5-2 運命のいたずら
トーマへと向けられた青い瞳。その目はまだ朧気で寝ぼけているようにも見える。実際、彼女は今日この時まで1カ月半近く眠っていた。
「あなたは…?」
まだ頭の回線が繋がりきっていないようで、彼女は小さな声でそう呟いた。だがやがて意識がしっかりしてくると、彼女は明らかに狼狽と驚きを示した。
「ッ―!?」
彼女はベッドから勢いよく起き上がり、トーマに飛び付いて襟元を握りしめた。彼女の顔は先ほどまでと違い、激しい怒りを浮かべている。
トーマは鎮痛剤の影響で体に思うように力を入れられない上、不意打ち気味の彼女の行動にそのまま床に倒れ込んだ。
彼女は馬乗りになり、胸倉を掴んだまま彼の顔を見下ろして言った。
「あんたがッ…あんたがなんでここに居るのよッ!?」
キッと睨み付けながらそう怒鳴った彼女は、先ほどトーマに飛び付いた時にデスクの上から落ちていたベルトに目を向けた。そしてホルスターからナイフを抜き、片手でトーマを抑えたまま高く振り上げた。
こうなってしまえばただ事ではない。呆気に取られていたトレアがいち早く彼女を静止しに入る。
「おい、お前ッ!」
トレアはナイフを持った手の首を掴んだ。
すると彼女は驚いたように振り向いた。今まで彼女にはトレアたちのことなど目に入っていなかったのだろう、あからさまに困惑した顔を浮かべる。
「な、なによあんたたちッ!?」
少し怯えも混じらせながら彼女はトーマの上から飛び退き、トレアの手を振り解いて窓際に下がった。
トレアはトーマを支え起こし、彼女を凝視した。
彼女はミラやノルヴィも見て数的不利だと思ったのか、窓枠に手と足を掛け、裸足のまま外へと飛び出した。
「おいッ―!?」
ノルヴィは追おうとしたが、彼女はすぐ外の茂みへと姿を消していた。
トーマをベッドに座らせ、トレアは「大丈夫か?」と声をかけた。
「ああ、平気だ…」
「そうか。…にしても、彼女は一体…」
トレアはあの少女の寝ていたベッドを見つめた。
「彼女、あなたを知ってる風だったわ。知ってる子?」
「…どこかで見た気はする…だけど、どこの誰だったかは思い出せない…」
「そう…」
ミラは物を考えるように人差し指を輪郭に当てた。
「…お前さんらよぉ…」
見計らって医者が口を開いた。
「あ…すまん、迷惑をかけたな…」
トーマが言うと、医者は「いや…」と首を振った。
「…気にするな。お前らにもお前らなりの事情があんだろ?…まぁ、こいつは若干混乱気味だが…」
彼の隣で、マンドラゴラの看護師マルは手をワナワナと落ち着きなく動かし、医者とトーマ達と彼女の出て行った窓をランダムに交互に見回していた。
「…まぁ一まずはあんたの鎮痛剤の効果が切れりゃ出てってくれて構わねぇ。また明日こいつを宿まで使いに出す」
「ああ」
体がまともに動くようになり、4人は診療所を後にして、宿に戻った。
「それじゃ、私とノルヴィはギルドへ行ってくるわ。トレアが残るから、何かあったら言うのよ?」
「ああ、わかってる」
「くれぐれも無理はしちゃだめよ?」
「任せろ、私がさせん」
トレアは腕を組んで、横目でトーマを見た。彼は困ったように苦笑いを浮かべた。
「んじゃ、いってくんな」
そっと閉められたドアを見て、トレアはトーマを睨んだ。
「っ…どうした?」
「…まったく…まったくまったくまったくまったくッ…!」
トレアはトーマを睨んでそう詰め寄ったかと思えば、いきなり後ろを向いて溜め息を吐いた。
「…なんだよ?」
「………い…した……」
「なんだって?」
「……心配したって言ったんだっ…ホントに、心配した…」
彼女は振り返り、未だ睨みながら言ったかと思えば、次の瞬間には哀しそうに俯いて呟いた。
「…悪い…」
「…ホントに…無事でよかった…」
トーマはその一言に、少し嬉しそうに笑っていた。
ところ変わって、こちらは森の中。木の幹に寄りかかって、息を切らせた少女が座っていた。
手には逆手にナイフを握り、薄手の白いパジャマのような恰好で、木々の葉の間から覗く空を疲れた目が見上げている。
(なんなのよ…ここ…
なんで…私こんなところにいるの…? …宇宙艇に乗ってたはずなのに…)
記憶を振り返る。
自分は宇宙艇に乗って、とある機体の500メートル後ろを飛んでいた。そう、たしかに宇宙空間にいたはず。
(やっぱり…アレのせい…? 夢じゃなかったの…?)
隕石群を抜けた辺りで遭遇した、謎の巨大なマーク。それに吸い寄せられ、気が付けば地表に激突していた。
そこからは曖昧な記憶しかない。宇宙艇から脱出し、おぼつかない足で歩き出す。次に覚えているのは足を踏み外し、どこかへ落ちていったこと。
そして先ほど、どこかのベッドの上で目を覚ましてこの様だ。
(…それで…どうしてあいつが目の前にいたわけ…?
…あいつと一緒にいた人みたいなのは…?)
もしかしたら今も夢の中かと思う、だがそうではなく現実だと頭が言い張って聞かない。
「…わけわかんないっ…」
彼女は膝をかかえ、腕に俯けた頭を置いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
家の中だ…懐かしい家…
誰かが私の名前を呼んでる…
「…ア…フィア…」
ママ遺伝の黒い髪…優しい暖かい手…
あ…持ってるのは小学校の時の鞄だ…じゃあこれは私の小さい時の思い出…
そうそう…いつもこうやって、おやつをちょっとだけ多く私にくれる…
「ほら、フィア。口元についてるよ?」
(ありがとう、お兄ちゃん)
あぁ…こうやってよく口を拭いてもらってた…
あれ…今度は私が中学くらいだ…
「おう、お帰り」
(…あ、またそんなカッコで…私が友達連れて来てたらどうするのよ?)
