前編
俺には幼馴染がいる。
家が隣で、誕生日は近いけど学年は一つ上の女の子。
容姿端麗、学業優秀、才色兼備、品行方正・・・
そんな四字熟語がズラリと並ぶであろう、完璧を絵に描いたような幼馴染がいる。
家が近かったこともあり、それなりに仲は良かった・・・と、普通ならば思うだろう。
でも現実はそうはいかない。小学校こそ同じだったが、声をかけても素っ気ない態度。
他のクラスメイトより接する機会は多かったとは思うが、相手になんてされなかった。
無表情を貫き、笑顔に至っては一度も見たことがない。
一言でいうなら『クールビューティー』。付いたあだ名が『氷の姫』。
そんな感じの、ただ家が近いだけの女の子であった。
小学生の頃の俺は、彼女のことが気になってしょうがなかった。
そりゃ、近所に綺麗な子がいるんだから、男としては気にしない方がおかしいってもんだ。
綺麗なのは当たり前。なぜなら彼女は『魔物娘』という存在であったから。
加えて頭も良くて、身なりもちゃんとしている所謂お嬢様であったから、それはもうモテたモテた。
勿論告白する奴だっていた。上級生も下級生も、彼女に夢中になる奴は多かった。
でも、結果は男側の惨敗。誰ひとりとして、彼女の心を動かす奴なんていなかったのだ。
その時の俺は、堂々とした怖いもの知らずのワンパク坊主・・・というのが建て前。
本当は、プライドだけは一人前の、好きな女の子に告白もできないようなヘタレだった。
何度も彼女を遊びに誘ったが、断られる。挨拶してもこっちは見ない。会話なんかは続かない。
振り返ってみると、よくもまああんなに熱心になれたもんだと感心するよ。
誕生日が近かったこともあって、学年が違くても気軽に話しかけてたなぁ。
読書にふける彼女の近くに勝手に座って本を読んだり、一人静かでいるところにちょっかい出したり。
幼馴染という特権を使って、何だかんだで近くにはいたと思う。
反応こそ冷たかったが、割と楽しかった。それだけで十分だったんだ。
中学生になる頃には、別々の学校になっていた。
頭の出来も違うからな。彼女は有名な進学校で、俺は普通の一般校。
小学校の卒業に合わせて、それからは彼女との接点もめっきり減ってしまった。
お隣さんだから、たまに見かけるってくらい。そのくらいまでに減っていた。
俺が勇気を出して、「お前のことが好きなんだ!」と熱い告白をぶつけられていたのなら。
好きな子に好きだと言えないヘタレでなかったのなら。
俺の中学生生活はいくらか変わっていたのだろうが、今はもう確かめる手段も術もない。
別に、悲惨な中学3年間を過ごしたわけではないし、彼女がいない生活でも十分に充実していたはずだ。
性格もワンパクから冷静さが生まれ、流行にチャラついた中学男子になっていた。
友達も普通にいたし、女子からもそれなりにモテた。
勉強はそれなり、部活はスポーツに打ち込み、自由に楽しく毎日を過ごしていた。
それでも、気になる異性。一般的に言う『カノジョ』ができなかったのは、俺がどこかで彼女のことを忘れられずにいたからなのかもしれない。
そんな俺は今や高校生。
試しにと受けてみた、家から近めのちょっと高めの偏差値の学校を受験し、それにめでたく受かった高校生だ。
ただ、一つ予想外だったのは・・・
その幼馴染が同じ学校で、俺が幼馴染の率いる生徒会に、会長権限で半強制的に生徒会庶務として務めることになったことだろうか。
「・・・何こっちを見ているの?仕事は終わったのかしら?」
「お、おう・・・悪い」
俺が何故、そんな幼馴染のことを振り返っているのかというと。
今いるこの状況の原因がなんなのかを探り、自分を必死に納得させようとしているからだったに違いない。
入学当初、輝かしく自由な高校生活が待っているはずだった俺の気持ちは、この目の前にいるグラキエスの幼馴染『雹ヶ峰夕雪(ひょうがみね ゆき)』に見事粉砕されてしまった。
正直、生徒会とか中学の時にもあったけど、俺はそんな面倒な役割を引き受けるつもりはなかった。
