俺は思うわけで、彼女の事をどう思ってるか、と
「ああ暇だ」
「……同感」
俺は椅子に腰かけのんびりとくつろいでいた。アルティは俺が何気なく呟いたそれに同調する。
俺はすることがないので『禁書の海』から借りた魔道書のページを開いた。
こうなった理由は少し遡る。
今日から数日前の結界の仕事の時にリムリルという泥酔リリムが襲撃してきた件について色々あった。
アウシェが言うには
『ごめんね〜もう少し捕獲が早ければなんとかなったんだけど。そうだ!お詫びというか、君たちにしばらく休暇をあげよう。どのみち魔法科結界系の仕事って週二回だっけ?まあいいや、一ヶ月くらいのんびりしてていいよ』
だとさ。
つまり、この暇の正体は有無を言わせぬ強制休暇なのだ。しかも長期。さらに有給らしい。
なんだこれは!と教団の所にいた時と全く違う領主の暢気さに俺は頭を抱えたのだった。
それにしても教団で恐れられている魔王の娘を軽く捕まえるってあの紫竜、本当に何者だろうか。
まあ、そんなわけであれから数日後の今、ゆったりとした午後を送っている。
場所は自衛団詰所。
以外とここの居心地は良かったりする。
ここにいると時々非番でも何かに駆り出される可能性はあるが、一日中暇よりはましだ。
それに、賑やかで退屈しそうにないしな。
ちらりと横を見ると、そこに以前顔を合わせた詰所のメンバーがいたりする。
真っ先に目につくのは誰をとは言わないが誰かを引っかけるための自称『悪質でお茶目なトラップボックス』を作成中のミィ。
初めて会った時は自信作らしい『紙吹雪ショットガン』を食らって窒息しかけた思い出がある。
ほんと退屈しない。逆に命の危険を感じる。
ちなみに彼女は工作科という所に所属しているらしく、仕事はまんま魔法具の作成、改良、管理。
他には諜報活動とか言っていたが、長らくそれはしていない模様。
彼女が詰所にいるのは時折魔法具の修理を頼まれるかららしい。
……それを聞いて自衛団とは何でも屋集団だと俺は思った。
自衛『隊』でもなく『自警』団でもなく『自衛団』。どことなく抜けた感じがするのは否めない。
ついでに、この詰所のような所がこの街には数ヵ所あり、治安を守ったりなんだりしている。
らしい。
「出来た!ねぇねぇリ〜〜ヴェルっ。かかってみない?」
箱入りモンスター、ミィが俺を見て話しかけてくる。爛々と目を輝かせながら凶器をふりかざす。
物思いに耽っているうちに完成させたようだ。
それで、またか、また俺を実験台にするのか?
「ねぇ〜〜」
ミィが黒煙と火花を散らしている小箱を弄りながら俺を見つめた。
はっきり言って嫌だ。昨日は『めっさ滅殺君きびきびキリング斬り斬り舞ver七号』で死ぬかと思ったし。
「そんな〜折角『爆発四散Ai-e001号』を完成させたのに〜」
よく分からないが、その得体の知れない箱を近づけないでほしい。それと、その意味不明なネーミングセンスはなんだ?
俺は出来るだけ体をミィから遠ざける。
死にはしないだろうが、危険とわかっている物からは離れたい。
アルティやフォレアが言うにはミィにしては珍しいくらい俺に懐いているらしいが、困ったものだと思う。
おい、だからミィ、危険物こっちに向けんな。
今俺は椅子に座っており、なおかつあまり動けない状態にあるからどうしようもない。
俺はミィが死を匂わせる小箱を俺に使う前に言う。
「アルティ、そろそろ普通に座ってくれないか?」
そう、今上手く動けないのはアルティがやけにくっついてくるからだ。
特にあのリムリル襲撃事件からやけにくっついてくる。
落ち着くからとか言って気付けばぴったりと近くにいたりするのだが、今回は――
――俺の膝の上。
ちなみに追い払おうとしたら金縛りを食らった。
訂正。
目が合ってそらした瞬間に金縛りを食らった。その後膝に乗られた。
一分後に解けた時に追い払おうとしたら再び金縛りを食らって今に至る。
「嫌。椅子冷たい」
「タオルでも敷けよ」
オリキュレールは寒冷な地方であり、春→秋→冬→さらに冬→春と季節がループするような土地らしい。
今は長い冬季であり寒い。
椅子が寒いとアルティの言うことは最もだが。
「寒いからって軽々しく適当な奴の膝の上に乗るなよ。軽い奴だと思われるぞ」
「軽いの?……よし、減量成功」
「違うって」
俺はため息を吐く。
前いた教団の町ではこういう親しい(?)女性がいなかったせいでどうすればいいか分からない。
とにかく、アルティはここ最近特にこんな感じだし、対応に困る。
……。
無理にでも離れた方がアルティのため、か。
俺は目を閉じた。
真っ暗な瞼の裏にイメージを描く。
何のイメージかというとアルティにかけられた金縛りの魔法のだ。
そして魔力をたどり、俺の体を縛る魔法を構成する物を感じる。
それにナイフを突き刺すように自分の魔力で干渉、切り崩す。
手応えあり!よし、逃げるか。
俺は立ち上がろうとしたが、逃げだせなかった。
アルティが膝の上にいるからだ。
跳ね退けたら間違いなくアルティはすっ転んで文句を言うに違いない。
そしたら何を要求されるか分からないしな。
「覚悟ぉ!爆発しろ〜
サヨナラー!」
そう俺が躊躇っていると元気よく、ミィの声が響いた。
◇◆◇◆◇◆
小箱は不発に終わり、死にそうな目に会わずにすんだ。が、爆発はしないものの大量の煤が出た。
もちろん俺を狙ったからにはアルティにも当たるわけで、二人とも煤だらけになっている。
アルティはコホリと口から煙を吐くと俺の膝から降り、ミィの目線に合わせるようにしゃがんだ。
「何か言うことは?」
「ごめんなさい」
アルティは相変わらずの無表情で言う。毎回思うがこういう時に怒っているかいないのかよく分からないのが厄介だ。
ミィがしゅんとしながら俺を見た。
助けて、と顔に書いてある。
これから来るであろうアルティの説教から逃れたいと必死だ。
だが、知るか。
俺は巻き添えを食らわないように詰所を抜け出そうと出口に向かう。
ミィはミィでアルティから必死で逃げようとするが、アルティはミィの入っている宝箱の縁をがっしり掴んで放さない。
みしみしと不気味な音がすると思えば、アルティの握力で掴んだ部分が歪んでいた。
おい、あいつ、魔術師じゃなかったのか?どう見てもあの身体能力は魔術師のものじゃないだろ。
……ま、いいや。『禁書の海』にでも行って読者の続きをしよう。
俺は面倒事に巻き込まれる前に退散すべく街へと出たのだった。
出る瞬間にギターケースを担いだサンダーバードのフォレアとすれ違ったが、奇跡的に何もされずに済む。
今日はなかなか運がいいのかもしれない。
俺は満足げに頷いた。
一人きりだと好きなように動けるからな、楽しみだ。
最近、というかこの休暇の間はアルティがどこに行くにも着いてきたからあいつの行きたい所にばかり行ってたような気がする。
まあ、あいつはきっと勇者である俺の見張り的な役割を持ってるだろうから仕方ないが。ま、俺はここの居心地を知った今、今更恩を仇で返すような真似はしないがな。流石にそこまでの狂信者じゃない。
よし、予定変更。『禁書の海』は最終目的地にして街をぶらりと歩くか。
俺は空を見上げた。正午を過ぎたばかりで明るい。まだまだたっぷり楽しめそうだ。
俺はさっきまで暇だと言っていたとは思えないほど生き生きとした顔をしているかもしれない。
久々に一人きりの散歩だと思うとやはり楽しみだ。気兼ねせず好きな所に行ける。
まだ少し慣れないが、俺はこの街を好きになり始めているのかもしれない。
とにかく、久方ぶりにアルティがいない散歩だ。自由だっ!
