連載小説
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二章
      ※

 ギシギシとベッドが軋む。
「あっ……あんっ――やぁ……ぁん! ぃい……やっ、ゃめ――あぁん!」
 その軋みに僅かに先んじて、カーテンが引かれた薄暗い部屋に艶のある喘ぎ声が響いていた。それに合わせて、程好いボリュームの白い胸が揺れる。敏感になった身体は、そんな些細な振動すらも快感に変えてしまうらしかった。
 屈辱に表情を歪め、苦痛を堪えるように目を瞑り、震える手でシーツを握り締める。自分を貫く動きがピッチを速めた事で、エイリアの顔に焦りと恐怖が浮かんだ。
「嫌っ――おやめなさい! 中は……もう中には出さないでえええええ!」
 しかし懇願も虚しく、彼女の言葉が終わるより早く相手の動きが止まる。ビクビクと震え、そのまま、いちばん深い場所でビュルビュルと熱い液体が吐き出されるのを感じた。
「あ……あぁ……。出てる……また……中、に……」
 諦めを滲ませた声音で、エイリアは呆然と呟く。もう何度目だろうか――こうして彼に抱かれるのは。
 ずるり、と男のモノが引き抜かれ、その感触にすら甘い痺れを走らせながら、彼女はベッドに倒れ伏す。股間にねっとりした液体の感触を覚えるのは、抱かれた回数より多い事だろう。
 唇を噛み締めようとするが荒い呼吸がそれを許さず、また、力も入らない。それが悔しくて、エイリアはシーツに強く顔を押しつけた。滲む涙をシーツで拭う。
 窺い見れば、先程まで自分を背後から貫いていたエルフィスは、既に着替えを始めていた。僅かに息を荒らげ頬も紅潮しているが、それほど感情の昂りのようなものは感じられない。
 いつもの事だった。いつも彼は、自分を事務的に抱くのだ。
 もともと表情や感情を表に出す事が少ないエルフィスは、この屋敷の者たちにとっても何を考えているか分かりづらいところがあるらしい。他の男を知らないエイリアも、何となく、それは理解できた。
 確かに違う――エルフィスから聞いた限りでは、他の調教師たちは、あくまで商品を仕付けるためである調教にも、個人の欲望を持ちこむのだそうだ。
 反面、エルフィス自身は心底から商品を磨き上げる事を目的としているかのように、なるべく私情を排して行為を行う。もちろん生物的な行為である以上、興奮も快感も切り離せるものではないのだろうが。
 それでも、その、事後ですら淡々とした態度は、相手をした女性に不安と、もしかしたら落胆を与えるのではないだろうか。ふとそんな事を考えてしまい、エイリアは自己嫌悪に陥る。
「貴方は、何故……」
 悔しくて――自分が待ち望んでいた勇者がこんな所に堕ちている事ではなく=Aそこから救い出す事も出来ない自分の無力が悔しくて、囁くようにエイリアは声を洩らした。再び涙が滲み、唇を噛む。
「言わなかったっけ? 俺は――今は、ここで生きるしかないんだって」
 記憶もなく、行き場もなく、そのための路銀もない。だから、ここにいる――ここにいる以上は、ここの仕事をせざるを得ない。それは聞いていたが。
「落ち着いたら風呂にする? それとも、ひと眠りする?」
 一瞥だけをくれ、エルフィスは立ち上がる。素肌に羽織っただけのシャツのボタンを止める彼へ、
「……お湯をいただきます」
 前を隠して起き上がったエイリアは、俯いて答えた。

 娯楽の少ない天界に、それでも誰もが興味を示すものがあるとしたら、それは勇者と守護天使のロマンスだろう。
 エイリアもまた、そういった物語を聞いて育った。幼い想像に赤くなったり、友人たちと盛り上がったり。
 いつか自分が下界へ降臨し、神託を受けた勇者と契約して、その勇者がもし契約以上の意味で自分を認めさせたら――そのときは捧げようと思っていた。そんな憧れを抱いていた。
 こんな形で奪われる事など考えてもいなかった。


