俺の初仕事というわけで彼女と仕事をするわけで
あれから少し騒動はあったものの、比較的楽に収まった。
現在、全員席に座り、自分の席の前に一つずつ出現した結界のミニチュアを眺めている。
ちなみに、皆が囲んでいる机はアルティが会議用の長机とか言っていたが、中々に立派だ。具体的にはよく貴族の晩餐と聞いてイメージするような長くて幅があるあんな机だ。普通城とかにあるべきで『禁書の』と接頭語が付くが図書館にあるべき物ではないくらいに高価そうだった。
この『禁書の海』はどれだけ金がかかった所なんだ？俺は魔物の勢力には絶対に反魔勢力は勝てないと思ってしまう。
その上に乗っている、いや発動しているのは結界。この机の上に人数分並んでいると形は違うがまるで料理にかぶさる銀の蓋（正式には何て呼ぶのだろうか）のようにも見えなくもない。
それはアルティが持っていた巻物のようなものに書かれた結界の術式、それを極小スケールで発現させたものだ。
今回の物は普通に発動すれば街全体を覆い攻撃を防ぐ物らしい。
それの欠点を探し、より完成させる。完成させ、街の中央の城にある結界展開装置の水晶に新しく刻むのだそうだ。
これがアルティたちの仕事らしい。
また、小さな巻物や水晶などに結界術式を刻み誰でも使用できる個人防護結界の作成などもしているようだが、今回の作業はこの街の防護結界の調整のみだそうだ。
ちなみに個人防護結界の道具作りは街の守りに使われている術式を流用して作るらしい。
魔法科は転移ゲート管理などなど他にも仕事があるらしいが、アルティの管轄は結界のみと言っていた。
きっと俺のこの後の管轄もこの感じだと結界系になるのだろうか。
そういうわけで俺は目の前の半透明な三角錐を見つめている。硝子のようでその実硝子の数倍の強度を誇るだろう魔力の壁。
アルティはやはりリッチだったのだ、と感慨深く透き通ったそれに触れた。
しかし……欠点を見つけるったって何をすればいいのか。俺はお手上げ状態だった。
俺は教団に『お前は武術系』と言われていたため興味があっても魔術理論なんて詳しく知らない。
俺は算数しか知らない子供が関数論やらlogの微分やら積分の詰まった紙切れを見たような反応をしながら唸った。
分からない。
そんな時、大きな動きを見せる奴が一人。
「そぉ〜いっ！」
トゥーモだ。
彼女はどこからともなく金槌を取り出し、結界に向けて降り下ろした。
大雑把にぶうんと降り下ろされた金槌は見事結界に受け止められる。ミニチュアはびくともせず鉄琴を叩いたような澄んだ音がした。
なるほど、やることは単純に強度チェックとかなのか。トゥーモのおかげで理解できた。難しい事は考えずとりあえず叩け、と。
アルティも他のメンバーも頭が切れるようなので簡単な説明で……いや、説明もなく『わかった』という顔をするからトゥーモみたいなタイプは助かる。
行動が分かりやすくて。
俺は金槌を机に置いて首をかしげるトゥーモを見ながらそう思った。あいつ、深く考えてなさそうで楽そうだよな、と。
そう考えているとトゥーモはアルティを手招きして呼んだ。
アルティはくるりとトゥーモの方を向く。
「あのさ、三角錐型だと強度にむらが出ない？だから半円、ドーム状にした方が良いと思う。後さ、衝撃は弾くんだけど硬すぎて逆に脆いかも。少し衝撃を受け流すために弾性持たせてみてもいいかもね〜。あ、このミニチュアの耐久性、実物の何分の１に設定してある？それ言ってくれないと困るかなぁ」
「あ〜、強度は５０００分の１くらい」
こいつ、考えてやがる。『本の虫』の異名は伊達では無かったか。
ぽけ〜っとした顔をしながら凄まじい勢いでアルティに言うトゥーモ。人は見かけによらない。
まさに今、典型例というやつを見た。
じゅうぅぅぅ。
間髪入れず嫌な音がしたので振り向くと――
「アルティさん、毒魔法で簡単に溶けますよ」
無残に溶けた結界を大百足の千幸が眺めていた。結界のあったらしき場所には毒々しい色の液溜まりができている。
ぼふん。
「あ、急激な温度変化には強いね、さすが」
続いてルセフィが炎と氷を辺りに浮かべながら言う。
「『グラビティ』」
ごしゃあ。
さらにその横でコットンが黒色の過重力空間を作り出し結界を押し潰した。おい、高位魔法だぞ、それ。
「う〜この感じだと耐久性はオッケーかな〜」
コットンは残骸を見ながらうんうんと頷いた。
各々好き勝手に無限に自動生成される結界のミニチュアを壊していく。
しかも、一つ一つが高度、または変態的な技量の魔法を持ってして。
様々な技巧を凝らして結界を破壊していくさまは紛うことなき変態。変☆態。
というか結界の試験とはいえ簡単に壊れすぎだろう。こんな強度で戦争から街を守れるのか？
俺は心配になってアルティに聞こうと思ったが心配は無用だった。そう言えばアルティが５０００分の１の強度と言っていたし、何より――
彼女は結界を破壊する様子を一ミリも逃さない勢いで見続け、メモをとっていた。
いや、少し語弊があるな。
メモというレベルではない。魔力で形成された無数の文字が宙を飛び交い彼女の周りでレポートとなる。つまり観察、考察、計算、筆記、その他もろもろを同時にやっていた。
俺はそんなアルティを見て絶句する。魔術魔法の探究者リッチとは何かを見せつけられた気がする。
まばたき一つなくトゥーモたちの結界を壊す様子を真剣に観察する姿はいつになく綺麗に見えた――
――ような気がするがすぐに彼女のアイスにむしゃぶりつく姿を思い出し、気のせいだと一蹴した。
で、なるほど、結界は壊させているわけか。データが出るようなるべく多彩な攻撃で。
よし、いつまでもサボるわけにはいかないか。
「『ファイア』」
俺はぐっと右手を握り、開く。生成され圧縮された炎が場所を求めて爆ぜる。
後はそれに少し指向性を与えれば完成。
さっきまで見たものが見たものだから少し見劣りする。が、教団一般兵の実力は『オチコボレ』である俺と恐らく同じくらいだろう。
