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6話

【密告者の指先】



 あの日から、俺に変化が訪れた。
 人を殺す度に、あの気持ちが甦る様になったのだ。
 無残に殺せば殺す程、相手が弱ければ弱い程、強烈にプレイバックされる。それと共に、胸の中を何かが責め立てるのだ。俺には、目に滴を溜めない時は無くなった。
 原因を探った。必死で探った。この変化は、俺にとって凄まじい恐怖だったから、追い立てられる鶏の様に、がむしゃらに。そして行き着いた答え。それこそが……彼女の言葉を裏付けた。
「心」
 俺には、心がある。
 心。
 ……なんだ、それは?


 教団の教育は、都合よく人間性を抜き去るものだと気付くのに、そう時間はかからなかった。だけど俺はそれを何かしらの形で取り戻せたらしい。
「……あの娘」
 不意に彼女の笑顔と声が浮かぶ。心なんてものを取り戻したお陰で、こんなに苦しい思いをしなければならないなんて、と思ったが、彼女の事を考えると不安が嘘のように消え去る。


 それが恋だと知るのに、時間は要らなかった。恋が、俺を人間にしたんだ、と。



―――――



 そして年月が経ち、彼女と会う機会は二度と現れなかった。その代わり、俺に対する執拗な虐待は日々苛烈を極めていく。どうやら奴等は俺に危機感を抱いているらしい。どうせ自我が芽生えて歯向かわれるのが怖いのだろうが、な。
 今日はダガーの扱いについての鍛錬だった。俺は一回り大きくなった獲物にわくわくしたが、どうせ使い方はナイフと変わらないのに気付き、やる気が失せた。慢心していたに違いないが、この場で俺に敵う人間なんてどうせ一人もいないのだ。
 だけど、俺は言葉に縛られていた。教官が俺を見咎め、執拗に鞭を振るった。激痛に嗚咽が漏れる。折檻が終わっても、背中に痺れが残る。気付くと、地面に血溜まりが出来ていた。鏡で確認すると、背中の皮は擦り剥けて、白い骨が剥き出していたのだった。


 寝るにしても痛みが俺を襲う。脂汗が全身から染み出し、剥き出しの骨に垂れ落ちる。思わず声を挙げた。人が来た。頭を思い切り蹴られた。部屋に彩りが満ちた。



―――――



 やがて俺を寂しさが襲う。恋というのは辛いのだな。日に日に彼女の姿が記憶から失われていくのが怖い。
 だから代わりを作る事にした。彼女の姿を思い浮かべ、設計図を組む。肌の色彩や首、頭蓋を思い浮かべて、綿密に。丁度今、俺はゴーレム技術を学んでいる。彼女を基に作れば、きっと可愛いゴーレムが出来る筈。
 このゴーレムにも心を宿らせる為、嘗て習得したネクロマンシーを基に発想を練り続け、錬金術の秘儀でさらに磨きをかけていく。そんな風に熱中している振りをして、寂しさを紛らわせる日々が続いていた。
 そんな、ある日。俺は人から言われた。


『彼奴の友達は死体と石だけ』


 俺は悔しかった。激しく心を乱した。彼奴等が言う友達というのは、只利用しあうだけの仲だ。傍から居ていて判る。そんな彼奴等に、馬鹿にされた。
 俺は自室のベッドの上で、髪を掻き毟った。手の中に夥しい黒い線が纏わりつく。俺の目に涙が滲みだす。血の跡がおどろおどろしいベッドに雫が染みていく。
「……だったら」
 だったら、やってやろうではないか。
 俺が今まで心と言うものを研究して築いたネクロマンシーと錬金術の秘儀。   奴らが馬鹿にした死体と石だ。   それを組み合わせて作る人造の悪魔。俺は机に置いた“彼女の代わり”の設計図を隅に追いやり、其処から悪魔の製作に取り掛かった。
 岩を切り出し、削り、特殊な手法で魔力を与える。紋章を至る所に刻みこみ、最後は悪魔を封じる鎖に術者の血を塗す。
 一心不乱だった。もう何をしているのか判らないくらい、寝食を忘れて悪魔を作り続けた。そして出来上がったのだ。   悪魔の彫像が。
 豊満な胸を腕に挟み、淫靡に前を見据える姿。その背には禍々しい翼と尻尾。だが顔は天使のように可憐。可憐。
 俺は其処に   淫魔を見た。
「……何、やってるんだろう。俺……」
 悪魔を作った筈だった。おどろおどろしい、今の俺の苦しみ、怒り、寂しさを体現した、悪魔を作ったつもりだった。なのに、いざ出来上がったのは淫魔、か。
「くく……ふふふ」
 俺は其処で、皮肉な意味に気付く。気付けば、笑みが止まらなくなっていた。

