈としては“精”の摂取っていうのは分かるけど、ここらには親魔物派の人間もいるし、親魔物派の人間相手なら、わざわざ“襲う”必要なんてないでしょ?
下手に襲った相手が反魔物派だったら怪我どころでは済まないと思ってさ」
あぁ、そういう事か
「魔物が人を襲うのは、別に精を摂取するのだけが目的じゃないよ」
「そうなの?」
うん、と僕は頷く。
精を人間でいう食事と勘違いする人もいるけど、あくまでも魔法を使うのに必要なだけで、栄養を摂取するのは食物でも大丈夫だ。特に僕みたいに光合成ができる植物系の魔物はそもそもその食事すら必要ない。実際に僕はディアンの所で下宿するまで、水以外の物を口にする機会というのは、ほとんど無かった。
「確かに、イルも下宿し始めたて日光浴はしていたけど口にしていたのは水だけだったね」
最初は食事している間はテーブルで食べ終わるのを待っていたのだけれど、それだとディアンも食べにくいという事と僕も見ている内に食事に興味が沸いたので一緒に少しだけ食事してみた。
今では、ディアンと毎日食卓を囲むのは習慣になっている。
「じゃあ、なおさら襲う理由は何?」
「聞きたい?」
僕がディアンの顔を覗き込むと、わずかに迷ったように目を瞬かせた後に頷いた。
コホン、と僕はわざとらしく咳払いをして胸を張る。
「それはねぇ・・・魔物にとって“襲う”って事は神聖な儀式だからだよ」
「儀式?」
ディアンは首を捻った。
「そ、魔物が自分の勇者を見つけるための儀式なんだよ」
「勇者?」
「生涯のパートナーとなる人だよ!」
「人間で言う婚活みたいなものか、それなら普通に付き合えば良いのに・・・」
チッチッチ、と僕はディアンの前に指を突き出して左右に振る。
「人にとって“格好良い”とか“性格が良い”とかが一種のステータスなのと同じ様に、魔物にとって“強い”って事は一種のステータスなんだ。
もちろん、人間みたいにお付き合いして勇者を見つけるのが悪い訳じゃないけど、やっぱり魔物なら自分の事をアピールしたい。惚れるより惚れさせたいのと同じだよ。もし、自分の培ってきたもので篭絡できたら、やっぱり嬉しいでしょ?」
自分の事を知ってもらうために“襲う”のだ。
だから、魔物は例え前から交際があるにしても襲おうとする。それに、魔物たちは、たくさんの困難を乗り越えた方が愛情もより深いものになると考えているのだ。
「てっきり、“精”ために襲うとばっかり思ってた」
「他にも純粋に人との関わりを求めてっていうのもあるけどね」
「なるほど、それは分かった」
今度は僕が首を捻ると、ディアンは悪戯っぽく口の端をあげた。
「俺も一ヶ月程前にマンドラゴラに襲われたからね」
「もう!」
なんで魔物の触れて欲しくない場所を突くかな。
「悪かったって、ほら、クレープでも食べよう」
頬を膨らまして拳で背中を叩くと楽しそうにカラカラと笑った。そんな風に言われたって全然反省しているようには見えない。大体、甘い物で釣るのも短絡的じゃない?
