連載小説
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5-1 前兆
 木の板を隙間なく並べ作られた壁と屋根と床、その内側には少し毛足の短い毛皮がびっしりと貼られ、馬車の中の温度を逃がさぬようになっている。とはいっても北方の冬口と同じくらい下がっている外気温の上では、それも暖かいとは言い難かった。
「ううぅぅぅ…ぶぇっくしょんッ!」
 ノルヴィのくしゃみが馬車のあたりに木霊する。足腰のしっかりした馬が牽引する3人を乗せた馬車は、いまルプス山脈の8合目と7合目の境を過ぎたあたりだった。その高さになると、雲はもう霜か霧という認識に変わり、視界はやっと数メートル先が認識できる程度まで悪化している。
 気温も先ほど述べた様に氷点下となり、ノースビレッジで手に入れた防寒具なしではあっという間に凍えてしまう。
 ノルヴィはどうやら暑さに強く寒さに弱いという人物らしい。この山を越えるとわかったときにあからさまに落胆していたのはこの寒さが原因か、とトーマは納得した。
 そしてテンションが下がっているのがもう1人。トレアはトカゲの特徴を持つリザードマンであるが故に、寒さに極端に弱く動きが鈍くなる。羽毛が使われた防寒具を着てフードを被り、手袋に尻尾袋、ブーツまで身に着けているというのに、それでも静かで動こうとしない。
「…大丈夫か?」
 トレアの身を気遣ってトーマがそう訊ねると「せ…戦士たる者…このくらい…」と眠そうな声で虚勢を張って返した。
「…それにしても…」
 不意にノルヴィが恨めしそうな目を、トレアの頭を肩に乗せて座っているトーマに向けた。
「その何とかスーツってちょっとズルいんじゃないのッ?!」
 彼は今パイロットスーツを身に着けていた。なにせ、宇宙空間でも数時間なら単独で活動が可能という性能を備えたものだ。新構造のカーボン素材を使っているため、従来の宇宙服より軽く薄く作られていて動きやすいうえ、断熱効果も高い。
「しょうがないだろ、俺の防寒具を買う余裕がなかったんだ」
「にしてもズルいッ!」
「それに顔は出っぱなしだから寒い」
「顔だけでしょッ!?こちとら全身ガタブルだっつーのッ!」
 そんなやり取りをしていると呆れた顔でミラが後ろの幕を捲って顔を覗かせた。
「ノルヴィ、あんまり騒いでると持たないわよ?」
「ちょ、さむっ、ミラっち閉めて、閉めて…」
「はいはい…もうちょっとで今夜泊まる山小屋よ。そこまで我慢して」
 ミラがそう言って幕を閉めると、ノルヴィは「う〜っす…」と返事をした。外を歩くミラは防寒具も身に着けているが、それに加えて保護魔法で寒気をある程度軽減していた。そうでなければ、草原出身の彼女がこの寒さに耐えるのは厳しいのだ。
 霞みがかる景色の奥の方にうっすらと影を見つけ、辺りに危険がないかを確認しつつ前進していく。こうも視界が悪いと、すぐそこに崖があっても気づくのは難しい。油断がために転落してしまっては冗談にはならない。
 小屋らしき影まで道があるのを確認し、馬に来てよしの合図を出すと馬車は小屋にまっすぐ向かった。
「みんな、着いたわよ」
「うへぇ〜、助かったぁ…」
 ノルヴィは馬車を下りると真っ先に小屋に駆け込み、暖炉に火を灯し暖を取った。そのあとにトレアを連れてトーマが入ってくると、彼女を暖炉の前に寝かせた。
「…はぁ…あったか…♪」
 トレアは鈍い動きで体を起こし、灯に当たった。その顔はいかにも幸せそうだった。
 ミラは馬が凍えないように小屋の中へ連れ込んで、彼に労いの言葉をかけた。すると、トーマが話しかけた。
「ミラ、あとどれくらいで山脈洞に着くんだ?」
「そうね…明日には山脈洞入口の小屋に着くと思うわ」
「そうか」
 スプル山脈洞は、スプル山脈の9合目を過ぎたあたりにある洞穴だ。スプル山を南北に突き抜ける大きな通り道で、山を越える際には必ずと言っていいほど誰もが利用する近道だ。
 先人たちが長年かけて掘り進んだもので、固い岩盤がその真下まで迫っているが故にそれより低いところに掘ることができなかったが、それでもだいぶ楽になるのは確かだった。
 トーマはそれだけ聞くと暖炉の前に戻った。

