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5話

【狂気のベクトル】



「……」
 鳥が木の傍で死んでいた。
 小さな鳥。見上げると、同じような鳥が世話しなく鳴いている。
 落ちて死んだのか。鳥はなんて脆いのだろう。血を吐いて横たわるそれを、しゃがんで近くでよく観察する。
    背後に嫌な気配。振り向きざまにナイフを投げ付ける。
 見ると、剣を持った男の首に僕の投げたナイフが突き刺さっていた。
 倒れ込む。其処から“それ”は只の肉の塊となる。僕は“これ”の首からナイフを抜き攫う。
「……」
 人間も、なんて脆いのだろう。
 喉をかっ切れば皆死んでしまう。
 心臓を貫けば皆死んでしまう。
 死ねば皆、只の肉の塊。それは全ての命あるものに与えられた絶対たる平等。
 傍の地面が跳ねる。弓矢が足元に刺さった。 僕は矢の飛んできた方向を見る。
 目の前には血肉の川がある。其処から飛んで来たらしい。

    戦争、というのだそうだ。

 其処ではたくさん赤い花が咲き、命が散る。僕は地平線にまで広がる赤をぼんやり眺めて、こう思った。


 人が死ぬのはとても自然な事。
 人が人を殺すのは、当然の事。


 僕は赤い蜜を垂らすナイフを持って、血肉の川に飛び込んだ。





――――――――――





「ふふん。八、九……十人か。こんなに大勢でくると判っていたら、ケーキでも用意していたのに。最近良い店を見付けてなっ。其処の野イチゴをふんだんに使ったタルトなんか絶品で」
「ヴァーチャー」
 ゲーテが問い掛ける。目の前に揺らめき立つ宵闇のローブの男、ヴァーチャーは邪教の十字架をバックににったりと笑った。
「ゲーテ、あの頃は大変やったよなぁ……彼方此方では戦争が目立ち、俺達は戦争の道具に駆り出された。……あの時代、俺達の周りで人が死ななかった事はなかった」
「……ああ」
「お前が初めて人を殺したのは幾つだった?」
「……五つだ」
「そうか。俺は三歳の時……自分よりも小さい子供の脳天にナイフを突き立てたよ。柔らかい頭蓋骨を貫く感覚は、何百年たった今でも憶えている。……この、手が」
 そう自嘲気味に語るヴァーチャー。
「今思えば、魔王教は余程俺に期待していたらしい。三歳前後は性格の形成に大いに関わる時期。そんな時期に、人を殺したとしたら……こんな人間が出来上がるのやから」
「(……)ヴァーチャー」
   俺は!」 
 ヴァーチャーはゲーテの言葉を遮るように叫んで、俯く。
「……納得いかないだけなんや」
「……?」
「只、納得いかない、だけ」
 そう、何度も呟いた。





――――――――――





「……」
 鳥が木の傍で死んでいた。
 小さな鳥。見上げると、同じような鳥が世話しなく鳴いている。
 落ちて死んだのか。鳥はなんて脆いのだろう。血を吐いて横たわるそれを、しゃがんで近くでよく観察する。
    背後に気配。僕はその瞬間、この世のものとは思えぬほど綺麗で、透き通った声を聞く。


