勇者を探すは神の為
私は薄暗い場所に舞い降りた。
立ち並ぶ建物の影にすっぽりと隠れる路地裏の陰気な場所だ。
じめじめとして、あちこちから生ゴミの腐ったような臭いがたっている。
私の白い羽が汚い色をまぜこぜにしたような灰色の地面に落ちた。
それで私は気付く。
目立つと面倒だ、と。
そう考えて私はただの人間と変わらない姿になった。
そして、翼を仕舞ってからゆっくりと辺りを見渡し、ため息を吐く。
美、と言う物に疎い私でも場違いな所に来たものだとしみじみと感じた。
「まさかこんな所に素質持ちがいたとはな」
打ち捨てられたガラクタ、乱雑に積まれた箱。私が求めていた存在は無数の意味がない有象無象の廃棄物の山に半ば埋もれるようにいた。
いや、実際にはまだ見えない。正確には、その圧倒的な魔力、聖気でその中にいると感じさせられた。そう、勇者の原石たる者の放つ聖気がそのうず高い山の中から感じられるのだ。
一瞬、何者かの罠にかかり押し潰されたのかと思ったが、違うようだ。彼の放つ聖気には少しの瑕疵も無い。
ふむ。
私は少し頭をひねった後、納得する。
このガラクタの山は住み処か、と。
よく見れば、山の内部には空洞が出来ているようでそこに何かが住んでいるのだろうと容易に想像できる。
物好きな奴だ。
私はそう思った。
容易に感じられる強さの魔力の持ち主だ。望めばいくらでも豪華な住み処が与えられただろうに。
私は有望な勇者はまだ原石といえど大抵悪くない待遇を受ける事を知っている。
彼らは我らが主である主神様の御力を色濃く受け取った者。言うなれば私たち天使に限りなく近い存在だ。地上には私たちと同じく我らが主とそれに連なる天使を崇拝する人々がそれはそれは大勢いる。故にそれらが放ってはくれないのだ。
何故、いくらでも豪勢な暮らしができる生まれなのにこのような惨めな場所に住んでいるのか。
ふ、相当な変わり者だな。
私は少し愉快になり笑いながらその住み処に近付いた。
しかし、贅を凝らした物や生活に慣れていないのは大いによろしい。
これから彼には魔物と戦ってもらわねばならないからな。ふかふかなベッドでないと寝れないなど府抜けた事をいちいち言われては困る。
ああ、そうか。
私は軽く手を打つ。
どのような状況でもしっかりと戦えるよう、このような劣悪な場所に住んでいるのか。
感心、感心。流石だな。
そう思いながら私は戸のような所に手をかけた。
刹那、不安定な山が崩れてくる。
落ちてくる物は金属を一部に使った箱、錆びた釘が突き出た木材。当たれば怪我は間違いない物ばかりだ。
そんなに乱暴に扱っただろうか。
私は戸のような物の残骸を持ち、疑問に思いながらそれらをいなした。
落下物に手甲を押しあて、滑らせるように、時に弾き飛ばし、外側に落としていく。この程度武器や魔法はおろか、退く必要もない。
思ったより量はなく、ガラクタはすぐに降り終わる。私の周りにはバリケードのようにガラクタが積み上がっていた。
そして、私は一息をついたところで鋭い殺気を感じる。
感じてすぐ、私の視界の端に何かの影が映った。
反射的に後ろに退こうとしたが、積み上がったガラクタが邪魔で不可能だった。
私はとっさに影の方に向き直り、愛用の盾を空中から取り出して構えた。
盾を持つ手に衝撃が走り、澄んだ鐘のような音が薄暗い路地裏に響く。
どうやら何かで殴られたようだ。
ふむ、戦乙女に白兵戦を挑むか、面白い。
私は気が付くと笑みながらそのまま盾でそいつを殴り倒していた。
◇◆◇◆◇◆
私が驚いたのは相手を殴り倒してからだ。その、なんだ、私は導くべき原石を殴り倒していた。
勇者の原石は私の強烈なシールドバッシュ、つまり盾での殴打で昏倒している。
不可抗力だ!襲いかかってきたのだ!正当防衛だ!
自らが導く予定の原石を自らが摘んでしまったかと自己嫌悪と混乱に陥る。
……まあ、万が一、死んだ場合は主神様の場所へと導くだけだが。
そこまで思考を巡らせたところで原石が呻いた。
「ああ、起きたか」
私は彼に声をかける。すると、彼は飛び起きて私から離れた。
それはさながら手負いの獣のようなものを感じさせた。
「……なぜ、俺は生きている」
開口一番、彼はそんな事を口走った。その言葉には弱肉強食の世界に生きる動物のような神経質さが宿っていたが私は無視した。
「なぜ生きているか?それは戦乙女、ヴァルキリーが導くべき勇者を殺すはずが……ないだろう?」
私は即座にそう答える。
彼は私のその言葉を聞いて鼻で笑った。
「それはどうも。で、ここはどこだ」
彼は薄ら笑いをすぐに心底嫌そうな顔にして私に言う。
「貴方が住む町の一番良い宿泊施設だ」
私は部屋を見た。あの後、私は彼を運び、とりあえず休める場所を用意したのだ。
ベッドはそこそこの物が用意してあり、家具も悪くないものが揃っている。なぜ、彼がここが気にくわないのか分からない。
「……払う金はないぞ」
彼は吐き捨てるように言った後にすぐさま部屋を出ようとする。
「まてまて、まだ話は終わっていない」
私は出ていこうとする彼を止めた。彼はしばらく抵抗したが、力で押し勝つのは不可能と察するや否や諦めてベッドに腰かけた。
そのまま開き直って足を組んで私を睨み付ける。
「自分をヴァルキリーだとか言って、事もあろうか俺を勇者だとかいう狂人になんて付き合ってられない」
なるほど、私は合点がいった。そういえば私は翼を仕舞っていた。これでは天使を自称する痛い人間としか思われないではないか!
