だれかに願った、宇宙のはじっこ。
「風太や、稲荷寿司はいらんかね?」
縁側でのんびりと休んでいる青年に、彼の祖父にあたる武満が平皿を持ってきた。
風太と呼ばれた青年は、子供のように目を光らせて武満にバッと視線を移す。
「稲荷寿司!? 食べる!」
「ほいじゃ、爺ちゃんと一緒に食おうかのぉ」
皺くちゃの顔に笑みを浮かべて、武満は風太の隣に座った。
無地の黒シャツと作務衣が並んで縁側に座り、間には平皿に乗った大量の稲荷寿司。
風太は、その一つを掴んで豪快に一口かじった。
「やっぱ稲荷寿司は爺ちゃんのが一番なんよねぇ、なんか秘訣とかあるん?」
「大した工夫はしとらんのぅ……、なんなら今度一緒に作るか?」
「マジ!? 教えて教えて! 向こうで皆にも勧めたいし!」
はしゃぐ風太に相好を崩し、武満は満足そうに頷いた。
常盤風太は県外の高校に通う学生であり、土日祝日と休みが連なり帰省していた。
折良くも今日から三日間お祭りもあるらしく、風太はタイミングが良かったと浮かれていた。
「油揚げの味付けと具にちょいと秘訣があってのぅ」
「味付けは見たことあるけん大体わかるけど、具?」
「自然薯じゃよ自然薯。分からぬか?」
「あ、これ自然薯やったの!?」
家を離れても素直なままの孫に武満も気を良くし、稲荷寿司を食べては作り方の推論を述べる風太に細かく教えていく。
半分にぱっくりと食べた稲荷寿司をまじまじと見つめ、風太は感嘆の声を零した。
「というか爺ちゃん、こんなに稲荷寿司つくってどしたん?」
「今晩から祭りがあるじゃろう? そこの稲荷様に差し入れじゃ」
「じゃあ食べちゃダメじゃん!」
「ハッハッハ、安心せい。別で作っておるからの」
わたわたと慌てる風太の様子がおかしかったのか、武満は笑い声をあげた。
祖父の言葉に安心し、風太は胸を撫で下ろして稲荷寿司を一つ頬張る。
むぐむぐと口を動かす孫に微笑み、武満はポンと手を打った。
「そうじゃ風太。どうせじゃけぇ歌緒ちゃんのとこに持っていかんか?」
「歌緒に?」
「うむ。お前が帰ってから、まだ歌緒ちゃんには会っとらんのじゃろ?」
そう言えば、と風太は顎に手を当てる。
彼の幼馴染にあたる伊吹歌緒に、確かに彼は会った記憶がなかった。
「そだね。じゃあ、ちょっくら歌緒ンとこに行ってくるけん、爺ちゃん!」
ひょいっと縁側から飛び降り、風太は二カッと笑って振り返る。
そんな彼にサランラップを付けた平皿を手渡し、武満はやはり皺だらけの手を振った。
「いってらっしゃい」
「行ってきまーっす!」
皿を受け取ったかと思うと駆けだす風太。
間延びして聞こえる『行ってきます』に口元を綻ばして、武満は垣根の向こうを見やる。
快晴の下の雛蕗神社からは、祭りの準備をしているであろう荒男の喧騒が響いていた。
「…………お前にはちと酷かもしれぬなぁ、風太」
◆ ◆ ◆
「歌緒のやつ、元気にしてっかなぁ」
ボサボサの頭に平皿を乗せてバランスを取りながら、風太は畦道をのんびりと歩いていた。
彼の記憶を辿れば、歌緒はかなり病弱な幼馴染である。
長い付き合いの風太だが、県外に進学してから歌緒には久しく会っていない気がした。
実際、彼が帰省する都度に訪ねても、体調が芳しくないらしく会えないことも多々あった。
「おー、ここだここだ!」
見覚えのある塀を見つけて、風太は器用に頭に平皿を乗っけたまま駆けだした。
和式の大きな門の影に入り、彼は人差し指でインターフォンを押す。
ぴんぽーん、と間の抜けた音が響き、すぐに閂の外れる音と門の軋む音が響きだす。
開いた門の先には、二部式浴衣を纏った歌緒が門に手をついて立っていた。
墨の流れるような黒髪は相も変わらず、濃紺の生地に咲く鮮やかな花模様の浴衣は初めて見た。
風太が久しぶりに会った歌緒は、身長が少し伸び、少し細くなっていた。
「お久しぶり、風太ちゃん」
「こっちこそ久しぶりやね、歌緒」
武満相手とは違い声量を下げて、風太は青白い顔で微笑む歌緒に二カッと笑い返した。
「まぁ、誰もいないけど上がってよ。それで、一緒にそれ食べよ?」
「ありゃ、誰もいないん?」
「うん。私のことはいいからって、お祭りの準備に行ってもらったの」
そっか。
それだけ言って、風太は歌緒の華奢な手を当然のように取った。
歌緒は少しだけ目を丸くして、ふんわりと微笑んで彼の手を握る。
「歌緒の部屋って、こっちだったっけ?」
おぼろげな記憶を頼りに風太が指差した先は、確かに昔からの歌緒の部屋だった。
自信なさげな割にしっかりと憶えている風太に、歌緒はクスリと笑った。
「うん、合ってる」
「おっしゃ。さすがおいら」
グッとガッツポーズを取って歯を剥き出しにして笑う風太。
昔と何ら変わりのない彼に、歌緒はただただ嬉しそうに頬を染めて微笑んでいた。
玉砂利をスニーカーとサンダルが歩き、二人が着いた先はちょうど木陰となっている縁側だった。
縁側を越えた部屋に敷かれた布団は中途半端に捲れており、さっきまで歌緒が寝ていたのは明らかだった。
「わっ、ごめ、す、すぐ片づける!」
だらしないと思ったのか、歌緒は耳まで赤くなって駆けだそうとした。
が、その手を引っ張って風太が止める。
「別にいいんよ。体調、今日も悪いん?」
「ううん、今日は体調いいけど……、でもさすがに片させてよ風太ちゃん!」
「かまんかまん。別においらの部屋じゃないけん」
「私の部屋だから私が気にするの!」
ぷーっと頬を膨らませる歌緒を無視して、風太は快活に声をあげて笑った。
ふくれる歌緒の膝裏に手を回し、風太は軽々と彼女を抱え上げる。
俗に言う、お姫様抱っこと言うやつだ。
「ふゎ……っ!?」
「軽いなー歌緒。ちゃんと食っとるん?」
カラカラと笑う風太とは対照的に、歌緒は吃驚したのか目を丸めていた。
そんな彼女に構わず、風太はスニーカーを脱いで縁側に足を掛ける。
ギシリと軋んだ縁側に歌緒を座らせて、彼も隣に腰を下ろした。
「どっこいせっと」
「……吃驚したぁ、風太ちゃんなにか部活でも始めたの?」
「んー、ボランティア部に入ったんよ」
(ぜんぜん運動部じゃなかったよ……)
力の抜ける発言に歌緒は呆れ交じりの苦笑を零し、か細い足を所在なさげにぶらつかせた。
そんな彼女を呵々と笑い、風太は頭の平皿を手に取ってラップを剥ぎとる。
稲荷寿司の山の一つを頬張り、彼は歌緒に皿を差し出す。
「んまー、やっぱ稲荷寿司は爺ちゃんのが一番よー」
「武満さんが作ったの?」
「ほぉよ? 帰ったら作り方教えてもらうぜぃ」
「……風太ちゃんが作ったやつの味見、私がしてもいい?」
ほんのりと頬を赤らめて、小首を傾げて尋ねる歌緒。
そんな彼女に風太は勿論と頷く。
「じゃあ、今晩作ってきていい?」
「せっかちだねぇ、風太ちゃん」
「善は急げって言うやない? それに歌緒には感想聞きたいけんね」
チビチビとかじる歌緒に対して、風太は稲荷寿司を一口で頬張ってはむぐむぐと口を動かす。
柔らかそうな頬に朱を滲ませる彼女にくすりと笑い、風太はもう一つ稲荷寿司を口に放り込んだ。
彼が寿司を二つ食べる間に、ようやく一つ食べ終えた歌緒は人差し指を立てる。
「そうだ、風太ちゃん。今晩、一緒にお祭りにいかない?」
「お祭り? 歌緒、大丈夫なん?」
「そんなに混まないし、きっと大丈夫だよ」
相変わらず大袈裟なんだから。
そう茶化して歌緒はもう一つ稲荷寿司に手を伸ばす。
「それにいざってときは風太ちゃんが負ぶってくれるんでしょ?」
「……まぁ、おいらも歌緒と行きたかったけんかまんのやけど」
煮え切らない態度で不承不承に頷き、風太は不安げに歌緒の顔を窺う。
顔色こそ青白いものの、その笑みは無理して作っている代物ではないのは確かだ。
むしろ、一緒に行きたいと必死に訴えているようでさえある。
もともと彼女には弱い風太は、渋面でボサボサの頭を掻き乱す。
「…………絶対に無理はせんでくれよ?」
「うんっ、ありがと風太ちゃん!」
あー、おいらこの笑顔に弱いんよねぇ……。
花が咲いたように光る歌緒の笑顔に、風太は微妙な表情を浮かべる。
「うにゃー……」
「あはははは♪」
へんなりする風太に歌緒はご機嫌に笑い声をあげた。
世界は今日も彼らとは別の軸で回転している。
それを再認識させられた青年、常盤風太、若干16歳であった。
武満であればしっかりと断れていたのか、風太はそんなことを考えて稲荷寿司にかじりついた。
「楽しみだねぇ、風太ちゃん♪」
「おいらは気が気でないよ……」
「じゃあじゃあ、7時に鳥居で待ち合わせね? 約束だよ?」
「しかも聞いてないやん……」
がっくりと肩の下がる風太であった。
心配なのは体調もさることながら、その天然ぶりも風太の心配どころである。
「けふっ、こほっ……ぇふ……っ!」
唐突に、歌緒が口元に袖を当てて咳き込む。
それに慌てて、風太は腰を浮かしかける。
しかし、歌緒はそれを左手を挙げて制した。
「ぇほっ、くふ……っ、だ、だいじょうぶ……こほっ」
「ぜんっぜん大丈夫に見えねえよ!」
歌緒の制止を無視して、風太は立ち上がって彼女の部屋に入る。
案の定とでもいうべきか、すぐ机の上に錠剤と水の入ったペットボトルが置いてあった。
その二つを手に取り、風太は慌てて彼女に渡した。
「ほら、飲め」
「ありがと……ぇふっ」
水を口に含み、歌緒は錠剤を呑みこんだ。
以降も多少は咳き込んだものの、歌緒は見るも明らかに落ち着いた。
「ごめんねぇ、風太ちゃん……」
「謝るなって、こんなの昔からのことやん?」
茶化すように肩をすくめて、風太は彼女の背中を優しくさすった。
昔よりもどこか小さく感じられた背中に、彼は押し黙った。
よくよく見てみると、歌緒が咳き込んだ浴衣の袖がうっすらと赤く染まっていた。
「…………………」
「あは、は……、もう、大丈夫だ、よ……」
だからお前、友達出来ないんだよ。
声に出さずに、風太は口の中でそう呟いた。
八方美人で人当たりがいいくせに、肝心なことや自分のことには踏み入らせない。
変わらぬ幼馴染の悪癖もやはり相変わらずで、風太は悔しげに歯噛みした。
「……ねぇ、風太ちゃん」
「……なに?」
「一緒に行くって、約束してくれるよね?」
青い顔で、にっこりと笑って彼の顔を窺う歌緒。
今度は、無理しているとあからさまな弱々しい微笑みだった。
それでも、分かり易すぎるために断れない風太は、やはり彼女に弱かった。
「……7時、な。鳥居、だよな?」
「……! うんっ!」
歌緒の頼みとなると断れない、風太のこれも昔からの悪癖だった。
◆ ◆ ◆
「歌緒ちゃんは元気じゃったか?」
油揚げに酢飯を詰め込みながら、白々しく武満が尋ねる。
その手際を覗き込みながら、風太は曖昧に首を振った。
「どうだろ……」
気が立っているせいか、風太は少し険を潜めた声になってしまった。
それを咎めることもなく、武満は形を整えた稲荷寿司を皿の上に置いた。
風太はそれを見ながら、鉄鍋の中で煮込んでいた出汁をかき回した。
「少なくともおいらの前では元気にしてたよ……」
「ほぉけ……、あの子らしいのぅ」
武満のその言葉が、風太には皮肉に聞こえた。
聞き流せない自分に苛立ちながら、風太は鍋底をお玉で打った。
「若いのぉ、お前は」
「爺ちゃんと比べんなよ。おいら、まだ高校生だぞ」
「そういう意味じゃないわい」
出汁をたっぷり吸ったお揚げを一つ手に取り、具を混ぜ込んだ酢飯を油揚げに詰め込む武満はカッカッカと大きな声をあげて笑った。
ではどういう意味なのか、残念ながら風太には考え付かなかった。
「少しはお前も歌緒ちゃんを見習うがええ」
「歌緒を? 何で?」
「先天性心臓弁膜症」
唐突に、風太には聞き覚えのない単語が述べられる。
せんてんせいしんぞーべんまくしょー、辛うじてしんぞーが心臓を指していることは頭がいいわけではない風太にも理解できた。
「なに、それ?」
「歌緒ちゃんの病気じゃよ。もう、長くはないらしいぞ」
「 」
開いた口が塞がらない、まさにその言葉通りだった。
長くない、なんて婉曲的な表現でも、風太にも充分伝わった。
「 は?」
ようやく出てきた言葉は、そんな間の抜けた声だった。
鍋をかき回す手も止まり、風太の表情は能面でも張り付けたかのように眉一つ動かせなかった。
そんな孫にさして驚いた様子もなく、武満はもう一つ稲荷寿司を握った。
