連載小説
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俺は知るわけで、そして彼女に言うわけで
アルティはゆっくりと口を開け、覚悟を決めたように話し始めた。いつものようにぶつりと言葉を切ることはない。声はまだ震えているが、滑らかに、すらすらと言葉を並べていく。

「私は、旧い魔王の時代、勇者として生まれた。当時の勇者は、魔物と命をかけて戦っていた分、今の勇者と比べて死者が多かったのは知ってる?」

「あ、ああ」

俺は頷いた。教団領にいた頃はその手の資料が山のようにあったから、そういった知識はある。特に勇者育成の過程で嫌というほど見せられた。

「期待、希望、願い。背負いたくないものを無理矢理背負わされて戦わされて。挙げ句、戦っているのは私たちなのに、主神様の加護のおかげでこの魔物の群れは撃退できました、と。まあ、手柄には興味がなかったけれど」

あの頃は本当に守るために戦う事だけが全てだったし、とアルティが言う。曰く、当時戦況が悪く、勇者の証である主神の加護を受けた兆候が出れば、否応なく勇者として戦場に駆り出されたとか。そして、それはアルティに主神の加護が現れたときも例外ではなかったらしい。
そして、いきなり饒舌になった彼女に俺は面食らう。時折思い出したように饒舌になるが、今日ほどなのは今までに無い。言いたいことがせきを切ってあふれたようになっている。
だが、その勢いのわりにフードの陰になっていない口元からはいつも通り無表情だろうことが伺えた。
これはリッチの性質か、それとも違うのか。

話の内容は唐突に言われたため、半ば理解できずにいた。が、アルティが一旦口を閉じたあたりから徐々に内容が頭の中に入ってきて固まる。

……あいつが、元勇者?

俺は半分驚き、だが、半分は納得していた。前に戦った時、アルティはやたらと強かった。それにいつか意味深な事も言っていた。
アルティは止まらない。矢継ぎ早に言葉を並べてくる。

「それで、私は――私は。笑わないで聞いて、当時戦っていた頃の私はあまり魔法を使えなかった。元々私は魔法を扱う家柄ではなかったし、主神の加護を受けて勇者になるまでは魔力も少なかった。魔法なんて詳しく習っている暇もなく連戦の毎日だったの。
どうやって戦っていたかって言うと、見ての通りこれで――」

アルティは背中の十字架を掴み、振り回して最後に地面に突き立てた。生じた風が河原に転がる枯れ草や落葉を転がしてさらさらと音が立つ。
彼女の背負う十字架は確かに魔術の媒体に使うより直接殴ったほうがよさそうなデザインだと思っていたが、まさかその通りとは。
俺は少し前に戦ったときを思い出しながらアルティの話を聞いていた。魔法が使えなかった、というところが少し引っかかるが、口を挟む隙がなく、アルティの独白が続く。

「――こうやって白兵戦をしていた。使えた魔法は身体強化を数種、治癒を少し、あとは魔力の塊を強引に発射する初歩的なもの。それくらいで戦っていたの。
一体ずつ倒すならいいのだけれど、多対一だと辛い。そして、相手の指揮官、将軍クラス。詳しく言うならばバフォメットやヴァンパイアと戦おうものなら、軽く負ける程度の実力だった。居るだけで戦場1つを制圧できるような勇者がいるなか、私はあまりにも非力だった。
そう、私も落ちこぼれ。だから……無闇に自らを貶すあなたが気になったのかも。ううん、気になった。一目見たときにあんなに気になった人間はあなたが初めてだったし。あなたも今とあの時では口調が若干違うの、気づいているでしょう。あの時は少なからず興奮していたって言うのと、それで咄嗟に魔物の誰かが言っていた男を落とすための口調を試していたの。……すぐに焦りと不安でボロが出たけれど」

そう言うとアルティは十字架を背中に背負い直さず、地面に置きっぱなしにし、羽織っているローブに手をかけた。

「とりあえず、私は勇者になった時、膨大な魔力を手に入れた。けれど、さっき言った通り。それを何一つ有効に使えてない戦い方をしていてね」

アルティはローブを脱ぎ捨てた。
濃紫の布がふわりと地面に落ちる。そして、ようやく見えた彼女の顔は、確かに無表情だが、いつもより固い気がした。

下に来ていた服は袖が短く、彼女の腕がよく見える。
そして、その格好になった彼女は右手の甲を俺に向けた。そして、聞き慣れない単語をいくつか呟く。

「当時の教団は今より技術があって、色々と実験をしていたの。まあ、改造されたり実験台にされたりするのはほとんど一般兵士ばかりだったけれど―――」

仄かに光ったかと思えば、彼女の右腕に今まで見られなかった異常が現れる。
俺の『砂漏陣』に似た刻印が掌に刻まれていたのだ。

「―――たまには特殊個体で実験がしたくなるのが研究者、人の性。体質的に、実力的に、私に白羽の矢が立った。戦果を上げられず、自棄になっていた私が拒まなかったのもあるけれど。自業自得と言うところかな」