 食事も摂って日も暮れた。一層寒さは厳しくなり、4人は毛布に包まって休んでいた。
 トーマは夢を見ていた。それは彼がこの世界へ来る約1年前のことだ。

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「よう、トーマ。なんだ、今日も浮かない顔だな?」
 その青年は、トーマに向くと親しそうにあいさつした。彼は黒髪で、青みのある灰色と白のツートーンカラーの作業着を着ていた。腰には工具が備えられたベルトをして、頬には手で擦った時にでも着いたのか、黒い汚れがあった。
「ほっとけ」
 トーマは手に持っていた2つのコーヒーが入ったカップの内の一つを彼に向かって投げた。ここは半無重力のような状態で、カップはほとんど落ちることなくまっすぐ彼の手元に吸い込まれた。

(バナード…)

「これは失礼しました。それよりフェンデル准尉どのはこのような場所にいてよろしいので?」
「やめてくれ、バナード。准尉なんて平みたいなもんさ」
「おーい、それでも一応は尉官だろ、もうちょっと胸張ってもいいんじゃないのか?」
「そうか?」
「ああ。それにお前が准尉に昇進したのは、あの籠城事件での活躍が認められたからだろ?」
「…まぁ、そこはな…」
「なんだよ、煮え切らねぇな。まぁ、好き好んでドックに顔出す奴なんてお前くらいだ。
 そんなことより、どうだ?」
 彼はポケットから1枚の写真を出し、それを自慢げにトーマに見せびらかした。
「どうだって、なにが?」
「ああ?よく見ろよ、可愛いだろ?」
「んん?あぁ、確かに可愛い人だとは思うが。誰だ?」
「ニヒヒ、俺の妹だ。今年で成人なんだ、美人だろう」
「ああ、そうだな」
「今度土産持って帰ってやろうと思ってな、何がいいと思う?」

(…バナード…お前は…)

「そうだな、ネックレスとかでいいんじゃないか?」
「ネックレスか…何かもうちょい…」
「じゃあロケットなんてどうだ?」
「ロケットか…いいな、それにするよ」

(…バナード、お前は…それを渡すことは…)

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 そこでトーマは目を覚ました。胸のあたりが妙に苦しく、いやに切なかった。
「…ったく、何なんだ…」
 トーマはみんなを起こさないようにそっと外に抜け出た。寒さは尋常ではないが、パイロットスーツのおかげでそれほどでもない。
 空を仰ぐと満天に星が輝き、まるでそのまま吸い込まれていくような錯覚を覚えるが、それは彼にとって懐かしくもある感覚だった。その時だ。
「うっ…!」
 唐突に頭が痛んだ。偏頭痛のような痛みがジンジンと襲ったが、それはすぐに止んだ。
「…なんだ…高山病?…にしては…」
 少々違和感はあったが、疲れているのだろうと思った彼は再び眠りに就こうと小屋に戻ろうとした。
 戸を開けたとき、ふと震えるトレアが目に映った。