確かにそう思うと見ず知らずの人間にここまで施されたら流石に気持ち悪い。
なるほど、なるほど。
しかし、勇者の卵なのだから姿を戻さずとも気づいて欲しかったが。
そんなわけで私は彼との因縁を示すために翼を広げた。
ぶわり、という音と共に数枚羽が宙を舞う。清潔なこの部屋の内装より白い翼が私の背中より出現した。
淡い光の粒が一瞬私を包んで消える。
「これでどうだ。どこから見てもお前たちの言う天使の姿だ。これで信じたか?」
私はくるりとその場で回り、この姿を彼に見せ付けた。それで彼は黙ってしまう。
「どうした、言葉も出ないか?」
私はできるだけ優しく声をかける。
彼は、震えていた。
この様子では自分が素質持ちだと知らなかったようだな。突然勇者だと知らされて混乱しているに違いない。私はそう考えた。
彼の震えがより大きくなる。
そうかそうか。これからの試練、戦いを思うと震えが止まらないのだな。
自分で言うのもなんだが、私は慈母のような目で彼を見ていたと思う。
不意に、彼の震えが止まった。そして、私は気付く。
その後、再び彼が同じように震え、口を開いた。
「く、くくくく、はっはっはっはっは!」
そう、彼は恐怖と不安に震えていたのではなかった。
笑っていたのだ。
「ははははっ!」
私もつられて笑った。うむ、私は当たりを引いたようだ。天使を目の当たりにしても勇者だと告げられても萎縮しないその度胸、気に入った。最高の勇者に育て上げてやろうではないか!
「おいおい、俺が勇者?本物の天使サマが迎えに来た、って?ははは、馬鹿げてる。」
「馬鹿げてなどいない、いたって真剣だ。主神様の命に従い私はここにいるのだからな」
「はっ!それじゃあ主神サマ御乱心ってやつだな」
自分が勇者だということが分かり、多少ハイになっているのか彼の言葉遣いが割り増しで荒くなる。我らが主の事を色々と言っているが、まあ、混乱しているのだろう。今日だけは大目にみてやる。
私は狂ったように笑い続ける勇者の原石を眺めた。
体は少し痩せ過ぎだが、無駄な脂肪が無く引き締まっていると言えばそんなものか。
身に着けている服はぼろきれのようなものだが、動きやすさを考えれば文句はない。
私が思い描いていた姿とはかなり違うが―――
―――ふふ、これから鍛え上げるのが楽しみだ。
私は彼が勇者として育ち魔を祓う姿を想像して思わず笑った。
そこで、ふと思うことがあった。
私は事もあろうかこれからのパートナーの名前を聞くのを忘れていたのだ。
「青年。問おう、お前の名はなんと言う」
思い立ったらすぐ行動。私は彼に名を尋ねた。彼は眉をひそめて小さく言う。
「名前、か。
……無い。俺の名は、無い。
……さらには俺には姓が、無い」
「そうか。ナイ、か。姓は無いのだな。良い名だ」
彼の言葉を聞き漏らさず私は彼の名前を把握した。
しかし、不思議な事に彼――ナイは私が名を褒めるとあからさまに嫌な顔をする。
私はそこで理解した。
まさか私はとんでもない間違いをしていたのか。
そう、おそらく彼は―――
―――ナイという名前が―――
―――嫌いなのか!!
「ふむ、ナイよ」
「ああ、もう、それでいいか。で、なんだ、天使サマ?」
「ナイという名が嫌なのか?」
「……」
無言になる彼。図星のようだ。
私は自分の考えが当たっていたのに気をよくしながら彼に話す。
「ふふん、なら私が直々に名前をくれてやろうじゃないか。天使である私から贈られる名前だ。文句などないだろう」
唖然とする彼に私は余計に得意になる。
「そうだな―――」
私が思案していると彼が凄い勢いで口を出してきた。
「ナイでいい。それで構わない」
私はそれにまた思わず笑う。
「謙虚なやつめ、天使から授かる名前だぞ?我らが主を崇める連中からすれば全財産をなげうってでも欲しがるものだが」
「……いらない。名前で腹は膨れないからな」
彼は鋭い口調でそう言った。
ふふふ、ますます気に入った!私はこれほど愉快になるのは久方ぶりだ、とますます笑んだ。
「ならば―――ううむ、しかしだな、名がナイだけではいささか地味だ」
「地味で結構だ」
「ははっ、そう話を切るな。
ふむ、これからお前はナイ・レイツォルドと名乗れ!」
ナイは溜め息を吐いて首を横に振った。
ふはは、感動のあまり息が漏れるか!
