俺は魔法科本部をゆくわけで彼女について行くわけで
俺の故郷では勇者がぼこぼこ生まれるので教団の息がかなりかかっていた。
勇者は強さごとにランク付けされ、相応の待遇を約束されている。
また、勇者として生まれずとも後天的に勇者の力を主神様から授かることもよくあった。ゆえに能力のある子どもは教会に集められ、鍛え上げられた。
まあ、金持ちの親が息子を勇者にしたいと袖の下で潜り込ませたボンボンも時々いたが。
しかし、基本的にそんなやつでもまるで大安売りのように勇者になっていったが…。
そこそこ鍛え上げられていたら見境がないようだ。
確かに、戦力になれば身の上なんて関係ないからな。
まず、素質を認められ連れてこられたやつらは【原石】、ストーンと呼ばれる。これが最も位が低い。
次のランクからは魔術か武術、どちらに適正があるかで呼び方が変わる。魔術なら【宝石】で武術なら【鉱石】だ。
俺は武術の方に資質を見出だされたわけで【鉱石】になる予定だった。
まあ、どっちかというと今は魔法の方が得意になってしまったが。
最後に【鉱石】は勇者になると【ナイフ】【ブレイド】【ソード】と上がる。
あくまで護身用、気休めにしかならず決定的な戦力にならない【ナイフ】
ナイフより厚みを増したが柄がなくただの刃。洗練されておらず未熟な【ブレイド】
柄が付き、銘を刻まれ洗練された一振りの剣。その姿は憧れであり、武勇を体現する【ソード】
さらに【ソード】で格が上がると、レイピア、クレイモアといった各人に合った称号が与えられる。
俺は教団に引っ張られていく前に勇者になったため始めから【ナイフ】だった。
よって【原石】から苦労して勇者の力を授かった連中や、力に自信があるが、いまだ勇者になる兆しのない連中からの視線が痛かったのを覚えている。
特に、俺みたいに飛び抜けた能力のない勇者は嫉妬と嫌悪の的だった。
……なぜ、こんなつまらない事を考えているか?
単純なことだ。
現実逃避した(足が痛)いからだ。
俺は正座をさせられていた。
誰に?そう、アルティに。
思案顔のリッチが何を言い出すかと思えば、『東洋にはセイザという足にくる座り方があるみたいだよ』と。
俺はジパング人ではないので、脚が死にそうだ。何が正座だ、ジパングの座り方だ、あれは拷問だっ!
……何故に正座をさせられているか?
ああ、俺が彼女お気に入りアンティーク机を叩き壊したから。加えて、安眠妨害をしたから、だ。
流せるものなら俺は血涙を流したい。足が、死ぬ。破裂する。
アルティは相変わらず無表情で俺を見つめてくる。そろそろ解いていいかと聞きたいが、そんな表情なので言っていいのか分からない。
泣けてくる。
感情に任せて動いたら良くないって本当なんだ、と見に染みて実感できた。
「後悔してるし、反省もしてるからもう正座を止めさせてくれ」
「やだ。もう少しこのまま」
アルティはほんの少し笑いながら言った。
体勢も問題だ。
普通の正座ならば俺の足はここまで感覚を失っていないはずだ。
俺はさっきまでアルティと俺が寝ていたベッドに正座をしている。それは痛いのを最低限にしようとかいう理由ではない。
アルティが唐突に正座をしている俺を見て言ったからだ。
曰く『枕にできそう』と。
はい、現在絶賛膝枕中。アルティが膝の上から俺を見つめてます。
……本来ならば男女逆なのではないか?
俺は腹の奥から突き上がる叫びを噛み殺す。
「これなら寝られると思ったけど、寝られない。睡眠はたとえアンデッドでも思考を整理するのに効果的な方法なのだけど
……使えない枕」
文句を言っているくせに楽しげなアルティが呟く。
気のせいかいつになく目が爛々としている。そりゃあもう、遠足を次の日に控えたちびっこのような顔だ。寝られそうもない。
アルティの口元が少し緩んでいる気もするが、俺は無表情な彼女の見すぎで表情がゲシュタルト崩壊したのだろうと思うことにした。
「へいへい、俺は枕じゃないぞ、と」
「……使えないリヴェル」
「おいぃぃぃ!!それはないだろ!」
俺はつい勢いで無理矢理立ち上がった。
そのはずみで同時にアルティの頭が俺の膝からベッドに落ちる。
しまった、と思った刹那、足に言い表せない感覚が走った。
じぃん、と地面に足が着く度に脈打つような不快感が足に広がる。あ、これか。正座とやらの威力は。
俺は立っていられずベッドから転げ落ちた。
「ふふ、天罰」
にこりと笑いながらベッドの上から悶える俺を見ているアルティ。
今までで一番楽しそうな顔をしているかもしれない。
くそう、悔しい。
数十秒床を転がり回ってようやく痺れが治まるとアルティの寝転がっているベッドに向かった。
「そろそろ起きよう、それで魔法科を案内してくれよ。シェウィルさんに怒られるぞ」
「ん、言ってなかった。ここが自衛団魔法科の本部だよ」
アルティは目を擦りながら言った。
「よし、なら話は早い、さっさと仕事とか説明してくれ」
「起こして」
「は?」
「起こすの」
アルティは地面と垂直に手を伸ばしながら言った。
「あ〜あ〜仕方ないなっ、と」
俺はアルティを抱き起こした。特に下心もないので出来るだけ手早く、ささっと。
アルティの体は案外軽かった。さすがはアンデッドと言うべきか。
俺に起こされてベッドに座ったような体勢になった彼女はきょとんとした顔で俺を見つめた。
「それだけ?」
「どう考えたってこれ以上何もないだろ」
「……ん、じゃ、着替えるからいったんここから出て」
突然アルティはむすっとした顔になりそう言った。全く、わけが分からない。
俺はじとっと俺を見つめるアルティの視線から逃げるように部屋を出たのだった。