「おちちゃった、みたいだね」
 僕はどうしてか動けなくなった。
 身体の筋が凍りつき、痺れるようだった。
 僕の視界に彼女が無断で入り込んでくる。白い肌。透き通った、肌。見れば簡単に圧し折れてしまいそうな程細い首。白い髪を生やす頭蓋ですら、少し触れただけで割れてしまえそうに小さい彼女。白いワンピースを身に纏い、風を髪に受けながらしゃがみこむ。
 彼女は僕の目の前で小鳥を手で包み、持ち上げる。
 死んでいると思っていたその小鳥は、すぐにピーピーと、彼女に何かを訴え掛ける様に鳴き始めるのだった。
「……」
「けがして、なく元気が、なかっただけだよ」
 今の現象を興味深く観察していた僕に、彼女が口角を挙げてそう言う。僕はそれが何を意味するか、判らなかった。
「……それ、何?」
「え?」
「……顔」
 僕が指を差す。彼女は自分の顔を触って、首を傾げる。
「? なにもついてないよ?」
「……」
 僕は同じような顔をしてみる。口の端を持ち上げ、歯を見せる表情だ。
 すると彼女も、僕が何を差しているのか判った様子で頷く。
「ああ、“笑顔”って、いうんだよ?」
「えがお」
 笑顔。僕はその表情を戦争で見た事がない。少なくとも、今の彼女の様に綺麗で、胸が温かくなるような表情は嘗て見た事がない。
「ふふ。きみ、かわってるね。笑顔がわからないなんて。人間なら、だれだって笑顔がつくれるのに」
 彼女はそう言うと、小鳥を持ったまま立ち上がる。木の上を見上げて眉を下げた。
「う〜ん……これじゃ、とどかないよぅ……」
 僕は彼女が何をしようとしているのか、その動作と言動で察知出来た。同じく見上げる。巣のある枝までの高さは約3メートル。身長が1メートルもない彼女には到底無理だろう。
 僕は小鳥を要求する。彼女は驚いたような顔をした。
「えっ。どうするの」
「巣に戻してやれば、いいのか?」
「えっ? えっ? で、でも、あぶないよ……! むりしちゃあ……」
「この程度、無理なんかじゃない」
 少し躊躇しながら、彼女は僕に小鳥を渡す。
 僕はそれを片手で受け取る。
「あ、だめだよ! ちゃんと、りょうてでつつんであげなきゃ、おちちゃう」
 僕の手は彼女とそう変わらない。僕は両手で小鳥を包む。このまま小鳥を潰してしまいたくなる衝動に駆られるが、今の目的は彼女の意にそぐう様に無事に巣に戻す事だ。

 僕は再度巣の在り処を確かめ、飛ぶ。

 木の幹の僅かな突起に足を掛け、更に飛ぶ。

 もう一度木を蹴って飛んだ先に丁度枝があり、其処に足を置く。

 下で呆気に取られていた彼女が、思い出した様に歓声を上げる。
「……! す、すごい、すご〜い!」
 僕は妙な気分になりながら小鳥を巣に戻してやり、さっさと枝から飛び降りる。
 着地した所で彼女を見ると、彼女は何故か手で目を覆っていた。
「……」
「あ、あれ?」
 彼女はちらりと僕を見て、素っ頓狂な声を上げる。
 すると突然顔を赤くして、僕に詰め寄るのだ。
「もう! いきなりとびおりちゃうから、びっくりしたじゃないっ。あぶないでしょっ、そんなことしたら!」
 なんだか判らないが、怒っているようだ。だが打って変わって、途端に彼女は蕩けたような表情を見せる。
「でも、きみ、すごいね。ちょっとかわってるけど、もしかしたら“えいゆうさま”なの?」
 その目の輝きも、僕は嘗て見た事がない程透き通っていた。