右手を俺に見せつけるように突き出す。俺の腕のように砂時計が刻まれているわけではなく、複雑に輪が繋がり、重なったような意匠だった。絡み合う図形を中心にし、ぎっしりと呪文が詰め込まれていた。アルティは驚く俺を無視し、話を続ける。

「これは『連輪紋』私の魔力を他人に受け渡しやすくするためのもの。リヴェルの刻印とは少し違う。これを用いると、一時的に私と対象の魔力を繋げることができるの。これで私と魔術師団が組めばかなりの勝率を上げるようになった。教団は実験成功だと大喜びだった」

唖然として何もできずにいる俺をよそにアルティはどんどん話を進めていく。
大体の内容はいくつか戦場を回って効果を試して、という事を何回も繰り返したというものだった。
その途中で自分でも冗長と感じたのだろうか、アルティは少し黙り、目を閉じた後、続けた。

「簡単にその後を言うと、欲を出した教団は更なる魔術改造を私に施していった」

そう言いながらまた着ている物を脱ぎ始める。
唐突に、無造作に、恥じらいもなく服を脱ぎ捨てるアルティだったが、見ていた俺はたまったものではない。そういうことに耐性が全く無いのだ。よって、すぐに目をつぶってそらした。

しかし、するり、と布が落ちる音、これは非常に耐え難い引力を生む。自然と視線が吸い寄せられる。
そして、ちらりと見てしまいたくなるのが男の性。

そして、釘付けになってしまった。

いや、本当に綺麗だった。

体は血の気の無い白、蒼白ともいうべき色。だが、不気味な色ではない。雪のように白く、艶があり、潤っている。この時代のアンデッドは魔物としては生きている。確かにその通りだ、と再確認した。
アンデッドである彼女のその体は――言い方がおかしい気がするが、健康的だ。
その生者と死者の間にいるようなあやふやさが神秘的、と言うべき美しさとして目に映る。
小振りな胸、その先端の桜色の突起、陰唇。余す所なく、惜しみもなく、彼女は全てをさらけ出した。
全裸だが、淫ら、というよりは美しいと言った方がしっくりくるのだろう。
とにかく、俺にはアルティが美神のように思えた。
しかし、今のところ全く魔術的改造をされたような痕は無いように――

「初めて会った時に『見えない服を着ている』って言ったはず。あれはあながち冗談ではなくて――」

俺が見とれていると、彼女はさらに何かをつかんで脱ぐような動作をする。

アルティがそうやって手を動かすと、一枚の薄手の布がその手に掴まれた形で現れた。

「ほら」

「アルティ……それは?」

手の甲どころ騒ぎではなかった。
アルティがその布を剥いだ瞬間、彼女の身体中に魔術的な紋様が刻まれているのを確認した。

「当時、私が所属していた教団の支部はとある研究をしていた。最終的に私はそれに巻き込まれたの。それの結末がこれ。
一回ほら、右手のこれを刻んだし、と、ためらいなく始められたというわけ。
私はそれの生き証人。ん、アンデッドだから少し違うか」

アルティの身体中に刻まれるそれは、時折魔物が自身に刻んでいるのを見かける快楽のルーンとは違う。
整然と並び、図形を形作るルーンの群れ。かつて俺が教団にいた頃に見た聖剣のように金色の光を放っている。
俺の拙い知識では理解できない物ばかり。
気配や雰囲気、様式から、間違いなく教団の魔術式の組み合わせだが、妙に禍々しい。

「醜いよね」

そう言われても、醜くは思えない。贔屓かもしれないが、アルティの持つ美しさには少しの瑕疵もない。

それに、俺の中では一つ、確信ができていた。
きっとアルティがどんな姿になろうとも、醜いとは思わないという確信だ。なぜそう思うのか、どこからそんな気持ちが湧いてきたか、それは今どうでもいい。
とにかく俺はそれを伝えようとしたが、アルティが話す一方で、機会が回ってこない。

「リッチは、基本的に自分の魔法の実験を極め、欲の極み、そして無謀の末、その挙げ句、なり果てるもの。
だけれど、私は違う。リッチになれるほど魔術、魔法に詳しくなかった。