◇◆◇◆◇◆
そう勝手に思っていた俺がいたわけですよ。
俺はご機嫌で俺の隣を歩く女性を見てため息をついた。
街に出て数メートル。その短時間でその人に捕まえられた。
曰く『暇だから散歩に付き合え』と。
「どうしたの、リヴェル君。私に惚れた?」
俺の隣にいる奴は臆面もなくそう言った。
しかし、どこか冗談めいた口調なので本気で言ってはいないだろう。
ちなみに臆面もなくそんな冗談を言えるくらい俺の横を歩いている女性は本当に美しかった。
夜の帳が割けて出来たような黒に近い深紫の長髪。姿勢は体に芯が通っているようにしっかりしていて歩き方も優雅。
シャツに適当なコートをはおり、そこら辺にあったジーンズを穿いたようなラフな格好だがそれでも着ている人が美人ならば様になる。
その女性の性格を知っていなければ、間違いなく彼女の言葉通り惚れてしまうのかもしれない。
いや、そのざっくばらんで適当そうな性格を知っても惚れるのだろう。
まあ、俺は何故か何とも思わないが。
おかしい、そんなにストライクゾーン狭かったけな、俺。
とにかく、そんなあの人の正体は人化した紫竜、アウシェ・トゥハーカであった。
「俺は一人でのんびり散歩したかったのだが」
「残念、退屈してる私に見つかったのが運の尽き〜」
俺は躊躇なく文句をぶつけた。
アウシェはそれに対して鱗のない腕を振りながらからからと笑う。
魔物は人化するよりもありのままの自分でいることを好むらしいが、アウシェは例外なのだろうか?
「あ、この格好?いや〜ド・ラ・ゴ・ン!って姿してたらさ、色々かさばって邪魔じゃない?」
これは本当にドラゴンなのだろうか。未だに疑問が尽きない。
「最近噂で聞く新種のドラゴンなんじゃないか?アウシェはさ」
俺は呆れながらそう言うとそれはない、とアウシェは首を振った。
「残念。私はジャバウォックじゃあないんだな〜っと。私は純粋なドラゴンなんだよ。
……ん。あの喫茶店、面白そうだから行こ」
強制的に引っ張られて喫茶店に連れ去られる俺。
というか今アウシェが行こうとしている喫茶店はいつもアルティに連れられて行く所だ。だから出来れば今日は他の所に行きたかったのに。
束の間の自由をあっと言う間に失い、泣きたくなってきた俺であった。
アウシェは店の一番奥の席に座ると俺に向かい合うように座れ、と言う。
俺は渋々椅子に腰を掛けた。
彼女の髪は無駄に長いので椅子に座ると床に着きそうになる。本人はあの様子だと気にしないだろうが俺は埃がついたらどうする、と気が気でない。
「ところでさリヴェル君、
使ったでしょ」
暢気な事を考えていると目の前の竜が俺に囁いた。
いつもと比べアウシェの声色が僅かに変わる。
「使ったって何を――」
「分かってるんだよ。君の砂時計の烙印、『砂漏陣』に私がかけた術、もうボロボロで解けかけなのが」
長い髪が顔に影を落とし、その中で妖しげに彼女の目が光る
地上の王者というドラゴンの異名に相応しいオーラが彼女から放たれる。
圧力が段違いだ。今までのドラゴンらしくない彼女が嘘のように、空気が重さを持つ。
俺は多分不安そうな顔でもしているのだろう。
彼女はそんな俺の顔を底無しの毒沼のような深く鮮やかな紫の瞳で射抜き――
――吹き出した。
「くぷっ、あっはっはっはっは。その顔、もう最高!」
アウシェはばしんばしんと周りの視線が集まるのも気にせずテーブルを叩く。
それから遠慮無く腹を押さえて目に涙がたまるほど笑った。
先程の重い空気はどこへいったのか。
「暴走したなら怒るけど、してないなら上々だよ。あ、店員さん、チョコパフェください」
アウシェが手をあげてウェイトレスを呼ぶ。にやにやしながらやたら可愛らしい物を注文する。
そして若干引き気味なウェイトレス。
アウシェは目線をこちらに戻し、チェシャ猫も顔負けな意地の悪い笑みを浮かべる。
「ねえ、どう思った?どう思った?怒られると思った?この街を追放されると思った?」
ああ、この竜、ノリノリである。
というか、こんな感じでなければモテモテだろうに、このドラゴン。
「どう思うも何も、こっぴどく叱られると思ったな」
俺は率直に考えた事を話した。このどこか抜けたドラゴンのアウシェとならば変なことにはなるまい、と俺も気が緩んでしまう。
「ふぅん。ま、本当に暴走してなくてよかったよかった。その君のソレ、暴走したら始末が大変なんだ。これからも暴走しないように注意してね」
やれやれと言わんばかりにアウシェが両手を広げた。
「おいおい、買い被りすぎだろ。俺もコレも大して強くないじゃないか」
俺はそんなアウシェにそう返す。
アウシェは怪訝な顔をしながら俺の左腕を掴んだ。バチリ、と静電気が起きたような痛みが俺の腕を刺した。
「君は弱くないし、この烙印に至ってはザ・『禁呪』なんだけど。君、『人造天使計画』って知ってる」
アウシェは俺の知らない単語を投げつけてきた。俺は正直に首を横に振る。
アウシェはやっぱり、と息を吐き、魔力を集中し始めた。
「そうだよねぇ。じゃ、前回の如く君の刻印に抑圧式刻むから」
ぎゅん、とアウシェの手の周りを光が翔る。おいおい、ここ喫茶店だぞ。
「強力なのをかけるから痛かったら言ってね。そしたら痛いってのが分からないくらい痛くしてあげるから、さ」
俺はそう言われて思わず目を閉じた。
数分経過。
……何も感じない。
というか何か起きたのか?
