連載小説
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13「ゆにぴょい伝説(後編)」
 明緑館学園撫子寮、朝──

「んっ、ふあ……っ」

 身体の構造上横向きの姿勢で寝ていたケンタウロス種ユニコーン娘アイリは、目覚まし時計の音にウマ耳をピクリと動かし、ベッドの上で半身を起こした。
 鳴り続けるそれのてっぺんを軽く叩いて音を止める。最初は違和感をおぼえていた電子音やデジタル表示にも、すっかり慣れてしまった今日この頃。

「…………」

 そのまましばし寝ぼけまなこで頭をゆらゆらさせ、ぼーっとしていると、頭の上からルームメイトの間延びした声がかかった。

「おはようさんどすえ〜」
「あ……おはよう、ござい、ますぅ……ん……」
「ほら、二度寝したらあきまへんえ、アイリはん」
「んぁ……、はい、そう……です、ね──」

 今日も人化して学校行くんやし早よ用意せんと……と言いながら、天井にぶら下げられたハンモックを揺らして滑り降りてくるアラクネ娘のヤヨイ。アイリも首を振って眠気を振り払うと、広めのベッドに横たえていた馬体を起こして立ち上がった。
 ナイティを脱いで全裸になる。二人は各々の机の上に置いてある腕輪を手首にはめて、互いに向かい合った。
 アラクネとユニコーン、どちらも下半身が大きいので部屋が狭く見える。そんな二人が何故一緒の部屋なのかというと、ひとえに寝場所を考慮したためだ。
 ヤヨイがアラクネの習性?で天井近くにお手製のハンモックを張って寝ることにしたため、その結果アイリは二人分の──馬体を横にするのに充分なベッドスペースを確保することができ、同室が決まったのである。

「ほな、いきますえ」
「は、はぁい……」

 バフォメット娘カナデが設計し、サイクロプス娘ホノカが作った魔力循環器──人化維持の腕輪。
 その表面に彫刻された魔力ラインに虹色の光が奔った。消費した魔力は昨日ひと晩で再充填済み。意図して外さない限り、ほぼ一日ヒトの姿を保つことができる。

「魔の力よ、我が身を凡百たるヒトの姿に変えたまえ……どすえ♪」

 などと必要のない呪文?を唱え謎ポーズをきめておどけるアラクネ娘に、思わず吹き出しそうになる。
 ルームメイトがヤヨイでよかった……そう思いながらアイリは目を閉じて、腕輪を起点に人化の魔法を自身にかけた。

「あ、んんっ……」「んっ、ふあぁ……」

 それぞれの足元に魔法陣が展開し、回転しながら下半身を包み込むようにせり上がっていく。放つ光の中でヤヨイの八本のクモ脚が、アイリの四本のウマ脚がヒトの二本脚に置き換わり、へそから下のシルエットもヒトのそれに変化した。
 お尻に身を押し込められるような感覚も一瞬。本来の下半身にあった質量はディラックの海にでも投棄されたのだろうか……そして役目を終えた魔法陣が光の粒になって飛び散り、消失する。
 ヤヨイとアイリは、ふっと息を吐いて目を開いた。

「特に問題なさそうどすなぁ」
「そうですね」

 腕輪を使い出して二日目。腰を捻って人間体に変化した自分の身体をチェックして、微笑み合う。
 姿勢よし、バランス感覚よし、違和感なし……さあっ、今日も一日がんばろうっ。

「あ、せやせや、ゆうべイツキはんとリッカはんが、朝の間に顔出してほしいって言うてたどすえ」
「え? 何それ聞いてないです……」

 ブラジャーのホックを背中で留めながら、ユニコーン娘はルームメイトの言葉に首を傾げた。



「今までは身体が大きくここで動きにくいこともあって免除していましたけど、今日からは皆さんにも食事当番のローテーションに入ってもらいますね♪(にっこり)」
「わたくしとイツキさんがしっかりきっちりフォローいたしますので、心配ご無用ですわ〜♪(にんまり)」
「「「…………」」」