くくっ。
なら、一番俺からとれるデータが有用かもな。なにせ周りは天才ばかり集っているみたいだしなっ！
「『ペネトレイト』」
俺が指をくるっと回すと炎が帯となり螺旋を形作る。
さて、この結界、一点に攻撃を集中されるとどうなるか。
ずだん！
俺の放った炎弾は結界にぶち当たり、少し苦戦した末にそれを貫いた。
◆◇◆◇◆◇
「あ〜私も休憩」
時間が経ち、ルセフィがガス欠か椅子の背もたれにもたれかかって大きく息を吐いた。
俺は彼女に息もたえだえに労いの言葉をかける。
すると無理すんな、と額を弾かれた。指で弾いたなら可愛いげがあったが、俺の額で砕けたのは氷の弾丸だった。
しばらく魔力や体力を消費して結界を壊し続けたのだから疲労が溜まってくる。保有魔力の絶対量が人間に対して多い魔物でもいずれ限界は来るものだ。
そう言う俺もとっくに休憩していた。
俺は人間だぞ！スタミナ切れの早さはぶっちぎりで一位に決まっている。
と他のメンバーを見た。
俺に次ぐ第二脱落者、千幸。
机に突っ伏して休憩中。
……その体の長さだと逆に疲れないか？
第三脱落者、コットン。
ただいま毛玉状態になり空中遊泳中。
……際限なく上に登って行っているのでそろそろ肉眼でとらえるのが厳しくなる。
第四脱落者、ルセフィ。
椅子の背もたれにメモ帳を取り出して何かを書き綴っている。そしてある程度書いて机に投げ出した。結界についてのレポートか？
『魔力消費でカロリー消費！
まさに魔法のようなマジックダイエット！！
消費魔力量記入帳』
さて、見なかったことにしようか。
俺はそれから目をそらした。
すると代わりにトゥーモが目に入った。
「そぉい！」
がつん。
「そぉぉい！」
がつん。
軽い感じで次々に魔法をぶつける。
それにしてもトゥーモは何故か未だにばてない。
それどころか高度な魔法や燃費が悪いタイプの魔法をどんどん行使していく。
同じ魔法を使う者として感嘆してしまう。
「ん？どしたの？私なんて見つめて。もしかして私に惚れた？」
ふにゃりと笑いながらトゥーモがこちらを向いた。
アルティが空中に構成していた文章が一瞬乱れる。
俺はこの先の展開を読んで冷や汗をかいた。入院中のロマンチックのロの字もないサキュバスやダークプリーストによる狂的な告白地獄を思い出す。
モスマンは確か思考が単純な種族と聞いている。このまま勘違いで飛びかかってきてもおかしくない。
それはそれで幸せなのかもしれないが、俺としては『恋愛』という過程を通過したい。
いきなりゴールインなんて出来れば避けたい。
俺はどう凌ごうかと思考を巡らす。だが、逃げられる気はしない。
なにせ相手は間違いなく俺より高位の魔法使いかつ飛べる。
「私は構わないよ〜むしろあなたみたいに寂しげな光を出してる人放っておけないし――」
そう言いながらトゥーモが微笑み俺に向けて手を伸ばし――
パァァン！パキャァァン！！
トゥーモの動きが止まる。
俺とトゥーモの席にあるミニチュア結界が派手な音をたてて破砕された。
「成程。やはり一点に集中して攻撃をくらうと簡単に壊れる」
まさか、と俺とトゥーモはアルティの方を振り向いた。予想通り彼女はぶつぶつと文字を空中に並べながらこちらに片手を向けていた。
アルティの席に一番近いのが俺とトゥーモだが、アルティの前にも結界のミニチュアは生成されている。結界に対して実験をしたいならわざわざこちらの結界を壊す必要は無いのだが……。
果たしてこれは偶然かそれとも必然か。漠然と救ってくれたのかとも考えたが、全然アルティがその後にトゥーモと俺の間に割って入ろうとしないため自意識過剰か、とため息を吐いた。俺は漫然と休憩宣言もしていないのに私語をしたトゥーモに対する喝だろうと思うことにした。
そしてトゥーモはというと俺に向けて伸ばしていた手を引っ込める。そのまま両肘を机に乗せてその掌にさらに顔を乗せた。
な〜るほど、と呟き分かったような顔をしてまた微笑む。
背中の羽が心なしか楽しそうにぱたぱたと揺れていた。
「あのアルティがねぇ〜」
ふわふわした笑顔でアルティを見つめるトゥーモ。常に夢見心地な感じの彼女だが一瞬だけ理知的に瞳がぎらつく。
「も〜今まで色んな怪我人を街まで救出してたけどとうとう引き当てたんだね〜
良かった。前まで本当にアルティはただの動く死体みたいだったから」
トゥーモは大きく息を吐いて伸びをした。
それから椅子の上で跳ねるようにして座り直す。
「私も休憩っと」
そして楽しそうに俺とアルティを交互に見る。アルティは苦い顔をしながらまた文字を空中に並べ出す。
なんだなんだ？よく分からないぞ。と俺は困惑した。
とにかくまた目が合うと気まずいので俺はアルティやトゥーモから目をそらした。
ふと思うと他のメンバーが派手すぎてローチェが何をしているか見ていなかった。
丁度いい、と俺は気を抜いた瞬間にトゥーモと目が合わないようにローチェのしている事に注目しようと思った。
幸いにもまだローチェは休憩をしていない。
というわけで逃げるようにローチェの方を見つめた。
ローチェは相変わらず深くフードを被り、羽織っているコートもぶかぶかで手もよく見えない。
……甘党アルティよりローチェの方がリッチらしいかもしれな――
ひゅん、パァァァン！
「「……」」
アルティから放たれた魔弾が再び俺の前のミニチュアを貫く。
つい視線が合ってしまった俺とアルティはお互いに無言。ついちらりと見てしまったトゥーモは相変わらずにこにこしていた。
アルティからは目をそらしても分かるほど視線を感じる。なぜだ？機嫌を損ねるようなことしたか？
考えても考えても答えは出てこない。
……なんか息苦しい。
「あ、わ、私も休憩していいですか？丁度試したいことは、終わ、終わりましたのでっ！」
その沈黙を破るようにローチェがアルティの方を向いて言う。
アルティは無言で頷いた。