「儂も詳しいことは知らぬ。が、歌緒ちゃんに直接聞いたわい」
「…………おいら、何も聞いてねえんだけど」
「お前に言いたくなかったんじゃろ」
何で、そう聞くこともできずに風太は思い出したかのように鍋をかき回した。
歌緒の性格を考えても、そんな理由を推し量れるほど風太は賢くない。
「……今日さ、お祭りに行ってきていい?」
「歌緒ちゃんとか?」
「……うん」
頬を掻きながら、風太は曖昧に頷いた。
もやもやと曇る胸中がいったい何を考えているのか、彼は自分でも理解できていない。
それでも、歌緒にちゃんと会わないといけないことだけは分かっていた。
会って何を言うか、は別として。
「歌緒に稲荷寿司作るって、言っちゃったし……」
「お前は成長せんのぅ」
「成長ってのが……、歌緒のこと指してんなら、おいらは成長しなくていいよ」
「む?」
冷めたどころではない。
長くないということを自覚しながらも変わらぬ歌緒の姿は、風太にはどこか気持ち悪くすら思える。
風太の記憶に残っているさっきまでの彼女の姿は、諦観しているようにしか思えなかった。
「爺ちゃん、おいらだって爺ちゃんだっていつかは死ぬよ。でもさ、死ぬのを覚悟するのはどう間違ったって成長じゃないと思うんよ」
記憶力が優れているわけではない風太もしっかりと憶えている言葉が一つだけあった。
子供の頃に歌緒が言っていた、冗談じゃない言葉だ。
『あした生きてたらありがとう。きょう死んでたらさようなら』
いま風太が思い出せば、別れ際に歌緒はさようならと言っていた。
いつ死んでもいいと思っているのか、そう思うと虫唾が走っていた。
「言っとくけど、爺ちゃんも同じやけんね」
「……何がじゃ?」
「病は気から。身体が弱くても、心は強く」
死ぬ覚悟なんか、絶対に許さんぞ。
悔しそうにそれだけ言って、風太は自分で作った稲荷寿司をタッパーに詰め込んだ。
武満が作ったものと違い、少しだけ形が歪だった。
「じゃ、そろそろ行ってくる」
そう言って片手を挙げて台所から出ていく孫の姿を見送って、武満は小さく笑った。
「……儂の孫も、馬鹿にできんのぉ」
空を見上げると、まるで宇宙が広がっているようだった――。
なんて詩的なことを呟いて、風太は鳥居に凭れかかって階段下の縁日を見下ろしていた。
提灯が張り巡らされ、屋台が道なりに並び、無邪気な笑い声が別世界のように遠い。
「歌緒のやつ……、死んじゃうのか……」
病弱なのは昔からのことだったが、死に至るまでとは風太には思いもよらなかった。
吐血こそしたものの、歌緒なら大丈夫だと思っていた。
「県外なんて、行くんじゃなかった」
抱えた膝に、頭を埋める。
この三連休が終われば、常盤風太はいつ死ぬかも分からない伊吹歌緒とお別れになるのである。
想像したくもないことだが、今生の別れとなる可能性はひどく高い。
一緒にいるのが当たり前だった幼馴染が、自分のいない間に死んでしまうという洒落にもならない話は、風太の頭に重い現実として圧し掛かっていた。
「……嫌だな」
それ以前に、風太は歌緒が死んでしまうことが嫌だった。
こんな片田舎の隅っこで、風太のように外を知ることもできずに、伊吹歌緒は死を受け入れた。
しかし、彼には、それを受け入れるほど心が強くはなかった。
「…………いやだよぉ……っ!」
ぽたりと。
石段に雫が落ち、じんわりと染み込む。
「なんでっ、歌緒ちゃんが死ななきゃいけんのよ……っ!」
嗚咽交じりに、風太は誰もいない境内で泣いていた。
理不尽な死を縋ることなく受け入れた彼女自身よりも、誰よりも彼女の死が風太には怖かった。
ひょっとすれば、明日には会えないかもしれない。
それどころか、待ち合わせの時間になっても来ないのはそういうことなのかもしれない。
泣きじゃくる彼の想像は、悪い方へ悪い方へと傾いていった。
「悪いこと、なんもしとらんのに……っ!!」
苛立ち紛れに石畳に打ち付けた拳が赤く腫れる。
鈍い痛みを拳に感じながら、ギリギリと歯を軋ませる風太。
その双眸からは、滂沱と流れる澄んだ涙。
「死なんでよ歌緒ちゃんん……っ、おいら、お前が死ぬなんて、嫌だよぉ……っ!!」
――――――――――――――――――――――――。
淫らに、青い焔が、揺蕩った。
風太の慟哭の背後で、ゆらゆらと揺れていた、さながら鬼火のような青い焔。
梅雨の蒸れた空気を焦がして、焔は不意に消えた。
「う、うぅ……っ」
背後の異様に気付くことなく、風太は膝に顔を埋めたまま泣き声を噛み殺した。
結局、その晩に伊吹歌緒が鳥居に来ることは無かった。
見かねた武満に連れ帰られた時には、彼は泣き疲れて眠っていた。
◆ ◆ ◆
風太が目を覚ますと、見慣れた天井が視界に広がった。
確か鳥居の傍で歌緒を待っていた筈では、と寝ぼけた思考で思い出す。
上体を起こし、彼が見た窓の外はそれなりの高さに陽が昇っていた。
「………………」
――寝ちゃったのか、おいら。
朧げな記憶を辿り、風太は寝惚け眼をグシグシと乱暴に擦る。
神社本殿にお供えをした武満が連れ帰ったのであろうことは、すぐに予想がついた。
「……歌緒ン家、行こっか」
もそっと呟いて、風太は適当に着替えて家を出た。
相も変わらず、伊吹家の門は割かし堅く閉ざされていた。
ひょっとすると歌緒の体調が悪く、今日は会えないかもしれないと風太は危惧していた。
何せあれだけ楽しみにしていた歌緒自身が待ち合わせに来なかったのだ。
はぁ……、と風太は小さく溜め息を零した。
「……んー」
会いづらい。いや、正確には風太が会いたくない。
風太の指はインターフォンを手前に止まっていた。
彼は、歌緒が死ぬと分かっていていつも通りに彼女と接せられるか心配だった。
「…………偉そうなこと言っといて、おいら弱いなぁ」
自嘲気味に呟いて、風太は指を下ろした。
その背後からひょこっと、歌緒が顔を覗かせた。
「風太ちゃんのヘッタレー♪」
「ぬおわっ!?」
風太、吃驚仰天。
慌てて彼が振り向くと、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべる歌緒の姿。
心なしか、昨日よりも血色のいい顔色である。
「うた……お? お前、家、出てていいん……?」
「ふっふっふー、今日の私はちょっと絶好調なんだよー♪」
そう言って、くるりと回り浴衣の裾を摘まみ上げる歌緒。
細身ながらも艶めかしい太腿が露わになり、風太はぷいっと視線を逸らした。
――ちょっと絶好調って何ぞ……。
呆れながら風太が視線をちらりと彼女に移すと、妙に色っぽく感じられた。
浴衣の丈はいつもより短く、変に着崩して肩も露出させている。
「歌緒、暑いのか?」
ぽりぽりと頬を掻いて、風太は間の抜けた顔で首を傾げた。
その態度にガクッと膝の崩れる歌緒。
「さすが風太ちゃんだよ……」
ぽしょっと呟かれた言葉は聞こえず、唐突にくずおれた幼馴染に風太は慌てた。
「お、おい大丈夫か?」
「んー、ちょっと目の前の生き物に眩暈がしただけだよ……」
遠い目で呟く歌緒に、風太は疑問符でも浮かべたような表情になった。
まぁとりあえず、そう前置きして風太は着崩した彼女の浴衣を適当に戻す。
呆れたような、疲れたような溜め息を零して、歌緒はされるがままである。
が、唐突に何かに気付いたかのように鼻をヒクつかせる。
「ん? すんすん、すんすん……」
まるで犬のように鼻をピクピクと動かして、歌緒は風太に嗅ぎつく。
彼とは違いそれなりに品のある筈の彼女にいきなり寄られ、風太はびびった。
「う、歌緒……?」
「ねぇ、もしかして風太ちゃん、油揚げ持ってる?」
「や、持ってねぇ……、いや、稲荷寿司なら……」
「やたっ♪」
諸手を挙げてぴょんと跳ねる歌緒。
信じられないものを見たなぁ、と今度は風太が呆れる番だった。
本当は武満が言っていたことは嘘で、むしろ歌緒はまったくの健康体になったのではないかと疑うほどであった。
「一緒に食べようよ、風太ちゃん♪」
手と手の皺を合わせて喜色満面の歌緒。
頬を桃色に染めて、風太の顔を窺うように覗き込む彼女に、風太はたじろぐ。
彼の知っている歌緒と違い、性格まで自然に明るくなっていた。
「へいへいっと」
「ほら、行こっ?」
適当に頷く風太の手を取り、歌緒は彼の手を引いて。
堅く閉ざされた巨大な門を片手で押し開けた。
「はッ!?」
風太、二度目の吃驚仰天。
彼の与り知るところの非力極まりない伊吹歌緒は、その手羽先の如くか細い片手で身長の4倍はありそうな分厚い木製の門扉をあろうことか押し開けたのだった。
それも、かなり無造作にである。
「言ったでしょ、私、今日はちょっと絶好調なんだよ?」
事もなげに首を捻って言う歌緒。
女子、一晩会わぬ内に化け物と相成りて。
風太は夢でも見ているのかと疑うほどである。
「……お前、実は偽物とかじゃないよな?」
「ひっどいなぁ……、疑うんならちゃんと見なさいっ」
そう言って歌緒は、頬を膨らませて風太と触れ合いそうなほどに距離を詰める。
心が落ち着くような抹香の香りとは裏腹に、彼女の端正な顔の接近に風太の心臓が跳ねた。
思わずのけ反る彼に、歌緒はずいっと顔を近づけなおす。
「……というか、風太ちゃんこそ本物なの?」
「へ?」
「……昨日から気になってたけど、何で歌緒ちゃんって呼んでくれないの?」
風太が県外へ進学する前、即ち中学校卒業までの間、彼は歌緒をちゃん付けで呼んでいた。
高校に入ってから何となく気恥ずかしくなり、あえて呼んでいなかっただけだ。
しかし、改めて問われると風太も何とも言い難い。
本当に何となくだからだ。
「いや、おいら本物だよ?」
「言うだけなら簡単だよねぇ……」
意地悪く微笑んで、やはり意地悪くそう言う歌緒。
初めて見る彼女のそんな態度に慌てて、風太はしどろもどろに弁明する。
「ほ、本当だってば歌緒……」
「どうだかぁ? やっぱり歌緒ちゃんって呼んでくれないしさぁ」
「……ちゃん」
いつもより押しが強い。と、いうか意地が悪い。
この場はとりあえず丸く収めようと、渋々ながら風太は彼女をちゃん付けで呼ぶことにした。
そんな物言いでも彼女は満足らしく、花が咲いたように微笑んだ。
「うんっ、本物の風太ちゃんだね♪」
ギュッと。
歌緒は身を預けるように、風太の腕に抱き着く。
「…………っ」
腕に感じる確かな重みと、柔らかい感触に、太鼓のように弾む心音。
汗ばむような夏の気温さえ、涼しく思えるような、あたたかさだった。
風太には、とても長くないあたたかさには思えなかった。
「……今晩は」
「ん?」
「今晩は、一緒にお祭り、行くんよね?」
本人は至って何気ないつもりで、腕を抱く歌緒に訪ねる。
控えめな胸を押し当てる彼女と違い、幸いにも風太の心拍は彼女に伝わらない。
平静を装う彼の問いかけに、彼女は頬を染めてはにかんだ。
「うん、一緒に行こ♪」
――この笑顔に弱いんだよなぁ。
如何にテンションが上がっても、例え馬鹿力を発揮しようとも、その柔らかい微笑みは子供の頃から変わることなく、風太の大好きな笑顔だった。
慣れ親しみすぎたせいか、それが惚れた弱みとも知らず、風太も彼女に頷いた。
「歌緒と祭りっていま思えばかなり久しぶりやんな」
「じろり……」
「……楽しみやね、歌緒ちゃん」
笑顔にどころか、歌緒に弱い風太であった。
◆ ◆ ◆
綿あめ、タコ焼き、チョコバナナ、焼きそば、かき氷、フライドポテト。
そして風太が作ってきた稲荷寿司を広げて、神社の縁側で二人は縁日を見下ろしていた。
満漢全席とまでは言わずとも、所狭しと並べられた品々の内の主に稲荷寿司にパクつきながら、歌緒は向日葵のような笑顔で祭囃子を見下ろしていた。
「美味しいね♪」
「歌緒ちゃん、そんなに稲荷寿司好きだったっけ?」
「風太ちゃんが作ってくれるなら何でも好きだよ!」
「ふーん」
適当な相槌を打って、風太はタコ焼きを一つかじる。
熱々に蕩けたタコ焼きに舌鼓を打つ彼を、歌緒はじっと見つめる。
「どしたん?」
「いや、美味しそうだなーって……」
「……熱いよ?」
そう言ってフーフーと食べかけのタコ焼きを冷まし、風太は彼女に差し出す。
歌緒は何一つ躊躇うことなく、そのタコ焼きを頬張る。
「ほふっ、はふっ……あっふあふっは!?」