 メイドコンビ──キキーモラ娘イツキとショゴス娘リッカにそう宣言され、アイリとヤヨイ、そして一緒に呼ばれたバジリスク娘リコの三人(全員人化中)は「あー」と一斉に嘆息して、キッチンの天井を見上げた。

 さらば、上げ膳据え膳の日々よ……



「……ん? ワシらの世界の医療技術じゃと? はっきし言ってこっちの世界とたいして変わらんが? 生薬だけじゃなく抗生物質とかも使うし、消毒や麻酔、注射や点滴、開腹手術なんぞも当たり前じゃぞ──」



 昼休み、高等部一年B組の教室。
 校長室に呼び出されていたヴァルキリーのルミナが、その顔に何やら複雑な表情を浮かべて戻ってきた。

「なんだったの? 校長先生の話って」
「きししっ、ま〜たどっか出禁になったのかぁ?」
「やかましいっ」

 文葉の問いかけに乗っかってからかってくるヒトツ目ゲイザー娘のナギを睨みつけ、フンと鼻を鳴らして目をそらすと、「……あーはなはだ不本意ではあるが、放課後しばらくの間、D組にいるユニコーンの身辺警護をすることになった」

「なんだそりゃ?」

 戦天使が魔物娘の警護? ナギは驚きに単眼を瞬かせた。
 「監視」ならまだ分かる……いやいや、D組のユニコーン娘──アイリは人畜無害が服を着たようなタイプ。元いた世界で「童貞さんが〜童貞さんが〜」とうわ言をつぶやき血走った目で男漁りしている同族(の一部)みたいな真似をしたなんて聞いたこともないし、そもそも想像できない。

 ──もしそうだったとしたら、とっくに誰かが食われてる≠謔ネ。

 隠れバーバリアンなどと、口さがない連中に揶揄されることもあるケンタウロス種。ちらっとそんなことを思うナギの隣で、文葉が声を落としてルミナに尋ねた。

「あ、もしかしてまたアイリに病気治してくれって、しつこく言ってくるヒトがいるとか?」
「い、いや、校長先生からは特に何も言われなかったが──」
「聞けよ。大事なことだろが」
「…………」

 ゲイザー娘の至極真っ当なツッコミに、言葉を一瞬途切れさせるルミナ。
 片目をつむってわざとらしく咳払いすると、

「いや、まあ、と──とにかくそういうことになったから、えーっとフミハ、学園の外に出るときは、また付き添いを頼む」
「はいはい」

 いつぞやの遊園地の出入り禁止(02話参照)を解いてもらうよう口添えしてあげると校長先生に囁かれて、二つ返事で速攻引き受けてしまったとは言えなかった……



「……まあ確かにMRIだのCTスキャンだのはなかったが、その代わりに人体透視魔法や、それが付与された魔導具なんかがあるのじゃ。もちろん医学的な知識をちゃんと身につけた者でないと、使えても宝の持ち腐れなのじゃがな──」



 放課後、アイリは寮の部屋でTシャツに短パン(尻尾穴あり)といった動きやすい格好に着替えると、寮に置いてあったロードバイクを借りて近所の公園にやって来た。
 コンビネーション遊具や砂場、花壇が設けられている一画と、ボール遊びができるよう道路側にフェンスが設けられた広場。今の時間、遊具の方からは小さな子どもたちの声が聞こえてくるが、広場には誰もいない。好都合だ。

「それではお願いしますね、フミハさん、ルミナさん」
「おっけ〜」
「なんでわたしが……」

 まさか自転車に乗る練習を手伝わされるなんて思ってもいなかったルミナが、渋面を浮かべてつぶやいた。
 と、そこに甲高い声が響く。

「あーっ、ルミナひめだぁ!」
「!!」

 いきなりそう呼びかけられて、びくっと肩を震わせる戦天使女子高生。
 さっきまで遊具で遊んでいた子どもたち──はなまる幼稚園の園児たちが、三人に気づいてわらわらと集まってきた。

「ルミナひめ、あそぼ!」
「あそぼう!」
「あ、いや、ち、ちょっと今は──」

 遠慮もなしにまとわりつかれてスカートを引っ張られ、ルミナは戸惑いの声を漏らした。悪意なんか全くない無邪気な子どもたちを無碍にも邪険にもできずに、されるままになってしまう。
 その隣で文葉が腰をかがめ、女児のひとりと両手タッチする。

