俺は探すわけで、彼女の姿を探すわけで(後篇)
「まあ、リヴェル君のことだし。
言うまでもなく手伝ってくれると思うけどね」
コットンがそう言いながら扉の魔法陣に手を重ね、何かの魔法を発動した。薄く扉の魔法陣の上に新しく魔法陣が展開される。
言われずとも状況から、あれは解錠の魔法だろうと分かった。
「よし、準備できた。
トゥーモ、リヴェル君。どこでもいいからこの魔法陣に手を置いてくれる?」
「さっきの紙切れみたいに焼けないのか?」
コットンが催促する中、俺は真っ先に先程の出来事を思い出し怯む。しかし、すぐに吹っ切れた。
そう、怯んでいてはアルティに会えない。よって俺は恐る恐る扉に手を伸ばした。
「ほら、早く。焼けない焼けない。大丈〜夫」
そこでトゥーモが俺の手首を掴んで扉の魔法陣に押し付ける。
あいつ、せっかちかっ!?
「ちょっ!?」
心臓が止まりそうになった俺は文句を言おうとして、止めた。下らないことを言っている暇はない。気を抜けばアルティの組んだ扉を守る防衛用の術式で手痛い一撃を貰いそうだ。それに、何より、遅くなれば二度とアルティに会えなくなるような気がして―――。
俺はそうして目の前の魔法陣に集中する。そして、扉に触れたのになんともならない俺の体を見て理解した。
なるほど、コットンが展開したあの魔法陣は鍵の他に保護膜みたいな役目もするわけだな。
俺は改めて近くにいるコットンたちを凄いと感じた。
彼女たちが種族的にありえない領域の魔法を使う。
―――久々に俺が勇者でありながら落ちこぼれている事を思い出し、嫉妬が湧いてくる。
……嫌な考えに取りつかれそうになり、俺は深呼吸をした。今朝からどうしたんだ俺。どこかおかしいんじゃないか?落ち着こうとした先からそうやってまた不安定になる思考。俺は目の前の出来事により集中することで無理やり押し込めた。
俺が手を着けたのを確認するとコットンの発動している魔法の光が一際強くなった。
「よし、トゥーモ、リヴェル君!せーので一気に魔力を流すよ!強引に力でこの施錠魔術を壊すからっ」
ばちばちっと魔法陣から火花が散る。まるで、あれが耳を持っていて、今の会話を聞き、これからする事に反撃しようとしているが如く。
……あり得る。相手はアルティだ。魔術に長けるリッチという種族であり、防御、防衛系の魔法に関してはここの街の防衛設備に関わるほどエキスパート。だからあの施錠の魔法陣が自律行動をしてもおかしくない。
まあ、いいか。多分死ぬことはない。
俺は覚悟を決めて力を込める。
「せーのっ」
がごん!
強烈な魔力を解錠の魔術式と共に扉を封じている魔法陣に押し込む。俺たちが送った力の奔流が、それと同じもので構成されている幾何学模様に干渉して歪めていく。
この方法はいわばピッキングのようなもので、解錠の方法としては一番簡単だ。今回この方法でいくのは、アルティのような高位の魔術師が築いた封印の術式は完全にロジックや組成を解読するのに非常に時間を使うからだろう。
「まだいくよっ!せーのっ」
がぎん!
つまり、封印の完全解析だと時間がかかるならば、ある程度解錠の鍵に似た術式を用意してから、捩じ込んで開ければいい。
こっちは3人がかりだ。負ける可能性は少ない。
それに、この方法は正面から強引に破壊しにかかるより労力が少なくてすむ。
「せーのっ」
ぼごん!
轟音が空虚なこの場所に響く。
ここまでやればいけたか……?