とうとう限界が来て俺は恐る恐る目を開けると、アウシェが嬉しそうにチョコパフェを頬張っていた。
……はあ!?
「ねぇ、どう思った?どう思った?激痛が走ると思った?残念。実は手を掴んだ瞬間に終わらせてしまいました!ねえ、どんな気持ち!?どんな気持ち!?」
俺は絶句した。
このドラゴンは軽いというかふざけ気味なのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
俺はとりあえず周りを見渡して他の客に変な目で見られていないか確かめる。
ざっと見たところ怪しいのはこそこそと話している男たち一組だけだった。
俺はむっとアウシェを睨む。
その視線を受けてまたアウシェは吹き出した。
「今、今の顔怒りそうなアルティにそっくり」
俺はその言葉に返す気になれず無言を貫いた。
甘いものでも食べていろいろと逃避しようとウエイトレスを呼ぶ。
「すみません、これください」
あまり考えずに俺はメニュー表のパフェの一つを指差し注文した。
「ごめんごめん、あまりにも似ててさ。でも、恋人同士は似るって言ったもんだねぇ」
アウシェは楽しそうに笑いながら俺に言う。
「恋人ぉ!?いやいやないない」
「うっそだ〜あんなにいつもいつもくっついてるクセに〜。リア充めこのこの〜」
アウシェはそう言うが、俺は全くそういう気はない。
気はない、はず。
そう思った所で思考を強制終了させるが如くウェイトレスがパフェを運んできた。
「お待たせしました」
ごとり、と俺の前にパフェが置かれた。
ジャンボサイズの器にバニラのソフトクリームがみっちりつまり、上に抹茶やチョコのジェラート、その他もろもろが乗っている。
それはいつもアルティが頼んでいるものと同じやつだった。
「……」
なんだろうか。
俺はあいつに気があるのか?
しらずしらず、あいつを意識してるのか?
分からない。
なんだろう、恋って稲妻みたいに分かりやすいものじゃないのか?
……。
アウシェが前にいる以上、頭を抱えたりはNGだ。きっと曲解に曲解を重ねて変な解釈をして大変な事にしてくれそうな気がする。
……だめだだめだ、『恋人』なんてアウシェに変なコト言われたせいで頭が回らない。
この疑問も誘導尋問的に引っ張り出された何かだ。
そうしておく。はい終わり。
俺は結論の出そうにない脳内問答に蓋をしてパフェにスプーンを突き刺した。
それを面白くないとしたのかアウシェが動く。
「ところでリヴェル君。クイズです。私には目的がありこの店に来ました。さて、それとはなんでしょう」
俺がパフェを食べていると、自分の分を食べ終わったアウシェが突然すっとんきょうな声をあげた。俺は一瞬固まるが、無視したら面倒な事になりそうだったので答える。
「一つはどうせコレの封印だろ。俺に会ったのは偶然じゃなくて必然。狙われてたってやつ」
俺は自分の左腕を軽く叩いた。
それを見てアウシェはにっと笑う。
「当たり。いいよ〜リヴェル君。君と話してると楽しいね。じゃあ他に目的があるとしたら?」
「そりゃあ、何か食べるか飲むかしに来たんだろ」
「ふぅん。そうだと思う?」
アウシェは無造作に立ち上がりてくてくと店内を歩く。
それも、いつもより隙だらけでだらしなく見えるように。
そして少し歩いたところで――
「おら、金を出せ。人質がどうなってもいいのか」
――捕まった。
「はぁっ!?」
「やーリヴェル君、捕まっちゃったよ。囚われの姫君って気分だね」
「黙れ。喉かっ裂かれたくなかったら大人しくしろ」
今、アウシェは男に回り込まれて首の数センチ前にナイフがそえられている。
その男とはさっき店内を見たときに怪しげにこそこそと話していた二人組だった。
「いや〜こういう『面白そうなコト』が起こりそうな雰囲気だったから来たんだよ」
あの紫竜は今になっても暢気にそんな事を言っている。あいつは今にも喉を掻き切りそうなあの刃物が見えないのか?
「お嬢さん、次はない。喋るな」
強盗が冷たい目でアウシェを睨みながら言う。
そして俺は気づいた。
「下手な行動をすんなアウシェ!それ、聖性を帯びてるぞ!」
そうだ、あの強盗が持つナイフからは何故だが知らないが弱めの浄化の力を感じられた。こいつ、教団が雇った傭兵でその後軍から脱走したクチか。
俺の額を冷や汗が伝う。
いくらドラゴンといえど浄化の力を帯びたナイフで首を切られたらまずい。
例え意識しないと気付けない程弱い加護だとしても、だ。
そんな状況でもアウシェは表情を変えない。
そうこうしているうちに強盗のアウシェを拉致していない方が店員にナイフを突き付け、金を取らせに行かせた。
助けようにも、強盗はどちらかと言うと俺の方を向いているし、今店の中にいるのは戦闘に向かない魔物ばかりだ。
大声を出して助けを呼ぼうにもアウシェを見殺しにはできず、誰もできないでいる。
詰んだ、か?
そう思っているとアウシェが笑った。
「何がおかしい!」
当然彼女を捕まえている男は苛立った声をあげる。
それでもアウシェは愉快そうにしていた。
「ふざけるな、殺すぞ」
アウシェにそう怒鳴る強盗。
それにアウシェが放った言葉が場を凍らせた。
「殺せないくせによく言うよ全く」
「何っ―――」
強盗は烈火の如く怒り、わめくがその声も次第に小さくなる。
そして顔が心なしか蒼くなりナイフを持つ手が震え始めた。
アウシェが強盗のナイフを持つ手を掴んでいたのだ。
しかし、それで引き離すのかと思いきや、ナイフはどんどんアウシェの首元に近づく。
同時に強盗の顔も血の気が引き始めていた。
「ふふ、殺すとか言っておいて私がナイフを自分の首に当てようとしたら必死になって止めるんだ」
さも楽しそうにアウシェが言う。
「だめだね〜。強盗ってさ、人質なんていくらでもとれるんだから一人くらい殺す気じゃないと成功しないよ」
アウシェが銀色に光る刃物を喉に押し当てる。
「ほら、もし私が死んだら新しい人質とらなきゃ」
刃物が弾力のある肌に食い込んでいき――
ばぎん。
――折れた。
「おっと、折っちゃったか。ま、私を切りたきゃ人間の手で加えられた加護じゃあ物足りないよね」
飽きた玩具を捨てるように強盗の腕を放すアウシェ。弾かれたように彼女から離れた強盗は肩で息をしていた。
「ば、化け物め」
「大当たり」
「くそぉっ!」
強盗は震える手で服の袖の中に隠した暗器を抜き斬りかかる。
しかし、その刃も同じく、人化した状態のアウシェの腕すら傷つけることが出来なかった。
「君さ、強盗向いてないよ。
で、その気があればうちで自衛団の一員として雇ってあげる」
そう言って人差し指で強盗の額を軽く押した。
ただ、それだけでそいつは床に崩れ落ちる。騒ぎを聞いてこちらに来た強盗の相方も同様に一撃。
そのままアウシェは親猫が子猫を運ぶ時のように強盗の服の襟首を掴んだ。
「みんな怪我ない?大丈夫?」
そう店内のみんなに聞いて異常が無いと分かるとアウシェは犯人を引きずりながら店を出ていった。
危機が去ってから店は平常運転する。
超展開についていけなかった俺だけを取り残すように。
「……」
俺は席に戻り、未だ口をつけていないパフェを食べようとして気がつく。
アウシェの食べていたパフェの器の下に手紙が挟まれていた。
なんとなく手に取り俺はそれを広げる。
『さっきの答え合わせ
目的その1、君の刻印の上に抑制術式を加え直すこと。
その2、何かが起こりそうな雰囲気だったからとりあえず来てみたこと。
その3、これが一番大事。そう、アルティがここに来るまでの時間稼ぎ』
時間稼……ぎ?
