The Marriage of Figaro
軋んだ音とともに鉄の扉が開かれた。
「出ろ。時間だ。」
看守の声に呼応して私はゆっくりと立ち上がり、後に続いて牢獄を出る。
扉をくぐる直前、振り向いて中を見渡した。
元々手入れもろくにされていなかった牢獄は、あの日よりさらに汚れていた。鉄格子は錆にまみれ、床は石畳が幾つか割れて凹凸を作っていた。決して清潔な空間とは言い難かったが、あれほど長く居ると、こんな牢獄の壁のヒビ一つにさえ愛着を感じるようになってしまった。
20年。最初に告げられたときは短過ぎると思ったが、実際に過ごしてみれば存外長かった。
「ねぇ、方向が逆じゃないのかしら?
出口はこっちよ。」
看守の進む方向がどうにもおかしい。外に出る道は東の通路なのだが、私たちが今歩いているのは北通路だ。
「黙って歩け。」
私に巻かれた腰縄を引っ張り、看守はただ黙々と通路を進む。
途中で誰かとすれ違うたび、侮蔑と殺意の篭った眼差しを向けられた。見覚えのある顔も、そうでない顔もあった。
私はそれだけのことをしたのだ。20年たとうが100年たとうがその事実は変わらない。
今度は上へ昇る階段が続いている。
階段を登り、絨毯の敷かれた廊下を抜けると、一つの扉の前で看守が止まった。
私の腰縄と手錠が外される。私にその意図はわからない。
「入れ。」
「え?」
「いいから入りなさい!」
看守が扉を開け、ねじ込むように私を室内へと入れる。そして、そのまま扉を閉めた。
そのまま外から閂をかけられ、私は閉じ込められた。
扉の向こうから足早に立ち去る看守の足音が聞こえる。
一抹の期待を込めて扉を掴むが、案の定、扉は押せども引けどもびくともしない。どうやら部屋の奥に進むしかないようだ。
「全く.....。」
奥に進むと、再び扉があった。扉には扉輪を咥えた立派な龍の彫刻があしらわれている。
嫌な予感しかしなかったが、私はため息と共に真鍮の輪を掴んで扉を叩く。
「待っていたわ。入りなさい。」
予想内の女の声。
扉を開け、中に入った。
机と椅子だけの殺風景極まりない部屋に連れて来られた。
椅子にはかつての上司が全く変わらない姿で座っている。
「刑期終了ね。御勤め御苦労様。」
煙管を吹かし、煙を燻らせながら龍神は私に椅子に座るよう促した。
「20年を牢獄で過ごした感想は?」
「長かった。」
「そう。罪を償えたと思う?」
「償い.....ね。」
椅子に腰を下ろし、膝の上で手を組んで考えた。
「あの子が大人になるまで、私が育てて、守って、そしてその後で、死ぬ。
.....それがあの子を引き取ったときに決めた償い方だった。」
龍神は煙管を口から離し、吸殻を落として私に向き直る。
「でもあの子との生活は私が壊した。
貴方が死ぬことはあの子自身が許さなかった。
その償い方は叶わなかったわね。」
「償いって....なんなんでしょうね?
人を殺して、傷つけて、騙して.....。」
「後悔している?」
「しない日なんか無かった。あの子の両親を殺した日から。
あの子の両親に謝りたいけれど、もう叶わない。
あの人たちは最期にあの子を頼むと言った。
あの子を助けたら許してくれると。
今ならわかるわ。
あのときの私は.....許されたかったのよ。
人を殺して、殺したあとで後悔して、出された逃げ道に逃げ込んだ....。
それが償いになると信じてね。
償い方なんて、初めから存在しないのに。
背負った罪からは逃れられない。
どれだけ牢獄に入っても、
どれだけ生きても、
死んでも!
罪を償えたか?
.....そんな問いに、答えなんて存在しないわ。
さっさと私を牢獄に戻しなさい。
それとも、部屋の外で殺気立ってる奴らに私を喰わせる?」
「あら、気づいていたのね。
あの子たち、どうあっても貴方を許せないそうよ。
貴方を殺すって聞かなくてね。
あのまま釈放しても、恐らく5秒と経たずに貴方は殺されてたわね。」
「どうするの。牢獄に戻す?奴らに殺させる?