「ちょっ!?これは……!すぐ離れて!」
突然コットンが叫んだ。刹那、急に体から力が抜け始める。加えて手が硬直して離れられない。コットンたちも叫んだものの離れられないでいるようだ。厄介なことにあの施錠式はコットンの魔法陣を吸収したようだ。微妙に大きくなり、構成も多少変わったのを確認した。
そして、防壁がなくなったわけで―――。
魔法陣の術式の一部が入れ墨のように腕に絡み付いてくる。
まさか……魔力吸収系の魔法も組み込まれているのか。
重くなる体と反比例するかのように頭ははっきりと働く。だが、はっきりとしていたところで俺の頭じゃ考えられる事はたかが知れている。
どうすればいい?死ぬまで魔力を吸われる事はないだろうが、これではまずい。
魔法を扉に撃ってその反動で後ろに飛ぶか?いや、魔力を吸われている状態でそれは難しい。うまく制御ができるかどうか。
くそっ、いくら考えてもどうしようもない事が分かるだけだ。誰かに助けを―――
「とりゃっ!ルセフィ参上!」
突然だが、ここで軽いノリのベルゼブブが突貫してきた。
そして、あいつが魔法陣から俺たちを引き離す。
強烈なラリアットをぶちかますという方法で。
「うりゃあ!」
弾かれてぽよんぽよんとゴム毬のように床を転がっていくコットン。床になぎ倒された俺とトゥーモ。俺はと言うと、視界がチカチカと明滅したと思うと、間髪入れず床に頭を打ち付け、スタァァァンとそれはそれはいい音がした。そして、その横にドヤ顔で立つルセフィ。
いや、確かに助けて欲しいとは一瞬思ったが、これはない。
「あはは―助かったよ―ルセフィ―」
「うんうん、ありがとルセフィ」
床に転がりながらコットンとトゥーモがルセフィに声をかける。ああ、相変わらず笑顔だ。俺はそれを見た後で立ち上がる。万が一、何かに巻き込まれたら困るからだ。
俺は何を考えているか分からないあの姉妹はやはりほんの少しだが苦手だ。いい人なのは間違いないだろうが、怒ったらどうなるか分からない人の筆頭だし。
まあ、今の状況が状況だけに流石に今すぐはないか。
ルセフィ、後でひどい目に遭わないといいな。俺はそっと心の中で祈った。
「はい、飲むと疲れが取れますよ」
すかさず何か巨大な三角フラスコの中に入った魔法薬を勧めるのは大百足の千幸。折角なんだが、湯気もたっていないのにボコボコと煮えているかのように泡を吹いているそれを飲む勇気は俺には無い。飲むことを躊躇うのに十分な見た目に俺は他の皆の反応を見た。
他の皆も飲みたくないみたいで急に口を閉ざしていた。
ああ、と俺はそれですべてを察した。
俺たちの様子を見て千幸は少し眉をひそめる。どうやら自分の作った魔法薬に絶対の自信があるようだった。
「むむ、本当に楽になりますから!それ〜」
そう言うと千幸はまだ倒れたままのトゥーモとコットンの口にじょうごを突っ込むと謎のショッキングブルーな液体を一気に流し込む。
「「ももごー!ももごごー!」」
止めてー助けてー。そういった魂の叫びが聞こえた気がした。
とにかく、俺は初めてあの2人の余裕に満ちた笑顔が崩れるのを見る。
よし、あれは飲んだら死ぬな。俺はそう把握した。
飲まされた彼女たち2人はしばらく呻いた後、微妙な表情で眠りに……いや、意識が落ちた。あの2人の決して安らかではない寝顔に俺は戦慄した。
あれの味か何かは知らないが、あの液体はとんでもないだろう事が分かったということが1つ。それと、このままでは俺も飲まされかねないからというのが2つ目。
「と、とにかく助けに来てくれてありがとう」
俺はあの大百足の意識を逸らすためにそう言った。一応本心からの言葉だから変に勘繰られなくて安全だろう。これで話がアルティの研究室に乗り込む話に傾けばよし。
「いえいえ、アルティさんは私たちの大事な友人ですし。駆け付けない理由がありませんよ」
善意で(たちが悪いことに)トゥーモとコットンをノックアウトしてしまった千幸がにこりと笑う。その手には未だに半分くらい残っている先程の液体の入ったフラスコ。
空のような色をした液体は、その色の涼しげなイメージとは裏腹にぼこぼこと沸いている。
「それで、リヴェルさんも飲んでくださいな。だいぶ魔力を消費したでしょう?」
がしりと腕を掴まれた。
あの流れから、逃げられないだと?
「大丈夫ですって効果は保証します」
俺は気配を消してこの被害から逃れているルセフィを軽く恨みながらフラスコの残りを飲まされた。
なんとも言えない味が口の中に広がる……。
◇◆◇◆◇◆
「はぁ、死ぬかと」
ぐったりとしながら俺は呟いた。
だが、まさかあの味で回復効果があるとは。俺は口を拭ってから立ち上がった。あの後、数分は気絶したらしく、気が付くと床に転がっていた。
しかしだ、失われた魔力がかなり元通りまで復活しているのを感じる。異様なまでの効果だ。普通の薬師ではなかなか真似できない領域だろう。教団領では本当に頼りにされている勇者にしか渡されないクラスの代物だ。
ここまで効果のあるものを作れるのは毒を身に持つ魔物だからなのだろうか。毒竜であるアウシェと同じく、身に毒を持つからこそ薬品の扱いに慣れているということなのか。
俺はそれ以上考えると終わらなくなりそうなので、適当にそこで思考を切り上げた。
それにしても、執拗に自作の魔法薬を飲むことを勧めて来た千幸に今度から気を付けないとな。酒の席とかで酔ったときに近くにいたら酒とか薬とかいろいろ飲まされそうだ。
そう思いながら自分の頬を叩いて変な方向に思考がそれがちな意識を元に戻そうと試みた。そうして頭の靄が晴れれば、魔力以外に体力も回復していることに気付く。
ジパングには良薬は口に苦しという言葉があるらしいが、まさにそれなのだろう。