「猫舌なのに無理するからそうなるんよ……」
風太の案の定、悲鳴をあげる彼女にあらかじめ用意していたコップを差し出す。
慌ててそれを受け取った歌緒は勢いよく、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
普段はどこかおっとりしている彼女にしては珍しい姿に、風太はクスリと笑った。
「わ、笑わないでよぅ……」
そんな彼の様子にカーッと顔を赤くし、歌緒は恨みがましく彼を見つめた。
まるで子供の頃に戻ったような、そんな錯覚を覚えて風太は笑いを噛み殺す。
クックッと未だに堪える様子の彼にプーッと頬を膨らまし、歌緒はぶんむくれてそっぽを向く。
「もーぅ……」
「ごめんごめん、なんか懐かしくってねぇ……」
ひらひらと手を振って風太は笑う。
風太が県外に出る以前は、体調を気遣った彼からは歌緒を誘えなかったのだ。
それこそ幼稚園、小学生低学年の頃は毎年行っていた。
そんな昔が懐かしいのは、歌緒も一緒だった。
「そう言えば、そうだね」
「やけん、今日は歌緒ちゃんとお祭り行けて良かったよ」
「私もだよ、だから来年も一緒に行こうね♪」
「……うん、せやね」
来年。
その単語に、風太は少し詰まってしまった。
もう長くないというのは、武満の言うところのどれくらいの期間なのだろうか、と。
三年か、一年か、はたまた一ヶ月か。
考えるだけで、風太の胸が嫌に軋んだ。
「そういえばさ」
と、歌緒。
風太が振り向いてみると、彼女はきょとんとした表情で彼を見ていた。
「風太ちゃん、何で県外の高校に行っちゃったの?」
「え?」
「風太ちゃんのことだからさ、武満さんとか私のこと心配して残るかと思ってたんだ、私」
だからちょっと不思議でさ。
そう言って、歌緒は稲荷寿司をもう一つ頬張って美味しそうに桃色の頬を押さえる。
そんな彼女の様子を見て、風太は少しだけ悩む素振りを見せる。
「んー……、言っても笑わない?」
「笑わない笑わない」
ニッコリと、風太の大好きな微笑みでそう言う歌緒。
それに仕方なさそうに息を漏らして、彼は端的に言った。
「いい高校行って、いい大学行きたかっただけ」
「何で?」
「……これ言うのはちょっと恥ずかしいんだけどさ、お医者さんになりたかったんよ」
薄っすらと頬を赤らめて、風太はポリポリとその頬を掻く。
何となくその理由を察した歌緒も、薄っすらと頬が赤い。
しかし、彼女はにんまりと口端を釣り上げて意地悪そうに追い打ちをかける。
「何で?」
「……言わんとダメ?」
「ダメ♪」
あはは、と苦笑を漏らして風太は照れくさそうだ。
同じように歌緒も、照れくさそうにクスリと笑う。
「爺ちゃんとか、歌緒ちゃんに元気になってほしかったけんよ」
「風太っちゃぁああんっ!!」
ダイヴ & ハグ。
ばびゅん、という擬音がこの場合は正しいだろう。
兎にも角にも、風太のささやかな夢は、歌緒の歓声に呑みこまれるとともに恐ろしい瞬発力で飛びつかれたため、仰天する間もなく押し倒された。
「あーもう本当に愛いんだからぁ♪」
とか言いながら、大型犬でも撫でるように風太の髪をワシワシと掻き乱す歌緒。
そんな彼女を気遣ってか抵抗こそしないものの、唐突に押し倒された彼もドギマギしていた。
「……えーと、歌緒ちゃん?」
「稲荷寿司も美味しかったし、お祭りも楽しかったし、風太ちゃんも可愛いし言うことなし!」
「……ど、どうも?」
「なので、風太ちゃんを抱く、なう!」
「うん、抱いてるね」
どうしようもなく歌緒の筈なのに、風太としては違和感バリバリである。
勢いよく抱きついたせいで肌蹴た浴衣を直そうともせず、歌緒はだらしなく頬を緩ませて彼の頭をしきりに撫でる。
されるがままの風太も、柔らかい感触やら、耳朶を打つ吐息やらに心臓が健全に脈打つ。
「あの、歌緒ちゃん……、ちょっと、離れて……」
「え、何で?」
「いや……、胸とか当たっとるけん……」
――あれ?
そこで風太は気付いた。
伊吹歌緒に、当たるほど胸があっただろうか?
失礼極まりないものの、彼が昨日に見た目算ではそんなサイズではなかった。
着痩せか、はたまた劇的な成長か。
「ん〜?」
意地悪く、いやらしく笑んで。
歌緒は彼に自分の小柄な体躯を更に押し付ける。
バクバクと激しく鳴る風太の心音も、あっさりと彼女に伝わった。
満点の星空、遠い祭囃子、人気のない境内。
ペロリと、歌緒は紅色の上唇を小さく舐める。
「あー、風太ちゃんもお年頃だもんね。卑猥なこと想像しちゃった?」
「ひ、ひわい?」
「えっちぃことだよ♪」
人差し指を唇に当てられて、風太はボッと赤くなる。
割と、図星だった。自覚はないが。
「そそそ、そんなこと考えてないんよ!?」
「別に恥ずかしがることないのに、ね?」
悪戯っぽく囁いて、歌緒は彼の背筋を逆撫でする。
ゾクゾクと肌が泡立つ感覚に、風太はビクッと背筋を伸ばす。
尚も止めようとせずに、歌緒は妖しい手つきで彼の背筋を撫で上げる。
「や、やめぇ……くすぐったいって……っ!」
身をよじり、抵抗とも言えない抵抗をする風太。
それが自身を気遣ってのことと理解しているため、歌緒は嬉しそうにはにかむ。
その笑顔にグッと詰まり、風太はバツが悪そうにそっぽを向いた。
「そう言えばさ、風太ちゃん」
「……何さ」
「昔さ、ここで指切りしたの覚えてる?」
「え、したっけ?」
拗ねていたのもどこへやら、風太は素に戻って首を傾げる。
「ほら、私が風太ちゃんのところにお嫁さんになるって」
「懐かしいなぁ、歌緒ちゃんよく覚えとんね」
「だってほら、私は風太ちゃんのこと大好きだから♪」
パッと花が咲いたように笑う歌緒に、風太は何を今更とニッと笑った。
そんな風にお互いに一しきり照れたように笑いあい、歌緒は一つ頷いた。
「そうだ、風太ちゃんは私に元気になって欲しいんだよね?」
「って、そうよ歌緒ちゃん! そんな激しく動いたりして、体は大丈夫なん!?」
歌緒の口端がニヤリと吊り上がった。
まるで得物を前に舌なめずりするオオカミのようにいやらしく。
しかし、次の瞬間にはそんな笑みも形を潜めて彼女はわざとらしく胸を押さえた。
「うん……、ちょっと苦しいから、風太ちゃんに元気にしてほしいんだ」
「な、なにすればいいの!?」
「簡単だよ」
しゅるり、と。
彼女は浴衣の帯を片手でぞんざいに解いた。
肌蹴るどころか、帯で辛うじて留めていた前も全開になる。
風太の視線は吸い込まれるように玉の汗が浮かんだ小ぶりな胸へ、胸から下へ、臍を越えて彼女の下腹部へと視線が移る。
「う、歌緒ちゃん……?」
病弱だと思っていた割に、少し痩せ気味なものの健康的な体つきに風太はごくりと生唾を呑む。
恐る恐る彼が顔を上げてみると、歌緒は今まで彼が見たこともない表情で自身を見下ろしていた。
妖艶な女狐のように、彼女は上気した顔つきで風太を熱っぽく見つめる。
「大丈夫だよ、私がリードしてあげるから……」
そう言った彼女の瞳に、まるでガスを燃したような青い炎が盛る。
どこか怪しげな雰囲気を醸し出すその焔に、風太は指一本動かせなくなった。
まるで別人の身体に自分が入り込んだかのように、感覚だけはやけに鮮明である。
「風太ちゃんは、じっとしてれば、いいんだよ?」
視線を逸らすことなくそう言い、歌緒は彼のズボンをずり下ろす。
夜の涼しい外気に晒された彼の愚息は、雄々しくもそびえ勃っていた。
「ちょっ、何すんの!?」
「えっちなこと♥」
蕩けるような声音で囁いて、身を寄せていた歌緒は彼のペニスを太腿でキュッと挟み込む。
とても病に蝕まれた身とは思えない温もりに、風太の声が上擦る。
「うっあぁ……っ!」
「あぁん、風太ちゃん本っ当にかわいいんだから♥」
耳朶を溶かすが如き甘い声。
何とも言えない温もりの太腿は、彼の逞しい剛直をじわじわと締め付ける。
未体験の快感に、思わず喘ぎ声を漏らしそうになった彼の唇が塞がれる。
「んんむ!?」
強引に押し付けられたせいか、お互いの唇がむりむりと形を変える。
歌緒の瞳には未だに青い炎が揺蕩っており、風太は逃げようにも動くことが出来ない。
生温かい彼女の舌が歯茎を這い、風太はぴくりと身じろぎする。
「んっ! んんぁ……っ!」
唾液を塗りたくるように、歌緒の舌が執拗に彼の歯茎を撫でまわす。
両太腿もゆっくりと前後に動き、きめ細かい肌が風太のペニスを優しく擦る。
当然、性経験などあるわけもなく、自慰すらしたことのない風太には耐えられない快感だった。
早くも彼の尿道口からは先走りが漏れつつあり、擦りつける太腿から淫靡な水音が響く。
「んんっ、んんぅ!」
塞がれた唇の隙間から、風太はくぐもった嬌声をあげることしかできない。
全身を委ねられ、あまりにも軽い体重と薄っぺらい服越しの柔らかい感触。
ぐにぐにと太腿に竿を圧迫され、彼は歌緒に嬲るようにじわじわと責められていた。
「んぷぁ……、ねぇ風太ちゃん、もう、稲荷寿司ないのぉ?」
糸を引いて唇が離れる。
てらてらと嫌らしく唾液に濡れた唇を歪めて、歌緒はとろんと目尻を垂れて彼に首を傾げる。
淫らに濁った瞳に見つめられ、風太はびくりと身を竦める。
甘ったるい猫撫で声こそ彼女のものの、その目だけは彼には見覚えがなかった。
「う、歌緒……?」
「歌緒ちゃん、でしょ?」
「うたぉちゃ、いぅ!?」
言い直そうとした風太の耳をくすぐるように、ぬるく湿った舌が舐め上げる。
いつの間にか彼の背中には歌緒のか細い腕が回され、優しく抱きしめられていた。
背筋にこそばゆく指が這い、マシュマロのように柔らかい小柄な体躯が押し付けられる。
華奢すぎて今にも壊れてしまいそうな重みに慄くも、彼の体は言うことを聞かない。
のの字を描くように背中で回る指先と、生温かい吐息に蕩かされつつ執拗にねぶられる耳。
太腿に挟まれたペニスも、忘れられることなく擦りあわされる。
「やっめ、ふぁ、ひぇぅ……っ」
「ほら、言ってよ、いつもみたいに……ぇる、れろ、ぴちゃ♥」
「あ、あ、ふぁ……っ」
歯を食いしばろうにも力が入らず、風太の口からは女のような嬌声ばかりが漏れる。
無垢な童顔が恍惚に染まり、羞恥に耳まで朱が差す風太。
歌緒はそんな彼に嗜虐心をそそられ、耳を軽く甘噛みした。
「ふぁっ!?」
「はぷ、ん、ぢる、んん♥」
こりこりと歯でいたぶり、吸い付いたり、ねぶったり、引っ張ったり。
まるで小動物のように風太の耳を嬲りながら、歌緒はもじもじと太腿を擦りあわせる。
先走りだけでなく彼女の蜜壺から溢れた愛液により、しとどに濡れた太腿は淫猥な水音を奏でる。
にちゃにちゃと粘着質な音とともに陰茎に走る快感を、彼は必死に堪えるばかりである。
「うたおちゃ……、やめっ、耐えれんけん……っ!」
「耐えなくていいよ……、ぜんぶぜんぶ、風太ちゃんは私のなんだから……♥」
「むっ、ぅん……っ!」
耳を解放したかと思えば、歌緒は再び貪るように風太の唇を奪う。
太腿はキュッと締めては緩めの繰り返しになり、止めをさす責めである。
締めつけが緩むたびにじんわりとペニスに快感が広がり、気を抜けばいつ暴発してもおかしくない。
そんな快楽を必死に耐える彼を、歌緒は容赦なく苛む。
合わせた唇の隙間から、せがむような甘い声を漏らして彼の背中を優しく撫でる。
か細い舌で風太の舌を絡め取り、太腿の動きは止めようともしない。
「んっ、んぅ、れるぢゅ、ふぅ♥」
「うっん、んんんっ、んん……っ!」
甘く蕩かされた思考では、風太も堪え切れなかった。
深く腰を押し付けて、柔らかい太腿の締め付けが緩み、決壊した。
「ぅ、ぁぁ……」
放尿と違い、びくびくと痙攣しながら白濁を迸らせる怒張。
精液に艶めかしい太腿を白く汚されながらも、歌緒は責めの足を止めない。
むにむにと絞りとるように絶頂したての陰茎を太腿で揉み、最後の一滴までその白肌に受けた。
容赦のない彼女のいたぶりに悶えながら、風太は弱々しく脱力する。
「うぅん…………」
ぐったりと四肢を投げ出す彼に身を預けたまま、歌緒は意地悪く口元を歪める。
彼女どころでなく絶え絶えに息を吐く風太に、彼女は腰を浮かす。
――次はやっぱり……♥
「……ん?」
色欲に耽る歌緒に対して、風太は唐突に眉をひそめた。
遠い祭囃子に集中しなければ呑みこまれてしまいそうなほどの、小さな靴音。
(やばっ!?)