それとも貴方自身が手を下すのかしら?」
「.....そうね、そうしようかしら。」
龍神が立ち上がり、宝玉を宙に浮かべる。
龍神の唱える呪禁に呼応して宝玉が光を帯びる。
部屋がガタガタと震え、床が激しく軋んだ。
光は目も眩むばかりに増大していく。この光に焼かれれば、私は痛みすらなく消滅するだろう。
部屋が白く染まる。まるで極小の太陽のようだ。何も見えなくなる。
光が膨らみ、
炸裂し、
爆ぜた。
「どういう.......つもり.....?」
轟音と共に光は爆ぜた。しかし、私は死んでいなかった。代わりに龍神の背後の壁が跡形もなく消滅し、向こうの山が大きく抉り取られていた。
「釈放よ。いきなさい。」
龍神がまるで飼い猫を追い払うような仕草で手をヒラヒラと振る。
「これだけ派手にやれば、あの子達は貴方が死体も残らず消し飛んだと思うわ。
この穴から出なさい。
あぁ、あと忘れるところだったわ。
これを持っていきなさい。餞別よ。」
龍神が何か袋を投げて寄越した。
開けてみると、新しい着物と幾らかのお金。それと一枚の紙切れ。
「これは....。」
「ほら、さっさと行く!!
二度も戻ってくるんじゃないわよ!!!」
私が返答する間も無く、宝玉が勢い良く私の尻を突き飛ばす。
絶叫と共に私は焼け焦げた穴から落下した。
振り向きざま、私は龍神の顔を落下しながら見つめる。
龍神が何か呟く。言葉は発さなかったが、私には何を言ったのか分かった。
水飛沫とともに、私は真下の湖に落下した。
ずぶ濡れになりながら岸にたどり着くと、受け取った着物に着替えた。
藪を抜けて暫く歩けば、街に着くはずだ。
藪に入る刹那、私は龍神の最後の言葉を思い出す。
振り向き、深々と頭を下げる。当然、返答など帰ってこない。しかし、城壁の大穴の奥で、何かがキラリと光った気がした。
「 『幸せになりなさい。馬鹿弟子』......か。
貴方も、....馬鹿師匠.....。」
馬車に揺られ、私は夕暮れの峠を越える。20年経っても、ここの風景は何一つ変わっていなかった。
「お姉さん、こんな山奥まで、一体なんのようだい?
もしかして、コイツかい?」
馬車を操る老人が、意味ありげに小指を立てて笑う。日に焼けた浅黒い肌に、皺が広がった。
「ええ、昔暮らした人と、それと娘に会いに....。」
「なんだぁ、子持ちかいあんた。まぁ、こんなベッピンさんなら当然か。
娘さんも美人だろうに?」
「さぁ、赤ん坊の頃しか知らなくて。ずっと離れていたので...。
.....もしかしたら、会いたくなんてないかもしれない。」
「.....そんなこたァねェよ。母ちゃんに会いたくねぇ子供なんているもんかいね。
ほれ、着いたぞ!」
馬車はあの丘の真下で止まった。
「ん?なんか良い匂いがすンなぁ。」
「ビーフシチュー.....。」
「ん?」
「手紙に....書いてあったんです.....。
ビーフシチュー......作って.....待ってるって.....。」
「....そうか...ええ旦那さんじゃ。じゃあ、達者でのう。」
「ええ。本当に....ありがとうごさいます。」
馬車が引き返していく。私は丘を登る。やがて、小さな家が見えて来た。吹き飛んだはずの二階は綺麗に修繕されて見違えるように綺麗になっていた。
その二階から伸びる煙突から、良い香りが漂って来た。
窓ガラスの向こうから、二人の男女が見えた。男の方は最後に見たときから随分と背が伸びたようだ。それはもう、遠目でも分かるくらいに。
女の方は白い髪に白い肌で、目元が男の方にそっくりだった。
「.......あ...」
私に気がついたのか、二人が扉から出て来た。二人はどんな表情なのだろうか。驚いているのか、喜んでいるのか。それとも、泣いているのだろうか。
滲んだ私の目には、わからなかった。
「出ろ。時間だ。」
看守の声に呼応して私はゆっくりと立ち上がり、後に続いて牢獄を出る。
扉をくぐる直前、振り向いて中を見渡した。
元々手入れもろくにされていなかった牢獄は、あの日よりさらに汚れていた。鉄格子は錆にまみれ、床は石畳が幾つか割れて凹凸を作っていた。決して清潔な空間とは言い難かったが、あれほど長く居ると、こんな牢獄の壁のヒビ一つにさえ愛着を感じるようになってしまった。
20年。最初に告げられたときは短過ぎると思ったが、実際に過ごしてみれば存外長かった。
「ねぇ、方向が逆じゃないのかしら?