 悪循環、という言葉を覚えたのがいつかは分からない。記憶がないから分からないし、記憶がないのに憶えている理由も分からなかった。
 とにかく悪循環だ、とエルフィスはモップで床を擦りながら思っていた。
 この屋敷での自分の仕事は、掃除、洗濯、水汲みに食事の用意。もちろん全部ひとりでやる訳ではないが、掃除に関しては不精な者が多いため、特に共有スペースの掃除は怠れなかった。
 そこに調教師としての練習が加わった事で、それらが万全に行えなくなっているのだ。有り体に言うなら、忙しい。
 商品の質は環境によっても変わるだろうなどと余計な気を回して、自分の首を絞める形になったのも痛かった。奴隷たちを甘やかしすぎているというのは、こういうところなのかも知れないと思う。
 手を止め、溜息。立てたモップの先端に両手を重ね、その上に顎を乗せた。
 見回す――奴隷棟の共有スペースには、もうゴミらしいものは見当たらない。
 こんなもんかな、と思っていると、先程から隅っこで膝を抱えていた短い黒髪の少女が、何か言いたげな視線を向けている事に気づいた。
「何?」
「あ……うん。あのさ……あんたも調教師になったって、ほんと?」
 エルフィスは頷く。そもそも彼女たちの増長に歯止めをかけるために調教師にさせられたのだから、それが知られている事も当然だろう。
 そっか、と彼女は身体を縮める。
「あたし――どうせなら、あんたに調教されたかった……」
「……なに言ってんの?」
 思わず耳を疑った。まさか調教に前向きな奴隷がいるとは思わなかった。
「あっ、いや――違うって!」
 自身の言葉の危うさを理解して、彼女は慌てて言い直す。
「ムサ苦しいオヤジに抱かれるより、あんたの方が絶対いい――じゃなくてマシだって事!」
「ああ……」
 気分的な事か、とエルフィスは納得した。
「そうしてやってもいいよ?」
 突然の声に、少女の身体がビクッと震える。対するエルフィスは驚きもせずに、そちらを振り返った。
「終わった?」
「ああ」
 頷いて近寄って来たのは、アマルダだった。彼女は同性相手でもイケルくちである。
 そういった者を何と呼ぶかはエルフィスは知らないが、何となく両生類という単語が思い浮かんだ。たぶん間違っているのだろうが、それほど外れてもいないようにも思う。
 アマルダは少女の顎を掴み、上を向かせる。それから右、左と角度を変え、
「ふうん……なかなか上玉じゃないか。役得だね、エルフィス。この子はもう何度もヤってるし、開発されきって殆ど仕上がったようなもんだから、普通に楽しめばいいさ」
 既に自分が汚れ切っている事を暴露され、少女が頬を紅潮させて体を硬くするが、それには気づかずエルフィスはアマルダを見遣る。
「じゃあ、俺がする必要ないんじゃない?」
「硬く考える事ぁないよ。御使い様での練習の成果を試してみればいいさ」
 そう、と呟いてエルフィスは少女を一瞥。彼女は何故か膝に顔をうずめ、両手で耳を塞いでいた。

 アマルダと一緒に住居棟へ戻ると、いつものように商品の仕入れに行っていた者たちが帰って来たところらしかった。
 しかし何故か彼らは中へ入って来ようとはせず、玄関先で騒いでいる。
 怪訝そうに眉根を寄せたアマルダに続き、エルフィスもそちらへ向かう。扉を開けると、苛立たしげなドルムスの声に続いて、甲高い子供の声が飛びこんできた。
「だから手前ぇなんざ商品にならねえって言ってんだろ!!」
「何さ! そういうのが趣味な奴だっているんだろ!? だったら、あたしを仕付けろよ!!」
「悪ぃが、うちは変態の客はお呼びじゃねえんだよ!!」
 奴隷商人な段階で、と思わなくもなかったが、彼らは彼らなりの線引きがあるのだろうとエルフィスは思い直す。
「騒がしいね! 何なんだい、まったく……」
 アマルダが一喝すると、全員の視線が彼女に向いた。
「いつの間にか、このガキが紛れこんでてな……追い返そうとしてんだけど、聞きやしねえ」
「追い返されたって、あたしにはもう行くとこなんてないんだ」
 大きな瞳で睨みつけるように言ったのは、サラリとした短い赤毛の少女だった。外見だけから判断すれば、その年齢は十一、二といったところだろう。
「あ〜……確かに、まだちょっと若いねぇ……」
 渋い表情でアマルダが言う。
「……行くところがないってのは?」
 何となく興味を引かれて、エルフィスは口を開いた。
 赤毛の少女は、警戒心を溶かした値踏みするような表情を向け、
「……口減らしって知ってるかい」
「いや」
 記憶を失くす前ならともかく、今は知らない。
「食べる物がないから、食べる奴を減らすのさ。……あたしは親に殺されそうになった」
 周りの男たちがザワつく。ドルムスが眉を顰め、アマルダが不機嫌そうに舌打ちをした。
「母親――だった女が言ったんだ。あたしがもう少し大きければ、娼館に売れたのにって。そしたら父親だった男が、子供にいやらしい事するのが好きな奴もいるって……」
「……だから馬車に忍びこんだのか」
 いちおう同情的な口調でドルムスが呻く。
 エルフィスは思う――それはつまるところ、彼らが人を攫うところを彼女に見られているという事ではないだろうか。単に、実の親に殺されかけるような所に比べたら何処でもマシだと、たまたま見かけた馬車に忍びこんだのだとしても、到着直後である現状で、彼らの仕事内容を理解しているのはおかしい気がした。
 もっとも、男たちの誰か――或いは数人が、攫うと決めた獲物を先に味見していたのだとしたら。そして、それを彼女が見ていた――もしくは、彼女が忍びこんだ馬車の近くで感想を言い合ってでもいたのなら、話は変わるが。
「この館の場所を知られておいて、追い返すってのは不用心な気がするねぇ」
 アマルダがボヤく。
 エルフィスは小さく深呼吸。
「商品にならないなら、そいつも俺にくれない?」
「ああ……?」
 胡乱げな目でドルムスが振り返った。
「お前……頑なに銜えさせないだけじゃなくて、そんな性癖もあったのか」
「ないよ。そうじゃない」
 半眼で言い返す。余談だが、相手に銜えさせたくないのは、そのあとキス出来なくなるからである。しっかり癖になっていた。
「労働力として置いたらどうかって事。お頭が調教師もやれって言ったせいで、本来の雑用が疎かになってるんだよ」
 ほら、と近くにあった窓枠を人差し指でなぞる。指先には僅かに砂埃が付着していた。
「だから、そいつを補佐として俺にくれない?」
 ドルムスは暫し考えこみ、
「……このガキがいる事でかかる出費を全部お前の取り分から引いていいなら、くれてやる」
「いいよ。商談成立ってやつ?」
 僅かに満足げな表情を浮かべながら、エルフィスは少女へ向き直る。
「お前の名前は?」
「じ……自分から名乗れよ」
 何故か少女は、赤くなって僅かに身を引いた。
「ああ、そっか。俺はエルフィス」
「……エイミー」
 渋々と――何故か若干屈辱的にも見える表情で、彼女は名乗った。