こんなところを誰かに見られたら。
咄嗟の判断で風太は上体を起こし、軽すぎるほどの歌緒を抱きかかえる。
幸いにも、既に金縛りは解けていた。
「きゃっ!?」
「……こ、ここ!」
社の戸を乱暴に足で開けて、薄暗い社内に風太は隠れる。
歌緒を立たせて、その背中を押す。
「こっち、こっち隠れて!」
「ど、どうしたの風太ちゃん!?」
「ひと、人が来るから!」
「そんな押さないで――うゃっ!?」
暗がりの中で強引に押され、歌緒は積まれた段ボールにつまずきバランスを崩す。
段ボールに覆いかぶさるように倒れた彼女を庇うように立ち、風太はシッと口に手を当てる。
その様子にぷーっと頬を膨らませるが、歌緒も黙ってそれに従った。
「見回り……かな?」
懐中電灯の光が一瞬だけ社内に差し込み、じゃりじゃりと玉砂利を踏みしめる音が響く。
いくら田舎と言っても、子供も参加しているお祭りである。
巡回があったとしても、何らおかしくはない。
魔物のおかげでこんな物騒(主に性的な意味で)な世の中である。
(別に隠れることないのに……)
ぶうたれる歌緒に、風太は苦笑を零す。
呑気な性格は相変わらずである。
「ん、何だこの食べかすは……?」
と、社の外で男性の声が響く。
その声に、風太の体が固まった。
綿あめ、タコ焼き、チョコバナナ、焼きそば、かき氷、フライドポテト。
そして風太が作ってきた稲荷寿司。
それらすべてを置きっぱなしにしていたことを、彼はすっかり忘れていた。
「まだ温かいな……、誰かいるのか?」
「っ!?」
「♪」
男の声に風太は冷や汗を流し、歌緒は楽しげに口端を釣り上げる。
先ほどとは別の意味合いでバクバクと心臓を鳴らして、風太は息をひそめる。
そんな彼をニヤニヤと見つめながら、歌緒は意地悪に思考を巡らせる。
カタッ
「ん? 中に誰かいるのか?」
(歌緒ちゃん!?)
(てへっ☆)
あろうことか、彼女は覆いかぶさっていた段ボールを揺すって物音をたてた。
当然、外の男はその物音に気付き、のんびりとした足取りで社の扉へと向かう。
声にならない悲鳴をあげる風太に、歌緒はぺろりと舌を出した。
ギシギシと古木を軋ませる足音に、風太は彼女に覆いかぶさるように抱きついた。
(ふ、風太ちゃん!?)
(隠れないとバレるやん!?)
ただ彼が慌てる姿が見たかっただけの歌緒は、後ろから抱きついてきた彼に驚きの声をあげる。
風太は言い訳のように弁明しようとするも、カラカラと引き戸を開ける音にグッと口をつぐむ。
薄い浴衣も脱げかけの彼女に覆いかぶさり、緊張に心臓を激しく鳴らしながら息を潜める。
「んー?」
懐中電灯の丸い明かりが、薄暗い社内を照らす。
探るように右へ左へと動く光にやきもきしながら、風太は一心に祈った。
(はよどっか行け……!)
「誰もいないのか?」
怪訝な声にそうだそうだと内心で同調し、風太はじっと息を潜める。
対して歌緒はそれどころではない。
先ほどの前戯により、彼女も肉欲をくすぐられ発情気味である。
そんな中、夜とは言え初夏の蒸れた空気にじっとりと汗ばんだ彼に抱きしめられ生殺しである。
(ふ、ふうたちゃぁん……)
(ちょ、歌緒ちゃん!?)
無論、我慢などきくはずがない。
ねだるような猫撫で声で彼の名を呼びながら、歌緒はのしかかる彼の逸物を掴む。
緊張のせいか、未だに硬さを保った逸物を汗の滲んだ手に握られ、風太は慌て始める。
そんな彼の声を無視して、彼女は自身の陰唇に彼の亀頭をあてがう。
「うーん、確かに物音が聞こえたんだが……」
二人の情事に気付くことなく、男はその場で怪訝に首を傾げる。
後ろの男にも気が抜けないため、風太は歌緒を強引に止めることが出来ない。
首を振って止めろと訴える彼を無視し、彼女は無情にも彼の怒張を一気に蜜壺へと引き込んだ。
ミ゛リ……、と接合部から生々しい処女膜を破る感触に、風太は軋まんばかりに歯を食いしばる。
(…………ッ!?)
(ふぁ、おっきぃ……っ♥)
温かくぬめった狭い膣内に、風太は呼吸を止めて声を堪える。
跳ねそうになった体を歌緒にしがみ付くことで耐え、風太は彼女の小さな肩を力強く掴む。
「……気のせいだったかな」
そんなぼやきと共に、彼の背後でカラカラと引き戸を閉じる音が響いた。
玉砂利を踏みしめて離れゆく音に耳を傾けながら、風太は陰茎をキツく膣肉が締め付ける感触に声をあげることなく打ち震える。
にゅぐにゅぐと四方から柔らかく蕩けた感触に押しつぶされる快感に、風太は荒く息を吐いた。
「っは……ァ……!」
「えへへぇ……、これで私、風太ちゃんのモノだね……♥」
艶めかしく腰を揺すり、彼の陰茎を刺激する歌緒。
肉棒を包み込む膣がうごめき、まとわりつくようにヒダが擦る。
「ほらほらぁ、風太ちゃんも動いてよぅ♥」
恍惚に涎を垂らしながらも、歌緒は余裕の表情で腰を振る。
握り込むような圧迫感に晒されたままシェイクされ、風太の視界が明滅する。
柔らかい肉壁に敏感なペニスを擦りたてられ、彼は歌緒にみっともなくしがみついた。
「むり……っ、歌緒ちゃ……っ」
快感に脱力しつつも、風太は懸命に射精を堪える。
爪をたてかねない彼に、あはっと一つ笑って彼女は嗜虐心に満ちた顔で腰を振るう。
「ぅぐ……っ」
快楽に表情を歪め、歌緒は嫌らしく微笑む。
「出すんなら、ちゃんと奥だよっ♥」
そう言って、彼女は風太に深く腰を押し付ける。
剛直が強引に狭く柔らかな肉洞を掻き分けて押し進む感触に、彼の背筋がぞわぞわと泡立つ。
しかし歌緒は腰を止めることなく、ずぷずぷと呑みこむ。
「あ、っぁ、ぅあ…………っ」
腰を引くことも億劫なほどの快感に呑まれ、風太はびくびくと震えるばかりだ。
じんわりと甘い疼きに下腹部が染まり、そこに止めとコツッと硬質な感触。
射精寸前の亀頭に子宮口がぶつかり、彼の頭が真っ白になった。
「ふ、ぐぅぅ……っ!」
「あっはぁぁうぅぅ……♥」
ドクドクと注がれる白濁に歌緒は恍惚と打ち震え、絶頂の快感に頭を焦がされながら風太はぐったりと彼女に凭れかかる。
二度目の射精だというのに、結合部から精液が溢れる。
熱い迸りを一身に受け容れ、彼女もくたっと力を抜いた。
「…………んぁ?」
朦朧とする風太の視界に、まるでガスが燃えるような青い炎が揺蕩う。
まるで歌緒に纏わりつくように、しかし全く熱を感じられない焔。
燃え上がる黒髪に、うっすらと三角耳が立ち上がり、彼女のお尻からも尻尾のように火が揺れる。
「………………」
「ふはぁぁ、生き返るぅぅ……♥」
洒落にもならない独り言を漏らしながら、歌緒は狐のような尻尾を揺らす。
ゆらゆらと尻尾を振っているのか、それとも焔が揺れているのか。
風太は熱さを感じさせないその尻尾に掌を伸ばした。
むぎゅ
「ひゃんっ!?」
(あったかい……)
不確かな存在感でありながら、その尻尾は人肌のような温もりがあった。
もみもみと力加減を変えて尻尾を手揉みするたびに、歌緒の体がびくびくと痙攣する。
「ひっ、あ、ふっ、ふぅた、ちゃん、やめ……っ♥」
「あ、ごめん……」
どこか艶っぽい声で止められ、風太は名残惜しそうに尻尾を放す。
くったりと脱力したように膝を崩しかけ、歌緒はハァハァと荒く息を吐く。
墨の流れるような黒髪から覗くうなじには、しっとりと汗が滲んでいた。
「歌緒ちゃん、お狐さんだったん?」
「…………っ」
風太の疑問符に、歌緒は慌ててパッと頭の三角耳を隠そうとした。
尻尾も怯えるように縮こまり、風太はきょとんと首を傾げる。
「…………どしたん?」
「やっ…………、えっと……、変、じゃない?」
振り向きもせずに、彼女は震える声で尋ねる。
歌緒としては逃げ出したかったものの、風太にはバックを取られていて逃げられない。
そんな歌緒の心境は露知らず、彼はじっと彼女を見つめる。
そして、不意に彼女の尻尾を掴んだ。
「ぅひゃあっ!?」
もふもふ、もふもふ。
透けて見える青い尻尾を無言で弄び、風太はにんまりと口角を持ち上げた。
歌緒はくすぐったいのか、目尻に涙を浮かべるほどに悶える。
「ひゃあっはっふぇへへぇ、やめ、ふぅたちゃっ、うぇへへへ♥」
気色のよろしくない笑い声をあげて、歌緒は弓なりに背をそらして悶える。
彼女の息が切れるまで一しきり尻尾を揉みしだいて、風太もへらっと笑った。
「お狐の歌緒ちゃんは尻尾が弱いんやねぇ」
掻き乱した尻尾の毛並みを梳る風太の声はどこか優しい。
普段通りの声色に歌緒の三角耳がピンと立つ。
くすぐったそうに身じろぎしながら、彼女は恐る恐るゆっくりと振り向いた。
「風太ちゃ……っ?」
「変には見えんよ、歌緒ちゃん」
そんな彼女を押しとどめるように風太は背中から抱きしめた。
あまりにも自然に、さながら大型犬がじゃれつくように、風太はいつもと変わらなかった。
拍子抜けしたように歌緒も赤い頬を緩ませた。
「私、いい幼馴染もったよ」
「じゃあ、おいらはいいお嫁さんを貰ったね」
そんな風に、祭囃子の遠くで二人は笑いあった。
◆ ◆ ◆
「あは、は……」
リュックサックを背負い、困ったように笑う歌緒に風太は頬を引きつらせていた。
尻尾と耳は、相も変わらず淡く揺蕩っている。
なぜかは知らないが狐に憑かれた歌緒は、体力が有り余るほど元気になった。
そして連休最終日の晩、彼女は学校に戻らねばならない風太についていくと言い始めた。
「……迷惑、かな?」
そんな風に言われて断れるほど、常盤風太は図太い性分ではない。
そして断れないということを知っていてこう言う歌緒は、ぺろりと小さく舌を出した。
「いい性格になったね、歌緒ちゃん……」
「ちょっとくらい強引じゃないと、風太ちゃんは流されちゃいそうだもん♪」
必要悪だよ、ニヤリと悪役のように口角を釣り上げる歌緒は妙に嵌っていた。
ふわりと揺れた尻尾は上機嫌で、風太は仕方なさげに溜め息を吐いた。
「やっぱおいら、歌緒ちゃんには一生勝てる気がしないよ」
一生。
その言葉を何の躊躇いもなく、自然にそう言ったことを風太は気付かなかった。
そして、遠慮のないその言葉に、歌緒はにっこりと笑った。
「えへへ……、試さない?」
「試す……って、何を?」
「風太ちゃんが私に勝てるか、今日から毎晩、ね?」
着物の帯を緩めようと手を伸ばして、歌緒は艶やかに微笑む。
その意味を深く理解することなく、風太はへらっと笑い返した。
「いいね、オセロ? 大富豪?」
「……風太ちゃんは、浮気よりも誰かに騙されないか心配になってくるね」
「?」
屈託のない笑顔で首を傾げる風太に、歌緒は呆れたように溜め息を零した。
そんな彼女に、風太は何気なく時計を見てあっと声をあげた。
列車が来る時間が、それなりに近づいていた。
「歌緒ちゃん、そろそろ時間よ?」
「あ、本当だ。行こっか、風太ちゃん♪」
「ん」
差し出された小さな手を握り、風太は再びへらりと微笑んだ。
対して歌緒は、花が咲いたように歯を剥き出しにしてニッと笑った。
満点の星が、そんな二人を見下ろしていた。
――うちゅうのはじっこの、ささいなしあわせのはなし。
縁側でのんびりと休んでいる青年に、彼の祖父にあたる武満が平皿を持ってきた。
風太と呼ばれた青年は、子供のように目を光らせて武満にバッと視線を移す。
「稲荷寿司!? 食べる!」
「ほいじゃ、爺ちゃんと一緒に食おうかのぉ」
皺くちゃの顔に笑みを浮かべて、武満は風太の隣に座った。
無地の黒シャツと作務衣が並んで縁側に座り、間には平皿に乗った大量の稲荷寿司。
風太は、その一つを掴んで豪快に一口かじった。
「やっぱ稲荷寿司は爺ちゃんのが一番なんよねぇ、なんか秘訣とかあるん?」
「大した工夫はしとらんのぅ……、なんなら今度一緒に作るか?」
「マジ!? 教えて教えて! 向こうで皆にも勧めたいし!」
はしゃぐ風太に相好を崩し、武満は満足そうに頷いた。
常盤風太は県外の高校に通う学生であり、土日祝日と休みが連なり帰省していた。
折良くも今日から三日間お祭りもあるらしく、風太はタイミングが良かったと浮かれていた。