そうそう…兄さんったら風呂上りは下着だけなんだもんな…この頃は恥ずかしくって…
「わりぃわりぃ、晩飯なにがいい?」
(…別に何でもいいから、服着て)
兄さんの謝り方って、ほんとに軽かったなぁ…
あ、この頃からだ…ママが仕事で家を空けるのが多くなったのは…
兄さんは勉強とかで忙しかったのに…よく晩御飯作ってくれて…
なのに私…文句言ってばっかりで…悪いことしたなぁ…
あ、今度は…兄さんが軍に入った時だ…
(おめでとう、兄さん)
「サンキュ、これで母さんも少しは楽できるよ…」
「ありがとうね…でも、無理はダメだよ?」
「わかってるよ、母さん」
…すごいな、兄さん…軍のエンジニアにホントになっちゃうんだから…
この時はみんなすごく喜んで……喜んで………
四角い淵に入った兄さんの笑顔の写真…
母さんが…泣いてる…私も…泣いてる…
(兄さん…嘘よね…兄さんっ…)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
彼女、フィアはそこで目を覚ました。周りを見ると、すっかり暗くなってしまっていて少し冷えてきている。
(…私、寝ちゃったんだ…)
ふと気が付くと、目が当たっていた辺りの袖の部分が湿っている。目尻にも涙が溜まっていた。
(兄さん…)
彼女は胸に手を伸ばした。
気付けばそこにあるはずの物がない、彼女は焦った。
辺りを見回したが、見当たらない。
(うそ…どこかに落としたの?)
探しに行こうとした彼女だが、思いとどまった。
(…だめ…これだけ暗いと道に迷うかも…しょうがないよね、明日探そう…)
それは冷静且つ的確な判断だったと言える。
彼女は落ち着かないながらも、今はこの冷えを凌げる場所を探さなければならなかった。
少し辺りを歩き回った結果、結局最初の木の傍まで戻ってきた。
近くにまだ木の葉の多く付いた大きめの折れた枝が落ちていたので、掛布団代わりに被った。
地面はゴツゴツしているし、枝も少々不格好で寝心地がいいとは言えない。ただ、突然の環境で疲れてしまっているのか、彼女はすぐに眠りについた。
運の良いことに、その晩は曇りだった。
翌日、目を覚ましたフィアは何となくの記憶を頼りに元来た道を戻っていた。それも下を見ながら草の根を分けて、時折溜息を洩らしながら。
「…ない…」
(…どこに落としたんだろう…)
道なき道を落とし物を探しながら行くと、ついには昨日いた診療所に辿り着いた。
草むらの陰から中の様子を窺うと、中には誰もいないようだった。壁際まで近づき窓をそっと押してみれば、施錠はされておらず小さく軋みながら開いた。
そっと忍び込んで、物音に注意しながら部屋中くまなく探した。
全てのベッドの下、デスクの下、引出しの中、だが目当ての物は見つからなかった。
(やっぱりない…もしかしてここに来る前にどこかで…)
もしそうだとしたら、恐らく見つからないだろう。そう半ば諦めてもう幾度目かも分からない溜め息を吐いたときだ、部屋に近づく足音にフィアは慌ててベッドの陰に隠れた。
ドアを開けて入ってきたのは医者の男だ。部屋をきょろきょろと見回し首をかしげる。
「ん…誰かいるような気がしたんだが…」
独り言を漏らしながら、フィアの隠れるベッドに近づいてきた。
彼女は見つかってしまうかもしれないと息を潜め、気配を探った。
すると、いいタイミングで風が吹き込んできた。
「…なんだ、風か…」
医者はどうやら風が吹き込んでいただけだと思ったらしく、窓を閉めると部屋を出て行った。
彼が離れたのを察し、彼女は胸をなでおろした。そして窓から外に出ると、そっと窓を閉じた。
宿屋の受付で小さな人影が番頭に何かを訪ね、そして礼を言って階段を上っていく。
廊下を進んで右側に並んだドアの1つをノックした。
「はい…あ、君は…」
出迎えたのはトレアだった。
「あ、おはようございます」
礼儀正しく頭を下げて挨拶をしたのは、診療所の看護婦マンドラゴラのマルだ。先日診療所の時と同じく、緑がかった裾の広がったワンピースを着て、手には手提げの袋を抱えていた。
「…あのぉ、ここはトーマさんのお部屋で間違いないでしょうか?」
「ああ、中に入ってくれ」
「失礼します」
マルが中に入ると、トーストをかじりながらもう片手にコーヒーの入ったカップを持っているトーマがいた。
「あ、君は確か…」
彼はマルに気が付き、飲もうとしていたコーヒーを口元から離した。
「あ、診療所でお手伝いをしているマルといいます。お食事中にごめんなさい」
「いや、気にしないでくれ。普通なら朝食はとっくに済んでる時間なんだ」
トーマは申し訳なさそうな彼女に笑顔で返した。
「あの、もうお二方は…?」
マルは辺りをキョロキョロと見回しながら訊ねた。
「ああ、2人はギルドに出向いている、旅には資金がいるからな。それから私は、一応トーマの付添だ」
「トレアは俺のことを重病人扱いしてくるから困るよ」
そう苦笑いを浮かべるトーマに、トレアは呆れた顔を向け腕を組んだ。
「なにを言うか、昨日は倒れておいて…」
「トレアさんは優しい方なんですね」
マルが無邪気な微笑みで彼女を見上げて言うと、トレアは「あ…いや…」と照れて顔を背けた。
「…それより、何の用事だろう。みんなが揃っていないと不都合だったか?」
トーマは話を元に戻す。
「あ、いえ…往診です。一応あれから異常はないか心配だ、と先生が」
彼女はそう言いながら手提げを床に置いて道具を取り出した。
トーマの近くによって聴診器を耳に挿した。
「胸を見せてください」
トーマはシャツのボタンを外して胸を晒した。そしてトレアは内心ドキッとして、不自然にならないよう目線を逸らせた。
マルは聴診器を胸の何箇所かに当て、テーブルに置いたカルテに『異常なし』と書き込む。
その後いくつかまた検査した後、今度は問診に入った。
「あの後、頭痛の方は?」
「少し痛むが、それほど強くはないよ」
「そうですか。…他には何か?」
「いや、特に。意識もはっきりしているし、『ここ』を除けば快調そのものって感じだな」