「こんにちは、瑠璃ちゃん♪」
「ふみはおねーちゃん、こんにちは♪」

 キキーモラ娘イツキと一緒に幼稚園へ迎えに行くこともあるので(05、06話参照)、二人はすっかり顔見知りで仲よしだ。
 と、そこでアイリの存在に気づいた別の子が声を上げた。

「ツノがある……おねえちゃんもまものむすめ?」
「「ドリルだ〜」」
「ドリルじゃありませんっ」

 つい食い気味に応じてしまう。びくっと身を強張らせてあとずさる年下の男の子たちに、アイリはあわてて手を振り笑顔をつくった。「……あ、えっと、ご、ごめんね。わたしはアイリ、ユニコーンの魔物娘ですよ〜」

 ウマ耳をぴこぴこ上下させておどけてみせると、女の子の一人が小首をかしげた。

「うにこーん?」
「ゆ・に・こーんっ!」

 ツノの生えた白いウニを連想して、ぷっと吹き出す文葉とルミナ。
 重ねて言うが、子どもたちに悪意はない。単に聞き間違えたか、舌足らずなだけかである──

「あたししってる! ツノがあるおうまさんだよねっ」
「うまのまものむすめ……うまむ」「すすすストップぅっ! それ以上言ったらいろんなトコに迷惑かかりますうううっ!」
「「…………」」

 なおも重ねて言うが、子どもたちに悪意はない……たぶん。



 ヘルメット着用済み、肘当て膝当ても装着済み。
 サドルの高さを合わせてそこにまたがり、ハンドルバーを握る。
 文葉とルミナは両側からアイリが乗る自転車を支えた。ちなみに彼女が自転車に乗りたいなどと言い出したのは、D組のクラスメイトの半数以上が自転車通学をしているからだとか。

「……じゃ、押すよ」
「お、お願いしましゅっ!」

 緊張して噛んだ。恥ずかしさに顔を赤らめ、うう……と口を尖らせる。
 せーのーで、の掛け声とともに自転車を前に押され、アイリははっと真顔になって、あわててペダルに足を掛け踏み込んだ。
 ハンドルを持つ手に、無意識に力が入る。そこで支えを放されて──

「あ、わ、わわっ、と……ととっ」
「下向いちゃダメ! 前にある防球ネットに目線定めて!」
「は、はいっ。……おっ、あ、え、きゃああっ!!」

 アイリが乗った自転車はバランスを崩し、ふらふらと左右に蛇行して横倒しになった。

「だ、大丈夫?」
「ううう……」

 駆け寄る文葉、腕を組んで嘆息するルミナ。
 その後、何度もトライして転倒して……アイリはその場にへたり込んだ。「や──やっぱり難しい、です……」

「ヒトの姿になったからといって、いきなり自転車に乗ろうなどとおこがましいのではないかユニコーン?」
「ちょっとルミナ言い過ぎ。……まあ、一回そこらですいすい乗れるなんてことまずないから、繰り返し練習していこうっ」
「は、はい、です……」
「スキーと自転車は、こけて上手くなるって言うし」
「それは、そうなんでしょうけど──」

 上手くなるには回数をこなす必要があり、乗れば乗るだけ当然転倒するリスクも多くなるのだから、「こけて上手くなる」というのはある意味間違ってはいない。

「ふむ……なら慣れるまで、あれをつけてみたらどうだ?」
「絶っ対イヤです」

 瑠璃たちが乗ってきた自転車の補助輪を指差すルミナに、ユニコーン娘は間髪入れずにそう応えた。そのとき、

 ドサッ、ガッ、と鈍い音がした。
 次いで、子どもたちの叫び声──悲鳴が響く。

「どうした! 何があった!?」
「……え? 何? どうしたの!?」

 ルミナと文葉がすかさず音の出どころ──遊具のある方を振り向き、アイリも土を払ってそちらへ走り出す。

「おねえちゃんきて! けんじくんがっ!」
「おちた! あ、あそこからっ!」

 瑠璃が涙目で三人を呼び、横にいた子がアスレチック遊具を指差す。
 彼ら園児たちの足元には、ぐったりと横たわる男児が一人。どうやら遊具のてっぺんから転げ落ちたらしい。かなりの高さがあった。