「そうだ、最後にナイ、お前の思う幸せはなんだ」
「……腹一杯に飯を食えてまともな寝床にありつける事。震えずに夜を過ごし、翌朝には間違いなく朝日を拝めると確固たる自信をもって眠りにつける事だ」
彼は私を睨み付けながらそう言った。
その目には強い意志が宿っている。本気でそのことを最上の幸せだと思っているようだった。
それに私は言葉を返す。
「ナイ、お前は勇者になのだ。『その程度』簡単に叶えられよう。もっと次元が高いものを己が幸せとするのだ。そうだな、これからは我らが主、主神様の意思に従い魔を祓い世界を平和に導く事を最上の幸せとするがいい」
ヴァルキリーとして彼に少しずつ勇者としての立ち振舞いを諭していかなければ。そう思った私は早速説法第一回をするのだった。
が、彼の反応は薄い。
「……ご立派だな。じゃあそう言うお前の幸せはなんだ?」
あまつさえこちらを馬鹿にするような笑みを浮かべ聞き返してきた。
もしかして、私が彼を試しているように彼も私を試しているのか?ふふ、面白い。
神の使いとしての私を見せてやろうではないか。
「私か?我が幸せは我らが主の命に従い、それを全うする事だ」
「死ね、と神に言われれば死ぬか?」
「無論喜んでこの命、我らが主に捧げよう」
「ははは、随分不幸せな幸せだな」
彼は私に不可解な言葉を放ち、立ち上がった。
「早くここから出るぞ。本当に俺は金を持っていない」
私はなぜ彼がそんなにしつこく言うのか分からない。金はしっかり払うと言っておいたので無賃宿泊とどやされることは無いというのに。
「そう言っても少しは持っているだろう?勇者の原石なのだからな。ここは教団の国だろう?国から金が出るはずだ」
「……この見た目で金を持っていると思うか?」
「ふむ、そういう格好をしていても、持っているのではないか?」
……雲行きが怪しい。
「ちっ。天使サマとあろう方がまさか人間の通貨を持っているとは考えにくい」
「うむ、一文たりとも持っていないぞ」
「「……」」
目が合い、沈黙が場を満たす。
「まあ私たちは神の使徒だ。いくらでも無銭で泊まることが―――おい!どこに行くんだナイ!」
部屋の扉を突き破るような勢いでナイは飛び出ていった。
◆◇◆◇◆◇
俺は物心ついた時からスラムに住んでいた。薄暗い廃墟同然のスラム町並みと溝の臭い、ならず者がごろごろしている路地裏が俺の住み処だった。
弱い者を踏み台にして、強い者をより強い力で捩じ伏せて生きる。そんな人間的とはいいがたい……いや、ある意味人間らしさが最も現れる世界で生きてきた。
一言で言えば俺は孤児だ。
口減らしか、どこぞの貴族の非嫡出子か、親が俺を産んで死んだのか。
そんなわけで俺は産みの親を知らない。
一応スラムでの育ての親のようなものはいる。が、俺を育てていた理由はよろしいものではない。
最大限好意的に言うと働き手を増やすため、実際は盗みをさせるため、俺は育てられていた。
そんな俺が勇者?
馬鹿馬鹿しい。
俺には名前が無い。
『おい』とか『こら』とか『お前』などとしか呼ばれた事がない。理由は簡単だ。俺の育ての親は俺を道具として扱おうとしていたからだ。
つまり、端的に言うと俺は他人の愛というものをこの身に浴びた事がない。
愛を知らない者が無償の愛を振り撒く正義の味方になれるはずがない。
次に俺は面と向かって戦った事はない。
強い奴とはまず戦わない。いつも弱い奴、弱ってる奴から物を掠め取る。
つまり、端的に言うと俺には勇気と言うものはない。
最後に、俺はその過程で何人か人を殺している。
私利私欲で人を殺める勇者なんていてたまるか。
盗み、殺し、嘘にまみれて汚れたこの腕で聖剣を掴め、と神は言うのか。
まあ、愛を知らなければ、敵に情けをかける事は無いだろうしな。
最近勇者が魔物側に寝返る事が多いと聞く。魔物を殺せず、その魔物に懐柔されるようだ。
ははっ、なら、俺みたいな悪人の方が勇者の素質があるのか。
……嫌な世の中だ。
俺はあのクソ天使に崩された我が家の前に戻っていた。
こんな面倒なことならいつものように、面目を潰したならず者が襲いに来ていた方が数倍楽だったのだが。
俺は地面に唾を吐いた。
そして、何よりむかつくのはあいつは何もかもプラスに受け取りやがる事だ。
疑わなくても生きていられる。そんな真っ正面から日の光を堂々と浴びてきたって態度が気に食わない。
まあ、頭が致命的に弱いだけなのかもしれないがな。
というか、あいつは天使だ、疑うことを知らないのはある意味当然か。
「探したぞ、ナイ!」
あいつを罵りながら住み処の残骸に八つ当たりをしていると、その天使サマが現れた。
噂をすればなんとやら。くしゃみの1つでもあいつがすれば少しはすっとするのだが、そのそぶりもない。
そしてあのヴァルキリーは真っ正直そうな目で俺を見つめる。俺が勇者であると疑っていない目だ。
はあ、本当に俺が勇者の素質を持っているのかよ。
俺は呆れながら天使サマの方を向いた。
「あの宿にもどるぞ、ナイ」
「戻るかっつーの」
開口一番何を言うかと思えばそれだ。さっき金はないといって情報共有したばかりだろうが。
俺はきりきりと頭が痛くなる。
「ふふふ、またお前は金が、金が、と思っているな。見ろ!私がお前を探すついでに最寄りの教会から貰ってきた金だ!これで文句はないだろう。これからはずっと戦いと訓練の日々が続く。今日だけはゆっくり休ませてやると私が言っているのだ。従って休め」
天使サマはそのようにのたまった。
……教会。ここから、スラムからの最寄り……。
確か、あそこのあれは孤児院でもあったような―――!!!!