当時の戦いは死ぬか殺すかだったし、こんな実験をするのも理解できる。文句は言えない。納得は――できてる。
……まあ、諦めもついてる」

首を曲げて自身の身体を見ながらアルティは言った。そしてこちらを向く。そして心底不思議そうにぽつりと呟いた。

「……予想以上にじっと見てるね」

「なっ!ななななななななっ!」

俺は言われて初めてあいつを食い入るように見つめ続けていたことに気づく。
あいつは顔色一つ変えていないが、俺は全身が爆発しそうだ。
そうして目をそらしたところで、アルティは指をならして瞬間で着衣をする。
今更ながら便利だな、と思う。俺もできたら楽だろうな。鎧とかは軽装でも装備するのが面倒だし。
そこまで考えて首を振った。

「私のされた実験の呼称は『強化兵士計画』改めて『人造天使計画』。
始めは兵士を不老不死までは行かずとも体を頑強にすれば対魔物戦の劣勢を押し戻せるのでは、と言う物だった。
けれど、もとより不死のアンデッドに対して、また、もとより人間より頑強な魔物に対しては若干強化されただけの人間では太刀打ち出来なかった。
それで人造天使。
天使は不老で強力な聖性を持つからそれを目標に人間兵器を作ろうって話。天使を目指すって言えば教団にとってはとても聞こえが良く、経費がたくさん落ちたらしい。
私はそれの初期の頃の実験台」

そこまで言い終えて彼女は何かを無造作に投げてきた。
山なりにそれは飛んで、反射で出した俺の腕の中にすっぽりと収まる。
それは黒く、つぎはぎも傷も何もない、一辺が大体手のひらくらいの大きさの立方体だった。滑らかな素材で出来ていることは確かで、見た目にしては非常に重い。

さらに、表面には金色に光る主神教の聖句が隙間なく魔術的な方法で刻まれている。
軽く指で叩いてみると、空洞であることが分かった。……何故か、叩くごとにアルティの方から声が漏れるが。

ある程度観察し終えたところでアルティが話し出す。

「たくさんの実験をされた私だけれど、まだアンデッドには、リッチにはなっていなかった。あくまで『過剰改造された人間』という枠の中に入っていた。

今から説明するけれど、私がこうして今、動いている元凶で、かつ私が死霊術、闇属性の魔法を使えない原因。


『私の経箱』」

「経箱?」

「そう経箱。私の魂が入っている箱。私の本体と言うべきかな」

「!?」

驚いて箱を落としそうになったが、辛うじて腕の中に戻した。
俺はさっき叩いてしまったことを後悔しながら、黒い箱を落とさないようにしっかりと持ち直す。

「じゃあなんで投げたんだよ!危ないだろ!」

「落とした程度じゃ壊れないのは実験済みだから」

経箱を持ち変えながら言うが、さらりと答えられてしまった。そして経箱のある俺の手の中から目をそらし、空を見上げた。
そしてその顔が赤く染まる。気のせいかいつもよりも濃い、血のような夕日が西の果てから届いていた。どうやら今までのごたごたでもう夕方になっていたらしい。
夕日の反対側では濃紺が広がりつつあった。その日差しが今アルティの顔に濃い陰影を作り出している。
俺はそんなアルティを見て、言葉が詰まった。軽い言葉はかけられない。そう思ってしまう。
時間帯が原因か、見た目が原因か、今日のあいつはいつもと何かが違う気がしてならない。
彼女の態度に思い当たるものがあるような気がするが、それが自分にも説明ができずにいる。
なんてそんなことなどお構いなしにアルティは続きを話し出した。

「ある日、教団はあることを思いつき、無謀にも実行した。
『魂を取り出せば体がいくら傷ついても死なないのでは?』
生きている対象から魂を取り出すのならば対象は死んでいないのだからアンデッドにはならないって、ね。
この意見は特に忌避はされなかった。いくらでも抗アンデッド化のルーンを体に刻めるし、私にはすでに体のあちこちに聖句を刻まれていたしね。それに、今でも体と魂を分離させたからといって必ずリッチになるわけではないからね。場合によってはゴーレムに近い存在になるときもあるし。

それで私は勇者だから魂の質が高かった。加えて挙げるなら、すでに人体改造もある程度されていたし、ということで、おあつらえ向きだったわけね」

黒い箱…経箱をアルティは指差した。
自身の魂が入っている物だが彼女は特別大事にする様子はない。普通は大事にするだろうに。

ここで、俺はふと持っている箱、これはアルティそのものだとようやく思い至った。
俺は顔が物凄く熱くなった気がした。落ちないように体と腕で挟むような形――抱きしめるような持ち方で持っていたからだ。先程裸を見ながら何をいまさらとも思うが、恥ずかしいと言うか照れくさいと言うか、なんというか爆発しそうだ。
とにかく、すぐに差し障りのない持ち方で安定したものに切り替えた。

