中編
酷く嫌な夢を見た気がした。
ゆっくりと目を開けた筈なのに、相変わらずの闇の中。まだ夢を見ているのかと思ったが、暫く立って、夜なのだと気づいた。
（ああ……倒れたのか）
身の程を忘れた全力疾走と絶叫。この結果は当然の帰結だった。
（……これが僕の限界か）
月の光が射しこむ薄暗い部屋。ベッドに横たわったまま、くしゃり、と両手を前髪にうずめ、掴む。いなくなった人々の顔が、次々に思い出された。
頭の中では、出口のない問答が続いている。
『どうして止めなかったんだ』
『止められる訳ないじゃないか』
『どうにかなったかも知れないだろう』
『どうすればよかったって言うんだ』
どうして。どうして。どうして。
みんなが、いなくならなければいけないんだ。
いなくなる必要などなかった筈だ。ならば何故、彼らはそうなったのか。
ドラゴンのせいだ。何もかも全て。
ドラゴンさえいなければ、誰もいなくなる事はなかった。村の青年達も、メルシャも、フリオも、クレムも。
「……ょくも」
食いしばる歯の間から、怨嗟に満ちた声が洩れた。
彼らは守りたいだけだった。大それたものなどではない、ただの平凡な毎日を。
『みんなが頑張って作った作物を、これ以上盗ませる訳にはいかねえよ』
クレムの言葉が思い出された。頑張った中には当然、彼自身だって含まれるのだ。
そう、みんな頑張っていた。頑張っていたのに――
（僕だけ頑張ってなかったんだ!!）
だからみんなが死んだ、という訳ではない。だが、与えられる安寧を享受するだけだった自分に、みんなの死に憤る資格はない気がした。
（何て……無価値な）
悔しさに涙が溢れる。なぜ自分なんかが生きていて、クレム達が死ぬのか。どうせ死ぬなら、自分が死ねばよかったのに。
けれど、頭の何処かで囁く声がする。ただ死ぬだけでいのか、と。
（いい訳がない）
そう。自分が死ぬだけでは意味がない。無価値な人間が死んだところで、それこそ無価値な事でしかない。ならば、どうするべきか。
（刺し違えてでも殺してやる!!）
赤くなった目で天井を睨みつけ、ゆっくりとジークは起き上がった。ゆらり、と幽鬼のような足取りで部屋を出て行く。
まともに戦っても勝てる訳がない。ましてや、ジークでは勝てる見こみは完全にゼロだ。しかし――心当たりはある。
神殿――その最奥部に柵で囲まれた台座があり、その上には鎖で固定された槍が安置されていた。柄は白く、金の装飾がされており、穂先の刃は大きく、それは刺突だけを目的にしたものではなかった。
槍の伝説には、こうある。『其は、己を携えるに相応しき者を自ら選び、認めし者に無限の活力を与え、人の身を戦神と化す』と。それが本当かどうかは判らない。だがジークに頼れるものは、もう他になかった。
神殿の大きな扉を、身体全体を使って開ける。普段ならそんな苦労はしないものの、倒れた影響が残っているのか、身体が思うように動かなかった。頭で思うよりワンテンポ遅れて、身体が反応するような感じだ。酷くもどかしい。苛立ちを隠さず、乱暴に扉を押し退けた。
暗い神殿内をランプの明かりだけを頼りに進み、台座の前に立つ。暗闇の中にあっても、槍の神々しさが霞む事はなかった。淡い紫色の光に包まれているようにも見える。
呼ばれたような気がした。願うなら手に取れ、と。それに従うように、ジークは槍を掴んだ。
ドクン。
心臓が脈打つ。槍を掴んだ手から、何かが流れこんで来た。喩えるなら、清涼な水と風。それらが全身を駆け巡るようだった。
（やれる！）
確信と共に槍を持ち上げる。それは羽毛のように軽く、固定用の鎖は何故か、枯れ草のように千切れた。
山頂へと続く暗い森を、ランプを片手に踏破する。整備されている訳でもない山道は険しく、身体を鍛えている大の男でも息が上がる事だろう。
本来であれば、ジークのような身体の弱い人間に登れるようなものではない。普段の彼ならば、いまごろ意識を失って行き倒れている筈である。だが、今は違う。神の槍から送りこまれる活力によって息切れ一つしていないのだ。
村を出たのが真夜中という事もあり、山頂付近の開けた場所に辿り着いた時には夜が明けていた。平らに均されたそこには、意外にも木造の家屋が建っていた。恐らく、この辺りの森を切り拓いた際に出た木材と使ったのだろう。ドラゴンが家を建てるという話は、あまり聞いた事がなかったが、そもそもこんな所に人が住んでいる訳がない。