「油揚げの味付けと具にちょいと秘訣があってのぅ」
「味付けは見たことあるけん大体わかるけど、具?」
「自然薯じゃよ自然薯。分からぬか?」
「あ、これ自然薯やったの!?」
家を離れても素直なままの孫に武満も気を良くし、稲荷寿司を食べては作り方の推論を述べる風太に細かく教えていく。
半分にぱっくりと食べた稲荷寿司をまじまじと見つめ、風太は感嘆の声を零した。
「というか爺ちゃん、こんなに稲荷寿司つくってどしたん?」
「今晩から祭りがあるじゃろう? そこの稲荷様に差し入れじゃ」
「じゃあ食べちゃダメじゃん!」
「ハッハッハ、安心せい。別で作っておるからの」
わたわたと慌てる風太の様子がおかしかったのか、武満は笑い声をあげた。
祖父の言葉に安心し、風太は胸を撫で下ろして稲荷寿司を一つ頬張る。
むぐむぐと口を動かす孫に微笑み、武満はポンと手を打った。
「そうじゃ風太。どうせじゃけぇ歌緒ちゃんのとこに持っていかんか?」
「歌緒に?」
「うむ。お前が帰ってから、まだ歌緒ちゃんには会っとらんのじゃろ?」
そう言えば、と風太は顎に手を当てる。
彼の幼馴染にあたる伊吹歌緒に、確かに彼は会った記憶がなかった。
「そだね。じゃあ、ちょっくら歌緒ンとこに行ってくるけん、爺ちゃん!」
ひょいっと縁側から飛び降り、風太は二カッと笑って振り返る。
そんな彼にサランラップを付けた平皿を手渡し、武満はやはり皺だらけの手を振った。
「いってらっしゃい」
「行ってきまーっす!」
皿を受け取ったかと思うと駆けだす風太。
間延びして聞こえる『行ってきます』に口元を綻ばして、武満は垣根の向こうを見やる。
快晴の下の雛蕗神社からは、祭りの準備をしているであろう荒男の喧騒が響いていた。
「…………お前にはちと酷かもしれぬなぁ、風太」
◆ ◆ ◆
「歌緒のやつ、元気にしてっかなぁ」
ボサボサの頭に平皿を乗せてバランスを取りながら、風太は畦道をのんびりと歩いていた。
彼の記憶を辿れば、歌緒はかなり病弱な幼馴染である。
長い付き合いの風太だが、県外に進学してから歌緒には久しく会っていない気がした。
実際、彼が帰省する都度に訪ねても、体調が芳しくないらしく会えないことも多々あった。
「おー、ここだここだ!」
見覚えのある塀を見つけて、風太は器用に頭に平皿を乗っけたまま駆けだした。
和式の大きな門の影に入り、彼は人差し指でインターフォンを押す。
ぴんぽーん、と間の抜けた音が響き、すぐに閂の外れる音と門の軋む音が響きだす。
開いた門の先には、二部式浴衣を纏った歌緒が門に手をついて立っていた。
墨の流れるような黒髪は相も変わらず、濃紺の生地に咲く鮮やかな花模様の浴衣は初めて見た。
風太が久しぶりに会った歌緒は、身長が少し伸び、少し細くなっていた。
「お久しぶり、風太ちゃん」
「こっちこそ久しぶりやね、歌緒」
武満相手とは違い声量を下げて、風太は青白い顔で微笑む歌緒に二カッと笑い返した。
「まぁ、誰もいないけど上がってよ。それで、一緒にそれ食べよ?」
「ありゃ、誰もいないん?」
「うん。私のことはいいからって、お祭りの準備に行ってもらったの」
そっか。
それだけ言って、風太は歌緒の華奢な手を当然のように取った。
歌緒は少しだけ目を丸くして、ふんわりと微笑んで彼の手を握る。
「歌緒の部屋って、こっちだったっけ?」
おぼろげな記憶を頼りに風太が指差した先は、確かに昔からの歌緒の部屋だった。
自信なさげな割にしっかりと憶えている風太に、歌緒はクスリと笑った。
「うん、合ってる」
「おっしゃ。さすがおいら」
グッとガッツポーズを取って歯を剥き出しにして笑う風太。
昔と何ら変わりのない彼に、歌緒はただただ嬉しそうに頬を染めて微笑んでいた。
玉砂利をスニーカーとサンダルが歩き、二人が着いた先はちょうど木陰となっている縁側だった。
縁側を越えた部屋に敷かれた布団は中途半端に捲れており、さっきまで歌緒が寝ていたのは明らかだった。
「わっ、ごめ、す、すぐ片づける!」
だらしないと思ったのか、歌緒は耳まで赤くなって駆けだそうとした。
が、その手を引っ張って風太が止める。
「別にいいんよ。体調、今日も悪いん?」
「ううん、今日は体調いいけど……、でもさすがに片させてよ風太ちゃん!」
「かまんかまん。別においらの部屋じゃないけん」
「私の部屋だから私が気にするの!」
ぷーっと頬を膨らませる歌緒を無視して、風太は快活に声をあげて笑った。
ふくれる歌緒の膝裏に手を回し、風太は軽々と彼女を抱え上げる。
俗に言う、お姫様抱っこと言うやつだ。
「ふゎ……っ!?」
「軽いなー歌緒。ちゃんと食っとるん?」
カラカラと笑う風太とは対照的に、歌緒は吃驚したのか目を丸めていた。
そんな彼女に構わず、風太はスニーカーを脱いで縁側に足を掛ける。
ギシリと軋んだ縁側に歌緒を座らせて、彼も隣に腰を下ろした。
「どっこいせっと」
「……吃驚したぁ、風太ちゃんなにか部活でも始めたの?」
「んー、ボランティア部に入ったんよ」
(ぜんぜん運動部じゃなかったよ……)
力の抜ける発言に歌緒は呆れ交じりの苦笑を零し、か細い足を所在なさげにぶらつかせた。
そんな彼女を呵々と笑い、風太は頭の平皿を手に取ってラップを剥ぎとる。
稲荷寿司の山の一つを頬張り、彼は歌緒に皿を差し出す。
「んまー、やっぱ稲荷寿司は爺ちゃんのが一番よー」
「武満さんが作ったの?」
「ほぉよ? 帰ったら作り方教えてもらうぜぃ」
「……風太ちゃんが作ったやつの味見、私がしてもいい?」
ほんのりと頬を赤らめて、小首を傾げて尋ねる歌緒。
そんな彼女に風太は勿論と頷く。
「じゃあ、今晩作ってきていい?」
「せっかちだねぇ、風太ちゃん」
「善は急げって言うやない? それに歌緒には感想聞きたいけんね」
チビチビとかじる歌緒に対して、風太は稲荷寿司を一口で頬張ってはむぐむぐと口を動かす。
柔らかそうな頬に朱を滲ませる彼女にくすりと笑い、風太はもう一つ稲荷寿司を口に放り込んだ。
彼が寿司を二つ食べる間に、ようやく一つ食べ終えた歌緒は人差し指を立てる。
「そうだ、風太ちゃん。今晩、一緒にお祭りにいかない?」
「お祭り? 歌緒、大丈夫なん?」
「そんなに混まないし、きっと大丈夫だよ」
相変わらず大袈裟なんだから。
そう茶化して歌緒はもう一つ稲荷寿司に手を伸ばす。
「それにいざってときは風太ちゃんが負ぶってくれるんでしょ?」
「……まぁ、おいらも歌緒と行きたかったけんかまんのやけど」
煮え切らない態度で不承不承に頷き、風太は不安げに歌緒の顔を窺う。
顔色こそ青白いものの、その笑みは無理して作っている代物ではないのは確かだ。
むしろ、一緒に行きたいと必死に訴えているようでさえある。
もともと彼女には弱い風太は、渋面でボサボサの頭を掻き乱す。
「…………絶対に無理はせんでくれよ?」
「うんっ、ありがと風太ちゃん!」
あー、おいらこの笑顔に弱いんよねぇ……。
花が咲いたように光る歌緒の笑顔に、風太は微妙な表情を浮かべる。
「うにゃー……」
「あはははは♪」
へんなりする風太に歌緒はご機嫌に笑い声をあげた。
世界は今日も彼らとは別の軸で回転している。
それを再認識させられた青年、常盤風太、若干16歳であった。
武満であればしっかりと断れていたのか、風太はそんなことを考えて稲荷寿司にかじりついた。
「楽しみだねぇ、風太ちゃん♪」
「おいらは気が気でないよ……」
「じゃあじゃあ、7時に鳥居で待ち合わせね? 約束だよ?」
「しかも聞いてないやん……」
がっくりと肩の下がる風太であった。
心配なのは体調もさることながら、その天然ぶりも風太の心配どころである。
「けふっ、こほっ……ぇふ……っ!」
唐突に、歌緒が口元に袖を当てて咳き込む。
それに慌てて、風太は腰を浮かしかける。
しかし、歌緒はそれを左手を挙げて制した。
「ぇほっ、くふ……っ、だ、だいじょうぶ……こほっ」
「ぜんっぜん大丈夫に見えねえよ!」
歌緒の制止を無視して、風太は立ち上がって彼女の部屋に入る。
案の定とでもいうべきか、すぐ机の上に錠剤と水の入ったペットボトルが置いてあった。
その二つを手に取り、風太は慌てて彼女に渡した。
「ほら、飲め」
「ありがと……ぇふっ」
水を口に含み、歌緒は錠剤を呑みこんだ。
以降も多少は咳き込んだものの、歌緒は見るも明らかに落ち着いた。
「ごめんねぇ、風太ちゃん……」
「謝るなって、こんなの昔からのことやん?」
茶化すように肩をすくめて、風太は彼女の背中を優しくさすった。
昔よりもどこか小さく感じられた背中に、彼は押し黙った。
よくよく見てみると、歌緒が咳き込んだ浴衣の袖がうっすらと赤く染まっていた。
「…………………」
「あは、は……、もう、大丈夫だ、よ……」
だからお前、友達出来ないんだよ。
声に出さずに、風太は口の中でそう呟いた。
八方美人で人当たりがいいくせに、肝心なことや自分のことには踏み入らせない。
変わらぬ幼馴染の悪癖もやはり相変わらずで、風太は悔しげに歯噛みした。
「……ねぇ、風太ちゃん」
「……なに?」
「一緒に行くって、約束してくれるよね?」
青い顔で、にっこりと笑って彼の顔を窺う歌緒。
今度は、無理しているとあからさまな弱々しい微笑みだった。
それでも、分かり易すぎるために断れない風太は、やはり彼女に弱かった。
「……7時、な。鳥居、だよな?」
「……! うんっ!」
歌緒の頼みとなると断れない、風太のこれも昔からの悪癖だった。
◆ ◆ ◆
「歌緒ちゃんは元気じゃったか?」
油揚げに酢飯を詰め込みながら、白々しく武満が尋ねる。
その手際を覗き込みながら、風太は曖昧に首を振った。
「どうだろ……」
気が立っているせいか、風太は少し険を潜めた声になってしまった。
それを咎めることもなく、武満は形を整えた稲荷寿司を皿の上に置いた。
風太はそれを見ながら、鉄鍋の中で煮込んでいた出汁をかき回した。
「少なくともおいらの前では元気にしてたよ……」
「ほぉけ……、あの子らしいのぅ」
武満のその言葉が、風太には皮肉に聞こえた。
聞き流せない自分に苛立ちながら、風太は鍋底をお玉で打った。
「若いのぉ、お前は」
「爺ちゃんと比べんなよ。おいら、まだ高校生だぞ」
「そういう意味じゃないわい」
出汁をたっぷり吸ったお揚げを一つ手に取り、具を混ぜ込んだ酢飯を油揚げに詰め込む武満はカッカッカと大きな声をあげて笑った。
ではどういう意味なのか、残念ながら風太には考え付かなかった。
「少しはお前も歌緒ちゃんを見習うがええ」
「歌緒を? 何で?」
「先天性心臓弁膜症」
唐突に、風太には聞き覚えのない単語が述べられる。
せんてんせいしんぞーべんまくしょー、辛うじてしんぞーが心臓を指していることは頭がいいわけではない風太にも理解できた。
「なに、それ?」
「歌緒ちゃんの病気じゃよ。もう、長くはないらしいぞ」
「 」
開いた口が塞がらない、まさにその言葉通りだった。
長くない、なんて婉曲的な表現でも、風太にも充分伝わった。
「 は?」
ようやく出てきた言葉は、そんな間の抜けた声だった。
鍋をかき回す手も止まり、風太の表情は能面でも張り付けたかのように眉一つ動かせなかった。
そんな孫にさして驚いた様子もなく、武満はもう一つ稲荷寿司を握った。
「儂も詳しいことは知らぬ。が、歌緒ちゃんに直接聞いたわい」
「…………おいら、何も聞いてねえんだけど」
「お前に言いたくなかったんじゃろ」
何で、そう聞くこともできずに風太は思い出したかのように鍋をかき回した。
歌緒の性格を考えても、そんな理由を推し量れるほど風太は賢くない。
「……今日さ、お祭りに行ってきていい?」
「歌緒ちゃんとか?」
「……うん」
頬を掻きながら、風太は曖昧に頷いた。
もやもやと曇る胸中がいったい何を考えているのか、彼は自分でも理解できていない。
それでも、歌緒にちゃんと会わないといけないことだけは分かっていた。
