お風呂で堂々スキンシップ
ルトが俺の船に乗ってから三日後。
結局ルトを何処へ行かせたら良いか分からない。と言うか、寧ろ船に留まらせておいた方が良いと判断した俺たちは、ルトをこの船に居候させる事にした。
「えっと……これは何処にしまえば良いですか?」
「あ、そのお皿は一番下の棚に入れて」
そして今日の夜、ルトはキッチンにて自ら晩飯の後片付けをしていた。雑用係のアカオニが洗った食器を手際よく棚にしまっている。
俺はそんなルトが働く姿を、ダイニングの椅子に腰掛けて遠くから温かく見守っていた。
「いや〜、ルト君が手伝ってくれて助かるね!お陰で仕事が何時もより楽になったよ!」
「いえ、ただでさえ厄介になってるので、せめてこれくらいは……」
「アハハ!本当に良い子だな!全く、食ってばかりの船員共はルト君を見習うべきだ」
「僕なんてそんな……」
皿洗いをしてるアカオニに褒められて、ルトは照れくさそうな表情を浮かべた。
だが、その笑みはなんだか作り物に見えてしょうがない。その場を凌ぐ為にとりあえず笑う……といった感じだ。
「う〜ん……普通に話してくれるようにはなったけど、ぎこちない感じは拭えてないね……」
「武吉には懐いてくれたんだが……俺たち魔物にはなぁ……」
俺の向かい側に座ってる美知代は心配そうな表情でキッチンを眺めていて、その隣に座ってる武吉は夕刊の新聞を読んでいる。二人とも晩飯を食い終わったところで、食後の緑茶を楽しんでる最中だった。
ルトは同じ人間である武吉に対しては問題なく接している。だが、美知代が言った通り魔物の船員に対しては余所余所しい態度を取っているのだ。会話なら普通に交えてはくれるんだが、未だに魔物が怖いと思っているのか距離を置いてるようにも見える。
何よりも……一つだけ無視出来ない問題がある。それは……。
「なんかさ……特に俺が一番避けられてる気がするんだが……」
「残念だけど……仰るとおり、一番避けられてるのは奈々よ」
「いや、そこは否定して欲しかったな……」
そう……ルトが一番避けているのは、何を隠そうこの俺だ。
三日前からルトは魔物の船員たちに余所余所しいが、その中でも特に俺を避けているように思えてならなかった。
ただ、よく考えてみると、この船に乗ってる魔物はアカオニ、アオオニ、オーガと……鬼の魔物が殆どだ。そしてその魔物の中でもウシオニは船長である俺だけ。
自分でも分かってるんだが……人間とはかけ離れた姿をしている魔物は俺だけだ。他の鬼たちは人間の下半身だが、俺は蜘蛛の下半身。他の鬼たちの腕はスラリと伸びた人間の腕だが、俺のは毛深くて大きな手。どう見ても俺だけ異形の身体だ。
人間であるルトにとって、より化け物染みた俺の姿はどうしても怖いと思ってしまうのだろう。
「俺から近付いたら必ず逃げちまうしな……」
流石にこのままでいるのは良くない。
そう判断して自ら接しようと試みたんだが……
『ようルト!おはよう!』
『お、おはようございます!僕、朝食のお手伝いをしてきます!』
『え、ちょ、おい!……素早いな……』
『ルト、ちょっとお話しようぜ♪』
『ごめんなさい、武吉さんに会いに行くので!』
『あ!……またかよ……』
『ルト〜♪』
『お休みなさい!』
『……まだ何も言ってねぇのに……』
と、こんな感じですぐに逃げられてしまう。
怖がってるのは分かるが、こう何度も避けられるのは気分が悪いな……。
「う〜ん……まぁ時間が経てばその内怖がらなくなるようになるんじゃない?」
「待ってばかりじゃダメだ!自分からガツガツと行かねぇと、何時まで経っても距離を縮めれねぇ!」
「そう言えば奈々、ルト君に対してやけに積極的ね。そんなに気に入っちゃったの?」
「は!?い、いや、気に入ったっつーか、気になるっつーか……」
突拍子も無い美知代の発言に戸惑ってしまった。
そりゃあ気になってはいるし、可愛いと思うし、見ていて心が温かくなるし……って、何を思ってるんだ俺は!
「あら、顔を赤くしちゃって……可愛いね、奈々姫ちゃん♪」
「奈々姫って呼ぶな!よりによって人間だった頃の汚名で呼びやがって!」
「え〜?結構可愛いじゃない。奈々姫ちゃん♪」
「呼ぶなっつってんだろ!」
「奈々姫ちゃ〜ん♪」
「ぶっ飛ばすぞテメェ!!」
……自分でも驚くくらいに取り乱してしまった。
何故だろうか……ルトが船に乗ってから調子がおかしくなってるような気がする。
なんて言うか、放っとけないと言うか、構ってやりたいと言うか……。
なんだろう……一緒に居てやりたいと思うようになっちまってる。
まさか、この気持ちが……そうなのかもしれないな。
「まぁ、ふざけるのもこれ位にして……それより、ルト君については無視出来ない問題があるわね……」
「……あぁ、そうだったな……」
美知代は急に楽しそうな表情を一気に固くさせた。
そうだ……ルトには一つ重大な問題がある。それは……。
「痣に関する事は未だに話してくれないんだよな……」
「まぁ、それが一番気になるんだけど、無理やり話させる訳にはいかないからね」
「そうだよなぁ……」
ルトは何故自分が海を彷徨ってたのか……未だに分からないままでいた。
さり気なく本人から経緯を聞き出そうと何度も試みた事はあったが、それを聞く度にルトは何も答えずに黙り込んでしまうのがオチだった。ルトの身体の痣が関係してるのは明白なんだが……恐らく、余程の事でも無い限り打ち明ける日は訪れないだろう。