 死ぬ前の人間がみせる鈍い光なんかじゃない。そんなものよりも、何倍も、何千倍も、彼女は美しかった。



―――――



   聖女様! 何処ですか、聖女さ……!!」
 何処かで誰かを探す声が聞こえる。その声が突然止まったかと思えば、足音がずんずんと近付いて来る。
「駄目ではないですかっ。勝手にうろついてはならぬと、あれほど!」
「ご、ごめんなさいっ」
 凄まじい剣幕で彼女を怒鳴りつける、魔王教の司祭。顔など憶えていないが、胸の紋章には見覚えがある。
 彼女が怯えていたので、なんとなく、僕は彼女の前に割り込む。この男を睨みあげる。男の目は苛立ちと蔑みの色に満ちて僕を睨んで返した。
「貴様……貴様が聖女様を誑かしたのかっ」
「え? ち、ちがうよ……! この子はさっき、ここであったばかりっ」
 彼女が必死な顔をして男に訴えかける。彼女の声は構わなかったが、僕はこの男の声が耳触りで仕方なかった。
 だから、余りにこの男が五月蠅いのならば、その舌を切り取るつもりでいた。
 片手をポケットに突っ込む。此処にはナイフが入れてある。男は彼女の言葉を聞いた後、僕を怨嗟の目で睨み続けながら、彼女の腕を取る。
「行きますよ、聖女様。……二度と、此奴と関わってはいけません」
「え? え? な、なんで?」
「どうしても、です! ……この事がばれたら、私の命が危ない……。此処で其奴に遭った事は、私と聖女様、二人だけの秘密です。判りましたか!?」
 凄い剣幕でか弱い女の子に怒鳴りつける男。彼女は縮みあがりながら頷く。男は折れそうな程細い彼女の腕を、乱暴に引っ張っていく。
    なんだか、物凄く不快。殺してしまおうか。
 ナイフを取り出そうとした瞬間、彼女が不意に振り向き、また、凍った様に腕が動かなくなる。
 そして彼女は、また笑顔を僕に見せてくれる。


   ばいばいっ。“わたしのえいゆうさま”っ」


 彼女は行ってしまった。それでも彼女の姿は僕の中にずっと残っている。あの首と頭蓋、そして白いワンピース。風に撫でられる白髪。そして美しい声が。
「……“えいゆうさま”って、何……?」



―――――



 あれから季節は巡った。僕の身体は1メートルを越し、気付けば大人の胸ぐらいに頭がくる身長となっていた。

 変わった事と言えば、そのくらい。

「此処で待っていろ」
 その一言で、僕の足は止まる。僕を従える男は、目の前にある扉をノックして入って行った。
 ……ふと、鼻に快い香りを見付ける。
 後ろを向くと、其処には教団が管理している庭園があった。
 暖かい陽気を浴びて、鬱蒼と生い茂る色とりどりの草花。穏やかな音色を奏でる噴水。僕は普段「待て」と言われればその場に立っているだけだったが、この時は違う。誘われるように、その異世界とも思える庭園に足を踏み入れた。


「あ……!」
 異世界の中にぼんやりと立ち尽くしていると、宝物でも見付けたような、そんな声が後ろから聞こえた。
「こ、こんにちは!」
 たどたどしく声を掛けられる。僕が振り返ると、其処には何時かよりも身体を大きく縦に伸ばした、名も知らぬ彼女が立っている。
 彼女はなんだか、不思議に笑っていた。
「ふふ。また会えましたね」
「……」
 僕は彼女の身体をまじまじと見る。相変わらず圧し折りたくなるほど華奢だ。僕の視線に彼女は照れてしまったのか、頬を染めて身を捻じる。
「そっ、そんなに……見ないで下さい……っ」
 喋り方も大人っぽくなって、丁寧に敬語を使いこなしている。
 僕は只彼女の前に立つだけだったが、やがて彼女の方から喋り始める。
「相変わらず、無口ですね」
「……口は、ある」
 そう返すと、彼女はキョトンとして見せてから盛大に笑い始める。
「ふふっ、ええ、知ってますよ? けれど、余りお使いになられないな、と思って」
「物を食う時には、よく使う」
 後、相手の喉笛を噛み切る時。これはかなり限られた状況下での使い方だ。
 彼女は声を挙げて笑った。
「ふふふ。貴方様って、面白い方ですね。もっと自分からお話すればいいのに」
「話す事なんてない」
 そう返す。僕のアイデンティティーなんて、此処ではゴミクズなのだ。
 だが、彼女は少し悲しそうな顔をして僕の顔を覗く。覗き込んで、こう言った。
「そうですか? 私は   貴方様と、もっとお話したいです」