この文字が脳裏をよぎった瞬間、俺は叫んでいた。
「返してこい!今すぐだ!」
「何をいきなり」
「その金、教会に返してこい!さもなくば俺は勇者をやらねぇ」
「む、いいのか?」
「さっさと行け!」
俺はヴァルキリーを追い返した後、どっと疲れて手頃なガラクタの上に座った。こんな事、結局、単なる事故満足か。
俺はあいつの物騒で美しい鎧姿を見ながら溜め息を吐いた。
数分後、あいつは帰ってくる。
「うむ!返してきたぞ」
満面の笑みを浮かべ、あの天使は帰ってくる。俺が自己嫌悪に陥る真っ最中にだ。
タイミングが悪い。ふざけてやがるのかと思うくらいタイミングが悪い。
それを知ってか知らずか、ずいと進んであいつは俺の顔を覗く。
「ナイ、顔色が悪いぞ?」
けっ、温室育ちの箱入り天使サマか。
俺は心の中で悪態をついた。
「やはり、あの宿で休んでいた方が良かったか?」
天使サマは無垢な、純粋な表情をこちらに向ける。いかに天上でこちらの事を調べていないかが良く分かった。
戦乙女ということでおそらくはずっと戦いのための修練をしていたのだろうか。
同時に、やはり平和や安寧や金やらがまんべんなく降り注いでいると疑っていないようで、虫酸が走る。
……勇者、か。
俺は今までに見た勇者の姿を思い起こしていた。豪勢な鎧や武具を何の疑いもなく身に付け、英気を養うだとかで立派な、俺たちの3食分以上の飯を食い……。
まあ、魔物と戦うのだから欠食させるわけにはいかない。が、3度の飯に何の疑いもなくありつける幸せを当然と思っているあいつらは気に食わない。
……。
俺は舌打ちをした。
「む?何か気に食わない事でもあったか?」
ヴァルキリーが心配そうに俺を見る。
気に食わない事、か。それはもちろん俺が勇者に……。
俺はそれを口に出そうとして止まった。
そうだな、良く考えると―――
俺は勢い良く立ち上がった。
「何も無い」
―――俺が勇者になるデメリットはない。
へっ、勇者の特権とやらで好き勝手させてもらうとするか。今まで存分に豊かな生活を見せつけられていたんだ。もういいだろう。逆に俺の生活を羨ましがらせてやる。
吹っ切れた俺はこれからパートナーになるだろうヴァルキリーを見つめた。改めて見ると非常に見目麗しい。少々、世間知らずというか単純馬鹿の傾向があるが。
「そうか!良かった!」
俺の含みのある言葉を文言通り受け取った天使はにこやかに笑った。ああ、やはりこいつは馬鹿だ。頭がきれるきれないではなく、疑いを知らないという意味で馬鹿だ。このようすだときっとこの天使は世界を正義と悪で2つに分けられるとか信じているのだろうな。
この世は正義と悪だけで構成されているわけがないんだよ。俺は色んな感情が混在する濁った視線をヴァルキリーに送った。
それに彼女は目を合わせ、にこりと笑う。
「では、改めてよろしく、だナイ。
………なんだろうか、何かを忘れているような………
……ああ、そうか、私の名だな。言うのを忘れていた。アルトラウテだ」
翼の生えた美女はそう俺にいった。
ナイにアル、か。皮肉にも程がある。俺は笑った。目の前のあいつはその笑みに含まれた暗さに気付かず、反射的に笑みを返す。
はあ、主神サマというのは以外とブラックなジョークがわかるのかもしれない。
よし決めた。
俺が死んだらカミサマに死ぬほど際どいブラックジョークを浴びせてやる。それで地獄行きになっても多分満足するだろう。
俺はそう思いつつ差し出された手を取った。
立ち並ぶ建物の影にすっぽりと隠れる路地裏の陰気な場所だ。
じめじめとして、あちこちから生ゴミの腐ったような臭いがたっている。
私の白い羽が汚い色をまぜこぜにしたような灰色の地面に落ちた。
それで私は気付く。
目立つと面倒だ、と。
そう考えて私はただの人間と変わらない姿になった。
そして、翼を仕舞ってからゆっくりと辺りを見渡し、ため息を吐く。
美、と言う物に疎い私でも場違いな所に来たものだとしみじみと感じた。
「まさかこんな所に素質持ちがいたとはな」
打ち捨てられたガラクタ、乱雑に積まれた箱。私が求めていた存在は無数の意味がない有象無象の廃棄物の山に半ば埋もれるようにいた。
いや、実際にはまだ見えない。正確には、その圧倒的な魔力、聖気でその中にいると感じさせられた。そう、勇者の原石たる者の放つ聖気がそのうず高い山の中から感じられるのだ。
一瞬、何者かの罠にかかり押し潰されたのかと思ったが、違うようだ。彼の放つ聖気には少しの瑕疵も無い。
