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冬が永遠を紡ぐまで

 お父さんは、私を引き取り15の年まで育てた後に倒れた。
 倒れた時のお父さんはまるで骨と皮の怪物のように痩せ細っていた。私が幾ら食べ物を口に運んでもお父さんはそれを栄養にする事すら出来なかったのだ。そしてそれが決して治る事のない病だと知ると今までお父さんと一緒に商社を経営していた仲間はお父さんから全てを奪い去って行った。その勢いはまるで別世界の傲慢な生き物のような様だったように思う。
 私とお父さんに残された物は最早お父さんが何時も欠かさず書いていた日記と、在りし日にお父さんが隠匿していたボロ小屋だけだった。長い間使われていなかった埃っぽいボロ小屋でお父さんはじっと宙を飛ぶ蠅を目で追っているのであった。
「お父さん」
 声を掛けても瞼を揺らすだけ。
 お父さんの手から赤いカバーの日記がずれ落ちる。長い間お父さんの手にあったそれはとても古ぼけていてアンティークのように高尚さを漂わせていた。その所為で今まで私はその中を覗いた事はなかった。
 けれどそれが地面に角を打ち付けた時、其処から真新しい紙が滑り落ちたのを目にした。手に取ってみるとそれは可愛らしい、この時期にぴったりの雪化粧があしらわれた裸の便箋であった。私はそれが何時もお父さんが私に充てる時に使っていた物だとすぐに判って懐かしさが込み上げてくる。
 折り畳まれたそれを私が開いた時、其処に書かれていた内容は私に驚きも怒りも与えなかった。
 私は便箋を折り畳んでお父さんの身体の上に置き、今まで開こうと思った事すらなかったお父さんの日記に目を通した。
 それは経た年月と違って簡単な今までを述べたものだった。時間を忘れたか、もしくは量も無かった為か私はすぐに読み終えた。
「……どうして」
 不意になぞった言葉はそれだった。
 私は両親を一歳の頃に失くしたが、それでも差し引いた14年の間私の父親であったのは貴方だった。そんな貴方の事を忘れられる筈がない。


   すまなかったな」
 ここ数日喋る気力さえ失っていたと思われていたお父さんが不意に言葉を発した。
「本当は、このまま私が死んでしまってから読んで欲しかったのだが」
「馬鹿な事言わないでよ、お父さん……」
「それを読んで猶私を父親と呼ぶのか、君は。優しい子に育ってくれた事が何よりも嬉しくもありながら、これほどにも残酷に思える事が他にあろうか。願わくば私が死ぬ様を君がその身に纏う冷気の様な冷たい瞳で見詰めている事を望んでいたというのに」
「待ってよ。そんな勝手、許さないよ……っ」
「君に許しを乞うなんて真似はしない。私は死に、またあの頃の様に誰からも構われる事などなくなるだけだ。やがて君からも記憶はなくなり、また何者でもなくなる虚無の旅人となるだけだ」
 お父さんは静かに語り痩せこけた頬を乾かせた。
「私は君に生きる術を教えた筈だ。この世界には残酷な者達がいる。私は心配だ。その残酷な者達に君が蹂躙させる事が。君は優しかった。初めて私に会った頃から君は変わらぬ純粋な心を持ち続けている。だからこそ怨嗟の瞳を向ける事を憶えなければならない。憎き者に向ける目を」
「憎き者なんて……お父さんは」
「優しい子だ。君は優しい」
 か弱く微笑むお父さん。私は物心ついた頃からお父さんの影のある笑顔が好きだった。そして今になってその影が何なのか知る事となったのだ。
 お父さんの日記に書かれた私という少女の心境が私の中で再び芽を吹き始めた。
「ねぇ、お父さん……私、お父さんを初めて見た時どう思ったか知ってる?」
 お父さんは返答もしないままにこにこと笑ったまま。
「この人は、私がいなくちゃダメだな……て思ったの。私が傍に居てあげなくちゃって」
 昂る何かが私の殻を破った。
 朽ち掛けた小屋の中に積もる塵の一切が冷たい空気に舞い上がる。それは宛ら灰色の雪化粧のように辺りの物を汚して行く。
「……お父さんは自分は何者かって悩んでたんだよね? だったら教えてあげる。お父さんは私のお父さんでいいんだよ。だって、私はお父さんの娘で、そこから   貴方の恋人になるのだから」
「え……?」
 燃え上がる私の恋慕に呼応して吹雪は小屋を吹き飛ばし、私達を野晒しにする。それでも吹雪は更に更に、私の想いに答えてどんどんと大きくなっていく。
「貴方は私を何時も守ってくれた。今度は私が貴方を護る番」
    クス、クス。
「貴方の言った通り。この世界には残酷な人達が沢山いる。貴方を裏切ったり貴方を馬鹿にしたりする人達が皆そう。……だから、私がそういう人達から貴方を護ってあげる番」
 貴方の耳元にそっと息を吹きかける。冷気が耳を伝って彼の頭を痺れさせて、この世のあらゆる苦痛を取り去ってあげる。
「寒、い……。私、は……、君に、良い父親でいて、やれただろう、か」
「ええ、貴方は私のお父さん。そしてこれからはもっと大切な人になってくれるんだよね?」
「私は、死ぬのだろう……?」
「ううん、死なないよ。お別れなんて、私耐えられないもん。ねぇ、もう私から大切な人を奪ったりしないよね……? ねっ、お父さん   ?」
「……君、は……残酷な、子だ……」
 お父さんは何時もの様に笑ってくれた。





