God Save The Qeen
水を頭からかけられ、私は脳を覚醒させる。白い着物が濡れて体にへばりついた。身体が段々と機能を取り戻して行く。ぼやけた視界が晴れ、辺りを見渡した。冬を越した蟷螂の卵が天井の隅にへばりついている。
薄暗く、汚い石造りの部屋。積もり積もった埃が、この牢屋が何年も使われていなかったことを示している。尾先を動かすと、その後から灰色の石畳が顔を出した。首と手を固定している鉄製の拘束具に刻まれた術式が、私に一切の呪術の使用を禁じている。
首の拘束具が石壁と一体化しており、頭を僅かに左右に向けるのがやっとといったところだった。視力を取り戻した私の眼は自然と前、即ち鉄格子の向こう側に向けられる。
蝋燭の照らす構内に、私と同じ白蛇の侍女に連れられてあの子が立っていた。私の鱗に覆われた下半身を見て、驚いたようだった。そういえば、この姿を見せるのは初めてだった。
あの子がここにいるということは、おおよその事情はすでに知っているのだろう。私が何をやったのかとなぜそうしたかの理由は、私とレーヴィの事を調べれば、辿り着くことはそう難しい事ではないはずだ。
思い描いていた筋書きとは少々展開が異なるが、予想の範疇だ。あとは最後の仕上げだけ。私はあの子を真っ直ぐ見つめ、口を開いた。
「...騙された気分はどう?」
私は口角を持ち上げ、残忍な作り笑いを顔面に貼り付けた。
「え.....?」
「分かってないの?
全くあんたって最高に笑える餓鬼ね?
私の目的は復讐よ。龍神から聞いたでしょう?私の親友を殺したあんたの親に対する復讐。
悪い事をしたら報いを受けるのは当然でしょう?だから私はあんたの親父に同じ目に合わせてやったのよ。面白かったでしょう。人間が泥みたいにどろどろ溶けちゃってさァ!
おまけに死ぬ間際に子供は助けてやってくれ〜だもん。傑作よ傑作。あんたにも聞かせてあげたかったわ!!」
私の掠れた喉から発せられた言葉のナイフが、あの子の心を切り刻み、悲痛にゆがませて行く。黙れと侍女の白蛇が叫ぶが、それを無視した。
「うそ、だよね.....?どうしてそんなうそつくの?
だって、いつもはもっと優しくて......。」
「だから、それが演技だったって言ってるのよ!あんたはまんまとだまされて親の仇の私に飼われてたってわけ!」
「やめてよ、いつもはそんなんじゃないよ?」
「煩い!!ムカつくのよ!!!!」
私の怒声に、あの子は思わず侍女の着物の裾を握る。
「毎日毎日私をいやらしい目付きで見つめやがって!!親子揃って最低な人間よあんたらは!
