一章
※
教会は荒れ果てていた。
祭壇には土足で上ったような土のついた足跡が残り、聖印は引き摺り倒され換金できそうな祭具は殆ど持ち去られている。
礼拝に訪れた者たちが座る長椅子も、倒れたり割れたりしていた。
それらにこびりついた赤黒い血は致死量には遠く、それだけが彼女にとってのせめてもの慰めだった。
誰もいない無音の教会を引き摺るような足取りで出、やはり誰もいない村を呆然と眺める。
「……何故…………?」
呆然自失のまま、我知らず誰に向けられたともない疑問が唇から零れた。
彼女を待っているはずだった――そして彼女もまた待っていたはずの人物は、何処にもいなかった。
※
山の上には小さな村がある。
特に名産品がある訳でも観光資源に恵まれている訳でもない、のどかな村だ。
村人たちは日の出と共に起きる。畑を耕し、家畜の世話をし、下らない世間話をし、家族で食卓を囲む。そんな、何処にでもある日々を送るだけの村だ。
けれど、いつも外から来た誰かがいる村だった。
その村には小さな教会がある――御使いが降臨した教会だ。
かつてこの村を一人の青年が訪れ、その彼を迎えるように教会には御使いが降臨した。そして青年は彼女と契約を結び、仲間を集め、この国を邪悪から救ったと伝えられている。
何処にでもあるようで、その実、大半が眉唾である事が多い、勇者の伝説というやつである。
以来、神父が一人いるだけのこの教会は、遠くから巡礼に訪れる者が後を絶たないのだった。
村へ至る道は、山の外周を螺旋状に上って行くように設えられていた。
とはいえ、斜面に段差を作っただけの道だ。馬車が通れる程度の道幅はあるが、転落防止用の柵すらない。
ここ何日かは雨が続いていたな、とドルムスは山へと目を向けた。
見上げてみても、ここから道は見えないが、その下――彼らの目の前には土砂が積み上がっている。雨で地盤が弛み、崩落したのだろう。
一緒に落ちたのか、それとも既に崩れた所に引っかかってしまったのかは分からないが、土砂の周囲には馬車が転がっていた。あちこち砕けて原形を保っていないが、それでも馬車と分かったのは馬と御者が死んでいたからだ。
「お頭……」
「……ああ」
窺うような部下の呼びかけに、特に意味もない呻きを返す。
死んでいたのは馬と御者だけだった。湿った土の上には一人の少年が倒れている。青みがかった銀色の髪――巨大な氷塊が内側から仄かに色づくような髪色だった。見た目には、二十歳には届かないだろうと思われた。
服装は珍しくもない旅装だった。荷物も少ない。少し離れた所に転がっている刃渡り五十センチほどの片手剣は、彼の物なのか御者が護身用に用意していた物なのか。
少年は息こそあったが、頭からは血を流している。転落の際に何処かにぶつけたのだろう。
「……どうするんだい?」
部下の中でも一番つき合いの長い者が、視線を向けてきた。
ドルムスは暫く考えこみ、不快げに一つ舌打ちをする。
「ふたり残って傷の手当てをしろ。そのあと屋敷まで運んどけ」
「部屋は、どうしやすか?」
言われて気づいた。空室はあるが、使っていない部屋の掃除など滅多にしない。流石に、怪我人を埃塗れの部屋に寝かせる訳にもいかないだろう。自分のような人間が他人を気遣うなど何の冗談かとも思うが、拾うと決めた以上、役にも立たないまま死なれる訳にはいかなかった。
ドルムスは溜息を一つ。
「奴隷どもに適当に世話をさせとけ」
言い置いて歩き出す。
彼らは奴隷商人。旅人や辺境の集落から女を攫い、調教して王侯貴族に性奴隷として売り飛ばす事を生業としていた。
その屋敷は不自然だった。
部屋数が三十を超える事とか、人里離れた平原にポツンと建っている事ではなく、一定の距離に近づくと、感覚が鋭敏な者なら空気が変質したような感覚を覚えるという点において。
それは、抑制結界と呼ばれている。神の祝福を受けた祭器を用いて展開される、魔力を持つ者を無力化する結界だ。戦士たちが魔物に後れを取る事のないように開発されたもので、それが流れ流れてこの屋敷の持ち主の手に渡り、今に至っている。
鍵の開く音に続いて、勢いよく扉が開かれた。住居となっている屋敷の玄関ではなく、屋敷内の――奴隷たちが隔離されている棟へ続く、渡り廊下の扉だ。
その奥は彼女たちが比較的自由に使えるようになっているが、鍵の開く音を耳ざとく聞きつけたのか、全員がそれぞれの部屋に引き籠もってしまったようだった。
二人の男の片方が忌々しげに舌打ちをする。
「おい、誰かいねえのか! 返事しやがれ!!」
苛立ち紛れに壁を蹴りつけ、
「出て来いっつってんだよ! 怪我人がいるから、手前ぇらのとこの空いてるベッドに寝かせとけ!」
怒号は静寂に溶けていく。
それから数秒が経ち、いちばん手前の部屋の扉が薄く開いた。顔を覗かせたのは、二十代前半くらいの気の強そうな女性だ。
「……怪我人ったって、あんたらの仲間なんだろ。何でそんな奴を、あたしらが世話しなきゃなんないのさ」
男は再び舌打ち。
「煩え。手前ぇらは、黙って言われた通りにしてりゃいいんだよ」
そう言って、面倒くさそうに二人がかりで少年をソファに寝かせる。
「こいつは、お頭が気まぐれで拾ったガキだ」
言い置いて、二人は振り返りもせずに去っていった。
数分経って、ようやく女性たちが部屋から出てきた。
おそるおそるソファに近づき、覗きこむ。
「……男の子じゃないか」
先程の女性が、驚いたように目を見開く。額を始め、手脚にぞんざいに施された手当てにも驚いたのだろうが。
「まさか、あいつら、男まで商品に……?」
「……でも、気まぐれで拾ったって言ってたし」
ざわめく他の女性たちに振り返り、彼女は声を張り上げる。
「いいから、誰か水汲んどいで! あたしの部屋に運ぶから、残りは手伝って」
少女が一人駆け去るのを目の端に留めながら、彼女は少年の服をはだけさせた。案の定、見える位置にしか手当てがされていない。胸部や腹部にも痣や裂傷がある。
「骨折はしてないみたいだけど……」
意外と厚い胸板に手を這わせ、肋骨をなぞりながら呟いた。
「ごめん。誰か薬箱持ってきて」
再び指示を出しながら、少年の腕を自分の肩に回す。別の女性が反対側についた。
館へ戻って来たドルムスは部下たちに必要な指示だけを出すと、その足で奴隷棟へ向かった。
この仕事も長いため、鍵を差しこんだだけで扉の向こうの雰囲気が変わるのが分かった。
しかし、扉の奥には珍しく人がいる。気の強そうな鋭い目つきでこちらを睨んでいるのは、奴隷たちのまとめ役のような女性だ。
「……怪我人に会いに来た」
「まだ眠ってるわ」
言外に帰れと言われたが、そんなものを斟酌してやる理由などない。
「会わせろ」
「…………」
女性は苦々しげに顔をしかめると、無言で踵を返した。
部屋には、他の奴隷たちも集まっていた。
彼女たちは隅に固まって、時々ベッドの方へ視線を向けている。扉が開くと、そのうちの一人が口を開いた。
「あの子、目、覚めたよ――」
しかし、戻ってきた女性の後ろにドルムスがいる事に気づくと、彼女の言葉は尻すぼみに消える。
「そうか」
それが自分に向けられたものではない事を理解しながらも、一つ頷いてから、ドルムスはベッドへ歩み寄った。その気配を察したのか、閉じられていた少年の目が薄く開く。
アイスブルーの瞳だ。
「目が覚めたか」
「……うん」
返答は短かった。まだ警戒しているのだろう――当然だが。
少年の外見は優男然としていたが、声には落ち着きがあった。腹に響くほどではないが、低くて良く通る声だ。
「まずは名乗っておこう。俺はドルムス。崖下に馬車ごと転落しているお前を見つけて、拾ってきた。憶えはあるか?」
「…………」
少年は訝しげに目を細め、思案するように視線を窓へと投げる。が、
「いや。憶えてない」
「そうか……まあ、死ななかっただけマシか。名前は?」
少年は当たり前のように口を開き――
そこで動きを止めた。
「お……ぼえ、て……ない……」
呆然としたように呻く。呼吸をするのには劣るにせよ、それでも、それと同じくらいには当たり前なはずの事が分からないのなら、無理もない反応である。
「……自分の名前が分からねえってのか?」
その確認の問いかけこそが、むしろトドメを刺したのか、少年は自信なさげに頷く。
「頭、打ったみたいだしね」
他の奴隷たちの所へ行っていた先程の女性が、小声で呟いた。
ドルムスは舌打ち、ガシガシと頭を掻いた。
「……厄介な」
暫く黙考し、
「呼び名もないんじゃ不便だ。思い出すまで、そうだな……エルフィスとでも名乗ってろ」