と、そういう事に思考を割いている場合じゃない。
俺は何もかもを拒絶するような分厚い鋼鉄の扉を睨んだ。
先程の一件で一回りほど術式が大きくなり余計に開けにくくなっているように見える。
単なる魔術ロックの多重化されたものならばまだ良かった。が、今までの出来事とこの様子だと、要塞の如く堅牢かつ攻性のあるもののようだ。さらに自己修復の機能も付いていると見える。
いつぞやの結界の仕事の時にいった通り俺はこういった複雑な魔法に明るくない。
ここに来るまでは自分だけで解決しようと思っていたが、悔しいことに俺だけではどうも太刀打ちができなさそうだ。
俺はルセフィと千幸、加えて未だに気絶中のモコモコした二人組の方を向く。
「……あれは開きそうか?」
「私では難しいですね。頑丈な上に思ったより式が複雑ですから」
千幸が即答した。
『本の虫』と呼ばれる彼女たちでも無理か。流石はアルティだ。
「聞いた話、アルティは研究室に籠る時、物凄い時間籠るらしいからな。
……俺は待てない。」
魔力を込めると俺の左腕に刻まれた砂時計の刻印がうっすらと光る。……致命的な副作用と共に破滅的な威力を生み出せる強化系の魔術。
「多少禁じ手を使ってでもこじ開けるつもり―――」
「す、す、ストップ、です!り、リヴェルさ、ん」
『砂漏陣』を開放し、力ずくで扉を破壊しようとしていた俺はすんでで止まった。
自分でもまだ止まれるだけの自制心があったのかと驚くが、現れた人物を見てさらに驚いた。
「遅れ、ました。ローチェ、です」
突然現れた彼女は相変わらずフードを両手で掴んでしっかりと顔を隠している。
「ローチェ!?司書の仕事大丈夫?それと―――」
ルセフィが珍しく心配したようにローチェに聞いた。
というか、ローチェ、ここの司書だったのか。俺はさらに衝撃を受ける。
衝撃をうけている俺を尻目にローチェが答えた。
「ス、ストップ。だ、大丈夫、です。あの、適当にその、その辺にいた、ま、魔女、の方に、押し付け、て来ました、ので」
そして、そういうや否や、いつもしっかりと被っているフードを手で払うように取った。
ふわりと揺れる栗色の髪に―――チョコレート色の触覚!?
俺はローチェが自分の姿をどれだけ嫌っているかを思い出し、言った。
「ローチェ!人化解けてるぞ!」
それに彼女はそっと笑って自分の口の前で指を立てた。
「言わないでください。分かっています。
自分で、解いたんです。
流石に、私は種族柄、人化をしながらあれを打ち破れるほど器用ではないので」
そう答えながらローチェは扉に近づいた。
人化を解いてから、喋り方が少し流暢になった気がする。
「あの、リヴェルさん?」
「なんだ?」
「恐らく私の魔力量だとぎりぎりあの魔法陣を消せないと思うので、私がいいと言ったらおもいっきり何か魔法をぶつけてください」
「分かった」
「……では、マジカルかつロジカルに―――」
ぶん、とローチェの手が光ったかと思うと無数の式が空中に現れた。
俺の知らない文字、式、少し見覚えのある魔術式に記号が入り乱れる。
微塵も理解できない言葉を呟きながら、彼女はゆったりと宙を指でかき混ぜる。
それと共に、扉に刻まれた魔法陣が明滅し、薄皮を剥がすように小さくなっていく。
まさか、と思ったが、まさかだ。ローチェはあの魔法陣を読み解いて崩していっている。
騒ぎやすい質のルセフィですら、この状況を黙って見守っていた。
「……アルティさんにしては防壁が緩いですね。反撃の魔術は強力なんですけれど」
そんなことを言いながら事も無げに作業を続けるローチェ。なぜ彼女がこれほどまで魔術に精通しているか分からないが、ありがたい。これでアルティに会える可能性がぐんと上がった。いや、会える。
俺は彼女の茶色の甲殻に包まれた手が空に式を紡いでいくのを見ながら確信した。
静まっていた鼓動がだんだんと早まるのを感じる。
「さて、そろそろっ!リヴェルさん!!」
ローチェがそう叫ぶ頃には、鉄壁かと思われたあの魔法陣の封印も弱々しく光るのみだった。
「ああ、いくぞ!」
ぐっ、と左手を握り、魔力を集める。もう、俺程度が強引に破ろうとしても、あれは簡単に壊れるだろう。
……その先には、アルティが。
そう思うと少しばかり力んでしまう気がする。
まあ―――問題ない―――だろうっ!
俺の振るおうとする腕は、多少の緊張と期待と色々がない交ぜになって震えていた。
しかし、だからこそこれ以上なく正確に、俺は魔法陣の中央を貫く。外さない。
意地でも、だ。
風を切る音と尾を引くような光を残し、俺は拳を扉に打ち付けた。
爆発音。破砕。割れる音。飛び散る光。
アルティのこもっている砦への扉は今をもって、ただの鉄の扉と化した。
「あ、ひ、開きましたね、り、リヴェルさん」
俺が魔法をぶちかましてからの扉を確認したローチェはすぐに床にへたりこんだ。相当消耗したのか、俯いたままでぜいぜいと言っている。
「だ、大丈夫か!?」
「いえ、き、気にしないで、ください。早く、早くアルティさんに会いたいんでしょう?」
そうは言うものの、と、俺はローチェに近寄ろうとしたが、トゥーモに制止された。
「ローチェの事は私たちで何とかするからさ〜アルティの方をお願いするよ〜」
トゥーモがローチェを背負いながらそう言う。
他の『本の虫』の皆も各々帰り支度とばかりに作業をしている。
確か、あいつらもアルティに会いたかったはずでは、と俺は思わず声をかけた。
すると、トゥーモが意味深な笑顔と共に振り向く。
「いや〜だってさ〜。ローチェがかなり消耗しているから負担がかからない場所まで運ばないと〜。私たちは君がアルティと話をした後でもアルティに会いに行けるからね〜
ふふ、ね?