自由に楽しく毎日を生きる。それが俺のモットーである。
だが俺は、面倒くさくて仕方ない生徒会の雑務を、先輩で生徒会長な幼馴染の命令によってこなさないといけない状況にある。
そんな状況に対して、勿論少なからずの怒りも含まれているのだが、俺が感じているのはひと呼吸どころか数日くらい心の整理の時間が欲しくなるほどの『戸惑い』と。
「こちらを見ている暇があるのなら、さっさと仕事を終わらせなさい。見られてるとテンションあがっちゃうから」
彼女の言動の端々から感じざるを得ない圧倒的『違和感』である。
・―・―・―・―・
「はぁー・・・」
「おうどうしたひばりーん。ため息なんかついてー」
4限目も終わり、昼休みに入る頃。
俺のため息に反応して、前の席に座っていたクラスメイトの『笹森成樹(ささもり なるき)』が話しかけてきた。
俺の名前、『天村雲雀(あまむら ひばり)』を勝手にあだ名で呼ぶ、気のゆるーい友人である。
「いや、今日も昼休みが来たなって思ってな。あとひばりんはやめろ」
「昼休みがない学校なんてやってらんねぇだろ。何を当たり前のこと言ってんだか」
「お前・・・俺の言いたいこと分かってるはずだろぉお!」
「分からねーわ。あんな美人の会長さんと一緒にいられてため息つく心境なんて分からねーわー」
あだ名に関する要求はあっさりと無視された。そして、この友人は何も分かっちゃいない。
生徒会長である雹ヶ峰は昼休みに・・・というより、事あるごとに俺に仕事を手伝わせるのだ。
俺、別に生徒会に入ってるわけじゃないのに・・・と最初は思ってたら、この前生徒会名簿確認したら庶務の欄に俺の名前があった。勘弁してくれ。
そんな訳で、会長直々の指名により俺は生徒会の一員として仕事をしているんだけども・・・
たとえ美人の会長と一緒にいるからといって、何かがあるわけでも仕事が捗るわけでもない。
それに美人だとしても、俺としてみれば一人の幼馴染だ。
中学三年間は接点がなかったとはいえ、小さい頃から知った仲。
なんにも起こりようがないってことは・・・嫌ってほど分かってんだよ。
「お前も幼馴染とかいたら、おんなじ心境になるんだろうよ」
「どうだかねー・・・おっ、今日も来たんじゃねーの?」
そんな会話をしていると、廊下からざわついた声が聞こえ始める。
噂をすればってやつだ。来ることは分かりきってはいたけどよ。
「こ、こここんにちは雹ヶ峰会長!」
「今日もクールで素敵ですねっ・・・!」
「会長!どちらへ行かれるのですか!?」
「キャー!会長〜握手してください〜!!」
「雲雀君。いるかしら?」
「いますとも!友人と絶賛会話中のようです!」
「天村ぁ!会長がお待ちだろうがぁあ!!」
取り巻く生徒たちの海をモーゼの奇跡のように割って教室へ入ってくる。
廊下や教室からは会長への憧れや畏怖の目、俺に向かっては嫉妬や諦念のこもった視線が刺さる。
彼女はそんなことを気にも留めずに、水晶のように透き通った綺麗な髪をなびかせ、こちらに向かって悠然と歩いてきた。
「騒がしくしてごめんなさいね。雲雀君借りていくけれど良いかしら」
「いやいや〜お構いなく。別に返してくださらなくても大丈夫ですよ〜って」
「いつ誰がお前のものになったよ。本人の気持ちは?無視なのか?」
「私としても友人との気散じな時間を邪魔するつもりはないわ。別に無理して付き合ってくれなくても結構よ?最もそのあと泣き腫らすと思うけれども」
「そんなにかよ・・・」
実際に一度断ったことがある。そん時は、午後の授業までに提出しなければいけない課題が残ってたから。
前日にやっとけよって話だけど忘れてた。それに数学の楠先生、宿題忘れると怖ぇんだよ・・・
その日の放課後には、彼女の親衛隊と思わしき生徒から問い詰められた。
目が真っ赤になって目蓋がはれていたそうだ。その時は心の底から驚きと罪悪感でいっぱいだったよ。
俺としても女子に泣かれるのは無条件で心苦しいし、何より昔から好きな幼馴染だ。
表立っては絶対言わねぇけど。