「エルフィス……それが、俺の名前?」
「当面はな」
ドルムスはムスッとして腕組みをし、頷いた。
※
それから何日か経ったが、エルフィスの記憶は一向に戻らなかった。
とはいえ、動ける程度まで回復した者を奴隷たちと一緒にしておく事は出来ないと、ドルムスは彼に空き部屋を与えた。どれぐらい閉め切られていたのか、扉を開けた瞬間、無意識に呼吸を止めてしまうような部屋だった。
自由に使えとは言われたが、こんな部屋では最初の自由は否応なく奪われる。掃除しなければ、そもそも使うこと自体できない。
近くの川で水を汲んで来て、モップやら雑巾やらを総動員して、丸一日がかりでエルフィスはそこを人が住める環境にまで回復させた。治りきらない怪我が疼くせいで、思った以上に時間がかかった。
「へえ。大したもんだ」
マットレスもシーツもない骨組だけのベッドに腰かけて息を整えていると、開けっ放しの戸口の所に男が二人立っていた。
「お前こういうの得意なら、ここで雑用やれよ。お頭もそのつもりらしいし、記憶戻って何処か行くにしても金は必要だろ? まあ、額はたかが知れてんだろうけど」
どうやら自分のマットレスやシーツを持って来てくれたらしい事を理解して、エルフィスは立ち上がった。受け取り、適当にベッドを整える。
「いいのかな……」
「いいんじゃね? 拾って来たのはお頭だし、お頭が置いとくっつってんだから、俺らは従うさ。調子乗ったら、ぶっ飛ばすけどな」
二十歳そこそこらしいその男は、ニヤリと攻撃的な笑みを浮かべると部屋を出ていった。
仕事内容は、まさに雑用といった感じだった。掃除に洗濯、水汲み、食事の用意に買い出しなどだ。
記憶はなくとも身体が覚えてでもいるのか、意外にもエルフィスは料理が出来た。そして、それはどうやら、この屋敷の他の者たちよりも上手いらしい。
「凄えな、お前。何処で覚えたんだよ、こんなもん」
そんなふうに称賛される事もあったが、記憶がないので答えようがない。ただ、もしかしたら自分は料理人――年齢を考えれば見習い――だったのかも知れないとは思った。作っている料理のレベルはそれほど高くもないので、普段この屋敷の者たちは何を食べていたのかと疑問も覚えたが。
そして、もう一つ。エルフィスは、この屋敷に住んでいる者たちの仕事内容も聞かされていた。
性奴隷の調教師と、その商品候補。
褒められた事ではないのは、何となく理解できた。奴隷たちも、決して嬉しそうではないし。
とはいえ、自分にどうにか出来るようなものでもないと思った。怪我をした自分を介抱してくれた事には感謝するが、だからといって彼女たちを逃がす訳にもいかない。感謝という意味なら、そのまま死んでいたかもしれない自分を拾ってくれたドルムスだって同様なのだ。甘く見積もっても、両者を乗せた天秤は真っ直ぐつり合うのが精々だった。
何より、記憶がない自分には行くところがないし、あってもそのための路銀がない。ここで生きていくしかないのだ。
「金が欲しけりゃ、調教師になれ」
そんなふうにも誘われたが、とりあえず今は雑用が忙しいので判断は保留しておいた。
その日も、いつもと変わらない仕事をこなしていた。
ドルムスたちも、やはりいつも通り商品の仕入れ――つまり人を攫いに行っている。何でも山の上にある小さな村で、近々ちょっとした祭りのようなものがあるのだそうだ。
人が集まり、かつ他所者が多い。一人二人消えても気づかれる危険は少ないとの事だった。
「その村ってのが、要はお前が倒れてた崖の上にある村なんだけどな」
出かける前に、いちばん年の近い男が、そんな事を言っていた。
川で水を汲み、それがなみなみと入った水瓶を抱えて屋敷へ向かう。と、丁度ドルムス達が戻って来たところらしかった。数人が、攫った者を乗せるための馬車を片づけていた。
エルフィスは勝手口から炊事場へ入る。殆ど同時に、広間の方から二十代後半くらいの女性が一人、入って来た。アマルダ――ドルムスに次ぐ地位の、他の部下たちのまとめ役である。
「おや、水汲みかい? ご苦労さん。早速だけど、一杯もらおうか」
「分かった」
頷いて柄杓で水を掬い、コップに注ぐ。差し出すと、彼女は美味そうにそれを飲み干した。
「首尾は?」
収穫はあったのか訊くと、アマルダは気難しげな表情になった。
「ああ……別口とカチ合ったね」
「別口?」
他にも奴隷商人がいるのだろうかと、エルフィスは疑問を抱く。
「何だかは知らないよ。ただ、あたしらが行ったときには、山の上の村は徹底的に略奪されてた」
「ふうん……」
盗賊団とか、そういうのだろうと、彼は適当に解釈した。
「まあ、あたしらと同じような理由で、金持ちが集まると考えた連中もいるんだろうさ」
おかわり、とコップを差し出しながら彼女が言う。
「神託が下ったって話だからね……本物の御使い降臨を期待して、信心深い奴らが、あちこちから集まって来たんだろう」
皆殺しだったけどね、と彼女は顔をしかめる。口の中に嫌な味が広がる錯覚でも覚えたのか、エルフィスが差し出したコップの中身を呷り、テーブルに置く。
「ごちそうさん。終わったら広間においで。お頭が呼んでるよ」
「そう」
出ていく彼女が扉を開けた瞬間、広間の方から賑やかな雰囲気が伝わって来た。
男たちの――少々下卑た――笑い声と、彼女とは別の女性の声。どうやら、全く収穫がなかった訳でもないようだった。
とりあえず夕食の下拵えだけ済ませ食堂へ顔を出すと、案の定、既に酒盛りが始まっていた。
予想が当たった事に特に感慨もなく、エルフィスはテーブルの真ん中へ大皿を置く。適当に作ったツマミだった。
「おっ、気が利くじゃねえか」
そう言って早速、数人が手を伸ばす。
「なに盛り上がってるの?」
何となく訊くと、同じくツマミをパクついていた歳の近い男が、とっておきの秘密でも打ち明けるように、へへ、と笑った。
「あれだよ、あれ。今日の収穫。上玉だぜ?」
示された方へ目を向けると、ドルムスが座る椅子の前に、細身の女性がひとり跪かされている。
背中を隠す癖のない金色の髪に、鋭く睨みつける赤い目。白い頬は屈辱に歪み、両腕は後ろで拘束されているようだった。白いワンピースの腰を革のベルトで絞り、胸部と肩だけを覆う明らかに実用的ではない鎧を身に着けている。傍らにはサークレットも転がっていた。壁に立てかけられている剣も彼女の物だろう。
何処のイタい馬鹿女を連れてきたのか――そんな感想も、彼女の背に折り畳まれた純白の翼≠見れば霧散する。
「信じられるかよ。マジもんの御使いだぜ? 壊滅した村で、ぼーっと立ち尽くしてやがった」
「……どうやって捕まえたの」
呆然としていたんだとしても、御使いは御使いだ。そう簡単に捕らえられる訳がないが。
男は、チッチッチ、と舌を鳴らして指を立てる。
「封魔の銀、ってもんがあるのさ。御使いだろうが他の魔物だろうが、その力の源である魔力を押さえこんじまえるって代物だ。屋敷の抑制結界と合わせりゃ、無力化できねえ奴なんていねえぜ」
「へえ……」
つまり、あの御使いは、その封魔の銀で造られた鎖か何かで後ろ手に縛られているという事なのだろう。
「エルフィス」
ドルムスが振り返る。
「何? ツマミ?」
大皿に手を伸ばすが、
「いや、そうじゃねえ。お前もここにいる以上、いいかげん調教師になってもらわねえと困るんだよ。最近、奴隷どもが調子に乗ってやがるんでな」
「……それと俺が調教師になる事に、何の関係が?」
眉根を寄せるエルフィスに、別の男から声がかかった。
「お前が奴隷ども甘やかすからだろうが」
「別に、甘やかしてない。商品なら、少しでも良い値がつくように手をかけるもんじゃないの?」
「やりすぎだっつってんだよ!」
「とにかく!」
少し大きな声で全員を黙らせ、ドルムスは再びエルフィスに目を向ける。
「あいつらに身のほど教えるためにも、お前には調教師になってもらう。いいな?」
「……雑用の傍ら? それに俺、そういうのした事ないよ……多分」
「構わねえさ。いきなり俺たちと同じ事やれなんて言わねえよ。だから、まずは練習だ……こいつをお前にくれてやる」
そう言って彼は、御使いの方へ顎をしゃくった。
「えぇ!? そりゃ、いくらなんでもずるいっすよ、お頭ぁ……」
ツマミの最期の一つを取り合っていた先程の男が、勢いよく振り返る。その間にツマミを奪われ、ああっ、と情けない声を出した。
「文句があんなら、何人でもいいからかかって来い。俺に勝てたら考え直してやる」
その一睨みで、他の不平を口にしていた者たちも黙りこんだ。満足げにドルムスは鼻を鳴らす。
