連載小説
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前編
 窓から覗く空は皮肉なまでに青く、吹きこんで来る初秋の風は爽やかだ。村には、いつも通りの穏やかな空気が流れているように見えた。
 自室の一画。使いこまれて味の出た木製の机の上に積まれた本を抱え、少年は家を出る。向かうは自宅の隣にある神殿――といっても、これも木造建築であり、他の民家より大きいだけだが。
 村には教会が広める信仰とは別に、独自の神槍信仰があった。かつて魔王が代替わりする直前に、この辺り一帯を荒らしていた悪魔を、勇者が神の槍を以って滅ぼした、というものだ。その槍を祭るのが、この神殿だった。
「よっ……と」
 片手と身体で積み上げた本を支え、空いた手で神殿の扉を開ける。光が射しこむ室内には先客がいた。
「あ! ジーク兄ぃ来た」
 嬉しそうな子供の声。そこには三人の少年少女が彼を待っていた。
「今日は三人?」
「うん。もうすぐ収穫期だから、来れる子すくないんだよ」
 穏やかな表情で訊くジークにまとわりつきながら、一人の少女が答える。
「そっか……もう、そんな時期か」
 窓の外――遠くの方に、畑で作業中の大人達と、それを手伝う子供の姿が見えた。
「みんなは、まだ手伝わなくていいの?」
「うん。今日は、まだ大丈夫。明日からだって」
 六人がけの机に本を置くと、別の少年が答える。
「じゃあ、明日から暫くは、学校、休みにしようか」
「え〜……」
 ジークの提案に、彼より年下の子供達は不満そうに声を揃えた。
「あっ、でも……」
 そこで何かに気づいたように、先程の少女が心配そうな表情を覗かせた。
「ジーク兄ぃが辛いなら、無理しなくていいよ」
 服の裾を掴み、不安そうに見上げて来る少女の頭に手を置いて、ジークは頭を振って見せる。
「そういう訳じゃないよ。ただ、今は収穫の方が大事だろ?」
 心配してくれる彼女の心を嬉しく思いながらも、心の何処かにある申し訳なさが疼いた。生まれつき身体の弱いジークは、こういうとき――に限らないが――役に立てない。普段の生活でも、あまり激しい運動や長時間の運動が出来ないのだ。
 その罪滅ぼしとして、こうして子供達の時間が空いた時に学校めいた私塾を開いている。といっても、お金を貰っている訳ではないし、こんな辺境の村で生きていく上で必要な知識でもないかも知れない。ただ、子供達が大きくなった時も、この村が今のままとは限らないし、今のままだとしても外へ出て行く者だっているかも知れない。その時に困らないように、と、小さい頃から外で遊ぶより部屋で本を読んでいる事の方が多かったジークは、その知識を子供達に教えているのだ。
 自己満足である、という自覚はあった。けれど、こうでもしなければ、役立たずであるという現実から目を逸らせなかったのだ。
「今日は何するの?」
「昨日の続きだよ。憶えてる?」
「憶えてるよ〜」
 馬鹿にするな、と拗ねて見せる子供達に小さく微笑い、ジークは彼らの前にそれぞれの本を置いて行く。あくまでジークの私物であるので、同じ本が複数ある訳ではない。だから一人ひとりが学ぶ内容は別々のものだった。ローテーションでまわしているのだ。
 幸いにも大人達は、ジークのこの行動に批判的な目を向けはしなかった。子供達が進んで学校へ行き、笑って帰って来るからだろう。多少はジークへの憐れみがあるのかも知れないが。
 ジーク自身は不思議に思っているのだが、子供達は彼を慕っていた。教え方が的確で、説明はシンプル。他者に物事を解り易く教えるという点において、ジークの才能は非凡なものだった。まあ、子供達にしてみれば理屈などどうでもよく、単に優しいジーク兄ぃが好きなだけなのだろうが。
 そして大人達もまた、ジークが思っている程、彼を厄介者などとは思っていなかった。礼儀正しく誠実な彼は、忙しい若い夫婦に代わって子守りをする事もある。誰もフォロー出来ない部分を一人でフォローしているのだから、そんな彼が厄介者などである筈がないのだ。

 今日も一通りの授業が終わり、子供達は手を振りながら帰って行った。それを見送りながら本をまとめていると、とつぜん背後から肩に手を置かれる。