◆◇◆◇◆◇
「おまたせ」
十分くらい経っただろうか、アルティが部屋から出てきた。
彼女はいつも通りの魔術師然とした服の上からローブを羽織っている。
誰がどう見ても魔術師だと分かるその格好はやはり似合っていて――
「で、今から魔法科の人たちが一番いるところに行くから」
アルティが何か巻物のような物を持ちながら言った。仕事の道具だろうか。それと、自衛団のメンバーって詰所にいる人たちだけじゃないんだな。
「あ、勘違いしてるようだったら言うけど、自衛団のメンバーは詰所にいる人たち以外にいるから覚えといて。」
「はいはい」
「メンバーは大抵各科の本部か自宅に居座ってて当番制で詰所に行く感じになってる」
アルティは簡単な補足説明をしながら歩いていく。俺は道が分からないので付いていくしかない。
俺は真っ白な廊下を二人きりで歩いていく。先ほど俺が会ったゲイザーやナイトメアはもう何処かに行ったのか見当たらなかった。真っ白だが、所々薄汚れている廊下は二人きりだとどこか不安になりそうな雰囲気を持っていた。
アルティは巻物の中身を確認しながら俺を先導する。
感知魔法で壁とかにぶつからないように気を付けているんだろうが危なっかしい。
もし、誰かにぶつかったら大当たり!とでも言ってやろうか。
そう下らない事を考えていたらふと聞こうと思っていて忘れていたことを思い出した。
「そう言えば、暴走した俺を吹き飛ばした魔法は光属性だったな。なんでアンデッドのお前が使えるんだ?」
「……」
それを聞いたとたんアルティは立ち止まった。俺もつられて立ち止まり、沈黙が流れる。俺たち以外誰もいない白い廊下が沈黙を増幅させるように視界を染める。
「……無理なら言わなくていい、悪かった」
俺は沈黙を破りアルティにそう言った。
すると、アルティは少し間を置いてこちらに振り向いた。
「これを説明するにはいろいろ準備がいるの。もう少し待って。いつかは話そうと思うから」
彼女はさらっとそう言って再び歩き始めた。
「……私は闇属性の魔法が一切使えない。けれど、代わりに光属性の魔法が使える。今はこれだけなら言えるかな」
歩きながらアルティは言う。俺は気まずくてそれにうまく返事を出来なかった。
◆◇◆◇◆◇
アルティはというとあれから間もなく鼻歌を歌い出していた。さっきあれほど深刻な空気を作り出していたのだが……。
リッチという魔物は感情のコントロールが上手いのか?
いや、違うな。俺が聞いたことは俺が思ってるより気にしてなかっただけだな。
あれこれ考えて損したか。
俺がそう思っていると、アルティは行き止まりで立ち止まった。
「お〜い、アルティ?」
俺は何もなさそうな壁を見つめるアルティに声をかけた。まさか、道を間違えたんじゃないだろうな、というニュアンスを込めて。
しかしアルティは気にせず壁に向かっていった。さっきまで中身を確認していた巻物に縮小魔法をかけローブの内ポケットに入れる。そして、空いた手で壁に触れた。
「開け―――胡麻
………。
開け胡麻油
………。
胡麻味噌!
荏胡麻!
胡麻っ!胡麻っ!」
アルティが狂ったように意味の分からない単語を叫ぶ。
彼女が声を大にして叫んでいる姿なんて想像もしなかったし、できなかったので俺は目を点にしてしまう。
俺は、ただ、見守ることしかできなかった。先ほどの凄まじいキャラ崩壊は俺がどうにかするには荷が重すぎる。
ちなみに何の変化も起きていない。
無駄骨を折ったというより無駄キャラを崩壊させた疲労感からかは知らないが、彼女は肩で息をしている。
アルティはひとしきり叫んだ後、油の差されていない機械のようにゆっくりこちらを向いた。
その表情は筆舌に尽くしがたいし筆禍を避けたいので語らない。が、まあ、察してくれ、すまない。
それで、アルティ、そんな顔をしないでくれ、対処に……困る。
俺をしばらく見つめたアルティは錆び付いた機械のように壁に向き直ると、背中の十字を取り外し、構えた。
「頻繁にパスワードを、変えるなっ!」
俺は初めてアルティが怒った瞬間を見た。
ぼふん、と解放された魔力が辺りの埃を撒き散らす風になる。
そして、彼女の魔力込みの渾身の一撃が壁に向かって降り下ろされた。
……う〜む、アルティ、俺があんたの机を壊した事を責められないんじゃないかな。
ぶおん、と恐ろしい風切り音がした。
しかし、何の手応えのある音は聞こえない。
それもそのはず、壁はアルティにより大破される寸前に消えたのだ。
「残念、今日の合言葉は『開けお徳用胡麻煎餅具体的に言うと胡麻だけ増量300%』でした〜」
消えた壁の後ろにあった通路から一人の魔物が現れる。悪戯が成功した子供のような笑い声がした。
「始めましてリヴェル、だっけ?魔法科本部にようこそ。歓迎するよ」
けらけらと笑いながら小柄な魔物が手を振った。
子供っぽい雰囲気だが、その魔力から高位の魔物だと分かる。俺の少なくかつ古い知識でも髑髏模様の虫の羽、それだけで充分に判別できた。
蝿の王ベルゼブブ。
七つの大罪の一つ、暴食の象徴となる悪魔で高位の魔物の中でも上の方に入る魔物。
おいおい、教団の耳に入ったら間違いなくこの街、浄化対象の筆頭に上がるぞ。ドラゴンとかリッチとか上位魔物結構いるから。
と俺は現在進行形でヤバめなオーラを放つリッチをちら見した。
ベルゼブブは思考が何処かに飛んでいた俺のすぐ前まで来て俺の左腕を掴む。
「へえ、なるほど。この感じだと『砂漏呪』か」
そう言うと彼女は俺の手をぱっと離した。まるで興味をなくしたように。
砂漏はたしか砂時計と同義だから……
気付いた瞬間に思考が急速に回転する。
もしかしてっ!