だが、仕方のない事だ。ルトの身体の痣は人為的なもの……つまり誰かの手によって出来てしまったものだ。詳しい事情は分からないが、この船に乗る以前に酷い仕打ちを受けたのだろう。
恐らくルトは、過去に受けた虐待によってトラウマを抱えてしまい、それを他人に話す勇気が出ないのだと思う。そんなに弱ってる状態で無理に聞き出すなんて……俺には出来ない。こればっかりはルトから話してくれるのを待つかないようだ。
「……これから出会う時が来たら慎重に接しないと……」
「……おい武吉」
「ん?」
「さっきから何を読んでんだ?」
俺の斜め前で新聞に目を通してる武吉に話しかけた。
新聞を読んで情報収集をするのは武吉の日課だが、こうも熱心に読んでる姿は久々に見た気がする。思わず独り言を呟いてしまうほど気になる記事でも見つけたのだろうか。
「ああ、教団の船が海賊によって沈められたらしいよ」
「……海賊?」
「ほら、これこれ」
武吉はテーブルの上に新聞を広げて、一面に載せられてる記事のタイトルを指差した。
『教団海軍部隊、またしても完敗!未だ衰えないキャプテン・キッドの猛威!!』
「……キャプテン・キッド……」
大き目の文字で目立つように書かれているタイトル。そしてその下には、長剣を肩に置いて不敵に笑う若い男の姿が描かれている。こいつがそのキャプテン・キッドのようだ。
キャプテン・キッド……実際に会った事はないが、この男なら俺も知ってる。
本名、キッド・リスカード……若くして大勢の部下を従えてる実力派の海賊だ。部下への指導力だけでなく、戦闘力も長けていて、奴の手によって沈められた海賊船や教団の船はかなり多い。
海賊界においてキッドの名を知らない者は殆どいないだろう。それ程の有名人だ。
「同業者として彼に対する警戒を怠ってはならない。今後会う機会があったら慎重にならなければ……と思ってね」
「確かに油断は出来ない。だがまぁ、一度会ってみたい気もするがな」
「そう言って戦う破目になったらどうするの?」
「そん時はそん時だ。返り討ちにしてやるよ」
同じ海を渡る者同士として、いずれ出会う機会が訪れるだろう。その時に戦う可能性も否定出来ない。
だが、そうなっても全力で挑む!ただ、それだけだ!
「うっし!今日の仕事は終わり!ルト君、今日もありがとな!先に上がっていいぞ!」
「あ、はい、お疲れ様でした」
何気ない雑談を交えているうちに、ルトの方はお手伝いを終わらせたようだ。アカオニにペコリと頭を下げてキッチンを出て、こちらに歩み寄ってきた。
「ルト君、今日もご苦労様。何時も手伝ってくれて助かるよ」
「いえ、そんな……」
武吉が温かい笑顔で賞賛すると、ルトは嬉しそうな表情を浮かべた。
ルトのこういった可愛らしい表情は何時見ても癒される……。
……おっと、ヤベェ。ちょっと見惚れちまったぜ。
「……よっ!」
「!……ど、どうも……」
「…………」
自分なりに明るい笑みで気さくに呼びかけたが……またしても視線を逸らされた。
……何がいけないんだ?そんなに俺の笑顔って不気味か……?
「さて……それじゃ、行こうか?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「……おい、何処行くんだ?」
武吉が椅子からすっくと立ち上がり、ルトを何処かへ連れて行こうとしたので呼び止めてみた。
「ああ、これからルト君を書斎へと案内して、今の魔物について色々と教えようと思うんだ」
「お、そうか!なんなら俺も……」
「いや、悪いけど僕たちだけでやらせてくれないかな?マンツーマンでやった方が正確に理解してくれるからね」
「……あぁ、そうかい……」
俺も一緒に行こうと思ったら、丁重に断られてしまった。
なんだよ武吉まで……つまんねぇな……。
「さ、行こうか」
「はい」
ルトは俺と美知代に目礼してから武吉と一緒にダイニングを出て行った。
その後姿は本当の兄弟に見えて微笑ましいが……妬ましいったらありゃしない。
俺だって……俺だって……!
「うふふ、ああして見ると微笑ましいわね。まるで歳の差が大きい兄弟みたい」
「…………」
「さて、武吉も行っちゃった事だし、お風呂に入ろうかしら……って、奈々?」
「…………面白くねぇ……」
「え?」
「面白くねぇ……」
「あ、あの、奈々?どうしたの?」
「面白くねぇぇぇぇぇぇ!!」
内に溜め込んでた不満をぶちまけるように天井に向かって吼えた。だが、その直後も俺の不満は微塵とも消えはしない。
「なんだよ!ずりぃよ!俺だってルトと仲良くなりてぇのによぉ!」
「ちょ、落ち着いてよ奈々……」
バンバンとテーブルを叩く俺を見るなり、美知代は呆れ顔で肩を竦めた。
正直なところ……キャプテン・キッドが何をしようと構わないし、興味も無い。それより今はルトとの距離を縮める事が最優先だ。ただでさえ余所余所しい態度を取られてるってのに……!
「美知代〜!どうやってルトと仲良くなるか考えてくれよ〜!」
「いや、そんな事言われても……」
「俺だって、俺だってルトと仲良くなりてぇよ〜!」
「ちょっと、もう……それより奈々、早くお風呂に入りに行きましょう。先ずは疲れを取らなきゃ」
美知代は俺の手を引いて風呂へ行かせようとする。だが、正直言って今はルトの事で頭が一杯で……!
……ん?待てよ……風呂?
「……そうだ……その手があったか!」
「え!?」
凄く良いアイディアが浮かんだ!
そうだ、風呂だ!これは良い考えだ!
よし!何事も実行するべきだ!つー訳で……!