「つーわけだ、御使い様。今からあんたは、あのガキの所有物だ」
そう言って彼は、壁に立てかけられていた剣の鞘で御使いの顎を持ち上げ、エルフィスの方へ向けた。
その瞬間――
「あ――なた、は……!」
彼女は愕然としたように、その目を見開いた。
知り合いかと訊かれても、エルフィスには答えようがなかった。
記憶がない事を告げると、御使いは絶望にも似た表情で項垂れる――が。
「……ょくも」
呪詛のような震える声が洩れた。
「よくも彼を、ここまで貶めて……!」
鋭い視線で顔を上げた瞬間、彼女を中心に空気が渦を巻いた。勢いよく翼が左右に広がり、噴き出す魔力が室内を吹き荒る。コップや皿が床に落ちて割れた。
荒くれた男たちが悲鳴を上げる。ドルムスも、くっ、と冷汗を掻いていた。
「勇者の資質を持つ彼をっ――!!」
素早く立ち上がった御使いは、低い姿勢のままドルムスへ突撃する。瞬間――
スッと割りこんだエルフィスがドルムスを庇い、更に突撃する御使いの肩に手を添えて彼女の進行方向を逸らした。ついでに足払い。
「なっ――!?」
身体を泳がせた彼女は、両腕が拘束されているせいで受け身も取れずに床に転がった。椅子や机を蹴散らし、鎧が派手な音を立てる。
「何故……貴方が……」
裏切られたように見上げてくる彼女をエルフィスは一瞥したが、特に答えを返す事はしなかった。行くところのない自分は、今はここで生きるしかない。その事情は自分だけのものであり、そして、わざわざ他人に説明するほどの事でもなかった。
「ありがとよ」
ドルムスが肩を叩いてきた。
「面白えこと言ってたな……勇者の資質か。俺ぁ、こいつは料理人の卵か何かだと思ってたんだがな」
同感、とエルフィスは内心で呟いた。自分でも、妙に家事が板についていると思う。
「彼は……神託を受け、あの教会に来るはずでした。洗礼を受け……私と契約し……多くの者を……民を救って……。なのに――!」
悔しげに涙まで浮かべ、彼女は叫ぶ。
「勇者ね……」
何気なく、エルフィスは呟いていた。
「それって、人身御供でしょ?」
「え……?」
「よくあるじゃん。悪い王や領主に困らされているとこにフラッと旅の若者が来て、そいつが王や領主を倒してくれて、めでたしめでたし――って感じの話。俺は、あれ、責任逃ればっかり上手くなった怠け者と、考える事を放棄したお人好しの喜劇だと思うんだよね」
「何を……」
まるで自分を否定されているような、それを信じたくないような表情で、御使いは問う。
「結局その民は、自分たちが直面している事態を自力で解決しようとはしない。たまたま訪れた旅人を勇者に祭り上げ、何の関係もないのに問題解決に当たらせる。上手くいけば恩の字。失敗しても、他所者が勝手な事をしただけで自分たちは無関係って言い訳も出来る。勇者も馬鹿だけど、これが人身御供じゃなくて何なの?」
特に糾弾するでもなく、素朴な疑問を口にするような調子で、エルフィスは苦笑混じりに肩を竦めた。
「その資質とやらが俺にあるんだとしても、勇者なんて御免だよ」
違ぇねえ、と食堂は男たちの爆笑の渦に包まれた。
御使いは独り、打ちひしがれたように項垂れていた。
夕食後、エルフィスはドルムスと共に二階の廊下を歩いていた。
いつも自室へ向かう廊下だが、いま向かってるのは自室ではない。その隣の部屋だ。
例によって空き部屋だったそこは、先程まで数人の男たちによって掃除が行われていた。適当にやったら飯抜き、と言われていたので、そうとう頑張った事だろう。彼らは、めでたく遅めの食事にありついている。
普段から誰に対してもやっているようにエルフィスが扉をノックすると、隣でドルムスが深々と溜息をついた。そんなんだから奴隷にナメられるんだ、とでも言いたげに。
それ以前に鍵がなければ内側からも扉は開けられないようになっているのだから、ノックの意味はないのだが。
扉を開ける。そこは二人部屋だったが、特に意味はない。エルフィスの部屋の隣であるという以上の意味は。
抑制結界や封魔の銀でも無力化しきれない御使いを、他の奴隷と同じように扱うのは危険――そんな判断から、彼女はここに監禁される事になった。エルフィスに対しては比較的、反抗的ではないという理由もある。
御使いはベッドの上で膝を抱えていた。鎧も着けたままだ。
重くないのかと訊こうと思ったが、身体を硬くして警戒の視線を向けてくるだけの彼女が答えるとも思えなかった。
「……何のご用ですか」
「呆れたな……もう忘れたのか。お前はこいつの、調教練習用の性奴隷だ」
ドルムスが鼻で笑うと、彼女は更に目つきを鋭くする。
「汚らわしい……よくも彼に、そんな事を」
「まるで他人事だな」
その言葉に、御使いは僅かに身を竦ませた。ジャラ、と金属音。
彼女の左足首には封魔の銀で出来た足枷が嵌められ、同じく封魔の銀で出来た鎖でベッドに繋がれていた。入浴時にはその端はエルフィスが持ち、監視する事が先ほど決まった。
「おら、エルフィス。とりあえず、好きにやってみな」
そう言ってドルムスは椅子を引き寄せ、万が一の逃亡防止のためか、扉の前で腰を下ろした。
「食後は眠くなるんだけどね……」
ぼやく彼に、ヤってから寝ろ、と唸る。
エルフィスが近づくと、御使いは怯えたように後退る。しかしすぐにベッドの端に到達してしまった。
そのままベッドを降りて逃げる事も出来るが、鎖で繋がれている彼女の行動範囲は、この部屋以上にはならない。ましてや魔力が抑えられている以上、すぐに捕まるのが関の山だ。
「こ……来ないでください」
震える相手に構わずベッドに腰を下ろす。そして、
「お前の名前は?」
「……え…………?」
思いもしない言葉だったのか、御使いは呆気に取られたような表情で固まった。
「ああ、俺はエルフィス。記憶ないから仮の名前だけど」
気負いのない――というより無関心に近い無表情でいる彼に、暫く黙っていた彼女は小さく答えた。
「……エイリア=ルウ」
「そう……エイリア、ね」
確認するように彼が名前を呟いた途端、ピクンとエイリアの身体が震えた。
その頬が薄く赤らんでいるのを見て取ったドルムスが、意外と簡単そうだとでも言いたげに、ほくそ笑んでいた。
※
「で? どうすればいいの?」
クルリとエルフィスが振り返ると、ドルムスは唖然となった。
記憶喪失だから分からないのか、やった事がないから分からないのか――自分でもどちらなのか分からないが、たぶんエイリアよりも自分の方が手間がかかるであろう事が少し申し訳ない。
「……キスくらい分かんだろう?」
「……ああ、うん。それは分かる」
何故そこで微妙に間が空くのか理解しかねるといった表情で、ドルムスは頭を振った。
エルフィスは視線を戻し、エイリアの方へにじり寄る。
「やっ、やめてください! こんな――」
「仕事でね……」
素っ気なく相手の言葉を遮ると、頭の後ろへ手を回して引き寄せ唇を重ねる。
「んむ……!? んんー!!」
エイリアは大きく目を見開き、涙を滲ませながら身体を硬くした。振りほどこうと腕でエルフィスを押し退けようとするが、結界と拘束具のせいか力は外見相応だ。
「程々んところで舌入れろよ」
ドルムスの投げやりな指示に、
「ぅむ……ふむっほ」
「……その状態で喋んな」
唇を合わせたまま返事をすると、半眼で顔をしかめられた。
軽く唇を吸い、後頭部に回していた手をうなじから首筋へと滑らせる。喉から鎖骨のあたりを指先でなぞり、口を塞がれたままのエイリアが喘ぐように息を呑んだ瞬間、舌を滑りこませる。
「んっ――んぅ!?」
苦痛に耐えるように瞑られていた彼女の目が見開かれた。押し退けようとする力が強まり、子犬が淋しさに鳴くような声が鼻から抜けていく。
舌同士が触れ、ぬるりとした感触と共にエイリアの熱を感じた。何ともいえない柔らかさと、唾液の味。逃れるように彼女は舌を退き、エルフィスはそれを追いかけて絡め取る。
記憶を失う前はどうか知らないが、今のエルフィスにとっては初めての感覚だった。素直に気持ちいいと思う。癖になりそうだ。
「んっ――んぅー! む……ん、ぅふ――ぁん……ぐ、ぁう」
くちゅくちゅ――ちゅっ、ちゅる……ぢゅ――頭の中で淫靡な水音が響き、エイリアの震える身体から力が抜けていく。舌と舌の鬼ごっこは、舞台が彼女の口の中である時点でエルフィスの有利なのだ。
逃げては追いつかれ、触れ、絡まり、逃れようともがき、そして再び逃げて捕まる。口づけを拒もうとする動き自体が、むしろ快感を高めていくのは皮肉だった。