「わかりました。では診察はこれで以上です。お薬を置いていきますから、もし痛みがまた酷くなるようなら1錠を水で飲んでください」
「ああ、ありがとう」
道具とカルテを手提げに片づけ始めると、マルは何かを思い出し手を止めた。
「あ、忘れるところでした。えと…」
服の何かを取り出し、トーマに見せる。
「…これ、昨日病室に落ちていたんですけど、違いますか?」
彼女が見せたのは金色をして、綺麗な模様の彫られたロケットだった。
「さぁ………ん…?」
と、トーマも見たときこそピンと来なかったのだが、徐々に目に驚きと困惑が薄らと現れた。
「マルちゃん…たぶん持ち主は知ってる…」
「ホントですか?…よかった、落とされた方はきっと困っていると思うんです。渡していただいても構いませんか?」
「…ああ…渡しておくよ」
トーマはそう言ってマルからロケットを受け取った。
帰り際に「お大事に」と言ってマルは帰って行った。
トーマは椅子に座ってロケットを見つめていて、トレアは気になった。
「…トーマ、それは…?」
「…これを見るまで、俺は気付かなかった…あの子が俺に掴みかかったのにも説明が付く…」
愁いを含んだ視線で、トーマはロケットを見つめた。
「どういうことなんだ?」
「………」
何か特別事情があるに違いない、トレアはそう感じた。
「…いや、今はよそう…話してもいいと思ったら、いつでもいいから話してくれ…」
「…トレア…。…ああ…すまない」
彼の胸中が気になりながらも、トレアは少し離れて椅子に座り、剣の手入れを始めた。
時は経ち、日も暮れて薄暗くなり始めたころ、ノルヴィとミラの2人は村の外に出ようとしていた。
ノルヴィは手に2枚の紙を持ち、凝視するように見ている。2枚の紙にはそれぞれ男の顔が描かれ、『WANTED』と言う文字と、数字が記されている。お察しの通り、これは手配書だった。
「盗賊ねぇ…物騒なもんだ」
「この辺に潜んでるのは間違いないらしいわ。よくこの村に行き来する旅人が襲われるって言うのが多くて、この2人が特に腕が立つらしいの」
「この先の森だったっけ?」
「ええ」
村を出てそう行かない森の中へ2人は分け入った。
「今夜は満月よ。夜襲をかけるなら最高ね」
「ま、お互いにな…」
その同じ森の中で、優しく辺りを照らす月を見上げるのはフィアだ。
昨日と同じ木にもたれて途方に暮れていた。この場所では右も左も解らず、服もパジャマのような薄いもの。靴も履いていないから足も痛いうえ、空腹感も激しい。さらには大切なものまで落としてしまった。
彼女はうな垂れて溜め息を吐いた。
ふと人の気配を感じてそちらの方を向いた。男が数人向かってくる。
「おんやぁ?こんなことに女の子1人は危ないぜぇ?」
「そうそう、俺たちみたいなのに見つかっちまうもんなぁヘッヘヘヘ…」
「なによ、あんたたち…」
フィアは立ち上がり身構えた。その時、本能的にナイフを身の後ろに隠していた。
「嬢ちゃんは金目の物なんざもってねぇよなぁ?」
男たちは彼女にジリジリと詰め寄っていく。
「騒ぐなよ?まぁ騒いでも無駄だけどな」
1人がフィアの腕を掴んだ。
「触んないでよッ!」
フィアは隠していたナイフを振った。ナイフは男の顔を掠めて空を切った。
「っ…っぶねぇだろうが…おらっ!」
「きゃっ!」
男はナイフを持ったフィアの腕を掴んで投げ飛ばし、背後から羽交い絞めにした。
「離してよ変態ッ!こっちこないで、このッ!」
フィアは足を無茶苦茶に暴れさせ、幾度か男を蹴った。
「静かにしろっ、小娘ッ!」
「んん〜!ん〜〜〜!」
男たちは手足を押さえ、羽交い絞めにした男は口を押えた。しかし、彼女はなお抵抗し続けた。
(こんな奴らにッ!)
「くそ、大人しくしろッ!」
男は平手を振りかぶった。
「っ―」
フィアは打たれると思い、おもわず目を瞑った。だが、次に聞こえてきたのは男の苦痛の声だった。
「がぁぁっ…いてぇぇぇ…!」
見ると矢が男の手の甲に傷を付けていた。
「誰だッ!?」
男たちはフィアを放し、武器を構えた。
「女の子に乱暴するのは、男としてどうかしらね?」
フィアは矢の飛んできたであろう方を見ると、月明かりに照らされた女性が弓を構えて立っていた。
(あ、あの人…たしか…目が覚めたときにあいつと一緒に…)
フィアは遠目に見えるその顔に見覚えがあった。
「んだこらッ!」
男たちは彼女に向いて構えた。すると鈍い音と共に声が聞こえた。
「そうよぉ、ミラっちの言うとおり」
男たちは背後に向き直り武器を向ける。
目の前に立っていたのは鞘に納まったままの剣を肩に置いているノルヴィの姿だ。
「さって、あんたらで間違いないみたいねぇ、この辺を縄張りにしてる盗賊ってのは」
「だったらなんだ、おっさんッ!」
盗賊の1人はノルヴィに襲い掛かったが、彼は相手の武器を納刀したままの剣で軽く捌き、戻した剣をそのまま男の首の側面にぶつけて倒した。
「この野郎ッ!」
男の攻撃を往なし、ノルヴィは背後に回り込んで剣で後頭部を叩きつけ、さらに後ろから襲う男の腹を剣の先で突いて意識を落とした。
「ちっ…くそっ!」
最後の1人は逃げ出したが、ミラが見逃すはずもない。矢を標的の足元に向かって射ると、男の動きが付加魔法によってホールドされた。
ゆっくりと近づき、ミラは魔法を解きながら男に後ろを見せ、そして蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた男は、宙を舞い、地の上を転がり、白目をむいて天を仰いだ。
そんな様子を見て、ノルヴィは苦笑いを浮かべて頭を掻く。
「…ミラっち、ちょっとやり過ぎじゃない?」
「いいのよ、おイタしようとする奴らにはこれくらい。それよりも、あなた大丈夫?」
ミラはへたり込んでいるフィアに視線を移し、優しく語りかけた。
「え…はい…」
「そう、よかったわ…」
「…あの、…まさか私を探しに来たわけじゃないですよね?」
フィアは2人をじろじろと見ながら訊ねた。どうやら警戒しているらしい。