ジークは家の扉を睨みつけ、槍を握る手に力を籠める。大きく息を吸いこみ、そして――
「何だ、またか」
言葉を放つ直前に話しかけられ、心臓が跳ねる。
「誰だ!?」
慌てて身構え辺りを見まわすが、誰もいない。
「誰だ、か。誰に用があって来たのかも忘れたのか？」
その声は上から降って来た。若干の呆れを滲ませたような声音だった。
仰ぎ見れば少し離れた木の上に、幹に背を預け、枝の上で長い脚を組んだ女性の姿がある。いや、女性ではない。少なくとも、ただの女性では。
「……ドラゴン」
ジークは視線を鋭くし、憎しみに震える声でその名を呼んだ。しかし相手は、そんな彼には気づかず脚を組み換えた。
「奇襲は夜明け前とは言うが、少々遅かったな」
彼女の言う通り既に夜は明け、辺りには朝陽が射しこんで来ている。とはいえ、ジークは決して奇襲をかけようと思った訳ではない。そもそも彼に、そんな知識はないのだ。
女性は立ち上がり、トン、と軽く枝を蹴って地面に降り立つ。長い髪がフワリと広がり、本来の羽とは別に翼が生えたようだった。
「さて、用件を聞こうか」
前髪を掻き上げ、ドラゴンは言う。朝陽の下へ出た彼女の全身は、抜けるような青空色に輝いて宝石のようだった。髪も瞳も。
けれど、それらはジークに何の感銘も与える事はなかった。問いに対し答えを返す。
「決まってる……お前を倒しに来たんだ！」
槍を構え、穂先を相手に向けた。
「ほう……何故だ？」
その反応に、ジークの思考が真っ白になる。挑発されていると思った。
何故。そんなものは決まっている。彼女が村の脅威だからだ。収穫した作物や家畜を奪うからだ。そして何より――
「みんなを殺した、お前を許さない。命に代えても殺してやる!!」
戦意に反応するように力が湧いて来た。それに押されるようにドラゴンに突撃した。
「む――」
彼女は僅かに表情を硬くする。思っていたよりジークの動きは速かった。
ドラゴンの鱗は、騎士の全身鎧よりも硬いと言われている。だからジークは、相手の肌が露出している部位を狙った。
「チッ」
舌打ちと共にドラゴンは上体を反らす。
「いきなり顔を狙うとは」
愉快そうに言う彼女に構わず、首筋に二撃目を叩きつけた。が、これは相手の拳に弾かれる。
「今度は頸動脈か。私を女と侮らないところは気に入ったぞ」
まだまだ余裕のドラゴンに歯噛みしながら、ジークは弾かれた穂先を引き寄せる反動で、今度は石突きを使って彼女の顎を打ち上げようとする。
「おっと」
だが、これも躱された。即座に握る左手に力を籠め、石突きを打ち下ろす。
「ふん」
途切れない連撃を褒めるように笑み、ドラゴンは左腕を上げ、それを受けた。石を打つより硬い手応えが返って来る。
「そら」
そのままドラゴンは、無造作に左腕を振るった。その勢いに押され、左半身のジークの身体が流れる。相手にしてみれば体の外側へ逃れた形であり、ジークにとっては背中を晒す事になった、が――
「このっ」
ジークは勢いに逆らう事をせず、地面に着いた左足を軸に素早く反転。相手に追撃される前に、引きつけてあった穂先を突き出した。それはドラゴンの胸のド真ん中を捉えるかと思ったが、突き出される槍と同じ速度で相手が後退した事で、それは叶わなかった。
普段の自分とは違う、思い通りに動く身体での会心の攻めだったというのに、まともに当てる事すら出来なかった。二回ほど槍は相手に触れたが、これは向こうが戯れに受けただけだろう。
「大したものだ」
そのドラゴンは少し離れた所で、感心したように拍手をしている。心底からジークを褒め称えるようだった。
「ずいぶん元気じゃないか。聞いていた話と違うな」
その言葉が気になり、ジークは訝しげな表情になる。
「聞いていた……？ 何の事だ」
彼の問いにドラゴンは、穏やかな表情のまま答えた。
「メルシャとクレム、といったか」
ドクン
心臓が脈打った。
「お前を守りたいんだと言っていた」
ドクン
再び大きく跳ねる。
「他にも、お前の事を口にしていた奴はいたぞ。確かフリオ、か。随分と慕われているな、ジーク」
ギリッ、と奥歯を強く噛みしめる。キン、と耳鳴りのような音が聞こえていた。
オ前ヲ守リタインダト言ッテイタ