アルティが研究室に籠りすぎないように説得頼んだよ〜」
からからと笑う彼女は最後に親指を立てると上機嫌で階段を上っていった。
物凄く世話を焼かれた気がする。
……まあ、そうだな、早くしないとまた扉が封じられるかもしれない。わざわざこうして機会を作ってくれたトゥーモたちに頭を下げた。
彼女たちが見えなくなる前に礼を一言言ってからアルティのいる所へと進む。
障害は取り除いた。後は進むだけだ。
◇◆◇◆◇◆
扉の先は薄暗く、先程の夜空に浮かんだような空間ではなかった。
どうやら、扉の先には使用者の望んだ空間が作成されるらしく、ここの場合は石畳が延々と続いている。それはさながら地下牢への道のようでもあったが、血やその他の嫌な臭いはしない。ただ、不安な気持ちになってくる。
暑くもなく、寒くもなく。乾いても湿ってもおらず。重苦しい見た目のわりに快適な空間だ。
……快適だがこんな閉鎖空間、気が滅入る。
通路に一切の罠は無く、どうぞ奥にお進みくださいと言わんばかりの一本道。
やや薄暗く、入った時点では一番奥を見るのは難しかった。
そして、進み、やっと見えてきたその奥で、目を見開いて俺が近づくのを見ているのが―――
「アルティ!!!」
―――リッチのアルティツィオーネ。
たった半日ほど会っていなかっただけなのに、胸が熱くなり、早鐘を打つ。それはトゥーモたちからもうしばらく研究室に籠りきりになると聞いたからか?
いや、分からない。分からないが、どうしようもなさそうな気持ちがあふれかえっているのは分かる。今はただ、会えて良かったとしか思えない。
あいつは初めて会った時以来の格好をしていた。つまり、裸にただローブを羽織っただけの姿。
ついでに、何か分からないが、今まさに実験の最中だったのだろう。アルティは魔法陣のど真ん中に座っていた。
俺は我慢できずに駆け寄る。
アルティはそれで、はっと我に帰ると、俺に体を見せないようにローブの端をぐっと持ち、一言呪文を呟く。すると少し光った後、彼女は普段のような姿に瞬間で着衣した。
「リヴェル……」
ばつが悪いような声色で、ぼそりとアルティは俺を呼んだ。
アルティがついさっきまで自身の胸にあてがっていた短刀が床に落ちる。かんっ、からららら、と軽い音を立てながら石畳を滑る。
俺はそれを見て思わず止まった。
「アルティ……?何をしようとしていたんだ」
「……」
アルティは答えず、立ち上がって、何も言わずこちらに向かって歩いてきた。
彼女にしては珍しくフードを深く被っており、顔が見えない。
俺の前で止まるかと思えば、すっと俺の横を通り過ぎていく。
「ここじゃ……息苦しいから、少し外に出て話そう」
振り返ったアルティがそう言うから、俺はもう着いて行くくらいの事しかできなかった。
『禁書の海』及び、その内部の施設では一切転移魔法が使えないようになっている。
アウシェの集めた文字通りの『禁書』が少なくない数、納められているからだ。
アルティは、どこか遠い所で―――邪魔か入らない所で、話がしたいようだった。
あの研究室は邪魔が入らないじゃないか、と聞くと、閉鎖空間では話したくない、とすぐに返される。
それで『禁書の海』を出ると、彼女は再び俺の方を向き、転移魔法を発動させた。
いつも以上に口を利かないアルティがぼそり、と呪文を呟く。
視界が光に呑まれ、音が渦巻き、息が詰まるような眩しさに包まれて数瞬後、俺とアルティは河原に立っていた。
見覚えがある―――と、いうか、忘れられない―――
―――ここから全てが始まった、と言っても過言ではない。ここは、アルティと初めて会ったあの河原だった。
「リヴェル。少し、話を聞いてくれる?