出口はこっちよ。」
看守の進む方向がどうにもおかしい。外に出る道は東の通路なのだが、私たちが今歩いているのは北通路だ。
「黙って歩け。」
私に巻かれた腰縄を引っ張り、看守はただ黙々と通路を進む。
途中で誰かとすれ違うたび、侮蔑と殺意の篭った眼差しを向けられた。見覚えのある顔も、そうでない顔もあった。
私はそれだけのことをしたのだ。20年たとうが100年たとうがその事実は変わらない。
今度は上へ昇る階段が続いている。
階段を登り、絨毯の敷かれた廊下を抜けると、一つの扉の前で看守が止まった。
私の腰縄と手錠が外される。私にその意図はわからない。
「入れ。」
「え?」
「いいから入りなさい!」
看守が扉を開け、ねじ込むように私を室内へと入れる。そして、そのまま扉を閉めた。
そのまま外から閂をかけられ、私は閉じ込められた。
扉の向こうから足早に立ち去る看守の足音が聞こえる。
一抹の期待を込めて扉を掴むが、案の定、扉は押せども引けどもびくともしない。どうやら部屋の奥に進むしかないようだ。
「全く.....。」
奥に進むと、再び扉があった。扉には扉輪を咥えた立派な龍の彫刻があしらわれている。
嫌な予感しかしなかったが、私はため息と共に真鍮の輪を掴んで扉を叩く。
「待っていたわ。入りなさい。」
予想内の女の声。
扉を開け、中に入った。
机と椅子だけの殺風景極まりない部屋に連れて来られた。
椅子にはかつての上司が全く変わらない姿で座っている。
「刑期終了ね。御勤め御苦労様。」
煙管を吹かし、煙を燻らせながら龍神は私に椅子に座るよう促した。
「20年を牢獄で過ごした感想は?」
「長かった。」
「そう。罪を償えたと思う?」
「償い.....ね。」
椅子に腰を下ろし、膝の上で手を組んで考えた。
「あの子が大人になるまで、私が育てて、守って、そしてその後で、死ぬ。
.....それがあの子を引き取ったときに決めた償い方だった。」
龍神は煙管を口から離し、吸殻を落として私に向き直る。
「でもあの子との生活は私が壊した。
貴方が死ぬことはあの子自身が許さなかった。
その償い方は叶わなかったわね。」
「償いって....なんなんでしょうね?
人を殺して、傷つけて、騙して.....。」
「後悔している?」
「しない日なんか無かった。あの子の両親を殺した日から。
あの子の両親に謝りたいけれど、もう叶わない。
あの人たちは最期にあの子を頼むと言った。
あの子を助けたら許してくれると。
今ならわかるわ。
あのときの私は.....許されたかったのよ。
人を殺して、殺したあとで後悔して、出された逃げ道に逃げ込んだ....。
それが償いになると信じてね。
償い方なんて、初めから存在しないのに。
背負った罪からは逃れられない。
どれだけ牢獄に入っても、
どれだけ生きても、
死んでも!
罪を償えたか?
.....そんな問いに、答えなんて存在しないわ。
さっさと私を牢獄に戻しなさい。
それとも、部屋の外で殺気立ってる奴らに私を喰わせる?」
「あら、気づいていたのね。
あの子たち、どうあっても貴方を許せないそうよ。
貴方を殺すって聞かなくてね。
あのまま釈放しても、恐らく5秒と経たずに貴方は殺されてたわね。」
「どうするの。牢獄に戻す?奴らに殺させる?