『ガキ一匹に一部屋くれてやるのも馬鹿馬鹿しい』というお達しの結果、エイミーはエイリアの部屋に住む事になった。
 ベッドは二つあるのだから問題ないが、調教のときはどうするのだろうとエルフィスは思う。
 同じ事を考えたのかアマルダが訊くと、その間はエルフィスの部屋にでもいればいい、とドルムスは答えた。が、
『その間に他の奴らに変な事されそうだから、嫌』
 袋叩きを希望しているのかと疑いたくなるほど挑発的に、エイミーは顔をしかめて見せた。
 色めき立つ男たちを黙らせ、ドルムスは面倒くさそうにエルフィスの部屋の合鍵を彼女に渡して、屋敷へ入っていった。
 確かにそれなら、内側から鍵をかけておけば、エルフィスが持つ鍵で開けない限り彼女は安全である。

 エイミーの小さな手を引いて、エイリアの部屋へ向かう。
 彼女は俯いたまま大人しくついてくるが、不意に握る手に力が入った。怪訝そうにエルフィスが振り返ると、
「あ……あのさ。……ありがとう」
 何故かまだ赤い顔で上目遣いに見上げてくるエイミーに、エルフィスは彼女が誤解している事を悟る。
「俺がお前を貰ったのは、お前が可哀想だとか思ったからじゃないよ」
「……それでもいいよ。少なくとも、ここでは殺されない――頑張れば。ごはんだって食べられるし、暖かいベッドで眠れる。それだけでいいよ。だから……あ、ありがとう」
 何かが限界でも迎えたらしく、彼女は最後まで言い切る前に俯いてしまった。

「という訳で、仕事してるとき以外の世話はよろしく。名前はエイミー」
「……は?」
 もじもじと後ろに隠れようとするエイミーを押し出すと、いつも通り扉が開いてから警戒を解かずにいたエイリアが、ポカンと口を開けた。
 ちゃんと面倒見るからといって拾ってきた子猫の世話を二秒で投げた駄目な子を見るような目にも思えたが、あくまで補佐として貰ったのだから、それ以外の事で何をしても非難される謂れはないとエルフィスは思う。勿論、ぜんぶ彼女に任せる訳ではないが。
 エイミーはというと、
「み……御使い様だ。本物の御使い様だ……」
 うわごとのように繰り返しながら、やはり後ろへ隠れようとする。どうも畏れ多くて直視できないらしい。定位置のように、エルフィスの背中にしがみつく。
「……御使い様にも、いやらしい事してるの?」
「うん。練習」
 頷くと、
「練習!? 本番じゃないの!? 他に本番があるの!? 御使い様を差し置いて!?」
 何やら物凄い驚き方で、しかし背中に顔を押しつけてでもいるのか、くぐもった声で非難された。
「うぅ……やっぱり悪い人だ。ありがとう、なんて言うんじゃなかったかも」
「後悔は先に立たないってやつ……?」
 よく分からないので適当に答えたが、どうやら正しい答えではなかったらしく、うぅぅ、と彼女は更に呻いただけだった。

      ※

 とはいえ人が――それも子供が一人増えたくらいで劇的に雑用が楽になる事などなかったが、それでもエルフィスの体感的には、かなりマシになった。
 中庭で――比喩ではなく――山と積まれた洗濯物を干していると、いつから見ていたのか、歳の近い男が呆れと、気のせいかもしれないが若干の恐れを滲ませて呟く声がした。
「なんつーか、こう……何とかする奴≠セよな、お前……」
 物干し竿だけではなく木々の間に張られたロープにも洗濯物をかけていたエルフィスは、エイミーが広げて手渡してくるタオルを受け取りながら振り返る。
「何が?」
「いや、改めて言うのもなんだけど、量すげえじゃん? なのに、お前、完璧に片づけるし。掃除も飯作りも……まあ一時期、味落ちたけど、どうにかやってるし」
 そこで彼は半眼になり、
「おまけに、いつの間にか屋敷ん中で権力握ってるし……」
「握ってないよ。いちばん下っ端なんだから」
「……お前の機嫌損ねると飯が不味くなるって、常識になってるの知らねえのかよ」
「知らないよ」
 素っ気なく返すと、男は嘆息した。
「まあ、だから機嫌取りに手伝おうと思ったんだけどな。礼は飯んとき、俺の分の肉を多めにしてくれりゃいいや」
「手伝う前からお礼を要求するなんて、厚かましい男……」
「ぁあ?」
 軽蔑したような視線でボソッと呟くエイミーに、男は険悪な表情を向けるが、
「歯向かうな。犯されるぞ?」
 冗談とも本気ともつかない口調で興味なさげに言うエルフィスに、毒気を抜かれたように項垂れ、ねえよ、とだけ答えて洗濯物を手に取った。