ちょっと相手してやったらお姉ちゃんお姉ちゃんって馬鹿みたいに甘えちゃってさぁ?本当に気持ち悪かったわ。
さっさとあんたも殺してやろうと思ってたのに、まさか見つかっちゃうとはねぇ....。
あーあー、残念.....。!!!?」
汚い言葉を吐きつらねる私の口が、突然呼吸できなくなった。ポロポロと涙を流すあの子の側で、侍女の白蛇が呪禁を唱えている。
首の拘束具がきりきりと私の喉を万力のように締め上げた。蛙を踏み潰したような声が泡と一緒に喉から絞り出させる。
侍女が阿婆擦れだの屑だのと罵声を浴びせながらあの子を連れて階段を上がり、出て行った。乱暴に扉が閉められる。
術者が遠ざかったことで拘束が緩み私は荒い息をしながら俯くが拘束具が邪魔でうまく頭を下げられず、そこに顎を置くような姿勢で呼吸を整えた。きりきりと胸が痛み、頬に塩辛い水が伝う。何をやっているんだ私。こんなところでへこたれている暇はない。
「大変ねぇ、悪女を演じるのって。」
階段からするすると鱗に覆われた蛇腹が滑り降りてくる。白蛇ではない。今、二番目に会いたくない人だ。
「お久しぶりねぇ。一年振りかしら?」
翠色の着物に包まれた紫髪を持つ魔物だ。下半身だけでなく、両腕も鱗に覆われた身体。傍らに黄金色の玉が浮かんでいる。
この城の主、龍神。魔力と権力を合わせ持つここら一帯では正に神にも等しい存在だ。
「何の話.....ですか?」
そして、私が最も苦手な相手だ。目一杯の憎悪を込めてかつての上司を私は睨みつけた。
「とぼけちゃあダメよ。貴方の今の目的は復讐なんかじゃない。あの子の身の保証でしょう。」
「意味がわかりません。あの餓鬼も私にとっては復讐の対象。それ以上でも以下でもない。」
吐き捨てるように呟く私の台詞を、龍神は鼻で笑い飛ばした。
「貴方の今の言動のお陰で、身寄りのないあの子はこの城で大きな同情を買ったわ。
恐らく、此処でなに不自由ない生活が出来る。
そうして大人になった彼は、貴方以外の誰かと幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
.....貴方の描いた筋書きは、こんなところかしら?」
「...........」
やはりこの人は嫌いだ。美しい表情で人の弱みをねちねちとほじくる。こんな嫌味な性格をしているから行き遅れるのだ。
「罪滅ぼしのためとはいえ、健気ね?
でも、このままじゃあの子はどうやったって幸せにはなれないんじゃない?
だってあの子は貴方が大好きなんだから。」
鱗に覆われた指でつつと檻をなぞり付着した埃を見て眉を顰めながら
、世間話しをするような調子で私に語りかける。
「私が貴方たちをここまで連行してきたときのやり取りから、貴方たちが特別な関係なのは分かってるわ。
罪悪感か使命感かは知らないけれど、貴方はあの子をとても大事にしてきた。
いつしか恋愛感情を含んだ肉体関係を貴方たちは持つようになった。」
「それは.....ただの、仮説ですよね?」
「ええ、単なる仮説よ。当たってないことを祈るわ。
これがあの子の幸せを願って練った計画だとしたら、ほぼ間違いなく頓挫することになるから。」
「....どういうことですか?」
私の中に僅かな動揺を感じ取ったのか、龍神はほくそ笑む。
「貴方はあの子と寝たんでしょう?
白蛇という生き物の嫉妬深さは筋金入りよ。理性でどうこうできるものじゃないわ。
あの人間を殺したこともそう。
貴方の愛しい魔女と彼が交わったことに対する嫉妬が無かったとは思えないわ。
そんな貴方が一度執着した人間を諦めるなんて不可能よ。
あの子が他の女と暮らすようになったら貴方はまた嫉妬に狂うわ。あの子に染み込んだ自分の魔力を暴走させて、自分以外で交わっても快感を得られない身体に変えてしまう。」
「.......あなたは頭の切れる人だと思っていたけれど、案外そうでもなかったのですね?」
「......何ですって?」
形の良い眉がピクリと動き、瞳孔を細めて私を睨めつける。どうやら私は最強の魔物の自尊心を大きく損ねたようだ。
「......前提がまず間違ってますよ。
それは、私の魔力があの子の中で生きていればの話でしょう?」
龍神は一瞬何を言っているのか分からない様子だったが、直ぐに察したようだ。私を恐ろしいを見るような目で見る。
「まさか、貴方!?なんて.....なんてことを考えるの?