俺はとっさに左腕を隠すように左足を半歩下げた。
「なんで分かった!?」
「え?大体匂いで分かるから。私を何だと思って。蝿の王…じゃない。蝿の女王よ!」
彼女はどうだ、と自慢気に胸を張りながら言う。
しかし、残念ながら全く威厳は感じられない。
「くくっ、そうか〜今の教団と昔の魔王軍、いったいどっちが悪魔かなぁ。面白――ぐぇ!?」
「ルセフィ、旧魔王の時代を体験してないのにそう暢気に語らないの」
ベルゼブブが目を細めて意地悪そうな表情を浮かべた瞬間、後ろから忍び寄ったアルティにより首を絞められた。
ベルゼブブは一転して間抜けな表情になった後、首を押さえるアルティの十字をちらりと見る。
アルティはベルゼブブの顎の下に十字をあてがい、その背中にまわって十字を引っ張っていた。えぐい締め方だ。
「な、何にそんなにご立腹かな〜アルティ?」
「毎回毎回、私が入る寸前に合言葉を変える事に」
あくまで余裕を持った態度でいようと足掻くベルゼブブとポーカーフェイスで感情が読めないアルティ。
間違いなく、この状況は今朝のカオスの再臨以上のものだった。
「だって、い、いじりがいのある無表情なリッチがいたら誰だっててててて」
ぎりっ、そういう音が聞こえそうなほどアルティはその瞬間、十字を強く引き付けた。よってベルゼブブの首は余計絞まるわけで。
ただ、幸いなのはこのカオスに俺が巻き込まれていないこと――
「あばばばばばば、ぎ、ギブキブ、ぎっ、ぶぅ」
あ、こりゃ関わらないのは無理だ。
俺は緩める気の無いアルティの腕を無理矢理十字から引き剥がした。
がらん、と十字が床に落ち、ベルゼブブが荒い息を吐きながら倒れる。
とりあえず――魔物だから死ぬことはないだろう。
しかし、女の子を床に倒れっぱなしにしておくのは良心が痛むので俺は気絶しかけのベルゼブブを背負った。
「アルティ、やりすぎだ」
「だって……」
アルティは人指し指を同士をくっつけながらぶつぶつと呟く。その頬はほんのり赤く染まっていた。
俺はルセフィとかいうこのベルゼブブがいじりがいがあると言ったのは一理あると思えてしまう。
今のアルティの表情は少し可愛いかもしれない。
まあ、命の危険を冒してまでからかう気はないが。
「この先が魔法科の心臓部だから」
ごまかすように先ほど開いた通路を指差しアルティは言う。
「はいはい」
俺は早くもアルティの理不尽に慣れてきたのかもしれない。アルティってこんなもんだろ。という感覚が出来上がっていた。
俺はさっさと先に進むアルティを追いかけて魔法科の心臓部とやらに向かった。
アルティ、無表情だけど喜怒哀楽の変化大きいんだな。気をつけておこう。心の中にそうメモをしながら。
……本当に気をつけよう。
きっとこのままだといつか地雷を踏み抜いて死ぬ。間違いない。と背中で気絶しているベルゼブブから俺は学んだ。
通路は薄く闇に覆われていて近くは見えるが、向こうを覗き見る事は出来ないようになっている。万が一敵対者に侵入されたときに奥を見せないためだろうか。
……おそらく今背負っているベルゼブブに聞くと『趣味』とか言われそうで怖いが。
そうして薄闇の広がる通路を抜けた先には――
――見たこともない量の本と本棚がそびえ立っていた。
すぐ近くの会議用と思わしきスペースに長机と椅子がある以外は本棚と床ばかり。
至るところに立つ本棚にはみっちりと本が詰まり、さらにあぶれた本が床に山積みになっている。
教団の大図書館といえどもこれほど蔵書は無いはずだ。
「リヴェル、ここが魔法科本部最重要施設『禁書の海』。過去に沈んだ記録から最近浮かび上がった新説、大抵の書物はここにある」
アルティが本棚の一つを見上げながら言う。
奥が霞んで見えるほどの空間に一定の間隔で立ち並ぶ本棚。その一つ一つが塔のようにはるか上まで伸びている。
異空間。この場の纏う雰囲気はそう俺に思わせた。
「別名『封じられた書架の森』おどろおどろしい名前だけど普通の本もあるから安心して」
アルティはそう続けた。
リッチという種族のせいか、本棚が背景だとよく映える。
俺は絵画の一部を見ているような気分になった。
そう思っているとアルティが不意にこちらを向き、にこりと笑う。
その笑顔は、病院で俺を狙いに来たサキュバスのように妖艶なものではなく、心の許せる友に向けるようなものだった。
物心がついてから欲して止まなかった種類の笑みだった。
俺がついそれに見入っていると軽く背中を叩かれる。
誰か、と聞く必要はないか。そう言えば背負っていたのを忘れていた。
俺は背中のベルゼブブに適当に返事をする。
「どうした?」
「あ、やっと気づいた。そろそろ下ろしていいよ、ありがと」
さっきまで俺の背中で気絶しかけていたルセフィが俺の肩を叩いて言った。回復が早い。さすがは魔物。
俺はゆっくりと彼女がしっかり立てるように床に下ろす。
ベルゼブブは床に立つと思いっきり体を伸ばした。
「そうそうルセフィ、『本の虫』たち連れてきて。多分彼女たちが今一番暇だろうから。
新しい防護結界の術式を組み立てたから推敲してほしいの」