そんな風に思われていた事は誇らしかった。そこまで言ってくれた事は嬉しかった。涙が出る程に。
けれど……けれど――
「そんなみんなを殺したんだろう、お前は!!」
涙の滲む双眸に憎悪を宿し、叫んだ瞬間、槍が閃光を放った。
「むっ――」
ドラゴンは表情を険しくし、槍を睨む。やがて何処か悔やむような表情になると、その視線を持ち主へと向けた。
「ジーク！」
「気安く呼ぶな!!」
「その槍を捨てろ！」
「ふざけるな!!」
クルリと槍をまわし、構え直す。淡い紫色の光に包まれた穂先を相手に向け、地を蹴った。
ドラゴンは苦々しげに身構える。先程までは余裕に満ちていたのに、今の彼女からは、それが消えていた。突き出される刃を強靭な爪で逸らし、反対の手で槍の柄を掴もうとする。捨てないのなら奪い取ろうとしたのだ。
けれどジークとて、そう容易く武器を奪われる訳にはいかなかった。何より、これは自分がドラゴンに対抗するための唯一の手段なのだ。
「その槍は危険だ」
「お前にとってだろう！」
「違う！」
焦りを覗かせる相手の様子に、ジークは優勢を確信する。
二の腕を狙った一撃が、うっすらと、その皮膚を裂いた。人と同じ赤い血がジワジワと滲む。焦りのせいか、ドラゴンの動きは精彩を欠いていた。或いは槍が光を発して以降、更にジークの動きが速くなったからか。
「くっ――」
既に人の域を超越した戦闘能力を発揮するジークに、流石のドラゴンも後退を余儀なくされた。だが、その隙を見逃さず、ジークは更に追撃して来る。よりにもよって、ドラゴンの脚力について来たのだ。
体勢が不十分なせいで、満足に回避行動を取る事も出来ない。完全なる勝機。
狙うは一点。喉元にある、最も大きく最も硬い鱗――逆鱗。
地上最強の生物であるドラゴンをすら一撃死させる、唯一の弱点だ。
（殺してやる――殺してやるぞ!!）
憎悪が槍を鋭くするとばかりに、ジークは刃を突き立てようと――
「ッ――！」
しかし直前に別の気配を感じ取り、急停止。左手一本で後方を薙ぐ。カン、という乾いた音と共に何かを打ち落とした。見れば、それは縦に四分割された丸太である。
（薪？）
訝しく思った瞬間――
「そこまでだ、ジーク！」
聞こえて来た声に全身が凍りついた。聞き間違える訳などない。誰より近くにあった声なのだから。
「もう、やめろ」
聞こえて来た方へ、恐る恐る視線を向ける。そこには思った通りの人物がいた。
「……クレ、ム？」
しかも彼だけではない。その背後には、もう一人、別の人間がいる。
「メルシャ……何で」
生きているのだろう。二人が。
クレムは頬と額にガーゼを当てられ、メルシャは額に包帯を巻き左手を吊っているが、間違いなく生きている。
「ジークが戦う必要なんてないのよ」
「僕だって戦える！」
反射的に答えてから、会話が噛み合っていない事に気づいた。彼女は、ジークに戦闘は無理だと言っている訳ではない。戦う理由自体が存在しないと言っているのだ。
「悪いのはフォルトゥナ様じゃないの」
フォルトゥナ様というのは、おそらく背後のドラゴンの名だろう。
「じゃあ、誰だって言うんだ!? 村の食料を略奪しそうな奴なんて、こいつしかいない筈だろう!! そう言ってたじゃないか！ それに、二人は生きてたけど、他のみんなは殺されてるんだぞ!?」
激情に任せ、後方を振り返る。
「何で二人だけが生きてる。何で、あいつらだけ生かしておいた……みんなは殺したくせに。答えろ！」
「もう、よせって」
その肩に手が置かれた。
「メルシャの言った通りだ。村の食料を盗んでたのは、フォルトゥナ様じゃない。麓の森を根城にしてる盗賊達がいるんだ」
「……そんな話、聞いた事がない」
振り返らず、ドラゴンから注意を逸らさぬまま、ジークは応える。
「そりゃ、お前――」
どう説明したものか、と悩むような声音に、ジークが顔だけ振り向かせる。
「……何だよ。『そりゃ、お前がマトモに外に出られないから』とでも続けるつもりか？ そうやって、本当は嗤ってたのか。村に住んでるくせに、村のこと何も知らないって……陰で嗤ってたのか！」
瞳には、怒りと憎しみと悔しさと、何より裏切られたような傷ついた感情が溢れていた。
「おい、なに言って……」
とつぜん豹変したようなジークの言動に、クレムは戸惑いの表情を隠せない。俯いたジークは肩に乗せられた彼の腕を払い除け、フォルトゥナに向き直った。