俺はそれと同時に深く息をはく。アルティから感じる圧力のある視線が消えたからだ。
……もしかしたら俺はローチェに気を使わせてしまったのかもしれない。
これで全員休憩に入ったことになる。結局ローチェはどういうタイプの魔法使いか分からなかった。まあ、どうせ同じ魔法科なんだしいつかは分かるか。俺は長い机の上に生成されている結界を小突く。こぉぉ……んとやけに澄んだ音が響いた。まさに打てば響く。術者のアルティよりコミュニケーション能力のある結界じゃないか。
くく、と俺がこっそり笑うとアルティは指を鳴らして結界のミニチュアを消滅させた。
ま、全員休憩したし、無駄な消耗は避けたいのだろう。
そしてアルティがおもむろに手を振り上げた。すると彼女の回りに浮かんでいた文字が圧縮、複製され俺たちの前に並んだ。
先程の状況を踏まえたレポートだろうか。いや、内容が俺にはさっぱり分からない。
状況から察すると結界式の改変後の術式のようだ。
「これに目を通しておいて。十分くらいしたら今度はその式の結界張るから。もし、気になる所があったら言って」
アルティが欠伸をしながら言った。
言ってから俺を見つめた。
見つめてからため息を吐いた。
なんだってんだよ。
本当に何がしたいんだろうか。少しいらっときたので報復を試みる。
「アルティ、多分この行のこれ、誤字だろ」
俺は容赦なくアルティに言った。
「結界術式の分からない俺でも分かるぞ。あとは、こことここと…ここ。多分単語の綴りが違う」
淡々と俺は誤字の指摘をする。あれだけの速度で書いていたんだ。誤字はあるだろうと粗を探して正解だった。文法や高度な組み合わせは分からない。ただ、使われる単語だけなら分かる。
一応初級魔術理論は必修だったからな。
俺は自慢げに鼻をならす。
アルティが魔術式を複製して渡すと言うことは誤字や致命的な文法エラーがある可能性あり、と自覚しているからだろうが、それでも揚げ足を取れたのは嬉しい。
知識から戦闘から魔法まで何から何まで劣っているんだ。一瞬でも優越感に浸ることができるのは嬉しい。
嬉しいけれど、少し悔しい、がな。真っ向から勝てなくて。
「……」
アルティはそんな俺の気持ちと裏腹に感心したような表情になっていた。なぜだ？失敗を晒されて恥をかいただろうに。
俺が口を開けてそう言おうとした時に千幸が喜色満面で言った。
「流石アルティさん、いい人を見つけましたね。やりましたよ素晴らしいじゃないですかっ！ちらっと見ただけでこれですよ。術式エラーやバグを血眼になって探して探して探す工程が楽になるんじゃないですか！？」
俺は目が点になった。
◆◇◆◇◆◇
気になり聞いたところ、こういう事らしい。
１…まず高度な術式は形にはすぐなるが細かいエラーが多発するらしい。
２…形になりさえすれば量産も出来るが、エラー探しが予想以上にハードらしい。
３…ハード過ぎて時々誰かが『術式恐怖症』とやらになるらしい。
以上、と。
困った事になった。
俺が出来る人間だと勘違いされてるぞ。
どうしようか、と思考を巡らせているとぽん、と肩に手を置かれた。
……酒臭い……？
「ふふ、何でそんな難しいカオしてるのかなぁ〜〜」
俺の背後から突然ぐでんぐでんに酔っ払った女の人の声がした。綺麗な声なのにこうも酔っ払っていては台無しだった。
「リムリルちゃん登場〜にゅふふふふ、お？」
俺の両肩をばしばし叩きながら大声を出す俺の後ろにいる人。
嫌な予感と悪寒で体が震える。
「おぉ？この子まだお手つきじゃないじゃん。もらってってい〜い？」
げ。まずい。
そう感じた俺は逃げ出そうと試みるも、次の瞬間がっちり椅子ごと抱き締められてしまう。魔法を撃とうとも考えたが、それは流石にしたくない。
唯一、救いがあるとすれば俺が座っているこの椅子には背もたれがあることだ。背中に柔らかいものを感じなくてすむ。
アルティ！！
俺は目でアルティに助けを求めた。
今まで病院とかで地味に魔物の強引な求婚から守ってくれたりしたんだ。今度だって……。
アルティは言われずとも、と言わんばかりに席からすでに立っていた。
「邪魔しないの」
俺を抱きしめている誰かがそう言うとアルティは黒い光の縄で縛られ行動不能になる。
……。
不意打ちにやられて動けなくなったアルティ。救援は期待できそうにない。今日会ったばかりだし他の魔法科の人には頼み辛い。というか魔物だしむしろもっとやれ〜いちゃつけ〜とか思っているかもしれない。だから下手に頼めない。
それにしても、魔物が好色なのはつい最近知ったが酒の勢いでこう…なんというか、やられてしまうのはいただけない。
では……五秒だけ。
俺はゆっくりと息を吸った。
「血は砂に、身は器に―――
『砂漏回填』」
がちり。
瞬間、俺の全能力が底上げされるのを感じた。今なら行ける。
まず一秒、力ずくで拘束を振りほどく。
二秒、地を蹴り机を飛び越し、着地……。
三、四、五秒、時間切れ。
がちり。
どさり、と俺は床に崩れ落ちた。左腕の砂時計が焼き鏝を当てられたかのように痛む。
しかし、俺は上手く向かい側にいたアルティの真横まで退避できた。
アルティを捕らえる魔力の縄を切断する。
しかし、あの酔っ払いの脅威はまだ去ってはいなかった。
ゆらり、ゆらりと不気味に立ちながらくすりと笑う。
「どぉ〜して逃げるの〜？お姉さんが優しくしてあげるよぉ？」
しゅん、と音がしたかと思うと白い彼女は俺の後ろに立っていた。
「知ってる？魔王……の娘からは逃げられないっ！」
そんな科白を言いながらへべれけな顔で俺にダイブすべく飛び込んでくる。俺は『砂漏回填』の能力強化の反動で上手く動けない。
アルティはきつく縛られていたせいか動きがぎこちなく戦力にはなりそうにない。
ああ、せめて、もっとロマンチックな出会いがしたかった。
そんな遺言じみた言葉を頭の中に浮かべながら俺は目を閉じた。
「『グラビティ』」
「きゃふっ！」
刹那、ごしゃあという痛々しい音がした.