「ああ、俺たちが探しに来たのはこいつら。まぁ、まさかこんなところで君に出くわすなんて思ってもみてないねぇ」
ノルヴィは男たちを木の幹に縄で縛り付けながら返した。
「お腹、空いてない?」
「えっ…?」
フィアは唐突なミラの問いかけに少々間の抜けた声を挙げてしまった。
「…はい…」
「やっぱり。それに服もいるわね?」
「え…」
ミラは彼女の前に来て屈んだ。
「あの…」
「乗って。一まず休まなきゃ、ね?」
しかし、フィアは迷っているようだった。その訳は明らかだ。
「トーマが一緒だから?」
「―!?」
いわずもがな。フィアは険しい顔を浮かべた。
「…大丈夫よ」
「え?」
「トーマは、あなたに危害を加えないと思うわ。もちろん、根拠はないけど…。
それにもし、あなたがトーマに危害を加えようとしたら…私たちが止めるわ」
ミラはそう言いながら、近くに落ちていたナイフを手に取りフィアに柄を向けて差し出した。
「っ…!」
彼女は躊躇いながらもナイフを受け取った。
「それに、私たちの方があなたよりもあなたの立場と、するべきことを分かっていると思うわよ?」
「…わかりました…」
フィアが背中に跨ると、ミラはそっと立ち上がった。
「それじゃ、俺はこいつらをしょっ引いてくるから」
「お願いするわ」
ミラは小走りで森を抜けて行った。
村に戻って堂々と道を行くが、明かりも少なく人通りもほとんどない。
だからこそ、明かりのついている建物が目立つ。ミラたちの泊まっている宿の部屋の明かりもそうだ。
ミラの背中で揺られながら、フィアは彼女の体を凝視していた。
(上半身が人間で…下半身が馬…本物なんだ…)
フィアは正直、このミラの体は作り物ではないかと疑っていたのだが、こうしている今はこれが紛れもない本物だとわかる。
(きれいな肌…それにいい匂い…)
夜風に乗って漂ってくるミラの匂いは、甘くいい匂いがした。
「もうすぐ着くわ」
「あっ…はい…」
ミラのいい匂いに夢中になっていたフィアは慌てて近づけていた顔を離した。
宿についてミラの背中から降りたフィアは、彼女の後に付いて宿に入っていく。
(この先にあいつが…いる…この先にっ…)
目的の部屋に近づくごとに、憤りのような黒い感情が湧いてくる。手が震える、息が苦しい。
ミラがノブを回して中に入る、そしてミラの陰から部屋の奥にいる男の姿が見えた。
「トーマ・フェンデルッ…!」
止められなかった、止めようがなかった。それはあまりに大きい感情、それはあまりに短い一瞬。トーマは後ろの壁に押し付けられた。
「ぐっ…」
ミラもトレアも呆気に取られるほどの勢いで、フィアはトーマの胸倉を掴んで迫っていた。
「なんで…なんで兄さんを殺したのよッ!」
「「―!?」」
「………」
フィアのその一言は、トレアとミラに大きな衝撃と動揺を与えた。トレアは何かの間違いだと思った。いや、そう思いたかった。
だが、目を逸らして一言も反論を発すことのないトーマの様が、間違いではないことを、いや、少なくとも遠くない事実があることを物語っていた。
「なんでよ…なんで…あんたは兄さんと親友だったんじゃないの?!なのに…なんでッ…」
トーマは何も答えなかった。ただ、哀しげな表情で顔を背けるばかりだった。
「…すまない」
ふとトーマはそう零した。するとフィアは彼を改めて睨みつけ、震える声で責めた。
「…すまないってなによ…謝られたって、兄さんは戻らないのッ…!あんたが…あんたがッ―!」
ミラが激昂するフィアに優しく声を掛け、肩に触れた。
「落ち着きなさい」
振り向いたフィアはミラの顔を見てハッと我に返って、トーマの胸倉を掴む手をゆっくりと離した。
ミラはフィアを優しく抱き寄せ、慰めるように頭を撫でた。フィアの手は自然とミラの背中に回り、悔しそうに、哀しそうに、そしてそれらに堪えるように、ミラの服をギュッと握った。
トーマは静かに部屋を出た。トレアはそれを追おうとしたが、フィアのことが気に掛り足を止めて振り返る。
ミラはすすり泣きする少女を抱きしめたまま、優しげな顔で静かに頷いた。トレアもまたそれに頷くことで返し、彼を追った。
ミラは落ち着いたフィアをベッドに腰掛けさせ、布で足に付いた土や泥を拭っていた。
ほぼ一日森の中に裸足でいたのだ、汚れもそうだが、落ちた枝や転がっていた石で付けた傷には血が滲んでいた。
「…あの…」
「なぁに?」
弱弱しい呼びかけにミラは優しく答える。
「…さっきはすみませんでした…私、抑えられなくなって…」
「いいえ、当然だと思うわ。さっきの言葉には驚いたけれど…でも、あなたとトーマの間に何かがあったのは昨日のことで予想はついていたから…。
あら、ごめんなさいね…部外者が偉そうに」
「い、いえ…。
あの…、あなた方はあい…トーマとはどういう関係なんですか?」
フィアは『あいつ』と言いかけて、訂正した。その気遣いにミラは微笑みを浮かべた。
フィアの足を拭き終わると、ミラは屈んでいた状態から立ち上がって洗面台へ向かった。
「トーマとは、彼はがこっちの世界に飛ばされてきたその日に出会って、それ以来、そうね…だいたい2ヵ月くらいかしら。一緒に旅をしてきた仲間よ」
「こっちの世界…?それに…旅、ですか?」
フィアは不可解そうな表情を浮かべているが、当然のことだ。
「ええ。その辺りも話すとして…お互い、自己紹介がまだね。ミラ・チルッチよ」
「フィアです。フィア・ベルボア」
「よろしく、フィア」
ミラは優しく微笑んだ。
「トーマ、おい、トーマ…」
「………」
トーマを追って部屋を出たトレアは、すぐに彼に追いついた。だが、声をかけても返事はなく、ただただ静かに歩き続けていた。
トレアはこれ以上言っても無駄かと思い、そのまま数歩後ろを付いて歩いた。
涼しい風が優しく抜け、虫が鳴く静かな夜。2人はいつの間にか村の広場のようなところにたどり着いた。
広場の中央にある質素な噴水がチョロチョロと川のように音を立てていた。
(…まったく…どこまで行く気だ…)
トレアがそう思った時、トーマは足を止めた。
「運命のいたずら…」