 夕食は、まだ辺りが明るいうちから作り始める。
 作る量自体が膨大なので、早くから始めないと夕食時に間に合わないのだ。
 子供だからなどという配慮はなくエイミーをこき使い、また意外にも手伝ってくれる事が多いアマルダのおかげもあって、何とか毎日、時間に間に合わせている。
 作り終わったら、まずは奴隷の分を彼女たちの所へ運ぶ。
 別に紳士を気取っている訳ではなく、煩わしい事を先に片づけているのだ。エルフィスには、他の男たちへの給仕の役目もある。
 エイミーは基本的に、エイリアと一緒に食事をする事が多かった。畏れ多いと彼女に遠慮していたのは初めだけで、翌日にはリア姉ぇと呼び慕うようになっていた。
 エイミーは何故かエルフィスも交えて食事をしたがるのだが、先の理由から断らざるを得ない。少しだけつまらなそうな表情の彼女と一緒に、二人分の食事をエイリアの部屋まで運ぶのも、日課といえば日課だった。


 エルフィスが部屋へ来るのは、男たちが酒盛りを始めた証拠だった。
 彼は下戸ではないが、大勢で騒がしく飲むのは好みではないらしい。大量のツマミだけ作っておいて、さっさと引き上げてくるのだと言っていた。
 基本的に来訪と凌辱はイコールであり、エイリアは身体を硬くする。両手で自分を抱きしめ、顔を背けた。
 少し――頬が熱いような気がした。
 不可解だった。自分のささやかな夢を最低の行為で奪い、踏みにじり、その後も幾度となく身体を汚す者の顔を見るのが――或いは見られるのが――恥ずかしい≠セなんて。
 候補とはいえ、自分の契約者である事が理由なのだろうと、エイリアは分析する。それでも、まだ、何処かでエルフィスを信じている自分の扱いに困っているのだから。
 果たして自分は正しいのか、それとも、ただの馬鹿な女なのか。
 けれど今日に限っては、エルフィスはエイミーを追い出す事もしなければ、これも仕事だとでもいうような関心のなさそうな表情でエイリアの方へやって来る事もなかった。二つあるベッドの片方――普段エイミーが使っている方へ仰向けに倒れこむ。
 そのまま薄く息を吐いて目を瞑る彼へ、おそるおそる窺うようにエイリアは聞いてみた。
「……疲れているのですか?」
「別に、疲れてるってほどでもないよ。ちょっと横になりたかっただけ」
 薄目を開けて視線を向けて来たエルフィスと目が合い、意識せず彼女は目を逸らしてしまう。
「……何やってんの?」
 ふと彼は、先程から机に向かって何やら書き物をしているエイミーに目を向けた。
「読み書きと算術を教えています。彼女は、いつか必ずここから出ていきますから」
「そう……」
 どうでもよさそうに、彼は再び目を閉じた。

 暫くして、部屋の扉がノックされた。これは、この屋敷では、かなり珍しい事でもある。
 そもそも屋敷の男たちは寝るとき以外は部屋の扉を開けっ払ってあるらしく、ノックという行為をする者自体、エルフィスくらいしかいないのだそうだ。それ以前に、この部屋を訪れる者はエルフィスとエイミーしかおらず、その二人が室内にいる状況でノックがされるというのは、ここへ来て初めての事かも知れなかった。
「……どうぞ」
 警戒心に表情を引き締めながらエイリアが返事をすると、やや間があってから扉が開く。
「鍵をかけてないなんて、意外だね」
 顔を覗かせたのは、アマルダだった。彼女は室内を見回してベッドの上のエルフィスを見つけると、
「悪いけど、ちょっと起きてもらえるかい? あんたに飛びこみで一件、仕事だよ」
「……仕事?」
 むっくり起きたエルフィスは、髪を掻き上げながら怪訝そうに言う。
「ああ。レミアって憶えてるかい? あの子の相手をしてほしいのさ」
「誰だっけ?」
 その返答に、アマルダは呆れと同情の滲む苦笑を浮かべた。
「酷い男だね。抱いてやる約束をした相手くらい、憶えてておやりよ」
「してないよ、そんな約束」
「けど、抱いてほしいとは言われたろ?」
「それも言われてない。他の奴よりマシだって言われただけだよ」
 大真面目に言いながらベッドを降りるエルフィスに彼女は深々と溜息をつく。
「……この、大朴念仁」
 話が見えないまま成り行きだけを眺めていたエイリアは、声が途切れたのを見計らって割りこむ。
「あの……どういう事ですか?」
「何だい、御使い様。焼きもちかい?」
「そんな訳がありません!! いたいけな少女に不浄な行為を働くのは、おやめなさいと言っているのです!!」
「ふふっ……まあ、そう言わないどくれよ。どのみち今回限りなんだから、すぐに返してやるさ」
 全てお見通しとでも言いたげな視線を向けられ、エイリアは屈辱に頬を紅潮させた。悔しげに唇を噛んで俯き、その間にエルフィスは部屋を出、鍵をかけて去っていった。