「……もういい。もう騙されない。とにかく、ドラゴンは殺す。そうすれば、もう村は安心だ。何も盗られないし、誰も殺されない。二人だって、元に戻る。死んでいったみんなのためにも、僕が終わらせるんだ」
うわごとのように呟きながら、ジークは槍を構えた。
「だから、よせ――ぐ！」
彼を止めようとしたクレムが、腹部を押さえて蹲る。
「ごめん、クレム。すぐに元に戻してやるから、少しだけ待っててくれ」
彼の鳩尾を突いた石突きを戻しながら、再び構え直した。
「……いかんな」
そんなジークの様子に、フォルトゥナは危機感を滲ませた表情で呟いた。
「すまんが、荒療治でいかせてもらおう」
そう言って地を蹴るフォルトゥナに、ジークも正面から挑んだ。槍の光は今や、彼の全身を包んでいる。
殆ど同じ速さでぶつかり合った二人は、ガキィンという甲高い音と主にすれ違った。地面の上を靴底を削るように滑りながら振り返ると、二人の頬には、共に切り傷がついていた。
（私に傷を負わせる程に……）
頬を流れる血を拭い、フォルトゥナはジークを見やる。全身に力が満ちているように〝見える〟が、そうではない。時間がなかった。
「その槍を捨てるんだ、ジーク。それは呪いの槍だ」
「騙されるか。これは勇者が悪魔を滅ぼした、神の槍だ」
「違う。それは選んだ持ち主の命を喰らう、滅ぼされた悪魔とやらと同じ側の存在だ」
「嘘だ。命を喰らう槍なら、僕の身体が、こんなに動く訳がない」
ジークの答えにフォルトゥナは唇を噛んだ。そう。確かに、その通りだ。
〝普通なら〟そう考える。〝だから〟タチが悪い。
「お前の身体が動くようになったのは、効率的に生命を喰らう準備に過ぎない。川で水を汲む時に、大きな石やゴミなどで流れが滞っていたら時間がかかるだろう。だから事前にそれらを取り除いて流れを確保する。お前の身体で起こっているのは、そういう事だ！」
更に言うなら、クレムに対し豹変したのも槍の効果である。この槍のように命を喰らう魔具は、生きようとする意志のようなプラスのエネルギーは喰らう事が出来ない。だから、持ち主に選んだ人間のネガティブな思考を促すのだ。
真剣な眼差しに貫かれ、ジークの憎悪が少しだけ薄まる。
「伝承とやらの勇者は、どうなった。穏やかな老後でも過ごしたか」
「それは……」
伝承の中の勇者は、悪魔が最後の力でかけた呪いによって、若くして死んだとされている。
「このまま槍の力を使い続ければ、お前は今にも死ぬぞ！ 勇者の後を追って槍の犠牲になるつもりか!?」
「だとしても……その覚悟は出来てる!!」
その言葉がフォルトゥナの怒りに火をつけた。最早ドラゴンの威厳などかなぐり捨て、そこにいるのは、ただの個と個である。
「犠牲になる覚悟で誰が救われる！ 残された者は、どうすればいい。お前は満足だろう。勝手に戦って死ぬだけだからな。だが、残された者は!? 勘違いだとはいえ、自分達のために、お前が犠牲になったと――自分達のために、お前を犠牲にしてしまったと……一生その傷を抱えて生きて行くんだぞ！ お前は守りたい者達に、自ら消える事のない傷を刻むのか!?」
「なら……どうすればいいって言うんだ。もう僕には、他に出来る事なんてないのに」
俯くジークに、落ち着きを取り戻したフォルトゥナは優しく語りかける。
「そんな事はない。他人と同じ事は出来ないかも知れないが、お前にしか出来ない事はある筈だ。焦る事はない。ゆっくり探せばいい」
その言葉は、ジークの最も大事な何かを打ち砕いた。構えていた槍が、ダラリと下がる。自嘲的な笑みと共に口を開いた。
「そんな時間はないんだ」
俯いたまま呟く。
「僕は、もう長くない」
決定的な一言。クレムにすら言わなかった事だ。事実、突然の告白に、クレムとメルシャは耳を疑うような表情をしている。
「だから、何かしたかったんだ。そうなる前に」
拳を強く握りしめる。噛みしめた唇から血が零れた。
「遠からず死ぬ事は確定してる。だから、もう――それ以外の何も失いたくなかったんだ!!」
慟哭のように叫んだ瞬間、ジークは違和感に目を見開く。慌てて口元を押さえた瞬間、ゴポリ、と。大量の血を吐いた。
ゆっくりと目を開けた筈なのに、相変わらずの闇の中。まだ夢を見ているのかと思ったが、暫く立って、夜なのだと気づいた。
