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冬が二人を別つまで

 ある日、弟が死んだ。
 仲が良い兄弟だったと今更言うまい。早くに親を死なせた私にとっては唯一の肉親だった弟が、その日冷たくなって私の下へと帰って来たのだ。


―――――


 その日の天気は憶えていない。ぼんやりと暗かったから、多分曇りなのではなかったかと思う。
 黒壇色の葬儀を終えた後、弟は土に埋められた。
 一頻り悲しみに耽った後、私は弟が眠る墓の隣に何があるか目を遣った。其処には何もない。更地だ。石一つ置いていない。今度この街に死者が出たら、恐らく此処はその人の眠る場所になるだろう。
 私は思う。弟の隣に眠るのは、弟の愛した人であるべきではなかったのかと。


 弟は正義に殺された。
 正義に彩られた刃が弟を貫き、弟の貫き通した正義に彩られた盾ごと貫き通した。
 私には何が正しかったかなんて判らなかった。
 私は他人の目から見れば一般的で模範的な町民だった。
 私は名前を与えられる程の者ではなかった。
 弟の亡骸に怒りと歎きを一緒くたにした視線を黙って向ける私は只の男だったのだ。
 弟はこの町で生まれるべきではない人間だった。
 敬虔でリテラシーのない人間が住む町だと言えば判るだろうか。そして私もその中の一人だった。今でもそれは、きっと死ぬまで変わらないのではないだろうかと思う。


 ある時弟は魔物を自身の妻とした。
 私はそれを判っていたし、構わないと思っていた。構わないというのは、私自身が弟の性格と行動を鑑みて引き止める事に意味を成さないだろうと理解していた、という事だ。実際彼は私のその判断に冷静に瞳を濡らしただけだった。
 今思えば、弟は馬鹿だったのかもしれない。
 与えられた教えでは飽き足らず外界を求め、自身の目で自身の解釈を見付けようとした。その果てに、魔物との共存という一つの道に帰結したらしい。その道程は姑息的にも見えたが敢えて説明する事もないだろう。
 私は弟の思考を理解した。共感はしなかったが、構わないと思っていた。リテラシーのない私でも、この世に正義は一つとしてない事を理解していたし、また全てが正義足り得る事も知っていた。
 そして、弟は名も知らない街で殺された。
 相手は教会騎士だったように思う。彼が言うには異端者を処刑したのだそうだ。
 亡骸はすぐに故郷である私の下へと届けられた。


 何度か言うが、弟には妻が居た。
 私は弟の妻を紹介された事があるから知っていたが、その亡骸は此処には来なかった。恐らく然るべき処分がなされたのだろう。弟への処遇が特別だったのだ。
 何度か言おう、弟には妻が居た。妻とは愛する人であり、家族だ。弟は新しい家族を築こうとしていた。彼が帰結させた考え、それに至る道程とは随分と悖るが、間違いなく弟は正義を貫いたのだ。
 だが、弟が貫いた正義の末路は、余りにも、余りにも不逞であった。
 その隣には共に眠るものはおらず、何れ名も知らぬ誰かが其処に並べられる。築こうとした物を奪われ、二度とその目を開く事も出来ない。
 哀れと口に出すものか。皆は弟を不義の者と噂する。不弟よ、哀れと私を罵るのだ。
 私は弟を誇りに思わない。だが、教会を誇りに思う事もなし。
 そんな私をこの町は絶えず罵り続ける。私は居ても立っても居られず町を出て名も知らぬ大きな街へと流れ、黴でこけ古びた小屋を家財と交換して住まう事にした。
 新たな場所での暮らしは心地良かった。知らぬ街は私の事を知らずに居てくれた。構わないと思ってくれたし、私もそれで構わなかった。
 日々の食い扶持は靴を編み道端で売る事だった。出来れば靴底が剥がれている通りすがりを捕まえて履き替えさせる事が多かった。他には野菜を育てる事もあっただろうし、斡旋所で日雇いの仕事をする事もあっただろうが、詳しくは憶えていない。そういえば小屋の傍に畑らしき掘り返しがあったのを朝に見た気がする。
(11/04/08 20:42)
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(11/11/17 15:09)
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