「お、おいっ、しっかりしろ!」
「待ったルミナ! 揺すっちゃダメ! 119番に連絡して!」

 抱き起こそうとしたルミナを制し、指示する文葉。小さな子たちがいる中、一緒になってパニくるわけにはいかない。

「頭を強く打ってます。意識なし、出血なし、息が浅いですっ」

 気を失ったまましゃくり上げるような息遣いを続けるその胸にウマ耳を当て、鼓動を確かめるアイリ。

「連絡ついた! フミハ! あと五分ほどで来るって!」
「わかった! ……瑠璃ちゃんっ、みんなっ、この子のお家知ってるっ!?」

 ユニコーン娘が転落した男児の状態を確認する横で、文葉が子どもたちに問いかける。だが彼らは青ざめた顔で首を横に振り、怖くなって泣き出す子までいる始末。

 ──血は出てないけど顔色が悪い。もしかしたら頭の骨が割れてるとか、内側で出血してるかもです……っ!

 救急車は呼んだ。だけど最悪の事態を想像し想定して、決意を固める。
 子どもたちをなだめる文葉とルミナを横目に、アイリは両の手のひらを倒れた男児に向け、額のツノに意識を集中した。

「……! よせユニコーンっ! それは約定違反──」
「緊急時ですからいいでしょうっ!」

 人間に対して魔法、ならびにそれに類する固有能力をむやみに使わない──大きな魔力を感知したルミナが、顔を上げて止めようとする。
 その言葉に被せるように怒鳴り返して、アイリは自身が持つユニコーンの癒しの力を解き放った……
 …………………………………………
 ……………………
 …………
 ……

「後頭部に異常なし、顔色もいいですし呼吸も正常。くわしくは病院で診てもらわないとですけど、内出血もなさそうですね」
「あの高さから落ちて遊具の縁(ふち)で頭打って……ほんと幸運だったとしか──」

 救急隊員たちが口々にそう言いながら、ストレッチャーを中へ押し込んだ。なんとか連絡がついて駆けつけた男児の母親は、文葉たちに何度も何度も頭を下げて、救急車に同乗する。

「だいじょうぶかな? けんじくん」

 サイレンを鳴らして走り出した救急車の後ろを見送り、瑠璃がポツリとつぶやいた。

「心配ないって。救急隊の人も大丈夫って言ってたでしょ?」
「そうだな。それにそこのユニコーンが余計なおせっかいをしたから……って、い、いない!?」
「え? アイリ? ど、どこ行っちゃったの?」






「ええ、ええ、しっかりきっちり見ちゃってましたよ〜君があの子どもに魔法を使ってたと・こ・ろ。はい確かに緊急事態でしたね〜。わかります〜、それはわかりますけどねぇ、大多数のヒトはハイそうですかって納得してはくれませんよ〜。少なくともこのことが大っぴらになっちゃったら『あの子を助けたんだから、こっちも助けなさいよ』って、いっぱいいっぱい言ってくるでしょうねぇ。人間って得てしてそういうもんですし〜、さっきの君の行いで君自身だけじゃなく、お仲間さんにも学校にもそりゃあたくさんたくさん迷惑かかるでしょうねぇ……

 ……というわけで来ていただけますよね? ね?」
「…………」



「野外での突発的なケガや命に関わる重傷ならともかく、普段の生活で治癒魔法のお世話になることなど早々ないのじゃ。高名な治療術師を招くより、薬飲んで寝てた方が手っ取り早いことも多いしの……」