しかし、あたふたとする俺の様子を気に止めず、アルティは相変わらず止まらない。

「これも残念ながら大成功。私の体と魂は見事に解れた。
そして、魂の籠っていない、抜け殻のようなこの体になった、と。
自分のことながら不気味だった。こう、考えたり動いたりしているけれど、それをしているのは、体に動けと指令を出しているのは、箱の中の魂?それとも抜け殻のこの体の脳?」

アルティは人差し指でこめかみを小突いた。
もはやアルティは誰かと話す、という喋り方ではなくなっていた。最初から独白じみていたが、今はそれがさらに加速している。たった一人、舞台の上で台本通りに踊る役者のようだった。まるで、俺の質問、反論を聞きたくない、と言わんばかりだ。

「それはいいとして、私は運良くアンデッドにならかった。
でも、堕ちていない人間である私の魂があるべき場所にないのだから不安定になるはずだった。だけれども、まずしばらくは問題が無かった。
むしろ、自分のことを俯瞰的と言うかな、そういう風に捉えられるようになった。自分の事だけれど他人事のように感じるし、常に冷静でいられた。それで私は新しく備わったこの性質を生かし、怪我を恐れる必要の無い戦士として十分に戦ったの。魂が保管されているおかげで体がいくらぼろぼろになろうが死ねないから。今思うと、意思はそうでなくとも、体のアンデッド化はその時から緩やかに始まっていたのかもしれない。勇者の治癒力の限界を超えるか超えないかくらいの回復は何度もしたことはあるし。
ただ、戦う。それしかできることもすることもなかったし。

だけれど、やはり魂という魔力の塊が体の中に入っていないと他の魔力に強く影響されるみたいで。何回か戦闘を繰り返すうちに私は変質していった」

アルティは俺を完全に視界の外に入れるように背を向けた。
そしてまたフードを深く被る。
表情が全く見えず、何を考えているか分からない。わずかに彼女の声に自嘲するような気配が混ざったのを感じるくらいだ。
……感じた違和感はこれか――これだ。
俺はそんな彼女にかける言葉を頭の中で探す。

だめだ、そこまで辛いことを経験したことの無い俺が言っても軽い。

辛かったな、とか大変だったな、じゃだめだ。

……俺が言いたいのはそんな中途半端な同情じゃない。
それにあいつの今の様子を見るに、中途半端な言葉じゃ届かない。

自分語りにだんだん熱が入ってくるアルティを見ながら俺は延々と考える。こう、見ていてどんどんあいつが自壊していくような、そんな危うさを感じた。
だからあいつに何かを言いたい。でも、言葉が浮かばない。どれも安く思える。

そう思いながら俺は紫色のローブを纏う後ろ姿を見つめた。睨んだ、と言った方が近いのではないかと言うくらい見つめる。

あいつが壊れそうだから何かを言いたい?いや、それだけじゃない。ああ、それだけじゃないんだ。なんでそれだけじゃないのか、まだ分からない。分からないが今のおまえを見ていると、苦しい……アルティ。

「どう変質していったかは簡単に想像できるはず。今でも魔界にいると魔に染まる。勇者といえどもね。……そういうこと。

空っぽになった私の魂が入っていた虚に旧い魔物の魔力が引っ掛かって溜まっていったんだよ。第二の魂とも言えるほどの濃度の魔力溜まり。それほどのカタマリが私の中に出来上がった。
当時の魔物の魔力―――怒り、妬み、羨み、憎しみ殺意欲望。そんなものが私を少しずつ変えていった。
始めは攻撃性が増したくらい。半ば自爆みたいな戦法で、いつアンデッドと化してもおかしくない体を駆り立てた。
次は人間の仲間に対して激しい嫉妬を覚えた。一つの刻印も無い肌に胸の中にしっかり在る魂、そして勇者という重すぎる十字架を背負っていないことにね。
それから少し経つと私は主神の教えなんて下らないと思うようになってきたし、味方を私の攻撃の巻き添えにする回数が増えた。
この頃からかな。魔法は誤射しても言い訳が利くから、と覚え始めたのは。
もう、私は敵味方構わず傷付けたくてたまらない、魔物のような物だった。故意に魔力を暴走させたりしてさ。
最後は、分かるね。
ご覧の通り、こうして私がリッチとしてここに存在する。ということは、最終的に完全にアンデッドになったわけ。