伸びをしているルセフィにアルティが言う。それにあくびをしながら返事をしたベルゼブブ。上位種の魔物だが教団の連中が卒倒しそうなほど威厳がない。
「了〜解。で、ついでだけどリムリル様は呼ぶ?今日はこの街に来てるみたいだから連絡とればすぐに来てくれると思うけど」
「あの皇女様は、今日は飲みに行くって言ってたから呼ばない方が無難」
ため息をつきながらアルティがそう告げた瞬間、ルセフィはばっと飛び立った。
図書館ではお静かに、と言いたくなるが彼女はほぼ無音で飛んでいた。
限り無く黒に近いグレーという黒である。
「今からしようとしているみたいに緊急時に街全体に防護結界を張るための研究をしたりするのが魔法科の仕事の一つ。覚えといて。基本的に暇だから皆、雑務任されたりとか本を読み耽ってたりするけど」
と言うとアルティは本棚から適当に一冊本を取り出す。魔導書かと思いきや、ただの恋愛小説だった。
「何?文句ある?」
◇◆◇◆◇◆
あの後、俺とアルティは近くにある会議用の長机の所に移動して待っていた。巨人の書斎のようなこの空間にぽつりと存在するこのスペースは浮き島のように思える。
まさに禁書の『海』という表現は合っているかもしれない。
そしてまるで森のように立ち並ぶ書架の方を見るとあくせくとその間を走る誰かの姿が見えた。アルティたちとは違う仕事で動いているメンバーだろうか。
オリキュレール自衛団、"団"というわりに凄まじい人数なのではないのか。ふとそうよぎったが、考えると長くなりそうだったので頭の中にその疑問は仕舞った。
案外早くルセフィが帰ってきたのだ。
「連れてきた」
そう息を切らせたルセフィが連れてきたのは――
「やっはートゥーモ参上!」
頭に毛玉を乗せたモスマン。
「こっ、こんにちは。ローチェで、す。よろしく、リ、リヴェルさん」
フードを深く被り、ぱっと見ただけでは普通の人間のように思える人。
「千幸です。よろしくお願いしますね、リヴェルさん。で、アルティさん、新作の防護結界の術式、早く見せてくださいな」
やけに上機嫌な大百足。
――の三人だった
「うりうり、起きろ〜」
モスマンが頭の毛玉をつつく。すると、毛玉の中からひょこりと手がのびてつつく指を掴んだ。
「う〜トゥーモ、起こさないで……」
毛玉が喋った。
一人追加、計四人。
「リヴェル、このルセフィ、トゥーモ、ローチェ、千幸の四人が『本の虫』って言うこの魔法科の有名なメンバー」
アルティが俺に簡単に説明をした。が、その人数だと毛玉がカウントされていない。
「毛玉は?」
「虫系の魔物じゃないからカウントしてない」
「毛玉って言わないで〜ケサランパサランのコットン〜」
『毛玉』に反応して、ぼすっと顔を綿の塊のような毛玉から出してブーイングをした。
しかし、彼女が乗っているモスマンのトゥーモは白っぽくモコモコなファーコートを着ているため組み合わせ的にどうみても毛玉だ。
「よ、よろしく。
『本の虫』か。ってことはローチェもとりあえず虫の魔物なんだな。いったい何の魔物なんだ?」
興味本意で俺はローチェに聞いた。
「そっ、そんなことは置いといていいですよ!早く結界式の確認しましょう」
ローチェは首を振りながら過敏に反応した。フードでより深く顔を隠そうと端をきゅっと伸ばし、コートでよりしっかり身を包む。
「ええ〜もったいない。ローチェちゃん可愛いんだから見せないと〜」
トゥーモがふわっ、とローチェの横に移動してフードをひっぺがした。
さらりとした栗色のショートヘアーが揺れる。
「ひゃっ。な、何するんですか!」
涙目になりながらローチェがトゥーモから離れた。
「ほらほら〜フード無い方が可愛いよ。それに人化してるでしょ〜それ!『ディスペル』」
「えっ?ちょっ」
トゥーモがぱちんと指を鳴らすとローチェは白い煙に包まれた。
「嫌、だめっ!」
ローチェは必死になって魔法消去の『ディスペル』に抵抗する。
そのかいあってか、人化が解けず煙が晴れても姿は一つも変わっていなかった。
「ふぅ、やめてくださいよトゥーモさん」
ローチェは大きく息をはいてトゥーモを睨む。トゥーモはというとさっきと変わらずふわふわとした表情のままだった。
詰所のメンバーだけでなくここも個性の濃い連中ばかりか。とこれから先が心配になってきた俺だった。
勇者は強さごとにランク付けされ、相応の待遇を約束されている。
また、勇者として生まれずとも後天的に勇者の力を主神様から授かることもよくあった。ゆえに能力のある子どもは教会に集められ、鍛え上げられた。
まあ、金持ちの親が息子を勇者にしたいと袖の下で潜り込ませたボンボンも時々いたが。
しかし、基本的にそんなやつでもまるで大安売りのように勇者になっていったが…。
そこそこ鍛え上げられていたら見境がないようだ。
確かに、戦力になれば身の上なんて関係ないからな。
まず、素質を認められ連れてこられたやつらは【原石】、ストーンと呼ばれる。これが最も位が低い。
次のランクからは魔術か武術、どちらに適正があるかで呼び方が変わる。魔術なら【宝石】で武術なら【鉱石】だ。
俺は武術の方に資質を見出だされたわけで【鉱石】になる予定だった。