俺は店にある時計を見た。
現在三時である。
繰り返す、三時である。
アルティがおやつを食べにこの店に来る時間である。
ちくしょう!あの紫竜め、謀りやがったな!
俺は急いで手紙を折り畳んでポケットに突っ込む。そしてさっさとパフェを平らげて帰ろうと未だ手付かずの大盛パフェに手を伸ばした。
伸ばして、空振った。
「もう、ここで食べるならどうせ私も来るんだから一緒にいればよかったのに」
頬を少し膨らませたアルティが俺のパフェの器をずらして空振らせたのだった。
ああ、結局こうなるのか。
俺の横にちょこんと座るアルティを見ながらため息をついた。
さっき一人でいようと苦心していた俺が馬鹿みたいに思えてくる。
一人でいる楽しみもあれば二人だからこその楽しみもあるのかもしれない。
それに、久々の一人きりといってもとっくにアウシェに邪魔されてたしな。
そう考えて俺は甘んじてアルティとこの一時を過ごすことを受け入れた。
「アルティ」
「何?」
「お前がいつも頼んでるこのパフェ、無駄に甘いな」
「そう?じゃあ少しちょうだい」
「だめだ」
他愛もないこういう話も。
「なんで寄り掛かってきてるんだ?」
「歩いて疲れたし」
何気ない触れ合いも。
「何?なんで笑ってるの、リヴェル」
そう言えば教団で『落ちこぼれ』と言われてた頃には何一つ無かったな。
そう思うと自然と笑みが漏れる。
ああ、これって確かにアウシェの言った通り―――。
「なんか恋人みたいだなって、さ」
不意に俺の口から単語が転げ落ちる。
数秒の間。お互いは固まった。
そして、それを聞いたアルティは無表情のまま尖った耳の先までまで真っ赤になる。
「ぇ……え……?」
「あ!すまん、つい。じゃなくて、と、とにかく、そのなんだ、不快にさせたなら悪い、謝る」
俺も事故のように呟いた単語がこんな破壊力のある呪文だったとは思っていなかったので弁明を試みた。が、元々口が達者な方ではない俺は頭が真っ白になりジェスチャーになり損なった手がから回るだけだった。
湯気が出そうなアウシェは俯くばかりで、俺は慌てるばかりだった。
「お待たせしました」
タイミングがいいのか悪いのか、ウェイトレスがアルティの前にパフェを置く。
俺のいま食べているやつと同じものだ。
余計に気まずくなってしまう。
アルティは俺から見てもわかる顔の火照りをどうにかしようとしたのか、物凄い勢いでパフェを食べ始めた。
さすが甘党リッチ。あれだけ濃い甘味を口に詰め込んでもむせない。
俺もアルティも二人とも無言でパフェを食べてゆく。
この喫茶店は、かなりの客がカップルでいちゃつきながら飲食をしていた。
俺たちだけ目の前のパフェに集中しているので凄まじく浮いているだろう。
だが、俺には気の利いた科白なんて思い付くはずもなく、こうするしかなかった。
「「ごちそうさま」」
二人同時に完食し、代金を支払い街に出た。
アルティはもう普段のポーカーフェイスに戻っていて何を考えているか推し量る事は難しい。
「アルティ」
「ん?」
「口の端にクリーム付いてるぞ」
「ん」
「何してんだ?」
「取って」
「自分で拭けよ」
アルティはすでにいつも通りに戻っていることだし、俺もいつも通りに戻ることにした。
アルティはむー、と唸りながらハンカチで口元を拭った。
「アルティ、次はどこに行きたいんだ?」
俺はこの休暇の間、何回も繰り返した質問をアルティに投げかけた。
それは先程のイレギュラーも『いつも通り』にうずめて薄めようとしたかったのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆
月が出ていた。もう少しで満月、という月が。
私はワーウルフではないが、やはりそれの美しさには目を奪われる。
私は魔法科の研究棟の屋上にいた。
冷たいな光と涼風が私に『ここにいる』という実感をくれる。
だから、夜のこの場所は大好きだ。
私は今日の出来事を思い返してみる。
今日は珍しくリヴェルが私と同じパフェを食べていた。
いつもならば私とあそこに行く時、彼はジパング産のお茶を飲むだけだったのに。
そも、彼があの喫茶店に一人で行く事も珍しい。リヴェルはあまり甘いものを食べないからだ。
……。
リヴェルに何があったのだろうか。
私は頭をフル回転させる。
しかし、何も思いつかない。
それにしても、ここまで考えるということは、私はやはり彼を好いているのか?