リッチって普通は自分の意思でなるものだけれど、私は他人の実験の挙げ句成り果てたんだよ。情けない。

体は運良くと言えばいいかな、以前散々教団に弄られたせいで腐れ落ちたり血が吹き出たりとアンデッドに相応しい姿にはならなかったけれど。
まあ、ここまで来ると、私は間違いなく狂ってね、誰でもいいから殺したくてさ」

アルティは視線を遠くへ投げたまま、続ける。もはやこちらを見ようとはしない。
それでもその口は止まらない。
まるで話したいけれど、聞いてほしくない、と言わんばかりだ。

「でも、魂が分離されているせいだと思う、完全には狂えなかった。引き剥がされている魂は『勇者』アルティそのものだし、さらには聖句をみっちりと書かれた箱の中だしね。箱の中の魂は堕ちようが無かったみたい。
味方を殺そうとするところをわずかな理性で止めて、自ら捕縛された。すぐに後悔したけれどね。
ついでに、当時経箱は教団の手の中だから逆らいたくても逆らえなかったし。
結局、死人が出る前に私のあり余る殺戮衝動と止めきれないアンデッド化があっけなく教団にばれてね。幽閉されたよ。
私がああなるだろう事は大体予測されてたみたい。やる前から気づいていたか、やってしばらくしてから気づいたかは知らないけれど。
普通ならば魔物となった私を処刑するだろうけれど、それはされなかった。
何度も言うけれど教団側に私の経箱がある限り、私はどうしようも出来なかったからね、便利な実験材料だったんだよ

呪った。
ありとあらゆる物を恨んだ。妬んだ。嫉んだ。僻んだ。羨んだ。
幸いどんなに体を弄られても痛みは感じなくなっていたからね。思う存分憎んだよ。
頭ははっきり回るし、体もすぐに回復する。思考するだけならばいくらでもできたし。

――たとえ腕が飛んだりしてもね。

失血で思考が朦朧とすることも、痛みに怯えることもない。
というわけだけれどただ憎むのは飽きるわけ。
だから私は私で独自に研究をすることにした。

人を殺すための効率のいい魔法の研究。当時は魔術、魔法の知識は無かったけれど、今までされたことのおかげで頭は冴える。冷静に考えられる。どんな実験をされようが、体と思考を切り離せるから。中に入っている魂に強く影響を与える経箱に聖句を刻まれているから、闇属性の魔法行使は絶望的に無理と分かったけれど、まあ、どうでもよかった。それ以外にも凶悪な魔法の使い方はいくらでもある。
魔法の制御式の手本は私の体に刻まれていてね、都合がよかった。試せはしなかったけれど。結局考えただけ。そうして魔法や策を練ってリッチと呼ばれるにふさわしい存在になったわけ。

そして私に対する実験はとある魔物の気まぐれでその教団の研究施設が攻め滅ぼされるまで続けたよ。
それで、復讐の時だ、と思ったらこの世界。現魔王様に代替わりしたわけ。
私は見事に遥か昔になくした、割とまともな心を取り戻す。自分の意思で人を殺すなんてできなくなった。考えられなくなった。

なんて、これが何のオチもない下らない昔話の終結。それから今に至るってところ。

リヴェル、私は怪物だったんだ。
リヴェル、私は醜い怪物だったんだよ。
リヴェル、私は醜い!」

アルティは突然語気を荒げる。
情けないが、俺はまさかアルティがそんな声を出すとは思いもせず、勢いに呑まれた。
呆然とする俺を一瞥し、彼女は地面に何かを書き始める。

……ここまで感情を露にした話し方のアルティは初めてだ。

「君に会ったのは成功したと思っていた実験が失敗していた時でね、それで近くの魔物に聞いた時があってさ。

『調子が悪い?そんなの男といれば良くなる』

そう言われたからこの街の近くで行き倒れている男に片っ端から会いに行った。
会うときの筋書きは珍しく乗り気のその彼女に頼んで大体その通りにやったよ。
全く気にならない男ばかりだったけれど、あなたは特別。会った中で最悪だった。
結論を言うとどうやら私はリヴェル、リヴェルといっしょだと楽しすぎて実験どころじゃなくなるんだよ。

リヴェル、私は、私には。
この頭の中には、まだヒトを殺す類いの魔法、魔術が何十と残っている。
他の旧世代越しの魔物は大丈夫。たとえ人を殺す方法を覚えていようと、魔王様のおかげで愛で心を埋められている。でも、私の事は、分からない。
旧世代の私を思考も行動もはっきり全て覚えているからこそ、私は私を信用できない。信用しない。
じわじわとアンデッド化していって価値観が歪んでいったのを思い出すと吐き気がする。
そしてリヴェル、貴方を見て改めて思ったのは、私の体に今はもう失われた当時の教団の非人道的な魔術が刻まれていること。
万が一、私に刻まれたこれが再現されたとすれば、また苦しむ人が出る。
だから、こんな私なんて必要ない、と。
私の体からかつての技術が再現されて苦しむ人が出る前に消えなければならない、と。

ふふ、ははは。

そう、リヴェル、私が今どんな実験をしていたか聞いていたよね。

ここまで聞いて私が何の研究をしていたか分かった?