（ああ……倒れたのか）
身の程を忘れた全力疾走と絶叫。この結果は当然の帰結だった。
（……これが僕の限界か）
月の光が射しこむ薄暗い部屋。ベッドに横たわったまま、くしゃり、と両手を前髪にうずめ、掴む。いなくなった人々の顔が、次々に思い出された。
頭の中では、出口のない問答が続いている。
『どうして止めなかったんだ』
『止められる訳ないじゃないか』
『どうにかなったかも知れないだろう』
『どうすればよかったって言うんだ』
どうして。どうして。どうして。
みんなが、いなくならなければいけないんだ。
いなくなる必要などなかった筈だ。ならば何故、彼らはそうなったのか。
ドラゴンのせいだ。何もかも全て。
ドラゴンさえいなければ、誰もいなくなる事はなかった。村の青年達も、メルシャも、フリオも、クレムも。
「……ょくも」
食いしばる歯の間から、怨嗟に満ちた声が洩れた。
彼らは守りたいだけだった。大それたものなどではない、ただの平凡な毎日を。
『みんなが頑張って作った作物を、これ以上盗ませる訳にはいかねえよ』
クレムの言葉が思い出された。頑張った中には当然、彼自身だって含まれるのだ。
そう、みんな頑張っていた。頑張っていたのに――
（僕だけ頑張ってなかったんだ!!）
だからみんなが死んだ、という訳ではない。だが、与えられる安寧を享受するだけだった自分に、みんなの死に憤る資格はない気がした。
（何て……無価値な）
悔しさに涙が溢れる。なぜ自分なんかが生きていて、クレム達が死ぬのか。どうせ死ぬなら、自分が死ねばよかったのに。
けれど、頭の何処かで囁く声がする。ただ死ぬだけでいのか、と。
（いい訳がない）
そう。自分が死ぬだけでは意味がない。無価値な人間が死んだところで、それこそ無価値な事でしかない。ならば、どうするべきか。
（刺し違えてでも殺してやる!!）
赤くなった目で天井を睨みつけ、ゆっくりとジークは起き上がった。ゆらり、と幽鬼のような足取りで部屋を出て行く。
まともに戦っても勝てる訳がない。ましてや、ジークでは勝てる見こみは完全にゼロだ。しかし――心当たりはある。
神殿――その最奥部に柵で囲まれた台座があり、その上には鎖で固定された槍が安置されていた。柄は白く、金の装飾がされており、穂先の刃は大きく、それは刺突だけを目的にしたものではなかった。
槍の伝説には、こうある。『其は、己を携えるに相応しき者を自ら選び、認めし者に無限の活力を与え、人の身を戦神と化す』と。それが本当かどうかは判らない。だがジークに頼れるものは、もう他になかった。
神殿の大きな扉を、身体全体を使って開ける。普段ならそんな苦労はしないものの、倒れた影響が残っているのか、身体が思うように動かなかった。頭で思うよりワンテンポ遅れて、身体が反応するような感じだ。酷くもどかしい。苛立ちを隠さず、乱暴に扉を押し退けた。
暗い神殿内をランプの明かりだけを頼りに進み、台座の前に立つ。暗闇の中にあっても、槍の神々しさが霞む事はなかった。淡い紫色の光に包まれているようにも見える。
呼ばれたような気がした。願うなら手に取れ、と。それに従うように、ジークは槍を掴んだ。
ドクン。
心臓が脈打つ。槍を掴んだ手から、何かが流れこんで来た。喩えるなら、清涼な水と風。それらが全身を駆け巡るようだった。
（やれる！）
確信と共に槍を持ち上げる。それは羽毛のように軽く、固定用の鎖は何故か、枯れ草のように千切れた。
山頂へと続く暗い森を、ランプを片手に踏破する。整備されている訳でもない山道は険しく、身体を鍛えている大の男でも息が上がる事だろう。
本来であれば、ジークのような身体の弱い人間に登れるようなものではない。普段の彼ならば、いまごろ意識を失って行き倒れている筈である。だが、今は違う。神の槍から送りこまれる活力によって息切れ一つしていないのだ。
村を出たのが真夜中という事もあり、山頂付近の開けた場所に辿り着いた時には夜が明けていた。平らに均されたそこには、意外にも木造の家屋が建っていた。恐らく、この辺りの森を切り拓いた際に出た木材と使ったのだろう。ドラゴンが家を建てるという話は、あまり聞いた事がなかったが、そもそもこんな所に人が住んでいる訳がない。