まだ誰にも言ったことの無い、下らない話だけれども」
俺が何かを言う前に、アルティは口を開いた。
依然として、フードを深く被っていて表情がよく読めない。
「―――リヴェル、私も勇者だった」
「……え?」
「私も、昔、勇者だったの。しかも、落ちこぼれの」
アルティは、アルティにしては珍しく、俺が前にいるにもかかわらず、目と目を合わせずにそう語った。
あいつの声は、いつも通り、平坦で感情が感じられないが―――
―――わずかに……震えていた。
言うまでもなく手伝ってくれると思うけどね」
コットンがそう言いながら扉の魔法陣に手を重ね、何かの魔法を発動した。薄く扉の魔法陣の上に新しく魔法陣が展開される。
言われずとも状況から、あれは解錠の魔法だろうと分かった。
「よし、準備できた。
トゥーモ、リヴェル君。どこでもいいからこの魔法陣に手を置いてくれる?」
「さっきの紙切れみたいに焼けないのか?」
コットンが催促する中、俺は真っ先に先程の出来事を思い出し怯む。しかし、すぐに吹っ切れた。
そう、怯んでいてはアルティに会えない。よって俺は恐る恐る扉に手を伸ばした。
「ほら、早く。焼けない焼けない。大丈〜夫」
そこでトゥーモが俺の手首を掴んで扉の魔法陣に押し付ける。
あいつ、せっかちかっ!?
「ちょっ!?」
心臓が止まりそうになった俺は文句を言おうとして、止めた。下らないことを言っている暇はない。気を抜けばアルティの組んだ扉を守る防衛用の術式で手痛い一撃を貰いそうだ。それに、何より、遅くなれば二度とアルティに会えなくなるような気がして―――。
俺はそうして目の前の魔法陣に集中する。そして、扉に触れたのになんともならない俺の体を見て理解した。
なるほど、コットンが展開したあの魔法陣は鍵の他に保護膜みたいな役目もするわけだな。
俺は改めて近くにいるコットンたちを凄いと感じた。
彼女たちが種族的にありえない領域の魔法を使う。
―――久々に俺が勇者でありながら落ちこぼれている事を思い出し、嫉妬が湧いてくる。
……嫌な考えに取りつかれそうになり、俺は深呼吸をした。今朝からどうしたんだ俺。どこかおかしいんじゃないか?落ち着こうとした先からそうやってまた不安定になる思考。俺は目の前の出来事により集中することで無理やり押し込めた。
俺が手を着けたのを確認するとコットンの発動している魔法の光が一際強くなった。
「よし、トゥーモ、リヴェル君!せーので一気に魔力を流すよ!強引に力でこの施錠魔術を壊すからっ」
ばちばちっと魔法陣から火花が散る。まるで、あれが耳を持っていて、今の会話を聞き、これからする事に反撃しようとしているが如く。
……あり得る。相手はアルティだ。魔術に長けるリッチという種族であり、防御、防衛系の魔法に関してはここの街の防衛設備に関わるほどエキスパート。だからあの施錠の魔法陣が自律行動をしてもおかしくない。
まあ、いいか。多分死ぬことはない。
俺は覚悟を決めて力を込める。
「せーのっ」
がごん!
強烈な魔力を解錠の魔術式と共に扉を封じている魔法陣に押し込む。俺たちが送った力の奔流が、それと同じもので構成されている幾何学模様に干渉して歪めていく。
この方法はいわばピッキングのようなもので、解錠の方法としては一番簡単だ。今回この方法でいくのは、アルティのような高位の魔術師が築いた封印の術式は完全にロジックや組成を解読するのに非常に時間を使うからだろう。
「まだいくよっ!せーのっ」
がぎん!
つまり、封印の完全解析だと時間がかかるならば、ある程度解錠の鍵に似た術式を用意してから、捩じ込んで開ければいい。
こっちは3人がかりだ。負ける可能性は少ない。
それに、この方法は正面から強引に破壊しにかかるより労力が少なくてすむ。
「せーのっ」
ぼごん!
轟音が空虚なこの場所に響く。
ここまでやればいけたか……?