――――――――――





 やがて時が経てこの地の教会勢力が排除された後、この時が止まった街にも魔王軍の指揮官二人が立ち寄った。
「此処が噂の」
「ああ、“凍れる街”と呼ばれる場所だ。嘗ては人も住んでいたが、今では見る影もない」
「うぅ、寒いなぁ。大陸の南部といえば温かい場所のイメージがあったんやけど。どうしてこんな事になったんや?」
「さぁ、私に訊かれても。ただ、噂では此処に一人雪女が隠れ住んでいたらしい。もしそれが本当だとしたら原因に関わっていてもおかしくないだろうな」
「東洋の妖怪が、はたまた何でこんなトコに?」
「だから、私が知るものか」
「ははは……」
 魔術帽を被った男が渇いた笑みを氷の彫像と化した街に響かせる。手に持ったパイプを咥え直し、ぷかぷかと煙を燻らせた。
   しかし、街を丸々一つ凍らせるなんて見事なものやな。余程の“想い”があったのやろう事は想像に難しくない」
「……何をニヤニヤしているんだ?」
 男に連れ立つ軍服姿のアヌビスが呆れ気味に問う。男は含んだ笑みを覗かせる。
「いやいや……もしこの氷の町が一人の雪女の仕業やったとしたら、彼女は何故このような行動に出たのかと思ってね」
「と、いうと?」
「我々を待っていたんやよ。我々、魔王軍を」
 アヌビスの少女は頭を抑える。
「……貴様はまた訳の判らん事を。大体、この街が本当に人為的にこんな姿となったのかどうか、誰も言い切れんのだぞ?」
「成程、此処はパン屋やったようやな」
「おい」
 少女に気を遣う様子もなく男はパン屋の名残を残す建物を通り過ぎ、その先にある凍れる切り株に目を止めた。
「お、なんかこの切り株美味しそうやな。パン屋を見た後やからか、それとなく焼き立てのパンに見える。今日の昼飯にはくるみパンを用意しておいて貰おうかな」
「齧るなよ、全く」
「齧るか」
 男は楽しそうに返すと、唐突にその切り株を飛び越えて道を逸れるのだった。
「おい何処に行くんだ?」
「いやー此方に何か……“想い”の残滓を感じて」
「なんだ、それは……」
 そう言いつつも呆れ果てるアヌビスは男の後ろを付いていく。
 その先には予想だにしないものが聳え立っていた。
   これは……!」
 其処に聳えるもの。
 それは大きな氷の障壁であり、また魔力の壁であった。得体の知れない圧力がアヌビスの少女の首筋をぞっと撫でる。
「見付けた。此処がこの“凍れる街”に眠る“業”か」
 男がにぃっと笑んだ先。氷の障壁が何物をも拒絶せんばかりに立ち塞がる先には小屋があった。幾許かの木材と氷で形作られた簡素な小屋。まるで其処だけ空間を切り取った様な静かな佇まいをして其処にあったのだ。
「どうやら噂は本当だったらしいな」
「噂なんて興味はない。俺は事実が知りたいのさ」
 男はそう言い放ち、静かに腕を前に掲げた。
「さぁ、鎖された時を動かしてやろう、時代に取り残された者達よ。嘗ては叶えられなかった結末を今存分に迎えると良い。我等が主の軍勢はそれを寛容する」





――――――――――





 その日、永遠に続くかと思われていたこの街の冬が終わった。





 冬が終わり、雪解け水が万命を潤した時。





 時代を覇する者達が齎した新たなる永遠は、二人を別つ事はなかった。





 そう、永遠に。

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拙作を最期までお読み頂きありがとうございました。

エロの要不要については私自身思う事もありますが、存外に方向性に苦心している為このような文風で著する運びとなりました。

少々極端且異色な描きとはなりましたが、魔物娘たる恋慕の情の趣たるや時には破滅的に向かうものであることも魅力の一つかと存じます。

読み手の皆様方によって思う事は幾多あれども、私にとっては何かを感じて頂けている事それだけで本望であります。

それでは此処で卒業や入学、進学、はたまた社会人となられる皆様の新たな門出を祝しまして最期の御挨拶を締めさせていただきます。









































































































おっぱい!!

11/11/17 15:09 Vutur

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