 目の前が眩しくなった気がした。
 なんだろうか、この不思議な気分は。彼女と対峙していると、まるで妙な気分になる。
 胸が温かくなる。なんだろうか。知らない気持ちだ。
「……この気持ちは、何だろう」
「え?」
「君と話していると、この辺があったかい」
 そう言って自身の胸元を撫でる。
 彼女は戸惑ったようだが、すぐにこう教えてくれる。
「それは貴方様に心があるからですよ」
「心……」
「はいっ。貴方様がどう感じているかは私には判りませんが、きっと貴方様は素敵な心の持ち主だと思います!」
 そう断言する彼女。対して僕はその言葉に疑いを抱いた。
「心、か。そんな即物的な物、実在しているのだろうか」
 心なんてものを壊した事などない。だから知らない。もしかしたら、彼女は嘘を吐いているのだろうか。彼女は目を真ん丸にしていた。
「そくぶつてき? なんですか、それ」
「物事を物体的に捉え、話の中心に掲げている、と謂う事だけ」
「……え、と。……よく判りませんっ」
 そう言って、彼女は笑顔を見せた。理解出来ない事象に対して、笑顔はみせるものなのだろうか。僕も良く判らなかった。
「貴方様はかしこいお方なのですね。むずかしい言葉を知っていらっしゃる。同じ年の頃とは思えません。ずっと前、お会いしたときだって、なんだか大人っぽくて……その」
「……」
 彼女は頬を染めて俯く。彼女は他の暗殺者とは違う。最初から判り切っていた事だ。だけど、この仕草や表情の多様さに、僕は付いていけずにいた。


    その時、嫌な気配が僕の肌に絡みつく。


「そ、それでですね。私もたくさんお勉強して、貴方様に相応しい   
 俺は喋る彼女を抱き抱え、駆けた。
 彼女は突然持ち上がった体に声も挙げられなかった様子だったが、間一髪その身体に悪意の刃は届かなかった。
 が、代わりに僕の肩にそれが刺さる。
   !」
 彼女の目が見開かれる。僕は殺意の方向を辿る。睨み付ける。庭園を囲む屋根の上に、クロークを来た人間が一人。あの距離からナイフを当てられるのは中々の実力者だ。
 だが、僕にはどうって事はない。   喰らったナイフはそのままに、ポケットからナイフを抜き出し、相手の眉間を狙って投げ付ける。誤差は頭の中で修正済み。相手は驚いていたが、あっさりと躱された。矢張り不意打ちと反撃は違うのだ。
「あ……あのっ。あのっ。……ち、血が……!!」
 彼女を降ろしてやると、そう慌てふためく。僕が首を傾げると、彼女はキョトンとした。
「痛くないんですか!?」
「もう慣れた」
 傷口からじわじわと痺れが広がっていく。この感じは憶えがある。散々教団から薬物調教されてきたのだ。耐性を身に付けていたお陰で、毒による即死は免れた。
 相手が屋根から降りてくる。接近戦を仕掛けてくるつもりだ。僕はナイフを逆手に抜き、疾駆する。刃が交差する。長身の相手の蹴りが僕を捉える。肺が破裂しそうだったけど、僕は相手の横腹にナイフを突き立てる事は忘れなかった。
 抉る。抉る。抉る。やがて臓物と神経を削るナイフに、男は苦悶の叫びをあげた。この程度の痛みに耐えられないなんて、暗殺者失格だ。駄目押しに僕はもう片方の手で別のリングナイフを指で操り、相手の眉間に打ち込んだ。
 間近で見る、人の死。瞳からは明かりを消した時の様に光が失せる。全身の筋肉が反射で少し動くが、やがて解けた様に弛緩する。倒れ込む。肉の塊から二本のナイフを抜く。赤い花が二輪、咲いた。