   お母さん)

 俺は求めていたのだ。未だ見ぬ母親を。
 優しい母親。子供に無償の愛を捧げる只一人の人。子供が辛い目にあっていれば、何処からか現れて安全な場所に攫って行ってくれる存在。俺はそれを求めていた。
 なんて馬鹿馬鹿しいんだ。   此処は、愛から最も遠い場所だというのに。


 俺は惨めな思いを抑え込み、彼女の鎖を解き放つ。そして彼女の頬を万感の想いで撫でる。
「お願いだ……。君だけは、いつまでも俺を愛して……   
 知らずにそう呟いていた。自分でも驚いて、彼女から手を離す。けれど、この石像の悪魔は俺の言葉に頷きはしなかった。
 正確にいえば、起動、しなかったのだ。
 どうして……?
 ガーゴイルを動かす技術に間違いはない筈だ。現に、俺は今までガーゴイルを三体作ったが、全て問題なく悪魔が宿って動き出した。なのに。なのに、なんで? 女の姿じゃ、宿る筈の悪魔が興味を示さないから? それとも、俺に対する……。
「ふ……ふふ、くははは……」
 まただ。また涙が溢れてくる。俺はやっぱり、心なんて持たない方が良かったと思った。


    愛を恨んだ。





――――――――――





 悲しい男だ。
 狂気に魅入られ、堕ちる事を憶え、只盲目的に堕ちていくだけ。
 その先に救いなんてないと、自分でも判っているのだろうに、ヴァーチャー。


    俺達を取り囲む魔物達。皆、明らかな殺意を俺達に向けている。闇の中に慣れてきた目は、魔物の群れの内訳を見る。ワーウルフなどの獣人種、ダークスライムなどの不定形種、ゴブリンなどの亜人種。数も種類も豊富だが、何より厄介なのは、その中にエキドナ、ベルゼブブ、ドラゴンなどの大物がいる事だった。
「ふん。実にバラエティーに富んだ編成だ。これでは、此処が一種の魔界と言わざるを得んな」
「呑気な事を。エキドナ三体、ベルゼブブ七体、ドラゴン二体……どんな大国も三日あれば滅ぶぞ」
 スヴェンの台詞はあながち間違っていない。どれも伝説級の魔物だ。滅びを紡ぐ事など、造作もないだろう。


「! く、あぁぁっ」
 そんな時、ゼルの傍に控える二体のミノタウロスが突然呻き始める。彼女達の目に、光が消えていく……
「ケイフ!? お姉さんも、どうしました!?」
 二人を気遣うゼル。彼女達は頭を押さえ、ゼルに段々と殺意の目を向ける様になっていく。だが何処かで失いかける理性に気付いたらしく、必死にこうゼルに言い残す。
「ゼル……! はな、れろ……!!」
「……!」