「ぅわぁ!?」
 思わず声を上げて振り返ると、ケラケラと楽しそうに笑う少年の姿があった。ジークとは対照的に、よく日焼けした髪の短い少年だ。
「クレム……何処から入って来たんだよ」
「窓。ビックリしたか?」
「そりゃあね」
 物心ついた頃から、ずっと一緒に育って来た親友だった。本人は悪戯好きを自称しており、こういう些細な悪戯をよくするが、実はジーク以外の人間にこういう事をするという話は、あまり聞かない。その理由を、勿論ジークは知っている。何かと暗く沈みがちな彼を、さりげなく気遣ってくれているのだ。
「相変わらずの名教師ぶりだったな」
「……見てたのか」
「ガキ共の間で評判だぜ? お前の学校。ジーク兄ぃのお話は面白い、だとよ」
「そっか」
 トントンと揃えた本を机に置き、椅子を彼の方へ向け直し、座る。
「で……何があったんだ?」
 付き合いは長いのだ。相手の様子の微細な変化に気づける程度には。
 ジークが水を向けると、途端にクレムの表情が曇った。
「フリオがさ……。お前に、弟の事よろしく、って」
「え……?」
 急に出て来た友人の名と、その後に続いた言葉の意味が解らず、ジークは怪訝そうな表情になる。
「あいつさ……次の討伐に志願したんだ」
 沈痛な表情で言うクレムに、ジークの表情も強張った。
 ここ最近、村では何者かによる略奪事件が頻発していた。盗まれるのは貯蔵されている作物や家畜、そして少量ながら金品。もっとも、少量な理由は金品の絶対数自体が少ないせいだが。
 村は辺境に位置し、交通の要所でもない。外部から来る者など、まずいない。だが、ならば内部の者が、という事もありえない。村では収穫された作物は一度ひとつにまとめられ、平等に分配される。町で作物を売った金で購入した日用品なども同様だ。
 となると犯人探しは完全に行き詰ってしまうが、大人達には一つだけ心当たりがあった。裏山である。そこにはいつの頃からか、ドラゴンが棲んでいるという噂があった。噂に留まらず、薬草摘みなどの合間に、その姿を見た者もいる。そして何より、盗難があった直後に、森へと消えていくドラゴンの後ろ姿を見たという報告もあるのだ。
 ドラゴンの強さは、もちろん誰もが解っている。だが、だからといって泣き寝入りする訳にもいかない。貯めこんである食料は、この冬を越すための物だ。それが奪われるという事は……。
 それ以降、村では幾度となく腕に覚えのある若者達によって討伐隊が組織された。二人の友人も、何人もドラゴン討伐に向かっている。
「メルシャ達だけじゃなくて、フリオまで……」
 今回の討伐に先んじて裏山へと向かった、四つ年上の女性の事を思い出した。スラリとした体型ながら力が強く、男顔負けの腕っぷしを誇っていた女性である。そして、クレムに負けないくらい、ジークによくしてくれた女性でもあった。
『大丈夫よ。ジークは安心して待ってて』
 出発前に彼女が残した言葉が、頭の中で再生された。けれど、その彼女は――というか、討伐に出た者達は誰一人として戻って来ていない。
 誰も口にはしないが、討伐に出るというのは、死にに行くのと同義である。
「……」
 暗い顔で俯くジークの頭を、クレムが軽く叩く。
「お前が、そんな顔してどうすんだよ。みんな、お前や村の奴らに、そんな顔させるために行く訳じゃねえんだぞ?」
「それは……解ってるけど」
「信じて待とうぜ。俺らには、それしか出来ねえんだし」
 ズキン。
 クレムの言葉は小さな棘になって、ジークの胸に刺さった。


 四日後。
 自室で本を読んでいたジークは、家の入口をノックする音に気づき、顔を上げる。栞を挟んで立ち上がり、階段を下りて入口のドアを開けた。俯いた子供が立っている。
「オリス……?」
 そこにいたのは四日前、神殿で勉強を教えた子供の一人だった。そして――フリオの弟でもある。
「ねぇ……ジーク兄ぃ。うちの兄ちゃん、来てない?」
 顔を上げたその表情は虚ろで、泣き腫らした目には光がない。生気のない掠れた言葉と合わせて、ジークに息を呑ませるには充分だった。
「ぃや……来てない、よ」
「……そ」