でも女の涙を使われるのは、ある意味脅迫にしか思えない。
今まさに彼女の声が震えているのも流石に演技だと思いたい。
「別に断りゃしねぇって。宿題とか忘れてなければ」
「そう?ならさっさと行くわよ。待ち遠しくて浮き足立っているのだから、早くしなさい」
「へいへい、と・・・って、足が浮いてるのは元からだろ」
「このままだと天井にぶつかってしまうわ」
「そんなに浮くの!?」
それと、素直なんだかそうじゃないんだか分からない彼女の言動を。
一体どう受け取ったらいいのか分からない心境に悩まされながらも、今日も彼女に付き従うのだった。
・―・―・―・―・
「はい、これ。今日の分よ」
「お、おう。サンキュ」
昼休みに生徒会の雑務を手伝うわけだが、腹が減ってはなんとやら。まずは飯が先だ。
普通だったら購買部でパンを買って飲み物を買って・・・となる状況なんだが。
雹ヶ峰はいつも弁当を『二つ』用意してきている。
一つは紛れもない雹ヶ峰自身の分。そしてもう一つは・・・
「・・・いただきます」
「ええ、いただきます」
俺の分だ。
最初はわけが分からなかった。普通ただ仕事が一緒な男に、わざわざ弁当を作っておくだろうか。
まあ流石に庶務とはいえ付き合わせて申し訳なさとか感じているのかなーとか思っていたが。
よくよく考えてみれば申し訳ないとか感じる奴じゃないことは俺がよく知っていることだった。
だが、今更理由とか聞けるわけがない。最初に聞いておくべきだった。
自然体で渡されて、聞く機会を逃してしまったのは俺の責任だけではないだろう。
聞いたところで答えてくれるかどうか・・・いや間違いなく答えてはくれるだろうが。
期待した答えなんて返ってはこないだろう。きっと料理の実験台くらいにしか思っていないはずだ。
そもそも、これを彼女が作ったという事実すら判明していないんだ。
彼女の母親とかがいつも作りすぎて二つ分持ってきているのかもしれないし、元々お弁当を二つペロリと平らげるほどの食いしん坊キャラに俺の知らない3年間で成長したのかもしれない。
・・・色々と考えはしたが、自分の頭の中だけで答えなんか出るはずもない。
いつも貴重な昼休みを返上して生徒会の仕事をしてるんだ。
昼飯代が浮く、と考えて俺は純粋にこの美味い弁当の味を今は楽しんでいればそれでいいんだ。
「・・・おっ、うんめーなこの卵焼き。俺の好きな味だ」
「んぐっ!?」
「ど、どうした。どっか変なとこ入ったか?」
「・・・何でもないわ。気にしないで」
「・・・だったら何で急にそっち向いてんだよ。いつもこっちの顔見ながら飯食ってるってのに」
「何でもないって言ってるでしょう?口角が戻らないだけよ」
「それはそれで問題じゃねぇか!?」
「いいから早く食べなさい。嬉しさのボルテージがカンストしただけ。心配されると余計に舞い上がっちゃうんだからやめて」
「え、あ、おう。悪かった、よ・・・」
・・・やっぱり何考えてるのか、分っかんねぇな・・・
こういう、何か突然よく分かんねぇ行動をとる時がある。そして、それは大概俺絡みということだ。
勿論普段はしっかり者の生徒会長様だ。何事にも迅速対応、完璧にこなす。
だが、俺が入学してきてからは何故か失敗することも増えてきたらしい。
ロボットみたいな完全無欠生徒会長も、やっぱり一人の女の子だった、ってことで余計に人気も増したようなんだが。
・・・幼馴染だってのに、よく知っているつもりだってのに。分かんねぇことだらけだ。
ま、普通はそんなもんなんだろうな。知らないのが当たり前か。
「・・・急に褒められると、濡れるわね」
「えっ?」
「何でもないわ。それよりも今日も頑張らないと帰れなくなるわよ」
「いつも頑張ってんだけどな・・・生徒会っていつもこんなに仕事が多いもんなのか・・・?」
「・・・・・・・・・そういうものよ」
「そういうもんか」
何だ今の間は。
俺だって妄想たくましい思春期男子。
そういう意味ありげな些細な行動だけでも、そういう気があるのでは?と勘違いしちゃうだろ。