それとも貴方自身が手を下すのかしら?」
「.....そうね、そうしようかしら。」
龍神が立ち上がり、宝玉を宙に浮かべる。
龍神の唱える呪禁に呼応して宝玉が光を帯びる。
部屋がガタガタと震え、床が激しく軋んだ。
光は目も眩むばかりに増大していく。この光に焼かれれば、私は痛みすらなく消滅するだろう。
部屋が白く染まる。まるで極小の太陽のようだ。何も見えなくなる。
光が膨らみ、
炸裂し、
爆ぜた。
「どういう.......つもり.....?」
轟音と共に光は爆ぜた。しかし、私は死んでいなかった。代わりに龍神の背後の壁が跡形もなく消滅し、向こうの山が大きく抉り取られていた。
「釈放よ。いきなさい。」
龍神がまるで飼い猫を追い払うような仕草で手をヒラヒラと振る。
「これだけ派手にやれば、あの子達は貴方が死体も残らず消し飛んだと思うわ。
この穴から出なさい。
あぁ、あと忘れるところだったわ。
これを持っていきなさい。餞別よ。」
龍神が何か袋を投げて寄越した。
開けてみると、新しい着物と幾らかのお金。それと一枚の紙切れ。
「これは....。」
「ほら、さっさと行く!!
二度も戻ってくるんじゃないわよ!!!」
私が返答する間も無く、宝玉が勢い良く私の尻を突き飛ばす。
絶叫と共に私は焼け焦げた穴から落下した。
振り向きざま、私は龍神の顔を落下しながら見つめる。
龍神が何か呟く。言葉は発さなかったが、私には何を言ったのか分かった。
水飛沫とともに、私は真下の湖に落下した。
ずぶ濡れになりながら岸にたどり着くと、受け取った着物に着替えた。
藪を抜けて暫く歩けば、街に着くはずだ。
藪に入る刹那、私は龍神の最後の言葉を思い出す。
振り向き、深々と頭を下げる。当然、返答など帰ってこない。しかし、城壁の大穴の奥で、何かがキラリと光った気がした。
「 『幸せになりなさい。馬鹿弟子』......か。
貴方も、....馬鹿師匠.....。」
馬車に揺られ、私は夕暮れの峠を越える。20年経っても、ここの風景は何一つ変わっていなかった。
「お姉さん、こんな山奥まで、一体なんのようだい?
もしかして、コイツかい?」
馬車を操る老人が、意味ありげに小指を立てて笑う。日に焼けた浅黒い肌に、皺が広がった。
「ええ、昔暮らした人と、それと娘に会いに....。」
「なんだぁ、子持ちかいあんた。まぁ、こんなベッピンさんなら当然か。
娘さんも美人だろうに?」
「さぁ、赤ん坊の頃しか知らなくて。ずっと離れていたので...。
.....もしかしたら、会いたくなんてないかもしれない。」
「.....そんなこたァねェよ。母ちゃんに会いたくねぇ子供なんているもんかいね。
ほれ、着いたぞ!」
馬車はあの丘の真下で止まった。
「ん?なんか良い匂いがすンなぁ。」
「ビーフシチュー.....。」
「ん?」
「手紙に....書いてあったんです.....。
ビーフシチュー......作って.....待ってるって.....。」
「....そうか...ええ旦那さんじゃ。じゃあ、達者でのう。」
「ええ。本当に....ありがとうごさいます。」
馬車が引き返していく。私は丘を登る。やがて、小さな家が見えて来た。吹き飛んだはずの二階は綺麗に修繕されて見違えるように綺麗になっていた。
その二階から伸びる煙突から、良い香りが漂って来た。
窓ガラスの向こうから、二人の男女が見えた。男の方は最後に見たときから随分と背が伸びたようだ。それはもう、遠目でも分かるくらいに。
女の方は白い髪に白い肌で、目元が男の方にそっくりだった。
「.......あ...」
私に気がついたのか、二人が扉から出て来た。二人はどんな表情なのだろうか。驚いているのか、喜んでいるのか。それとも、泣いているのだろうか。
滲んだ私の目には、わからなかった。
14/08/03 09:04更新 / 蔦河早瀬
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