 吐息なのか返答なのかも判らない声を洩らし、オリスは背を向けた。ジークが、自分の身体の弱さを棚に上げて心配になってしまうような足取りだった。
「オリス……」
 呼び止めてどうするのかも分からないまま声をかけるが、聞こえていないのか、少年はフラフラと去って行った。仕方なくジークは、ドアを閉める。
「……フリオ」
 メルシャに続き、また一人いなくなった。
 窓から射しこむ陽の角度が変わっても、ジークはそうして立ち尽くしていた。また少し、胸の奥に隙間が出来た気がする。いつの間にか濡れていた頬を撫でる風は、本来であれば夏の熱を残している筈なのに、真冬の北風のように冷たかった。嘲笑うように撫でる。何度も、何度も、何度も。

 翌日。
 昼食の後片づけをしていたジークは、ノックの音に慌てて濡れた手を拭く。
「はい」
 小走りで駆け寄り、ドアを開けた。
「ジーク兄ぃ。うちの兄ちゃん来てない?」
「オ……リ、ス」
 前日にも訪れた少年が無表情に見上げて来るのに、ジーク言葉を失った。今日も彼は兄を探していた。一体いつから探しているのだろう。そして、いつまで。
「えと……ごめん、な」
「……何で謝るの?」
「いや、その……来てないから、さ。役に立てなくて、ごめん……て」
 震えそうになる声を無理やり押さえこみ、必死に平常を装う。正直、役に立てなくて、という言葉には別の感情も籠もった。そんな彼を無表情に眺めていたオリスは、しばらくして視線を落とす。
「そう……」
 踵を返した少年に、一瞬、安堵を覚えてしまった自分に、ジークは激しい自己嫌悪を感じた。
「ねえ……ジーク兄ぃ」
 そんな彼の内心を見透かしたかのようなタイミングで、オリスが足を止める。ビクッ、と、まるで怯えるようにジークの身体が震えた。
「兄ちゃん、死んだのかな」
 ズキン。
 氷の刃が心臓に突きこまれた。何か言わなければ、と口を開けるが、何も言葉が出て来ない。何も言える言葉がなかった。
 失望したのか、それとも初めから答えなど期待していなかったのか、オリスはトボトボと遠ざかって行く。その姿が見えなくなるまで、立ち尽くすジークは何ひとつ、声ひとつ洩らす事が出来なかった。


 それから、更に四日後。
 村の収穫作業は殆ど終わり、ようやく人々は、少なくとも外面的には落ち着きを取り戻していた。子供達にも、また自由な時間ができ、ジークも普段通りに神殿で子供達に勉強を教えていた。けれど、そこにオリスの姿はない。子供達が呼びに行ったが、部屋から出て来なかったらしい。
「じゃあね、ジーク兄ぃ!」
「ああ、気をつけて」
 今日も子供達を見送り、扉が閉まったところで小さく溜息をつく。
「お疲れさん」
 いつかのように唐突に声が聞こえて来たが、今回は驚かなかった。
「抜けて来ていいの?」
「休憩中だからな」
 振り返れば、やはりクレム。確か今日は大人達と一緒に、収穫した作物を倉庫に運びこんでいた筈だ。
「なら休めばいいのに」
「うっせ。俺の休憩時間なんだから、どう使おうが俺の勝手だ」
 気まずげに顔を背けるクレムに、ジークは小さく微笑う。
「オリス……来てないんだな」
「うん。無理もない、と思うよ」
 自分の言葉が白々しく聞こえた。本当は、何処かで他人事のように思っているのでは、という疑念が消えない。そんな訳はないのに、自分を信じられなくなっていた。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「ん? ああ……」
 クレムは暫く言いにくそうにしていたが、ちゃんと伝えなければならないと思ったのか、決然とした表情でジークの目を見据える。
「俺、さ。……行こうと思う」
「…………え?」
 何を言われたのか理解できなかった。思考が上手くまとまらず、どんな顔をしていいか判らない。
 行く。こんな真剣な表情で、行く、と言う。その意味は、一つだ。
「――にを……何を言ってるか、解ってるのか!?」
 思わず椅子を蹴り、相手の胸ぐらを掴む。普段のジークからは考えられないような乱暴な行動だ。
「解ってるさ。ドラゴンを、ぶっ飛ばしに行く」
「出来る訳ないだろう! メルシャもフリオも、みんな帰って来ないんだぞ!!」
「だからだ!!」