トーマは星空を見上げながら呟いた。
「なに?」
「そう言うんだろうな、こういうのを…」
2人の間に暫しの沈黙が流れた。その沈黙を恐る恐る破ったのはトレアだった。
「なぁ…その………殺したのか…あの子の兄を…」
「…そうだな…殺したも同じだ…」
(殺したも同じ…それはつまり…)
トレアは俯いたトーマの前に出ると、真剣な眼差しで彼を見つめた。
「話してくれ、何があったのか」
トーマは彼女の目を見返すと、何も言わず広場の噴水の縁に腰掛けた。
「あなたは…?」
まだ頭の回線が繋がりきっていないようで、彼女は小さな声でそう呟いた。だがやがて意識がしっかりしてくると、彼女は明らかに狼狽と驚きを示した。
「ッ―!?」
彼女はベッドから勢いよく起き上がり、トーマに飛び付いて襟元を握りしめた。彼女の顔は先ほどまでと違い、激しい怒りを浮かべている。
トーマは鎮痛剤の影響で体に思うように力を入れられない上、不意打ち気味の彼女の行動にそのまま床に倒れ込んだ。
彼女は馬乗りになり、胸倉を掴んだまま彼の顔を見下ろして言った。
「あんたがッ…あんたがなんでここに居るのよッ!?」
キッと睨み付けながらそう怒鳴った彼女は、先ほどトーマに飛び付いた時にデスクの上から落ちていたベルトに目を向けた。そしてホルスターからナイフを抜き、片手でトーマを抑えたまま高く振り上げた。
こうなってしまえばただ事ではない。呆気に取られていたトレアがいち早く彼女を静止しに入る。
「おい、お前ッ!」
トレアはナイフを持った手の首を掴んだ。
すると彼女は驚いたように振り向いた。今まで彼女にはトレアたちのことなど目に入っていなかったのだろう、あからさまに困惑した顔を浮かべる。
「な、なによあんたたちッ!?」
少し怯えも混じらせながら彼女はトーマの上から飛び退き、トレアの手を振り解いて窓際に下がった。
トレアはトーマを支え起こし、彼女を凝視した。
彼女はミラやノルヴィも見て数的不利だと思ったのか、窓枠に手と足を掛け、裸足のまま外へと飛び出した。
「おいッ―!?」
ノルヴィは追おうとしたが、彼女はすぐ外の茂みへと姿を消していた。
トーマをベッドに座らせ、トレアは「大丈夫か?」と声をかけた。
「ああ、平気だ…」
「そうか。…にしても、彼女は一体…」
トレアはあの少女の寝ていたベッドを見つめた。
「彼女、あなたを知ってる風だったわ。知ってる子?」
「…どこかで見た気はする…だけど、どこの誰だったかは思い出せない…」
「そう…」
ミラは物を考えるように人差し指を輪郭に当てた。
「…お前さんらよぉ…」
見計らって医者が口を開いた。
「あ…すまん、迷惑をかけたな…」
トーマが言うと、医者は「いや…」と首を振った。
「…気にするな。お前らにもお前らなりの事情があんだろ?…まぁ、こいつは若干混乱気味だが…」
彼の隣で、マンドラゴラの看護師マルは手をワナワナと落ち着きなく動かし、医者とトーマ達と彼女の出て行った窓をランダムに交互に見回していた。
「…まぁ一まずはあんたの鎮痛剤の効果が切れりゃ出てってくれて構わねぇ。また明日こいつを宿まで使いに出す」
「ああ」
体がまともに動くようになり、4人は診療所を後にして、宿に戻った。
「それじゃ、私とノルヴィはギルドへ行ってくるわ。トレアが残るから、何かあったら言うのよ?」
「ああ、わかってる」
「くれぐれも無理はしちゃだめよ?」
「任せろ、私がさせん」
トレアは腕を組んで、横目でトーマを見た。彼は困ったように苦笑いを浮かべた。
「んじゃ、いってくんな」
そっと閉められたドアを見て、トレアはトーマを睨んだ。
「っ…どうした?」
「…まったく…まったくまったくまったくまったくッ…!」
トレアはトーマを睨んでそう詰め寄ったかと思えば、いきなり後ろを向いて溜め息を吐いた。
「…なんだよ?」
「………い…した……」
「なんだって?」
「……心配したって言ったんだっ…ホントに、心配した…」
彼女は振り返り、未だ睨みながら言ったかと思えば、次の瞬間には哀しそうに俯いて呟いた。
「…悪い…」
「…ホントに…無事でよかった…」
トーマはその一言に、少し嬉しそうに笑っていた。
ところ変わって、こちらは森の中。木の幹に寄りかかって、息を切らせた少女が座っていた。
手には逆手にナイフを握り、薄手の白いパジャマのような恰好で、木々の葉の間から覗く空を疲れた目が見上げている。
(なんなのよ…ここ…
なんで…私こんなところにいるの…? …宇宙艇に乗ってたはずなのに…)
記憶を振り返る。
自分は宇宙艇に乗って、とある機体の500メートル後ろを飛んでいた。そう、たしかに宇宙空間にいたはず。
(やっぱり…アレのせい…? 夢じゃなかったの…?)
隕石群を抜けた辺りで遭遇した、謎の巨大なマーク。それに吸い寄せられ、気が付けば地表に激突していた。
そこからは曖昧な記憶しかない。宇宙艇から脱出し、おぼつかない足で歩き出す。次に覚えているのは足を踏み外し、どこかへ落ちていったこと。
そして先ほど、どこかのベッドの上で目を覚ましてこの様だ。
(…それで…どうしてあいつが目の前にいたわけ…?
…あいつと一緒にいた人みたいなのは…?)
もしかしたら今も夢の中かと思う、だがそうではなく現実だと頭が言い張って聞かない。
「…わけわかんないっ…」
彼女は膝をかかえ、腕に俯けた頭を置いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
家の中だ…懐かしい家…
誰かが私の名前を呼んでる…
「…ア…フィア…」
ママ遺伝の黒い髪…優しい暖かい手…
あ…持ってるのは小学校の時の鞄だ…じゃあこれは私の小さい時の思い出…
そうそう…いつもこうやって、おやつをちょっとだけ多く私にくれる…
「ほら、フィア。口元についてるよ?」
(ありがとう、お兄ちゃん)
あぁ…こうやってよく口を拭いてもらってた…
あれ…今度は私が中学くらいだ…
「おう、お帰り」
(…あ、またそんなカッコで…私が友達連れて来てたらどうするのよ?)
