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満足した人間であるよりも、不満足な雌豚であれ |
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先日15回目の誕生日を祝い終えた僕は、兼ねてから考えていた計画を実行に移す事にした。
僕は孤児(みなしご)だった。産まれてすぐ街の片隅にある小高い丘にぽつんと建てられた孤児院の前に捨てられていた。それは冷たい冬の出来事で、そのままでいれば凍死していたに違いない。 そんな僕を拾って此処まで育ててくれたこの場所に責めてもの恩返しをする為に。僕は孤児院を去ろうと考えた。それはずっと考えて来た事だった。 僕には学なんてものはない。あるのは丈夫な体と健全な魂くらい。そんな僕に出来る事なんて、世の中に早々あるものじゃないけれど。簡単な荷物をリュックに詰め込んだ後、一新した心持と一緒に振り向く。 年長者である僕に割り当てられた部屋の入り口に、心配そうな表情で佇む姿があった。 「本当に行ってしまうの?」 「姉さん」 本当の姉さんではない。皆がそう呼んでいるのだ。 僕みたいな身寄りの無い孤児達にパンと寝る場所を与えてくれる。面倒見が良くて、時々怖い時もあるけれど、普段は優しい人。年長である僕からして、僕より下の子供達からは随分と懐かれている。ゆるくカーブした髪を方まで伸ばし、いつも歩く度に、それが楽しげに上下している人だ。 血が繋がってはいないけれども、僕にとって唯一甘えられる姉の様でいて母の様な存在。此処では僕に限らず、皆がそうだろう。 「うん。住む所と仕事が見付かったら、手紙出すね。それと、必ず仕送りするから、待ってて」 姉さんは僕の門出に笑ってはくれなかった。 「どうして、突然。此処で皆と一緒に暮らすのが嫌になったの?」 姉さんは突然と口走ったが、この考えはもう何年か前から公言している。その度に姉さんは泣きそうな顔で僕を引き留めようとするから、確かに最近は口にしなくなっていたけれど。 「姉さん、孤児院にはもうお金がないんでしょ? この前だって、王都からの援助がまた削られたの、知ってるよ。だったら、一人でも食い扶持は少ない方がいいんじゃないかな」 僕はずっと前から気付いていた。孤児院の経営がとっくに立ち行かなくなっている事に。世の中の情勢はとても穏やかであったけれど、孤児は決して減る兆候を見せなかった。僕が物心付いた時分と比べれば、此処で寝食を得る子供達の数は三倍程にもなっていた。 「ねぇ、今からでも考え直しましょう。お金だったら私が何とかするから」 「ダメだよ」 ダメに決まっている。 姉さんは美しい人だ。この国一番と言っていい。他国の貴族達も挙って姉さんに結婚を申し込んでくる程だ。けれど、姉さんは一度も首を縦に振ろうとはしなかった。僕達孤児の母親でいる事を優先してくれたのだ。 だから、姉さんが「何とかして」というのは。その今まで声をかけてきた貴族達の財力に頼ると言う事だった。一番お金がありそうなだけの手合いと結婚するという手段をそのまま指しているのだ。僕だけじゃない、此処に住まう誰もが認める訳がない。 姉さんは僕達の女神だった。だから、姉さんが今まで婚約を申し込んで来た貴族達の誰にも魅力を覚えない様子であった事を知っている。責めて姉さんには一番の人と幸せになって欲しいというのは、僕に限らず孤児院全体の望みだった。 纏めた荷物を背負って、姉さんに向き直る。僕は余り物を持つ事はしなかったから、持って行く物も置いて行く物も軽い。 「じゃあね、姉さん。お元気で」 僕は姉さんの横を通り過ぎる。甘い花の香りが鼻腔を擽り、僕の心を引き留めようとしたのを必死で振り解く。 今まで一緒に過ごして来た仲間達にはもう別れを告げている。 孤児院の外に一歩踏み出した瞬間から、僕はもう一人で生きていかなければいけない。 「辛くなったらいつでも戻って来ていいからね」 「言い過ぎだよ姉さん。今生の別れって訳でもないんだから。会いたくなったらまた遊びに来るよ」 「そうね……そうよね。同じ街で暮らす事には違いないものね」 「じゃあ、落ち着いたらまた挨拶に来るから」 「……うん」 涙ぐむ姉さんが頷く。姉さんは今まで何人もの孤児を笑顔で見送って来た筈なのに、どうして僕にだけは祝福をくれないのだろう。まるで、僕が悪い事をしている気分になってしまう。 晴れ晴れしい筈の出立でそう思った事は笑顔に隠し、僕は丘を下った。 |
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