 扉の向こうは、未だに喧騒が続いている。
 それを無視して暗い廊下を歩きながら、エルフィスは隣へ視線を向けた。
「今回限りってのは、どういう事?」
「何だい? 自由にヤれる女が御使い様ひとりなのは不満かい?」
 茶化すような言葉に黙っていると、アマルダは諦めたように溜息をつく。
 何となくエルフィスは、彼女の表情がいつもと違っているように感じた。光の角度のせいかも知れないが、変な意味ではなく、女の顔とでもいうか。
「……レミアの買い手が決まってね」
 いや――相手より長く女として生きてきた先輩としての顔、か。
「聞いて驚きな。相手の立場もあるから詳細は明かせないけど、とある貴族様の何番目かの妾だそうだよ。買い手ってよりは、輿入れだね」
 奴隷として売り飛ばされるだけの身としては、破格の扱いだろう。商売としても同様に。
 レミアの素性に関しても、相手が権力でいくらでも捏造するだろうとの事だった。
 アマルダの言葉には奴隷商人としての喜びはあったが、それと共にレミアを気遣うような響きが感じられた。
 それは、おかしいのではないか――エルフィスは思う。彼女たちにとって、あれはあくまで商品であり、少しでも高く売れればそれでいいというだけの存在のはずだ。
 それ以上に、貴族に輿入れする者を、ここへ来て自分に抱かせるというのは問題なのではないだろうか。買い手のついた商品を、わざわざ汚して価値を下げるような行いだ。
 それらの疑問を視線に籠めてアマルダを見つめていると、気づいた彼女は気まずげに目を逸らす。
「……あたしも女だからね。それにレミアが向こうで死人みたいな振る舞いしてたら、相手は貴族だ――機嫌を損ねたら、あたしら皆殺しだよ。この場所だって知られてるしね」
 ムキになったように、彼女は足を速める。
「だから、これは――なんていうか……最後の仕上げみたいなもんなんだよ」
 よく分からないが、それはつまり、彼女自身への言い訳のようなものなのだろうと思った。


 ノックをし、返事を待って部屋に入る。
 この屋敷で奴隷の部屋に入るのにノックをするのはエルフィスだけなので、返ってきた声にも怯えはなかった。
 既に部屋の前でアマルダとは別れている。ランプ一つの明かりしかない薄暗い部屋の中では、レミアがベッドに腰を下ろしてエルフィスを見つめていた。
「ありがと……来てくれて。あの人にも、後でお礼言わなきゃ」
「たぶん自己嫌悪に陥るから、やめた方がいいよ」
 アマルダの態度の何割かは、奴隷に情けをかけた自分の甘さを恥じてのものだろう。
「じゃあ、絶対言わなきゃ」
「……そうだね」
 茶目っ気を滲ませて言うレミアに、エルフィスは苦笑して頷いた。
「……もう聞いてるかな? あたし、もうすぐここ出てくんだって」
「さっき聞いた。何処かの貴族だって?」
 うん、と頷いてから、彼女は神妙な面持ちになる。
「あの……さ。あんたは調教師なのに、こんなこと言っちゃいけないのかも知れないけど……お願い聞いてもらえないかな」
「内容を言わずに、聞いてもらえるかどうかを先に確認するのは卑怯じゃない?」
「あ……ごめん」
「……まあ、出来る範囲でいいなら」
 どうも一大決心をしていたらしい相手の話の腰を折ってしまった事を反省しながら、エルフィスは先を促す。レミアは両手を胸に当てて目を閉じ、深呼吸を一つすると、
「あっ……あの――今だけでいいから、あたしのこと恋人みたいに抱いて!」
 瞳を潤ませる彼女に真っ直ぐ見つめられ、エルフィスは呆気に取られたように目を見開いた。
 しばらく沈黙が続き、徐々にレミアが俯いていく。
「――なんて。あは……なに言ってんだろうね、あたし。駄目だよね……ごめん、変なこと言って」
「いや、まあ……そのくらいなら出来る範囲内だけど」
 何で、そんな事を要求されたのかが分からなかったのだ。
 ただ、奴隷として調教されて、そういう形での交わり方しか彼女が知らないなら、あくまで妾として輿入れする以上、愛し合う者たちがどうするのかを知っておきたいと考えるのも当然かも知れなかった。妾と奴隷に、どれほどの差があるのかはともかく。
「ただ俺も、どういうのが恋人らしいのか分からないから、上手く出来ないかも知れない。先に謝っとくね」
 なるべく優しくしようと思いながら、エルフィスはベッドへ歩み寄る。レミアは、まだ信じられないような面持ちで小さく頷いた。