そうそう…兄さんったら風呂上りは下着だけなんだもんな…この頃は恥ずかしくって…
「わりぃわりぃ、晩飯なにがいい?」
(…別に何でもいいから、服着て)
兄さんの謝り方って、ほんとに軽かったなぁ…
あ、この頃からだ…ママが仕事で家を空けるのが多くなったのは…
兄さんは勉強とかで忙しかったのに…よく晩御飯作ってくれて…
なのに私…文句言ってばっかりで…悪いことしたなぁ…
あ、今度は…兄さんが軍に入った時だ…
(おめでとう、兄さん)
「サンキュ、これで母さんも少しは楽できるよ…」
「ありがとうね…でも、無理はダメだよ?」
「わかってるよ、母さん」
…すごいな、兄さん…軍のエンジニアにホントになっちゃうんだから…
この時はみんなすごく喜んで……喜んで………
四角い淵に入った兄さんの笑顔の写真…
母さんが…泣いてる…私も…泣いてる…
(兄さん…嘘よね…兄さんっ…)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
彼女、フィアはそこで目を覚ました。周りを見ると、すっかり暗くなってしまっていて少し冷えてきている。
(…私、寝ちゃったんだ…)
ふと気が付くと、目が当たっていた辺りの袖の部分が湿っている。目尻にも涙が溜まっていた。
(兄さん…)
彼女は胸に手を伸ばした。
気付けばそこにあるはずの物がない、彼女は焦った。
辺りを見回したが、見当たらない。
(うそ…どこかに落としたの?)
探しに行こうとした彼女だが、思いとどまった。
(…だめ…これだけ暗いと道に迷うかも…しょうがないよね、明日探そう…)
それは冷静且つ的確な判断だったと言える。
彼女は落ち着かないながらも、今はこの冷えを凌げる場所を探さなければならなかった。
少し辺りを歩き回った結果、結局最初の木の傍まで戻ってきた。
近くにまだ木の葉の多く付いた大きめの折れた枝が落ちていたので、掛布団代わりに被った。
地面はゴツゴツしているし、枝も少々不格好で寝心地がいいとは言えない。ただ、突然の環境で疲れてしまっているのか、彼女はすぐに眠りについた。
運の良いことに、その晩は曇りだった。
翌日、目を覚ましたフィアは何となくの記憶を頼りに元来た道を戻っていた。それも下を見ながら草の根を分けて、時折溜息を洩らしながら。
「…ない…」
(…どこに落としたんだろう…)
道なき道を落とし物を探しながら行くと、ついには昨日いた診療所に辿り着いた。
草むらの陰から中の様子を窺うと、中には誰もいないようだった。壁際まで近づき窓をそっと押してみれば、施錠はされておらず小さく軋みながら開いた。
そっと忍び込んで、物音に注意しながら部屋中くまなく探した。
全てのベッドの下、デスクの下、引出しの中、だが目当ての物は見つからなかった。
(やっぱりない…もしかしてここに来る前にどこかで…)
もしそうだとしたら、恐らく見つからないだろう。そう半ば諦めてもう幾度目かも分からない溜め息を吐いたときだ、部屋に近づく足音にフィアは慌ててベッドの陰に隠れた。
ドアを開けて入ってきたのは医者の男だ。部屋をきょろきょろと見回し首をかしげる。
「ん…誰かいるような気がしたんだが…」
独り言を漏らしながら、フィアの隠れるベッドに近づいてきた。
彼女は見つかってしまうかもしれないと息を潜め、気配を探った。
すると、いいタイミングで風が吹き込んできた。
「…なんだ、風か…」
医者はどうやら風が吹き込んでいただけだと思ったらしく、窓を閉めると部屋を出て行った。
彼が離れたのを察し、彼女は胸をなでおろした。そして窓から外に出ると、そっと窓を閉じた。
宿屋の受付で小さな人影が番頭に何かを訪ね、そして礼を言って階段を上っていく。
廊下を進んで右側に並んだドアの1つをノックした。
「はい…あ、君は…」
出迎えたのはトレアだった。
「あ、おはようございます」
礼儀正しく頭を下げて挨拶をしたのは、診療所の看護婦マンドラゴラのマルだ。先日診療所の時と同じく、緑がかった裾の広がったワンピースを着て、手には手提げの袋を抱えていた。
「…あのぉ、ここはトーマさんのお部屋で間違いないでしょうか?」
「ああ、中に入ってくれ」
「失礼します」
マルが中に入ると、トーストをかじりながらもう片手にコーヒーの入ったカップを持っているトーマがいた。
「あ、君は確か…」
彼はマルに気が付き、飲もうとしていたコーヒーを口元から離した。
「あ、診療所でお手伝いをしているマルといいます。お食事中にごめんなさい」
「いや、気にしないでくれ。普通なら朝食はとっくに済んでる時間なんだ」
トーマは申し訳なさそうな彼女に笑顔で返した。
「あの、もうお二方は…?」
マルは辺りをキョロキョロと見回しながら訊ねた。
「ああ、2人はギルドに出向いている、旅には資金がいるからな。それから私は、一応トーマの付添だ」
「トレアは俺のことを重病人扱いしてくるから困るよ」
そう苦笑いを浮かべるトーマに、トレアは呆れた顔を向け腕を組んだ。
「なにを言うか、昨日は倒れておいて…」
「トレアさんは優しい方なんですね」
マルが無邪気な微笑みで彼女を見上げて言うと、トレアは「あ…いや…」と照れて顔を背けた。
「…それより、何の用事だろう。みんなが揃っていないと不都合だったか?」
トーマは話を元に戻す。
「あ、いえ…往診です。一応あれから異常はないか心配だ、と先生が」
彼女はそう言いながら手提げを床に置いて道具を取り出した。
トーマの近くによって聴診器を耳に挿した。
「胸を見せてください」
トーマはシャツのボタンを外して胸を晒した。そしてトレアは内心ドキッとして、不自然にならないよう目線を逸らせた。
マルは聴診器を胸の何箇所かに当て、テーブルに置いたカルテに『異常なし』と書き込む。
その後いくつかまた検査した後、今度は問診に入った。
「あの後、頭痛の方は?」
「少し痛むが、それほど強くはないよ」
「そうですか。…他には何か?」
「いや、特に。意識もはっきりしているし、『ここ』を除けば快調そのものって感じだな」
「わかりました。では診察はこれで以上です。お薬を置いていきますから、もし痛みがまた酷くなるようなら1錠を水で飲んでください」
「ああ、ありがとう」
道具とカルテを手提げに片づけ始めると、マルは何かを思い出し手を止めた。