自分の蒼白い手を胸に当てて自身に問う。
今まで実験的に彼にくっついてみても、淫魔が言っていたような誘い方をしても特別に感じるものは無かった。
だから、リヴェルが他の魔物に取られそうになった時に感じたものはただ、実験材料が奪われるのが嫌だったのだと今まではそう納得していた。
しかし、その考えは今日、リヴェルから『恋人みたい』と言われた瞬間に崩れた。
あそこまでアンデッドでも火照るのだと身をもって知ってしまったから。
むしろ今思えば、リヴェルにくっついていた時は、気付かないくらいの大きな幸せを感じていたのかもしれない。
だから私は『自分はリヴェルに惚れているのか』という考察を自分の中で建前にして彼にくっつきに行っていたのかもしれない。
分不相応な幸せを感じたかったから。
……そうか、やっぱり私は恋を……。
「ふふっ」
空に雲は無く、少し欠けた月が薄い闇を広げたようなの空に冴えていた。
そうか、だから彼に会ってからあの実験をしたくなくなっていたんだ。ようやく分かった。
分かってしまえば自分のことだ、制御は簡単。
嫌だと感情が訴えても私はリッチだ。感情の制御なんて簡単過ぎる。
さて、これで明日からでも止めていた実験を再開出来るだろう。
リヴェル。
あなたは私のしようとしている実験をしったら怒るのかな、それとも止めるのかな。
多分、両方だろうけど。
さあ、善は急げ。今から私の工房に籠って実験、再開しないと。
私は思いっきり伸びをした。
「……同感」
俺は椅子に腰かけのんびりとくつろいでいた。アルティは俺が何気なく呟いたそれに同調する。
俺はすることがないので『禁書の海』から借りた魔道書のページを開いた。
こうなった理由は少し遡る。
今日から数日前の結界の仕事の時にリムリルという泥酔リリムが襲撃してきた件について色々あった。
アウシェが言うには
『ごめんね〜もう少し捕獲が早ければなんとかなったんだけど。そうだ!お詫びというか、君たちにしばらく休暇をあげよう。どのみち魔法科結界系の仕事って週二回だっけ?まあいいや、一ヶ月くらいのんびりしてていいよ』
だとさ。
つまり、この暇の正体は有無を言わせぬ強制休暇なのだ。しかも長期。さらに有給らしい。
なんだこれは!と教団の所にいた時と全く違う領主の暢気さに俺は頭を抱えたのだった。
それにしても教団で恐れられている魔王の娘を軽く捕まえるってあの紫竜、本当に何者だろうか。
まあ、そんなわけであれから数日後の今、ゆったりとした午後を送っている。
場所は自衛団詰所。
以外とここの居心地は良かったりする。
ここにいると時々非番でも何かに駆り出される可能性はあるが、一日中暇よりはましだ。
それに、賑やかで退屈しそうにないしな。
ちらりと横を見ると、そこに以前顔を合わせた詰所のメンバーがいたりする。
真っ先に目につくのは誰をとは言わないが誰かを引っかけるための自称『悪質でお茶目なトラップボックス』を作成中のミィ。
初めて会った時は自信作らしい『紙吹雪ショットガン』を食らって窒息しかけた思い出がある。
ほんと退屈しない。逆に命の危険を感じる。
ちなみに彼女は工作科という所に所属しているらしく、仕事はまんま魔法具の作成、改良、管理。
他には諜報活動とか言っていたが、長らくそれはしていない模様。
彼女が詰所にいるのは時折魔法具の修理を頼まれるかららしい。
……それを聞いて自衛団とは何でも屋集団だと俺は思った。
自衛『隊』でもなく『自警』団でもなく『自衛団』。どことなく抜けた感じがするのは否めない。
ついでに、この詰所のような所がこの街には数ヵ所あり、治安を守ったりなんだりしている。
らしい。
「出来た!ねぇねぇリ〜〜ヴェルっ。かかってみない?」
箱入りモンスター、ミィが俺を見て話しかけてくる。爛々と目を輝かせながら凶器をふりかざす。
物思いに耽っているうちに完成させたようだ。
それで、またか、また俺を実験台にするのか?
「ねぇ〜〜」
ミィが黒煙と火花を散らしている小箱を弄りながら俺を見つめた。
はっきり言って嫌だ。昨日は『めっさ滅殺君きびきびキリング斬り斬り舞ver七号』で死ぬかと思ったし。
「そんな〜折角『爆発四散Ai-e001号』を完成させたのに〜」
よく分からないが、その得体の知れない箱を近づけないでほしい。それと、その意味不明なネーミングセンスはなんだ?
俺は出来るだけ体をミィから遠ざける。
死にはしないだろうが、危険とわかっている物からは離れたい。
アルティやフォレアが言うにはミィにしては珍しいくらい俺に懐いているらしいが、困ったものだと思う。
おい、だからミィ、危険物こっちに向けんな。
今俺は椅子に座っており、なおかつあまり動けない状態にあるからどうしようもない。
俺はミィが死を匂わせる小箱を俺に使う前に言う。
「アルティ、そろそろ普通に座ってくれないか?」
そう、今上手く動けないのはアルティがやけにくっついてくるからだ。
特にあのリムリル襲撃事件からやけにくっついてくる。
落ち着くからとか言って気付けばぴったりと近くにいたりするのだが、今回は――
――俺の膝の上。
ちなみに追い払おうとしたら金縛りを食らった。
訂正。
目が合ってそらした瞬間に金縛りを食らった。その後膝に乗られた。
一分後に解けた時に追い払おうとしたら再び金縛りを食らって今に至る。
「嫌。椅子冷たい」
「タオルでも敷けよ」
オリキュレールは寒冷な地方であり、春→秋→冬→さらに冬→春と季節がループするような土地らしい。
今は長い冬季であり寒い。
椅子が寒いとアルティの言うことは最もだが。
「寒いからって軽々しく適当な奴の膝の上に乗るなよ。軽い奴だと思われるぞ」
「軽いの?……よし、減量成功」
「違うって」
俺はため息を吐く。
前いた教団の町ではこういう親しい(?)女性がいなかったせいでどうすればいいか分からない。
とにかく、アルティはここ最近特にこんな感じだし、対応に困る。
……。
無理にでも離れた方がアルティのため、か。
俺は目を閉じた。
真っ暗な瞼の裏にイメージを描く。
何のイメージかというとアルティにかけられた金縛りの魔法のだ。
そして魔力をたどり、俺の体を縛る魔法を構成する物を感じる。
それにナイフを突き刺すように自分の魔力で干渉、切り崩す。
手応えあり!よし、逃げるか。
俺は立ち上がろうとしたが、逃げだせなかった。
アルティが膝の上にいるからだ。
跳ね退けたら間違いなくアルティはすっ転んで文句を言うに違いない。
そしたら何を要求されるか分からないしな。
「覚悟ぉ!爆発しろ〜
サヨナラー!」
そう俺が躊躇っていると元気よく、ミィの声が響いた。
◇◆◇◆◇◆
小箱は不発に終わり、死にそうな目に会わずにすんだ。が、爆発はしないものの大量の煤が出た。
もちろん俺を狙ったからにはアルティにも当たるわけで、二人とも煤だらけになっている。
アルティはコホリと口から煙を吐くと俺の膝から降り、ミィの目線に合わせるようにしゃがんだ。
「何か言うことは?」
「ごめんなさい」
アルティは相変わらずの無表情で言う。毎回思うがこういう時に怒っているかいないのかよく分からないのが厄介だ。
ミィがしゅんとしながら俺を見た。
助けて、と顔に書いてある。
これから来るであろうアルティの説教から逃れたいと必死だ。
だが、知るか。
俺は巻き添えを食らわないように詰所を抜け出そうと出口に向かう。
ミィはミィでアルティから必死で逃げようとするが、アルティはミィの入っている宝箱の縁をがっしり掴んで放さない。
みしみしと不気味な音がすると思えば、アルティの握力で掴んだ部分が歪んでいた。
おい、あいつ、魔術師じゃなかったのか?どう見てもあの身体能力は魔術師のものじゃないだろ。
……ま、いいや。『禁書の海』にでも行って読者の続きをしよう。
俺は面倒事に巻き込まれる前に退散すべく街へと出たのだった。
出る瞬間にギターケースを担いだサンダーバードのフォレアとすれ違ったが、奇跡的に何もされずに済む。
今日はなかなか運がいいのかもしれない。
俺は満足げに頷いた。
一人きりだと好きなように動けるからな、楽しみだ。
最近、というかこの休暇の間はアルティがどこに行くにも着いてきたからあいつの行きたい所にばかり行ってたような気がする。
まあ、あいつはきっと勇者である俺の見張り的な役割を持ってるだろうから仕方ないが。ま、俺はここの居心地を知った今、今更恩を仇で返すような真似はしないがな。流石にそこまでの狂信者じゃない。
よし、予定変更。『禁書の海』は最終目的地にして街をぶらりと歩くか。
俺は空を見上げた。正午を過ぎたばかりで明るい。まだまだたっぷり楽しめそうだ。
俺はさっきまで暇だと言っていたとは思えないほど生き生きとした顔をしているかもしれない。
久々に一人きりの散歩だと思うとやはり楽しみだ。気兼ねせず好きな所に行ける。
まだ少し慣れないが、俺はこの街を好きになり始めているのかもしれない。
とにかく、久方ぶりにアルティがいない散歩だ。自由だっ!