    間一髪、だった。
 ケイフの理性が吹き飛んだ瞬間、彼女はゼルを角で突き上げようとした。だがその一瞬、ヘザーの鞭がゼルの身体を引っ張ったのだ。角は空を切る。ゼルは尻餅をついて、鼻息荒く殺意に満ちる彼女達姉妹を見上げる。
「ケ、ケイフ……?」
「どうなっているっ。此奴等はどうしてしまっているのだ!?」
「落ち着きなさいな。きっと、ヴァーチャーの魔力に感応したんでしょう。元々ミノタウロスは理性が薄くて凶暴な魔物だから」
「感応? では、此処にいる魔物全てが……?」
 チェルニーが呆気に取られてしまうのも判る。凶暴化しているのはケイフ姉妹だけではない。周りに居る彼女達魔物は、ざっと見て百体は超えている。信じられないのは無理もないが、ヴァーチャーの魔力なら朝飯前だろう。
「奴は膨大な魔力に託けて、彼女達の魔王の魔力を不活性化させたのだろう。魔王の魔力が効かない状態で、代わりに奴の魔力を受ければ、一時的に彼女達は“ヴァーチャーの魔物”となる。……魔王の魔力と酷似しているからこそ出来る芸当。しかし、運が良かったな。エルフは理性が強いから、奴に操られずに済んだようだ」
「そんなことはどうでもいい。それよりも、この数にどうやって太刀打ちするのだ!?」
「安心しろ。   その為にゼルが居る」
 これがヴァーチャーの第一手ならば、此方にも“封じる”一手がある。
 流麗なる吟遊詩人に注目が集まる。ゼルは竪琴を手に、静かに頷いた。
「……小生の、吟遊ですね」
「そうだ。貴様の吟遊は魔王の魔力を“活性化”させる、ヴァーチャーとは逆の能力だ。上手く行けば相殺出来る。   ケイフ姉妹を取り戻せる」
 俺の言葉を聞くと、決意固くゼルは頷く。
 其処でチェルニーが喚き始める。
「ちょ、ちょっと待て! 其奴の吟遊で、私がサキュバス化してしまうではないかっ」
「どうせヴァーチャーの力で相殺される。頼んだぞ、ゼル」
「……承知致しました。小生の吟遊が何処までお役にたてるか判りませんが」
 そう謙遜して琴線を指で撫でる。自らの連れ合いが変貌してしまった事に動揺していながらも、其処から奏でられた旋律は、とても落ち着いていた。


 ♪〜♪……♪


 心地よい音曲。だが周囲から殺気は消えない。ミノタウロスの姉妹も鼻息荒く唸り声を上げている。
 世の中、そんなに甘くはない。判っていたが、窮地に立たされる気分というのは何時になっても勘弁願いたいものだ。
「……諸君等、効果が出るまでゼルを守るのだっ」
 俺は叫ぶ。こういう魔力への干渉は根気強さが肝心だ。ゼルを中心に、協力者達が輪になって取り囲む。

「くそっ。来んなら来やがれ! 俺の動きに付いて来られるもんならなぁ!」
「エルロイ、その意気だぞっ」
「……ただ自棄になってるだけじゃないの」
「エリス。なるべく俺の後ろに居ろ」
「い、いえ! 皆さんが頑張られている時に、エリスだけ守られてばかりでは駄目でするっ。自分の身くらいは自分で守ってみせまするっ」
「とか言いながら俺の後ろに隠れるなっ」

 急場を迎えたというのに、何処までも自分のペースを崩さない連中だ。見込んだ通りというべきか、微笑ましいというべきか。そんな俺はゼルの顔をちらりと見る。彼はミノタウロスの姉妹をじっと見詰めていた。
「……ケイフ……。お姉さん……」
 ぽつりと呟いたゼル。その瞬間……


   俺の音を聞けぇぇっ!!」


 まるで彼らしくない叫び声が響く。激しい曲調を指先から奏でる。それはまるで、血が熱くなるような吟遊だった。
「……いくぞ、ソニア」
「はい、マスター」
 俺も傍に居るゴーレムに声をかけ、ダガーを構える。ゼルの演奏で力が湧きだしてくるのが判る。ゼルを守り切れなかったら魔物達に八つ裂きにされるだけだ。久方ぶりに冷や汗が頬を伝う。
 やがて雫は顎から垂れ落ち、地面に弾けた。
    一発勝負。しくじる訳にはいかなかった。