例えば、俺と一緒にいたいから、いつもわざわざ仕事を残しておくの、とか・・・
残ってる仕事だって、会長一人いれば十分じゃね?って内容も多いし・・・
ダメだこういうの。俺らしくもねぇ。
勝手に勘違いして舞い上がるのは俺の悪いところだ。
彼女に限って、雹ヶ峰に限ってそんなことあるはずない。
・・・あるはずがねえんだよな。自分で考えててちょっと落ち込んでくる。
「・・・どうかしたの?箸が止まっているわ。苦手なものがあった、なんてことはないはずだけれども」
「いんや、別に。考え事してただけだ。・・・てか俺だって苦手なものくらいあるぞ。例えば」
「納豆やオクラみたいな粘り気のあるものが苦手だったわね」
「そうそう・・・いや何で知ってんだよ。教えた記憶なんてないぞ」
「心外ね。私を誰だと思っているの?生徒会長が生徒の知らないことなんてあるわけないじゃない」
「・・・じゃあ、隣のクラスの岩倉の好きな食べ物は?」
「そんなの知るわけないじゃない」
「おいっ!数秒前と言ってること全然違ぇんだけど!?」
「冗談よ。誰でもってわけじゃないわ。個人情報を少し知ってるだけ。それに雲雀君くらいよ、覚えているのは」
「何で俺限定・・・」
「あとは身長176cm、体重63kg、誕生日は4月5日、好きな食べ物はハンバーグ、趣味はゲームや音楽を聞くこと、最近新しいゲームを買ったわね?部活は入ってないけれど、中学校はバスケをやっていたからそれなりに筋力はあるみたい。意外なことに裁縫が得意らしいわ。最近のマイブームは」
「俺の個人情報だけ漏れすぎじゃねぇっ!?」
・―・―・―・―・
「雲雀君。帰るわよ」
「あー、はいはい」
そんなこんなで時間が経つのは早いもんだ。
授業をそれなりに聞いて、眠気と戦っているうちにもう下校の時間である。
長く苦しい戦いだった・・・
だが俺にはまだ別の戦いが残っている。戦闘というほど身構える必要はないんだが・・・
相手が相手なだけに、心に余裕はないと言っておこう。
「おー、今日も夫婦でご帰宅ですかい?」
「うるせぇよ成樹。てめぇ分かって言ってんだろ」
「ちょっと笹森君」
「え、ぐえっ、何でしょうか雹ヶ峰先輩・・・」
ハッ、成樹の奴、ざまーみろだ。
雹ヶ峰に教室の隅に引っ張られていきやがった。
お説教なら長くなりそうだ・・・そうだ、先に帰るのもありかな・・・
そうと決まればさっさと帰る準備を済ませよう。そうしよう。
「・・・貴方、中々良いこと言うわね。褒めても何も出せないわよ。私雲雀君専用だから」
「あー、俺としては、あいつの親友としてさっさとくっついてくれた方がもやもやしなくて済むんですけどね」
「・・・まさか貴方も」
「何でそうなるんすか。俺はちゃんと女の子大好きですから。見ててもどかしいんすよあいつも先輩も」
「・・・・・・・・・」
「別に急かすつもりはないですけどね?先輩にもペースってもんがあるでしょうから。でも流石に限度はあると思いますよ」
「・・・ご期待に添えるよう、善処するわ」
「ま、頑張ってください」
「雲雀君。私を置いてどこへ行くつもりなのかしら?」
「ヲ!?え、えーと、お話が長引くようなら邪魔にならないように先に退散していようかなーなんて」
「話なら今終わったわ。・・・そんなに私と帰るのが嫌なら素直にそう言えば」
「違うわ!嫌だったらはっきり言うからな!」
「そうね。雲雀君は昔からそうだものね」
どうやら先に帰るのは失敗したようだ。
事実、雹ヶ峰と一緒に帰るのは嫌なことじゃない。正直に言えば、好きな子と帰れるなんて、頬をつねって現実かどうかを確認したいくらいなんだ。
それでもあれだ。好きなものでも食べ過ぎると、ちょっと間を置きたくなるようなあれだ。
しかも家が近所だから、最後までたっぷりだ。時間的な意味でも。
嫌いになることは絶対になくとも、流石にお腹がいっぱいである。
何とも贅沢な悩みなんだろうがな。
「それじゃぁ笹森君。さようなら」
「じゃーな、成樹。また明日」
「おう、サラダバー!