◇◆◇◆◇◆
そう勝手に思っていた俺がいたわけですよ。
俺はご機嫌で俺の隣を歩く女性を見てため息をついた。
街に出て数メートル。その短時間でその人に捕まえられた。
曰く『暇だから散歩に付き合え』と。
「どうしたの、リヴェル君。私に惚れた?」
俺の隣にいる奴は臆面もなくそう言った。
しかし、どこか冗談めいた口調なので本気で言ってはいないだろう。
ちなみに臆面もなくそんな冗談を言えるくらい俺の横を歩いている女性は本当に美しかった。
夜の帳が割けて出来たような黒に近い深紫の長髪。姿勢は体に芯が通っているようにしっかりしていて歩き方も優雅。
シャツに適当なコートをはおり、そこら辺にあったジーンズを穿いたようなラフな格好だがそれでも着ている人が美人ならば様になる。
その女性の性格を知っていなければ、間違いなく彼女の言葉通り惚れてしまうのかもしれない。
いや、そのざっくばらんで適当そうな性格を知っても惚れるのだろう。
まあ、俺は何故か何とも思わないが。
おかしい、そんなにストライクゾーン狭かったけな、俺。
とにかく、そんなあの人の正体は人化した紫竜、アウシェ・トゥハーカであった。
「俺は一人でのんびり散歩したかったのだが」
「残念、退屈してる私に見つかったのが運の尽き〜」
俺は躊躇なく文句をぶつけた。
アウシェはそれに対して鱗のない腕を振りながらからからと笑う。
魔物は人化するよりもありのままの自分でいることを好むらしいが、アウシェは例外なのだろうか?
「あ、この格好?いや〜ド・ラ・ゴ・ン!って姿してたらさ、色々かさばって邪魔じゃない?」
これは本当にドラゴンなのだろうか。未だに疑問が尽きない。
「最近噂で聞く新種のドラゴンなんじゃないか?アウシェはさ」
俺は呆れながらそう言うとそれはない、とアウシェは首を振った。
「残念。私はジャバウォックじゃあないんだな〜っと。私は純粋なドラゴンなんだよ。
……ん。あの喫茶店、面白そうだから行こ」
強制的に引っ張られて喫茶店に連れ去られる俺。
というか今アウシェが行こうとしている喫茶店はいつもアルティに連れられて行く所だ。だから出来れば今日は他の所に行きたかったのに。
束の間の自由をあっと言う間に失い、泣きたくなってきた俺であった。
アウシェは店の一番奥の席に座ると俺に向かい合うように座れ、と言う。
俺は渋々椅子に腰を掛けた。
彼女の髪は無駄に長いので椅子に座ると床に着きそうになる。本人はあの様子だと気にしないだろうが俺は埃がついたらどうする、と気が気でない。
「ところでさリヴェル君、
使ったでしょ」
暢気な事を考えていると目の前の竜が俺に囁いた。
いつもと比べアウシェの声色が僅かに変わる。
「使ったって何を――」
「分かってるんだよ。君の砂時計の烙印、『砂漏陣』に私がかけた術、もうボロボロで解けかけなのが」
長い髪が顔に影を落とし、その中で妖しげに彼女の目が光る
地上の王者というドラゴンの異名に相応しいオーラが彼女から放たれる。
圧力が段違いだ。今までのドラゴンらしくない彼女が嘘のように、空気が重さを持つ。
俺は多分不安そうな顔でもしているのだろう。
彼女はそんな俺の顔を底無しの毒沼のような深く鮮やかな紫の瞳で射抜き――
――吹き出した。
「くぷっ、あっはっはっはっは。その顔、もう最高!」
アウシェはばしんばしんと周りの視線が集まるのも気にせずテーブルを叩く。
それから遠慮無く腹を押さえて目に涙がたまるほど笑った。
先程の重い空気はどこへいったのか。
「暴走したなら怒るけど、してないなら上々だよ。あ、店員さん、チョコパフェください」
アウシェが手をあげてウェイトレスを呼ぶ。にやにやしながらやたら可愛らしい物を注文する。
そして若干引き気味なウェイトレス。
アウシェは目線をこちらに戻し、チェシャ猫も顔負けな意地の悪い笑みを浮かべる。
「ねえ、どう思った?どう思った?怒られると思った?この街を追放されると思った?」
ああ、この竜、ノリノリである。
というか、こんな感じでなければモテモテだろうに、このドラゴン。
「どう思うも何も、こっぴどく叱られると思ったな」
俺は率直に考えた事を話した。このどこか抜けたドラゴンのアウシェとならば変なことにはなるまい、と俺も気が緩んでしまう。
「ふぅん。ま、本当に暴走してなくてよかったよかった。その君のソレ、暴走したら始末が大変なんだ。これからも暴走しないように注意してね」
やれやれと言わんばかりにアウシェが両手を広げた。
「おいおい、買い被りすぎだろ。俺もコレも大して強くないじゃないか」
俺はそんなアウシェにそう返す。
アウシェは怪訝な顔をしながら俺の左腕を掴んだ。バチリ、と静電気が起きたような痛みが俺の腕を刺した。
「君は弱くないし、この烙印に至ってはザ・『禁呪』なんだけど。君、『人造天使計画』って知ってる」
アウシェは俺の知らない単語を投げつけてきた。俺は正直に首を横に振る。
アウシェはやっぱり、と息を吐き、魔力を集中し始めた。
「そうだよねぇ。じゃ、前回の如く君の刻印に抑圧式刻むから」
ぎゅん、とアウシェの手の周りを光が翔る。おいおい、ここ喫茶店だぞ。
「強力なのをかけるから痛かったら言ってね。そしたら痛いってのが分からないくらい痛くしてあげるから、さ」
俺はそう言われて思わず目を閉じた。
数分経過。
……何も感じない。
というか何か起きたのか?
とうとう限界が来て俺は恐る恐る目を開けると、アウシェが嬉しそうにチョコパフェを頬張っていた。
……はあ!?