会って何を言うか、は別として。
「歌緒に稲荷寿司作るって、言っちゃったし……」
「お前は成長せんのぅ」
「成長ってのが……、歌緒のこと指してんなら、おいらは成長しなくていいよ」
「む?」
冷めたどころではない。
長くないということを自覚しながらも変わらぬ歌緒の姿は、風太にはどこか気持ち悪くすら思える。
風太の記憶に残っているさっきまでの彼女の姿は、諦観しているようにしか思えなかった。
「爺ちゃん、おいらだって爺ちゃんだっていつかは死ぬよ。でもさ、死ぬのを覚悟するのはどう間違ったって成長じゃないと思うんよ」
記憶力が優れているわけではない風太もしっかりと憶えている言葉が一つだけあった。
子供の頃に歌緒が言っていた、冗談じゃない言葉だ。
『あした生きてたらありがとう。きょう死んでたらさようなら』
いま風太が思い出せば、別れ際に歌緒はさようならと言っていた。
いつ死んでもいいと思っているのか、そう思うと虫唾が走っていた。
「言っとくけど、爺ちゃんも同じやけんね」
「……何がじゃ?」
「病は気から。身体が弱くても、心は強く」
死ぬ覚悟なんか、絶対に許さんぞ。
悔しそうにそれだけ言って、風太は自分で作った稲荷寿司をタッパーに詰め込んだ。
武満が作ったものと違い、少しだけ形が歪だった。
「じゃ、そろそろ行ってくる」
そう言って片手を挙げて台所から出ていく孫の姿を見送って、武満は小さく笑った。
「……儂の孫も、馬鹿にできんのぉ」
空を見上げると、まるで宇宙が広がっているようだった――。
なんて詩的なことを呟いて、風太は鳥居に凭れかかって階段下の縁日を見下ろしていた。
提灯が張り巡らされ、屋台が道なりに並び、無邪気な笑い声が別世界のように遠い。
「歌緒のやつ……、死んじゃうのか……」
病弱なのは昔からのことだったが、死に至るまでとは風太には思いもよらなかった。
吐血こそしたものの、歌緒なら大丈夫だと思っていた。
「県外なんて、行くんじゃなかった」
抱えた膝に、頭を埋める。
この三連休が終われば、常盤風太はいつ死ぬかも分からない伊吹歌緒とお別れになるのである。
想像したくもないことだが、今生の別れとなる可能性はひどく高い。
一緒にいるのが当たり前だった幼馴染が、自分のいない間に死んでしまうという洒落にもならない話は、風太の頭に重い現実として圧し掛かっていた。
「……嫌だな」
それ以前に、風太は歌緒が死んでしまうことが嫌だった。
こんな片田舎の隅っこで、風太のように外を知ることもできずに、伊吹歌緒は死を受け入れた。
しかし、彼には、それを受け入れるほど心が強くはなかった。
「…………いやだよぉ……っ!」
ぽたりと。
石段に雫が落ち、じんわりと染み込む。
「なんでっ、歌緒ちゃんが死ななきゃいけんのよ……っ!」
嗚咽交じりに、風太は誰もいない境内で泣いていた。
理不尽な死を縋ることなく受け入れた彼女自身よりも、誰よりも彼女の死が風太には怖かった。
ひょっとすれば、明日には会えないかもしれない。
それどころか、待ち合わせの時間になっても来ないのはそういうことなのかもしれない。
泣きじゃくる彼の想像は、悪い方へ悪い方へと傾いていった。
「悪いこと、なんもしとらんのに……っ!!」
苛立ち紛れに石畳に打ち付けた拳が赤く腫れる。
鈍い痛みを拳に感じながら、ギリギリと歯を軋ませる風太。
その双眸からは、滂沱と流れる澄んだ涙。
「死なんでよ歌緒ちゃんん……っ、おいら、お前が死ぬなんて、嫌だよぉ……っ!!」
――――――――――――――――――――――――。
淫らに、青い焔が、揺蕩った。
風太の慟哭の背後で、ゆらゆらと揺れていた、さながら鬼火のような青い焔。
梅雨の蒸れた空気を焦がして、焔は不意に消えた。
「う、うぅ……っ」
背後の異様に気付くことなく、風太は膝に顔を埋めたまま泣き声を噛み殺した。
結局、その晩に伊吹歌緒が鳥居に来ることは無かった。
見かねた武満に連れ帰られた時には、彼は泣き疲れて眠っていた。
◆ ◆ ◆
風太が目を覚ますと、見慣れた天井が視界に広がった。
確か鳥居の傍で歌緒を待っていた筈では、と寝ぼけた思考で思い出す。
上体を起こし、彼が見た窓の外はそれなりの高さに陽が昇っていた。
「………………」
――寝ちゃったのか、おいら。
朧げな記憶を辿り、風太は寝惚け眼をグシグシと乱暴に擦る。
神社本殿にお供えをした武満が連れ帰ったのであろうことは、すぐに予想がついた。
「……歌緒ン家、行こっか」
もそっと呟いて、風太は適当に着替えて家を出た。
相も変わらず、伊吹家の門は割かし堅く閉ざされていた。
ひょっとすると歌緒の体調が悪く、今日は会えないかもしれないと風太は危惧していた。
何せあれだけ楽しみにしていた歌緒自身が待ち合わせに来なかったのだ。
はぁ……、と風太は小さく溜め息を零した。
「……んー」
会いづらい。いや、正確には風太が会いたくない。
風太の指はインターフォンを手前に止まっていた。
彼は、歌緒が死ぬと分かっていていつも通りに彼女と接せられるか心配だった。
「…………偉そうなこと言っといて、おいら弱いなぁ」
自嘲気味に呟いて、風太は指を下ろした。
その背後からひょこっと、歌緒が顔を覗かせた。
「風太ちゃんのヘッタレー♪」
「ぬおわっ!?」
風太、吃驚仰天。
慌てて彼が振り向くと、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべる歌緒の姿。
心なしか、昨日よりも血色のいい顔色である。
「うた……お? お前、家、出てていいん……?」
「ふっふっふー、今日の私はちょっと絶好調なんだよー♪」
そう言って、くるりと回り浴衣の裾を摘まみ上げる歌緒。
細身ながらも艶めかしい太腿が露わになり、風太はぷいっと視線を逸らした。
――ちょっと絶好調って何ぞ……。
呆れながら風太が視線をちらりと彼女に移すと、妙に色っぽく感じられた。
浴衣の丈はいつもより短く、変に着崩して肩も露出させている。
「歌緒、暑いのか?」
ぽりぽりと頬を掻いて、風太は間の抜けた顔で首を傾げた。
その態度にガクッと膝の崩れる歌緒。
「さすが風太ちゃんだよ……」
ぽしょっと呟かれた言葉は聞こえず、唐突にくずおれた幼馴染に風太は慌てた。
「お、おい大丈夫か?」
「んー、ちょっと目の前の生き物に眩暈がしただけだよ……」
遠い目で呟く歌緒に、風太は疑問符でも浮かべたような表情になった。
まぁとりあえず、そう前置きして風太は着崩した彼女の浴衣を適当に戻す。
呆れたような、疲れたような溜め息を零して、歌緒はされるがままである。
が、唐突に何かに気付いたかのように鼻をヒクつかせる。
「ん? すんすん、すんすん……」
まるで犬のように鼻をピクピクと動かして、歌緒は風太に嗅ぎつく。
彼とは違いそれなりに品のある筈の彼女にいきなり寄られ、風太はびびった。
「う、歌緒……?」
「ねぇ、もしかして風太ちゃん、油揚げ持ってる?」
「や、持ってねぇ……、いや、稲荷寿司なら……」
「やたっ♪」
諸手を挙げてぴょんと跳ねる歌緒。
信じられないものを見たなぁ、と今度は風太が呆れる番だった。
本当は武満が言っていたことは嘘で、むしろ歌緒はまったくの健康体になったのではないかと疑うほどであった。
「一緒に食べようよ、風太ちゃん♪」
手と手の皺を合わせて喜色満面の歌緒。
頬を桃色に染めて、風太の顔を窺うように覗き込む彼女に、風太はたじろぐ。
彼の知っている歌緒と違い、性格まで自然に明るくなっていた。
「へいへいっと」
「ほら、行こっ?」
適当に頷く風太の手を取り、歌緒は彼の手を引いて。
堅く閉ざされた巨大な門を片手で押し開けた。
「はッ!?」
風太、二度目の吃驚仰天。
彼の与り知るところの非力極まりない伊吹歌緒は、その手羽先の如くか細い片手で身長の4倍はありそうな分厚い木製の門扉をあろうことか押し開けたのだった。
それも、かなり無造作にである。
「言ったでしょ、私、今日はちょっと絶好調なんだよ?」
事もなげに首を捻って言う歌緒。
女子、一晩会わぬ内に化け物と相成りて。
風太は夢でも見ているのかと疑うほどである。
「……お前、実は偽物とかじゃないよな?」
「ひっどいなぁ……、疑うんならちゃんと見なさいっ」
そう言って歌緒は、頬を膨らませて風太と触れ合いそうなほどに距離を詰める。
心が落ち着くような抹香の香りとは裏腹に、彼女の端正な顔の接近に風太の心臓が跳ねた。
思わずのけ反る彼に、歌緒はずいっと顔を近づけなおす。
「……というか、風太ちゃんこそ本物なの?」
「へ?」
「……昨日から気になってたけど、何で歌緒ちゃんって呼んでくれないの?」
風太が県外へ進学する前、即ち中学校卒業までの間、彼は歌緒をちゃん付けで呼んでいた。
高校に入ってから何となく気恥ずかしくなり、あえて呼んでいなかっただけだ。
しかし、改めて問われると風太も何とも言い難い。
本当に何となくだからだ。
「いや、おいら本物だよ?」
「言うだけなら簡単だよねぇ……」
意地悪く微笑んで、やはり意地悪くそう言う歌緒。
初めて見る彼女のそんな態度に慌てて、風太はしどろもどろに弁明する。
「ほ、本当だってば歌緒……」
「どうだかぁ? やっぱり歌緒ちゃんって呼んでくれないしさぁ」
「……ちゃん」
いつもより押しが強い。と、いうか意地が悪い。
この場はとりあえず丸く収めようと、渋々ながら風太は彼女をちゃん付けで呼ぶことにした。
そんな物言いでも彼女は満足らしく、花が咲いたように微笑んだ。
「うんっ、本物の風太ちゃんだね♪」
ギュッと。
歌緒は身を預けるように、風太の腕に抱き着く。
「…………っ」
腕に感じる確かな重みと、柔らかい感触に、太鼓のように弾む心音。
汗ばむような夏の気温さえ、涼しく思えるような、あたたかさだった。
風太には、とても長くないあたたかさには思えなかった。
「……今晩は」
「ん?」
「今晩は、一緒にお祭り、行くんよね?」
本人は至って何気ないつもりで、腕を抱く歌緒に訪ねる。
控えめな胸を押し当てる彼女と違い、幸いにも風太の心拍は彼女に伝わらない。
平静を装う彼の問いかけに、彼女は頬を染めてはにかんだ。
「うん、一緒に行こ♪」
――この笑顔に弱いんだよなぁ。
如何にテンションが上がっても、例え馬鹿力を発揮しようとも、その柔らかい微笑みは子供の頃から変わることなく、風太の大好きな笑顔だった。
慣れ親しみすぎたせいか、それが惚れた弱みとも知らず、風太も彼女に頷いた。
「歌緒と祭りっていま思えばかなり久しぶりやんな」
「じろり……」
「……楽しみやね、歌緒ちゃん」
笑顔にどころか、歌緒に弱い風太であった。
◆ ◆ ◆
綿あめ、タコ焼き、チョコバナナ、焼きそば、かき氷、フライドポテト。
そして風太が作ってきた稲荷寿司を広げて、神社の縁側で二人は縁日を見下ろしていた。
満漢全席とまでは言わずとも、所狭しと並べられた品々の内の主に稲荷寿司にパクつきながら、歌緒は向日葵のような笑顔で祭囃子を見下ろしていた。
「美味しいね♪」
「歌緒ちゃん、そんなに稲荷寿司好きだったっけ?」
「風太ちゃんが作ってくれるなら何でも好きだよ!」
「ふーん」
適当な相槌を打って、風太はタコ焼きを一つかじる。
熱々に蕩けたタコ焼きに舌鼓を打つ彼を、歌緒はじっと見つめる。
「どしたん?」
「いや、美味しそうだなーって……」
「……熱いよ?」
そう言ってフーフーと食べかけのタコ焼きを冷まし、風太は彼女に差し出す。
歌緒は何一つ躊躇うことなく、そのタコ焼きを頬張る。
「ほふっ、はふっ……あっふあふっは!?」
「猫舌なのに無理するからそうなるんよ……」
風太の案の定、悲鳴をあげる彼女にあらかじめ用意していたコップを差し出す。
慌ててそれを受け取った歌緒は勢いよく、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