―――――



   何事だ!」
 騒動に気付いた教団関係者が一斉に庭園に集まる。此処には彼女と、僕しかいない。彼女は腰を抜かし、わなわなと口元を震わせていた。
「あ……あぅ……」
「これは……誰か、聖女様を!」
 やがて、彼女はローブの男に連れて行かれた。残ったのは僕のみ。
 僕は殴られた。倒れ込む僕は、顔を踏みつけられる。
「貴様……! 聖女様の前で、よくもぉぉぉッ」
 ……彼女にはさっき、言った。痛みには慣れているって。
 だけど、何故だろうか。何かがいつもと違う。
 全身への衝撃、視界がぶれていく。抱きかかえられて行く彼女が、最後に僕に見せた目。
    あの目は、何?
 何かが込み上げてくる。脇腹への一撃。思わず言ってしまう。
「……痛、い」
 痛い。痛い。目から何かが零れる。
 我慢出来ないよ……痛いよ……痛い   


「! 此奴……泣いて……!?」
 僕を痛めつけていた連中は、僕を見て表情を変える。
 僕はその意味を知らなかったが、目から零れ落ちる塩辛いものは、僕を慰めてくれるようだった。





――――――――――





「ヴァーチャー、今からでも遅くない。あの子の想いを受け止めろ。そして、今度こそやり直すのだ!」
「……やり直す?」
 馬鹿にした様な笑みを見せる相手を気に留めず、感情を曝け出すままに述べる。
「そうだっ。貴様を想い慕う者の為に、もう一度やり直せ!」
 ゲーテは再び指輪を掲げる。ヴァーチャーはその、灰色の指輪に目を留めると、嘲笑を止めた。
 暫く考えあぐねた後、口を開く。
「……それは“人間”として、か? それとも、“化け物”として……?」
「なに……?」
「ゲーテ、忘れたのか……。俺はもう、人間じゃないんやで……?」
 静かにそう語るヴァーチャーは徐にローブの金具を外し、脱ぎ去る。

 そして東洋の甲冑に似た鎧を外した時……ゲーテ達に戦慄が走った。

   !」
 白銀の月が照らすヴァーチャーの姿。首から上は血色の好い青年だったが、身体はそれから想像出来ない程青白い。だがそれはエルフの様に綺麗な白肌、という意味ではなく、本当に生きている人間とは思えない色であった。
 そして、何よりゲーテ達を戦慄させたのは、その背後に蠢く影であった。
「なんだ、あれは……!?」
 エルフのチェルニーが辛うじて声を発する。ヴァーチャーの背中にはうねりよがる触手のようなものが、幾本も四方に伸びていたのだ。
 それだけではない。その根元には花弁の様なものも見える。肉の花弁。不気味な事に、それらは月光に照らされていても闇を纏っているかのように漆黒であった。
 不気味な筋骨隆々の身体を傾けて、ヴァーチャーは口の端を持ち上げる。
「ゲーテ。あの時の事、憶えているか?」
「ああ。この場所に来てまで、忘れている筈なかろう」
「そうか。なら、あの時俺が飲まされたもの、何だか判るか?」
 ゲーテが目を細め、考えあぐねる。
 ヴァーチャーはその様子を下目に見て笑う。
「スライムの種やよ。それも、只のスライムじゃない。人間の体内に寄生するようになった、突然変異種。此奴は体内に入ると、すぐに宿主の脊髄と取り換わり、宿主と一心同体になる」
 おかしそうに笑い始めるヴァーチャー。
「綺麗やろう、ゲーテ。お前に見せるのは初めてじゃあないけれど、あの時と比べてこんなにも大きくなったんや。……さぁ、皆さんに挨拶してやれ」
 まるでその言葉に呼応するように、触手はざわめく。
 ゲーテはヴァーチャーの異様な剣幕に押されながらつつも、叫ぶ。
「ヴァーチャー。貴様が何を想ってこの何百年を過ごしてきたかは知っている。だが、時代はもう変わっているのだッ。今では魔王も世代交代を果たし、嘗ての様な悲惨な戦争も減った!」
 再び、ゲーテはヴァーチャーを見据えて言う。
「ヴァーチャー……もう、時代は変わったのだ! 例え貴様が人間であろうと、魔物であろうと、必ず居場所はある! ……やり直せるのだッ。昔の様に、それが難しい世の中じゃなくなった!」
 すると、ヴァーチャーの触手はゆっくりと動きを止める。周囲に冷たい息吹が立ち込め、僅かながら、ヴァーチャーの瞳に怒りとも悲しみともとれぬ感情が虚ろいだ。