合わさり、吸いつき、ふにゅりと形を変える唇や絡み合う舌を伝って、混ざり合った二人の唾液がエイリアの口の中へ溜まっていく。彼女は小さく喉を鳴らしてそれを飲みこみ、空気を求めるように口を離した。しかし、それも一瞬の事――再びエルフィスに口を塞がれてしまう。
それまで相手の舌を絡め取る事に執心していた彼は、しかし今度は自分の舌先で彼女の口内をいじめ始める。
「んっ――!? んぅぅぅぅぅっ!」
口腔内の天井をチロチロとくすぐってやると、エイリアは悲鳴のような喘ぎ声を洩らして身体を震わせた。
そのままベッドに押し倒す。重なり合った唇の隙間から零れ、顎の方へと流れていた二人の唾液が、頬から首へと伝う流れに変わった。
「次は胸か……焦らすように初めは周りから責めろ。乳首は最後だ」
欠伸を噛み殺しながら、ドルムスが指示を出す。が、
「……この鎧、どうやって外すの?」
エイリアに覆い被さったまま、唾液の糸を引いて僅かに唇を離したエルフィスは、髪の間から視線だけを向けた。
「……脇のとこにベルトがあるだろ」
「ああ、ほんとだ」
ドルムスは深々と息をついた。まさか性技の手ほどきで、鎧の構造を説明する羽目になるとは思わなかったのだろう。
「――んぁ……お、おやめなさい。貴方は……こんな……っ」
赤い顔で息を荒らげているエイリアに構わず、むしり取るように鎧を外し、彼女を引っくり返して抜き取る。その下に纏っていたのは、襟ぐりの大きく開いたワンピースだ。
汗で湿って薄く透けた上から、優しく胸をさする。
「――んんっ…………」
エイリアは唇を噛んで硬く目を閉じ、顔を背けて快感に耐えていた。片手を口元に押し当て、反対の手でシーツをギュッと握る。それに倣うようにエルフィスが胸を軽く握ると、ビクンと身体が跳ねた。
「……面白い」
ぽそっとエルフィスは呟く。ワンピースの上からでも薄く色づいて見える乳首を、中指の腹で撫でたり転がしたり。その度にエイリアは身体をよじっている。
ワンピースの肩紐を引き摺り下ろして胸を露出させると、
「ぁん――!」
敏感になっている肌と生地が擦れたのか、一瞬、彼女が背を浮かせた。その反動で程好い大きさの胸が、ふるんっ、と揺れる。
エルフィスは、揺れながら逃げるように動き回る先端の突起を手全体で捕まえ、円を描くように揉みしだいた。
「んっ、んあ……ふ、んんっ――ああっ……!」
すると、そのリズムに合わせるようにエイリアは喘ぎ、洩れる声も熱を帯びていく。
「すっかりその気だなぁ、御使い様? ……つーかセンスいいな、お前」
エイリアを嗤いながらも、ドルムスは呆れたような視線をエルフィスに向けた。
「そう……?」
チラリとそちらを一瞥し、エルフィスは乳首を口に含む。
「んぁん! やめっ――やめてください……!」
右へ左へ身体をよじるエイリアを押さえつけ、軽く吸ってから舌先で乳輪をなぞり、乳首を転がしてやると、彼女は悲鳴のような声を上げながら仰け反った。
「……ん?」
ふと、エルフィスは違和感を覚えて口を離した。
身体を重ねていたから気づいたのだが、いつの間にかエイリアの下腹部に染みが出来ていた。触れてみると、じっとりと湿っている。
まさかと思い顔を上げ、
「なあ、お頭――」
「先に言っとくが、そういうもんだ。お前が思ってるようなもんじゃねえ」
天然ボケも大概にしとけよ、と表情で語りながら、ドルムスは腕組みをする。
漏らしたんじゃないのか、と失礼な事を考えながら裾を捲ろうとすると、慌てたようにエイリアが手で押さえてきた。
「いっ、いけません! そんなところ……汚いです」
懇願するような声と視線に思わずドルムスを見るが、彼は無言で顎をしゃくる。
「悪いね」
抑揚のない声で言うと、彼女の手を退け、押さえつけたまま裾を捲り上げた。
エイリアの股間は、それこそ失禁したかのように濡れていた。よほど恥ずかしいのか、それとも単に泣いているだけなのか、彼女は両手で顔を隠している。
「そんだけ濡れてんなら問題ねえ。脱がせろ」
指示に従って下着に手をかけると、指先にぬるりとした感触を覚えた。
確かに失禁とは違うらしい、とエルフィスは理解する。そのまま一番濡れているあたりを指先でクルクルと楕円を描くように撫でていると、んっんっ、とエイリアが小さく声を洩らした。
つまり本来は、こうして濡れさせるのか――先程のドルムスの言葉と合わせて、彼は更に理解を深める。
恥毛は薄かった。色のせいで目立たないのもあるのだろうが、それでも少ない。
調教師ではないものの、エルフィスも他の者の事後処理をすること自体はあった。中にはグッタリと、あられもない姿で動けずにいる女性もいるので、そのグロテスクさを想像していたぶん拍子抜けしていた。
「処女なんざ、そんなもんだ」
つまらなそうにドルムスが言う。
「普通は指やら舌やらでほぐしてやるんだが、それだけ濡れてれば入れても問題なさそうだな……まあ、好きにしろや」
エルフィスは暫く考える。いちおう練習なのだから、普通のやり方をなぞるべきだろう。
いきなり触れるのも驚かせてしまうだろうと思い、まずは下腹部のあたりへ手を伸ばした。優しく撫でようとするが、触れた瞬間ピクンと身体が震えたので、あまり意味はなかったようだが。
下へ手を滑らせ、指先で割れ目をなぞる。人差し指と薬指で秘唇を押し開き、中指で内側を刺激すると、エイリアは腰を浮かせて左右にくねらせ始めた。
「ぁん! いっ……ぃい、ゃ……ぃゃ――ぁ……っ!」
「おいおい、反応いいな。本当に処女か?」
ニヤニヤとドルムスがそれを見つめ、エイリアは屈辱と羞恥で耳まで赤くなる。それが更に彼女の興奮を高め、愛液は、まるで噴き出すようにその量を増した。
「ついでだから、穴の位置確かめとけよ? しょんべんの穴とケツの穴の間だ」
追い討ちをかけるようなその言葉に頷きつつ、エルフィスはズブ濡れになった手を持ち上げ、物珍しげにその指先に舌を伸ばす。するとエイリアは恐怖にも似た表情で首を振った。
「――嫌っ……嫌です! そんなもの、舐めないでください!」
「……そう?」
どっちみち、このあと舐めるんだけど――胸中で答えながらエルフィスは彼女の股間に顔をうずめる。先程まで指でなぞっていた部分に舌を這わせると、
「んあっ!?」
ビクンッ、と。
それまでにないほどに、エイリアの腰が跳ねた。
どうやら、これが気持ちいいときの反応らしいと理解しつつも、エルフィスは僅かに顔をしかめていた。妙な味だった。甘いような酸っぱいような、しょっぱいような。
同時に、鼻孔をくすぐる香りのせいか、先程までより更に下半身が硬くなっている。少し痛い。
味に関しては、そういうものなんだろうと思い直し、更に舌で愛撫する。
「あっ、ああっ――んやっ、ゃん! ぁん……ああん!!」
割れ目をなぞり、秘唇の周りをくすぐり、尖らせた舌を割りこませ、上の方の小さな突起に軽く歯を立てる。その度にエイリアは腰をくねらせて、あられもない声で啼いた。
ビクビクッと彼女がひときわ大きく身体を痙攣させたところで、エルフィスは口を離す。愛液に濡れた唇を手の甲で拭っていると、
「……どうでもいいけど、本番前に何回イかせてんだよ」
半眼のドルムスが、呆れと同情を等分に混ぜたような口調で呟いた。
「何か、まずかった?」
「いや、まずかねえけど……なんつーか、初体験から大変だなぁ、と」
他人事のように言う彼を、エイリアが涙を滲ませて睨みつけた。
「ああ、前言撤回。まだまだ余裕ありそうだから、徹底的にやっちまっていいぞ」
睥睨するように嗤うドルムスに促され、エルフィスはベルトを外す。露出した彼の下半身を見て、ひっ、とエイリアが息を呑んだ。
「おいおい、標準サイズにビビってんなよ。まあ、相手が俺じゃなくて良かったな」
くくっ、とドルムスは嗜虐的な笑みを浮かべる。
エルフィスは愛液を相手の股間周辺に塗りつけると、先ほど確認しておいた位置に屹立した亀頭を押し当てる。んっ、と声を洩らしたエイリアが恐怖に表情を歪め、
「嫌っ――嫌です! こんな……やめて……やめてください!!」
「いちいち構うな、こっち見んな! やれ!」
愕然と目を見開き激しく首を振るエイリアの腰を押さえつけ、割れ目を押し広げながら亀頭を二、三度上下させると、ゆっくりと突きこむ。
「あっ!? ああ……ぃ、た――ぅぐ……あ、ぐ……ゃめて……ゃめ……」
抵抗に構わず押し入り、最後にブツンという感覚が伝わって来た瞬間、
「――ぃやあああああ…………!!」
絶望色の血を吐くような叫び声と共に、それまでエルフィスを押し返そうとしていた彼女の手が、とさり、とシーツの上に落ちた。
教会は荒れ果てていた。