まあ、どっちかというと今は魔法の方が得意になってしまったが。
最後に【鉱石】は勇者になると【ナイフ】【ブレイド】【ソード】と上がる。
あくまで護身用、気休めにしかならず決定的な戦力にならない【ナイフ】
ナイフより厚みを増したが柄がなくただの刃。洗練されておらず未熟な【ブレイド】
柄が付き、銘を刻まれ洗練された一振りの剣。その姿は憧れであり、武勇を体現する【ソード】
さらに【ソード】で格が上がると、レイピア、クレイモアといった各人に合った称号が与えられる。
俺は教団に引っ張られていく前に勇者になったため始めから【ナイフ】だった。
よって【原石】から苦労して勇者の力を授かった連中や、力に自信があるが、いまだ勇者になる兆しのない連中からの視線が痛かったのを覚えている。
特に、俺みたいに飛び抜けた能力のない勇者は嫉妬と嫌悪の的だった。
……なぜ、こんなつまらない事を考えているか?
単純なことだ。
現実逃避した(足が痛)いからだ。
俺は正座をさせられていた。
誰に?そう、アルティに。
思案顔のリッチが何を言い出すかと思えば、『東洋にはセイザという足にくる座り方があるみたいだよ』と。
俺はジパング人ではないので、脚が死にそうだ。何が正座だ、ジパングの座り方だ、あれは拷問だっ!
……何故に正座をさせられているか?
ああ、俺が彼女お気に入りアンティーク机を叩き壊したから。加えて、安眠妨害をしたから、だ。
流せるものなら俺は血涙を流したい。足が、死ぬ。破裂する。
アルティは相変わらず無表情で俺を見つめてくる。そろそろ解いていいかと聞きたいが、そんな表情なので言っていいのか分からない。
泣けてくる。
感情に任せて動いたら良くないって本当なんだ、と見に染みて実感できた。
「後悔してるし、反省もしてるからもう正座を止めさせてくれ」
「やだ。もう少しこのまま」
アルティはほんの少し笑いながら言った。
体勢も問題だ。
普通の正座ならば俺の足はここまで感覚を失っていないはずだ。
俺はさっきまでアルティと俺が寝ていたベッドに正座をしている。それは痛いのを最低限にしようとかいう理由ではない。
アルティが唐突に正座をしている俺を見て言ったからだ。
曰く『枕にできそう』と。
はい、現在絶賛膝枕中。アルティが膝の上から俺を見つめてます。
……本来ならば男女逆なのではないか?
俺は腹の奥から突き上がる叫びを噛み殺す。
「これなら寝られると思ったけど、寝られない。睡眠はたとえアンデッドでも思考を整理するのに効果的な方法なのだけど
……使えない枕」
文句を言っているくせに楽しげなアルティが呟く。
気のせいかいつになく目が爛々としている。そりゃあもう、遠足を次の日に控えたちびっこのような顔だ。寝られそうもない。
アルティの口元が少し緩んでいる気もするが、俺は無表情な彼女の見すぎで表情がゲシュタルト崩壊したのだろうと思うことにした。
「へいへい、俺は枕じゃないぞ、と」
「……使えないリヴェル」
「おいぃぃぃ!!それはないだろ!」
俺はつい勢いで無理矢理立ち上がった。
そのはずみで同時にアルティの頭が俺の膝からベッドに落ちる。
しまった、と思った刹那、足に言い表せない感覚が走った。
じぃん、と地面に足が着く度に脈打つような不快感が足に広がる。あ、これか。正座とやらの威力は。
俺は立っていられずベッドから転げ落ちた。
「ふふ、天罰」
にこりと笑いながらベッドの上から悶える俺を見ているアルティ。
今までで一番楽しそうな顔をしているかもしれない。
くそう、悔しい。
数十秒床を転がり回ってようやく痺れが治まるとアルティの寝転がっているベッドに向かった。
「そろそろ起きよう、それで魔法科を案内してくれよ。シェウィルさんに怒られるぞ」
「ん、言ってなかった。ここが自衛団魔法科の本部だよ」
アルティは目を擦りながら言った。
「よし、なら話は早い、さっさと仕事とか説明してくれ」
「起こして」
「は?」
「起こすの」
アルティは地面と垂直に手を伸ばしながら言った。
「あ〜あ〜仕方ないなっ、と」
俺はアルティを抱き起こした。特に下心もないので出来るだけ手早く、ささっと。
アルティの体は案外軽かった。さすがはアンデッドと言うべきか。
俺に起こされてベッドに座ったような体勢になった彼女はきょとんとした顔で俺を見つめた。
「それだけ?」
「どう考えたってこれ以上何もないだろ」
「……ん、じゃ、着替えるからいったんここから出て」
突然アルティはむすっとした顔になりそう言った。全く、わけが分からない。
俺はじとっと俺を見つめるアルティの視線から逃げるように部屋を出たのだった。
◆◇◆◇◆◇
「おまたせ」
十分くらい経っただろうか、アルティが部屋から出てきた。
彼女はいつも通りの魔術師然とした服の上からローブを羽織っている。
誰がどう見ても魔術師だと分かるその格好はやはり似合っていて――
「で、今から魔法科の人たちが一番いるところに行くから」
アルティが何か巻物のような物を持ちながら言った。仕事の道具だろうか。それと、自衛団のメンバーって詰所にいる人たちだけじゃないんだな。