――――――――――





 俺は愛を捨てた。
 やっぱり、釣り合わなかったんだ。俺は暗殺者。彼女はお嬢様。やんごとなき彼女が、俺を好きな筈がない。恋愛小説の中では立場の違う二人は大抵両想いらしいのだが、こんなの現実にはありえない事は知っていた。
 踏ん切りをつける為に、埃をかぶっていた彼女の代わりの設計図を引っ張り出す。
 そして嘗ての自分が書いたそれに修正を加えつつ、ゴーレムを作った。白髪で、華奢で、今の自分ぐらいの背格好の女の子。
 俺が想像する、彼女の今の姿。実際は、きっと違うだろうけど。
 後は“これ”に心さえ宿れば、最高だろうな。
「……」
 俺は思わず笑う。なんだか、凄く愛着が湧く。手放すのが惜しい気がしてきた。
 けど、これはもう決めた事なのだ。俺があらゆるしがらみと決別する為に。彼女と、教団と、友から決別する為に、必要な手段なのだ。
 だから俺は彼女の首元にルーンを刻む。ゆっくりと、時間を掛けて。


 やがて彼女の目がゆっくりと開く。俺は思わず彼女の肩を抱き、頭を撫でていた。そして青空色の瞳を見詰め、こう言ってやる。
   おはよう」
 彼女は真っ直ぐ見詰め返してくると、こう言い返してくる。
「今は夜中です、マイマスター」
 どうやら彼女の体内時計に異常はないようだ。
 俺は首を振った。
「いいや……俺の事は父親としての呼称で呼んでくれ」
「? 何故ですか?」
「俺と君は家族だから」
 そう口に出す。誰でもない彼女との、決別の言葉だ。
 俺の悲痛な決意を知らず、目を覚ましたばかりの彼女は頷く。
「家族。その概念は登録済みです。では……呼称データ参照……“お父様”、と呼ばせて頂いても宜しいですか」
「ああ、それで構わないよ」
 お父様……上品な感じで可愛らしい。素直に気に入った。
「判りました。では、マイマスターからお父様へと呼称を変更いたします」
「良い子だ。ソニア」
 頭を撫でてやる。ソニアは首を傾げた。
「ソニア。未登録の単語です」
「それはお前の名前だよ、“SO-NEAR”。……こんなにも傍に、って意味だ。憶えておきなさい」
 彼女は目をパチクリとさせてから頷いた。
「了解しました。私の名称を……   から、“SO-NEAR”に変更いたします」
「ああ」
 ただ忠実な言葉に、胸が引き裂かれる思いがした。



―――――



 やがて、俺はソニアをゲーテに渡し、二年ほど世界を渡り歩いた。教団からの刺客は絶える事無かったが、それでも戦争に駆り出されていた時よりかは格段に穏やかな毎日を過ごしていた。
 世界を歩いて、知った。俺が今まで見ていた世界とは全然違う。
 外の世界はとても美しかったのだ。
 心躍る祭りや、命が溢れる自然。人々はその中で幸せに過ごしている。人間が、時に喜び合い、時に憎み合い、共に涙するものなのだと、初めて知った。皆、俺が持っていないものをたくさん持っている。
    羨ましいな。
 俺はふと思い立った。自分は、何処から生まれてきたのだろうか? 東洋人だという事は知っているけれど、生まれ故郷は何処だろう。もしかしたら、故郷に行けば自分を知っている人に出会えるかもしれない。そしたら俺は、血塗られた暗殺者から普通の人間になれる。この世界の皆みたいに、胸を張って、あったかい家族が持てる   


 お母さん、元気かな。元気だといいな。俺が帰って来て、吃驚しないだろうか。お父さんはどんな人だろうか。やはり、俺に似ているのだろうか。もしかしたら自分には兄弟が居るかもしれない。カッコイイ兄貴だろうか。それとも情けない弟だろうか。妹だとしたら、可愛いといいな。姉さんだったら、綺麗だといいな。そんな風に想像しながら、指に光る灰色の指輪に目を遣る。
    彼女の事も、話さなきゃな。
 俺は、きっとこの先に待っているであろう温かな幸せに心を震わせた。


 しかし、東洋と一口に言っても、その範囲は広い。ジパングなる国なら知っているが、他にも国はあると聞く。流石に虱潰しは効率が悪い。だから俺は最寄りの魔王教の支部に潜り込んだ。
 自分のルーツを記す資料を探す為に。