「美知代、一つ頼みがあるんだが……」
「え?」
〜〜〜(ルト視点)〜〜〜
「……ふぅ……」
船の中にあるお風呂場にて……武吉さんの魔物に関する授業を聞き終えた僕は一人でお風呂に入っていた。浴場に置いてあるバスチェアに座り、スポンジで身体を洗っている最中でもある。
本当なら武吉さんも一緒に入る予定だったけど、急に武吉さんの奥さんである美知代さんが書斎にやって来て、『ちょっと夫と大事なお話をしたいから、悪いけど一人で入ってきてくれないかしら?』と言われて仕方なく一人で入る事になった。
まぁ、時間が経てば武吉さんも来てくれるよね。でも武吉さんが傍に居ないのは心細いな……。
「……はぁ……」
鏡に映る自分の姿を見て溜め息が出てしまった。
身体に点々と浮かんでる痣……武吉さんが薬を塗ってくれたお陰で少しずつ消えてはいるけど、まだ完全に癒えてない。
でも……こんな痣、早く消えて欲しい。こんなのを見る度にあの辛い過去を思い出してしまう。
思い出したくもない……あんな……あんな辛い日々…………。
『何度言ったら分かるんだ!ポンコツ!』
『口で言っても分からんのなら、その身体に叩き込んでやる!』
『お前は私の思い通りになれば良いのだよ!口答えは許さん!』
「…………」
何時も僕を罵るあの声が頭の中から聞こえてくる……。僕は気をしっかり持って、首を振って嫌な言葉を振り払った。
このままじゃダメだ……必死の思いで命からがら逃げ出して、辛い日々から抜け出したのに……ダメだ……。
「……僕……どうしたら良いんだろう……」
ふと、僕はこれからどうすれば良いのか……今更ながらそんな事を思った。
海へ逃げ出してこの船に乗せてもらってから今日で三日が経った。奈々さんに美知代さん、それに武吉さん……みんな優しくて本当に良い人たちばかりだ。
でも、これ以上迷惑を掛けたくないし……やっぱり頃合を見つけて船から降りるしかないのかな……。
「はぁ……」
「おいおい、ため息なんか吐くと幸せが逃げるぞ?」
「すいません。でも……ん?」
……あれ?僕は誰と話してるんだ?
「……え?」
前方の鏡に視線を移すと、僕の後ろに誰か立っているのが見える。黒くて毛深い蜘蛛の足が……。
って、これって……もしかして……!
「……あ……」
「よっ!」
嫌な予感がして振り返ってみると、そこには上半身をタオルで巻いてる奈々さんがいた…………。
〜〜〜(奈々視点)〜〜〜
「……うぇ!?あ、あの、なんで此処に!?」
「ルトと一緒に風呂に入ろうと思ってな!」
「え!?な、なんで急に!?」
「いや〜、同じ湯船に浸かれば親睦を深めれるんじゃねーかなーなんて思ってな」
「で、でも男の人と女の人が一緒に入るのは問題だと思うんですけど……」
「んな細けぇ事一々気にしてられっかよ!それに俺は女だが、人じゃなくて魔物だし!」
俺が突然現れてパニック状態になったのか、ルトは顔を真っ赤に染めて固まっている。
そりゃあいきなり入浴の最中に女が入ってきたらそうなるか。
でもまぁ、これでルトと二人っきり……♪
「と、とにかく僕、先に出ます!」
「え!?お、おい!」
すると、ルトはバスチェアから立ち上がって素早く駆け出そうとした。
また逃げられる……と思ったら!
ツルッ
「うわぁ!?」
足が滑ってしまい後方へ……!
「うぉっと!」
……後頭部が打たれる前に背後から受け止めてやった。
ルトの後頭部が俺の胸にタオル越しで……って、前にも同じ事があったな。
「たっははは!お前、ホントによく転ぶよなぁ!」
「……え?」
ルトは徐に振り返って俺の顔を見上げた。そして今の状況を把握したのか、顔が徐々に真っ赤に染まって恥ずかしそうな表情を浮かべる。
「ご、ごめんなさい!僕、またドジな事を……!」
「ハハハ!気にすんなよ!それより、大丈夫か?怪我は無いか?」
「は、はい。大丈夫です……」
「そっか。よかったよかった!」
ルトは体勢を立て直して俺に謝ったが、俺はルトの頭を優しく撫でてやった。
……こうして触れてみると、ルトの頭って撫で心地が良いな。しかもまだ顔を真っ赤にして……可愛いぜ♪
「つーかよ、そんなに泡塗れだから足が滑ったんだろ?ほら、こっちに来いよ。流してやるから」
「え!?いや、あの、自分でやりますので……」
「遠慮すんなよ!ほら、来い来い!」
「お、お願いします……」
「おう!」
ルトは言われた通りにバスチェアに座り直し、俺に身体の泡を流してもらう事にしたようだ。まだ恥ずかしがってるのが、座った途端に俯いてる。
やれやれ、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのによ……。
「そんじゃ、いくぞー」
「ん……」
「どうだ?熱くないか?」
「はい、ちょうど良いです……」
シャワーのお湯で身体の泡を流していく。身体の痣を痛みつけないように慎重に流していった。
「ほら、終わったぞ」
「ありがとうございます」
「いいっていいって!お〜し、そんじゃ次は一緒に湯船に入るか!」
「……え?」
俺の発言にまたしても固まってしまったようだ。
これで逃がしてくれるとでも思ってたのか……考えが甘いな♪
「おいおい、その鳩が豆鉄砲でも食った様な顔はなんだ?さっき言っただろ?同じ湯船に浸かるって」
「そ、そうでしたね……。で、でも大丈夫なのですか?」
「あ?何が?」
「あの、のんびりしてたら武吉さんが此処に来ると思うんですけど……」
「ああ、あいつなら今日は絶対に来ねぇよ。美知代に引き止めておくように俺が頼んでおいたから」
「え!?」
実は、ルトと二人っきりになる為に武吉を足止めするよう美知代に頼んでおいたのだ。風呂場ならそう簡単には逃げられないし、この時間なら誰にも邪魔されずに二人で話が出来る。
最初こそ美知代は乗り気じゃなかったんだが……ルトと仲良くなりたいという俺の意思を酌んだのか、『絶対にルト君を犯さない』と言う条件付きで承諾してくれた。でも俺だって言われなくても強姦染みた真似は絶対にやらない。それでルトの心を更に傷つけたら元も子もないからな。
まぁ、美知代だって武吉と激しくヤれるんだから悪い話じゃないだろう。
「ほら、とにかく入ろうぜ」
「ほ、本当に入るんですか?」
「当たり前だろ?そうでなきゃ俺は何の為に来たんだ?」
「そ、それは……」
「大丈夫大丈夫!間違っても無理やり交わったりしねぇからさ!」
「は、はぁ……」
俺は自ら湯船に入り、大きな蜘蛛の足で奥へ進んだ。そしてタイルの壁に背を預ける形で上半身を湯船に浸からせた。
「ほら、ルトも来いよ!」
「う……は、はい……」
もう引き返せない……そう悟ったのか、ルトはゆっくりと足から湯船の中に入って、俺と向かい合う位置で膝を抱える形で座った。
「おふぅ……ルト、湯加減はどうだ?」
「はい……気持ち良いです……」
身体の方は疲れてたのか、湯船に浸かってるルトはとても気持ちよさそうに表情を緩めた。
……腰にタオルを巻いてる所為でよく見えないが、その曲げてる足を退かしたら見えそうだな。これが所謂ちらリズムって奴か?