「ねぇ、どう思った?どう思った?激痛が走ると思った?残念。実は手を掴んだ瞬間に終わらせてしまいました!ねえ、どんな気持ち!?どんな気持ち!?」
俺は絶句した。
このドラゴンは軽いというかふざけ気味なのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
俺はとりあえず周りを見渡して他の客に変な目で見られていないか確かめる。
ざっと見たところ怪しいのはこそこそと話している男たち一組だけだった。
俺はむっとアウシェを睨む。
その視線を受けてまたアウシェは吹き出した。
「今、今の顔怒りそうなアルティにそっくり」
俺はその言葉に返す気になれず無言を貫いた。
甘いものでも食べていろいろと逃避しようとウエイトレスを呼ぶ。
「すみません、これください」
あまり考えずに俺はメニュー表のパフェの一つを指差し注文した。
「ごめんごめん、あまりにも似ててさ。でも、恋人同士は似るって言ったもんだねぇ」
アウシェは楽しそうに笑いながら俺に言う。
「恋人ぉ!?いやいやないない」
「うっそだ〜あんなにいつもいつもくっついてるクセに〜。リア充めこのこの〜」
アウシェはそう言うが、俺は全くそういう気はない。
気はない、はず。
そう思った所で思考を強制終了させるが如くウェイトレスがパフェを運んできた。
「お待たせしました」
ごとり、と俺の前にパフェが置かれた。
ジャンボサイズの器にバニラのソフトクリームがみっちりつまり、上に抹茶やチョコのジェラート、その他もろもろが乗っている。
それはいつもアルティが頼んでいるものと同じやつだった。
「……」
なんだろうか。
俺はあいつに気があるのか?
しらずしらず、あいつを意識してるのか?
分からない。
なんだろう、恋って稲妻みたいに分かりやすいものじゃないのか?
……。
アウシェが前にいる以上、頭を抱えたりはNGだ。きっと曲解に曲解を重ねて変な解釈をして大変な事にしてくれそうな気がする。
……だめだだめだ、『恋人』なんてアウシェに変なコト言われたせいで頭が回らない。
この疑問も誘導尋問的に引っ張り出された何かだ。
そうしておく。はい終わり。
俺は結論の出そうにない脳内問答に蓋をしてパフェにスプーンを突き刺した。
それを面白くないとしたのかアウシェが動く。
「ところでリヴェル君。クイズです。私には目的がありこの店に来ました。さて、それとはなんでしょう」
俺がパフェを食べていると、自分の分を食べ終わったアウシェが突然すっとんきょうな声をあげた。俺は一瞬固まるが、無視したら面倒な事になりそうだったので答える。
「一つはどうせコレの封印だろ。俺に会ったのは偶然じゃなくて必然。狙われてたってやつ」
俺は自分の左腕を軽く叩いた。
それを見てアウシェはにっと笑う。
「当たり。いいよ〜リヴェル君。君と話してると楽しいね。じゃあ他に目的があるとしたら?」
「そりゃあ、何か食べるか飲むかしに来たんだろ」
「ふぅん。そうだと思う?」
アウシェは無造作に立ち上がりてくてくと店内を歩く。
それも、いつもより隙だらけでだらしなく見えるように。
そして少し歩いたところで――
「おら、金を出せ。人質がどうなってもいいのか」
――捕まった。
「はぁっ!?」
「やーリヴェル君、捕まっちゃったよ。囚われの姫君って気分だね」
「黙れ。喉かっ裂かれたくなかったら大人しくしろ」
今、アウシェは男に回り込まれて首の数センチ前にナイフがそえられている。
その男とはさっき店内を見たときに怪しげにこそこそと話していた二人組だった。
「いや〜こういう『面白そうなコト』が起こりそうな雰囲気だったから来たんだよ」
あの紫竜は今になっても暢気にそんな事を言っている。あいつは今にも喉を掻き切りそうなあの刃物が見えないのか?
「お嬢さん、次はない。喋るな」
強盗が冷たい目でアウシェを睨みながら言う。
そして俺は気づいた。
「下手な行動をすんなアウシェ!それ、聖性を帯びてるぞ!」
そうだ、あの強盗が持つナイフからは何故だが知らないが弱めの浄化の力を感じられた。こいつ、教団が雇った傭兵でその後軍から脱走したクチか。
俺の額を冷や汗が伝う。
いくらドラゴンといえど浄化の力を帯びたナイフで首を切られたらまずい。
例え意識しないと気付けない程弱い加護だとしても、だ。
そんな状況でもアウシェは表情を変えない。
そうこうしているうちに強盗のアウシェを拉致していない方が店員にナイフを突き付け、金を取らせに行かせた。
助けようにも、強盗はどちらかと言うと俺の方を向いているし、今店の中にいるのは戦闘に向かない魔物ばかりだ。
大声を出して助けを呼ぼうにもアウシェを見殺しにはできず、誰もできないでいる。
詰んだ、か?
そう思っているとアウシェが笑った。
「何がおかしい!」
当然彼女を捕まえている男は苛立った声をあげる。
それでもアウシェは愉快そうにしていた。
「ふざけるな、殺すぞ」
アウシェにそう怒鳴る強盗。
それにアウシェが放った言葉が場を凍らせた。
「殺せないくせによく言うよ全く」
「何っ―――」
強盗は烈火の如く怒り、わめくがその声も次第に小さくなる。
そして顔が心なしか蒼くなりナイフを持つ手が震え始めた。
アウシェが強盗のナイフを持つ手を掴んでいたのだ。
しかし、それで引き離すのかと思いきや、ナイフはどんどんアウシェの首元に近づく。
同時に強盗の顔も血の気が引き始めていた。
「ふふ、殺すとか言っておいて私がナイフを自分の首に当てようとしたら必死になって止めるんだ」
さも楽しそうにアウシェが言う。
「だめだね〜。強盗ってさ、人質なんていくらでもとれるんだから一人くらい殺す気じゃないと成功しないよ」
アウシェが銀色に光る刃物を喉に押し当てる。
「ほら、もし私が死んだら新しい人質とらなきゃ」
刃物が弾力のある肌に食い込んでいき――
ばぎん。
――折れた。
「おっと、折っちゃったか。ま、私を切りたきゃ人間の手で加えられた加護じゃあ物足りないよね」
飽きた玩具を捨てるように強盗の腕を放すアウシェ。弾かれたように彼女から離れた強盗は肩で息をしていた。
「ば、化け物め」
「大当たり」
「くそぉっ!」
強盗は震える手で服の袖の中に隠した暗器を抜き斬りかかる。
しかし、その刃も同じく、人化した状態のアウシェの腕すら傷つけることが出来なかった。
「君さ、強盗向いてないよ。
で、その気があればうちで自衛団の一員として雇ってあげる」
そう言って人差し指で強盗の額を軽く押した。
ただ、それだけでそいつは床に崩れ落ちる。騒ぎを聞いてこちらに来た強盗の相方も同様に一撃。
そのままアウシェは親猫が子猫を運ぶ時のように強盗の服の襟首を掴んだ。
「みんな怪我ない?大丈夫?」
そう店内のみんなに聞いて異常が無いと分かるとアウシェは犯人を引きずりながら店を出ていった。
危機が去ってから店は平常運転する。
超展開についていけなかった俺だけを取り残すように。
「……」
俺は席に戻り、未だ口をつけていないパフェを食べようとして気がつく。
アウシェの食べていたパフェの器の下に手紙が挟まれていた。
なんとなく手に取り俺はそれを広げる。
『さっきの答え合わせ
目的その1、君の刻印の上に抑制術式を加え直すこと。
その2、何かが起こりそうな雰囲気だったからとりあえず来てみたこと。
その3、これが一番大事。そう、アルティがここに来るまでの時間稼ぎ』
時間稼……ぎ?