「ちょっ!?これは……!すぐ離れて!」
突然コットンが叫んだ。刹那、急に体から力が抜け始める。加えて手が硬直して離れられない。コットンたちも叫んだものの離れられないでいるようだ。厄介なことにあの施錠式はコットンの魔法陣を吸収したようだ。微妙に大きくなり、構成も多少変わったのを確認した。
そして、防壁がなくなったわけで―――。
魔法陣の術式の一部が入れ墨のように腕に絡み付いてくる。
まさか……魔力吸収系の魔法も組み込まれているのか。
重くなる体と反比例するかのように頭ははっきりと働く。だが、はっきりとしていたところで俺の頭じゃ考えられる事はたかが知れている。
どうすればいい?死ぬまで魔力を吸われる事はないだろうが、これではまずい。
魔法を扉に撃ってその反動で後ろに飛ぶか?いや、魔力を吸われている状態でそれは難しい。うまく制御ができるかどうか。
くそっ、いくら考えてもどうしようもない事が分かるだけだ。誰かに助けを―――
「とりゃっ!ルセフィ参上!」
突然だが、ここで軽いノリのベルゼブブが突貫してきた。
そして、あいつが魔法陣から俺たちを引き離す。
強烈なラリアットをぶちかますという方法で。
「うりゃあ!」
弾かれてぽよんぽよんとゴム毬のように床を転がっていくコットン。床になぎ倒された俺とトゥーモ。俺はと言うと、視界がチカチカと明滅したと思うと、間髪入れず床に頭を打ち付け、スタァァァンとそれはそれはいい音がした。そして、その横にドヤ顔で立つルセフィ。
いや、確かに助けて欲しいとは一瞬思ったが、これはない。
「あはは―助かったよ―ルセフィ―」
「うんうん、ありがとルセフィ」
床に転がりながらコットンとトゥーモがルセフィに声をかける。ああ、相変わらず笑顔だ。俺はそれを見た後で立ち上がる。万が一、何かに巻き込まれたら困るからだ。
俺は何を考えているか分からないあの姉妹はやはりほんの少しだが苦手だ。いい人なのは間違いないだろうが、怒ったらどうなるか分からない人の筆頭だし。
まあ、今の状況が状況だけに流石に今すぐはないか。
ルセフィ、後でひどい目に遭わないといいな。俺はそっと心の中で祈った。
「はい、飲むと疲れが取れますよ」
すかさず何か巨大な三角フラスコの中に入った魔法薬を勧めるのは大百足の千幸。折角なんだが、湯気もたっていないのにボコボコと煮えているかのように泡を吹いているそれを飲む勇気は俺には無い。飲むことを躊躇うのに十分な見た目に俺は他の皆の反応を見た。
他の皆も飲みたくないみたいで急に口を閉ざしていた。
ああ、と俺はそれですべてを察した。
俺たちの様子を見て千幸は少し眉をひそめる。どうやら自分の作った魔法薬に絶対の自信があるようだった。
「むむ、本当に楽になりますから!それ〜」
そう言うと千幸はまだ倒れたままのトゥーモとコットンの口にじょうごを突っ込むと謎のショッキングブルーな液体を一気に流し込む。
「「ももごー!ももごごー!」」
止めてー助けてー。そういった魂の叫びが聞こえた気がした。
とにかく、俺は初めてあの2人の余裕に満ちた笑顔が崩れるのを見る。
よし、あれは飲んだら死ぬな。俺はそう把握した。
飲まされた彼女たち2人はしばらく呻いた後、微妙な表情で眠りに……いや、意識が落ちた。あの2人の決して安らかではない寝顔に俺は戦慄した。
あれの味か何かは知らないが、あの液体はとんでもないだろう事が分かったということが1つ。それと、このままでは俺も飲まされかねないからというのが2つ目。
「と、とにかく助けに来てくれてありがとう」
俺はあの大百足の意識を逸らすためにそう言った。一応本心からの言葉だから変に勘繰られなくて安全だろう。これで話がアルティの研究室に乗り込む話に傾けばよし。
「いえいえ、アルティさんは私たちの大事な友人ですし。駆け付けない理由がありませんよ」
善意で(たちが悪いことに)トゥーモとコットンをノックアウトしてしまった千幸がにこりと笑う。その手には未だに半分くらい残っている先程の液体の入ったフラスコ。
空のような色をした液体は、その色の涼しげなイメージとは裏腹にぼこぼこと沸いている。
「それで、リヴェルさんも飲んでくださいな。だいぶ魔力を消費したでしょう?」
がしりと腕を掴まれた。
あの流れから、逃げられないだと?
「大丈夫ですって効果は保証します」
俺は気配を消してこの被害から逃れているルセフィを軽く恨みながらフラスコの残りを飲まされた。
なんとも言えない味が口の中に広がる……。
◇◆◇◆◇◆
「はぁ、死ぬかと」
ぐったりとしながら俺は呟いた。
だが、まさかあの味で回復効果があるとは。俺は口を拭ってから立ち上がった。あの後、数分は気絶したらしく、気が付くと床に転がっていた。
しかしだ、失われた魔力がかなり元通りまで復活しているのを感じる。異様なまでの効果だ。普通の薬師ではなかなか真似できない領域だろう。教団領では本当に頼りにされている勇者にしか渡されないクラスの代物だ。
ここまで効果のあるものを作れるのは毒を身に持つ魔物だからなのだろうか。毒竜であるアウシェと同じく、身に毒を持つからこそ薬品の扱いに慣れているということなのか。
俺はそれ以上考えると終わらなくなりそうなので、適当にそこで思考を切り上げた。
それにしても、執拗に自作の魔法薬を飲むことを勧めて来た千幸に今度から気を付けないとな。酒の席とかで酔ったときに近くにいたら酒とか薬とかいろいろ飲まされそうだ。
そう思いながら自分の頬を叩いて変な方向に思考がそれがちな意識を元に戻そうと試みた。そうして頭の靄が晴れれば、魔力以外に体力も回復していることに気付く。
ジパングには良薬は口に苦しという言葉があるらしいが、まさにそれなのだろう。