――私自身を殺す研究。私がしていたのはそれだよ。他人を殺すためにかつて研究した事がこうして役に立つとは思っていなかった。

想定外だったのは、私の体の再生能力の異常さ。驚くことに全身を塵にしても再生した。
まあ、再生には50年近くはかかったけれど。

物理的手段では私は死ねない。だから自分を殺す方法探しはそれから難儀した。

経箱を壊して魂をこの身に宿し直してから私を完全に消滅させればおそらく死ねるだろうけれど、私ではどうあがいても壊せなかった。
だって箱の中身は私自身だもの。同じ強さの力じゃ私の経箱の自動防衛で紡がれる防壁を突破できない。

この体は意識の檻。そう、いくら私が肉体的に死んだとしても経箱がある限り私が私であることから逃れられない」

アルティは魔法陣を起動させる。発動したものは軽い転移魔法だった。
光の渦の中に現れたのは、アルティが石畳の上で握っていた短刀。
刀身には赤く魔術式が刻み込まれている。
アルティはその短刀を逆手に握り締めてこちらを振り向いた。アルティの紫の瞳はぎらぎらと光を帯びていた。なんとなく、俺はその先、あいつが何を言いたいか分かってしまった。ああ、だめだ。ダメだ、駄目だ、言わせるな。言わさない。聞くな、聞かない。聞いてたまるか!

「これが今回作ったもの。体を殺そうと思っても死ねない。だから今度は色々と工夫をしてみた。理論上では上手く私は死ねるはず。
ああ、折角だからリヴェル、私を――」

アルティの言葉の続きはもう耳に入らなかった。そんな望みは認めない。ああ、どうしてもこうやってアルティが自分の意見を押し通そうとするなら、俺だって、やってやるさ。
だから――
だから……っ!!


だから、俺は、あいつが何もできないように抱き締めた。

自分でもどうやったか分からない一瞬の内、俺はアルティの持つ短刀を弾き飛ばし、抱き締めた。経箱はもちろん持ったまま。きつく、きつく。

「あ――

っ!!離してリヴェル!」

一瞬固まるも、アルティは予想通り俺の腕の中でもがく。嫌われても構わない。俺はより力を込めてアルティを拘束する。
お互いの肩にお互いの顔が乗るほどぴったりと、きつくアルティを腕の中に抱いた。

「誰が離すか!」

密着しているせいであいつの顔はよく見えない。そこが少し怖いが、ここは引き下がるわけにはいかなかった。
そして早くもぎちぎちと俺の体が軋む。話を聞いていて予想した通り、アルティの力はかなりのものだった。
だが、負けん。
何を言う?どうしよう。アルティに死んでほしくない。何て言えば止まる?
もう、どうにでもなれ!

「アルティ、好きだ」

言葉がアルティに向けてこぼれた。
さっきまで色々とアルティにかけるための言葉が浮かんでいたが、勢いで出た一言に纏まってしまった。

「愛してる」

そうか。結局これか、言いたかったのは。やっと今までの気持ちに合点がいった。少々遅すぎただろうが、手遅れではない。分かってしまうと、寒気と熱が一気に体を駆け巡った。

そして、アルティはこの言葉を聞いて再び固まる。さっきまでの饒舌さはどこへやらといった様子だ。今、アルティが言葉を失っている間なら、呆気に取られて固まっている間なら、煙に撒かれたりかわされたりしないだろう。この機会を逃してたまるか!
俺はわずかに震えるアルティに向けて、さらに言葉を重ねた。

「好きだ!
――好きだっ!!ああ、好きだとも!お前以外もう見えない!誰よりも好きだ!」

先程までアルティを饒舌にしていた何かが俺に移ったのか、アルティは黙り、俺は叫ばずにいられなくなっていた。最近アルティについて考えるたびに心の中に現れたもやもやが、はっきりと形になった分、それはもう止められない。頭の中にあった雑多な言葉の濁流が『あいつが好き』という柱の元に纏まって言っている気がした。いや、纏まっていている。俺は抵抗がなくなったアルティの両肩を掴み直して、顔と顔が向かい合うように移動した。