   時代? 時代が何時変わった?」

 ゲーテが眉を顰める。ヴァーチャーは身を乗り出し、激しい苛立ちを表情に示す。
「魔王が世代交代したからなんや。争う理由が変わっただけやないか。敵も、正義も、自由も、平和も、その意味が変わったからってなんや。……俺には、関係ないやろう」
 ヴァーチャーはそう言い、軽く地面を踏み付ける。
 たったその一撃で、石床が数枚吹き飛んだ。
「やり直す? この数百年、何度もやり直そうとしたさ……けど、いつも裏切られてばかり。……その程度なんや。この世なんて、さ」
 ヴァーチャーの台詞が朽ちた集会所に虚しく響いた。



―――――



 不気味な気配が肌を伝う中、白肌の舞踏家、エルロイは目を細める。
「……彼奴も魔王の魔力にやられてんのか?」
「いいえ、ヴァーチャーから魔王様の魔力は感じなかったわ。感じるのは全てあの男のオリジナルの魔力よ。……しかし、驚いたわね……。数ある魔物化の中で、こんな形で魔物化を果たした人間がいて、しかもこの時代にあって男のままだなんて」
 ヘザーは瞳を落として考える。
(……確かに、あの男の中では時代なんて変わってない。寧ろ、ある時点で止まったまま。やっぱりゲーテが言う通り、あの男はずっと囚われ続けている……)
 ゲーテとヴァーチャーの因縁。
 ゲーテだけが、今のヴァーチャーの状態と心情を理解できる。理解した上で、決着をつけようとしている。
 核心がベールに包まれるやり取りの中で、ヘザーが見出せた事実はそれだけだ。
 途端、チェルニーが抗うように声を震わせる。
「どういう事だ? 男の魔物は出現しない筈ではないか……!」
 ゲーテが頷く。
「確かに、現魔王の魔力に影響された者は、皆サキュバス化して女になる。これはこの時代のルールだ」
「だったら、彼奴は……!」
 チェルニーが反論しかけた時、ゲーテは言い放つ。
   もし、特異的に“影響されない者”がいたら?」
 その言葉にチェルニーははっとなる。現魔王の魔力に影響されると、魔物は女になるというのはこの世界の大原則。
 だがその逆はどうだろうか?

    魔王の魔力に影響“されない”ものならば、男の魔物が居てもおかしくはない。

 チェルニーはそんな理屈を頭に浮かべ、身震いする。
 加えてゲーテがこう補足するには。
「勿論、魔王の魔力に簡単に抗える者などいない。魔力の最高峰、エキドナやバフォメット並みだろう。名立たる賢者の中ですら、魔王の魔力に真正面からぶつかって掻き消せる者など存在しない」
「では何故ヴァーチャーは……?」
「貴様等なら知っているだろう。ヴァーチャーの力」
 そう言われたチェルニーは、エルロイと顔を合わせる。エルロイはすぐに思い付いた様に口を開く。
「だけど、彼奴は確かにチェルニーのサキュバス化を一時的に止める事が出来たぜ。まさか、“退魔”って奴か?」
「違う。寧ろ、魔王とヴァーチャーの魔力は対極にあるものではない」
「まさか似てる、とか」
 言い淀むゲーテ。
「……だが、ベクトルは違うぞ」
「ベクトル?」
「ああ。但し、根本的な“聖か魔か”というベクトルではない。もっと、細かい部分……例えば形状といっていいだろう。多分、それは“愛の形”だ」
 突拍子もない言葉を聞き、エルロイ達は目を丸くする。
「あ、愛って……お前、そんな」
「他に考えられないのだ」
 ゲーテは、ヴァーチャーの力について、自らの仮説を語る。