恐る恐る目を開けると、目の前であの酔っ払いが情けない格好で地面に張り付いていた。
「はいはい酔っ払いは寝てよー」
上からコットンが降りてくる。
笑っているけど、笑っていない。
「酔った勢いで誰彼構わず襲わないの」
「ほんとだよ〜も〜」
今度はトゥーモがやれやれ、といった感じに話しかける。
「ぅるさぁあい！！『ディスペル』」
酔いどれがコットンの重力魔法を強引に振り払った。同時に彼女の魔力が発散される。
恐ろしい魔力量だ。
強烈な魔法解除の波動が辺りに広がる。
俺は危機を感じ無理やり立ち上がて身構えた。
「どうせ私は独身ですよぉ〜だ。こうなれば強引にでもこの子を拐って―――」
過重力から解放され、そのままやけくそになっている彼女は翼をはためかせる。そして俺を掴んで連れ去ろうとして―――
―――見覚えのある紫の影に捕まった。
「こらこらリムリル、そんなんじゃ立派なリリムになれないよ」
俺を救ったのはアウシェだった。
彼女はリムリルと言うらしい残念な酔っ払いをヘッドロックしながら言う。
さあっとリムリルの顔から血が引いて青くなった。
「あ、アウシェさん？どしてここが？」
「私を誰だと思ってるの？無駄に長生きしてないよ〜」
アウシェはぼすっと首筋に手刀を打ち込んで容赦なくリムリルを気絶させた。
「全く、酔って店で暴れてそこら辺で女の人を三人ほど魔物にして挙げ句の果てに――」
アウシェは目を細めて俺を見た。
「――挙げ句の果てに予約済みをかっさらおうとするなんてね。むう、こりゃ禁酒させる？」
俺に向かってどうする？というようなジェスチャーをしながら竜は言った。どうするったって、なあ。
……毎度思う事だが、このアウシェ、ドラゴンにしてはあまりにもフランクである。
俺は同じジェスチャーをアルティに向けた。
しかし、アルティは放心状態で俺の事なんて見ていなかった。簡単に拘束魔法にはまったのがショックだったのかもしれない。
「アウシェ〜いた？」
続けて空間が歪みクロネとシェウィルが姿を現す。
「いたいた。で、どうする？魔王城まで投げ飛ばす？」
にこにこと笑いながらアウシェが言った。
そういえば、アウシェが雑に抱えている女性は白い髪かつサキュバスのような姿をしている。
ちょっと待った、それ、リリムじゃないか？
「ちょっと待ったアウシェ、流石に魔王の娘さんをぶん投げるのはどうかと思う」
俺が慌てて言うとクロネも賛成と言わんばかりに頷く。
「そうですよアウシェ、せめてぐるぐる巻きにしてハーピー便で魔王城まで送るくらいにしないと」
それもいけないと思う。
というかクロネは真面目サイドだと思ってたけどそっち寄りなんだな。
「アウシェ、クロネ、仕事の邪魔をしているぞ。私たちはリムリル様を連こ……探しに来ただけなのだから早く帰るべきだ」
シェウィルが冷たく二人を睨む。
良かった。シェウィルさんだけはまともだ。俺は安堵の息を吐いた。
アウシェは仕方ないなぁという顔をしながらどこかに繋がるゲートを開く。
「じゃ、またね、邪魔してごめん！」
アウシェたちはそう言うとゲートに突っ込んでいった。
こうして嵐は過ぎていった。
「いや〜危なかったね〜リヴェル〜」
トゥーモが俺の肩をばすばすと叩く。
……何が危なかったかは聞かないでおく。何となく分かるから。
「私とトゥーモは突然あの人に襲われて魔物になったからさ、正直言ってお酒やめて欲しいよね〜」
コットンがトゥーモの頭上を衛星のように飛びながら言う。
そうだな、すごい反面教師を得た気がした。溺れるまで酒を飲まないでおこう。そう俺は深く心に刻んだ。
「ってコットンとトゥーモは襲われて魔物になったのか？」
「ん、そうだよ。私たち、そろそろリッチにでもなろうかと考えてたらどーんってやられたの」
トゥーモは特に気にした様子はないが、申し訳ない気分になってくる。襲われるってかなりのトラウマになるだろうし。
「あ、リヴェル。大丈夫だよ〜トラウマとかにはなってないから。それにどの道この世代だとどんな魔物も不老だし！」
コットンが能天気に言った。
「本当に不満は……不満は、無い、かな？」
コットンは自身の体とトゥーモの体を交互に見ながら言い淀む。そしていきなり、みゃぁぁぁぁと謎の叫びをあげながら毛玉になり上昇していった。
「あ、コットン、そろそろ再開の時間だよ〜降りてきて〜」
トゥーモが額を掻くとコットンを追うように飛んでいく。
……。
確かに、そろそろ再開の時間だが……仕事再開できるか？これ。
俺は会議机の方を見た。
今、席にしっかり座っているのはローチェのみ。アルティは俺がリムリルの拘束魔法を切った状態のまま固まっているし、千幸とルセフィに至っては机の下に器用に潜り込んで震えていた。
さっきから妙にガタガタ聞こえると思ったらこのせいか。と俺は納得する。
おそらくリムリル登場から今までずっとこうなのではないか、と思った。
……声はかけないでおこう。俺は近寄ってからそう思った。
千幸はきっとあのリリム、いや、酔いどれに深く心にトラウマを穿たれたんだろう。
とてもＳＡＮ値がごりごり削れている音がしている。
そして残るはローチェのみだった。
「ローチェ、あんた以外みんな仕事に戻れるような状況じゃないけどどうする？」
「え？あ、は、はい。どうします？」
アルティの生成した結界術式から目を離し俺の方を向いた。
ぴょこり、とフードからはみ出た触角が可愛らしく揺れる。
それを見て俺は冷や汗をかいた。
人化が解けている。
そういえば、あのリリム、強烈な『ディスペル』（魔法解除および無効化魔法）使ってたよな。
で、ローチェ自分の魔物の姿にコンプレックス持ってたよな。
人化解けてるって知ったら、大変だよな。
俺はトゥーモがローチェの人化を無理やり解除しようとした時の事を思い出す。
凄まじく拒絶してたよなぁ。
どうするか、伝えるか？
俺が迷っているとローチェが首をかしげた。
「リヴェルさん？ど、どうかしました？も、もしかして私のか、顔に何かついて、ますか？」
ローチェが自らの顔を触り始める。
そして、青ざめる。
そして彼女は手を眺めた。それは茶色い甲殻に覆われていた。
「い、嫌ぁぁぁぁぁぁぁっ！！」
ローチェは椅子から転げ落ちた。
「大丈夫か？」
俺は慌てて駆け寄って手を差し出したが、猛スピードで逃げられる。
「み、見ないでください、触らないでください、どうせっ、わたっ、私、私は嫌われ者のデビルバグなんですっ！」