それに、僕は別に甘い物が特別好きって訳じゃないよ。食事はあくまでも趣味であって、その中でも甘いっていう味覚が一番好きってだけ。辛いのは口の中が痛くなっちゃうし、苦いのは合わなかったんだ。
「イルは何にする?」
「サンデーストロベリーチョコレートスペシャルにする」
「じゃあ、チョコレートミックスとサンデーストロベリーチョコレートスペシャルを一つずつ」
「はい、かしこまりました」
言いたい文句はいっぱいあったけど、ディアンは僕の手を引いてそのまま売り子に声を掛けてしまったので渋々従う。
「200ゴールドと250ゴールドとで合わせて、450ゴールドですね・・・はい、500ゴールドですね、50ゴールドのお釣りになります」
「ディアン、僕だって自分の分ぐらい出すよ?」
「俺が誘ったから良いの、席に座って待っていて」
手伝いしているとディアンは下宿代と診療代を差し引いた額の給料をくれる。小遣い程度でも、出ているならやっぱり出さないといけない駄目な気がするのに、毎度毎度ご馳走してくれる。今回もディアンが財布から肉厚の銅貨を5枚出して、店員から一回り小さい銅貨1枚受け取ってしまった。
何が“俺が誘ったから良いの”だよ、誘うのは魔物の役目なのに
納得いかないと思いつつ、膨れっ面でディアンを通りに並べられているテーブルに座って待つ。ほどなくして両手にクレープを持ってやってきた。
「はい、イルの分」
「ん、ありがと」
ちょっぴり豪華なクレープを受け取ってかぶりつく。
やっぱり甘い物を食べている時は幸せかも。前に、コカトリスのフウが山の中を走り回った後は甘い果物を食べると疲れが取れると言っていた。きっとそれと同じだ。
ディアンはクスクスと笑いながら、クレープの端を齧った。
「あ、コラ。顔にチョコが付いてるぞ。小さい子供じゃないんだから・・・ほら、動くな」
「ヘヘッ、ごめんなさい」
一体どうやったら鼻の頭なんかに付くんだか、なんてぼやきながらポケットからハンカチを取り出して僕の顔をぬぐってくれた。自分の事を気に掛けてくれるのが嬉しくて本当は駄目なのは分かっているのだけど、ついついやってしまう
「あ、先生。お久しぶりです」
クレープ屋の前でのんびりしていると涼やかな声が降ってきて、振り返ると綺麗な女の人がいた。出来すぎた芸術品みたいな印象を受ける彼女はサキュバスと言われる最もポピュラーな魔物だ。
「久しぶりだね、ルア、調子はどう?」
「えぇ、お陰様で」
前よりも調子が良いくらいですよ
そう言いながら、空いている席についた。
体の運びから指先に至るまで、優雅な動作だ。椅子に座るという極々ありふれた動作なはずなのに、すごく魅惑的だ。テンプテーションも使っていないのに、道行く人が振り返る。僕が真似してやっても、あんな風にはならない。
やっぱりスタイルが良くないと誘惑できないんだな、と納得する。
「駆けつけて頂いた時は魔力の大半が抜けてしまっていましたからね、命の恩人ですよ」
魔物は、第一印象が重要。そんな話を前に習った。もちろん中身もおろそかにしてはいけないけれど、第一印象の良い方が相手の注意も引きやすくなるし、誘惑もしやすい。いくら中身が良くっても、相手の注意を引けなければ意味が無い、という事らしい。
「いやいや、恩人だなんて恥ずかしい。見つけたのはアレサだから、アレサに言ってやってください」
見た目がよければ、誘惑の初歩と言われる“褒め殺し”でさえあれだけの効果をあげる。
分かりきっているはずなのに、男の人ってやっぱり馬鹿だから見え見えのお世辞にひっかかる。ディアンは頬を緩ませて恥ずかしそうに笑った。
サキュバスは悪魔の一種だ。悪魔の言葉を鵜呑みにするのは自分の首に縄をくくりつけてその先を持たせるのと一緒だ。
「でも、助けてくださったのは先生でしょう?」
もう、勝手に襲われてよ。
さっきまで美味しかったはずのクレープの味がなくなったみたいに美味しくない。熱とかも無いから、風邪ではないとは思うけど気分が悪い。なんだか早く家に帰りたくなった。“帰る”と言えば送ってくれるだろうけど、ディアンの仕事は薬師だ。この場を白けさせて、患者さんとの関係が悪くなっても困る。
信頼が大事
ディアンが診察する上でのモットーだ。だから我慢する。
手持ち無沙汰になった僕は、楽しそうに話をする二人を見ながら美味しくも無いクレープをチビチビと齧る。しばらく待ってみても話は終わりそうにない。そればかりか話が盛り上がっている。とっくの昔に自分の分を食べ終わり、まだ八割以上残っているディアンのクレープを奪い取って食べ始めた。
ハーピィに弁当をさらわれたみたいな表情をしたけれど、無視を決め込む。僕だって、お腹が減っている訳でもないのに美味しくも無いものを食べているのだ。どちらかというと作業に近い。
「あら、もうこんな時間ですの?