「うぅ…」
「寒いか?」
 そう彼女に声をかけたとき、やっと暖炉の火が消えているのに気付いた。
(これじゃ、寒くて当然か…)
「ちょっと待ってろ」
 トーマは暖炉にくべる薪と火種を、小屋の隅の布の下から取り出そうと彼女を離れた。
 深緑のカバーの下には薪が積まれて、その脇にはマッチの箱もあった。マッチを手に取り中を確認すると、残念なことにマッチは一本も入ってはいなかった。
(おいおい…)
 火をつける手段はないし、かといってトレアを一晩凍えて過ごさせるわけにもいかない。さて、どうしたものか…と思案していると、そう言えばもう1人この寒さに参っている奴がいたことを思い出した。
 ノルヴィがこの寒い中で何ともないわけはない。トーマがふと彼の方を見ると、彼が平気な理由が一目でわかった。
 膝を折り座るようにして眠るミラが、横にぴったりと寄り添って自分とノルヴィの体を同じ毛布でくるんでいるのだ。
 トーマは「ふむ…」と一瞬思案したかと思うと、トレアに近寄った。
「…どうした?」
 小さく凍えた声で訊ねる彼女に、トーマは「ん、いや…」と返すと、壁際にもたれ掛かっていた彼女と壁の間に入って座った。
「え、なっ、えっ?!」
 まるで後ろから抱きかかえられる様な格好になって、トレアは一瞬寒さを忘れた。一方のトーマは平静なまま、パイロットスーツの胸元を肌蹴させた。
「な、なにを…?!」
 そう戸惑うトレアをほったらかして、トーマは自分と彼女を毛布で包んだ。
「いや、スーツ越しだと温かくないかと思って」
 さも自然に彼は言った。トレアを自分にもたれ掛からせ、毛布の端が捲れぬようにトレアを抱きしめる形で腕を交差し、毛布を掴んだ。
「寒くないか?」
「あ…ああ、平気だ…」
 トレアはそう答えながら、足をモジモジと動かした。
(…むしろ…暑いくらい…)

「あ、そういやあの時とは逆だな…」
「え…あの時?」
 トレアはいつのことかすぐに思い出していた。
 バラバラになったあの日の夜、寒さに襲われていたトーマを温めようと同じ毛布に入り、心の内を吐露したあの時。
「ああ、お前が凍える俺の…」
「わあぁ、待て待てッ!い、言わなくてもわかる、わかるから…」
 トーマには見えていないが、トレアの顔は照れ臭さで真っ赤だった。
「…暖かかったよ」
「〜〜〜ッ!」
 トレアはへなへなと2人を覆う毛布に顔をうずめた。
「…お前…私を殺す気か…?」
 彼女は呆れた目で後ろの男を見た。
「ん、どういう意味だ?」
 不思議そうなトーマの顔を見るうちに恥ずかしさがぶり返した。
「…ッ、もういいッ、寝ろっ!」
 トレアはそう言うと頭を毛布の中に隠した。
「…おい、何か怒ってるのか?」
「お、怒ってないッ!この…ろくでなしっ、ひとでなしっ…!」
「…おいおい、やっぱ怒ってるだろ?」
「なぁぁ…怒ってない…」
「…意味わかんねぇぞ?」
 トーマがそう言いながら小首を傾げると、「もう寝る…」とトレアは目を閉じた。
 可笑しそうに笑みをこぼし、彼もまた目を閉じた。

 と、そんな様子をじれったそうに見ている者が2人。
「…ったく…少年、なにやってんだか…」
「ふふふ…やっぱりトレアは可愛いわね、見てて面白いわ」
「…あの様子じゃ進展も思ったほどじゃないねぇ…てか、なんで嬢ちゃんはアプローチかけないわけ?」
「それは多分、どうしてトーマを好きになったか分かってないからよ、うふふ…」
「なにそれ?」
「まぁ、その内解るわよ…」