ふむ。
私は少し頭をひねった後、納得する。
このガラクタの山は住み処か、と。
よく見れば、山の内部には空洞が出来ているようでそこに何かが住んでいるのだろうと容易に想像できる。
物好きな奴だ。
私はそう思った。
容易に感じられる強さの魔力の持ち主だ。望めばいくらでも豪華な住み処が与えられただろうに。
私は有望な勇者はまだ原石といえど大抵悪くない待遇を受ける事を知っている。
彼らは我らが主である主神様の御力を色濃く受け取った者。言うなれば私たち天使に限りなく近い存在だ。地上には私たちと同じく我らが主とそれに連なる天使を崇拝する人々がそれはそれは大勢いる。故にそれらが放ってはくれないのだ。
何故、いくらでも豪勢な暮らしができる生まれなのにこのような惨めな場所に住んでいるのか。
ふ、相当な変わり者だな。
私は少し愉快になり笑いながらその住み処に近付いた。
しかし、贅を凝らした物や生活に慣れていないのは大いによろしい。
これから彼には魔物と戦ってもらわねばならないからな。ふかふかなベッドでないと寝れないなど府抜けた事をいちいち言われては困る。
ああ、そうか。
私は軽く手を打つ。
どのような状況でもしっかりと戦えるよう、このような劣悪な場所に住んでいるのか。
感心、感心。流石だな。
そう思いながら私は戸のような所に手をかけた。
刹那、不安定な山が崩れてくる。
落ちてくる物は金属を一部に使った箱、錆びた釘が突き出た木材。当たれば怪我は間違いない物ばかりだ。
そんなに乱暴に扱っただろうか。
私は戸のような物の残骸を持ち、疑問に思いながらそれらをいなした。
落下物に手甲を押しあて、滑らせるように、時に弾き飛ばし、外側に落としていく。この程度武器や魔法はおろか、退く必要もない。
思ったより量はなく、ガラクタはすぐに降り終わる。私の周りにはバリケードのようにガラクタが積み上がっていた。
そして、私は一息をついたところで鋭い殺気を感じる。
感じてすぐ、私の視界の端に何かの影が映った。
反射的に後ろに退こうとしたが、積み上がったガラクタが邪魔で不可能だった。
私はとっさに影の方に向き直り、愛用の盾を空中から取り出して構えた。
盾を持つ手に衝撃が走り、澄んだ鐘のような音が薄暗い路地裏に響く。
どうやら何かで殴られたようだ。
ふむ、戦乙女に白兵戦を挑むか、面白い。
私は気が付くと笑みながらそのまま盾でそいつを殴り倒していた。
◇◆◇◆◇◆
私が驚いたのは相手を殴り倒してからだ。その、なんだ、私は導くべき原石を殴り倒していた。
勇者の原石は私の強烈なシールドバッシュ、つまり盾での殴打で昏倒している。
不可抗力だ!襲いかかってきたのだ!正当防衛だ!
自らが導く予定の原石を自らが摘んでしまったかと自己嫌悪と混乱に陥る。
……まあ、万が一、死んだ場合は主神様の場所へと導くだけだが。
そこまで思考を巡らせたところで原石が呻いた。
「ああ、起きたか」
私は彼に声をかける。すると、彼は飛び起きて私から離れた。
それはさながら手負いの獣のようなものを感じさせた。
「……なぜ、俺は生きている」
開口一番、彼はそんな事を口走った。その言葉には弱肉強食の世界に生きる動物のような神経質さが宿っていたが私は無視した。
「なぜ生きているか?それは戦乙女、ヴァルキリーが導くべき勇者を殺すはずが……ないだろう?」
私は即座にそう答える。
彼は私のその言葉を聞いて鼻で笑った。
「それはどうも。で、ここはどこだ」
彼は薄ら笑いをすぐに心底嫌そうな顔にして私に言う。
「貴方が住む町の一番良い宿泊施設だ」
私は部屋を見た。あの後、私は彼を運び、とりあえず休める場所を用意したのだ。
ベッドはそこそこの物が用意してあり、家具も悪くないものが揃っている。なぜ、彼がここが気にくわないのか分からない。
「……払う金はないぞ」
彼は吐き捨てるように言った後にすぐさま部屋を出ようとする。
「まてまて、まだ話は終わっていない」
私は出ていこうとする彼を止めた。彼はしばらく抵抗したが、力で押し勝つのは不可能と察するや否や諦めてベッドに腰かけた。
そのまま開き直って足を組んで私を睨み付ける。
「自分をヴァルキリーだとか言って、事もあろうか俺を勇者だとかいう狂人になんて付き合ってられない」
なるほど、私は合点がいった。そういえば私は翼を仕舞っていた。これでは天使を自称する痛い人間としか思われないではないか!