そろそろお暇しないと・・・」
二つ目のクレープの半分を食べ終える頃になって、ルアは残念そうに呟いて腰を上げた。
「では、先生も今度うちの店に遊びに来てくださいな
特別にサービスして差し上げますから」
「まぁ・・・機会があれば」
もちろん、ルアの店というのは色を売る店だ。
ディアンは曖昧に笑って、サキュバスを見送った。
「・・・なに?」
見送った後、ディアンは微妙な表情を浮かべて僕を見た。
「いや、“なに”じゃなくて・・・それ、俺のクレープだろ・・・」
そう言って、残り一口大になったクレープを指差した。
「あ・・・全部食べちゃったよ、コイツは・・・・」
パクンとクレープを口の中に放り込むと、心底がっかりしたように肩を落とした。悪い事をしたのは分かっているのだけれど、あまり謝る気にはなれなかった。バツが悪いのは変わりがないので、顔を背ける。
「まぁ、良いや。そろそろ行こうか」
「僕、帰る」
椅子から腰を上げかけていた、ディアンはそのままの態勢で固まった。
「どうした?」
「気分が悪い」
僕が答えると、瞳に心配そうな光が宿る。
「風邪か?」
「ディアン、薬師でしょ」
椅子から立ち上がる姿を見ただけで患者を精密検査並みの正確な資料が作れ、靴の減り方を見ただけで患者のどこの内臓に慢性疾患を患っているかが悪いかが分かるような薬師がなにを間違って風邪なんかを見逃すはずがない。
「仕方ない、一旦家に戻ろう」
「良い、一人で帰れる」
「でも・・・」
「大丈夫、一人で帰れる。それに用事もまだ済んでないんでしょ」
・・・
あのあと結局はディアンが折れて、僕は家の鍵を受け取った。
家に帰り、まず自分のカルテを探した。複雑な魔法薬や強力な薬の調合はやらせてもらった事はないが、簡単な傷薬や止血剤の作り方や急患の応急手当ぐらいは教わったし、一通りの問診ぐらいはできる。当然、カルテや薬の位置はバッチリ把握している。
パラパラとカルテをめくっていると、ほどなくして目的のものは見つかった。
几帳面な文字で詳細に書き込まれているカルテを見て、溜め息を漏らす。
「やっぱり」
確かに、僕の体は前よりも成長している。前より身長は伸びたし、胸の辺りだって前よりずっと女の子らしくなってはいる。カルテを机の上で揃え、元あった所に戻す。近くにある鏡の前に立つと花を頭に乗せた小柄な魔物が写りこんだ。
女の子らしくはあったけれど、あくまでらしいというだけで豊満な魅力はない。
カルテを見る限りだと薬に慣れてしまっているため成長の速度は少しずつ遅くなっているようだ。成体になれるといっても、やはり平均より少し小柄になってしまうだろう。
ファフなら魔物に理解があるし、実際に町で並んで歩いているつがいを見かける。
でも、口を揃えて“魔物”というだけで相手を探すのに苦労する。差別ではないけれど、どうしたって育った文化や思考が違うから溝があるのだ。それは、どうしたって仕方ない。
その代わり、魔物は“少々強引な手段”や“誘惑呪文”という武器を持つ事によって対等の土台に立てるのだ。
でも、武器を持てない僕はどうすれば良いんだろう
臆病な僕には強引な方法なんてできない。テンプテーションだって上手くできない。
二階に上がり、ベッドに身を投げる。
だから、魅力的な体が欲しかった。
そうすれば同じ所には立てると思ったのに
「ひどいや・・・」
コテン、と寝返りを打つ。
あんなのになんか勝てっこない。