祭壇には土足で上ったような土のついた足跡が残り、聖印は引き摺り倒され換金できそうな祭具は殆ど持ち去られている。
礼拝に訪れた者たちが座る長椅子も、倒れたり割れたりしていた。
それらにこびりついた赤黒い血は致死量には遠く、それだけが彼女にとってのせめてもの慰めだった。
誰もいない無音の教会を引き摺るような足取りで出、やはり誰もいない村を呆然と眺める。
「……何故…………?」
呆然自失のまま、我知らず誰に向けられたともない疑問が唇から零れた。
彼女を待っているはずだった――そして彼女もまた待っていたはずの人物は、何処にもいなかった。
※
山の上には小さな村がある。
特に名産品がある訳でも観光資源に恵まれている訳でもない、のどかな村だ。
村人たちは日の出と共に起きる。畑を耕し、家畜の世話をし、下らない世間話をし、家族で食卓を囲む。そんな、何処にでもある日々を送るだけの村だ。
けれど、いつも外から来た誰かがいる村だった。
その村には小さな教会がある――御使いが降臨した教会だ。
かつてこの村を一人の青年が訪れ、その彼を迎えるように教会には御使いが降臨した。そして青年は彼女と契約を結び、仲間を集め、この国を邪悪から救ったと伝えられている。
何処にでもあるようで、その実、大半が眉唾である事が多い、勇者の伝説というやつである。
以来、神父が一人いるだけのこの教会は、遠くから巡礼に訪れる者が後を絶たないのだった。
村へ至る道は、山の外周を螺旋状に上って行くように設えられていた。
とはいえ、斜面に段差を作っただけの道だ。馬車が通れる程度の道幅はあるが、転落防止用の柵すらない。
ここ何日かは雨が続いていたな、とドルムスは山へと目を向けた。
見上げてみても、ここから道は見えないが、その下――彼らの目の前には土砂が積み上がっている。雨で地盤が弛み、崩落したのだろう。
一緒に落ちたのか、それとも既に崩れた所に引っかかってしまったのかは分からないが、土砂の周囲には馬車が転がっていた。あちこち砕けて原形を保っていないが、それでも馬車と分かったのは馬と御者が死んでいたからだ。
「お頭……」
「……ああ」
窺うような部下の呼びかけに、特に意味もない呻きを返す。
死んでいたのは馬と御者だけだった。湿った土の上には一人の少年が倒れている。青みがかった銀色の髪――巨大な氷塊が内側から仄かに色づくような髪色だった。見た目には、二十歳には届かないだろうと思われた。
服装は珍しくもない旅装だった。荷物も少ない。少し離れた所に転がっている刃渡り五十センチほどの片手剣は、彼の物なのか御者が護身用に用意していた物なのか。
少年は息こそあったが、頭からは血を流している。転落の際に何処かにぶつけたのだろう。
「……どうするんだい?」
部下の中でも一番つき合いの長い者が、視線を向けてきた。
ドルムスは暫く考えこみ、不快げに一つ舌打ちをする。
「ふたり残って傷の手当てをしろ。そのあと屋敷まで運んどけ」
「部屋は、どうしやすか?」
言われて気づいた。空室はあるが、使っていない部屋の掃除など滅多にしない。流石に、怪我人を埃塗れの部屋に寝かせる訳にもいかないだろう。自分のような人間が他人を気遣うなど何の冗談かとも思うが、拾うと決めた以上、役にも立たないまま死なれる訳にはいかなかった。
ドルムスは溜息を一つ。
「奴隷どもに適当に世話をさせとけ」
言い置いて歩き出す。
彼らは奴隷商人。旅人や辺境の集落から女を攫い、調教して王侯貴族に性奴隷として売り飛ばす事を生業としていた。
その屋敷は不自然だった。
部屋数が三十を超える事とか、人里離れた平原にポツンと建っている事ではなく、一定の距離に近づくと、感覚が鋭敏な者なら空気が変質したような感覚を覚えるという点において。
それは、抑制結界と呼ばれている。神の祝福を受けた祭器を用いて展開される、魔力を持つ者を無力化する結界だ。戦士たちが魔物に後れを取る事のないように開発されたもので、それが流れ流れてこの屋敷の持ち主の手に渡り、今に至っている。
鍵の開く音に続いて、勢いよく扉が開かれた。住居となっている屋敷の玄関ではなく、屋敷内の――奴隷たちが隔離されている棟へ続く、渡り廊下の扉だ。
その奥は彼女たちが比較的自由に使えるようになっているが、鍵の開く音を耳ざとく聞きつけたのか、全員がそれぞれの部屋に引き籠もってしまったようだった。
二人の男の片方が忌々しげに舌打ちをする。
「おい、誰かいねえのか! 返事しやがれ!!」
苛立ち紛れに壁を蹴りつけ、
「出て来いっつってんだよ! 怪我人がいるから、手前ぇらのとこの空いてるベッドに寝かせとけ!」
怒号は静寂に溶けていく。
それから数秒が経ち、いちばん手前の部屋の扉が薄く開いた。顔を覗かせたのは、二十代前半くらいの気の強そうな女性だ。
「……怪我人ったって、あんたらの仲間なんだろ。何でそんな奴を、あたしらが世話しなきゃなんないのさ」
男は再び舌打ち。
「煩え。手前ぇらは、黙って言われた通りにしてりゃいいんだよ」
そう言って、面倒くさそうに二人がかりで少年をソファに寝かせる。
「こいつは、お頭が気まぐれで拾ったガキだ」
言い置いて、二人は振り返りもせずに去っていった。
数分経って、ようやく女性たちが部屋から出てきた。
おそるおそるソファに近づき、覗きこむ。
「……男の子じゃないか」
先程の女性が、驚いたように目を見開く。額を始め、手脚にぞんざいに施された手当てにも驚いたのだろうが。
「まさか、あいつら、男まで商品に……?」
「……でも、気まぐれで拾ったって言ってたし」
ざわめく他の女性たちに振り返り、彼女は声を張り上げる。
「いいから、誰か水汲んどいで! あたしの部屋に運ぶから、残りは手伝って」
少女が一人駆け去るのを目の端に留めながら、彼女は少年の服をはだけさせた。案の定、見える位置にしか手当てがされていない。胸部や腹部にも痣や裂傷がある。
「骨折はしてないみたいだけど……」
意外と厚い胸板に手を這わせ、肋骨をなぞりながら呟いた。
「ごめん。誰か薬箱持ってきて」
再び指示を出しながら、少年の腕を自分の肩に回す。別の女性が反対側についた。
館へ戻って来たドルムスは部下たちに必要な指示だけを出すと、その足で奴隷棟へ向かった。
この仕事も長いため、鍵を差しこんだだけで扉の向こうの雰囲気が変わるのが分かった。
しかし、扉の奥には珍しく人がいる。気の強そうな鋭い目つきでこちらを睨んでいるのは、奴隷たちのまとめ役のような女性だ。
「……怪我人に会いに来た」
「まだ眠ってるわ」
言外に帰れと言われたが、そんなものを斟酌してやる理由などない。
「会わせろ」
「…………」
女性は苦々しげに顔をしかめると、無言で踵を返した。
部屋には、他の奴隷たちも集まっていた。
彼女たちは隅に固まって、時々ベッドの方へ視線を向けている。扉が開くと、そのうちの一人が口を開いた。
「あの子、目、覚めたよ――」
しかし、戻ってきた女性の後ろにドルムスがいる事に気づくと、彼女の言葉は尻すぼみに消える。
「そうか」
それが自分に向けられたものではない事を理解しながらも、一つ頷いてから、ドルムスはベッドへ歩み寄った。その気配を察したのか、閉じられていた少年の目が薄く開く。
アイスブルーの瞳だ。
「目が覚めたか」
「……うん」
返答は短かった。まだ警戒しているのだろう――当然だが。
少年の外見は優男然としていたが、声には落ち着きがあった。腹に響くほどではないが、低くて良く通る声だ。
「まずは名乗っておこう。俺はドルムス。崖下に馬車ごと転落しているお前を見つけて、拾ってきた。憶えはあるか?」
「…………」
少年は訝しげに目を細め、思案するように視線を窓へと投げる。が、
「いや。憶えてない」
「そうか……まあ、死ななかっただけマシか。名前は?」
少年は当たり前のように口を開き――
そこで動きを止めた。
「お……ぼえ、て……ない……」
呆然としたように呻く。呼吸をするのには劣るにせよ、それでも、それと同じくらいには当たり前なはずの事が分からないのなら、無理もない反応である。
「……自分の名前が分からねえってのか?」
その確認の問いかけこそが、むしろトドメを刺したのか、少年は自信なさげに頷く。
「頭、打ったみたいだしね」
他の奴隷たちの所へ行っていた先程の女性が、小声で呟いた。
ドルムスは舌打ち、ガシガシと頭を掻いた。
「……厄介な」
暫く黙考し、
「呼び名もないんじゃ不便だ。思い出すまで、そうだな……エルフィスとでも名乗ってろ」
「エルフィス……それが、俺の名前?」
「当面はな」
ドルムスはムスッとして腕組みをし、頷いた。