・・・本当に、あれで付き合ってないってんだから驚きだよなぁ・・・はぁ」
・―・―・―・―・
雹ヶ峰と帰るのは珍しいことじゃない。というより毎日だ。
俺が帰るのを測ったように現れるので、逃げられた試しがない。
というよりすでに逃げる気なんてほとんどおきない。さっきのも冗談みたいなものだ。
・・・あわよくば、という願望もあったりする。何故かと言うと・・・
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
下校中はこのように、ほとんど無言だからである。
本当に、何で俺とそんなに帰りたがるのか、疑問が拭えないレベルだ。
何気ない会話とかをふとした拍子にするくらいで、しゃべることがない。
別に俺が話すのが苦手だ、とかそういうんじゃない。コミュ力がないとかでは決してない。
・・・学校にいる間に、話題が尽きてしまうんだ。
対策を講じたこともあったが、学校にいる間にすべて話しきってしまうことが多い。
おかしいな。昼休みと合間の休み時間と放課後くらいしか会ってないはずなんがな・・・
まあ、この無言の時間も、決して嫌ではないという自分がいるのが救いではあるんだが。
好きな子と何も話さずに帰るのってどうなの?という気持ちがある自分と板挟みだ。
つまらない奴とは思われたくないっ!という今更ながらのちっちゃいプライドである。
我ながら無駄な葛藤をしていると思う。
つまらない奴であることなんてことはすでに、雹ヶ峰にも伝わってしまっているだろう。
「ねぇ、しりとりでもしない?」
「へっ!?べ、別にいいけどよ・・・」
そんなことを考えている間に、向こうから気を使われてしまった。
これまたしりとりという、暇を潰すためだけにあるような遊びの提案だ。
まったくもって情けない限りだ。・・・しかし、雹ヶ峰からこういう話題を振ることは珍しい。
いつもなら俺から苦し紛れに話の種を撒くくらいだ。それを二人で膨らましていくのだが。
折角の申し出を断る理由もないし、それにしりとりなんて小学生の時以来だ。
ちょっとわくわくっつーか、ドキドキしてるのは、俺がまだまだ子供だからなんだろうかね・・・
「じゃあ私から。しりとり」
「んー、リス」
「好き」
「ボフォッ!?ごほ、げっほ!」
雹ヶ峰のとんでもワードに俺は吹き出す以外の反応ができなかった。
しりとりで動詞はないだろう。違う、そうじゃなくて。
「おまっ!?今、なんて・・・」
「好き、と言ったのよ。ほら、『き』よ?」
「・・・いやこれ・・・分かったよ。『き』だな?えーっと・・・」
動詞とかありなの?と聞きそうになったが、スキという二文字だけでも色んな意味があることにここで気付く。
隙、鋤、空き・・・結構ある。
文字通り「好き」という意味で捉えてしまったら、それこそ俺は恥ずかしい奴になるだろう。
それだけは避けたい。なので、とりあえず気にせず続行。
向こうも吹き出したのには気にしていない様子なのが幸いだ。
「き・・・キテレツ」
「つわり」
「・・・理科」
「片想い」
「井戸」
「どうなってもいい」
「はぁっ!?」
「『い』よ」
「〜〜っ!いー、いくらっ」
「ラブ」
「ぶ、ぶどう!」
「うさぎ」
「ギター。伸ばしアリで『あ』だな」(やっと普通の単語が・・・)
「愛してる」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!??///」
もう勘弁してくれぇ!!
何なの!?なんなのこれ!?
新手の羞恥プレイかなにかか!!?
同じ文字攻めとかそういうんなら分かるけど!これしりとりだからね!?
こんなにしりとり続けんのつらいって思ったのは初めてだよっ!!
雹ヶ峰の口からそんな単語聞けるなんて思ってないから!!
平常心でいる方が難しいよ!!もう心臓バックバクだよ!!顔真っ赤だよ!!
これも全部策略だとしたらもう流石としか言いようがないね!!
効果はバツグンだよ!!あーチクショウ!
「どうしたの?『る』よ」
「る〜っ!る〜っ!るーるるるぅぅぅ・・・!」
必死に絞り出そうとする『フリ』をする。
顔も雹ヶ峰には絶対に向けない。全力で隠す。
狐でもきそうな勢いで誤魔化すが、限界だ。
落ち着け俺。これはたかがしりとりだ。本気の言葉じゃない。
落ち着け俺。これはただの暇つぶしだ。本当の言葉じゃない。
落ち着け俺。大丈夫。落ち着け、落ち着け・・・
そんな俺に救いの手を差し伸べるかのように、見慣れたものが見えてきた。
おそらく初めて思ったであろう、愛すべき我が家である。
そう、家に着いたのだ。それはつまり。
「あー!!残念だなー!!もう家に着いちまうなー!!!!」
「そうね。でも決着がついてないわ」
「しりとりで決着とかそれこそ何時間かかるんだよっ!!