 クレムは声を荒らげ、ジークの胸ぐらを掴み返す。
「だから、もう、俺がトドメ刺して来るしかないだろう」
 真っ直ぐな視線に真っ正面から貫かれ、ジークは何も言えなくなった。
「収穫も終わったから、ちょっとくらい俺が抜けても人手が足らないって事はないしな。せっかくみんなが頑張って作った作物を、これ以上盗ませる訳にはいかねえよ」
 気負った風もなく、軽い調子で言う。
「安心しろよ。村でいちばん強えの、俺だぜ? メルシャとは決着ついてねえけど、絶対勝つ自信あるしな」
 不敵な笑みを浮かべ、クレムはジークの襟元を直す。
「大丈夫だ。絶対に守ってやる」
 ポンポン、と肩を叩き、クレムはジークの横をすり抜け、神殿の扉を開けた。
「ドラゴンの鱗、引っぺがして来てやるよ。一番でかいやつ。それで、お前の健康祈願の御守り作ろうぜ?」
 肩越しに振り向く顔で笑い、片手をポケットに突っこんで、反対の手をヒラヒラと振りながら、クレムは出ていった。
 ジークはまた♂スも言えないまま、その場に立ち尽くしていた。

 二日後。
 いつも通り子供達に勉強を教えていると、とつぜん神殿の扉が勢いよく開かれた。蹴破られるかのようだった。
「ジークはいるかい!?」
 血相を変えて飛びこんで来たのは、クレムの母。既に両親が亡いジークにとっても、もう一人の母のような存在だった。
「小母さん……どうしたんですか?」
「邪魔して悪いね。こっちにクレムは来てないかい?」
「え……?」
 何を言っているのだろう。彼は村を守るため、ドラゴンの棲む裏山へ向かったのに。
「ほら、あの子はちょっと暇になると、すぐあんたの所へ来るだろう? だから今日も来てるんじゃないかと思ってさ」
「何、言ってるんです。あいつはドラゴンを倒しに――」
「違う!!」
 とつぜん豹変したように、クレムの母は大声を出す。
「あの子は、焚き木を取りに森へ行っただけだよ! もう帰って来てる筈なんだ……きっと何処かで休んでるんだよ!!」
 何処か正気を失ったような鬼気迫る絶叫に、神殿内には沈黙が満ちた。子供達は怖がり、ジークの後ろに隠れてしまっている。
「あ、ああ……ごめんよ、大きい声を出しちまって」
 それに気づいたのか、クレムの母は取り繕うような笑みを浮かべた。
「それで、あの子は……?」
「いえ……今日は、まだ来てません」
「……そうかい」
 相手を刺激しないように話を合わせた上で答えると、彼女は露骨に落胆の表情を浮かべた。
「それじゃあ顔を出したら、さっさと帰って来るように言っといとくれ」
「解りました」
 肩を落とし帰って行くクレムの母を入口まで送り、ジークは、その背中をしばらく見つめていた。
 見た事のある症状だった。それも、ごく最近。

 五日が経過した。
 村の様子は、何処か色褪せて見えた。普段通りの生活を送る大人達にも、覇気がない。
 そして、クレムは帰って来ていない。
 クレムの父の話では、彼の妻は、あれ以降ふさぎこんでしまっているらしい。会話もなく、惰性で普段の行動をなぞっているだけに見えるのだそうだ。
『……よく出来た妻の人形と暮らしている気分だよ』
 彼女の身を案じながらも、そんな偽らざる心情を吐露していた。
(クレム……)
 彼は、どうなったのだろう。過ぎた時間を考えれば、既に帰って来ていてもおかしくない筈なのに。それでも帰って来ていないというのは、つまり、そういう事なのだろうか。みんなと同じように――
「くそっ……」
 ネガティブな思考を振り払うように頭を振り、ジークは家を出た。考えてばかりいても仕方がない。確実に事情を知っているであろう者として、村長や長老の家を訪ねてみようと思ったのだ。といっても、同じ家だが。
 村のほぼ中央にある大きな家が、それだった。ノックをすると、村長の妻が応対に出て来た。
「あら、ジーク。いらっしゃい」
「こんにちは」
 村長とは少し歳の離れた若い彼女は、珍しい来客に目を丸くした。
「村長か長老様、いますか?」
「ええ、二人共いるけれど……でも今、何だか難しい話をしてるみたいよ? 中で待ってる?」
「ええ、お願いします」
 難しい話、という部分に嫌な予感を覚えながら、それでも中へ入る事を優先した。