もうちょっと、もうちょっとでルトの男の象徴が……!
……って、エロ親父か俺は!
「あの……どうしました?」
「あ!?い、いや、なんでもねぇ!なんでもねぇぞ!」
「?」
「そ、それよりな……」
さて、落ち着いてきたところだし、ここで色々と話をして距離を縮めるか……。
「どうだ、船での暮らしには慣れたか?」
「あ、はい。大分慣れました……」
「そうか……あ、船の奴らとは仲良くなれたか?」
「はい、みんな優しくて良い人たちです……」
「そうだろ?」
「はい……」
「……なぁ」
「は、はい?」
多少歯切れが悪いが、受け答えはしてくれる。
まぁ、それは何時も通りなんだが……。
「……なんで目を逸らすんだ?」
「え……いえ、あの、逸らしてましたか?」
「思いっきり逸らしてるぞ」
「え?いや、その……」
さっきからずっと俯いてばかりで、俺と目を合わせようとしない。それに心なしかほんのりと頬が赤く染まってるように見える。
あ、もしかしたら俺の身体を見て興奮してきちゃってるとか……それは無いか。
「どうしたんだ?具合でも悪いか?」
「いえ、そう言う訳じゃ……」
ちょいと一歩だけ前に進んでルトの顔を覗き込むと、ルトはさらに深く俯いてしまった。
恥ずかしがってんだか、怖がってんだか……どちらにしろ、こっちを見て欲しいものだ。
……じれったいのは好きじゃねぇ。言いたい事はちゃんと言わねぇとな。
「……そんなに……俺が怖いか?」
「え?」
静かに問いかけると、ルトはようやく俺の顔を見上げた。
「やっぱり俺って怖いか?こんな異形の身体……不気味に見えるか?」
「そ、そんな事……!」
「お前だって俺を避けてるみたいだし、怖いなら怖いって正直に言ってくれた方が……」
「怖くないです!」
ルトは急に大声を上げて俺の言葉を遮った。突然の出来事で不覚にも戸惑ってしまったが、ルトは俺を見上げたまま話し続ける。
「た、確かに初めて会った時は驚いたけど……今は怖いとは思ってません!不気味なんかじゃないです!」
「……本当か?」
「はい!奈々さんは、その……元気で優しくて、とても綺麗な女性です!」
「な!?」
綺麗……俺とは無縁に思える言葉を聞いて驚いてしまった。
生まれてこの方、綺麗なんて言われた事が無かった。こんな、ガサツで気性の荒い俺が……そんな……。
「……ま、参ったな。俺が綺麗とか……たっははは!」
とりあえず笑って誤魔化したが……有り得ないくらいにテンパってるのが自分でも分かる。多分顔も真っ赤になってるだろう。
……おっと、変に照れてる場合じゃなかったな。
「えっとな、じゃあなんで俺を避けてるのか聞きたいんだが……」
「……ごめんなさい。避けてるつもりは無かったんです。僕だって、奈々さんの事は嫌ってなんかないですし、仲良くなりたいですし、その……えっと……」
「?」
俺を避けてる理由を訊いてみたが、ルトはまたしても視線を逸らしてしまった。
理由については言いにくいのか言葉を濁らせている。正直に言うべきかどうか迷ってるようにも見える。
だが、ルトが言うには俺の事は嫌いじゃないし、仲良くなりたいとも思ってくれてるようだ。果たして真意はどうか……。
「なぁ……俺の事は嫌いじゃないって、本当か?」
「は、はい!」
「仲良くなりたいってのも嘘じゃないんだな?」
「はい!」
ルトの目をジッと見て問い質す。対するルトも俺の目を見返してハッキリと答えた。
目を見れば分かる。その答えには嘘も偽りも無い……!
俺の肩に乗っかってた主にが何処かへ飛んで行った。
「そうかそうか!いやぁ、良かった〜!」
「え?」
「俺さ、もしかしたらルトに嫌われてるんじゃないかって思ったんだが、そう言ってくれて安心したよ!」
俺はキョトンとしてるルトの頭にポンと手を置いた。
「まぁ本音を言えばな、詳しい理由も聞きたいところだが、言い辛いんだったら言わなくていいさ」
「奈々さん……」
「でもな、今度からは避けるのだけは止めて欲しい。本当に俺と仲良くなりたいんだったら、キチンと向き合ってくれよ。そうしてくれた方が俺も嬉しいからな!」
「……はい!」
ようやくルトが笑顔を見せてくれた。子供らしく可愛くて温かい笑みだ。やっぱり何時見ても癒される。
これで少しはルトとの距離を縮められたかもな……。
「う〜し!もうちょい温まるか!」
「わっ!?」
俺はルトの隣に移動して、ルトの肩を抱き寄せた。
「ど、どうしたのですか……?」
「スキンシップだ」
「ス、スキンシップって……」
「こうやって触れ合うのも立派なスキンシップだろ?」
「あ、あの……」
俺に抱き寄せられてるルトは恥ずかしそうにしてるが……俺にはルトが何を言いたいのか分かってる。
当たってるもんなぁ……胸が。
「ほら、もっと引っ付いて良いんだぞ?」
「うぅ……」
引き寄せる力を少しだけ強めて身体を密着させる。身体が温まってきたのか、気恥ずかしくなったのか、どちらにしろルトの顔が更に赤くなった。
こういった可愛らしい表情を見て俺はつくづく思った。
ルトは……このまま船に乗り続けるのか?