死ぬ気なの?このまま黙って裁かれて、殺されるつもりなの!?」
「さっきあなたが仰った通り、あの子が此処で安全に暮らして大人になったとしても、あの子が誰かの一緒になるときに私が障害となってしまうかもしれない。それならば......」
私は既に二人の人間を殺めている。それに加えて先程の発言で私の印象は今や最低最悪だ。同情酌量の余地もなく、極刑は最早免れなくなった。
あの子も私を大嫌いになっただろう。大好きだった優しい『お姉ちゃん』に裏切られて、私はあの子の中で完全な悪女となり、死んでも悲しまれなくなった。むしろ、死んでくれたほうがせいせいするかもしれない。
そうして私の命の火が消えれば、あの子の中に残った私の魔力も、私への恋慕ごと消えてなくなる。
「貴方は....自分の命さえ道具にするつもり!?
あり得ないわ!大事なものに憎まれるために死ぬなんて!!考えられない!!
やめなさい!!さもないと....」
「さもないとあの子に計画をばらす.....ですか?
そんなことをしても、あの子が傷付くだけですよ。親の仇が自分を幸せにしようとしているなんて、知らない方がいい。
もしそんな真似をしたなら、
どんな手を使ってでもあなたを殺してやる!」
機からみれば拘束された状態でよくそんな口が叩けたものだと思われるだろうが、そんなものは関係ない。腕が縛られたのなら、この手首を斬り落とそう。首が拘束されたのなら、そんなものくれてやる。あの子の幸せを邪魔するものは、誰だろうと容赦しない。
「そんなの勝手よ.....!そんなのって.......!
その前に.....謝って、許してもらって....」
「...許される?....私が?
あの子にあれだけのことをしておいて、許されるだなんて.....!
私はそこまで傲慢になれない。
私は、.......あの子が好きです。幸せになってほしい。
だから私は悪人として死ななくてはいけないんです。
あの子のお姉ちゃんのまま死んだら、あの子...もう.......壊れちゃう。」
優しいんだ。あきれ返るほどに。優しくて、甘えん坊で、とても寂しがり屋な私の大好きな男の子。男嫌いの私に初めて恋をさせてくれた。贖罪のつもりだったあの子との生活が、いつしか私にとってかけがえの無いものになっていた。
いつの間にか、龍神が檻を開けて中に入ってきていた。鱗と爪のついた指で私の頬を拭う。指先に塩辛い水滴が付着した。
私は泣いているのか。もう泣かないと決めたはずなのに、駄目だ。止まらない。
「龍神....さま、お願いです。私はどうなってもいい。だから、あの子を.....!
......優しい子なんです。私みたいな女を好きになってくれて、生き直させてくれた....!
どうか、あの子だけは......幸せにしてあげてください。」
龍神は何も言わず、再び檻を閉めて出て行った。
そうして一人私は牢屋に取り残された。止められない嗚咽が、石室に響き渡る。
鎖に繋がれた腕で床を殴りつけた。鈍い音が響き、ざらついた石が皮膚を破って床に赤いシミを作る。こんなやり方が間違っていることくらい、分かっている。私は、またあの子を傷付けた。
「......ごめんね.....。酷いことをたくさん言ってしまって.....。......私、馬鹿だからこんなやりかたでしかあなたに償う方法を知らないの。」
私の脳裏に、過ごした一年間が走馬灯のように駆け巡る。あの子の見せてくれた様々な表情と私にくれた感情の全てが、愛しい。なにものにも代え難い時間だった。心の何処かで、それがずっと続けばと願ってしまっていた。
「...言えないよ.....。ずっと一緒にいたいなんて......。」
思わず漏れた声は、震えていた。
本当は、死ぬのが怖くてたまらない。離れるのも嫌だ。でもそんなもの、望んではいけないのだ。身勝手な欲望を押し殺すために、唇を噛む。私の口内に鉄の味がひろがった。
許されない想いを胸にしまって、私は目を瞑った。しかし、私の想いはあの子に伝わってしまっていた。あの扉の向こうで小さな背中が私の慟哭を聞いていたことを、私は知らなかったのだ。
14/03/11 17:47更新 / 蔦河早瀬
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