ローチェが顔を真っ赤にしながら叫んだ。
俺はその言い方にいらっとして言い返す。
「別に俺は気にしてない」
俺はしっかりとローチェを見た。
「同情なんてしないでください！貴方に、は、初めから人間だった貴方に何が分かるんですかっ！
いらない知恵をつけてしまった愚者であるべき者の苦悩がっ！分かるんですかっ！？」
しかし、ローチェは俺の言葉なんて一つも聞かなかった。
彼女はチョコレートのようなつやつやした羽を広げ飛んでいってしまう。
追いに行きたかったが、ローチェは次の瞬間に転移魔法を使って消えた。
俺の中に後味の悪さだけが残る。
俺だって、故国で使えない勇者であるだけでどんな扱いをされてきたか。
それをあいつは知らない。
ぐっ、と拳を握る。せめて、一言だけ、言いたいことがあった。
……まあ、それが叶わない今は胸の中に押し込めておくしかない、か。
はぁ、と俺はため息を吐いた。
気持ちを切り替えて現状をどうするか考えないとだな。
……どうする？
か い め つ だぞこれ。
トゥーモはコットンを追いかけてるけど捕まりそうもないし。
ローチェはどこかに行った。
千幸とルセフィは今や会議机ごとがたんがたん揺れてるし。
アルティはフリーズ中。
……せめてアルティが再起動してくれればなあ。
俺は頭を抱えた。
ちなみにこの後、トゥーモたちは飛び疲れて仕事どころではなくなる。
ローチェは相変わらず何処にいるか分からず。
千幸とルセフィは震えているうちに頭をぶつけて気絶。
アルティは復活したはいいものの、『拐わせない』としばらく俺の左腕を掴んで離さず。そして俺は切り札の『砂漏回填』の副作用でふらふらになり結局仕事はこの日再開されなかった。
現在、全員席に座り、自分の席の前に一つずつ出現した結界のミニチュアを眺めている。
ちなみに、皆が囲んでいる机はアルティが会議用の長机とか言っていたが、中々に立派だ。具体的にはよく貴族の晩餐と聞いてイメージするような長くて幅があるあんな机だ。普通城とかにあるべきで『禁書の』と接頭語が付くが図書館にあるべき物ではないくらいに高価そうだった。
この『禁書の海』はどれだけ金がかかった所なんだ？俺は魔物の勢力には絶対に反魔勢力は勝てないと思ってしまう。
その上に乗っている、いや発動しているのは結界。この机の上に人数分並んでいると形は違うがまるで料理にかぶさる銀の蓋（正式には何て呼ぶのだろうか）のようにも見えなくもない。
それはアルティが持っていた巻物のようなものに書かれた結界の術式、それを極小スケールで発現させたものだ。
今回の物は普通に発動すれば街全体を覆い攻撃を防ぐ物らしい。
それの欠点を探し、より完成させる。完成させ、街の中央の城にある結界展開装置の水晶に新しく刻むのだそうだ。
これがアルティたちの仕事らしい。
また、小さな巻物や水晶などに結界術式を刻み誰でも使用できる個人防護結界の作成などもしているようだが、今回の作業はこの街の防護結界の調整のみだそうだ。
ちなみに個人防護結界の道具作りは街の守りに使われている術式を流用して作るらしい。
魔法科は転移ゲート管理などなど他にも仕事があるらしいが、アルティの管轄は結界のみと言っていた。
きっと俺のこの後の管轄もこの感じだと結界系になるのだろうか。
そういうわけで俺は目の前の半透明な三角錐を見つめている。硝子のようでその実硝子の数倍の強度を誇るだろう魔力の壁。
アルティはやはりリッチだったのだ、と感慨深く透き通ったそれに触れた。
しかし……欠点を見つけるったって何をすればいいのか。俺はお手上げ状態だった。
俺は教団に『お前は武術系』と言われていたため興味があっても魔術理論なんて詳しく知らない。
俺は算数しか知らない子供が関数論やらlogの微分やら積分の詰まった紙切れを見たような反応をしながら唸った。
分からない。
そんな時、大きな動きを見せる奴が一人。
「そぉ〜いっ！」
トゥーモだ。
彼女はどこからともなく金槌を取り出し、結界に向けて降り下ろした。
大雑把にぶうんと降り下ろされた金槌は見事結界に受け止められる。ミニチュアはびくともせず鉄琴を叩いたような澄んだ音がした。
なるほど、やることは単純に強度チェックとかなのか。トゥーモのおかげで理解できた。難しい事は考えずとりあえず叩け、と。
アルティも他のメンバーも頭が切れるようなので簡単な説明で……いや、説明もなく『わかった』という顔をするからトゥーモみたいなタイプは助かる。
行動が分かりやすくて。
俺は金槌を机に置いて首をかしげるトゥーモを見ながらそう思った。あいつ、深く考えてなさそうで楽そうだよな、と。
そう考えているとトゥーモはアルティを手招きして呼んだ。
アルティはくるりとトゥーモの方を向く。
「あのさ、三角錐型だと強度にむらが出ない？だから半円、ドーム状にした方が良いと思う。後さ、衝撃は弾くんだけど硬すぎて逆に脆いかも。少し衝撃を受け流すために弾性持たせてみてもいいかもね〜。あ、このミニチュアの耐久性、実物の何分の１に設定してある？それ言ってくれないと困るかなぁ」
「あ〜、強度は５０００分の１くらい」
こいつ、考えてやがる。『本の虫』の異名は伊達では無かったか。
ぽけ〜っとした顔をしながら凄まじい勢いでアルティに言うトゥーモ。人は見かけによらない。
まさに今、典型例というやつを見た。
じゅうぅぅぅ。
間髪入れず嫌な音がしたので振り向くと――
「アルティさん、毒魔法で簡単に溶けますよ」
無残に溶けた結界を大百足の千幸が眺めていた。結界のあったらしき場所には毒々しい色の液溜まりができている。
ぼふん。
「あ、急激な温度変化には強いね、さすが」
続いてルセフィが炎と氷を辺りに浮かべながら言う。
「『グラビティ』」
ごしゃあ。
さらにその横でコットンが黒色の過重力空間を作り出し結界を押し潰した。おい、高位魔法だぞ、それ。
「う〜この感じだと耐久性はオッケーかな〜」
コットンは残骸を見ながらうんうんと頷いた。
各々好き勝手に無限に自動生成される結界のミニチュアを壊していく。
しかも、一つ一つが高度、または変態的な技量の魔法を持ってして。
様々な技巧を凝らして結界を破壊していくさまは紛うことなき変態。変☆態。
というか結界の試験とはいえ簡単に壊れすぎだろう。こんな強度で戦争から街を守れるのか？
俺は心配になってアルティに聞こうと思ったが心配は無用だった。そう言えばアルティが５０００分の１の強度と言っていたし、何より――