  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 スプル山を登り始めて7日目の夕暮れ、4人はサウスビレッジに到着した。青々とした草木に懐かしさを抱きつつ、馬車と馬をこちら側の貸馬車屋に返却して今夜の宿を探す。
 村で唯一の宿は、2人の旅人が止まっているだけで部屋は余りあった。
「どうやら、キャスはまだ着いていないようだな」
 剣をベッドの脇に立て掛け、腰を下ろしながらトレアが言う。
「メモによれば、明後日がここで待つ期限よ」
「無事だといいがな…」
「きっとうまくやってるわよ、あの子なら」
 不安げに呟いたトレアにミラが言った。内心、ミラ自身も不安でないことはないが、心配したところでどうにかなる問題でもないというのも事実だった。
 隣の部屋ではノルヴィが久々のベッドを堪能していた。ごろんと寝転がり幸せそうな表情を浮かべている。
 トーマも荷を置き、服をパイロットスーツから着替えベッドに横になった。
 
「ふぅ…とりあえずは体を休められるな…」
「そうねぇ、おっさんの老体には山越えはちと過酷だったかもよ…」
 2人は同時にため息を吐いて、暫く沈黙が流れた。
 そして、不意にノルヴィが訊ねた。
「んで、おめぇさんは平気なのかよ?」
「平気?何が?」
 トーマはノルヴィが何に対して言っているのか、すぐには分からなかった。山越えで疲れていないかという意味なのか、また別のことか。
「調子悪いんだろ、頭痛かなんかで」
 トーマは内心驚いて、苦笑の表情を向けた。
「…あんたはエスパーかよ?」
「んな大したもんじゃないけどねぇ。傍からみてりゃ何となくそんな気はするもんよ?ま、お嬢ちゃんは寒くてそんな暇もないみたいだけどね。
 …で、実際どうよ。今も痛むんだろ?」
 若干声のトーンを落として彼は訊ねた。
「…あんたがたまに只者じゃなく思えてくるよ…。正直、今も痛む…偏頭痛にしてはおかしいし、明日こっそり診療所でも行こうと思ってたんだが…」
 ノルヴィは上体を起こし、ベッドから起き上がった。
「風呂、先に入らしてもらうよ?」
「ん、ああ…」
「…少年、ちゃんとみんなに相談してやれよ?
 でねぇと嬢ちゃんにドヤされるぜ?」
 バスルームに消える間際に、彼はトーマにそう言った。
(…まぁ…それもそうだな)
 トーマはベッドから立ち上ると、隣の部屋に向かった。

「なんでそれを早く言わないッ?!」
 トレアはトーマに詰め寄った。
「あ…いや、すまん…」
「すまんで済むかッ…何かあって手遅れになっていたらどうするつもりだった?!」
「…悪い…」
 申し訳なさそうに目を反らしたトーマにさらにトレアは迫ったが、そんな様子を見かねたミラが仲裁に入った。
「トレア、もうそのくらいでいいんじゃない?」
「ミラ、だが…」
「相談に来てくれただけいいじゃないの。誰にも相談しなかったバカもいることだし…」
 彼女は右の壁に視線を向けて言った。
「? …誰のことだ?」
「いいえ、なんでもないわ」
 ミラはクスッと笑ってごまかした。
「とにかく、明日診療所に行って見たほうがいいわ。今日はもう寝て体を休めましょう?」
「ああ、すまない」
 トーマが部屋を去ると、トレアは大きくため息を吐いた。
「まったく…トーマにも困ったものだ…」
 彼女はそう言いながら、寝るために身に着けたガードをはずし始めた。
「でも、なんだか嬉しそうね?」
「っ…それは…まぁ…頼ってくれたのは…嬉しい…が…
 トレアは照れ臭そうに言った。
「でしょうね。だってチューしそうなくらい迫ってたものねぇ」
「!?」
 その一言でトレアは顔を真っ赤にして、ミラをものすごい勢いで振り返った。
「な、何を言っているんだっ?! そ、そんな、ま、まさか…ちゅッ、チューなんてッ!」
「うふふ、それにこの前だって仲良く一緒に寝ていたし。2人の距離が縮まってるみたいで、私安心したわ♪」
「なっ…なっ…」
 トレアは顔を真っ赤にしてたじろいだ。
「あ、そう言えば『あの時とは逆だな』のあの時って、いつの事かしら?」
「なあああぁぁぁぁ!!??」
 トレアはベッドの中に潜り込んだ。
「あらあら、うっふふふ…」
「……み…見てたのか?」
 トレアは真っ赤な顔をシーツの下から覗かせた。
「ええ♪」
「…ありえないぃ…」