      ※

 優しく髪を撫でると、ん、とレミアは小さく声を洩らした。
 隣へ腰かけてからも、暫く撫で続ける。その手を、驚かせないように、ゆっくりと首筋へと下ろしていくと、彼女の体が震えているのに気がついた。
 これから行われる行為への恐怖ではないだろう。彼女は既に、何度もそれを経験しているはずなのだし。それとも、これまでと今回は何か違うのだろうか。その違いが女心とやらに起因するものであるなら、自分には理解できないとエルフィスは思う。
 落ち着かせるために、肩へ手を回す。ゆっくり抱き寄せ、頭から背中まで優しく撫でてやる。
「んぁ……」
 幸せそうな甘い吐息が、レミアの鼻から抜けた。彼女もまた、こちらの身体に腕を回してくる。
 相手の震えが治まってきたところで、ゆっくりと身体を離した。
 至近距離から見上げてくるレミアは笑っている。頬が赤いのはランプの火の色か。
 揺れる瞳の奥を覗くようにしながら、エルフィスは相手の頬に手を添える。熱い。頬の赤みは火のせいだとしても、その熱は彼女自身のものだった。
 レミアの瞼が、ゆっくりと閉ざされていく。その速さに合わせるようにして、エルフィスは顔を近づけた。
 唇が重なる。ピクリ、と相手の身体が震えた。
 ゆっくりと優しく、想いを伝え、注ぎこむような口づけを交わす。何を伝えればいいかも分からないまま。
 柔らかな唇を愛撫し、挟み、吸い、軽く歯を立てる。それから、どちらからともなく求めるように舌が伸ばされた。
「んぅ……ふ……」
 触れ合った瞬間に、再び甘い声が洩れる。
 レミアは、それまでとは打って変わって、積極的にキスを求めてきた。
 ちゅ……く、ちゅぷ……ちゅ、ぷちゅ――その舌の動きは決して速くはないが、ねっとりと絡みつくように、そのまま溶け合って一つになるように、エルフィスの熱を、感触を、味を自身に刻みつけていく。
 ゆっくりと、両者の身体がベッドに落ちた。
 エルフィスは唇を重ねたまま、服越しに愛撫をしながら、その服を脱がせていく。前を開け、露になった胸に優しく手を這わせると、
「んぁ――はぁ……!」
 唇同士の間に出来た隙間からレミアが喘ぎ、身体をよじった。
 左手で胸をさすりながら、唇を離す。トロリと伸びる銀糸を吸い取るようにもういちど唇を吸い、今度は首筋に舌を這わせた。
「ぁあん……やっ――は、あん!」
 ゆっくりと撫で、それから舌先でくすぐると、レミアは敏感に反応しながら逃れようとする。開発されきって、というアマルダの言葉をエルフィスは思い出した。
 反応してしまう自分が恥ずかしいのか、レミアは唾液で光る口元に手を当て指を噛み、声が洩れないように快感に耐えている。
 首から肩、鎖骨と舌でなぞり、両手を胸へ。ゆっくりと円を描くように周りから責め、人差し指の先で乳首を転がす。輿入れを控えているなら跡が残るのはまずいだろうから、舌での愛撫はしても吸う事はしなかった。
 綺麗なラインを描く腰の括れを手で撫で、舌は鳩尾から真っ直ぐ下ろしていく。悪戯心で尖らせた舌先を臍へ入れると、
「ひゃん!?」
 ひときわ高い啼き声と共に、真っ赤な顔で睨まれた。宥めるように太股を撫でる。
 その手をゆっくりと内側へずらし膝を左右へ除けると、そこは、いつぞやのエイリアのようにビショ濡れになっていた――と、そこでエルフィスは自分を諌める。
 恋人のようにと願われたのだから、他の女の事を考えるのは最低だろう。
 謝罪の意味もこめて、ゆっくりと割れ目をなぞる。それだけで、くぷ、と愛液が溢れてきた。
 それが垂れていく流れに逆らうように舌で舐め上げると、あんっ、とレミアは腰を浮かせる。
「あんっ――やっ! ひ、ぁ――んん、あっ……あんっ、ゃん!」
 秘唇をなぞり、口づけ、舌を割りこませ、広げ、差し入れ、音を立てて吸い、突起を口に含む。クルクルと舌で舐め回していると、
「ひゃ――ゃめ、や……ぁあああああああああん!!」
 悲鳴のような声と共にレミアの身体が痙攣し、腰を浮かせて激しく頭を振った。
 荒い息をつく彼女は、涙を浮かべた目で恨めしそうにエルフィスを見る。
「――ふ、ぅ……入れる前にイかせるなんて、酷い……」
「え……あれ?」
 キョトンとしてエルフィスは彼女を見返す。もしかして、いけない事だったのだろうか。
 そういえば、と――いけないと思いつつも――初めてエイリアで練習したときの事を思い出す。あのときも挿入前に三度もイかせ、ドルムスに呆れられた。
「……ごめん」
 素直に謝ると、レミアは小さく微笑う。
「いいよ。許してあげる」
 どうやら、それほど本気で怒っていた訳でもないらしく、その笑みは悪戯を成功させた子供のようだった。