※
それから何日か経ったが、エルフィスの記憶は一向に戻らなかった。
とはいえ、動ける程度まで回復した者を奴隷たちと一緒にしておく事は出来ないと、ドルムスは彼に空き部屋を与えた。どれぐらい閉め切られていたのか、扉を開けた瞬間、無意識に呼吸を止めてしまうような部屋だった。
自由に使えとは言われたが、こんな部屋では最初の自由は否応なく奪われる。掃除しなければ、そもそも使うこと自体できない。
近くの川で水を汲んで来て、モップやら雑巾やらを総動員して、丸一日がかりでエルフィスはそこを人が住める環境にまで回復させた。治りきらない怪我が疼くせいで、思った以上に時間がかかった。
「へえ。大したもんだ」
マットレスもシーツもない骨組だけのベッドに腰かけて息を整えていると、開けっ放しの戸口の所に男が二人立っていた。
「お前こういうの得意なら、ここで雑用やれよ。お頭もそのつもりらしいし、記憶戻って何処か行くにしても金は必要だろ? まあ、額はたかが知れてんだろうけど」
どうやら自分のマットレスやシーツを持って来てくれたらしい事を理解して、エルフィスは立ち上がった。受け取り、適当にベッドを整える。
「いいのかな……」
「いいんじゃね? 拾って来たのはお頭だし、お頭が置いとくっつってんだから、俺らは従うさ。調子乗ったら、ぶっ飛ばすけどな」
二十歳そこそこらしいその男は、ニヤリと攻撃的な笑みを浮かべると部屋を出ていった。
仕事内容は、まさに雑用といった感じだった。掃除に洗濯、水汲み、食事の用意に買い出しなどだ。
記憶はなくとも身体が覚えてでもいるのか、意外にもエルフィスは料理が出来た。そして、それはどうやら、この屋敷の他の者たちよりも上手いらしい。
「凄えな、お前。何処で覚えたんだよ、こんなもん」
そんなふうに称賛される事もあったが、記憶がないので答えようがない。ただ、もしかしたら自分は料理人――年齢を考えれば見習い――だったのかも知れないとは思った。作っている料理のレベルはそれほど高くもないので、普段この屋敷の者たちは何を食べていたのかと疑問も覚えたが。
そして、もう一つ。エルフィスは、この屋敷に住んでいる者たちの仕事内容も聞かされていた。
性奴隷の調教師と、その商品候補。
褒められた事ではないのは、何となく理解できた。奴隷たちも、決して嬉しそうではないし。
とはいえ、自分にどうにか出来るようなものでもないと思った。怪我をした自分を介抱してくれた事には感謝するが、だからといって彼女たちを逃がす訳にもいかない。感謝という意味なら、そのまま死んでいたかもしれない自分を拾ってくれたドルムスだって同様なのだ。甘く見積もっても、両者を乗せた天秤は真っ直ぐつり合うのが精々だった。
何より、記憶がない自分には行くところがないし、あってもそのための路銀がない。ここで生きていくしかないのだ。
「金が欲しけりゃ、調教師になれ」
そんなふうにも誘われたが、とりあえず今は雑用が忙しいので判断は保留しておいた。
その日も、いつもと変わらない仕事をこなしていた。
ドルムスたちも、やはりいつも通り商品の仕入れ――つまり人を攫いに行っている。何でも山の上にある小さな村で、近々ちょっとした祭りのようなものがあるのだそうだ。
人が集まり、かつ他所者が多い。一人二人消えても気づかれる危険は少ないとの事だった。
「その村ってのが、要はお前が倒れてた崖の上にある村なんだけどな」
出かける前に、いちばん年の近い男が、そんな事を言っていた。
川で水を汲み、それがなみなみと入った水瓶を抱えて屋敷へ向かう。と、丁度ドルムス達が戻って来たところらしかった。数人が、攫った者を乗せるための馬車を片づけていた。
エルフィスは勝手口から炊事場へ入る。殆ど同時に、広間の方から二十代後半くらいの女性が一人、入って来た。アマルダ――ドルムスに次ぐ地位の、他の部下たちのまとめ役である。
「おや、水汲みかい? ご苦労さん。早速だけど、一杯もらおうか」
「分かった」
頷いて柄杓で水を掬い、コップに注ぐ。差し出すと、彼女は美味そうにそれを飲み干した。
「首尾は?」
収穫はあったのか訊くと、アマルダは気難しげな表情になった。
「ああ……別口とカチ合ったね」
「別口?」
他にも奴隷商人がいるのだろうかと、エルフィスは疑問を抱く。
「何だかは知らないよ。ただ、あたしらが行ったときには、山の上の村は徹底的に略奪されてた」
「ふうん……」
盗賊団とか、そういうのだろうと、彼は適当に解釈した。
「まあ、あたしらと同じような理由で、金持ちが集まると考えた連中もいるんだろうさ」
おかわり、とコップを差し出しながら彼女が言う。
「神託が下ったって話だからね……本物の御使い降臨を期待して、信心深い奴らが、あちこちから集まって来たんだろう」
皆殺しだったけどね、と彼女は顔をしかめる。口の中に嫌な味が広がる錯覚でも覚えたのか、エルフィスが差し出したコップの中身を呷り、テーブルに置く。
「ごちそうさん。終わったら広間においで。お頭が呼んでるよ」
「そう」
出ていく彼女が扉を開けた瞬間、広間の方から賑やかな雰囲気が伝わって来た。
男たちの――少々下卑た――笑い声と、彼女とは別の女性の声。どうやら、全く収穫がなかった訳でもないようだった。
とりあえず夕食の下拵えだけ済ませ食堂へ顔を出すと、案の定、既に酒盛りが始まっていた。
予想が当たった事に特に感慨もなく、エルフィスはテーブルの真ん中へ大皿を置く。適当に作ったツマミだった。
「おっ、気が利くじゃねえか」
そう言って早速、数人が手を伸ばす。
「なに盛り上がってるの?」
何となく訊くと、同じくツマミをパクついていた歳の近い男が、とっておきの秘密でも打ち明けるように、へへ、と笑った。
「あれだよ、あれ。今日の収穫。上玉だぜ?」
示された方へ目を向けると、ドルムスが座る椅子の前に、細身の女性がひとり跪かされている。
背中を隠す癖のない金色の髪に、鋭く睨みつける赤い目。白い頬は屈辱に歪み、両腕は後ろで拘束されているようだった。白いワンピースの腰を革のベルトで絞り、胸部と肩だけを覆う明らかに実用的ではない鎧を身に着けている。傍らにはサークレットも転がっていた。壁に立てかけられている剣も彼女の物だろう。
何処のイタい馬鹿女を連れてきたのか――そんな感想も、彼女の背に折り畳まれた純白の翼≠見れば霧散する。
「信じられるかよ。マジもんの御使いだぜ? 壊滅した村で、ぼーっと立ち尽くしてやがった」
「……どうやって捕まえたの」
呆然としていたんだとしても、御使いは御使いだ。そう簡単に捕らえられる訳がないが。
男は、チッチッチ、と舌を鳴らして指を立てる。
「封魔の銀、ってもんがあるのさ。御使いだろうが他の魔物だろうが、その力の源である魔力を押さえこんじまえるって代物だ。屋敷の抑制結界と合わせりゃ、無力化できねえ奴なんていねえぜ」
「へえ……」
つまり、あの御使いは、その封魔の銀で造られた鎖か何かで後ろ手に縛られているという事なのだろう。
「エルフィス」
ドルムスが振り返る。
「何? ツマミ?」
大皿に手を伸ばすが、
「いや、そうじゃねえ。お前もここにいる以上、いいかげん調教師になってもらわねえと困るんだよ。最近、奴隷どもが調子に乗ってやがるんでな」
「……それと俺が調教師になる事に、何の関係が?」
眉根を寄せるエルフィスに、別の男から声がかかった。
「お前が奴隷ども甘やかすからだろうが」
「別に、甘やかしてない。商品なら、少しでも良い値がつくように手をかけるもんじゃないの?」
「やりすぎだっつってんだよ!」
「とにかく!」
少し大きな声で全員を黙らせ、ドルムスは再びエルフィスに目を向ける。
「あいつらに身のほど教えるためにも、お前には調教師になってもらう。いいな?」
「……雑用の傍ら? それに俺、そういうのした事ないよ……多分」
「構わねえさ。いきなり俺たちと同じ事やれなんて言わねえよ。だから、まずは練習だ……こいつをお前にくれてやる」
そう言って彼は、御使いの方へ顎をしゃくった。
「えぇ!? そりゃ、いくらなんでもずるいっすよ、お頭ぁ……」
ツマミの最期の一つを取り合っていた先程の男が、勢いよく振り返る。その間にツマミを奪われ、ああっ、と情けない声を出した。
「文句があんなら、何人でもいいからかかって来い。俺に勝てたら考え直してやる」
その一睨みで、他の不平を口にしていた者たちも黙りこんだ。満足げにドルムスは鼻を鳴らす。
「つーわけだ、御使い様。今からあんたは、あのガキの所有物だ」
そう言って彼は、壁に立てかけられていた剣の鞘で御使いの顎を持ち上げ、エルフィスの方へ向けた。