彼女は結界を破壊する様子を一ミリも逃さない勢いで見続け、メモをとっていた。
いや、少し語弊があるな。
メモというレベルではない。魔力で形成された無数の文字が宙を飛び交い彼女の周りでレポートとなる。つまり観察、考察、計算、筆記、その他もろもろを同時にやっていた。
俺はそんなアルティを見て絶句する。魔術魔法の探究者リッチとは何かを見せつけられた気がする。
まばたき一つなくトゥーモたちの結界を壊す様子を真剣に観察する姿はいつになく綺麗に見えた――
――ような気がするがすぐに彼女のアイスにむしゃぶりつく姿を思い出し、気のせいだと一蹴した。
で、なるほど、結界は壊させているわけか。データが出るようなるべく多彩な攻撃で。
よし、いつまでもサボるわけにはいかないか。
「『ファイア』」
俺はぐっと右手を握り、開く。生成され圧縮された炎が場所を求めて爆ぜる。
後はそれに少し指向性を与えれば完成。
さっきまで見たものが見たものだから少し見劣りする。が、教団一般兵の実力は『オチコボレ』である俺と恐らく同じくらいだろう。
くくっ。
なら、一番俺からとれるデータが有用かもな。なにせ周りは天才ばかり集っているみたいだしなっ！
「『ペネトレイト』」
俺が指をくるっと回すと炎が帯となり螺旋を形作る。
さて、この結界、一点に攻撃を集中されるとどうなるか。
ずだん！
俺の放った炎弾は結界にぶち当たり、少し苦戦した末にそれを貫いた。
◆◇◆◇◆◇
「あ〜私も休憩」
時間が経ち、ルセフィがガス欠か椅子の背もたれにもたれかかって大きく息を吐いた。
俺は彼女に息もたえだえに労いの言葉をかける。
すると無理すんな、と額を弾かれた。指で弾いたなら可愛いげがあったが、俺の額で砕けたのは氷の弾丸だった。
しばらく魔力や体力を消費して結界を壊し続けたのだから疲労が溜まってくる。保有魔力の絶対量が人間に対して多い魔物でもいずれ限界は来るものだ。
そう言う俺もとっくに休憩していた。
俺は人間だぞ！スタミナ切れの早さはぶっちぎりで一位に決まっている。
と他のメンバーを見た。
俺に次ぐ第二脱落者、千幸。
机に突っ伏して休憩中。
……その体の長さだと逆に疲れないか？
第三脱落者、コットン。
ただいま毛玉状態になり空中遊泳中。
……際限なく上に登って行っているのでそろそろ肉眼でとらえるのが厳しくなる。
第四脱落者、ルセフィ。
椅子の背もたれにメモ帳を取り出して何かを書き綴っている。そしてある程度書いて机に投げ出した。結界についてのレポートか？
『魔力消費でカロリー消費！
まさに魔法のようなマジックダイエット！！
消費魔力量記入帳』
さて、見なかったことにしようか。
俺はそれから目をそらした。
すると代わりにトゥーモが目に入った。
「そぉい！」
がつん。
「そぉぉい！」
がつん。
軽い感じで次々に魔法をぶつける。
それにしてもトゥーモは何故か未だにばてない。
それどころか高度な魔法や燃費が悪いタイプの魔法をどんどん行使していく。
同じ魔法を使う者として感嘆してしまう。
「ん？どしたの？私なんて見つめて。もしかして私に惚れた？」
ふにゃりと笑いながらトゥーモがこちらを向いた。
アルティが空中に構成していた文章が一瞬乱れる。
俺はこの先の展開を読んで冷や汗をかいた。入院中のロマンチックのロの字もないサキュバスやダークプリーストによる狂的な告白地獄を思い出す。
モスマンは確か思考が単純な種族と聞いている。このまま勘違いで飛びかかってきてもおかしくない。
それはそれで幸せなのかもしれないが、俺としては『恋愛』という過程を通過したい。
いきなりゴールインなんて出来れば避けたい。
俺はどう凌ごうかと思考を巡らす。だが、逃げられる気はしない。
なにせ相手は間違いなく俺より高位の魔法使いかつ飛べる。
「私は構わないよ〜むしろあなたみたいに寂しげな光を出してる人放っておけないし――」
そう言いながらトゥーモが微笑み俺に向けて手を伸ばし――
パァァン！パキャァァン！！
トゥーモの動きが止まる。
俺とトゥーモの席にあるミニチュア結界が派手な音をたてて破砕された。
「成程。やはり一点に集中して攻撃をくらうと簡単に壊れる」
まさか、と俺とトゥーモはアルティの方を振り向いた。予想通り彼女はぶつぶつと文字を空中に並べながらこちらに片手を向けていた。
アルティの席に一番近いのが俺とトゥーモだが、アルティの前にも結界のミニチュアは生成されている。結界に対して実験をしたいならわざわざこちらの結界を壊す必要は無いのだが……。
果たしてこれは偶然かそれとも必然か。漠然と救ってくれたのかとも考えたが、全然アルティがその後にトゥーモと俺の間に割って入ろうとしないため自意識過剰か、とため息を吐いた。俺は漫然と休憩宣言もしていないのに私語をしたトゥーモに対する喝だろうと思うことにした。
そしてトゥーモはというと俺に向けて伸ばしていた手を引っ込める。そのまま両肘を机に乗せてその掌にさらに顔を乗せた。
な〜るほど、と呟き分かったような顔をしてまた微笑む。
背中の羽が心なしか楽しそうにぱたぱたと揺れていた。
「あのアルティがねぇ〜」
ふわふわした笑顔でアルティを見つめるトゥーモ。常に夢見心地な感じの彼女だが一瞬だけ理知的に瞳がぎらつく。
「も〜今まで色んな怪我人を街まで救出してたけどとうとう引き当てたんだね〜
良かった。前まで本当にアルティはただの動く死体みたいだったから」
トゥーモは大きく息を吐いて伸びをした。
それから椅子の上で跳ねるようにして座り直す。
「私も休憩っと」
そして楽しそうに俺とアルティを交互に見る。アルティは苦い顔をしながらまた文字を空中に並べ出す。
なんだなんだ？よく分からないぞ。と俺は困惑した。
とにかくまた目が合うと気まずいので俺はアルティやトゥーモから目をそらした。
ふと思うと他のメンバーが派手すぎてローチェが何をしているか見ていなかった。
丁度いい、と俺は気を抜いた瞬間にトゥーモと目が合わないようにローチェのしている事に注目しようと思った。
幸いにもまだローチェは休憩をしていない。
というわけで逃げるようにローチェの方を見つめた。
ローチェは相変わらず深くフードを被り、羽織っているコートもぶかぶかで手もよく見えない。
……甘党アルティよりローチェの方がリッチらしいかもしれな――
ひゅん、パァァァン！
「「……」」
アルティから放たれた魔弾が再び俺の前のミニチュアを貫く。