俺はそれでも構わない……いや、寧ろそれを望んでるのかもしれないな……。
「…………」
「あの……どうかしました?」
「いや、なんでもねぇよ」
ルトの身体の温かさは、風呂のお湯とは比べ物にならないくらい気持ち良い。
こうして触れ合ってるだけで……今までに無い心地よさに包まれてるように感じた。
結局ルトを何処へ行かせたら良いか分からない。と言うか、寧ろ船に留まらせておいた方が良いと判断した俺たちは、ルトをこの船に居候させる事にした。
「えっと……これは何処にしまえば良いですか?」
「あ、そのお皿は一番下の棚に入れて」
そして今日の夜、ルトはキッチンにて自ら晩飯の後片付けをしていた。雑用係のアカオニが洗った食器を手際よく棚にしまっている。
俺はそんなルトが働く姿を、ダイニングの椅子に腰掛けて遠くから温かく見守っていた。
「いや〜、ルト君が手伝ってくれて助かるね!お陰で仕事が何時もより楽になったよ!」
「いえ、ただでさえ厄介になってるので、せめてこれくらいは……」
「アハハ!本当に良い子だな!全く、食ってばかりの船員共はルト君を見習うべきだ」
「僕なんてそんな……」
皿洗いをしてるアカオニに褒められて、ルトは照れくさそうな表情を浮かべた。
だが、その笑みはなんだか作り物に見えてしょうがない。その場を凌ぐ為にとりあえず笑う……といった感じだ。
「う〜ん……普通に話してくれるようにはなったけど、ぎこちない感じは拭えてないね……」
「武吉には懐いてくれたんだが……俺たち魔物にはなぁ……」
俺の向かい側に座ってる美知代は心配そうな表情でキッチンを眺めていて、その隣に座ってる武吉は夕刊の新聞を読んでいる。二人とも晩飯を食い終わったところで、食後の緑茶を楽しんでる最中だった。
ルトは同じ人間である武吉に対しては問題なく接している。だが、美知代が言った通り魔物の船員に対しては余所余所しい態度を取っているのだ。会話なら普通に交えてはくれるんだが、未だに魔物が怖いと思っているのか距離を置いてるようにも見える。
何よりも……一つだけ無視出来ない問題がある。それは……。
「なんかさ……特に俺が一番避けられてる気がするんだが……」
「残念だけど……仰るとおり、一番避けられてるのは奈々よ」
「いや、そこは否定して欲しかったな……」
そう……ルトが一番避けているのは、何を隠そうこの俺だ。
三日前からルトは魔物の船員たちに余所余所しいが、その中でも特に俺を避けているように思えてならなかった。
ただ、よく考えてみると、この船に乗ってる魔物はアカオニ、アオオニ、オーガと……鬼の魔物が殆どだ。そしてその魔物の中でもウシオニは船長である俺だけ。
自分でも分かってるんだが……人間とはかけ離れた姿をしている魔物は俺だけだ。他の鬼たちは人間の下半身だが、俺は蜘蛛の下半身。他の鬼たちの腕はスラリと伸びた人間の腕だが、俺のは毛深くて大きな手。どう見ても俺だけ異形の身体だ。
人間であるルトにとって、より化け物染みた俺の姿はどうしても怖いと思ってしまうのだろう。
「俺から近付いたら必ず逃げちまうしな……」
流石にこのままでいるのは良くない。
そう判断して自ら接しようと試みたんだが……
『ようルト!おはよう!』
『お、おはようございます!僕、朝食のお手伝いをしてきます!』
『え、ちょ、おい!……素早いな……』
『ルト、ちょっとお話しようぜ♪』
『ごめんなさい、武吉さんに会いに行くので!』
『あ!……またかよ……』
『ルト〜♪』
『お休みなさい!』
『……まだ何も言ってねぇのに……』
と、こんな感じですぐに逃げられてしまう。
怖がってるのは分かるが、こう何度も避けられるのは気分が悪いな……。
「う〜ん……まぁ時間が経てばその内怖がらなくなるようになるんじゃない?」
「待ってばかりじゃダメだ!自分からガツガツと行かねぇと、何時まで経っても距離を縮めれねぇ!」
「そう言えば奈々、ルト君に対してやけに積極的ね。そんなに気に入っちゃったの?」
「は!?い、いや、気に入ったっつーか、気になるっつーか……」
突拍子も無い美知代の発言に戸惑ってしまった。
そりゃあ気になってはいるし、可愛いと思うし、見ていて心が温かくなるし……って、何を思ってるんだ俺は!
「あら、顔を赤くしちゃって……可愛いね、奈々姫ちゃん♪」
「奈々姫って呼ぶな!よりによって人間だった頃の汚名で呼びやがって!」
「え〜?結構可愛いじゃない。奈々姫ちゃん♪」
「呼ぶなっつってんだろ!」
「奈々姫ちゃ〜ん♪」
「ぶっ飛ばすぞテメェ!!」
……自分でも驚くくらいに取り乱してしまった。
何故だろうか……ルトが船に乗ってから調子がおかしくなってるような気がする。
なんて言うか、放っとけないと言うか、構ってやりたいと言うか……。
なんだろう……一緒に居てやりたいと思うようになっちまってる。
まさか、この気持ちが……そうなのかもしれないな。
「まぁ、ふざけるのもこれ位にして……それより、ルト君については無視出来ない問題があるわね……」
「……あぁ、そうだったな……」
美知代は急に楽しそうな表情を一気に固くさせた。
そうだ……ルトには一つ重大な問題がある。それは……。
「痣に関する事は未だに話してくれないんだよな……」
「まぁ、それが一番気になるんだけど、無理やり話させる訳にはいかないからね」
「そうだよなぁ……」
ルトは何故自分が海を彷徨ってたのか……未だに分からないままでいた。
さり気なく本人から経緯を聞き出そうと何度も試みた事はあったが、それを聞く度にルトは何も答えずに黙り込んでしまうのがオチだった。ルトの身体の痣が関係してるのは明白なんだが……恐らく、余程の事でも無い限り打ち明ける日は訪れないだろう。
だが、仕方のない事だ。ルトの身体の痣は人為的なもの……つまり誰かの手によって出来てしまったものだ。詳しい事情は分からないが、この船に乗る以前に酷い仕打ちを受けたのだろう。
恐らくルトは、過去に受けた虐待によってトラウマを抱えてしまい、それを他人に話す勇気が出ないのだと思う。そんなに弱ってる状態で無理に聞き出すなんて……俺には出来ない。こればっかりはルトから話してくれるのを待つかないようだ。
「……これから出会う時が来たら慎重に接しないと……」
「……おい武吉」
「ん?」
「さっきから何を読んでんだ?」
俺の斜め前で新聞に目を通してる武吉に話しかけた。
新聞を読んで情報収集をするのは武吉の日課だが、こうも熱心に読んでる姿は久々に見た気がする。思わず独り言を呟いてしまうほど気になる記事でも見つけたのだろうか。
「ああ、教団の船が海賊によって沈められたらしいよ」
「……海賊?」
「ほら、これこれ」
武吉はテーブルの上に新聞を広げて、一面に載せられてる記事のタイトルを指差した。
『教団海軍部隊、またしても完敗!未だ衰えないキャプテン・キッドの猛威!!』
「……キャプテン・キッド……」
大き目の文字で目立つように書かれているタイトル。そしてその下には、長剣を肩に置いて不敵に笑う若い男の姿が描かれている。こいつがそのキャプテン・キッドのようだ。
キャプテン・キッド……実際に会った事はないが、この男なら俺も知ってる。
本名、キッド・リスカード……若くして大勢の部下を従えてる実力派の海賊だ。部下への指導力だけでなく、戦闘力も長けていて、奴の手によって沈められた海賊船や教団の船はかなり多い。
海賊界においてキッドの名を知らない者は殆どいないだろう。それ程の有名人だ。
「同業者として彼に対する警戒を怠ってはならない。今後会う機会があったら慎重にならなければ……と思ってね」
「確かに油断は出来ない。だがまぁ、一度会ってみたい気もするがな」
「そう言って戦う破目になったらどうするの?」
「そん時はそん時だ。返り討ちにしてやるよ」
同じ海を渡る者同士として、いずれ出会う機会が訪れるだろう。その時に戦う可能性も否定出来ない。
だが、そうなっても全力で挑む!ただ、それだけだ!