ジークは家の扉を睨みつけ、槍を握る手に力を籠める。大きく息を吸いこみ、そして――
「何だ、またか」
言葉を放つ直前に話しかけられ、心臓が跳ねる。
「誰だ!?」
慌てて身構え辺りを見まわすが、誰もいない。
「誰だ、か。誰に用があって来たのかも忘れたのか？」
その声は上から降って来た。若干の呆れを滲ませたような声音だった。
仰ぎ見れば少し離れた木の上に、幹に背を預け、枝の上で長い脚を組んだ女性の姿がある。いや、女性ではない。少なくとも、ただの女性では。
「……ドラゴン」
ジークは視線を鋭くし、憎しみに震える声でその名を呼んだ。しかし相手は、そんな彼には気づかず脚を組み換えた。
「奇襲は夜明け前とは言うが、少々遅かったな」
彼女の言う通り既に夜は明け、辺りには朝陽が射しこんで来ている。とはいえ、ジークは決して奇襲をかけようと思った訳ではない。そもそも彼に、そんな知識はないのだ。
女性は立ち上がり、トン、と軽く枝を蹴って地面に降り立つ。長い髪がフワリと広がり、本来の羽とは別に翼が生えたようだった。
「さて、用件を聞こうか」
前髪を掻き上げ、ドラゴンは言う。朝陽の下へ出た彼女の全身は、抜けるような青空色に輝いて宝石のようだった。髪も瞳も。
けれど、それらはジークに何の感銘も与える事はなかった。問いに対し答えを返す。
「決まってる……お前を倒しに来たんだ！」
槍を構え、穂先を相手に向けた。
「ほう……何故だ？」
その反応に、ジークの思考が真っ白になる。挑発されていると思った。
何故。そんなものは決まっている。彼女が村の脅威だからだ。収穫した作物や家畜を奪うからだ。そして何より――
「みんなを殺した、お前を許さない。命に代えても殺してやる!!」
戦意に反応するように力が湧いて来た。それに押されるようにドラゴンに突撃した。
「む――」
彼女は僅かに表情を硬くする。思っていたよりジークの動きは速かった。
ドラゴンの鱗は、騎士の全身鎧よりも硬いと言われている。だからジークは、相手の肌が露出している部位を狙った。
「チッ」
舌打ちと共にドラゴンは上体を反らす。
「いきなり顔を狙うとは」
愉快そうに言う彼女に構わず、首筋に二撃目を叩きつけた。が、これは相手の拳に弾かれる。
「今度は頸動脈か。私を女と侮らないところは気に入ったぞ」
まだまだ余裕のドラゴンに歯噛みしながら、ジークは弾かれた穂先を引き寄せる反動で、今度は石突きを使って彼女の顎を打ち上げようとする。
「おっと」
だが、これも躱された。即座に握る左手に力を籠め、石突きを打ち下ろす。
「ふん」
途切れない連撃を褒めるように笑み、ドラゴンは左腕を上げ、それを受けた。石を打つより硬い手応えが返って来る。
「そら」
そのままドラゴンは、無造作に左腕を振るった。その勢いに押され、左半身のジークの身体が流れる。相手にしてみれば体の外側へ逃れた形であり、ジークにとっては背中を晒す事になった、が――
「このっ」
ジークは勢いに逆らう事をせず、地面に着いた左足を軸に素早く反転。相手に追撃される前に、引きつけてあった穂先を突き出した。それはドラゴンの胸のド真ん中を捉えるかと思ったが、突き出される槍と同じ速度で相手が後退した事で、それは叶わなかった。
普段の自分とは違う、思い通りに動く身体での会心の攻めだったというのに、まともに当てる事すら出来なかった。二回ほど槍は相手に触れたが、これは向こうが戯れに受けただけだろう。
「大したものだ」
そのドラゴンは少し離れた所で、感心したように拍手をしている。心底からジークを褒め称えるようだった。
「ずいぶん元気じゃないか。聞いていた話と違うな」
その言葉が気になり、ジークは訝しげな表情になる。
「聞いていた……？ 何の事だ」
彼の問いにドラゴンは、穏やかな表情のまま答えた。
「メルシャとクレム、といったか」
ドクン
心臓が脈打った。
「お前を守りたいんだと言っていた」
ドクン
再び大きく跳ねる。
「他にも、お前の事を口にしていた奴はいたぞ。確かフリオ、か。随分と慕われているな、ジーク」
ギリッ、と奥歯を強く噛みしめる。キン、と耳鳴りのような音が聞こえていた。
オ前ヲ守リタインダト言ッテイタ
そんな風に思われていた事は誇らしかった。そこまで言ってくれた事は嬉しかった。涙が出る程に。