「好きだ、アルティ。だから死ぬって言うな。俺に言ってくれただろ、色々と知る前に死ぬのはもったいないって」

力の限り叫んだせいか、こみ上げる熱いもののせいか、声がかすれる。弱くなる。でも、伝えなければいけない。感情の高ぶりから呼吸過多になりつつあり、痛む肺に鞭を打ち、俺は思いっきり息を吸い込んだ。

「私はもう十分なほど色んな事を知った」

アルティはこの体勢になってから一向に顔を上げない。俺の顔を見たくないと言わんばかりに俯いている。それならそれでいい、俺は向いてくれるまで叫ぶだけだ。

「いいや、まだ知らないね。例えば俺の気持――」

「うるさいっ!」

アルティがまた暴れだす。だが、さっきと比べると弱々しいものだった。もがくアルティに、どうしても引っ掛かりを感じる俺は、問わずにはいられなかった。

「アルティ、どうしてそんなに死にたいんだ?」

アルティはぴくりと反応すると、力なく笑い出す。

「死にたい理由?死にたいから。永く生きて、もういいやって思って、だから死ぬの。ちょうどいいんだよ、この体には封じなきゃいけない禁呪も刻まれてる。一石二鳥なんだよ」

「それだけなのか、それだけじゃないだろ!!」

俺はどうしてもその態度が許せなくてアルティを揺さぶった。俺がどんな表情をしているか分からない。恐ろしい表情をしているのかもしれない。だが、好きな人が笑いながら死にたいと言われて、怒らない俺ではなかった。

「……」

アルティの顔が少し上を向いた、が、すぐまた俯く。やっぱり俺はすごい顔をしているのだろう。だが、もう遠慮はしない。きっと、これを逃したら永遠にこの距離が縮まらなくなってしまう気がするからだ。散々振り回されたって分もある。今度は、俺が振り回す番でもいいだろう。

「それだけだったら俺を今ここに呼んでいるか?すぐにでも死んでるはずだ。
言え、言えよ。折角ここまで吐いたんだろ、全部言えよ!!!」

そこまで言い切って、俺は口を閉じた。きっと離すのが上手い人ならば、こう怒鳴らなくてもよかったのだろうか。急に悔しくなってきたが、その気持ちを振り払うように歯を食いしばる。そして、息が止まるような一瞬の後、アルティが口を開いた。

「あなたがあんな面倒な防壁を突破してこなければこんなことにはなっていなかった。私は人知れず朽ちて果てていた。それでよかったのに――」

わなわなと震えた後アルティは顔を上げた。その勢いでフードが外れ、表情があらわになる。とうとう、無表情が崩れた。唇を引き締め、蒼白い顔を固くして、俺を睨み殺さんとばかりに目と目を合わせ、視線を突き刺してきた。その顔は、泣いているようで、怒っているようで、絶望しているようで――

「私には好きな人ができた。気付いてしまったんだ。好きで好きでたまらなくて、きっと嫌われたら生きていけないくらい好きになってしまって。……それが、リヴェル!あなただ!」

アルティの声がどんどん震えていく。今までは叫びながらも自分をコントロールできているようなトーンだった。それが、今崩れていく。やけになったように、彼女らしくなく、自制ができなくなったように、どんどん言葉は熱いものになっていく。

「でも、絶対に後ですれ違う。嫌われる!だって私の体は醜い刻印だらけなんだから。しかも、見た目が悪いだけじゃなくて、この刻印はあなたを苦しめている呪文の系列。お互いに嫌な思いをする前に、後悔をする前に私は死にたい。これ以上幸せを感じて死にたくなくなる前に死にたい!」

そう叫ぶとアルティは俺を振り払おうとまたもがく。目を強く閉じ、もうこれ以上は、といった感じだった。アルティはこれまでにないくらいの強さで体をよじる。これが、最後の心の壁、抵抗だろうか。自然と体に力がこもっていく。これで放してしまってはいけない。俺は肩から手を離し、力の限り抱きしめ直した。
――泣いているならなんだ、怒っているならなんだ、絶望しているならばなんなんだ。そんなもの全部杞憂だって思い知らせてやればいい!

「だから好きだって言ってるだろうが!アルティ、お前がどうであろうと好きだ、離さない!!好きだ。信じてくれないのなら、いくらでも叫ぶぞ、アルティ!」

「――!!」

アルティの顔はもう見えない。それがとても怖いが、ここで引き下がるわけには行かない。俺はきっと理詰めで彼女が納得することを言えないだろう。だから、後は、ありったけ、思いをぶつけてやる。

「俺はお前に会えて生まれ変われた。落ちこぼれと言われ続けて、役立たずって考えるのも嫌だから腐っていた俺がだ。まだ、後ろ向きなところもあるだろうが、アルティとの生活で俺は変われたんだ」

「それは、私は何にもしてない。私がいなくても大丈夫だよ」

アルティはぼそぼそと口を動かした。息が肩と首筋に軽く当たる。きっと、アルティは大して重要ではないことだと思っていそうだが、俺にとってはアルティにされたことが全て大切なことなんだ!