「うっし!今日の仕事は終わり!ルト君、今日もありがとな!先に上がっていいぞ!」
「あ、はい、お疲れ様でした」
何気ない雑談を交えているうちに、ルトの方はお手伝いを終わらせたようだ。アカオニにペコリと頭を下げてキッチンを出て、こちらに歩み寄ってきた。
「ルト君、今日もご苦労様。何時も手伝ってくれて助かるよ」
「いえ、そんな……」
武吉が温かい笑顔で賞賛すると、ルトは嬉しそうな表情を浮かべた。
ルトのこういった可愛らしい表情は何時見ても癒される……。
……おっと、ヤベェ。ちょっと見惚れちまったぜ。
「……よっ!」
「!……ど、どうも……」
「…………」
自分なりに明るい笑みで気さくに呼びかけたが……またしても視線を逸らされた。
……何がいけないんだ?そんなに俺の笑顔って不気味か……?
「さて……それじゃ、行こうか?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「……おい、何処行くんだ?」
武吉が椅子からすっくと立ち上がり、ルトを何処かへ連れて行こうとしたので呼び止めてみた。
「ああ、これからルト君を書斎へと案内して、今の魔物について色々と教えようと思うんだ」
「お、そうか!なんなら俺も……」
「いや、悪いけど僕たちだけでやらせてくれないかな?マンツーマンでやった方が正確に理解してくれるからね」
「……あぁ、そうかい……」
俺も一緒に行こうと思ったら、丁重に断られてしまった。
なんだよ武吉まで……つまんねぇな……。
「さ、行こうか」
「はい」
ルトは俺と美知代に目礼してから武吉と一緒にダイニングを出て行った。
その後姿は本当の兄弟に見えて微笑ましいが……妬ましいったらありゃしない。
俺だって……俺だって……!
「うふふ、ああして見ると微笑ましいわね。まるで歳の差が大きい兄弟みたい」
「…………」
「さて、武吉も行っちゃった事だし、お風呂に入ろうかしら……って、奈々?」
「…………面白くねぇ……」
「え?」
「面白くねぇ……」
「あ、あの、奈々?どうしたの?」
「面白くねぇぇぇぇぇぇ!!」
内に溜め込んでた不満をぶちまけるように天井に向かって吼えた。だが、その直後も俺の不満は微塵とも消えはしない。
「なんだよ!ずりぃよ!俺だってルトと仲良くなりてぇのによぉ!」
「ちょ、落ち着いてよ奈々……」
バンバンとテーブルを叩く俺を見るなり、美知代は呆れ顔で肩を竦めた。
正直なところ……キャプテン・キッドが何をしようと構わないし、興味も無い。それより今はルトとの距離を縮める事が最優先だ。ただでさえ余所余所しい態度を取られてるってのに……!
「美知代〜!どうやってルトと仲良くなるか考えてくれよ〜!」
「いや、そんな事言われても……」
「俺だって、俺だってルトと仲良くなりてぇよ〜!」
「ちょっと、もう……それより奈々、早くお風呂に入りに行きましょう。先ずは疲れを取らなきゃ」
美知代は俺の手を引いて風呂へ行かせようとする。だが、正直言って今はルトの事で頭が一杯で……!
……ん?待てよ……風呂?
「……そうだ……その手があったか!」
「え!?」
凄く良いアイディアが浮かんだ!
そうだ、風呂だ!これは良い考えだ!
よし!何事も実行するべきだ!つー訳で……!