「ね……あたし、やってみたい事あるんだ」
 身体を起こしたレミアは、好奇心を覗かせた歳相応の少女の顔で擦り寄って来る。エルフィスのシャツを脱がせると、胸の真ん中に小さく唇を触れさせ、そのまま下も脱がす。
「……口でされるのは嫌なんだよね?」
「嫌っていうか――」
「知ってる。キス出来なくなるのが、嫌なんでしょ?」
「…………」
 何故そんな事が知られているのか疑問に思っているうちに、彼女は手で優しくエルフィスのモノを扱き始めた。
「んっ……」
 彼が小さく声を洩らすと、
「あっ、ごめん。痛かった?」
「いや……」
「……あ。気持ちよかったんだ?」
 嬉しそうに、また先程のような幼さを残した笑みを見せる。
 何となくムッとしてエルフィスが押し倒そうとすると、
「――待って。あのね……あたし抱き合ってするやつ、やってみたいの」
 慌ててレミアは、その手を押し留めた。
「ここじゃ無理やり押し倒されたり、後ろからされたり、上に乗せられたりで、何ていうか……一歩通行だったから」
 当たり前だけど、と彼女は苦笑。
「駄目、かな?」
「いいけど……それって、俺だけ疲れない?」
「そのくらい頑張ってよ。男なんだから」
 不満げなエルフィスにクスクス笑いながら、レミアは腰を持ち上げる。そのままエルフィスのモノを自分に宛がうと、
「んっ――あぁっ!」
 ぐ……にゅぶ、という感触と共に、じっくりと腰を沈めた。
「えへ……入った……」
 照れくさそうな笑みを浮かべ抱きついてくる彼女を、エルフィスも抱きしめて撫でてやる。
 ゆっくりと腰を揺すり始めると、レミアの腕に籠められた力が強くなった。ピッタリと密着する二人の身体の間で、彼女の胸が潰れて形を変える。エルフィスの動きに合わせるように腰を上下させ、微笑みながら吐息混じりの艶のある声を洩らした。
「はぁ……んっ、あぁ――! あんっ……あ、ふぅ――んぁ……!」
 灯火の揺らめく室内にレミアの幸せそうな喘ぎ声が響き、それがエルフィスの興奮をも掻き立てる。膣内で自分のモノが硬くなったのは、相手にも分かったらしい。キュッと、彼女からの締めつけが強くなる。
「嬉しい……あたしで感じてくれてるんだ」
 少しだけ身体を離したレミアが、至近距離で笑う。エルフィスの首に両腕を回し、
「もっと気持ちよくなろ……?」
 唇を重ね舌を絡ませながら、先程までより更に腰を動かし始めた。ただ上下に腰を振るだけではなく、エルフィスのモノで自分の中を掻き回すように、前後左右に腰をくねらせる。
「く……ん、ぁは――凄いね……。恋人同士って、こんなに気持ちいいんだ……」
 唇同士の間に唾液の橋をかけながら、赤い顔でレミアが笑う。
 エルフィスは軽く頭を撫でてやると、うなじから背中までを指先で、つぅっとなぞった。
「ふぁん!? ……いじわる」
 驚いたように一瞬、背中を反らしたレミアは、
「もう怒ったんだから。覚悟してよね?」
 そう言って笑いながら、激しく腰を上下させ始める。エルフィスも応じるように、それまで以上に突き上げた。
「あっ、あん! やぁ――はんっ、あん! あぁん!! ふ、ぅ――ん、あん! ぁはっ――ああっ!!」
 恍惚に目をトロンとさせ、髪を振り乱し、張りのある胸を揺らしながら、レミアが跳ね狂う。愛おしげにエルフィスを見つめ、
「――っん。ちゃんとっ……一緒にイって、くれなきゃ――やだからっ、ね……?」
 頷いてやると、彼女は安心したように笑った。それを確認してから、エルフィスは突き上げる動きを一気に速める。
「あっ、やあっ!! あ――たし……! もっ、駄目ぇ――あはああああああぁっ!!」
 レミアは強くエルフィスにしがみつき、ビクビクンッと激しく痙攣する。同時にエルフィスも彼女の最も深い場所で動きを止め、白濁した欲望が吐き出される快感に浸った。
「ぁ……あはは……出てる。あんたの……沢山。……嬉しい…………」
 噛みしめるように呟き、レミアは荒い呼吸のままエルフィスに抱きつく。
「……もうちょっと、このままでいて。夢じゃないんだって実感できるまで、あんたを感じさせて」
「ご自由に……」
「あと、もう一回キス」
「……注文多いな」
 エルフィスが苦笑すると、自分でもそう思うのか、似たような表情でレミアも笑った。
「いいの。今だけは恋人同士なんだから……」
 唇が重なり、互いの感触を楽しむような愛撫の後に、とろけるように舌が絡まり唾液を混ぜ合わせる。
 そうして二人は、繋がったままベッドに倒れこんだ。