「あ、勘違いしてるようだったら言うけど、自衛団のメンバーは詰所にいる人たち以外にいるから覚えといて。」
「はいはい」
「メンバーは大抵各科の本部か自宅に居座ってて当番制で詰所に行く感じになってる」
アルティは簡単な補足説明をしながら歩いていく。俺は道が分からないので付いていくしかない。
俺は真っ白な廊下を二人きりで歩いていく。先ほど俺が会ったゲイザーやナイトメアはもう何処かに行ったのか見当たらなかった。真っ白だが、所々薄汚れている廊下は二人きりだとどこか不安になりそうな雰囲気を持っていた。
アルティは巻物の中身を確認しながら俺を先導する。
感知魔法で壁とかにぶつからないように気を付けているんだろうが危なっかしい。
もし、誰かにぶつかったら大当たり!とでも言ってやろうか。
そう下らない事を考えていたらふと聞こうと思っていて忘れていたことを思い出した。
「そう言えば、暴走した俺を吹き飛ばした魔法は光属性だったな。なんでアンデッドのお前が使えるんだ?」
「……」
それを聞いたとたんアルティは立ち止まった。俺もつられて立ち止まり、沈黙が流れる。俺たち以外誰もいない白い廊下が沈黙を増幅させるように視界を染める。
「……無理なら言わなくていい、悪かった」
俺は沈黙を破りアルティにそう言った。
すると、アルティは少し間を置いてこちらに振り向いた。
「これを説明するにはいろいろ準備がいるの。もう少し待って。いつかは話そうと思うから」
彼女はさらっとそう言って再び歩き始めた。
「……私は闇属性の魔法が一切使えない。けれど、代わりに光属性の魔法が使える。今はこれだけなら言えるかな」
歩きながらアルティは言う。俺は気まずくてそれにうまく返事を出来なかった。
◆◇◆◇◆◇
アルティはというとあれから間もなく鼻歌を歌い出していた。さっきあれほど深刻な空気を作り出していたのだが……。
リッチという魔物は感情のコントロールが上手いのか?
いや、違うな。俺が聞いたことは俺が思ってるより気にしてなかっただけだな。
あれこれ考えて損したか。
俺がそう思っていると、アルティは行き止まりで立ち止まった。
「お〜い、アルティ?」
俺は何もなさそうな壁を見つめるアルティに声をかけた。まさか、道を間違えたんじゃないだろうな、というニュアンスを込めて。
しかしアルティは気にせず壁に向かっていった。さっきまで中身を確認していた巻物に縮小魔法をかけローブの内ポケットに入れる。そして、空いた手で壁に触れた。
「開け―――胡麻
………。
開け胡麻油
………。
胡麻味噌!
荏胡麻!
胡麻っ!胡麻っ!」
アルティが狂ったように意味の分からない単語を叫ぶ。
彼女が声を大にして叫んでいる姿なんて想像もしなかったし、できなかったので俺は目を点にしてしまう。
俺は、ただ、見守ることしかできなかった。先ほどの凄まじいキャラ崩壊は俺がどうにかするには荷が重すぎる。
ちなみに何の変化も起きていない。
無駄骨を折ったというより無駄キャラを崩壊させた疲労感からかは知らないが、彼女は肩で息をしている。
アルティはひとしきり叫んだ後、油の差されていない機械のようにゆっくりこちらを向いた。
その表情は筆舌に尽くしがたいし筆禍を避けたいので語らない。が、まあ、察してくれ、すまない。
それで、アルティ、そんな顔をしないでくれ、対処に……困る。
俺をしばらく見つめたアルティは錆び付いた機械のように壁に向き直ると、背中の十字を取り外し、構えた。
「頻繁にパスワードを、変えるなっ!」
俺は初めてアルティが怒った瞬間を見た。
ぼふん、と解放された魔力が辺りの埃を撒き散らす風になる。
そして、彼女の魔力込みの渾身の一撃が壁に向かって降り下ろされた。
……う〜む、アルティ、俺があんたの机を壊した事を責められないんじゃないかな。
ぶおん、と恐ろしい風切り音がした。
しかし、何の手応えのある音は聞こえない。
それもそのはず、壁はアルティにより大破される寸前に消えたのだ。
「残念、今日の合言葉は『開けお徳用胡麻煎餅具体的に言うと胡麻だけ増量300%』でした〜」
消えた壁の後ろにあった通路から一人の魔物が現れる。悪戯が成功した子供のような笑い声がした。
「始めましてリヴェル、だっけ?魔法科本部にようこそ。歓迎するよ」
けらけらと笑いながら小柄な魔物が手を振った。
子供っぽい雰囲気だが、その魔力から高位の魔物だと分かる。俺の少なくかつ古い知識でも髑髏模様の虫の羽、それだけで充分に判別できた。
蝿の王ベルゼブブ。
七つの大罪の一つ、暴食の象徴となる悪魔で高位の魔物の中でも上の方に入る魔物。
おいおい、教団の耳に入ったら間違いなくこの街、浄化対象の筆頭に上がるぞ。ドラゴンとかリッチとか上位魔物結構いるから。
と俺は現在進行形でヤバめなオーラを放つリッチをちら見した。
ベルゼブブは思考が何処かに飛んでいた俺のすぐ前まで来て俺の左腕を掴む。
「へえ、なるほど。この感じだと『砂漏呪』か」
そう言うと彼女は俺の手をぱっと離した。まるで興味をなくしたように。
砂漏はたしか砂時計と同義だから……
気付いた瞬間に思考が急速に回転する。
もしかしてっ!