「美知代、一つ頼みがあるんだが……」
「え?」
〜〜〜(ルト視点)〜〜〜
「……ふぅ……」
船の中にあるお風呂場にて……武吉さんの魔物に関する授業を聞き終えた僕は一人でお風呂に入っていた。浴場に置いてあるバスチェアに座り、スポンジで身体を洗っている最中でもある。
本当なら武吉さんも一緒に入る予定だったけど、急に武吉さんの奥さんである美知代さんが書斎にやって来て、『ちょっと夫と大事なお話をしたいから、悪いけど一人で入ってきてくれないかしら?』と言われて仕方なく一人で入る事になった。
まぁ、時間が経てば武吉さんも来てくれるよね。でも武吉さんが傍に居ないのは心細いな……。
「……はぁ……」
鏡に映る自分の姿を見て溜め息が出てしまった。
身体に点々と浮かんでる痣……武吉さんが薬を塗ってくれたお陰で少しずつ消えてはいるけど、まだ完全に癒えてない。
でも……こんな痣、早く消えて欲しい。こんなのを見る度にあの辛い過去を思い出してしまう。
思い出したくもない……あんな……あんな辛い日々…………。
『何度言ったら分かるんだ!ポンコツ!』
『口で言っても分からんのなら、その身体に叩き込んでやる!』
『お前は私の思い通りになれば良いのだよ!口答えは許さん!』
「…………」
何時も僕を罵るあの声が頭の中から聞こえてくる……。僕は気をしっかり持って、首を振って嫌な言葉を振り払った。
このままじゃダメだ……必死の思いで命からがら逃げ出して、辛い日々から抜け出したのに……ダメだ……。
「……僕……どうしたら良いんだろう……」
ふと、僕はこれからどうすれば良いのか……今更ながらそんな事を思った。
海へ逃げ出してこの船に乗せてもらってから今日で三日が経った。奈々さんに美知代さん、それに武吉さん……みんな優しくて本当に良い人たちばかりだ。
でも、これ以上迷惑を掛けたくないし……やっぱり頃合を見つけて船から降りるしかないのかな……。
「はぁ……」
「おいおい、ため息なんか吐くと幸せが逃げるぞ?」
「すいません。でも……ん?」
……あれ?僕は誰と話してるんだ?
「……え?」
前方の鏡に視線を移すと、僕の後ろに誰か立っているのが見える。黒くて毛深い蜘蛛の足が……。
って、これって……もしかして……!
「……あ……」
「よっ!」
嫌な予感がして振り返ってみると、そこには上半身をタオルで巻いてる奈々さんがいた…………。
〜〜〜(奈々視点)〜〜〜
「……うぇ!?あ、あの、なんで此処に!?」
「ルトと一緒に風呂に入ろうと思ってな!」
「え!?な、なんで急に!?」
「いや〜、同じ湯船に浸かれば親睦を深めれるんじゃねーかなーなんて思ってな」
「で、でも男の人と女の人が一緒に入るのは問題だと思うんですけど……」
「んな細けぇ事一々気にしてられっかよ!それに俺は女だが、人じゃなくて魔物だし!」
俺が突然現れてパニック状態になったのか、ルトは顔を真っ赤に染めて固まっている。
そりゃあいきなり入浴の最中に女が入ってきたらそうなるか。
でもまぁ、これでルトと二人っきり……♪
「と、とにかく僕、先に出ます!」
「え!?お、おい!」
すると、ルトはバスチェアから立ち上がって素早く駆け出そうとした。
また逃げられる……と思ったら!
ツルッ
「うわぁ!?」
足が滑ってしまい後方へ……!
「うぉっと!」
……後頭部が打たれる前に背後から受け止めてやった。
ルトの後頭部が俺の胸にタオル越しで……って、前にも同じ事があったな。
「たっははは!お前、ホントによく転ぶよなぁ!」
「……え?」
ルトは徐に振り返って俺の顔を見上げた。そして今の状況を把握したのか、顔が徐々に真っ赤に染まって恥ずかしそうな表情を浮かべる。
「ご、ごめんなさい!僕、またドジな事を……!」
「ハハハ!気にすんなよ!それより、大丈夫か?怪我は無いか?」
「は、はい。大丈夫です……」
「そっか。よかったよかった!」
ルトは体勢を立て直して俺に謝ったが、俺はルトの頭を優しく撫でてやった。
……こうして触れてみると、ルトの頭って撫で心地が良いな。しかもまだ顔を真っ赤にして……可愛いぜ♪
「つーかよ、そんなに泡塗れだから足が滑ったんだろ?ほら、こっちに来いよ。流してやるから」
「え!?いや、あの、自分でやりますので……」
「遠慮すんなよ!ほら、来い来い!」
「お、お願いします……」
「おう!」
ルトは言われた通りにバスチェアに座り直し、俺に身体の泡を流してもらう事にしたようだ。まだ恥ずかしがってるのが、座った途端に俯いてる。
やれやれ、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのによ……。
「そんじゃ、いくぞー」
「ん……」
「どうだ?熱くないか?」
「はい、ちょうど良いです……」
シャワーのお湯で身体の泡を流していく。身体の痣を痛みつけないように慎重に流していった。
「ほら、終わったぞ」
「ありがとうございます」
「いいっていいって!お〜し、そんじゃ次は一緒に湯船に入るか!」
「……え?」
俺の発言にまたしても固まってしまったようだ。
これで逃がしてくれるとでも思ってたのか……考えが甘いな♪
「おいおい、その鳩が豆鉄砲でも食った様な顔はなんだ?さっき言っただろ?同じ湯船に浸かるって」
「そ、そうでしたね……。で、でも大丈夫なのですか?」
「あ?何が?」
「あの、のんびりしてたら武吉さんが此処に来ると思うんですけど……」
「ああ、あいつなら今日は絶対に来ねぇよ。美知代に引き止めておくように俺が頼んでおいたから」
「え!?」
実は、ルトと二人っきりになる為に武吉を足止めするよう美知代に頼んでおいたのだ。風呂場ならそう簡単には逃げられないし、この時間なら誰にも邪魔されずに二人で話が出来る。
最初こそ美知代は乗り気じゃなかったんだが……ルトと仲良くなりたいという俺の意思を酌んだのか、『絶対にルト君を犯さない』と言う条件付きで承諾してくれた。でも俺だって言われなくても強姦染みた真似は絶対にやらない。それでルトの心を更に傷つけたら元も子もないからな。
まぁ、美知代だって武吉と激しくヤれるんだから悪い話じゃないだろう。
「ほら、とにかく入ろうぜ」
「ほ、本当に入るんですか?」
「当たり前だろ?そうでなきゃ俺は何の為に来たんだ?」
「そ、それは……」
「大丈夫大丈夫!間違っても無理やり交わったりしねぇからさ!」
「は、はぁ……」
俺は自ら湯船に入り、大きな蜘蛛の足で奥へ進んだ。そしてタイルの壁に背を預ける形で上半身を湯船に浸からせた。
「ほら、ルトも来いよ!」
「う……は、はい……」
もう引き返せない……そう悟ったのか、ルトはゆっくりと足から湯船の中に入って、俺と向かい合う位置で膝を抱える形で座った。
「おふぅ……ルト、湯加減はどうだ?」
「はい……気持ち良いです……」
身体の方は疲れてたのか、湯船に浸かってるルトはとても気持ちよさそうに表情を緩めた。
……腰にタオルを巻いてる所為でよく見えないが、その曲げてる足を退かしたら見えそうだな。これが所謂ちらリズムって奴か?