 ……それだけの、筈だった。



―――――



 やがて言い知れようない焦燥感に駆られる事になる俺は、本部の資料室に潜り込む。厳重な警備だったが、警備状況は俺が居た時と変わっていない。何の問題もなく潜り込めたと思った。
 辺りはもう夜。皮肉な事に、俺は懐かしさを覚えながら資料室への道を進む。教団に居た頃は、毎日のように資料室の魔導書を読み耽っていたものだ。お陰で、今では魔法の知識に難儀する事はないのだが。其処でふと思い直す。そういえば、あの資料室にそんなものはなかった。第一、そんなものを俺達の目に触れる所には置かないだろう。
 だったら、あの噂を信じてみようか。教団が所有する禁書や貴重な財物は全て教皇の部屋に厳重に保管されているという。
 俺は闇に潜みながら、歩き慣れた本部を這い回る。
 そして、教皇の部屋を目に出来る位置まで近付けた。部屋の前には見張りが居る。静かに耳を澄ます。見張りの息遣い、心臓の鼓動を通り過ぎ、意識だけが扉を抜ける。部屋の中のイメージを固める。人の気配は……ない。
 俺は闇から飛び出す。余所見の隙を突いて見張りの口に手拭いを被せる。これには眠り薬が含ませてある。見張りは俺に目を見開くが、すぐにそれはぐるりと裏返り、身体が脱力する。俺は扉に手を掛ける。鍵が掛っている。落ち着いて、詠唱する。
<密告者よ、いざや醜き御手を差し伸べ給え>
 俺の指先に紋章が浮かび、其処から異形の槍が突き出す。それは命令しないでも、扉の鍵穴に潜り込む。
 ガチャンッ
 大袈裟に響き渡る音。思わず周囲を見渡す。気付かれた気配はない。
 俺は異形を抜き、ゆっくりと扉を開く。中に人が居ない事を確かめてから、見張りを引き摺りこんで扉を閉めた。念の為、鍵も締めておこう。今度はゆっくり。
 ガチャンッ
 イラッ。
 どうやらこの大袈裟な音は鍵の造りの問題らしい。扉に耳を当てる。廊下には風が通り抜ける音しか響かない。俺は扉から離れ、部屋を見渡す。悪趣味な成金の部屋、そのものだ。教団は魔王を崇拝するといっているが、実際は只の拝金主義だ。
 しかし、そんなものよりも先に目に留まるものがあった。この部屋の壁一面を占める金庫の扉。隠す気はさらさらないようだ。早速、金庫の扉を開く。結界が張られていたが、この程度、上級者向けダンジョンの結界と比べれば屁みたいだった。
 中には予想通り、金銀財宝と夥しい書物が眠っていた。金目のものに興味はないが、禁書は有り難く頂いていこう。そんな風に思っていながら資料を探していると、自棄にあっさりと見付かる。これか、と思いながら石板を手に取る。
 確かに、其処には俺の出生について書かれていた。だが、それ以上に見過ごせない事実も、書かれてあったのだった。

     西洋の王の子と東洋の王の子の魔物化    

 当時、魔物化など考えるだけでも恐ろしい事だった。魔物となった者を救う手立てなど、まだ確立されていない。彼等を救うには殺すしかなかった。
 教団は俺の予想を超えて、いかれていた。俺は今まで刺客が途切れる事がなかった理由を悟ると共にゲーテとソニアの事を思い出す。

    彼奴等が、危ない。

 直感でそう感じ、金庫を飛び出す。それと同じタイミングで、扉がノックされた。
 コンコン
   お爺様?」
「!」
 女の声。俺は足を止め、息を落ち着かせる。気配を極限まで殺す。頼むから、扉の前から消えてくれ。そう願ったが、やがて都合の悪い訪問者は扉の鍵を開ける。
「あの、入りますよ……?」
    ガチャンッ
「……く」
 俺は取っ手が回るのを見て、自ら扉を開く。いきなり開いた扉に怯む相手を部屋の中に引き擦り込み、地面に押し倒す。そして、ダガーを喉元に押し当てる。
 ……其処で、その細い首に異様な愛着が湧く事に気付く。