つい視線が合ってしまった俺とアルティはお互いに無言。ついちらりと見てしまったトゥーモは相変わらずにこにこしていた。
アルティからは目をそらしても分かるほど視線を感じる。なぜだ？機嫌を損ねるようなことしたか？
考えても考えても答えは出てこない。
……なんか息苦しい。
「あ、わ、私も休憩していいですか？丁度試したいことは、終わ、終わりましたのでっ！」
その沈黙を破るようにローチェがアルティの方を向いて言う。
アルティは無言で頷いた。
俺はそれと同時に深く息をはく。アルティから感じる圧力のある視線が消えたからだ。
……もしかしたら俺はローチェに気を使わせてしまったのかもしれない。
これで全員休憩に入ったことになる。結局ローチェはどういうタイプの魔法使いか分からなかった。まあ、どうせ同じ魔法科なんだしいつかは分かるか。俺は長い机の上に生成されている結界を小突く。こぉぉ……んとやけに澄んだ音が響いた。まさに打てば響く。術者のアルティよりコミュニケーション能力のある結界じゃないか。
くく、と俺がこっそり笑うとアルティは指を鳴らして結界のミニチュアを消滅させた。
ま、全員休憩したし、無駄な消耗は避けたいのだろう。
そしてアルティがおもむろに手を振り上げた。すると彼女の回りに浮かんでいた文字が圧縮、複製され俺たちの前に並んだ。
先程の状況を踏まえたレポートだろうか。いや、内容が俺にはさっぱり分からない。
状況から察すると結界式の改変後の術式のようだ。
「これに目を通しておいて。十分くらいしたら今度はその式の結界張るから。もし、気になる所があったら言って」
アルティが欠伸をしながら言った。
言ってから俺を見つめた。
見つめてからため息を吐いた。
なんだってんだよ。
本当に何がしたいんだろうか。少しいらっときたので報復を試みる。
「アルティ、多分この行のこれ、誤字だろ」
俺は容赦なくアルティに言った。
「結界術式の分からない俺でも分かるぞ。あとは、こことここと…ここ。多分単語の綴りが違う」
淡々と俺は誤字の指摘をする。あれだけの速度で書いていたんだ。誤字はあるだろうと粗を探して正解だった。文法や高度な組み合わせは分からない。ただ、使われる単語だけなら分かる。
一応初級魔術理論は必修だったからな。
俺は自慢げに鼻をならす。
アルティが魔術式を複製して渡すと言うことは誤字や致命的な文法エラーがある可能性あり、と自覚しているからだろうが、それでも揚げ足を取れたのは嬉しい。
知識から戦闘から魔法まで何から何まで劣っているんだ。一瞬でも優越感に浸ることができるのは嬉しい。
嬉しいけれど、少し悔しい、がな。真っ向から勝てなくて。
「……」
アルティはそんな俺の気持ちと裏腹に感心したような表情になっていた。なぜだ？失敗を晒されて恥をかいただろうに。
俺が口を開けてそう言おうとした時に千幸が喜色満面で言った。
「流石アルティさん、いい人を見つけましたね。やりましたよ素晴らしいじゃないですかっ！ちらっと見ただけでこれですよ。術式エラーやバグを血眼になって探して探して探す工程が楽になるんじゃないですか！？」
俺は目が点になった。
◆◇◆◇◆◇
気になり聞いたところ、こういう事らしい。
１…まず高度な術式は形にはすぐなるが細かいエラーが多発するらしい。
２…形になりさえすれば量産も出来るが、エラー探しが予想以上にハードらしい。
３…ハード過ぎて時々誰かが『術式恐怖症』とやらになるらしい。
以上、と。
困った事になった。
俺が出来る人間だと勘違いされてるぞ。
どうしようか、と思考を巡らせているとぽん、と肩に手を置かれた。
……酒臭い……？
「ふふ、何でそんな難しいカオしてるのかなぁ〜〜」
俺の背後から突然ぐでんぐでんに酔っ払った女の人の声がした。綺麗な声なのにこうも酔っ払っていては台無しだった。
「リムリルちゃん登場〜にゅふふふふ、お？」
俺の両肩をばしばし叩きながら大声を出す俺の後ろにいる人。
嫌な予感と悪寒で体が震える。
「おぉ？この子まだお手つきじゃないじゃん。もらってってい〜い？」
げ。まずい。
そう感じた俺は逃げ出そうと試みるも、次の瞬間がっちり椅子ごと抱き締められてしまう。魔法を撃とうとも考えたが、それは流石にしたくない。
唯一、救いがあるとすれば俺が座っているこの椅子には背もたれがあることだ。背中に柔らかいものを感じなくてすむ。
アルティ！！
俺は目でアルティに助けを求めた。
今まで病院とかで地味に魔物の強引な求婚から守ってくれたりしたんだ。今度だって……。
アルティは言われずとも、と言わんばかりに席からすでに立っていた。
「邪魔しないの」
俺を抱きしめている誰かがそう言うとアルティは黒い光の縄で縛られ行動不能になる。
……。
不意打ちにやられて動けなくなったアルティ。救援は期待できそうにない。今日会ったばかりだし他の魔法科の人には頼み辛い。というか魔物だしむしろもっとやれ〜いちゃつけ〜とか思っているかもしれない。だから下手に頼めない。
それにしても、魔物が好色なのはつい最近知ったが酒の勢いでこう…なんというか、やられてしまうのはいただけない。
では……五秒だけ。
俺はゆっくりと息を吸った。
「血は砂に、身は器に―――
『砂漏回填』」
がちり。
瞬間、俺の全能力が底上げされるのを感じた。今なら行ける。
まず一秒、力ずくで拘束を振りほどく。
二秒、地を蹴り机を飛び越し、着地……。
三、四、五秒、時間切れ。
がちり。
どさり、と俺は床に崩れ落ちた。左腕の砂時計が焼き鏝を当てられたかのように痛む。
しかし、俺は上手く向かい側にいたアルティの真横まで退避できた。
アルティを捕らえる魔力の縄を切断する。
しかし、あの酔っ払いの脅威はまだ去ってはいなかった。
ゆらり、ゆらりと不気味に立ちながらくすりと笑う。
「どぉ〜して逃げるの〜？お姉さんが優しくしてあげるよぉ？」
しゅん、と音がしたかと思うと白い彼女は俺の後ろに立っていた。
「知ってる？魔王……の娘からは逃げられないっ！」
そんな科白を言いながらへべれけな顔で俺にダイブすべく飛び込んでくる。俺は『砂漏回填』の能力強化の反動で上手く動けない。
アルティはきつく縛られていたせいか動きがぎこちなく戦力にはなりそうにない。
ああ、せめて、もっとロマンチックな出会いがしたかった。
そんな遺言じみた言葉を頭の中に浮かべながら俺は目を閉じた。
「『グラビティ』」
「きゃふっ！」
刹那、ごしゃあという痛々しい音がした.