俺はとっさに左腕を隠すように左足を半歩下げた。
「なんで分かった!?」
「え?大体匂いで分かるから。私を何だと思って。蝿の王…じゃない。蝿の女王よ!」
彼女はどうだ、と自慢気に胸を張りながら言う。
しかし、残念ながら全く威厳は感じられない。
「くくっ、そうか〜今の教団と昔の魔王軍、いったいどっちが悪魔かなぁ。面白――ぐぇ!?」
「ルセフィ、旧魔王の時代を体験してないのにそう暢気に語らないの」
ベルゼブブが目を細めて意地悪そうな表情を浮かべた瞬間、後ろから忍び寄ったアルティにより首を絞められた。
ベルゼブブは一転して間抜けな表情になった後、首を押さえるアルティの十字をちらりと見る。
アルティはベルゼブブの顎の下に十字をあてがい、その背中にまわって十字を引っ張っていた。えぐい締め方だ。
「な、何にそんなにご立腹かな〜アルティ?」
「毎回毎回、私が入る寸前に合言葉を変える事に」
あくまで余裕を持った態度でいようと足掻くベルゼブブとポーカーフェイスで感情が読めないアルティ。
間違いなく、この状況は今朝のカオスの再臨以上のものだった。
「だって、い、いじりがいのある無表情なリッチがいたら誰だっててててて」
ぎりっ、そういう音が聞こえそうなほどアルティはその瞬間、十字を強く引き付けた。よってベルゼブブの首は余計絞まるわけで。
ただ、幸いなのはこのカオスに俺が巻き込まれていないこと――
「あばばばばばば、ぎ、ギブキブ、ぎっ、ぶぅ」
あ、こりゃ関わらないのは無理だ。
俺は緩める気の無いアルティの腕を無理矢理十字から引き剥がした。
がらん、と十字が床に落ち、ベルゼブブが荒い息を吐きながら倒れる。
とりあえず――魔物だから死ぬことはないだろう。
しかし、女の子を床に倒れっぱなしにしておくのは良心が痛むので俺は気絶しかけのベルゼブブを背負った。
「アルティ、やりすぎだ」
「だって……」
アルティは人指し指を同士をくっつけながらぶつぶつと呟く。その頬はほんのり赤く染まっていた。
俺はルセフィとかいうこのベルゼブブがいじりがいがあると言ったのは一理あると思えてしまう。
今のアルティの表情は少し可愛いかもしれない。
まあ、命の危険を冒してまでからかう気はないが。
「この先が魔法科の心臓部だから」
ごまかすように先ほど開いた通路を指差しアルティは言う。
「はいはい」
俺は早くもアルティの理不尽に慣れてきたのかもしれない。アルティってこんなもんだろ。という感覚が出来上がっていた。
俺はさっさと先に進むアルティを追いかけて魔法科の心臓部とやらに向かった。
アルティ、無表情だけど喜怒哀楽の変化大きいんだな。気をつけておこう。心の中にそうメモをしながら。
……本当に気をつけよう。
きっとこのままだといつか地雷を踏み抜いて死ぬ。間違いない。と背中で気絶しているベルゼブブから俺は学んだ。
通路は薄く闇に覆われていて近くは見えるが、向こうを覗き見る事は出来ないようになっている。万が一敵対者に侵入されたときに奥を見せないためだろうか。
……おそらく今背負っているベルゼブブに聞くと『趣味』とか言われそうで怖いが。
そうして薄闇の広がる通路を抜けた先には――
――見たこともない量の本と本棚がそびえ立っていた。
すぐ近くの会議用と思わしきスペースに長机と椅子がある以外は本棚と床ばかり。
至るところに立つ本棚にはみっちりと本が詰まり、さらにあぶれた本が床に山積みになっている。
教団の大図書館といえどもこれほど蔵書は無いはずだ。
「リヴェル、ここが魔法科本部最重要施設『禁書の海』。過去に沈んだ記録から最近浮かび上がった新説、大抵の書物はここにある」
アルティが本棚の一つを見上げながら言う。
奥が霞んで見えるほどの空間に一定の間隔で立ち並ぶ本棚。その一つ一つが塔のようにはるか上まで伸びている。
異空間。この場の纏う雰囲気はそう俺に思わせた。
「別名『封じられた書架の森』おどろおどろしい名前だけど普通の本もあるから安心して」
アルティはそう続けた。
リッチという種族のせいか、本棚が背景だとよく映える。
俺は絵画の一部を見ているような気分になった。
そう思っているとアルティが不意にこちらを向き、にこりと笑う。
その笑顔は、病院で俺を狙いに来たサキュバスのように妖艶なものではなく、心の許せる友に向けるようなものだった。
物心がついてから欲して止まなかった種類の笑みだった。
俺がついそれに見入っていると軽く背中を叩かれる。
誰か、と聞く必要はないか。そう言えば背負っていたのを忘れていた。
俺は背中のベルゼブブに適当に返事をする。
「どうした?」
「あ、やっと気づいた。そろそろ下ろしていいよ、ありがと」
さっきまで俺の背中で気絶しかけていたルセフィが俺の肩を叩いて言った。回復が早い。さすがは魔物。