「え」
 目が合う。美しい、スカイブルーの瞳。柔らかい白髪。端正な顔立ちをした少女が綺麗なドレス姿で、俺に腕を取られて其処に寝そべっていた。
 そして怯えた表情は一変、奇跡体験でもしたかのような驚きの表情になる。
   ヴァーチャー、様」
 俺の名前を知っている。別段その事に疑問はなかったが、今此処でその名を呼んで何になるのか。俺には解せなかった。
「余計な事はするな。殺す気はないが、手荒な真似はしたくない」
 すると少女はこう言った。
「あ、あのっ。憶えてらっしゃいませんか……? 私の、こと」
 まるで首に宛がわれているダガーの存在を忘れている様に、俺の目を覗きこむ少女。俺は苦笑しながら返す。
「さぁ、誰……やったかな」
 すると彼女は瞳を僅かに濡らす。
「……フレデリカ、です……。小さい時、貴方様に助けて頂いた……」
「憶えがない」
 はっきりそう言うと、彼女はショックを受けた様に、一筋の涙を流す。白い肌に伝う雫。俺にはその光る糸が欺瞞にしか見えなくなっていた。
「そう……ですよね。私、貴方様を……」
 何かを呟いたようだったが、その言葉は嗚咽に消えた。
 俺は強く喉元にダガーを押し当てる。
「君、これが見えてないのか? あんまりお喋りが過ぎると、困るんやけど」
「あ、すみません……」
 少女は曲者に対して、そう謝った。妙な事だ。
 俺は少女の身体に手を這わせる。彼女は身体を膠着させた。
   ! ひゃうぅ……っ!? な、何を……!?」
「武器を持っているか確かめているだけや。別に犯したりはしない。安心しろ」
「ひゃぁ……ぅ」
 そう言葉を掛けながら、彼女のドレスの中も隈なく手で擦る。胸や脇、尻や内太股を大体確かめる。武器を持っていないと判明したので、ダガーを下げて彼女から身体を退ける。恥ずかしげに肩を抱きながら起き上る少女。
「……本当に犯さないんですね……」
「ん? 何か言った?」
「いえ……」
「?」
 俺は気にしない事にして、ダガーを仕舞い込む。
「やけど、女の子やったら声を上げるくらいの事はした方が良い。そうでないと、本当に何をされるか判らないよ?」
「そ、そんな事したら、人が来てしまいますっ。……貴方様の邪魔をするなんて、どうかしています……」
 ……言っている意味がよく判らない。
 そんなことよりも、今はゲーテ達に危機が迫っているのだ。俺は何も言わず、部屋から駆け出す。
「あ……」
 後ろから少女の引きとめるような声が聞こえた気がしたが、俺は欺瞞の声など聞く気がしなかった。





「折角、また会えたのに……」



―――――



    そうして、ゲーテに危機を伝えに行ったのだが……。
 あの野郎! 折角人が危機を伝えに来てやったというのに、取り付く島もなく偽物扱いしやがってっ。
 何なの? 俺に何か恨みでもあんの? 彼奴。
 しかし、まぁ。ソニアも良い顔をしていたし、よしとしよう。兎も角、ゲーテが動かないとしたら、俺がやるべき事は只一つ。

    教皇の暗殺。

 あの爺が全ての元凶だ。だから彼奴を始末すればゲーテが狙われる事もなくなる。
 そして……これ以降俺たちみたいな子供が生まれる事もなくなるのだ。


 だが、其処で言い知れようない心の高揚に気付く。何故だろう、今から人を殺そうというのに、凄く楽しみ、というか。今まで“我慢”していたから、思いっきりやってやろう、みたいな事を考えている自分が居た。
 ……こんな感覚を抱くなんて、俺はやっぱり化け物なのかもしれない。そう自覚するとどうしようもなく悲しくなる。
 中途半端に理性があるから苦しいのだ。
 こんなことなら   