      ※

 数日後、レミアが屋敷を去る日がやってきた。
 彼女はそれまでの質素な服から、相手の貴族の贈り物であるドレスに着替えていた。短かった髪は付け毛が足され、背中まで垂れている。アマルダの手ほどきによる化粧も、なかなか堂に入ったものだった。男たちが目を丸くして絶句する程度には。
 屋敷周辺は整備などされておらず、ガタガタだ。故に、迎えの馬車は玄関から五メートルほど離れた所に停まっている。
 純粋な意味で見送りに出てきている者は、エルフィスとアマルダくらいのものだろう。ドルムスは屋内――窓際からこちらを眺めており、他の男たちは単なる物見遊山気分だ。
 レミアには荷物らしい荷物などない。彼女は手ぶらで馬車へと向かう。
 こんな屋敷で貴族的な振る舞いなど学べる訳もないが、服装に引っ張られてか、静々と歩かなければいけないような気がしていた。
 それが第三者の目には、それなりにお嬢様然として映っている事を彼女は知らない。
 残り三メートルほどを残してレミアは立ち止まった。ついて来ているのは、もちろんエルフィスとアマルダだけだ。振り返った彼女は、まずアマルダに深々と頭を下げた。
「お世話になりました」
「……この商売やってて、そんなセリフ吐いた奴隷は、あんただけだよ」
 良心の呵責でもあったのか、アマルダは気まずげに目を逸らす。
「あたしのワガママも聞いてくれたし」
「……言わないどくれ」
 追い討ちをかけると、彼女は自己嫌悪にでも陥ったように項垂れて頭を振った。
 その間にレミアはエルフィスと視線を合わせ、クスリと笑った。一矢報いる事は、彼との夜に思いついた事だ。
「あんたも、ありがと……」
 その彼を見つめながら、万感の想いを籠めて感謝を口にする。
「礼、言われるような事はしてないよ」
「責任とって、って言われるような事ならしたけどね」
 少し意地悪をしたくなって言うと、エルフィスは憮然とした様子で僅かに怯んだ。
「……まあ、そうだね」
 けれど、それから逃れようとするような言葉を口にしない事で、レミアは再確認してしまう。
 振り切るように、一歩後退――
「えっと……元気でね?」
「そっちも」
 ぎこちない笑顔のまま、二歩後退――
「こういうときは、ちゃんと名前で呼ぶの。あたしの名前、憶えてる?」
「レミア」
 即答に満足して、三歩後退――
「あの……御使い様と仲良く、ね?」
「ん……?」
 よく分からないという顔に胸中で苦笑しながら、四歩後退――出来なかった。
 ごめんなさい――誰に対してかも分からない謝罪と共に、エルフィスの胸に飛びこむ。驚いている彼を見上げ、その顔を両手で挟み、唇を重ねた。
 ごめんなさい――もう一度心の中で呟く。
 舌など入れない、長い長い口づけ。汚れ切った自分にはおこがましいほどの、清い口づけ。
 口を離したときには、いつの間にかボロボロと涙が零れていた。トン、と両手でエルフィスの胸を突っ撥ねるようにして、自分が後退する。
「ごめんね……」
 最後まで胸の奥に仕舞っておけなかった、弱い自分が嫌いだった。
「好きだったよ……!!」
 くしゃくしゃの顔で――それでも、いま出来る最高の笑顔で想いを告げ、踵を返す。
 涙に滲む視界の端で御者を確認する、打算的な自分が大嫌いだった。彼は気を利かせたのか、それとも厄介事に関わるのが嫌なのかは分からないが、明後日の方向へ視線を向けていた。
 馬車の中へと駆けこむ。すぐに扉が閉まって走り出したあたり、やはり気を遣ってくれたのかも知れなかった。
「ごめんなさい……御使い様、ごめんなさい……」
 両手で顔を覆い、化粧が流れるのも構わず泣き続ける。
 何でもします。どんな事でも耐えます。だから神様――
「――エルフィスを、あそこから助けて…………!」
 囁くような叫びは誰の耳にも届かないまま、馬車と共に砂塵の向こうへ消えていった。
11/12/02 17:44更新 / azure
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■作者メッセージ
 ……ヒロイン誰よ。
 作者自身ですらツッコまずにはいられない、行き当たりばったり感が最も顕著に出た章ですが、いかがでしたでしょうか。レミアは、エイリアが嫉妬から自分の気持ちに気づくための布石として――思いつきで――出したキャラだったのですが、何故こうも筆が乗るのか……。
 乗ったら乗っただけ書いて、それを公開してしまうあたりが、まだまだという感じですね。どれほど勿体なく感じても、必要とあらばカット出来てこそ物書きという気がします。言う事だけは立派。
 相も変わらぬ散らかった文章ですが、練習で書いてるんだからと開き直っております(駄目じゃん)。以前にも練習で書いた読み切りを公開した気がしますが、あっちは百合なので人を選ぶかも知れません。……何で凌辱って点だけ共通してんだよorz

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