けれど……けれど――
「そんなみんなを殺したんだろう、お前は!!」
涙の滲む双眸に憎悪を宿し、叫んだ瞬間、槍が閃光を放った。
「むっ――」
ドラゴンは表情を険しくし、槍を睨む。やがて何処か悔やむような表情になると、その視線を持ち主へと向けた。
「ジーク！」
「気安く呼ぶな!!」
「その槍を捨てろ！」
「ふざけるな!!」
クルリと槍をまわし、構え直す。淡い紫色の光に包まれた穂先を相手に向け、地を蹴った。
ドラゴンは苦々しげに身構える。先程までは余裕に満ちていたのに、今の彼女からは、それが消えていた。突き出される刃を強靭な爪で逸らし、反対の手で槍の柄を掴もうとする。捨てないのなら奪い取ろうとしたのだ。
けれどジークとて、そう容易く武器を奪われる訳にはいかなかった。何より、これは自分がドラゴンに対抗するための唯一の手段なのだ。
「その槍は危険だ」
「お前にとってだろう！」
「違う！」
焦りを覗かせる相手の様子に、ジークは優勢を確信する。
二の腕を狙った一撃が、うっすらと、その皮膚を裂いた。人と同じ赤い血がジワジワと滲む。焦りのせいか、ドラゴンの動きは精彩を欠いていた。或いは槍が光を発して以降、更にジークの動きが速くなったからか。
「くっ――」
既に人の域を超越した戦闘能力を発揮するジークに、流石のドラゴンも後退を余儀なくされた。だが、その隙を見逃さず、ジークは更に追撃して来る。よりにもよって、ドラゴンの脚力について来たのだ。
体勢が不十分なせいで、満足に回避行動を取る事も出来ない。完全なる勝機。
狙うは一点。喉元にある、最も大きく最も硬い鱗――逆鱗。
地上最強の生物であるドラゴンをすら一撃死させる、唯一の弱点だ。
（殺してやる――殺してやるぞ!!）
憎悪が槍を鋭くするとばかりに、ジークは刃を突き立てようと――
「ッ――！」
しかし直前に別の気配を感じ取り、急停止。左手一本で後方を薙ぐ。カン、という乾いた音と共に何かを打ち落とした。見れば、それは縦に四分割された丸太である。
（薪？）
訝しく思った瞬間――
「そこまでだ、ジーク！」
聞こえて来た声に全身が凍りついた。聞き間違える訳などない。誰より近くにあった声なのだから。
「もう、やめろ」
聞こえて来た方へ、恐る恐る視線を向ける。そこには思った通りの人物がいた。
「……クレ、ム？」
しかも彼だけではない。その背後には、もう一人、別の人間がいる。
「メルシャ……何で」
生きているのだろう。二人が。
クレムは頬と額にガーゼを当てられ、メルシャは額に包帯を巻き左手を吊っているが、間違いなく生きている。
「ジークが戦う必要なんてないのよ」
「僕だって戦える！」
反射的に答えてから、会話が噛み合っていない事に気づいた。彼女は、ジークに戦闘は無理だと言っている訳ではない。戦う理由自体が存在しないと言っているのだ。
「悪いのはフォルトゥナ様じゃないの」
フォルトゥナ様というのは、おそらく背後のドラゴンの名だろう。
「じゃあ、誰だって言うんだ!? 村の食料を略奪しそうな奴なんて、こいつしかいない筈だろう!! そう言ってたじゃないか！ それに、二人は生きてたけど、他のみんなは殺されてるんだぞ!?」
激情に任せ、後方を振り返る。
「何で二人だけが生きてる。何で、あいつらだけ生かしておいた……みんなは殺したくせに。答えろ！」
「もう、よせって」
その肩に手が置かれた。
「メルシャの言った通りだ。村の食料を盗んでたのは、フォルトゥナ様じゃない。麓の森を根城にしてる盗賊達がいるんだ」
「……そんな話、聞いた事がない」
振り返らず、ドラゴンから注意を逸らさぬまま、ジークは応える。
「そりゃ、お前――」
どう説明したものか、と悩むような声音に、ジークが顔だけ振り向かせる。
「……何だよ。『そりゃ、お前がマトモに外に出られないから』とでも続けるつもりか？ そうやって、本当は嗤ってたのか。村に住んでるくせに、村のこと何も知らないって……陰で嗤ってたのか！」
瞳には、怒りと憎しみと悔しさと、何より裏切られたような傷ついた感情が溢れていた。
「おい、なに言って……」
とつぜん豹変したようなジークの言動に、クレムは戸惑いの表情を隠せない。俯いたジークは肩に乗せられた彼の腕を払い除け、フォルトゥナに向き直った。