確かにそう思うと見ず知らずの人間にここまで施されたら流石に気持ち悪い。
なるほど、なるほど。
しかし、勇者の卵なのだから姿を戻さずとも気づいて欲しかったが。
そんなわけで私は彼との因縁を示すために翼を広げた。
ぶわり、という音と共に数枚羽が宙を舞う。清潔なこの部屋の内装より白い翼が私の背中より出現した。
淡い光の粒が一瞬私を包んで消える。
「これでどうだ。どこから見てもお前たちの言う天使の姿だ。これで信じたか?」
私はくるりとその場で回り、この姿を彼に見せ付けた。それで彼は黙ってしまう。
「どうした、言葉も出ないか?」
私はできるだけ優しく声をかける。
彼は、震えていた。
この様子では自分が素質持ちだと知らなかったようだな。突然勇者だと知らされて混乱しているに違いない。私はそう考えた。
彼の震えがより大きくなる。
そうかそうか。これからの試練、戦いを思うと震えが止まらないのだな。
自分で言うのもなんだが、私は慈母のような目で彼を見ていたと思う。
不意に、彼の震えが止まった。そして、私は気付く。
その後、再び彼が同じように震え、口を開いた。
「く、くくくく、はっはっはっはっは!」
そう、彼は恐怖と不安に震えていたのではなかった。
笑っていたのだ。
「ははははっ!」
私もつられて笑った。うむ、私は当たりを引いたようだ。天使を目の当たりにしても勇者だと告げられても萎縮しないその度胸、気に入った。最高の勇者に育て上げてやろうではないか!
「おいおい、俺が勇者?本物の天使サマが迎えに来た、って?ははは、馬鹿げてる。」
「馬鹿げてなどいない、いたって真剣だ。主神様の命に従い私はここにいるのだからな」
「はっ!それじゃあ主神サマ御乱心ってやつだな」
自分が勇者だということが分かり、多少ハイになっているのか彼の言葉遣いが割り増しで荒くなる。我らが主の事を色々と言っているが、まあ、混乱しているのだろう。今日だけは大目にみてやる。
私は狂ったように笑い続ける勇者の原石を眺めた。
体は少し痩せ過ぎだが、無駄な脂肪が無く引き締まっていると言えばそんなものか。
身に着けている服はぼろきれのようなものだが、動きやすさを考えれば文句はない。
私が思い描いていた姿とはかなり違うが―――
―――ふふ、これから鍛え上げるのが楽しみだ。
私は彼が勇者として育ち魔を祓う姿を想像して思わず笑った。
そこで、ふと思うことがあった。
私は事もあろうかこれからのパートナーの名前を聞くのを忘れていたのだ。
「青年。問おう、お前の名はなんと言う」
思い立ったらすぐ行動。私は彼に名を尋ねた。彼は眉をひそめて小さく言う。
「名前、か。
……無い。俺の名は、無い。
……さらには俺には姓が、無い」
「そうか。ナイ、か。姓は無いのだな。良い名だ」
彼の言葉を聞き漏らさず私は彼の名前を把握した。
しかし、不思議な事に彼――ナイは私が名を褒めるとあからさまに嫌な顔をする。
私はそこで理解した。
まさか私はとんでもない間違いをしていたのか。
そう、おそらく彼は―――
―――ナイという名前が―――
―――嫌いなのか!!
「ふむ、ナイよ」
「ああ、もう、それでいいか。で、なんだ、天使サマ?」
「ナイという名が嫌なのか?」
「……」
無言になる彼。図星のようだ。
私は自分の考えが当たっていたのに気をよくしながら彼に話す。
「ふふん、なら私が直々に名前をくれてやろうじゃないか。天使である私から贈られる名前だ。文句などないだろう」
唖然とする彼に私は余計に得意になる。
「そうだな―――」
私が思案していると彼が凄い勢いで口を出してきた。
「ナイでいい。それで構わない」
私はそれにまた思わず笑う。
「謙虚なやつめ、天使から授かる名前だぞ?我らが主を崇める連中からすれば全財産をなげうってでも欲しがるものだが」
「……いらない。名前で腹は膨れないからな」
彼は鋭い口調でそう言った。
ふふふ、ますます気に入った!私はこれほど愉快になるのは久方ぶりだ、とますます笑んだ。
「ならば―――ううむ、しかしだな、名がナイだけではいささか地味だ」
「地味で結構だ」
「ははっ、そう話を切るな。
ふむ、これからお前はナイ・レイツォルドと名乗れ!」
ナイは溜め息を吐いて首を横に振った。
ふはは、感動のあまり息が漏れるか!