魔王様がいるなら、なんで生まれつきにこんなに差があるのか文句の一つでも言ってやりたい。魔王様が文句を直々に聞いてくださると言っても、結局言えない気もするけど・・・
「頑張ってたのに」
自分に言い訳するように呟く。
ふと目をやると机の上に魔法薬の入った瓶が乗っていた。朝、自分で管理できるようにした方が良いと渡してくれたものだ。
「・・・そうだ!」
パッと目の前が明るくなる。
成長が遅くなってしまったのなら、薬の量を増やせば良い。自己管理と言うのだから、そういう事も含まれているに違いない。
今日の分も含めて、二本分の瓶のフタを開ける。ツンと薬草の匂いがした。この魔法薬は味がヒドイなんてものではないのであまり飲みたくない。
「うぇ・・・にがい・・・」
二本だとかなりキツイけど、それで成長してくれるなら安いものだ。
きっとこれで明日には
安心したのも束の間、強烈な吐き気に襲われる。
とっさに桶を探すけれど、そんなもの部屋に置いておくはずがない。下になら、そう思い部屋を出ようとすると、足元がふらついた。壁に手をつかないと立っていられない。頭が割れるように痛くて、全身に気持ちの悪い汗が纏わりつく。
あと少し
そう思いながら、階段を降りた所で僕の視界はブラックアウトした。
・・・
目を覚ました時、僕はいつものベッドの上にいた。ランプに火が灯っている所をみると、多分夜だろう。半日ぐらい寝ていた事になるのかな。
身を起こすと額に乗せられていた濡れタオルがペシャリと落ちた。まだ少し気持ち悪くて倦怠感はあるけど、あの時より大分マシだ。
記憶を辿っていると、誰かが階段を上がってくる足音がした。多分、ディアンだ。きっと僕の事を介抱してくれたのだろう。ディアンは患者と接する時はとても優しい。優しくしてくれるかな、なんてちょっぴり期待してみる。
「なんで二本も飲んだんだ」
けれど、あっさりと、その幻想は打ち砕かれた。
ディアンは部屋に入ってきて、僕が起きている事を見つけると開口一番にそう言った。口調は静かだけど抑揚がなく、全身からは怒気がにじみ出ている。こんな姿は見た事ない。いつも患者に接する時はあんなに優しいのに・・・
机の上に空になった小瓶を置く。
「この薬が、強い薬だと分からなかった訳じゃないだろ」
それとも、心配でもさせたかったのか
ザクザクとディアンは僕の心を刻む。そんな言い方しなくたって良いじゃないか。
強い薬だとは分かってはいたし、心配させるつもりは無かった。
違う、と叫ぼうとした言葉はただ口から漏れた。
「じゃあ、なんだ」
陽炎のような怒りの炎を瞳に宿して問う
(・・・そんなの決まっているじゃないか)
けれど反論の言葉もただの嗚咽になり、目からは雫がポロポロと零れ落ちる。小さな部屋を沈黙が包む。
「心配、したんだよ?」
不意に優しい手付きで僕を抱き寄せた。
ともすれば聞き逃してしまいそうな掠れた声だったけど、その声は優しくて心からの安堵の色がにじむ。顔を上げてみれば、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
「昼から様子が変だったからさ、心配だったから早く帰ってきたら廊下で倒れていたんだ」
そっと繊細なガラス細工を扱うように頭を撫でる。
そこで、やっと怒ってくれていた理由を理解した。
どんなに副作用が少ないといわれている薬でさえ、用法や用量を間違えれば毒にしかならない。それが体に直接働きかけるような強力な魔法薬であれば、副作用どころではすまないかもしれない。
だから、本気で怒った。
「ごめんなさい」
すんなりと謝罪の言葉が出た。