恐る恐る目を開けると、目の前であの酔っ払いが情けない格好で地面に張り付いていた。
「はいはい酔っ払いは寝てよー」
上からコットンが降りてくる。
笑っているけど、笑っていない。
「酔った勢いで誰彼構わず襲わないの」
「ほんとだよ〜も〜」
今度はトゥーモがやれやれ、といった感じに話しかける。
「ぅるさぁあい！！『ディスペル』」
酔いどれがコットンの重力魔法を強引に振り払った。同時に彼女の魔力が発散される。
恐ろしい魔力量だ。
強烈な魔法解除の波動が辺りに広がる。
俺は危機を感じ無理やり立ち上がて身構えた。
「どうせ私は独身ですよぉ〜だ。こうなれば強引にでもこの子を拐って―――」
過重力から解放され、そのままやけくそになっている彼女は翼をはためかせる。そして俺を掴んで連れ去ろうとして―――
―――見覚えのある紫の影に捕まった。
「こらこらリムリル、そんなんじゃ立派なリリムになれないよ」
俺を救ったのはアウシェだった。
彼女はリムリルと言うらしい残念な酔っ払いをヘッドロックしながら言う。
さあっとリムリルの顔から血が引いて青くなった。
「あ、アウシェさん？どしてここが？」
「私を誰だと思ってるの？無駄に長生きしてないよ〜」
アウシェはぼすっと首筋に手刀を打ち込んで容赦なくリムリルを気絶させた。
「全く、酔って店で暴れてそこら辺で女の人を三人ほど魔物にして挙げ句の果てに――」
アウシェは目を細めて俺を見た。
「――挙げ句の果てに予約済みをかっさらおうとするなんてね。むう、こりゃ禁酒させる？」
俺に向かってどうする？というようなジェスチャーをしながら竜は言った。どうするったって、なあ。
……毎度思う事だが、このアウシェ、ドラゴンにしてはあまりにもフランクである。
俺は同じジェスチャーをアルティに向けた。
しかし、アルティは放心状態で俺の事なんて見ていなかった。簡単に拘束魔法にはまったのがショックだったのかもしれない。
「アウシェ〜いた？」
続けて空間が歪みクロネとシェウィルが姿を現す。
「いたいた。で、どうする？魔王城まで投げ飛ばす？」
にこにこと笑いながらアウシェが言った。
そういえば、アウシェが雑に抱えている女性は白い髪かつサキュバスのような姿をしている。
ちょっと待った、それ、リリムじゃないか？
「ちょっと待ったアウシェ、流石に魔王の娘さんをぶん投げるのはどうかと思う」
俺が慌てて言うとクロネも賛成と言わんばかりに頷く。
「そうですよアウシェ、せめてぐるぐる巻きにしてハーピー便で魔王城まで送るくらいにしないと」
それもいけないと思う。
というかクロネは真面目サイドだと思ってたけどそっち寄りなんだな。
「アウシェ、クロネ、仕事の邪魔をしているぞ。私たちはリムリル様を連こ……探しに来ただけなのだから早く帰るべきだ」
シェウィルが冷たく二人を睨む。
良かった。シェウィルさんだけはまともだ。俺は安堵の息を吐いた。
アウシェは仕方ないなぁという顔をしながらどこかに繋がるゲートを開く。
「じゃ、またね、邪魔してごめん！」
アウシェたちはそう言うとゲートに突っ込んでいった。
こうして嵐は過ぎていった。
「いや〜危なかったね〜リヴェル〜」
トゥーモが俺の肩をばすばすと叩く。
……何が危なかったかは聞かないでおく。何となく分かるから。
「私とトゥーモは突然あの人に襲われて魔物になったからさ、正直言ってお酒やめて欲しいよね〜」
コットンがトゥーモの頭上を衛星のように飛びながら言う。
そうだな、すごい反面教師を得た気がした。溺れるまで酒を飲まないでおこう。そう俺は深く心に刻んだ。
「ってコットンとトゥーモは襲われて魔物になったのか？」
「ん、そうだよ。私たち、そろそろリッチにでもなろうかと考えてたらどーんってやられたの」
トゥーモは特に気にした様子はないが、申し訳ない気分になってくる。襲われるってかなりのトラウマになるだろうし。
「あ、リヴェル。大丈夫だよ〜トラウマとかにはなってないから。それにどの道この世代だとどんな魔物も不老だし！」
コットンが能天気に言った。
「本当に不満は……不満は、無い、かな？」
コットンは自身の体とトゥーモの体を交互に見ながら言い淀む。そしていきなり、みゃぁぁぁぁと謎の叫びをあげながら毛玉になり上昇していった。
「あ、コットン、そろそろ再開の時間だよ〜降りてきて〜」
トゥーモが額を掻くとコットンを追うように飛んでいく。
……。
確かに、そろそろ再開の時間だが……仕事再開できるか？これ。
俺は会議机の方を見た。
今、席にしっかり座っているのはローチェのみ。アルティは俺がリムリルの拘束魔法を切った状態のまま固まっているし、千幸とルセフィに至っては机の下に器用に潜り込んで震えていた。
さっきから妙にガタガタ聞こえると思ったらこのせいか。と俺は納得する。
おそらくリムリル登場から今までずっとこうなのではないか、と思った。
……声はかけないでおこう。俺は近寄ってからそう思った。
千幸はきっとあのリリム、いや、酔いどれに深く心にトラウマを穿たれたんだろう。
とてもＳＡＮ値がごりごり削れている音がしている。
そして残るはローチェのみだった。
「ローチェ、あんた以外みんな仕事に戻れるような状況じゃないけどどうする？」
「え？あ、は、はい。どうします？」
アルティの生成した結界術式から目を離し俺の方を向いた。
ぴょこり、とフードからはみ出た触角が可愛らしく揺れる。
それを見て俺は冷や汗をかいた。
人化が解けている。
そういえば、あのリリム、強烈な『ディスペル』（魔法解除および無効化魔法）使ってたよな。
で、ローチェ自分の魔物の姿にコンプレックス持ってたよな。
人化解けてるって知ったら、大変だよな。
俺はトゥーモがローチェの人化を無理やり解除しようとした時の事を思い出す。
凄まじく拒絶してたよなぁ。
どうするか、伝えるか？
俺が迷っているとローチェが首をかしげた。
「リヴェルさん？ど、どうかしました？も、もしかして私のか、顔に何かついて、ますか？」
ローチェが自らの顔を触り始める。
そして、青ざめる。
そして彼女は手を眺めた。それは茶色い甲殻に覆われていた。
「い、嫌ぁぁぁぁぁぁぁっ！！」
ローチェは椅子から転げ落ちた。
「大丈夫か？」
俺は慌てて駆け寄って手を差し出したが、猛スピードで逃げられる。
「み、見ないでください、触らないでください、どうせっ、わたっ、私、私は嫌われ者のデビルバグなんですっ！」
ローチェが顔を真っ赤にしながら叫んだ。
俺はその言い方にいらっとして言い返す。
「別に俺は気にしてない」
俺はしっかりとローチェを見た。
「同情なんてしないでください！貴方に、は、初めから人間だった貴方に何が分かるんですかっ！
いらない知恵をつけてしまった愚者であるべき者の苦悩がっ！分かるんですかっ！？」
しかし、ローチェは俺の言葉なんて一つも聞かなかった。
彼女はチョコレートのようなつやつやした羽を広げ飛んでいってしまう。
追いに行きたかったが、ローチェは次の瞬間に転移魔法を使って消えた。
俺の中に後味の悪さだけが残る。
俺だって、故国で使えない勇者であるだけでどんな扱いをされてきたか。
それをあいつは知らない。
ぐっ、と拳を握る。せめて、一言だけ、言いたいことがあった。
……まあ、それが叶わない今は胸の中に押し込めておくしかない、か。
はぁ、と俺はため息を吐いた。
気持ちを切り替えて現状をどうするか考えないとだな。
……どうする？
か い め つ だぞこれ。
トゥーモはコットンを追いかけてるけど捕まりそうもないし。
ローチェはどこかに行った。
千幸とルセフィは今や会議机ごとがたんがたん揺れてるし。
アルティはフリーズ中。
……せめてアルティが再起動してくれればなあ。
俺は頭を抱えた。
ちなみにこの後、トゥーモたちは飛び疲れて仕事どころではなくなる。
ローチェは相変わらず何処にいるか分からず。
千幸とルセフィは震えているうちに頭をぶつけて気絶。
アルティは復活したはいいものの、『拐わせない』としばらく俺の左腕を掴んで離さず。そして俺は切り札の『砂漏回填』の副作用でふらふらになり結局仕事はこの日再開されなかった。
14/01/01 00:00更新 / 夜想剣
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