「そうだ、最後にナイ、お前の思う幸せはなんだ」
「……腹一杯に飯を食えてまともな寝床にありつける事。震えずに夜を過ごし、翌朝には間違いなく朝日を拝めると確固たる自信をもって眠りにつける事だ」
彼は私を睨み付けながらそう言った。
その目には強い意志が宿っている。本気でそのことを最上の幸せだと思っているようだった。
それに私は言葉を返す。
「ナイ、お前は勇者になのだ。『その程度』簡単に叶えられよう。もっと次元が高いものを己が幸せとするのだ。そうだな、これからは我らが主、主神様の意思に従い魔を祓い世界を平和に導く事を最上の幸せとするがいい」
ヴァルキリーとして彼に少しずつ勇者としての立ち振舞いを諭していかなければ。そう思った私は早速説法第一回をするのだった。
が、彼の反応は薄い。
「……ご立派だな。じゃあそう言うお前の幸せはなんだ?」
あまつさえこちらを馬鹿にするような笑みを浮かべ聞き返してきた。
もしかして、私が彼を試しているように彼も私を試しているのか?ふふ、面白い。
神の使いとしての私を見せてやろうではないか。
「私か?我が幸せは我らが主の命に従い、それを全うする事だ」
「死ね、と神に言われれば死ぬか?」
「無論喜んでこの命、我らが主に捧げよう」
「ははは、随分不幸せな幸せだな」
彼は私に不可解な言葉を放ち、立ち上がった。
「早くここから出るぞ。本当に俺は金を持っていない」
私はなぜ彼がそんなにしつこく言うのか分からない。金はしっかり払うと言っておいたので無賃宿泊とどやされることは無いというのに。
「そう言っても少しは持っているだろう?勇者の原石なのだからな。ここは教団の国だろう?国から金が出るはずだ」
「……この見た目で金を持っていると思うか?」
「ふむ、そういう格好をしていても、持っているのではないか?」
……雲行きが怪しい。
「ちっ。天使サマとあろう方がまさか人間の通貨を持っているとは考えにくい」
「うむ、一文たりとも持っていないぞ」
「「……」」
目が合い、沈黙が場を満たす。
「まあ私たちは神の使徒だ。いくらでも無銭で泊まることが―――おい!どこに行くんだナイ!」
部屋の扉を突き破るような勢いでナイは飛び出ていった。
◆◇◆◇◆◇
俺は物心ついた時からスラムに住んでいた。薄暗い廃墟同然のスラム町並みと溝の臭い、ならず者がごろごろしている路地裏が俺の住み処だった。
弱い者を踏み台にして、強い者をより強い力で捩じ伏せて生きる。そんな人間的とはいいがたい……いや、ある意味人間らしさが最も現れる世界で生きてきた。
一言で言えば俺は孤児だ。
口減らしか、どこぞの貴族の非嫡出子か、親が俺を産んで死んだのか。
そんなわけで俺は産みの親を知らない。
一応スラムでの育ての親のようなものはいる。が、俺を育てていた理由はよろしいものではない。
最大限好意的に言うと働き手を増やすため、実際は盗みをさせるため、俺は育てられていた。
そんな俺が勇者?
馬鹿馬鹿しい。
俺には名前が無い。
『おい』とか『こら』とか『お前』などとしか呼ばれた事がない。理由は簡単だ。俺の育ての親は俺を道具として扱おうとしていたからだ。
つまり、端的に言うと俺は他人の愛というものをこの身に浴びた事がない。
愛を知らない者が無償の愛を振り撒く正義の味方になれるはずがない。
次に俺は面と向かって戦った事はない。
強い奴とはまず戦わない。いつも弱い奴、弱ってる奴から物を掠め取る。
つまり、端的に言うと俺には勇気と言うものはない。
最後に、俺はその過程で何人か人を殺している。
私利私欲で人を殺める勇者なんていてたまるか。
盗み、殺し、嘘にまみれて汚れたこの腕で聖剣を掴め、と神は言うのか。
まあ、愛を知らなければ、敵に情けをかける事は無いだろうしな。
最近勇者が魔物側に寝返る事が多いと聞く。魔物を殺せず、その魔物に懐柔されるようだ。
ははっ、なら、俺みたいな悪人の方が勇者の素質があるのか。
……嫌な世の中だ。
俺はあのクソ天使に崩された我が家の前に戻っていた。
こんな面倒なことならいつものように、面目を潰したならず者が襲いに来ていた方が数倍楽だったのだが。
俺は地面に唾を吐いた。
そして、何よりむかつくのはあいつは何もかもプラスに受け取りやがる事だ。
疑わなくても生きていられる。そんな真っ正面から日の光を堂々と浴びてきたって態度が気に食わない。
まあ、頭が致命的に弱いだけなのかもしれないがな。
というか、あいつは天使だ、疑うことを知らないのはある意味当然か。
「探したぞ、ナイ!」
あいつを罵りながら住み処の残骸に八つ当たりをしていると、その天使サマが現れた。
噂をすればなんとやら。くしゃみの1つでもあいつがすれば少しはすっとするのだが、そのそぶりもない。
そしてあのヴァルキリーは真っ正直そうな目で俺を見つめる。俺が勇者であると疑っていない目だ。
はあ、本当に俺が勇者の素質を持っているのかよ。
俺は呆れながら天使サマの方を向いた。
「あの宿にもどるぞ、ナイ」
「戻るかっつーの」
開口一番何を言うかと思えばそれだ。さっき金はないといって情報共有したばかりだろうが。
俺はきりきりと頭が痛くなる。
「ふふふ、またお前は金が、金が、と思っているな。見ろ!私がお前を探すついでに最寄りの教会から貰ってきた金だ!これで文句はないだろう。これからはずっと戦いと訓練の日々が続く。今日だけはゆっくり休ませてやると私が言っているのだ。従って休め」
天使サマはそのようにのたまった。
……教会。ここから、スラムからの最寄り……。
確か、あそこのあれは孤児院でもあったような―――!!!!