 周囲に心地よい殺意が広がる。懐かしい視線だ。そろそろ打って出てくる頃だと……いや、寧ろ遅いと思っていたところだ。これだけ懐をうろちょろされていて気付かないような間抜けな連中ではない。元々籍を置いていた身、相手の実力くらい把握しているつもりだ。
 俺は前に飛び退く。背後からナイフが俺の心臓を狙って来ていたのだ。前方の柱に教団仕様のナイフが刺さる。不意打ちに失敗した奴らは続々と闇の中から姿を現す。どうやら俺が居なくなってから、奴らは随分と錬度を上げたらしい。皆一様に殺し屋らしく目付きがぎらついていた。
 剣を抜く音。ボウガンに矢を番える音。静かな呼吸音。闇そのものが奏でる音。   その、不気味な静けさ。ゴロツキや傭兵を相手にする時とは全く違う緊張感。俺は懐かしい気分になりながら、腰元に提げる東洋刀の鯉口を切った。
「よぉ、久し振りやなぁ。元気してた?」
 返答はない。あったら逆に吹く。
「つれないな。嘗て一緒の釜の飯を食った仲間やないか。……それとも、俺が教団を抜けた所為でお前達が代わりを期待されちゃったのかな?」
 有り得ない話じゃない。教団だったら、俺が抜けた穴を埋めようとして、兵隊に薬でもなんでもやらせて無茶苦茶に強化していてもおかしくない。
 見ると、彼らの肌や身体にはその痕跡が見受けられる。
 洒落……では、ないようだ。
 やがて、相手の剣が振り降ろされる。俺は剣を抜きながらそれを払い。腹に蹴りを叩きこんだ。続いて来る相手には素早く胴を切り払う。といっても、皮を切り払うだけで柔らかい臓器までは切らない。出来れば、殺さずに済ませたい。飛び来るナイフを剣で受け止め投げ返し、ボウガンの矢は叩き折った。
 突然周囲の明かりが消える。闇が濃くなる。敵の攻撃が苛烈を極め始める。俺は剣を揮いながら蹴りを放ち、更に魔法で相手の動きを止めつつナイフを投げる。武器、格闘、魔法、飛び道具をフルに駆使すれば、俺の間合いに敵はない。俺は舞台の上で踊らされている感覚に陥りながら嘗ての同僚達を地面に伏していく。
 しかし、幾らなんでも多勢に無勢だ。教団がこれほどまでに本部の守護を固めているとは思わなかった。俺が居た頃はこんなに厳重ではなかった筈なのに。
 ……と言う事は、罠か。ゲーテを餌に俺を懐に誘いこんで、捕獲しようという算段だろう。面白い事を考えてくれる。


 ガシャァンッ
 俺は窓をぶち割り、外に飛び出した。地面に転がり込む。何時の間にか雨が降り出していたらしい。空は星空を不機嫌に隠す雨雲に覆われて泣いていた。
 周囲を見渡す。見覚えがある、此処は教団の中庭。色とりどりの草花も濡れて項垂れている。不意に過去の映像が蘇る。思わず顔を顰めた。俺が飛び出した窓から矢が飛んでくる。俺は草花の陰に隠れる。直ぐに奴らが飛び降りてくる。
 ふと、迎え撃っている内に敵の構成が変わったのに気付く。矢鱈女子供が増えた。肉体的に言えば、しなやかさならば女の身体が有利だ。だが、筋力で考えれば男の方が勝るに決まっている。教団は女を大抵性奴隷の方向で売っていた気がするが、方針が変わったのだろうか?
 まぁいい。情けに付け込む気だろうが、俺は其処まで甘くない。俺は女相手でも容赦なく蹴りを入れ、腹を斬った。切り払った女が地面に伏せる。その女は見た事もないような目を俺に浴びせかけ、俺の足をがっしり掴んだ。そして気付く。
    この女、武器を持っていなかった。
 格闘でくるかと思えば、迂闊に間合いに入り込んできた。まるで、俺に近付くのが目的の様に……