俺はゆっくりと彼女がしっかり立てるように床に下ろす。
ベルゼブブは床に立つと思いっきり体を伸ばした。
「そうそうルセフィ、『本の虫』たち連れてきて。多分彼女たちが今一番暇だろうから。
新しい防護結界の術式を組み立てたから推敲してほしいの」
伸びをしているルセフィにアルティが言う。それにあくびをしながら返事をしたベルゼブブ。上位種の魔物だが教団の連中が卒倒しそうなほど威厳がない。
「了〜解。で、ついでだけどリムリル様は呼ぶ?今日はこの街に来てるみたいだから連絡とればすぐに来てくれると思うけど」
「あの皇女様は、今日は飲みに行くって言ってたから呼ばない方が無難」
ため息をつきながらアルティがそう告げた瞬間、ルセフィはばっと飛び立った。
図書館ではお静かに、と言いたくなるが彼女はほぼ無音で飛んでいた。
限り無く黒に近いグレーという黒である。
「今からしようとしているみたいに緊急時に街全体に防護結界を張るための研究をしたりするのが魔法科の仕事の一つ。覚えといて。基本的に暇だから皆、雑務任されたりとか本を読み耽ってたりするけど」
と言うとアルティは本棚から適当に一冊本を取り出す。魔導書かと思いきや、ただの恋愛小説だった。
「何?文句ある?」
◇◆◇◆◇◆
あの後、俺とアルティは近くにある会議用の長机の所に移動して待っていた。巨人の書斎のようなこの空間にぽつりと存在するこのスペースは浮き島のように思える。
まさに禁書の『海』という表現は合っているかもしれない。
そしてまるで森のように立ち並ぶ書架の方を見るとあくせくとその間を走る誰かの姿が見えた。アルティたちとは違う仕事で動いているメンバーだろうか。
オリキュレール自衛団、"団"というわりに凄まじい人数なのではないのか。ふとそうよぎったが、考えると長くなりそうだったので頭の中にその疑問は仕舞った。
案外早くルセフィが帰ってきたのだ。
「連れてきた」
そう息を切らせたルセフィが連れてきたのは――
「やっはートゥーモ参上!」
頭に毛玉を乗せたモスマン。
「こっ、こんにちは。ローチェで、す。よろしく、リ、リヴェルさん」
フードを深く被り、ぱっと見ただけでは普通の人間のように思える人。
「千幸です。よろしくお願いしますね、リヴェルさん。で、アルティさん、新作の防護結界の術式、早く見せてくださいな」
やけに上機嫌な大百足。
――の三人だった
「うりうり、起きろ〜」
モスマンが頭の毛玉をつつく。すると、毛玉の中からひょこりと手がのびてつつく指を掴んだ。
「う〜トゥーモ、起こさないで……」
毛玉が喋った。
一人追加、計四人。
「リヴェル、このルセフィ、トゥーモ、ローチェ、千幸の四人が『本の虫』って言うこの魔法科の有名なメンバー」
アルティが俺に簡単に説明をした。が、その人数だと毛玉がカウントされていない。
「毛玉は?」
「虫系の魔物じゃないからカウントしてない」
「毛玉って言わないで〜ケサランパサランのコットン〜」
『毛玉』に反応して、ぼすっと顔を綿の塊のような毛玉から出してブーイングをした。
しかし、彼女が乗っているモスマンのトゥーモは白っぽくモコモコなファーコートを着ているため組み合わせ的にどうみても毛玉だ。
「よ、よろしく。
『本の虫』か。ってことはローチェもとりあえず虫の魔物なんだな。いったい何の魔物なんだ?」
興味本意で俺はローチェに聞いた。
「そっ、そんなことは置いといていいですよ!早く結界式の確認しましょう」
ローチェは首を振りながら過敏に反応した。フードでより深く顔を隠そうと端をきゅっと伸ばし、コートでよりしっかり身を包む。
「ええ〜もったいない。ローチェちゃん可愛いんだから見せないと〜」
トゥーモがふわっ、とローチェの横に移動してフードをひっぺがした。
さらりとした栗色のショートヘアーが揺れる。
「ひゃっ。な、何するんですか!」
涙目になりながらローチェがトゥーモから離れた。
「ほらほら〜フード無い方が可愛いよ。それに人化してるでしょ〜それ!『ディスペル』」
「えっ?ちょっ」
トゥーモがぱちんと指を鳴らすとローチェは白い煙に包まれた。
「嫌、だめっ!」
ローチェは必死になって魔法消去の『ディスペル』に抵抗する。
そのかいあってか、人化が解けず煙が晴れても姿は一つも変わっていなかった。
「ふぅ、やめてくださいよトゥーモさん」
ローチェは大きく息をはいてトゥーモを睨む。トゥーモはというとさっきと変わらずふわふわとした表情のままだった。
詰所のメンバーだけでなくここも個性の濃い連中ばかりか。とこれから先が心配になってきた俺だった。
13/12/01 00:26更新 / 夜想剣
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