「魔物をサキュバス化させる魔王の魔力は生の本能(性の欲望)、“リビドー”という“愛欲”に基づいたもの。だがそれに対し、ヴァーチャーの魔力の源は同じ“愛”でありながらも、それとは別の死の本能(死の欲動)、“デストルドー”に基づいたものなのだ。……愛する人を抱き締める“リビドー”と、愛する人を締め殺す“デストルドー”。同じ愛という姿を持っていながらも、“生と死”という観念で別のベクトルを持つ双方。似ていながらも相容れぬ双方」

 ゲーテは、ヴァーチャーの能力の正体をそう説明して見せた。
「例えるなら、似た者同士がよく喧嘩するようなもの。似ているからこそ意見が真っ二つに割れる。それと同じく、似た魔力であるからこそ、反発する」
「よく判んねぇ……どういう事だ?」
「……どうせ仮説だ。今は、奴が魔王の魔力に“退魔”能力以外の観点から対抗出来るという事だけ判っていればいい」
 ゲーテの言葉に、皆が押し黙る。
 すると、今まで眉の一つも動かさなかったソニアが口を開くのだった。
「マスター。いい加減自分の知識をひけらかすのは止めて、彼女に話をさせてみては?」
「う、うむ。ひけらかしたつもりはなかったのだが」
「無自覚ですか。質が悪いですね」
 眉間に皺を寄せつつも、ゲーテは指輪を掲げる。灰色の宝玉は夜空の星屑を映し、やがてヴァーチャーの姿を捉えると、輝き出した。


 闇に覆われる堂に眩い光が満ちる。視界が開けると、其処には先程まで無かった筈の石像が生じていた。
 悪魔の石像は豊満な胸を腕に抱き、翼を掲げ、前屈みになって、ヴァーチャーを鋭い眼光で見据える。
「……ふふ。随分、待ってやったっていうのに、見せてくれるのは手品か?」
 突如出現した石像に睨まれても、余裕の笑みを浮かべるヴァーチャー。ゲーテは気に入らなそうにする。
 ゲーテは、徐にその石像を縛る金色の鎖に手を掛ける。
「それでもいい。思い出させるまでだ……!」
 鎖を引き千切るゲーテ   
 その瞬間、その石像の硬質な身体に妙な光が滲み始め、やがてその身体に明らかな命の躍動を見る。
 目に輝きが集う。翼は大きく羽ばたき、胸は呼吸に合わせて上下する。
 そして皆の注目する中、ガーゴイルは思い切り飛び立つ。
 飛び立ち、それが向かった先   それは、ヴァーチャーの元だった。