普段はどこかおっとりしている彼女にしては珍しい姿に、風太はクスリと笑った。
「わ、笑わないでよぅ……」
そんな彼の様子にカーッと顔を赤くし、歌緒は恨みがましく彼を見つめた。
まるで子供の頃に戻ったような、そんな錯覚を覚えて風太は笑いを噛み殺す。
クックッと未だに堪える様子の彼にプーッと頬を膨らまし、歌緒はぶんむくれてそっぽを向く。
「もーぅ……」
「ごめんごめん、なんか懐かしくってねぇ……」
ひらひらと手を振って風太は笑う。
風太が県外に出る以前は、体調を気遣った彼からは歌緒を誘えなかったのだ。
それこそ幼稚園、小学生低学年の頃は毎年行っていた。
そんな昔が懐かしいのは、歌緒も一緒だった。
「そう言えば、そうだね」
「やけん、今日は歌緒ちゃんとお祭り行けて良かったよ」
「私もだよ、だから来年も一緒に行こうね♪」
「……うん、せやね」
来年。
その単語に、風太は少し詰まってしまった。
もう長くないというのは、武満の言うところのどれくらいの期間なのだろうか、と。
三年か、一年か、はたまた一ヶ月か。
考えるだけで、風太の胸が嫌に軋んだ。
「そういえばさ」
と、歌緒。
風太が振り向いてみると、彼女はきょとんとした表情で彼を見ていた。
「風太ちゃん、何で県外の高校に行っちゃったの?」
「え?」
「風太ちゃんのことだからさ、武満さんとか私のこと心配して残るかと思ってたんだ、私」
だからちょっと不思議でさ。
そう言って、歌緒は稲荷寿司をもう一つ頬張って美味しそうに桃色の頬を押さえる。
そんな彼女の様子を見て、風太は少しだけ悩む素振りを見せる。
「んー……、言っても笑わない?」
「笑わない笑わない」
ニッコリと、風太の大好きな微笑みでそう言う歌緒。
それに仕方なさそうに息を漏らして、彼は端的に言った。
「いい高校行って、いい大学行きたかっただけ」
「何で?」
「……これ言うのはちょっと恥ずかしいんだけどさ、お医者さんになりたかったんよ」
薄っすらと頬を赤らめて、風太はポリポリとその頬を掻く。
何となくその理由を察した歌緒も、薄っすらと頬が赤い。
しかし、彼女はにんまりと口端を釣り上げて意地悪そうに追い打ちをかける。
「何で?」
「……言わんとダメ?」
「ダメ♪」
あはは、と苦笑を漏らして風太は照れくさそうだ。
同じように歌緒も、照れくさそうにクスリと笑う。
「爺ちゃんとか、歌緒ちゃんに元気になってほしかったけんよ」
「風太っちゃぁああんっ!!」
ダイヴ & ハグ。
ばびゅん、という擬音がこの場合は正しいだろう。
兎にも角にも、風太のささやかな夢は、歌緒の歓声に呑みこまれるとともに恐ろしい瞬発力で飛びつかれたため、仰天する間もなく押し倒された。
「あーもう本当に愛いんだからぁ♪」
とか言いながら、大型犬でも撫でるように風太の髪をワシワシと掻き乱す歌緒。
そんな彼女を気遣ってか抵抗こそしないものの、唐突に押し倒された彼もドギマギしていた。
「……えーと、歌緒ちゃん?」
「稲荷寿司も美味しかったし、お祭りも楽しかったし、風太ちゃんも可愛いし言うことなし!」
「……ど、どうも?」
「なので、風太ちゃんを抱く、なう!」
「うん、抱いてるね」
どうしようもなく歌緒の筈なのに、風太としては違和感バリバリである。
勢いよく抱きついたせいで肌蹴た浴衣を直そうともせず、歌緒はだらしなく頬を緩ませて彼の頭をしきりに撫でる。
されるがままの風太も、柔らかい感触やら、耳朶を打つ吐息やらに心臓が健全に脈打つ。
「あの、歌緒ちゃん……、ちょっと、離れて……」
「え、何で?」
「いや……、胸とか当たっとるけん……」
――あれ?
そこで風太は気付いた。
伊吹歌緒に、当たるほど胸があっただろうか?
失礼極まりないものの、彼が昨日に見た目算ではそんなサイズではなかった。
着痩せか、はたまた劇的な成長か。
「ん〜?」
意地悪く、いやらしく笑んで。
歌緒は彼に自分の小柄な体躯を更に押し付ける。
バクバクと激しく鳴る風太の心音も、あっさりと彼女に伝わった。
満点の星空、遠い祭囃子、人気のない境内。
ペロリと、歌緒は紅色の上唇を小さく舐める。
「あー、風太ちゃんもお年頃だもんね。卑猥なこと想像しちゃった?」
「ひ、ひわい?」
「えっちぃことだよ♪」
人差し指を唇に当てられて、風太はボッと赤くなる。
割と、図星だった。自覚はないが。
「そそそ、そんなこと考えてないんよ!?」
「別に恥ずかしがることないのに、ね?」
悪戯っぽく囁いて、歌緒は彼の背筋を逆撫でする。
ゾクゾクと肌が泡立つ感覚に、風太はビクッと背筋を伸ばす。
尚も止めようとせずに、歌緒は妖しい手つきで彼の背筋を撫で上げる。
「や、やめぇ……くすぐったいって……っ!」
身をよじり、抵抗とも言えない抵抗をする風太。
それが自身を気遣ってのことと理解しているため、歌緒は嬉しそうにはにかむ。
その笑顔にグッと詰まり、風太はバツが悪そうにそっぽを向いた。
「そう言えばさ、風太ちゃん」
「……何さ」
「昔さ、ここで指切りしたの覚えてる?」
「え、したっけ?」
拗ねていたのもどこへやら、風太は素に戻って首を傾げる。
「ほら、私が風太ちゃんのところにお嫁さんになるって」
「懐かしいなぁ、歌緒ちゃんよく覚えとんね」
「だってほら、私は風太ちゃんのこと大好きだから♪」
パッと花が咲いたように笑う歌緒に、風太は何を今更とニッと笑った。
そんな風にお互いに一しきり照れたように笑いあい、歌緒は一つ頷いた。
「そうだ、風太ちゃんは私に元気になって欲しいんだよね?」
「って、そうよ歌緒ちゃん! そんな激しく動いたりして、体は大丈夫なん!?」
歌緒の口端がニヤリと吊り上がった。
まるで得物を前に舌なめずりするオオカミのようにいやらしく。
しかし、次の瞬間にはそんな笑みも形を潜めて彼女はわざとらしく胸を押さえた。
「うん……、ちょっと苦しいから、風太ちゃんに元気にしてほしいんだ」
「な、なにすればいいの!?」
「簡単だよ」
しゅるり、と。
彼女は浴衣の帯を片手でぞんざいに解いた。
肌蹴るどころか、帯で辛うじて留めていた前も全開になる。
風太の視線は吸い込まれるように玉の汗が浮かんだ小ぶりな胸へ、胸から下へ、臍を越えて彼女の下腹部へと視線が移る。
「う、歌緒ちゃん……?」
病弱だと思っていた割に、少し痩せ気味なものの健康的な体つきに風太はごくりと生唾を呑む。
恐る恐る彼が顔を上げてみると、歌緒は今まで彼が見たこともない表情で自身を見下ろしていた。
妖艶な女狐のように、彼女は上気した顔つきで風太を熱っぽく見つめる。
「大丈夫だよ、私がリードしてあげるから……」
そう言った彼女の瞳に、まるでガスを燃したような青い炎が盛る。
どこか怪しげな雰囲気を醸し出すその焔に、風太は指一本動かせなくなった。
まるで別人の身体に自分が入り込んだかのように、感覚だけはやけに鮮明である。
「風太ちゃんは、じっとしてれば、いいんだよ?」
視線を逸らすことなくそう言い、歌緒は彼のズボンをずり下ろす。
夜の涼しい外気に晒された彼の愚息は、雄々しくもそびえ勃っていた。
「ちょっ、何すんの!?」
「えっちなこと♥」
蕩けるような声音で囁いて、身を寄せていた歌緒は彼のペニスを太腿でキュッと挟み込む。
とても病に蝕まれた身とは思えない温もりに、風太の声が上擦る。
「うっあぁ……っ!」
「あぁん、風太ちゃん本っ当にかわいいんだから♥」
耳朶を溶かすが如き甘い声。
何とも言えない温もりの太腿は、彼の逞しい剛直をじわじわと締め付ける。
未体験の快感に、思わず喘ぎ声を漏らしそうになった彼の唇が塞がれる。
「んんむ!?」
強引に押し付けられたせいか、お互いの唇がむりむりと形を変える。
歌緒の瞳には未だに青い炎が揺蕩っており、風太は逃げようにも動くことが出来ない。
生温かい彼女の舌が歯茎を這い、風太はぴくりと身じろぎする。
「んっ! んんぁ……っ!」
唾液を塗りたくるように、歌緒の舌が執拗に彼の歯茎を撫でまわす。
両太腿もゆっくりと前後に動き、きめ細かい肌が風太のペニスを優しく擦る。
当然、性経験などあるわけもなく、自慰すらしたことのない風太には耐えられない快感だった。
早くも彼の尿道口からは先走りが漏れつつあり、擦りつける太腿から淫靡な水音が響く。
「んんっ、んんぅ!」
塞がれた唇の隙間から、風太はくぐもった嬌声をあげることしかできない。
全身を委ねられ、あまりにも軽い体重と薄っぺらい服越しの柔らかい感触。
ぐにぐにと太腿に竿を圧迫され、彼は歌緒に嬲るようにじわじわと責められていた。
「んぷぁ……、ねぇ風太ちゃん、もう、稲荷寿司ないのぉ?」
糸を引いて唇が離れる。
てらてらと嫌らしく唾液に濡れた唇を歪めて、歌緒はとろんと目尻を垂れて彼に首を傾げる。
淫らに濁った瞳に見つめられ、風太はびくりと身を竦める。
甘ったるい猫撫で声こそ彼女のものの、その目だけは彼には見覚えがなかった。
「う、歌緒……?」
「歌緒ちゃん、でしょ?」
「うたぉちゃ、いぅ!?」
言い直そうとした風太の耳をくすぐるように、ぬるく湿った舌が舐め上げる。
いつの間にか彼の背中には歌緒のか細い腕が回され、優しく抱きしめられていた。
背筋にこそばゆく指が這い、マシュマロのように柔らかい小柄な体躯が押し付けられる。
華奢すぎて今にも壊れてしまいそうな重みに慄くも、彼の体は言うことを聞かない。
のの字を描くように背中で回る指先と、生温かい吐息に蕩かされつつ執拗にねぶられる耳。
太腿に挟まれたペニスも、忘れられることなく擦りあわされる。
「やっめ、ふぁ、ひぇぅ……っ」
「ほら、言ってよ、いつもみたいに……ぇる、れろ、ぴちゃ♥」
「あ、あ、ふぁ……っ」
歯を食いしばろうにも力が入らず、風太の口からは女のような嬌声ばかりが漏れる。
無垢な童顔が恍惚に染まり、羞恥に耳まで朱が差す風太。
歌緒はそんな彼に嗜虐心をそそられ、耳を軽く甘噛みした。
「ふぁっ!?」
「はぷ、ん、ぢる、んん♥」
こりこりと歯でいたぶり、吸い付いたり、ねぶったり、引っ張ったり。
まるで小動物のように風太の耳を嬲りながら、歌緒はもじもじと太腿を擦りあわせる。
先走りだけでなく彼女の蜜壺から溢れた愛液により、しとどに濡れた太腿は淫猥な水音を奏でる。
にちゃにちゃと粘着質な音とともに陰茎に走る快感を、彼は必死に堪えるばかりである。
「うたおちゃ……、やめっ、耐えれんけん……っ!」
「耐えなくていいよ……、ぜんぶぜんぶ、風太ちゃんは私のなんだから……♥」
「むっ、ぅん……っ!」
耳を解放したかと思えば、歌緒は再び貪るように風太の唇を奪う。
太腿はキュッと締めては緩めの繰り返しになり、止めをさす責めである。
締めつけが緩むたびにじんわりとペニスに快感が広がり、気を抜けばいつ暴発してもおかしくない。
そんな快楽を必死に耐える彼を、歌緒は容赦なく苛む。
合わせた唇の隙間から、せがむような甘い声を漏らして彼の背中を優しく撫でる。
か細い舌で風太の舌を絡め取り、太腿の動きは止めようともしない。
「んっ、んぅ、れるぢゅ、ふぅ♥」
「うっん、んんんっ、んん……っ!」
甘く蕩かされた思考では、風太も堪え切れなかった。
深く腰を押し付けて、柔らかい太腿の締め付けが緩み、決壊した。
「ぅ、ぁぁ……」
放尿と違い、びくびくと痙攣しながら白濁を迸らせる怒張。
精液に艶めかしい太腿を白く汚されながらも、歌緒は責めの足を止めない。
むにむにと絞りとるように絶頂したての陰茎を太腿で揉み、最後の一滴までその白肌に受けた。
容赦のない彼女のいたぶりに悶えながら、風太は弱々しく脱力する。
「うぅん…………」
ぐったりと四肢を投げ出す彼に身を預けたまま、歌緒は意地悪く口元を歪める。
彼女どころでなく絶え絶えに息を吐く風太に、彼女は腰を浮かす。
――次はやっぱり……♥
「……ん?」
色欲に耽る歌緒に対して、風太は唐突に眉をひそめた。
遠い祭囃子に集中しなければ呑みこまれてしまいそうなほどの、小さな靴音。
(やばっ!?)