 トレアが恥ずかしさに打ちのめされた次の朝、トーマは村の診療所へ赴いた。
 木造のそれは小さな建物で、いかにも村の診療所と言った趣だ。
 少し軋むドアを開けて中に入ると、看護婦らしきマンドラゴラが出迎えた。
「あ、えっと…今日はどうなさいました?」
 人間で言えばまだ小学生くらいの彼女はたどたどしい態度で訊ねた。
「大したことじゃないが、少し頭痛がするんだ。一応見てもらおうと思ってな」
「はい、え〜と、わかりました。そちらの診察室へどうぞ」
 受付の横の通路を挟んで診察室があり、中へ入るとメガネを掛け白衣を着た中年の男が椅子に座っていた。
「見ない顔だな。旅人か?」
「ええ…」
 男は無愛想な態度でトーマに座れと言わんばかりに椅子を突き出し、向かうデスクの引き出しから少し茶けたカルテの紙を取り出してペンを取った。
「名前は?」
「…トーマ・フェンデル」
 椅子に座ったトーマから名前を聞き、紙に記入した。続けて症状を訊き、それも書き込む。
「…聞くだけじゃ偏頭痛にも思えなくもねぇが、にしては妙だな。今もしてんのか?」
「ああ。3日ぐらい前は一瞬痛むだけだったんだが、昨日今日はずっとだ」
 医者は見当が付いていなさそうに唸ると、「タバコは?」と訊いた。
「吸わない」
「…薬は?」
「まさか」
「じゃあ、他に何か症状はねぇか?」
「いや、なにも…」
 医者はペン先でデスクをトントントンと小突きながら頭を掻いた。
「ん〜…こりゃわっかんねぇなぁ…。魔導都市ならいろいろと機材もあって検査のしようもあるんだが、ここじゃあなぁ…」
 内心医者がそんなこと言っていいのか、と思いつついると、医者はトーマに薬を渡した。
「とりあえず鎮痛剤だ。まぁいろいろ見当つくやつは調べとくから、明日にでも来い」
「…わかった」
 薬を受け取って椅子から立ち上がった時だ、トーマは今までにない激しい頭痛に襲われた。
「うぐっ…」
 思わず薬を落とし、膝を着いて頭を押さえた。痛みは引く様子を見せず、冷や汗が溢れ、終いには視界も揺らんできた。
「おい、大丈夫かッ?!」
 医者も慌てて彼に駆け寄り、様子を窺った。いや、窺ったというより窺うしかできなかったと言うべきか。
「…くっ―」
 トーマはついに意識を失って倒れた。医者も一瞬焦ったが、脈と呼吸があるのを確認して一まずは胸をなでおろした。
「息はあんな…マル、マル!」
「はい、あっ、えっ、ど、どど、どうしたんですかッ?!」
 呼ばれて入ってきたマンドラゴラの彼女はその状況に目に見えて狼狽えた。
「ベッド準備しろ」
「は、はい!」
「あと宿行ってこい、もし連れがいるならわかるだろ」
「わ、分かりました」