   ご主人様っ」

 ガーゴイルは嬉々とした表情で翼をはためかせ、愛しさの先へとまっしぐら。
 ……だがそんな彼女にヴァーチャーは冷めた殺意を浮かべ、こう言い放つ。
   不用意に近付くな、石クズ」
 チャキッ、とヴァーチャーが鯉口を切ると、一瞬で刃を閃かせる。その技を一度見た事のあるエリスの感覚に、見えぬ筈の刃が察知される。
「! 真空波でありまするっ」
 だがそれは以前見たものとは明らかにキレが違う。本気の一撃。喰らえば、只では済まない。
 その時、スヴェンが強く踏み込む。ガーゴイルの前に立ち、剣を構えた。
「退け!」
    スパァンッ
 スヴェンの一閃。ヴァーチャーの剣閃は更に鋭き実体のある刃に切り捨てられた。
 ヴァーチャーはそれを見てにたにたと笑う。
「へぇ、中々実力を挙げたようやな、スヴェン」
「……直接剣を交えてから言ってもらおうか、その言葉は」
 切っ先を向け、睨み付けるスヴェン。彼は一度ヴァーチャーに敗れ去っている。ヴァーチャーは肩をすくめてから、改めてゲーテに呼び掛ける。
「ところでゲーテ。なんや、その石クズは。不用意に俺の間合いに入ってくるとは、軽率過ぎて吐き気がする」
「ご主人……さ、ま」
 スヴェンにかばわれ、尻餅を付くガーゴイル。無機物の目には、明らかな悲しみの光が宿っていた。
 ゲーテは語る。
「憶えていないか、彼女の事すら」
 黙るヴァーチャー。ゲーテは、信じられない、と言わんばかりの表情で首を振った。
「……彼女はこの数百年、只貴様の事だけを想って来たのだぞ。貴様に作られ、貴様の望みを果たす為に、今まで……」
「マスター、無駄かと思われます。恐らく、彼女の事を憶えていたとしても、結果は同じでしょう」
 ソニアの言葉に、ゲーテは顔を顰めた。ヴァーチャーはこのやり取りを腕組みして只聞くだけだったが、此処で口を開く。
「……成程。確かに俺は其奴の事を忘れてしまったようや。やけどなぁ、そんなの、すぐに関係なくなるんやで?」
 ヴァーチャーはゆらりと、手にした刀の切っ先をゲーテ達に向ける。洗練された鋼は妖しく月の姿を映し出す。
「お前達を此処で皆殺しにすれば、俺の記憶の不確かさなんてどうでもよくなる。お前達さえ死ねば、俺には過去なんて無かった事になる。其奴を誰が作ったかなんて、壊してしまえばどうでもいい事。   そうして、俺はもっと畜生に堕ちていく。くふふ……」
 髪を掻きあげる。ゲーテ達に不気味に笑み掛けるヴァーチャー。嘗て、この場の誰もが彼に見た姿とは此処では異なっていた。常に言動に寒気が走る。
 そしてヴァーチャーは徐に首を傾け、続けて意味深長にこう語り始める。
「所で、来る途中さぁ……変に思わなかった? この場所は使われなくなってもう何百年も経っている。もうすでにダンジョン化してしまってもおかしくない筈なのに、スライムの一匹も君等を襲う事はなかった。……なんでやろうな?」
 奇妙な冷気が、ゲーテ達の首筋を撫でる。ヴァーチャーの噴き出す血の如き赤の瞳がぎょろりと彼等を見据える。
 ……そして、とうとう周囲の状況の変化を彼等は察知するのだった。


   おいおい、嘘だろ」
 エルロイが笑顔を引き攣らせる。月光の恩恵をたまわらぬ暗闇に、光る目が浮き上がる。しかもそれは一つではない。彼等を取り囲むようにして夥しい数の光と荒い息遣いが、彼等に殺意を降り注ぐのだった。
「あうぅ……主殿ぉ」
「く……!」
 各自が武器を構える。スヴェンとエリスが剣を抜き、エルロイは鉄扇を、ヘザーが鞭を、ミノタウロスの二人とチェルニーは拳を構えた。


「近くに居た彼女達を招待したんや。   パーティは大勢の方が盛り上がるからなぁ!!」


 殺意の渦が怨怒の風を呼ぶ。ゲーテ達を囲むのは、幾百の魔物達であった……。





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【メモ-人物】
“「聖女様」”

邪神教教皇が溺愛の余り、聖女として組織全体で祀り上げた教皇自身の孫娘。彼女の前でだけは教団幹部も素行を隠すので、この教団にあって唯一無垢でいられた存在。

幼いながら性格も気立てもよく、外見も可愛らしい彼女の秘かな願いは「年の近い子と仲良くなりたい」事と「外の世界を見てみたい」事。

10/07/15 17:49 Vutur

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