「アルティ、俺はお前から貰ってばっかりだ。それで俺からアルティにあげられた物は全然ない。アルティ、俺はお前から幸せを貰った。たくさん貰った!
……だから、俺はお前を幸せにしてやりたい。信じないって言うなら、2日でも3日でもこのまんまでいてやる」

気が付くと、目が、熱かった。密着しているアルティの顔から俺の体に水滴が落ちる。

「リヴェル……」

「もうややこしい話はいいだろ、俺はとにかくお前といたい」

アルティの体から力が抜けた。思いが届いたのか、らちがあかないからそうしたのか、俺は分からなかった。が、とにかく彼女は落ち着いたようだ。さっき俺は激情のままに動いたわけだが、ふと我に返ると顔から火が出た。
慌てて俺はアルティから離れようとして彼女の回していた腕を戻しそうとして――。やめた。もうしばらくこのままでいたい。

――1分かそれとももっと長くか。涙が乾くころ、互いは体を離した。ここでようやくあの後の表情を見ることができたが、彼女の顔は若干紅潮していた。アンデッド特有の血の気のない肌がほんのりと染まるということはとんでもなく興奮していると言うことで間違いなくて――

「こんな私で本当にいいの?」

間違いなくて――。

「そこまでです、勇者リヴェル・フィルド。そして彼を堕とした汚らわしい魔物め」

さぁっと何かが冷めていく音がした。即座に頭を戦闘用に切り替える。そして俺は声のした方向とアルティの間に立ち警戒した。この感じだと間違いなく教団だ。
教団なら、なぜ、ここに、いるんだっ!
俺がそうして敵影を探していると続けて向こうがまた話し出す。

「いや、いいものを聞かせてもらいましたよ。貴方を実験材料として連れ戻す予定で来ましたが、もう1つ土産ができました」

ざわりと毛が逆立つような嫌な気配がする。

「リヴェル、まずい!」

アルティが叫ぶ。
刹那、足元に咄嗟には抜け出せない程度の大きさの魔法陣が浮かび上がった。それを構成する単語から読み取れる効果は衝撃による昏倒、実体化させた魔力による拘束で魔法陣の形式は――簡単には崩せない!!自分にかかる分を軽減するので精一杯だぞ、これ。

「長話ご苦労様です。お陰で十分過ぎるほど捕縛の用意ができました」

俺は舌打ちをした。激情に身を任せて魔法陣を壊そうとするが、さっきで感情のエネルギーを使い果たしたのだろう、思うように力が入らない。俺が警戒していた方向から1人、そして魔法陣を囲むようにあと5人、白い服を着た奴らが現れた。面識はない、が、俺の真正面にいる1人が俺のいた国の教団が支給していた聖印を持っていたため俺の始末に来たのだろう。最高についていない。嘘だろう、こんな時にっ。

「さて、早めに用事は済ませてしまいましょう」

リーダー格らしきそいつが指を鳴らす。それにあわせてあいつらが魔法を行使する。5対2。いくら勇者とリッチの組み合わせといえども、時間をかけて作られた魔法陣を用いた魔法とその人数差をひっくり返すだけの力は早々起こせない。

「――っ!!アルティ!!」

俺はアルティの手を取る。アルティはこちらを見て、頷く。互いに繋いでいない手に魔力を集めた。そして防壁を張る。

――光、光、光。光の鎖が、押しつぶされるような力がこちらを襲う。暴力的な力に魔法で障壁を張っても効果は薄く、鎖に巻かれ、打たれ、地面に倒れた。
15/05/17 23:53更新 / 夜想剣
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■作者メッセージ
人の恋路を邪魔する奴は、ドラゴンとデュラハンに蹂躙されてぶっとばされればいい。



さて、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。夜想剣です。
今回はいつもより二倍強くらいの字数でしたので、長い、と怒られるかもしれませんね。
落ちこぼれの更新、としてはお久しぶりです。
ここは案を出した当初から書くと決まっていたところだったので、気合が入り、遅れました。申し訳ありません。
決して放り出したわけではないので安心してください。

いつも感想ありがとうございます、とても励みになります。

ではこれくらいであとがきを終わりますね、本当にありがとうございました。

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