 次の瞬間、視界がぶれた。
 耳を劈く激しい音。衝撃が俺を空中に放り投げる。何が起きたのか判らぬまま、俺は草花のクッションに落ち込む。思い出すかのように全身に痛みが走る。
    自爆。人間が、自爆した。
 なんで? そんな漠然とした、馬鹿馬鹿しい疑問が頭の中を支配する。命を犠牲にしてまで、俺に一太刀入れる意義が理解出来ない。
 倒れ込んだ俺に数本の剣が振りかざされる。俺は先に剣を揮い、奴らの足を切り払う。倒れ込む敵。俺は立ち上がる。未だ平然と俺に剣を向ける嘗ての同僚達。俺は胸が痛くなってきてしまった。耳からは薄い血が流れてくる。鼓膜が破れているのが判る。頭が酷く痛い。意識が遠のいていきそう。
   なんで?」
 気付けば、そう呟いていた。
「……今、仲間が死んだんやぞ?」
 そう問いかけても剣を振りかざしてくるだけ。俺は躱し、相手の肩を貫き、足を斬る。
「お前らの仲間が、たった一人の敵を弱らせる為だけに爆弾にされたんやぞッ! 少しはおかしいと思わないのかッッ!?」
 雨の中、そう叫ぶ。奴等は嘗て、俺を馬鹿にした連中だ。友達やらなんやらと言って来た連中だ。その友達が、目の前で死んで、何も思わないって、そんなの……。
 だが、奴等は聞く耳持たずに俺を攻撃して来る。俺は、自分でも驚くぐらい動揺していた。そしてすっかり熱に浮かされたようになって、叫び回っていた。
「そうかッ。お前達は愛を知らないからやな!? 愛って言うのは崇高で……所謂美徳なんや! だから此処からでて、世界を見回ってみろ! 家族、友達、恋人を作ってさ! 愛してくれる人の為に生きてみよう、て思えば、きっと俺の言いたい事が……」
 其処で自分を振り返る。   俺は、誰かに愛された事なんてあっただろうか?

 ない。そんな事、一度もない。

 彼女との恋を諦めた俺は家族としてソニアを作った。だがソニアが愛するのはゲーテ。だから、俺は自分を無条件に愛してくれる存在として、ドリスを作った。だけどドリスは俺に応えてくれない。俺は結局、ゲーテに春を与えただけで、自分の春を得る事はなかった。そもそも、愛されるという事がどういう事なのかさえ、俺には判らなかったのだ。

 生まれた時から人殺しだった、俺には。

 ドシュ、と肩に矢が刺さる。毒が塗られているだろうが、どうせ俺には効かない。
 命の価値とは愛してくれる人の為にある。何処かの三流恋愛小説の主題だ。俺はそれにどうしようもなく憧れた。だから、ゲーテにそれとなく示して見せた。彼奴が恋愛小説を読む質だったら、真っ先に笑われる事実だけど。
 でも、それだったら……誰にも愛されない俺には、生きる価値がないって事か?
「……馬鹿馬鹿しい」
 だったら今までの俺の人生は何だったんだ? これからの人生は何になるんだ?
 俺は混乱してしまっていた。只、自分で自分を絶望の淵に追いやって……視界が只、真っ黒に染まっていくのを眺めているだけ。
「……」


 気付けば、嘗ての同僚達を半殺しにし尽くしていた。雨に濡れて冷えていく頭。やがて熱っぽい頭は冷静さを取り戻した。俺を誘き寄せたという事は、今晩の内に計画を始動させるつもりだという事に違いない。つまり、俺を襲って来た連中は只の足止めに過ぎなかった、と言う事。
 やられた。俺はまんまと相手の挑発に乗り、無駄に体力と魔力を浪費するどころか時間まで無駄にしてしまった。こんな子供騙しに引っかかるなんて、昔の俺じゃ考えられない事だった。
 俺は身体の傷を癒す時間も惜しみ、走り出す。視界がぼやけるままに、ゲーテ達を探し回る。
 ソニアに折角芽生えが訪れたのだ。それを摘み取る訳にはいかない。


 それは、俺が救われる唯一の希望でもあったから。





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【メモ-人物】
“ドリス”-1

精神的に瀕死状態のヴァーチャーが作ったガーゴイル。石像状態でも連れられるように、普段は簡易台座(指輪)の中にいるが、前魔王時代には起動しなかった。(当時の悪魔の魂に興味を持たれなかったらしい。)
その所為で、彼女を心の拠り所としたかったヴァーチャーの精神に暗い影を落とした。

世代交代後、魔王の魔力によって動きだせるようになってからはゲーテ達と一緒に主人を探し続けていた。
無邪気に作り手に懐いており、再会出来た今こそ、過去の主人の求めに必死で応えようとしたが……

10/07/15 18:02 Vutur

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