その瞬間――
「あ――なた、は……!」
彼女は愕然としたように、その目を見開いた。
知り合いかと訊かれても、エルフィスには答えようがなかった。
記憶がない事を告げると、御使いは絶望にも似た表情で項垂れる――が。
「……ょくも」
呪詛のような震える声が洩れた。
「よくも彼を、ここまで貶めて……!」
鋭い視線で顔を上げた瞬間、彼女を中心に空気が渦を巻いた。勢いよく翼が左右に広がり、噴き出す魔力が室内を吹き荒る。コップや皿が床に落ちて割れた。
荒くれた男たちが悲鳴を上げる。ドルムスも、くっ、と冷汗を掻いていた。
「勇者の資質を持つ彼をっ――!!」
素早く立ち上がった御使いは、低い姿勢のままドルムスへ突撃する。瞬間――
スッと割りこんだエルフィスがドルムスを庇い、更に突撃する御使いの肩に手を添えて彼女の進行方向を逸らした。ついでに足払い。
「なっ――!?」
身体を泳がせた彼女は、両腕が拘束されているせいで受け身も取れずに床に転がった。椅子や机を蹴散らし、鎧が派手な音を立てる。
「何故……貴方が……」
裏切られたように見上げてくる彼女をエルフィスは一瞥したが、特に答えを返す事はしなかった。行くところのない自分は、今はここで生きるしかない。その事情は自分だけのものであり、そして、わざわざ他人に説明するほどの事でもなかった。
「ありがとよ」
ドルムスが肩を叩いてきた。
「面白えこと言ってたな……勇者の資質か。俺ぁ、こいつは料理人の卵か何かだと思ってたんだがな」
同感、とエルフィスは内心で呟いた。自分でも、妙に家事が板についていると思う。
「彼は……神託を受け、あの教会に来るはずでした。洗礼を受け……私と契約し……多くの者を……民を救って……。なのに――!」
悔しげに涙まで浮かべ、彼女は叫ぶ。
「勇者ね……」
何気なく、エルフィスは呟いていた。
「それって、人身御供でしょ?」
「え……?」
「よくあるじゃん。悪い王や領主に困らされているとこにフラッと旅の若者が来て、そいつが王や領主を倒してくれて、めでたしめでたし――って感じの話。俺は、あれ、責任逃ればっかり上手くなった怠け者と、考える事を放棄したお人好しの喜劇だと思うんだよね」
「何を……」
まるで自分を否定されているような、それを信じたくないような表情で、御使いは問う。
「結局その民は、自分たちが直面している事態を自力で解決しようとはしない。たまたま訪れた旅人を勇者に祭り上げ、何の関係もないのに問題解決に当たらせる。上手くいけば恩の字。失敗しても、他所者が勝手な事をしただけで自分たちは無関係って言い訳も出来る。勇者も馬鹿だけど、これが人身御供じゃなくて何なの?」
特に糾弾するでもなく、素朴な疑問を口にするような調子で、エルフィスは苦笑混じりに肩を竦めた。
「その資質とやらが俺にあるんだとしても、勇者なんて御免だよ」
違ぇねえ、と食堂は男たちの爆笑の渦に包まれた。
御使いは独り、打ちひしがれたように項垂れていた。
夕食後、エルフィスはドルムスと共に二階の廊下を歩いていた。
いつも自室へ向かう廊下だが、いま向かってるのは自室ではない。その隣の部屋だ。
例によって空き部屋だったそこは、先程まで数人の男たちによって掃除が行われていた。適当にやったら飯抜き、と言われていたので、そうとう頑張った事だろう。彼らは、めでたく遅めの食事にありついている。
普段から誰に対してもやっているようにエルフィスが扉をノックすると、隣でドルムスが深々と溜息をついた。そんなんだから奴隷にナメられるんだ、とでも言いたげに。
それ以前に鍵がなければ内側からも扉は開けられないようになっているのだから、ノックの意味はないのだが。
扉を開ける。そこは二人部屋だったが、特に意味はない。エルフィスの部屋の隣であるという以上の意味は。
抑制結界や封魔の銀でも無力化しきれない御使いを、他の奴隷と同じように扱うのは危険――そんな判断から、彼女はここに監禁される事になった。エルフィスに対しては比較的、反抗的ではないという理由もある。
御使いはベッドの上で膝を抱えていた。鎧も着けたままだ。
重くないのかと訊こうと思ったが、身体を硬くして警戒の視線を向けてくるだけの彼女が答えるとも思えなかった。
「……何のご用ですか」
「呆れたな……もう忘れたのか。お前はこいつの、調教練習用の性奴隷だ」
ドルムスが鼻で笑うと、彼女は更に目つきを鋭くする。
「汚らわしい……よくも彼に、そんな事を」
「まるで他人事だな」
その言葉に、御使いは僅かに身を竦ませた。ジャラ、と金属音。
彼女の左足首には封魔の銀で出来た足枷が嵌められ、同じく封魔の銀で出来た鎖でベッドに繋がれていた。入浴時にはその端はエルフィスが持ち、監視する事が先ほど決まった。
「おら、エルフィス。とりあえず、好きにやってみな」
そう言ってドルムスは椅子を引き寄せ、万が一の逃亡防止のためか、扉の前で腰を下ろした。
「食後は眠くなるんだけどね……」
ぼやく彼に、ヤってから寝ろ、と唸る。
エルフィスが近づくと、御使いは怯えたように後退る。しかしすぐにベッドの端に到達してしまった。
そのままベッドを降りて逃げる事も出来るが、鎖で繋がれている彼女の行動範囲は、この部屋以上にはならない。ましてや魔力が抑えられている以上、すぐに捕まるのが関の山だ。
「こ……来ないでください」
震える相手に構わずベッドに腰を下ろす。そして、
「お前の名前は?」
「……え…………?」
思いもしない言葉だったのか、御使いは呆気に取られたような表情で固まった。
「ああ、俺はエルフィス。記憶ないから仮の名前だけど」
気負いのない――というより無関心に近い無表情でいる彼に、暫く黙っていた彼女は小さく答えた。
「……エイリア=ルウ」
「そう……エイリア、ね」
確認するように彼が名前を呟いた途端、ピクンとエイリアの身体が震えた。
その頬が薄く赤らんでいるのを見て取ったドルムスが、意外と簡単そうだとでも言いたげに、ほくそ笑んでいた。
※
「で? どうすればいいの?」
クルリとエルフィスが振り返ると、ドルムスは唖然となった。
記憶喪失だから分からないのか、やった事がないから分からないのか――自分でもどちらなのか分からないが、たぶんエイリアよりも自分の方が手間がかかるであろう事が少し申し訳ない。
「……キスくらい分かんだろう?」
「……ああ、うん。それは分かる」
何故そこで微妙に間が空くのか理解しかねるといった表情で、ドルムスは頭を振った。
エルフィスは視線を戻し、エイリアの方へにじり寄る。
「やっ、やめてください! こんな――」
「仕事でね……」
素っ気なく相手の言葉を遮ると、頭の後ろへ手を回して引き寄せ唇を重ねる。
「んむ……!? んんー!!」
エイリアは大きく目を見開き、涙を滲ませながら身体を硬くした。振りほどこうと腕でエルフィスを押し退けようとするが、結界と拘束具のせいか力は外見相応だ。
「程々んところで舌入れろよ」
ドルムスの投げやりな指示に、
「ぅむ……ふむっほ」
「……その状態で喋んな」
唇を合わせたまま返事をすると、半眼で顔をしかめられた。
軽く唇を吸い、後頭部に回していた手をうなじから首筋へと滑らせる。喉から鎖骨のあたりを指先でなぞり、口を塞がれたままのエイリアが喘ぐように息を呑んだ瞬間、舌を滑りこませる。
「んっ――んぅ!?」
苦痛に耐えるように瞑られていた彼女の目が見開かれた。押し退けようとする力が強まり、子犬が淋しさに鳴くような声が鼻から抜けていく。
舌同士が触れ、ぬるりとした感触と共にエイリアの熱を感じた。何ともいえない柔らかさと、唾液の味。逃れるように彼女は舌を退き、エルフィスはそれを追いかけて絡め取る。
記憶を失う前はどうか知らないが、今のエルフィスにとっては初めての感覚だった。素直に気持ちいいと思う。癖になりそうだ。
「んっ――んぅー! む……ん、ぅふ――ぁん……ぐ、ぁう」
くちゅくちゅ――ちゅっ、ちゅる……ぢゅ――頭の中で淫靡な水音が響き、エイリアの震える身体から力が抜けていく。舌と舌の鬼ごっこは、舞台が彼女の口の中である時点でエルフィスの有利なのだ。
逃げては追いつかれ、触れ、絡まり、逃れようともがき、そして再び逃げて捕まる。口づけを拒もうとする動き自体が、むしろ快感を高めていくのは皮肉だった。
合わさり、吸いつき、ふにゅりと形を変える唇や絡み合う舌を伝って、混ざり合った二人の唾液がエイリアの口の中へ溜まっていく。彼女は小さく喉を鳴らしてそれを飲みこみ、空気を求めるように口を離した。しかし、それも一瞬の事――再びエルフィスに口を塞がれてしまう。