しっかりと僕を見て信頼してくれていたのに、僕は自分の事しか考えていなかったし、それどころか僕の方が約束を破っていた・・・
ディアンは柔らかく微笑む。
「もう駄目だよ」
君は大切な人だからさ
「ほぇ?」
突然の告白に耳を疑う。僕がポカンと口を開けていると、しまった、みたいな顔をした。
耳まで紅葉みたいに真っ赤にして、目を泳がせる。
「あ、いや・・・変な意味じゃないぞ、大切な事には間違い無いけど・・・他意は無くて・・・その、家族っていうか、妹みたいに大切って意味だからな?」
だから、安心して良い
ディアンは頼んでもいない言い訳を口にした。
マンドラゴラは家族というのは良く分からない感覚だ。一応、血縁関係みたいなのはあるにしても、幼少期は土の中で生活しているため両親に直接会う事はない。僕もお父さんとお母さんの顔を知らない。
だから、僕には良く分からない例えだ。
良く分からないけど、大切にしてもらえているというのだけは伝わった。
今はそれで十分だ。
「ありがと」
本当に嬉しかったから、さっきみたいに素直に言えるはずだったのにポソポソとしか言えなかった。顔もなんだか熱いし、変だ。全部、薬のせいという事にしておこう。
ディアンは曖昧に笑って、頬を指で掻いた。
「おかゆを作ってくるけど、何か食べたい物ある?」
「ううん、おかゆだけで大丈夫」
着替えと固く絞ったタオルを渡して訊いた。僕は首を横に振る。マンドラゴラは光合成で栄養はまかなえるので、光合成できない時以外は基本的に食事を必要としない。そのため、人と比べると消化器系がどうしても弱い。体調が悪い時は、人以上に食べ物を選ばなくてはならない。
ディアンもその事は分かってくれているので、分かった、と言って立ち上がる。
クルリと背を向けて部屋を出て行こうとする。
折角のチャンスなのに!
「うん?」
思わず、手を掴んでしまった。
暖かい日溜りみたいな匂いのする手。
「イル?」
無防備に首を傾げる。
僕は答えられない。
頭の中がグチャグチャになって、なんて言って良いか分からない。武器も持てない、誘惑の言葉だって紡げない、半人前以下の半人前。
でも見つけたんだ、そんな半人前に付き合ってくれる、お人よしな勇者を。
初めて、僕は勇者と向き合う。
「その・・・」
「うん」
ディアンが僕を見る。僕もディアンを見る。
「えっと・・・食べたいものが・・・ある・・・」
「言ってごらん?」
耳元まで心臓の鼓動が聞こえる。
手を握る指に力をこめる。
どうか、僕に勇気を下さい。
祈るように、瞳を閉じる。
「・・・クレープ」
「駄目に決まっているだろ」
ディアンは溜め息混じりに肩をすくめて、ポン、と頭に手を置いてから再び背を向けてしまった。取り残された僕は、ベッドの上でしょぼくれる。
やっぱり言えない。僕には勇気が無い。
結局、チャンスを逃した。
カチャリと扉が開く。
「元気になったら、な」
部屋の外から、ディアンは言った。
「うん!」
「じゃあ、待っているよ」
そう言い残し、パタンと扉を閉じた。
頬が緩むのを我慢できずに毛布に顔を埋める。
やっぱり、勇者だ。
優しくて、お人よしで、ちょっぴり間の抜けている勇者。
僕、一人前の魔物になるよ。ディアンに負けないくらいの立派な魔物になるから。
だから、ちょっとだけ・・・ちょっとだけ待っててね!
10/01/31 19:59更新 / 佐藤 敏夫
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