「あ、忘れるところでした。えと…」
服の何かを取り出し、トーマに見せる。
「…これ、昨日病室に落ちていたんですけど、違いますか?」
彼女が見せたのは金色をして、綺麗な模様の彫られたロケットだった。
「さぁ………ん…?」
と、トーマも見たときこそピンと来なかったのだが、徐々に目に驚きと困惑が薄らと現れた。
「マルちゃん…たぶん持ち主は知ってる…」
「ホントですか?…よかった、落とされた方はきっと困っていると思うんです。渡していただいても構いませんか?」
「…ああ…渡しておくよ」
トーマはそう言ってマルからロケットを受け取った。
帰り際に「お大事に」と言ってマルは帰って行った。
トーマは椅子に座ってロケットを見つめていて、トレアは気になった。
「…トーマ、それは…?」
「…これを見るまで、俺は気付かなかった…あの子が俺に掴みかかったのにも説明が付く…」
愁いを含んだ視線で、トーマはロケットを見つめた。
「どういうことなんだ?」
「………」
何か特別事情があるに違いない、トレアはそう感じた。
「…いや、今はよそう…話してもいいと思ったら、いつでもいいから話してくれ…」
「…トレア…。…ああ…すまない」
彼の胸中が気になりながらも、トレアは少し離れて椅子に座り、剣の手入れを始めた。
時は経ち、日も暮れて薄暗くなり始めたころ、ノルヴィとミラの2人は村の外に出ようとしていた。
ノルヴィは手に2枚の紙を持ち、凝視するように見ている。2枚の紙にはそれぞれ男の顔が描かれ、『WANTED』と言う文字と、数字が記されている。お察しの通り、これは手配書だった。
「盗賊ねぇ…物騒なもんだ」
「この辺に潜んでるのは間違いないらしいわ。よくこの村に行き来する旅人が襲われるって言うのが多くて、この2人が特に腕が立つらしいの」
「この先の森だったっけ?」
「ええ」
村を出てそう行かない森の中へ2人は分け入った。
「今夜は満月よ。夜襲をかけるなら最高ね」
「ま、お互いにな…」
その同じ森の中で、優しく辺りを照らす月を見上げるのはフィアだ。
昨日と同じ木にもたれて途方に暮れていた。この場所では右も左も解らず、服もパジャマのような薄いもの。靴も履いていないから足も痛いうえ、空腹感も激しい。さらには大切なものまで落としてしまった。
彼女はうな垂れて溜め息を吐いた。
ふと人の気配を感じてそちらの方を向いた。男が数人向かってくる。
「おんやぁ?こんなことに女の子1人は危ないぜぇ?」
「そうそう、俺たちみたいなのに見つかっちまうもんなぁヘッヘヘヘ…」
「なによ、あんたたち…」
フィアは立ち上がり身構えた。その時、本能的にナイフを身の後ろに隠していた。
「嬢ちゃんは金目の物なんざもってねぇよなぁ?」
男たちは彼女にジリジリと詰め寄っていく。
「騒ぐなよ?まぁ騒いでも無駄だけどな」
1人がフィアの腕を掴んだ。
「触んないでよッ!」
フィアは隠していたナイフを振った。ナイフは男の顔を掠めて空を切った。
「っ…っぶねぇだろうが…おらっ!」
「きゃっ!」
男はナイフを持ったフィアの腕を掴んで投げ飛ばし、背後から羽交い絞めにした。
「離してよ変態ッ!こっちこないで、このッ!」
フィアは足を無茶苦茶に暴れさせ、幾度か男を蹴った。
「静かにしろっ、小娘ッ!」
「んん〜!ん〜〜〜!」
男たちは手足を押さえ、羽交い絞めにした男は口を押えた。しかし、彼女はなお抵抗し続けた。
(こんな奴らにッ!)
「くそ、大人しくしろッ!」
男は平手を振りかぶった。
「っ―」
フィアは打たれると思い、おもわず目を瞑った。だが、次に聞こえてきたのは男の苦痛の声だった。
「がぁぁっ…いてぇぇぇ…!」
見ると矢が男の手の甲に傷を付けていた。
「誰だッ!?」
男たちはフィアを放し、武器を構えた。
「女の子に乱暴するのは、男としてどうかしらね?」
フィアは矢の飛んできたであろう方を見ると、月明かりに照らされた女性が弓を構えて立っていた。
(あ、あの人…たしか…目が覚めたときにあいつと一緒に…)
フィアは遠目に見えるその顔に見覚えがあった。
「んだこらッ!」
男たちは彼女に向いて構えた。すると鈍い音と共に声が聞こえた。
「そうよぉ、ミラっちの言うとおり」
男たちは背後に向き直り武器を向ける。
目の前に立っていたのは鞘に納まったままの剣を肩に置いているノルヴィの姿だ。
「さって、あんたらで間違いないみたいねぇ、この辺を縄張りにしてる盗賊ってのは」
「だったらなんだ、おっさんッ!」
盗賊の1人はノルヴィに襲い掛かったが、彼は相手の武器を納刀したままの剣で軽く捌き、戻した剣をそのまま男の首の側面にぶつけて倒した。
「この野郎ッ!」
男の攻撃を往なし、ノルヴィは背後に回り込んで剣で後頭部を叩きつけ、さらに後ろから襲う男の腹を剣の先で突いて意識を落とした。
「ちっ…くそっ!」
最後の1人は逃げ出したが、ミラが見逃すはずもない。矢を標的の足元に向かって射ると、男の動きが付加魔法によってホールドされた。
ゆっくりと近づき、ミラは魔法を解きながら男に後ろを見せ、そして蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた男は、宙を舞い、地の上を転がり、白目をむいて天を仰いだ。
そんな様子を見て、ノルヴィは苦笑いを浮かべて頭を掻く。
「…ミラっち、ちょっとやり過ぎじゃない?」
「いいのよ、おイタしようとする奴らにはこれくらい。それよりも、あなた大丈夫?」
ミラはへたり込んでいるフィアに視線を移し、優しく語りかけた。
「え…はい…」
「そう、よかったわ…」
「…あの、…まさか私を探しに来たわけじゃないですよね?」
フィアは2人をじろじろと見ながら訊ねた。どうやら警戒しているらしい。
「ああ、俺たちが探しに来たのはこいつら。まぁ、まさかこんなところで君に出くわすなんて思ってもみてないねぇ」
ノルヴィは男たちを木の幹に縄で縛り付けながら返した。
「お腹、空いてない?」
「えっ…?」
フィアは唐突なミラの問いかけに少々間の抜けた声を挙げてしまった。
「…はい…」
「やっぱり。それに服もいるわね?」
「え…」
ミラは彼女の前に来て屈んだ。
「あの…」
「乗って。一まず休まなきゃ、ね?」