この文字が脳裏をよぎった瞬間、俺は叫んでいた。
「返してこい!今すぐだ!」
「何をいきなり」
「その金、教会に返してこい!さもなくば俺は勇者をやらねぇ」
「む、いいのか?」
「さっさと行け!」
俺はヴァルキリーを追い返した後、どっと疲れて手頃なガラクタの上に座った。こんな事、結局、単なる事故満足か。
俺はあいつの物騒で美しい鎧姿を見ながら溜め息を吐いた。
数分後、あいつは帰ってくる。
「うむ!返してきたぞ」
満面の笑みを浮かべ、あの天使は帰ってくる。俺が自己嫌悪に陥る真っ最中にだ。
タイミングが悪い。ふざけてやがるのかと思うくらいタイミングが悪い。
それを知ってか知らずか、ずいと進んであいつは俺の顔を覗く。
「ナイ、顔色が悪いぞ?」
けっ、温室育ちの箱入り天使サマか。
俺は心の中で悪態をついた。
「やはり、あの宿で休んでいた方が良かったか?」
天使サマは無垢な、純粋な表情をこちらに向ける。いかに天上でこちらの事を調べていないかが良く分かった。
戦乙女ということでおそらくはずっと戦いのための修練をしていたのだろうか。
同時に、やはり平和や安寧や金やらがまんべんなく降り注いでいると疑っていないようで、虫酸が走る。
……勇者、か。
俺は今までに見た勇者の姿を思い起こしていた。豪勢な鎧や武具を何の疑いもなく身に付け、英気を養うだとかで立派な、俺たちの3食分以上の飯を食い……。
まあ、魔物と戦うのだから欠食させるわけにはいかない。が、3度の飯に何の疑いもなくありつける幸せを当然と思っているあいつらは気に食わない。
……。
俺は舌打ちをした。
「む?何か気に食わない事でもあったか?」
ヴァルキリーが心配そうに俺を見る。
気に食わない事、か。それはもちろん俺が勇者に……。
俺はそれを口に出そうとして止まった。
そうだな、良く考えると―――
俺は勢い良く立ち上がった。
「何も無い」
―――俺が勇者になるデメリットはない。
へっ、勇者の特権とやらで好き勝手させてもらうとするか。今まで存分に豊かな生活を見せつけられていたんだ。もういいだろう。逆に俺の生活を羨ましがらせてやる。
吹っ切れた俺はこれからパートナーになるだろうヴァルキリーを見つめた。改めて見ると非常に見目麗しい。少々、世間知らずというか単純馬鹿の傾向があるが。
「そうか!良かった!」
俺の含みのある言葉を文言通り受け取った天使はにこやかに笑った。ああ、やはりこいつは馬鹿だ。頭がきれるきれないではなく、疑いを知らないという意味で馬鹿だ。このようすだときっとこの天使は世界を正義と悪で2つに分けられるとか信じているのだろうな。
この世は正義と悪だけで構成されているわけがないんだよ。俺は色んな感情が混在する濁った視線をヴァルキリーに送った。
それに彼女は目を合わせ、にこりと笑う。
「では、改めてよろしく、だナイ。
………なんだろうか、何かを忘れているような………
……ああ、そうか、私の名だな。言うのを忘れていた。アルトラウテだ」
翼の生えた美女はそう俺にいった。
ナイにアル、か。皮肉にも程がある。俺は笑った。目の前のあいつはその笑みに含まれた暗さに気付かず、反射的に笑みを返す。
はあ、主神サマというのは以外とブラックなジョークがわかるのかもしれない。
よし決めた。
俺が死んだらカミサマに死ぬほど際どいブラックジョークを浴びせてやる。それで地獄行きになっても多分満足するだろう。
俺はそう思いつつ差し出された手を取った。
14/06/24 19:43更新 / 夜想剣
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