と、そういう事に思考を割いている場合じゃない。
俺は何もかもを拒絶するような分厚い鋼鉄の扉を睨んだ。
先程の一件で一回りほど術式が大きくなり余計に開けにくくなっているように見える。
単なる魔術ロックの多重化されたものならばまだ良かった。が、今までの出来事とこの様子だと、要塞の如く堅牢かつ攻性のあるもののようだ。さらに自己修復の機能も付いていると見える。
いつぞやの結界の仕事の時にいった通り俺はこういった複雑な魔法に明るくない。
ここに来るまでは自分だけで解決しようと思っていたが、悔しいことに俺だけではどうも太刀打ちができなさそうだ。
俺はルセフィと千幸、加えて未だに気絶中のモコモコした二人組の方を向く。
「……あれは開きそうか?」
「私では難しいですね。頑丈な上に思ったより式が複雑ですから」
千幸が即答した。
『本の虫』と呼ばれる彼女たちでも無理か。流石はアルティだ。
「聞いた話、アルティは研究室に籠る時、物凄い時間籠るらしいからな。
……俺は待てない。」
魔力を込めると俺の左腕に刻まれた砂時計の刻印がうっすらと光る。……致命的な副作用と共に破滅的な威力を生み出せる強化系の魔術。
「多少禁じ手を使ってでもこじ開けるつもり―――」
「す、す、ストップ、です!り、リヴェルさ、ん」
『砂漏陣』を開放し、力ずくで扉を破壊しようとしていた俺はすんでで止まった。
自分でもまだ止まれるだけの自制心があったのかと驚くが、現れた人物を見てさらに驚いた。
「遅れ、ました。ローチェ、です」
突然現れた彼女は相変わらずフードを両手で掴んでしっかりと顔を隠している。
「ローチェ!?司書の仕事大丈夫?それと―――」
ルセフィが珍しく心配したようにローチェに聞いた。
というか、ローチェ、ここの司書だったのか。俺はさらに衝撃を受ける。
衝撃をうけている俺を尻目にローチェが答えた。
「ス、ストップ。だ、大丈夫、です。あの、適当にその、その辺にいた、ま、魔女、の方に、押し付け、て来ました、ので」
そして、そういうや否や、いつもしっかりと被っているフードを手で払うように取った。
ふわりと揺れる栗色の髪に―――チョコレート色の触覚!?
俺はローチェが自分の姿をどれだけ嫌っているかを思い出し、言った。
「ローチェ!人化解けてるぞ!」
それに彼女はそっと笑って自分の口の前で指を立てた。
「言わないでください。分かっています。
自分で、解いたんです。
流石に、私は種族柄、人化をしながらあれを打ち破れるほど器用ではないので」
そう答えながらローチェは扉に近づいた。
人化を解いてから、喋り方が少し流暢になった気がする。
「あの、リヴェルさん?」
「なんだ?」
「恐らく私の魔力量だとぎりぎりあの魔法陣を消せないと思うので、私がいいと言ったらおもいっきり何か魔法をぶつけてください」
「分かった」
「……では、マジカルかつロジカルに―――」
ぶん、とローチェの手が光ったかと思うと無数の式が空中に現れた。
俺の知らない文字、式、少し見覚えのある魔術式に記号が入り乱れる。
微塵も理解できない言葉を呟きながら、彼女はゆったりと宙を指でかき混ぜる。
それと共に、扉に刻まれた魔法陣が明滅し、薄皮を剥がすように小さくなっていく。
まさか、と思ったが、まさかだ。ローチェはあの魔法陣を読み解いて崩していっている。
騒ぎやすい質のルセフィですら、この状況を黙って見守っていた。
「……アルティさんにしては防壁が緩いですね。反撃の魔術は強力なんですけれど」
そんなことを言いながら事も無げに作業を続けるローチェ。なぜ彼女がこれほどまで魔術に精通しているか分からないが、ありがたい。これでアルティに会える可能性がぐんと上がった。いや、会える。
俺は彼女の茶色の甲殻に包まれた手が空に式を紡いでいくのを見ながら確信した。
静まっていた鼓動がだんだんと早まるのを感じる。
「さて、そろそろっ!リヴェルさん!!」
ローチェがそう叫ぶ頃には、鉄壁かと思われたあの魔法陣の封印も弱々しく光るのみだった。
「ああ、いくぞ!」
ぐっ、と左手を握り、魔力を集める。もう、俺程度が強引に破ろうとしても、あれは簡単に壊れるだろう。
……その先には、アルティが。
そう思うと少しばかり力んでしまう気がする。
まあ―――問題ない―――だろうっ!
俺の振るおうとする腕は、多少の緊張と期待と色々がない交ぜになって震えていた。
しかし、だからこそこれ以上なく正確に、俺は魔法陣の中央を貫く。外さない。
意地でも、だ。
風を切る音と尾を引くような光を残し、俺は拳を扉に打ち付けた。
爆発音。破砕。割れる音。飛び散る光。
アルティのこもっている砦への扉は今をもって、ただの鉄の扉と化した。
「あ、ひ、開きましたね、り、リヴェルさん」
俺が魔法をぶちかましてからの扉を確認したローチェはすぐに床にへたりこんだ。相当消耗したのか、俯いたままでぜいぜいと言っている。
「だ、大丈夫か!?」
「いえ、き、気にしないで、ください。早く、早くアルティさんに会いたいんでしょう?」
そうは言うものの、と、俺はローチェに近寄ろうとしたが、トゥーモに制止された。
「ローチェの事は私たちで何とかするからさ〜アルティの方をお願いするよ〜」
トゥーモがローチェを背負いながらそう言う。
他の『本の虫』の皆も各々帰り支度とばかりに作業をしている。
確か、あいつらもアルティに会いたかったはずでは、と俺は思わず声をかけた。
すると、トゥーモが意味深な笑顔と共に振り向く。
「いや〜だってさ〜。ローチェがかなり消耗しているから負担がかからない場所まで運ばないと〜。私たちは君がアルティと話をした後でもアルティに会いに行けるからね〜
ふふ、ね?