もうちょっと、もうちょっとでルトの男の象徴が……!
……って、エロ親父か俺は!
「あの……どうしました?」
「あ!?い、いや、なんでもねぇ!なんでもねぇぞ!」
「?」
「そ、それよりな……」
さて、落ち着いてきたところだし、ここで色々と話をして距離を縮めるか……。
「どうだ、船での暮らしには慣れたか?」
「あ、はい。大分慣れました……」
「そうか……あ、船の奴らとは仲良くなれたか?」
「はい、みんな優しくて良い人たちです……」
「そうだろ?」
「はい……」
「……なぁ」
「は、はい?」
多少歯切れが悪いが、受け答えはしてくれる。
まぁ、それは何時も通りなんだが……。
「……なんで目を逸らすんだ?」
「え……いえ、あの、逸らしてましたか?」
「思いっきり逸らしてるぞ」
「え?いや、その……」
さっきからずっと俯いてばかりで、俺と目を合わせようとしない。それに心なしかほんのりと頬が赤く染まってるように見える。
あ、もしかしたら俺の身体を見て興奮してきちゃってるとか……それは無いか。
「どうしたんだ?具合でも悪いか?」
「いえ、そう言う訳じゃ……」
ちょいと一歩だけ前に進んでルトの顔を覗き込むと、ルトはさらに深く俯いてしまった。
恥ずかしがってんだか、怖がってんだか……どちらにしろ、こっちを見て欲しいものだ。
……じれったいのは好きじゃねぇ。言いたい事はちゃんと言わねぇとな。
「……そんなに……俺が怖いか?」
「え?」
静かに問いかけると、ルトはようやく俺の顔を見上げた。
「やっぱり俺って怖いか?こんな異形の身体……不気味に見えるか?」
「そ、そんな事……!」
「お前だって俺を避けてるみたいだし、怖いなら怖いって正直に言ってくれた方が……」
「怖くないです!」
ルトは急に大声を上げて俺の言葉を遮った。突然の出来事で不覚にも戸惑ってしまったが、ルトは俺を見上げたまま話し続ける。
「た、確かに初めて会った時は驚いたけど……今は怖いとは思ってません!不気味なんかじゃないです!」
「……本当か?」
「はい!奈々さんは、その……元気で優しくて、とても綺麗な女性です!」
「な!?」
綺麗……俺とは無縁に思える言葉を聞いて驚いてしまった。
生まれてこの方、綺麗なんて言われた事が無かった。こんな、ガサツで気性の荒い俺が……そんな……。
「……ま、参ったな。俺が綺麗とか……たっははは!」
とりあえず笑って誤魔化したが……有り得ないくらいにテンパってるのが自分でも分かる。多分顔も真っ赤になってるだろう。
……おっと、変に照れてる場合じゃなかったな。
「えっとな、じゃあなんで俺を避けてるのか聞きたいんだが……」
「……ごめんなさい。避けてるつもりは無かったんです。僕だって、奈々さんの事は嫌ってなんかないですし、仲良くなりたいですし、その……えっと……」
「?」
俺を避けてる理由を訊いてみたが、ルトはまたしても視線を逸らしてしまった。
理由については言いにくいのか言葉を濁らせている。正直に言うべきかどうか迷ってるようにも見える。
だが、ルトが言うには俺の事は嫌いじゃないし、仲良くなりたいとも思ってくれてるようだ。果たして真意はどうか……。
「なぁ……俺の事は嫌いじゃないって、本当か?」
「は、はい!」
「仲良くなりたいってのも嘘じゃないんだな?」
「はい!」
ルトの目をジッと見て問い質す。対するルトも俺の目を見返してハッキリと答えた。
目を見れば分かる。その答えには嘘も偽りも無い……!
俺の肩に乗っかってた主にが何処かへ飛んで行った。
「そうかそうか!いやぁ、良かった〜!」
「え?」
「俺さ、もしかしたらルトに嫌われてるんじゃないかって思ったんだが、そう言ってくれて安心したよ!」
俺はキョトンとしてるルトの頭にポンと手を置いた。
「まぁ本音を言えばな、詳しい理由も聞きたいところだが、言い辛いんだったら言わなくていいさ」
「奈々さん……」
「でもな、今度からは避けるのだけは止めて欲しい。本当に俺と仲良くなりたいんだったら、キチンと向き合ってくれよ。そうしてくれた方が俺も嬉しいからな!」
「……はい!」
ようやくルトが笑顔を見せてくれた。子供らしく可愛くて温かい笑みだ。やっぱり何時見ても癒される。
これで少しはルトとの距離を縮められたかもな……。
「う〜し!もうちょい温まるか!」
「わっ!?」
俺はルトの隣に移動して、ルトの肩を抱き寄せた。
「ど、どうしたのですか……?」
「スキンシップだ」
「ス、スキンシップって……」
「こうやって触れ合うのも立派なスキンシップだろ?」
「あ、あの……」
俺に抱き寄せられてるルトは恥ずかしそうにしてるが……俺にはルトが何を言いたいのか分かってる。
当たってるもんなぁ……胸が。
「ほら、もっと引っ付いて良いんだぞ?」
「うぅ……」
引き寄せる力を少しだけ強めて身体を密着させる。身体が温まってきたのか、気恥ずかしくなったのか、どちらにしろルトの顔が更に赤くなった。
こういった可愛らしい表情を見て俺はつくづく思った。
ルトは……このまま船に乗り続けるのか?
俺はそれでも構わない……いや、寧ろそれを望んでるのかもしれないな……。
「…………」
「あの……どうかしました?」
「いや、なんでもねぇよ」
ルトの身体の温かさは、風呂のお湯とは比べ物にならないくらい気持ち良い。
こうして触れ合ってるだけで……今までに無い心地よさに包まれてるように感じた。
13/02/13 20:16更新 / シャークドン
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