着くまでに俺が言えなかったから俺の負けでいいよ!あー残念だなー!!」
「何?逃げる気なの?私は何時間しりとりしていても構わないのだけれども。・・・貴方となら」
「よーし!じゃあ今日はここまでだなー!!また明日!!」
「ちょ、ちょっと。あっ・・・」
俺は家に駆け込む。それこそ、雹ヶ峰から逃げるように。
焦りながらドアを開け、分かりやすいくらい乱暴にドアを閉める。
俺はもう家に帰ったんだ、ということを雹ヶ峰に突きつけるかのように。
玄関のドアに背を預けながら、俺は全身の力が抜けるように床へとずり落ちた。
「何してんだよ・・・俺」
明日どうやって顔を合わせたらいいか。俺はそればかりを無意味に頭の中で回していた。
・―・―・―・―・
「少々、やり過ぎてしまったかしら・・・」
『彼』が力強く閉めた玄関の扉を見ながら、私は立ちすくんでいた。
しりとりに託けて私の気持ちを言ってみる作戦は、どうやら失敗してしまったことを今の私の置かれた現状が物語っている。
「駄目ね、本当に。・・・こんなんじゃ、ダメ」
私は自分の家のドアを開け、すぐに自室へと向かう。
制服のままベッドに身をゆだねて倒れこむ。どうしようもない気持ちばかりがこみ上げてくる。
あの日、自分の気持ちに気付いた時から、私も胸は苦しくなるばかり。
素直になるとそう決めた日から、私の心はさらに焦がれていく。
机の上に立てられた写真立て。『彼』の映った写真を見ながら、私は今日もつぶやくのだ。
「好きよ、雲雀君。私は、貴方が、好き・・・」
彼がいないところではいくらでも言える、好意の言葉。
しかし、彼には届かない。
当たり前だ。私が彼に伝えるだけの度胸がないのだから。
「雲雀、くん・・・んんっ・・・ふぅぅっ・・・♥」
言葉にすると、体がどうしても反応してしまう。
私の秘所から雪解け水のように、止めどなく愛液が溢れてきてしまう。
だから、学校では言えない。伝えられない。
でも、そんなのはただの言い訳。
「雲雀君っ・・・あぁっ♥ ひばり、くん・・・んぁっ、あっ・・・あぅ・・・♥」
私があと一歩を踏み出せないのは、私の氷が融けきっていないから。
中途半端なところで、貴方と離れてしまったから。
それを言い訳にしている、私の心が臆病だから。
彼の『本当』の気持ちを、知るのが怖いから。
「好き・・・好きなの・・・・・・大好きなのっ・・・」ポロ、ポロ
どうか、お願い。
私の想いに。
気づいて・・・
・―・―・―・―・
「ぶえっくしゅんっ!ずびっ・・・あ゛ー、頭いてぇ・・・」
次の日の朝。俺は盛大なくしゃみと頭痛で目が覚めた。
今まで生きてきた中で最悪の目覚めだ。高熱で体が死ぬほどだるい。
あの後、俺は頭を冷やすために冷水シャワーを思いっきり浴び続けていたわけだが。
そんな馬鹿なこと続けてたら風邪を引くなんてこと、馬鹿でも分かることで。
その馬鹿は見事にベッドに横たわるしかない状況を作り出していた。
「はぁー・・・」
もうため息しか出ない。なんとまあ情けないことか。
学校には親から連絡済み。今日は丸一日休むこととなった。
しかし、うちは共働きなので医者には夕方に自力で行けたら行くことになっている。
何かあったら無理をせず仕事場に電話をかけるように念を押されたが。
正直、今の体調では病院とか診療所に行けるかどうかすら分からん。市販薬で熱が下がることを祈ろう。
小さい頃から病気とはほぼ無縁だったためか、突然こんな大風邪をこじらせたことに、両親もひどく心配していた。本当に悪いことをしたと思っている。
(・・・今日だけは、あいつの顔見ねぇで済むから、いいのかも知んねぇけどよ)
こんな時でも思い出されるのは、幼馴染の顔。
いつでも無表情で落ち着いた、感情の感じ取れないような表情。氷のような冷たい目。
それらが容易に想像できた。
(雹ヶ峰のことだ。俺のことなど露ほども心配しちゃいねえだろ)
それに昨日あんな別れ方をして顔を合わせづらかったから、日を置けば何食わぬ顔でいつものように会うことができるだろう。
その考えだけが、俺に安らぎを与えてくれる唯一の方法だった。
だが、慣れない風邪を引いて、精神的に参っているのだろうか。
毎日見ていたあの顔を今日は見ることができないと思うと、妙に寂しく、心細かった。
「・・・げほ!ごほ!あーもう、寝よ寝よ・・・」
頭痛が酷すぎて寝付けないが、動くことのできない俺は無理やり寝付こうと、懸命に目蓋を閉じて、何も考えないように努めるのだった。
・・・・・
(・・・ん?誰か、いる・・・?)
意識が朦朧としながらも、不慣れに立てられた物音に気が付いて目が覚めた。
頭がズキズキと鈍い痛みを発している。額を抑えるが、まだ熱は下がっていないようだ。
時計を見ると針は12時を指し示していた。
確か最後に見たのは7時だったから、何だかんだで5時間は眠れていたらしい。
(母さんか・・・?いやでも、昼に帰ってくるなんて聞いてないし・・・)
カチャカチャと何かが擦れる音がする。まさか泥棒か・・・?