アルティが研究室に籠りすぎないように説得頼んだよ〜」
からからと笑う彼女は最後に親指を立てると上機嫌で階段を上っていった。
物凄く世話を焼かれた気がする。
……まあ、そうだな、早くしないとまた扉が封じられるかもしれない。わざわざこうして機会を作ってくれたトゥーモたちに頭を下げた。
彼女たちが見えなくなる前に礼を一言言ってからアルティのいる所へと進む。
障害は取り除いた。後は進むだけだ。
◇◆◇◆◇◆
扉の先は薄暗く、先程の夜空に浮かんだような空間ではなかった。
どうやら、扉の先には使用者の望んだ空間が作成されるらしく、ここの場合は石畳が延々と続いている。それはさながら地下牢への道のようでもあったが、血やその他の嫌な臭いはしない。ただ、不安な気持ちになってくる。
暑くもなく、寒くもなく。乾いても湿ってもおらず。重苦しい見た目のわりに快適な空間だ。
……快適だがこんな閉鎖空間、気が滅入る。
通路に一切の罠は無く、どうぞ奥にお進みくださいと言わんばかりの一本道。
やや薄暗く、入った時点では一番奥を見るのは難しかった。
そして、進み、やっと見えてきたその奥で、目を見開いて俺が近づくのを見ているのが―――
「アルティ!!!」
―――リッチのアルティツィオーネ。
たった半日ほど会っていなかっただけなのに、胸が熱くなり、早鐘を打つ。それはトゥーモたちからもうしばらく研究室に籠りきりになると聞いたからか?
いや、分からない。分からないが、どうしようもなさそうな気持ちがあふれかえっているのは分かる。今はただ、会えて良かったとしか思えない。
あいつは初めて会った時以来の格好をしていた。つまり、裸にただローブを羽織っただけの姿。
ついでに、何か分からないが、今まさに実験の最中だったのだろう。アルティは魔法陣のど真ん中に座っていた。
俺は我慢できずに駆け寄る。
アルティはそれで、はっと我に帰ると、俺に体を見せないようにローブの端をぐっと持ち、一言呪文を呟く。すると少し光った後、彼女は普段のような姿に瞬間で着衣した。
「リヴェル……」
ばつが悪いような声色で、ぼそりとアルティは俺を呼んだ。
アルティがついさっきまで自身の胸にあてがっていた短刀が床に落ちる。かんっ、からららら、と軽い音を立てながら石畳を滑る。
俺はそれを見て思わず止まった。
「アルティ……?何をしようとしていたんだ」
「……」
アルティは答えず、立ち上がって、何も言わずこちらに向かって歩いてきた。
彼女にしては珍しくフードを深く被っており、顔が見えない。
俺の前で止まるかと思えば、すっと俺の横を通り過ぎていく。
「ここじゃ……息苦しいから、少し外に出て話そう」
振り返ったアルティがそう言うから、俺はもう着いて行くくらいの事しかできなかった。
『禁書の海』及び、その内部の施設では一切転移魔法が使えないようになっている。
アウシェの集めた文字通りの『禁書』が少なくない数、納められているからだ。
アルティは、どこか遠い所で―――邪魔か入らない所で、話がしたいようだった。
あの研究室は邪魔が入らないじゃないか、と聞くと、閉鎖空間では話したくない、とすぐに返される。
それで『禁書の海』を出ると、彼女は再び俺の方を向き、転移魔法を発動させた。
いつも以上に口を利かないアルティがぼそり、と呪文を呟く。
視界が光に呑まれ、音が渦巻き、息が詰まるような眩しさに包まれて数瞬後、俺とアルティは河原に立っていた。
見覚えがある―――と、いうか、忘れられない―――
―――ここから全てが始まった、と言っても過言ではない。ここは、アルティと初めて会ったあの河原だった。
「リヴェル。少し、話を聞いてくれる?
まだ誰にも言ったことの無い、下らない話だけれども」
俺が何かを言う前に、アルティは口を開いた。
依然として、フードを深く被っていて表情がよく読めない。
「―――リヴェル、私も勇者だった」
「……え?」
「私も、昔、勇者だったの。しかも、落ちこぼれの」
アルティは、アルティにしては珍しく、俺が前にいるにもかかわらず、目と目を合わせずにそう語った。
あいつの声は、いつも通り、平坦で感情が感じられないが―――
―――わずかに……震えていた。
14/09/26 14:47更新 / 夜想剣
戻る
次へ