「お茶とお菓子を用意するから、ちょっと待っててね?」
 ジークをダイニングへ案内し、椅子を引いた彼女は、そう言ってキッチンの方へと入って行った。ジークは申し訳なく思いながらも椅子には座らず、そのまま奥へと進む。
 応接間のような大きめの部屋の前で足を止め、扉をノック。妻と間違えたのか、中から村長の声が聞こえて来た。
「入りなさい」
 言葉に従い、ノブを捻る。室内には村長や長老以外にも、数人の大人がいた。扉の向こうから現れたのがジークだと判ると、全員が表情を強張らせる。
「お、おお、ジークか。珍しいな」
 いちばん奥に座っていた長老が、取り繕ったように柔和な笑みを浮かべた。
「疲れただろう、ジーク。今、何か用意させるから……」
 そう言って村長が立ち上がった事で場の解散を悟ったのか、他の大人達は退席する。中には、ジークを気遣う言葉や視線を向けて来る者もいた。その違和感に気づかない訳がない。
 いつも優しい表情が、いつもより優しい。
 言葉に籠められた気遣いの分量が、いつもより多い。
 向けられる視線から感じる同情が、いつもより濃い。
 それらの事実に、当たって欲しくなかった想像が現実になった事を悟った。
「……クレムは」
 俯き、沈んだ声で訊く。これは質問ではなかった。
「死んだんですね」
 テーブルの上には、折れた剣。柄の部分には、赤黒く固まった血が残されていた。
「い、いや。まだ、そうと決まった訳では……この剣だって、彼の物とは……」
 慌てたように村長が言う。けれど、それは、あまりにも説得力に欠けていた。
 それに、この剣がクレムの物ではなかったとして、それが何だというのか。この剣の持ち主だった村の仲間が死んだのは、変えようのない事実なのに。
 いつの間にかジークは、唇を噛みしめていた。爪が食いこむ程に、強く拳を握りしめる。そこから血が滴るのに気づいた大人達が慌てて近寄ろうとするが、それより早く、彼は踵を返していた。
「ジーク!」
 誰かが呼び止める声も、もう聞こえなかった。一直線に出口へ向かう。
「待ちなさい、ジーク! そんなに走ったら――」
 走ったら、何だというのか。死んでしまう、とでも言うつもりか。死んでしまえばいい、こんな身体など。何も出来ない、誰も助けられない身体だ。
「誰か、ジークを止めるんだ!」
 辺り一帯に響くような大声で、村長が叫んだ。その声に反応して、辺りで作業を行っていた者達が驚いたような顔をジークに向ける。彼の身体の事は、誰もが知っていた。その彼が全力で走っている、ましてや鬼気迫る表情で向かう先が裏山ともなれば、全員が、一刻も早く止めなければ、と思った事だろう。
「どけっ!!」
 意外なまでの荒々しさで、ジークは叫ぶ。立ち塞がる人々を躱し、伸ばされる手を払い除けた。
(クレム……)
 いつの間にか涙が溢れていた。もう会えないのだと思うと、胸が引き裂かれるようだった。それはクレムだけに限った事ではない。
(メルシャ……フリオ……!)
 みんな優しかった。この村を愛していた。だから、村のために、と旅立って行ったのだ。安心しろ、と笑って。守ってやる、と力強く頷いて。
 けれど、そんな彼らは、もういないのだ。もう、二度と会えないのだ。
 話せない。笑い合えない。触れあう事も出来ない。そして彼らが喪われようとしている時、自分は、いつも通りの日常を、ただ過ごしていただけだった。
「くそおおおおお!!」
 背後から伸びて来た腕に捕らわれ、最後の悪あがきのように、言葉にならない激情を、魂を引き裂くような叫びと共に吐き出した。
10/11/10 18:24更新 / azure
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■作者メッセージ
 ノリと勢いだけで見切り発車するとこうなる、という見本のような物語の開始です。
 本来読み切りのつもりで書いていたのですが、やっぱりというか延びました。もしかして私は、読み切りが書けない人間なのだろうか? かなり本気でヘコみますw

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