俺は店にある時計を見た。
現在三時である。
繰り返す、三時である。
アルティがおやつを食べにこの店に来る時間である。
ちくしょう!あの紫竜め、謀りやがったな!
俺は急いで手紙を折り畳んでポケットに突っ込む。そしてさっさとパフェを平らげて帰ろうと未だ手付かずの大盛パフェに手を伸ばした。
伸ばして、空振った。
「もう、ここで食べるならどうせ私も来るんだから一緒にいればよかったのに」
頬を少し膨らませたアルティが俺のパフェの器をずらして空振らせたのだった。
ああ、結局こうなるのか。
俺の横にちょこんと座るアルティを見ながらため息をついた。
さっき一人でいようと苦心していた俺が馬鹿みたいに思えてくる。
一人でいる楽しみもあれば二人だからこその楽しみもあるのかもしれない。
それに、久々の一人きりといってもとっくにアウシェに邪魔されてたしな。
そう考えて俺は甘んじてアルティとこの一時を過ごすことを受け入れた。
「アルティ」
「何?」
「お前がいつも頼んでるこのパフェ、無駄に甘いな」
「そう?じゃあ少しちょうだい」
「だめだ」
他愛もないこういう話も。
「なんで寄り掛かってきてるんだ?」
「歩いて疲れたし」
何気ない触れ合いも。
「何?なんで笑ってるの、リヴェル」
そう言えば教団で『落ちこぼれ』と言われてた頃には何一つ無かったな。
そう思うと自然と笑みが漏れる。
ああ、これって確かにアウシェの言った通り―――。
「なんか恋人みたいだなって、さ」
不意に俺の口から単語が転げ落ちる。
数秒の間。お互いは固まった。
そして、それを聞いたアルティは無表情のまま尖った耳の先までまで真っ赤になる。
「ぇ……え……?」
「あ!すまん、つい。じゃなくて、と、とにかく、そのなんだ、不快にさせたなら悪い、謝る」
俺も事故のように呟いた単語がこんな破壊力のある呪文だったとは思っていなかったので弁明を試みた。が、元々口が達者な方ではない俺は頭が真っ白になりジェスチャーになり損なった手がから回るだけだった。
湯気が出そうなアウシェは俯くばかりで、俺は慌てるばかりだった。
「お待たせしました」
タイミングがいいのか悪いのか、ウェイトレスがアルティの前にパフェを置く。
俺のいま食べているやつと同じものだ。
余計に気まずくなってしまう。
アルティは俺から見てもわかる顔の火照りをどうにかしようとしたのか、物凄い勢いでパフェを食べ始めた。
さすが甘党リッチ。あれだけ濃い甘味を口に詰め込んでもむせない。
俺もアルティも二人とも無言でパフェを食べてゆく。
この喫茶店は、かなりの客がカップルでいちゃつきながら飲食をしていた。
俺たちだけ目の前のパフェに集中しているので凄まじく浮いているだろう。
だが、俺には気の利いた科白なんて思い付くはずもなく、こうするしかなかった。
「「ごちそうさま」」
二人同時に完食し、代金を支払い街に出た。
アルティはもう普段のポーカーフェイスに戻っていて何を考えているか推し量る事は難しい。
「アルティ」
「ん?」
「口の端にクリーム付いてるぞ」
「ん」
「何してんだ?」
「取って」
「自分で拭けよ」
アルティはすでにいつも通りに戻っていることだし、俺もいつも通りに戻ることにした。
アルティはむー、と唸りながらハンカチで口元を拭った。
「アルティ、次はどこに行きたいんだ?」
俺はこの休暇の間、何回も繰り返した質問をアルティに投げかけた。
それは先程のイレギュラーも『いつも通り』にうずめて薄めようとしたかったのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆
月が出ていた。もう少しで満月、という月が。
私はワーウルフではないが、やはりそれの美しさには目を奪われる。
私は魔法科の研究棟の屋上にいた。
冷たいな光と涼風が私に『ここにいる』という実感をくれる。
だから、夜のこの場所は大好きだ。
私は今日の出来事を思い返してみる。
今日は珍しくリヴェルが私と同じパフェを食べていた。
いつもならば私とあそこに行く時、彼はジパング産のお茶を飲むだけだったのに。
そも、彼があの喫茶店に一人で行く事も珍しい。リヴェルはあまり甘いものを食べないからだ。
……。
リヴェルに何があったのだろうか。
私は頭をフル回転させる。
しかし、何も思いつかない。
それにしても、ここまで考えるということは、私はやはり彼を好いているのか?
自分の蒼白い手を胸に当てて自身に問う。
今まで実験的に彼にくっついてみても、淫魔が言っていたような誘い方をしても特別に感じるものは無かった。
だから、リヴェルが他の魔物に取られそうになった時に感じたものはただ、実験材料が奪われるのが嫌だったのだと今まではそう納得していた。
しかし、その考えは今日、リヴェルから『恋人みたい』と言われた瞬間に崩れた。
あそこまでアンデッドでも火照るのだと身をもって知ってしまったから。
むしろ今思えば、リヴェルにくっついていた時は、気付かないくらいの大きな幸せを感じていたのかもしれない。
だから私は『自分はリヴェルに惚れているのか』という考察を自分の中で建前にして彼にくっつきに行っていたのかもしれない。
分不相応な幸せを感じたかったから。
……そうか、やっぱり私は恋を……。
「ふふっ」
空に雲は無く、少し欠けた月が薄い闇を広げたようなの空に冴えていた。
そうか、だから彼に会ってからあの実験をしたくなくなっていたんだ。ようやく分かった。
分かってしまえば自分のことだ、制御は簡単。
嫌だと感情が訴えても私はリッチだ。感情の制御なんて簡単過ぎる。
さて、これで明日からでも止めていた実験を再開出来るだろう。
リヴェル。
あなたは私のしようとしている実験をしったら怒るのかな、それとも止めるのかな。
多分、両方だろうけど。
さあ、善は急げ。今から私の工房に籠って実験、再開しないと。
私は思いっきり伸びをした。
14/01/26 20:03更新 / 夜想剣
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