こんなところを誰かに見られたら。
咄嗟の判断で風太は上体を起こし、軽すぎるほどの歌緒を抱きかかえる。
幸いにも、既に金縛りは解けていた。
「きゃっ!?」
「……こ、ここ!」
社の戸を乱暴に足で開けて、薄暗い社内に風太は隠れる。
歌緒を立たせて、その背中を押す。
「こっち、こっち隠れて!」
「ど、どうしたの風太ちゃん!?」
「ひと、人が来るから!」
「そんな押さないで――うゃっ!?」
暗がりの中で強引に押され、歌緒は積まれた段ボールにつまずきバランスを崩す。
段ボールに覆いかぶさるように倒れた彼女を庇うように立ち、風太はシッと口に手を当てる。
その様子にぷーっと頬を膨らませるが、歌緒も黙ってそれに従った。
「見回り……かな?」
懐中電灯の光が一瞬だけ社内に差し込み、じゃりじゃりと玉砂利を踏みしめる音が響く。
いくら田舎と言っても、子供も参加しているお祭りである。
巡回があったとしても、何らおかしくはない。
魔物のおかげでこんな物騒(主に性的な意味で)な世の中である。
(別に隠れることないのに……)
ぶうたれる歌緒に、風太は苦笑を零す。
呑気な性格は相変わらずである。
「ん、何だこの食べかすは……?」
と、社の外で男性の声が響く。
その声に、風太の体が固まった。
綿あめ、タコ焼き、チョコバナナ、焼きそば、かき氷、フライドポテト。
そして風太が作ってきた稲荷寿司。
それらすべてを置きっぱなしにしていたことを、彼はすっかり忘れていた。
「まだ温かいな……、誰かいるのか?」
「っ!?」
「♪」
男の声に風太は冷や汗を流し、歌緒は楽しげに口端を釣り上げる。
先ほどとは別の意味合いでバクバクと心臓を鳴らして、風太は息をひそめる。
そんな彼をニヤニヤと見つめながら、歌緒は意地悪に思考を巡らせる。
カタッ
「ん? 中に誰かいるのか?」
(歌緒ちゃん!?)
(てへっ☆)
あろうことか、彼女は覆いかぶさっていた段ボールを揺すって物音をたてた。
当然、外の男はその物音に気付き、のんびりとした足取りで社の扉へと向かう。
声にならない悲鳴をあげる風太に、歌緒はぺろりと舌を出した。
ギシギシと古木を軋ませる足音に、風太は彼女に覆いかぶさるように抱きついた。
(ふ、風太ちゃん!?)
(隠れないとバレるやん!?)
ただ彼が慌てる姿が見たかっただけの歌緒は、後ろから抱きついてきた彼に驚きの声をあげる。
風太は言い訳のように弁明しようとするも、カラカラと引き戸を開ける音にグッと口をつぐむ。
薄い浴衣も脱げかけの彼女に覆いかぶさり、緊張に心臓を激しく鳴らしながら息を潜める。
「んー?」
懐中電灯の丸い明かりが、薄暗い社内を照らす。
探るように右へ左へと動く光にやきもきしながら、風太は一心に祈った。
(はよどっか行け……!)
「誰もいないのか?」
怪訝な声にそうだそうだと内心で同調し、風太はじっと息を潜める。
対して歌緒はそれどころではない。
先ほどの前戯により、彼女も肉欲をくすぐられ発情気味である。
そんな中、夜とは言え初夏の蒸れた空気にじっとりと汗ばんだ彼に抱きしめられ生殺しである。
(ふ、ふうたちゃぁん……)
(ちょ、歌緒ちゃん!?)
無論、我慢などきくはずがない。
ねだるような猫撫で声で彼の名を呼びながら、歌緒はのしかかる彼の逸物を掴む。
緊張のせいか、未だに硬さを保った逸物を汗の滲んだ手に握られ、風太は慌て始める。
そんな彼の声を無視して、彼女は自身の陰唇に彼の亀頭をあてがう。
「うーん、確かに物音が聞こえたんだが……」
二人の情事に気付くことなく、男はその場で怪訝に首を傾げる。
後ろの男にも気が抜けないため、風太は歌緒を強引に止めることが出来ない。
首を振って止めろと訴える彼を無視し、彼女は無情にも彼の怒張を一気に蜜壺へと引き込んだ。
ミ゛リ……、と接合部から生々しい処女膜を破る感触に、風太は軋まんばかりに歯を食いしばる。
(…………ッ!?)
(ふぁ、おっきぃ……っ♥)
温かくぬめった狭い膣内に、風太は呼吸を止めて声を堪える。
跳ねそうになった体を歌緒にしがみ付くことで耐え、風太は彼女の小さな肩を力強く掴む。
「……気のせいだったかな」
そんなぼやきと共に、彼の背後でカラカラと引き戸を閉じる音が響いた。
玉砂利を踏みしめて離れゆく音に耳を傾けながら、風太は陰茎をキツく膣肉が締め付ける感触に声をあげることなく打ち震える。
にゅぐにゅぐと四方から柔らかく蕩けた感触に押しつぶされる快感に、風太は荒く息を吐いた。
「っは……ァ……!」
「えへへぇ……、これで私、風太ちゃんのモノだね……♥」
艶めかしく腰を揺すり、彼の陰茎を刺激する歌緒。
肉棒を包み込む膣がうごめき、まとわりつくようにヒダが擦る。
「ほらほらぁ、風太ちゃんも動いてよぅ♥」
恍惚に涎を垂らしながらも、歌緒は余裕の表情で腰を振る。
握り込むような圧迫感に晒されたままシェイクされ、風太の視界が明滅する。
柔らかい肉壁に敏感なペニスを擦りたてられ、彼は歌緒にみっともなくしがみついた。
「むり……っ、歌緒ちゃ……っ」
快感に脱力しつつも、風太は懸命に射精を堪える。
爪をたてかねない彼に、あはっと一つ笑って彼女は嗜虐心に満ちた顔で腰を振るう。
「ぅぐ……っ」
快楽に表情を歪め、歌緒は嫌らしく微笑む。
「出すんなら、ちゃんと奥だよっ♥」
そう言って、彼女は風太に深く腰を押し付ける。
剛直が強引に狭く柔らかな肉洞を掻き分けて押し進む感触に、彼の背筋がぞわぞわと泡立つ。
しかし歌緒は腰を止めることなく、ずぷずぷと呑みこむ。
「あ、っぁ、ぅあ…………っ」
腰を引くことも億劫なほどの快感に呑まれ、風太はびくびくと震えるばかりだ。
じんわりと甘い疼きに下腹部が染まり、そこに止めとコツッと硬質な感触。
射精寸前の亀頭に子宮口がぶつかり、彼の頭が真っ白になった。
「ふ、ぐぅぅ……っ!」
「あっはぁぁうぅぅ……♥」
ドクドクと注がれる白濁に歌緒は恍惚と打ち震え、絶頂の快感に頭を焦がされながら風太はぐったりと彼女に凭れかかる。
二度目の射精だというのに、結合部から精液が溢れる。
熱い迸りを一身に受け容れ、彼女もくたっと力を抜いた。
「…………んぁ?」
朦朧とする風太の視界に、まるでガスが燃えるような青い炎が揺蕩う。
まるで歌緒に纏わりつくように、しかし全く熱を感じられない焔。
燃え上がる黒髪に、うっすらと三角耳が立ち上がり、彼女のお尻からも尻尾のように火が揺れる。
「………………」
「ふはぁぁ、生き返るぅぅ……♥」
洒落にもならない独り言を漏らしながら、歌緒は狐のような尻尾を揺らす。
ゆらゆらと尻尾を振っているのか、それとも焔が揺れているのか。
風太は熱さを感じさせないその尻尾に掌を伸ばした。
むぎゅ
「ひゃんっ!?」
(あったかい……)
不確かな存在感でありながら、その尻尾は人肌のような温もりがあった。
もみもみと力加減を変えて尻尾を手揉みするたびに、歌緒の体がびくびくと痙攣する。
「ひっ、あ、ふっ、ふぅた、ちゃん、やめ……っ♥」
「あ、ごめん……」
どこか艶っぽい声で止められ、風太は名残惜しそうに尻尾を放す。
くったりと脱力したように膝を崩しかけ、歌緒はハァハァと荒く息を吐く。
墨の流れるような黒髪から覗くうなじには、しっとりと汗が滲んでいた。
「歌緒ちゃん、お狐さんだったん?」
「…………っ」
風太の疑問符に、歌緒は慌ててパッと頭の三角耳を隠そうとした。
尻尾も怯えるように縮こまり、風太はきょとんと首を傾げる。
「…………どしたん?」
「やっ…………、えっと……、変、じゃない?」
振り向きもせずに、彼女は震える声で尋ねる。
歌緒としては逃げ出したかったものの、風太にはバックを取られていて逃げられない。
そんな歌緒の心境は露知らず、彼はじっと彼女を見つめる。
そして、不意に彼女の尻尾を掴んだ。
「ぅひゃあっ!?」
もふもふ、もふもふ。
透けて見える青い尻尾を無言で弄び、風太はにんまりと口角を持ち上げた。
歌緒はくすぐったいのか、目尻に涙を浮かべるほどに悶える。
「ひゃあっはっふぇへへぇ、やめ、ふぅたちゃっ、うぇへへへ♥」
気色のよろしくない笑い声をあげて、歌緒は弓なりに背をそらして悶える。
彼女の息が切れるまで一しきり尻尾を揉みしだいて、風太もへらっと笑った。
「お狐の歌緒ちゃんは尻尾が弱いんやねぇ」
掻き乱した尻尾の毛並みを梳る風太の声はどこか優しい。
普段通りの声色に歌緒の三角耳がピンと立つ。
くすぐったそうに身じろぎしながら、彼女は恐る恐るゆっくりと振り向いた。
「風太ちゃ……っ?」
「変には見えんよ、歌緒ちゃん」
そんな彼女を押しとどめるように風太は背中から抱きしめた。
あまりにも自然に、さながら大型犬がじゃれつくように、風太はいつもと変わらなかった。
拍子抜けしたように歌緒も赤い頬を緩ませた。
「私、いい幼馴染もったよ」
「じゃあ、おいらはいいお嫁さんを貰ったね」
そんな風に、祭囃子の遠くで二人は笑いあった。
◆ ◆ ◆
「あは、は……」
リュックサックを背負い、困ったように笑う歌緒に風太は頬を引きつらせていた。
尻尾と耳は、相も変わらず淡く揺蕩っている。
なぜかは知らないが狐に憑かれた歌緒は、体力が有り余るほど元気になった。
そして連休最終日の晩、彼女は学校に戻らねばならない風太についていくと言い始めた。
「……迷惑、かな?」
そんな風に言われて断れるほど、常盤風太は図太い性分ではない。
そして断れないということを知っていてこう言う歌緒は、ぺろりと小さく舌を出した。
「いい性格になったね、歌緒ちゃん……」
「ちょっとくらい強引じゃないと、風太ちゃんは流されちゃいそうだもん♪」
必要悪だよ、ニヤリと悪役のように口角を釣り上げる歌緒は妙に嵌っていた。
ふわりと揺れた尻尾は上機嫌で、風太は仕方なさげに溜め息を吐いた。
「やっぱおいら、歌緒ちゃんには一生勝てる気がしないよ」
一生。
その言葉を何の躊躇いもなく、自然にそう言ったことを風太は気付かなかった。
そして、遠慮のないその言葉に、歌緒はにっこりと笑った。
「えへへ……、試さない?」
「試す……って、何を?」
「風太ちゃんが私に勝てるか、今日から毎晩、ね?」
着物の帯を緩めようと手を伸ばして、歌緒は艶やかに微笑む。
その意味を深く理解することなく、風太はへらっと笑い返した。
「いいね、オセロ? 大富豪?」
「……風太ちゃんは、浮気よりも誰かに騙されないか心配になってくるね」
「?」
屈託のない笑顔で首を傾げる風太に、歌緒は呆れたように溜め息を零した。
そんな彼女に、風太は何気なく時計を見てあっと声をあげた。
列車が来る時間が、それなりに近づいていた。
「歌緒ちゃん、そろそろ時間よ?」
「あ、本当だ。行こっか、風太ちゃん♪」
「ん」
差し出された小さな手を握り、風太は再びへらりと微笑んだ。
対して歌緒は、花が咲いたように歯を剥き出しにしてニッと笑った。
満点の星が、そんな二人を見下ろしていた。
――うちゅうのはじっこの、ささいなしあわせのはなし。
13/06/14 00:13更新 / みかん右大臣