しかし、フィアは迷っているようだった。その訳は明らかだ。
「トーマが一緒だから?」
「―!?」
いわずもがな。フィアは険しい顔を浮かべた。
「…大丈夫よ」
「え?」
「トーマは、あなたに危害を加えないと思うわ。もちろん、根拠はないけど…。
それにもし、あなたがトーマに危害を加えようとしたら…私たちが止めるわ」
ミラはそう言いながら、近くに落ちていたナイフを手に取りフィアに柄を向けて差し出した。
「っ…!」
彼女は躊躇いながらもナイフを受け取った。
「それに、私たちの方があなたよりもあなたの立場と、するべきことを分かっていると思うわよ?」
「…わかりました…」
フィアが背中に跨ると、ミラはそっと立ち上がった。
「それじゃ、俺はこいつらをしょっ引いてくるから」
「お願いするわ」
ミラは小走りで森を抜けて行った。
村に戻って堂々と道を行くが、明かりも少なく人通りもほとんどない。
だからこそ、明かりのついている建物が目立つ。ミラたちの泊まっている宿の部屋の明かりもそうだ。
ミラの背中で揺られながら、フィアは彼女の体を凝視していた。
(上半身が人間で…下半身が馬…本物なんだ…)
フィアは正直、このミラの体は作り物ではないかと疑っていたのだが、こうしている今はこれが紛れもない本物だとわかる。
(きれいな肌…それにいい匂い…)
夜風に乗って漂ってくるミラの匂いは、甘くいい匂いがした。
「もうすぐ着くわ」
「あっ…はい…」
ミラのいい匂いに夢中になっていたフィアは慌てて近づけていた顔を離した。
宿についてミラの背中から降りたフィアは、彼女の後に付いて宿に入っていく。
(この先にあいつが…いる…この先にっ…)
目的の部屋に近づくごとに、憤りのような黒い感情が湧いてくる。手が震える、息が苦しい。
ミラがノブを回して中に入る、そしてミラの陰から部屋の奥にいる男の姿が見えた。
「トーマ・フェンデルッ…!」
止められなかった、止めようがなかった。それはあまりに大きい感情、それはあまりに短い一瞬。トーマは後ろの壁に押し付けられた。
「ぐっ…」
ミラもトレアも呆気に取られるほどの勢いで、フィアはトーマの胸倉を掴んで迫っていた。
「なんで…なんで兄さんを殺したのよッ!」
「「―!?」」
「………」
フィアのその一言は、トレアとミラに大きな衝撃と動揺を与えた。トレアは何かの間違いだと思った。いや、そう思いたかった。
だが、目を逸らして一言も反論を発すことのないトーマの様が、間違いではないことを、いや、少なくとも遠くない事実があることを物語っていた。
「なんでよ…なんで…あんたは兄さんと親友だったんじゃないの?!なのに…なんでッ…」
トーマは何も答えなかった。ただ、哀しげな表情で顔を背けるばかりだった。
「…すまない」
ふとトーマはそう零した。するとフィアは彼を改めて睨みつけ、震える声で責めた。
「…すまないってなによ…謝られたって、兄さんは戻らないのッ…!あんたが…あんたがッ―!」
ミラが激昂するフィアに優しく声を掛け、肩に触れた。
「落ち着きなさい」
振り向いたフィアはミラの顔を見てハッと我に返って、トーマの胸倉を掴む手をゆっくりと離した。
ミラはフィアを優しく抱き寄せ、慰めるように頭を撫でた。フィアの手は自然とミラの背中に回り、悔しそうに、哀しそうに、そしてそれらに堪えるように、ミラの服をギュッと握った。
トーマは静かに部屋を出た。トレアはそれを追おうとしたが、フィアのことが気に掛り足を止めて振り返る。
ミラはすすり泣きする少女を抱きしめたまま、優しげな顔で静かに頷いた。トレアもまたそれに頷くことで返し、彼を追った。
ミラは落ち着いたフィアをベッドに腰掛けさせ、布で足に付いた土や泥を拭っていた。
ほぼ一日森の中に裸足でいたのだ、汚れもそうだが、落ちた枝や転がっていた石で付けた傷には血が滲んでいた。
「…あの…」
「なぁに?」
弱弱しい呼びかけにミラは優しく答える。
「…さっきはすみませんでした…私、抑えられなくなって…」
「いいえ、当然だと思うわ。さっきの言葉には驚いたけれど…でも、あなたとトーマの間に何かがあったのは昨日のことで予想はついていたから…。
あら、ごめんなさいね…部外者が偉そうに」
「い、いえ…。
あの…、あなた方はあい…トーマとはどういう関係なんですか?」
フィアは『あいつ』と言いかけて、訂正した。その気遣いにミラは微笑みを浮かべた。
フィアの足を拭き終わると、ミラは屈んでいた状態から立ち上がって洗面台へ向かった。
「トーマとは、彼はがこっちの世界に飛ばされてきたその日に出会って、それ以来、そうね…だいたい2ヵ月くらいかしら。一緒に旅をしてきた仲間よ」
「こっちの世界…?それに…旅、ですか?」
フィアは不可解そうな表情を浮かべているが、当然のことだ。
「ええ。その辺りも話すとして…お互い、自己紹介がまだね。ミラ・チルッチよ」
「フィアです。フィア・ベルボア」
「よろしく、フィア」
ミラは優しく微笑んだ。
「トーマ、おい、トーマ…」
「………」
トーマを追って部屋を出たトレアは、すぐに彼に追いついた。だが、声をかけても返事はなく、ただただ静かに歩き続けていた。
トレアはこれ以上言っても無駄かと思い、そのまま数歩後ろを付いて歩いた。
涼しい風が優しく抜け、虫が鳴く静かな夜。2人はいつの間にか村の広場のようなところにたどり着いた。
広場の中央にある質素な噴水がチョロチョロと川のように音を立てていた。
(…まったく…どこまで行く気だ…)
トレアがそう思った時、トーマは足を止めた。
「運命のいたずら…」
トーマは星空を見上げながら呟いた。
「なに?」
「そう言うんだろうな、こういうのを…」
2人の間に暫しの沈黙が流れた。その沈黙を恐る恐る破ったのはトレアだった。
「なぁ…その………殺したのか…あの子の兄を…」
「…そうだな…殺したも同じだ…」
(殺したも同じ…それはつまり…)
トレアは俯いたトーマの前に出ると、真剣な眼差しで彼を見つめた。
「話してくれ、何があったのか」
トーマは彼女の目を見返すと、何も言わず広場の噴水の縁に腰掛けた。
12/08/13 02:03更新 / アバロンU世
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