「……もういい。もう騙されない。とにかく、ドラゴンは殺す。そうすれば、もう村は安心だ。何も盗られないし、誰も殺されない。二人だって、元に戻る。死んでいったみんなのためにも、僕が終わらせるんだ」
うわごとのように呟きながら、ジークは槍を構えた。
「だから、よせ――ぐ！」
彼を止めようとしたクレムが、腹部を押さえて蹲る。
「ごめん、クレム。すぐに元に戻してやるから、少しだけ待っててくれ」
彼の鳩尾を突いた石突きを戻しながら、再び構え直した。
「……いかんな」
そんなジークの様子に、フォルトゥナは危機感を滲ませた表情で呟いた。
「すまんが、荒療治でいかせてもらおう」
そう言って地を蹴るフォルトゥナに、ジークも正面から挑んだ。槍の光は今や、彼の全身を包んでいる。
殆ど同じ速さでぶつかり合った二人は、ガキィンという甲高い音と主にすれ違った。地面の上を靴底を削るように滑りながら振り返ると、二人の頬には、共に切り傷がついていた。
（私に傷を負わせる程に……）
頬を流れる血を拭い、フォルトゥナはジークを見やる。全身に力が満ちているように〝見える〟が、そうではない。時間がなかった。
「その槍を捨てるんだ、ジーク。それは呪いの槍だ」
「騙されるか。これは勇者が悪魔を滅ぼした、神の槍だ」
「違う。それは選んだ持ち主の命を喰らう、滅ぼされた悪魔とやらと同じ側の存在だ」
「嘘だ。命を喰らう槍なら、僕の身体が、こんなに動く訳がない」
ジークの答えにフォルトゥナは唇を噛んだ。そう。確かに、その通りだ。
〝普通なら〟そう考える。〝だから〟タチが悪い。
「お前の身体が動くようになったのは、効率的に生命を喰らう準備に過ぎない。川で水を汲む時に、大きな石やゴミなどで流れが滞っていたら時間がかかるだろう。だから事前にそれらを取り除いて流れを確保する。お前の身体で起こっているのは、そういう事だ！」
更に言うなら、クレムに対し豹変したのも槍の効果である。この槍のように命を喰らう魔具は、生きようとする意志のようなプラスのエネルギーは喰らう事が出来ない。だから、持ち主に選んだ人間のネガティブな思考を促すのだ。
真剣な眼差しに貫かれ、ジークの憎悪が少しだけ薄まる。
「伝承とやらの勇者は、どうなった。穏やかな老後でも過ごしたか」
「それは……」
伝承の中の勇者は、悪魔が最後の力でかけた呪いによって、若くして死んだとされている。
「このまま槍の力を使い続ければ、お前は今にも死ぬぞ！ 勇者の後を追って槍の犠牲になるつもりか!?」
「だとしても……その覚悟は出来てる!!」
その言葉がフォルトゥナの怒りに火をつけた。最早ドラゴンの威厳などかなぐり捨て、そこにいるのは、ただの個と個である。
「犠牲になる覚悟で誰が救われる！ 残された者は、どうすればいい。お前は満足だろう。勝手に戦って死ぬだけだからな。だが、残された者は!? 勘違いだとはいえ、自分達のために、お前が犠牲になったと――自分達のために、お前を犠牲にしてしまったと……一生その傷を抱えて生きて行くんだぞ！ お前は守りたい者達に、自ら消える事のない傷を刻むのか!?」
「なら……どうすればいいって言うんだ。もう僕には、他に出来る事なんてないのに」
俯くジークに、落ち着きを取り戻したフォルトゥナは優しく語りかける。
「そんな事はない。他人と同じ事は出来ないかも知れないが、お前にしか出来ない事はある筈だ。焦る事はない。ゆっくり探せばいい」
その言葉は、ジークの最も大事な何かを打ち砕いた。構えていた槍が、ダラリと下がる。自嘲的な笑みと共に口を開いた。
「そんな時間はないんだ」
俯いたまま呟く。
「僕は、もう長くない」
決定的な一言。クレムにすら言わなかった事だ。事実、突然の告白に、クレムとメルシャは耳を疑うような表情をしている。
「だから、何かしたかったんだ。そうなる前に」
拳を強く握りしめる。噛みしめた唇から血が零れた。
「遠からず死ぬ事は確定してる。だから、もう――それ以外の何も失いたくなかったんだ!!」
慟哭のように叫んだ瞬間、ジークは違和感に目を見開く。慌てて口元を押さえた瞬間、ゴポリ、と。大量の血を吐いた。
10/11/10 18:26更新 / azure
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