それまで相手の舌を絡め取る事に執心していた彼は、しかし今度は自分の舌先で彼女の口内をいじめ始める。
「んっ――!? んぅぅぅぅぅっ!」
口腔内の天井をチロチロとくすぐってやると、エイリアは悲鳴のような喘ぎ声を洩らして身体を震わせた。
そのままベッドに押し倒す。重なり合った唇の隙間から零れ、顎の方へと流れていた二人の唾液が、頬から首へと伝う流れに変わった。
「次は胸か……焦らすように初めは周りから責めろ。乳首は最後だ」
欠伸を噛み殺しながら、ドルムスが指示を出す。が、
「……この鎧、どうやって外すの?」
エイリアに覆い被さったまま、唾液の糸を引いて僅かに唇を離したエルフィスは、髪の間から視線だけを向けた。
「……脇のとこにベルトがあるだろ」
「ああ、ほんとだ」
ドルムスは深々と息をついた。まさか性技の手ほどきで、鎧の構造を説明する羽目になるとは思わなかったのだろう。
「――んぁ……お、おやめなさい。貴方は……こんな……っ」
赤い顔で息を荒らげているエイリアに構わず、むしり取るように鎧を外し、彼女を引っくり返して抜き取る。その下に纏っていたのは、襟ぐりの大きく開いたワンピースだ。
汗で湿って薄く透けた上から、優しく胸をさする。
「――んんっ…………」
エイリアは唇を噛んで硬く目を閉じ、顔を背けて快感に耐えていた。片手を口元に押し当て、反対の手でシーツをギュッと握る。それに倣うようにエルフィスが胸を軽く握ると、ビクンと身体が跳ねた。
「……面白い」
ぽそっとエルフィスは呟く。ワンピースの上からでも薄く色づいて見える乳首を、中指の腹で撫でたり転がしたり。その度にエイリアは身体をよじっている。
ワンピースの肩紐を引き摺り下ろして胸を露出させると、
「ぁん――!」
敏感になっている肌と生地が擦れたのか、一瞬、彼女が背を浮かせた。その反動で程好い大きさの胸が、ふるんっ、と揺れる。
エルフィスは、揺れながら逃げるように動き回る先端の突起を手全体で捕まえ、円を描くように揉みしだいた。
「んっ、んあ……ふ、んんっ――ああっ……!」
すると、そのリズムに合わせるようにエイリアは喘ぎ、洩れる声も熱を帯びていく。
「すっかりその気だなぁ、御使い様? ……つーかセンスいいな、お前」
エイリアを嗤いながらも、ドルムスは呆れたような視線をエルフィスに向けた。
「そう……?」
チラリとそちらを一瞥し、エルフィスは乳首を口に含む。
「んぁん! やめっ――やめてください……!」
右へ左へ身体をよじるエイリアを押さえつけ、軽く吸ってから舌先で乳輪をなぞり、乳首を転がしてやると、彼女は悲鳴のような声を上げながら仰け反った。
「……ん?」
ふと、エルフィスは違和感を覚えて口を離した。
身体を重ねていたから気づいたのだが、いつの間にかエイリアの下腹部に染みが出来ていた。触れてみると、じっとりと湿っている。
まさかと思い顔を上げ、
「なあ、お頭――」
「先に言っとくが、そういうもんだ。お前が思ってるようなもんじゃねえ」
天然ボケも大概にしとけよ、と表情で語りながら、ドルムスは腕組みをする。
漏らしたんじゃないのか、と失礼な事を考えながら裾を捲ろうとすると、慌てたようにエイリアが手で押さえてきた。
「いっ、いけません! そんなところ……汚いです」
懇願するような声と視線に思わずドルムスを見るが、彼は無言で顎をしゃくる。
「悪いね」
抑揚のない声で言うと、彼女の手を退け、押さえつけたまま裾を捲り上げた。
エイリアの股間は、それこそ失禁したかのように濡れていた。よほど恥ずかしいのか、それとも単に泣いているだけなのか、彼女は両手で顔を隠している。
「そんだけ濡れてんなら問題ねえ。脱がせろ」
指示に従って下着に手をかけると、指先にぬるりとした感触を覚えた。
確かに失禁とは違うらしい、とエルフィスは理解する。そのまま一番濡れているあたりを指先でクルクルと楕円を描くように撫でていると、んっんっ、とエイリアが小さく声を洩らした。
つまり本来は、こうして濡れさせるのか――先程のドルムスの言葉と合わせて、彼は更に理解を深める。
恥毛は薄かった。色のせいで目立たないのもあるのだろうが、それでも少ない。
調教師ではないものの、エルフィスも他の者の事後処理をすること自体はあった。中にはグッタリと、あられもない姿で動けずにいる女性もいるので、そのグロテスクさを想像していたぶん拍子抜けしていた。
「処女なんざ、そんなもんだ」
つまらなそうにドルムスが言う。
「普通は指やら舌やらでほぐしてやるんだが、それだけ濡れてれば入れても問題なさそうだな……まあ、好きにしろや」
エルフィスは暫く考える。いちおう練習なのだから、普通のやり方をなぞるべきだろう。
いきなり触れるのも驚かせてしまうだろうと思い、まずは下腹部のあたりへ手を伸ばした。優しく撫でようとするが、触れた瞬間ピクンと身体が震えたので、あまり意味はなかったようだが。
下へ手を滑らせ、指先で割れ目をなぞる。人差し指と薬指で秘唇を押し開き、中指で内側を刺激すると、エイリアは腰を浮かせて左右にくねらせ始めた。
「ぁん! いっ……ぃい、ゃ……ぃゃ――ぁ……っ!」
「おいおい、反応いいな。本当に処女か?」
ニヤニヤとドルムスがそれを見つめ、エイリアは屈辱と羞恥で耳まで赤くなる。それが更に彼女の興奮を高め、愛液は、まるで噴き出すようにその量を増した。
「ついでだから、穴の位置確かめとけよ? しょんべんの穴とケツの穴の間だ」
追い討ちをかけるようなその言葉に頷きつつ、エルフィスはズブ濡れになった手を持ち上げ、物珍しげにその指先に舌を伸ばす。するとエイリアは恐怖にも似た表情で首を振った。
「――嫌っ……嫌です! そんなもの、舐めないでください!」
「……そう?」
どっちみち、このあと舐めるんだけど――胸中で答えながらエルフィスは彼女の股間に顔をうずめる。先程まで指でなぞっていた部分に舌を這わせると、
「んあっ!?」
ビクンッ、と。
それまでにないほどに、エイリアの腰が跳ねた。
どうやら、これが気持ちいいときの反応らしいと理解しつつも、エルフィスは僅かに顔をしかめていた。妙な味だった。甘いような酸っぱいような、しょっぱいような。
同時に、鼻孔をくすぐる香りのせいか、先程までより更に下半身が硬くなっている。少し痛い。
味に関しては、そういうものなんだろうと思い直し、更に舌で愛撫する。
「あっ、ああっ――んやっ、ゃん! ぁん……ああん!!」
割れ目をなぞり、秘唇の周りをくすぐり、尖らせた舌を割りこませ、上の方の小さな突起に軽く歯を立てる。その度にエイリアは腰をくねらせて、あられもない声で啼いた。
ビクビクッと彼女がひときわ大きく身体を痙攣させたところで、エルフィスは口を離す。愛液に濡れた唇を手の甲で拭っていると、
「……どうでもいいけど、本番前に何回イかせてんだよ」
半眼のドルムスが、呆れと同情を等分に混ぜたような口調で呟いた。
「何か、まずかった?」
「いや、まずかねえけど……なんつーか、初体験から大変だなぁ、と」
他人事のように言う彼を、エイリアが涙を滲ませて睨みつけた。
「ああ、前言撤回。まだまだ余裕ありそうだから、徹底的にやっちまっていいぞ」
睥睨するように嗤うドルムスに促され、エルフィスはベルトを外す。露出した彼の下半身を見て、ひっ、とエイリアが息を呑んだ。
「おいおい、標準サイズにビビってんなよ。まあ、相手が俺じゃなくて良かったな」
くくっ、とドルムスは嗜虐的な笑みを浮かべる。
エルフィスは愛液を相手の股間周辺に塗りつけると、先ほど確認しておいた位置に屹立した亀頭を押し当てる。んっ、と声を洩らしたエイリアが恐怖に表情を歪め、
「嫌っ――嫌です! こんな……やめて……やめてください!!」
「いちいち構うな、こっち見んな! やれ!」
愕然と目を見開き激しく首を振るエイリアの腰を押さえつけ、割れ目を押し広げながら亀頭を二、三度上下させると、ゆっくりと突きこむ。
「あっ!? ああ……ぃ、た――ぅぐ……あ、ぐ……ゃめて……ゃめ……」
抵抗に構わず押し入り、最後にブツンという感覚が伝わって来た瞬間、
「――ぃやあああああ…………!!」
絶望色の血を吐くような叫び声と共に、それまでエルフィスを押し返そうとしていた彼女の手が、とさり、とシーツの上に落ちた。
11/12/02 17:44更新 / azure
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