様子を見に行きたいところだが体を起き上がらせることすら億劫だ。
もし泥棒だとしても撃退させる体力すらない。返り討ちにされるのが落ちだろう。
自室は二階だ。滅多なことがない限り、上がっては来ないはず。
しかし、そんな考えは無駄だったようで、不意に自室のドアが開かれた。
階段を登る音なんて聞こえなかったよな。
ぼんやりとした頭で意味なく浮かんだ疑問は、すぐにその答えを見せた。
足音などするはずもないだろう。
部屋に入ってきたのは、足が地についていない様子の雹ヶ峰だったのだから。
「ひょう、が、みね・・・?」
「雲雀君!目が覚めたのね?具合はどう?どこか苦しいところはない?」
俺が起きたことに気がつき、慌ただしくすぐにベッドの傍まで駆け寄る雹ヶ峰。
信じられないことに、その表情はとても心配そうな顔だ。
そう見えるのは熱が見せる幻なのかもしれないが、それよりも何でここに彼女がいるのか。
すでに頭が追いついていなかった。
「なん、で・・・?学校は・・・?」
「雲雀君が風邪で休んでいると聞いて、飛んできてしまったわ。いてもたってもいられなかったの」
「どうやって、家ん中・・・」
「チャイムを鳴らしても出てこなかったから、緊急事態だと思って。氷の合鍵を作らせてもらったの」
手には家のものと同じ形の氷の鍵が握られている。
法律に触れるような非常識なことはどんな時でもしないと思っていたが、それだけ必死に思ってくれた、という解釈が取れなくもない。
俺が知っている雹ヶ峰の性格上、それが意外で仕方がない。
まるで学校よりも俺のことが大事という風にも聞こえる心配の言葉は、病魔で弱った心に優しく染み渡った。
嬉しくて顔が熱くなっている気がする。俺は今一体どんな表情をしてるんだろ。
恥ずかしさもあって、雹ヶ峰の顔を直視できねぇ。
「まだ熱があるわ。氷枕、用意するわね」
雹ヶ峰は指をパチンと鳴らすと空中に氷の塊が出現する。
それを手に持っていた袋に入れ、瞬時に氷枕を作ってしまった。
鮮やかなその手つきは、とても綺麗で。美しいとさえ思う。
俺はゆっくりと首を持ち上げ、氷枕に頭部を預ける。
ひんやりとした丁度良い冷気が気持ちいい。
「ありがとな、雹ヶ峰。楽になったよ・・・」
「どういたしまして。私としては早く元気になってもらいたいものだわ。つらそうにしている雲雀君なんて見たくないもの」
「・・・そう言ってもらえるってのは、やっぱ嬉しいね」
「そうだ、お粥作ってたの。台所を勝手に借りて悪いとは思っているけれど・・・
食欲はあるかしら?起き上がれる体力があるのかしら?」
「あー、雹ヶ峰の顔見たら、腹減ってきたよ」
「そう。じゃあ持ってくるわね」
雹ヶ峰は急ぎ足で台所まで向かい、そしてすぐにお粥の入った器を持ってきた。
世話をしてもらってる身で不謹慎ではあるが、あの雹ヶ峰が忙しなく動いているのを見ると、何だか可笑しい。
手には鍋敷き。よく見ると制服の上にエプロンもしている。
「あー、その。ごほっ、大丈夫なのか?火の、扱いとか」
「グラキエスの氷はそう簡単には融けないわ。むしろ冷やさないように苦労した」
お粥にはあったかそうな湯気が立ち込めていた。
美味そうな匂いにつられて、お腹も鳴り出す。
器に触れると熱すぎず、持ち続けても大丈夫そうな温度。
量もそれなりだし、これなら無理せず食べきれそうだ。
「それじゃ、いただきまー」
「大丈夫?本当に大丈夫なの?無理してないわよね?無理して起き上がって食べなくてもいいのよ?器とかちょっと重いかもしれないわね。手が震えて落とすといけないわね」
「いきなりどうしたんだよ・・・大丈夫だって今は」
「私ったらいけないわ。病人に無理やり起き上がらせて食べるなんて。だから仕方がないの。いえ当たり前のことなのよ」
雹ヶ峰はちょっと慌てた様子で何か自分を正当化させるように、言い聞かせるように早口でブツブツと唱えている。
そして、さっと俺からお粥を取り上げると、一口分レンゲにすくって、俺の口の前に突きつけた。
「だから、私が食べさせてあげる」
「・・・は?」
「こぼしたらいけないから。ね?ほら、冷めちゃうわよ」
彼女は自分の口元に近づけてふーふーとお粥を冷ましてから、再び俺の前に突きつける。
・・・これって、いわゆる『あーん』ってやつ?