 トーマが目を覚ますと、そこは診療所のベッドの上だった。隣にはトレアが付き添っていた。
「目が覚めたか…」
 少し安心した面持ちで彼女は言った。
「ああ、わるい…」
「謝るな…大事に至らなくてよかった」
「どのくらい経った…?」
「半時間ほどだ。看護婦が宿に来たときは驚いたぞ…」
 トーマは体を起こそうとしたがうまく力が入らない。
「動くな、今はまだ鎮痛剤が効いているんだ…」
「…そうか」
「…今先生がいろいろ原因を当たっているが、まだかかりそうだ。ミラとノルヴィももうすぐ来るだろう」
 トーマは目線を落とし、申し訳なさそうな顔をした。
「すまない、もう少し早く言うべきだった…」
「いや、私たちこそ気付いてやれなくてすまん」
 その時、病室のドアが開き、ミラとノルヴィが入ってきた。
「少年、大丈夫?」
「ああ…2人ともすまない」
 トーマが起き上がろうとすると、トレアは手を貸そうとした。「ありがとう、大丈夫だ…」と何とか力の入らない体を無理矢理起こすと、彼はため息を吐いた。
「いいのよ。今はどう?」
「鎮痛剤が効いてるらしい。おかげで体に力が入らないよ…」
 トーマは苦笑しつつ答えた。
「あらあら…」
 ミラは安心して笑みをもらした。
 またドアが開き、今度は医者と看護婦が入ってきた。
「おう、起きたか」
「すまない、突然倒れて…」
「いや、気にするな。ベッドはいくらでも空いてる。どんだけ倒れてくれてもかまわねぇぞ」
「おいおい…」
 トーマはまた苦笑いを浮かべた。
「先生、それでトーマの頭痛の正体は?」
 トレアが立ち上がり、向き直って訊ねた。
「…いや、すまない。正直お手上げだ。寝ている間に少し血を失敬して大まかに調べてみたが、特に変わったところもない」
「…ごめんなさい」
 マンドラゴラは申し訳なさげにうつむいた。
「いや、気にしないでくれ」
 トーマはうな垂れるマンドラゴラを見て言った。
「一応また調べては見るが、今日のところは退院してくれて構わない。また何かあったらすぐ来てくれ」
「ああ…」

 返事をしたトーマの視線が、風が窓の隙間から吹き込んだ時に不意に斜め向かいのベッドに向いた。
 カーテンがベッドを囲っていたが、隙間が空いていて中の様子が少し窺えた。何がということもないが、単に気になったのだ。
 そんな彼の様子に気付いたのか、医者が話し始める。
「あの患者は一カ月近く前にこの診療所に担ぎ込まれたんだ。近くの川の岸に倒れていたらしくてな。ずっと意識を失ったままだ」
 話を聞きながらぼおっと凝視していたトーマに「なんだ、気になるのか?」とトレアが訊ねる。
「いや、なんなんだろう…」
 彼自身も何かが引っかかっていたのだが、まだ何に引っかかっているのか解っていなかった。
 その時、一陣の風が鍵の開いていた窓を押し開けて部屋の中に吹き込んだ。
 カーテンが煽られ隙間が広く開き、中が明確に窺うことができた。
 トーマはその時見たものに驚きを抱いた。
「おい、トーマ…?」
 まだ動きの鈍い体で突然ベッドから立ち上がり、彼はその斜め向かいのベッドに歩み寄りカーテンを開けた。そしてベッドの横のデスクに置かれた物を手に取った。
「…まさか…」
 引っかかったのは、そよ風が吹き込んだ時に一瞬これが見えたからなのか、と納得した。そして間近で見て、彼は確信した。これは、この『ヘルメット』は、故郷の世界で未だに多く流通しているものだと。
 トーマの目はベッドに眠る短いブルーネットの髪をした女性に向けられた。
 そのとき、この女性に会うのは初めてでないような、妙な感じがした。だが、どこで会ったのか思い出せない。あるいは、思い違いかとも思った。
 3人にもトーマの手に取られているそれを見て、そこから行き着く答えを悟った。
「トーマ、それはもしかして…」
「…俺の世界のものに間違いない。つまり、彼女は俺と同じ世界から…」
 そう彼がつぶやいたとき、彼女の瞼がゆっくりと開かれた。

 彼女の瞳は虚ろ気にトーマへと向いた。

12/08/05 23:18更新 / アバロンU世
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