待ってくれ。色々起こりすぎて心の準備ができてねぇ!
「い、いやいや大丈夫だって!げほっ!自分で食えるってば!」
「ふぅん。そう。なら口移しとかでも良いのよ」
「普通に食べさせてくださいお願いしまぁす!げほっ!ごほっ!」
「・・・・・・じゃ、口を開けなさい」
『あーん』は回避できないようなので素直に諦めることにした。
逃げ場がないし、口移しなんて、流石に冗談だとは思ってるけど・・・
熱のせいか、そんなこともあり得るかも、などと思ってしまっている自分がいる。
それに、ちょっと咳が出てきてしまったのが効いたのか、向こうもこちらの言い分を通してくれたみたいだ。素直に現状に甘えることにしよう。
このシチュエーションにちょっとだけ憧れていたこともあったが、まさか自分が体験する羽目になるとは・・・
すっげぇ恥ずい・・・熱が上がんなきゃいいけど。
「んん、あぁ美味い」
「当たり前じゃない。誰のために作ってると思ってるの?」
「・・・そこは誰が作ったと思ってるの、じゃないのか」
「レシピ通りに作ってるんだから誰が作っても同じに決まってるでしょう。愛情という調味料を加えたけれども」
「・・・むぐむぐ。いい塩梅だ。塩味もあって食いやすい」
「・・・・・・」
「・・・どうしたんだよ。じっと顔見て」
「いえ、雲雀君のその食べっぷりを見て、ほっとしただけよ。他意はないわ」
「・・・おう、あんがとな」
その後、雹ヶ峰にずっと顔を見られながらもきちんと完食した。
・・・顔を見てんのはいつものことだ。今更そこまで気にしない。
食器を片付けて戻ってきた彼女が、ここであることに気づく。
「雲雀君、汗かいているわ。体を拭いて着替えた方が良さそうよ」
「ん、ああそうだな。ちょっとベタベタして気持ちわりぃしな」
「そうよ。そうしなさい」
「おう」
「ええ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・うん?」
「どうしたの?早く着替えなさい」
「いや、じゃあなんで部屋にいるんだよ」
男が着替えるというのに、彼女は部屋から出ていく様子がなかった。
や、駄目だろ。絶対。女の子に裸を見せるのは抵抗があるし。俺に露出癖はない。
しかも同級生、さらに言うと気になる異性。加えて言うなら魔物娘。はばかれて然るべきだ。
「着替えないかもしれないじゃない。見張りが必要よ」
「着替えるって。汗だくも嫌だし。だから」
「でも急に倒れるかもしれないじゃない」
「着替えるから!一度出てくれ!頼むから!後生だから!」
「・・・・・・・・・・・・・・・仕方ないわね」
何とか頼み込んで、彼女を部屋の外に追い出す。
・・・俺はどうして雹ヶ峰相手にこんなお願いをしているんだろう。
冷静になって考えると、ここまで心配性な雹ヶ峰は今まで想像がつかなかった。
昔から、こちらのことには無関心。意識を向けるのは挨拶程度。特に男子に話しかけることは皆無。
話しかけても無視され続けていた俺が、こうやって家にまで看病に来るほど気にかかった存在になっている。
(・・・雹ヶ峰も、3年間で何か変わったのかな)
俺の知らない雹ヶ峰。3年という月日は、何かが変わるには十分すぎる時間であることを。
3年間で変化のなかった俺はまだ、全然理解していなかったのかもしれない。
ガチャ
「終わったかしら?」
「早ぇよ!まだ閉めとけ!」
・・・・・
それから、雹ヶ峰は両親が帰ってくるまで看病してくれた。
俺が女の子を家に上げていることに親は驚いていたが、彼女の名前を聞くとどこか納得した様子だった。
それが妙に引っかかったが、多分お隣さんの家だから知っていただけか。
親同士のネットワークは、割と色んなところで繋がっているものである。
看病の甲斐あってか、俺は無事次の日には学校に復帰することができた。
そして、この雹ヶ峰のお見舞いをきっかけに。
俺と雹ヶ峰の距離は、3年間を埋めるように、また少し近くなった気がした。
14/10/29 23:44更新 / 群青さん
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