「来たわねユニコーンっ! あたしが更紗市議会議員の岸沼氷見子よっ!」

 公園での一部始終を見ていた中年男性──惣田に見咎められて(という態度をとられて)半ば強引に連れてこられたのは、市内にある雑居ビルの一階にある事務所だった。

「あ、あの……」
「市議会で男どもに混じって、女性の権利を守るために日々戦う女性議員なのよっ!
「で、ですから……」
「そもそもあたしはこの国に蔓延る女性蔑視や男どものキモい目線が──」
「えっと……」
「ロリコン美少女の萌え絵のスカートのシワ線が性搾取社会の構図で──」
「その……」
「母親と一緒に女性専用車両に乗ってくる三歳児の男はすでにマザコンで痴漢予備軍で──」
「…………」

 デスクを挟んだ向こう側から居丈高に名乗ってきたフォックス眼鏡の女性──岸沼市議が、そのままアイリの返事を遮って、自己紹介の代わりなのかツッコミどころ満載なお気持ち(笑)を延々と語り続ける……のだが、

 ──あーよく見たらここの玄関に貼ってあったポスターのヒトですね。あの写真、結構加工されてるっぽいです……

 それらの言葉は全て、ユニコーン娘の右のウマ耳から左のウマ耳へと抜けていった。

「……というわけで、あたしは貴女たち魔物娘のことも以前からずっと気にかけていたのよっ」
「え? あ、えっと、そ、そうですか──」

 どうやらやっと本題に入ったらしい。だが、ここまで薄っぺらい発言もないな……なんて斜め向かいに立つ惣田が内心で呆れているなんて、アイリにはわからない。

「なので今回貴女がやったこと、議員としてのあたしの力でなかったことにしてあげるわっ。で・も・ねっ」

 岸沼市議はそこでわざとらしく言葉を途切れさせると、ぐいっと身を乗り出して彼女に顔を近づけ、首を傾け眼鏡の奥から覗き込むように睨め付けてきた。「……見返りもなしにそんなことしてもらえるなんて、貴女も思ってないでしょ?」

「な、何が言いたいん、ですか?」
「ギブアンドテイク、相互扶助、ウィンウィンに等価交換……社会というものは突き詰めればそうやって回っているの。異世界出身とはいえ、それくらいは理解できるはずよねっ」

 説得完了っとばかりにドヤ顔を浮かべ、口の端を釣り上げる。「単刀直入に言わせてもらうわ。貴女が人間に魔法を使ったことを揉み消す見返りとして、あたしの息子の病気を治し──」

「お断りします」

 アイリに短く返されて、岸沼市議の目が点になり……瞬時にその眉と目尻が怒りで吊り上がった。
 すかさず隣に立つ秘書の襟元をつかんで引き寄せると、

「ちょっと! 話が違うじゃないっ!」
「あ、いやその、そ、そう言われましても……」
「ここに連れてくる前にちゃんと言い含めておきなさいよっこの無能っ!」
「ひっひひゃいひひゃいひひゃいっ! ひゃめへひひゃひゃいっ!!」

 その髪の毛を引っ張り、口元をつねって罵声を浴びせた。
 息をするようにパワハラかます光景を見せられて、なんでこんなヒトが議員やってるの……と半眼になるアイリ。彼女の視線に気づいた岸沼市議は惣田の身体を突きとばし、咳払いをして腰に手を当てた。

「と……とにかく今のは聞かなかったことにしてあげるわっ。学校やお仲間に迷惑かけたくなかったら、さっさとあたしの言うことを受け入れなさいっ!」

 さっき以上に高圧的な、命令口調。
 だが、アイリは呆れたように溜め息を吐くと、履いていたスニーカーを脱いでそれを後ろに蹴っとばした。

「…………」

 無言のまま、左手首に嵌めた腕輪を抜き取る。
 下半身が光を放ち、視点が高くなる。
 目の前で人間体から本来の姿──半人半馬の姿に戻った彼女に驚き、固まる岸沼市議と惣田。ユニコーン娘は前脚の蹄を床に打ちつけ、その音にヒッと息をのんでたじろぐ二人を威圧した。

「言っておきますけど、けんじくんに癒しの力を使ったのは、それが最善だと判断したからです。そのことについて恥いることも後ろめたく思うこともありません。たとえ誰かに何か言われても、先生たちがなんとかしてくれますし、そもそもみんな気にもしません。ですから──」
「だっ、だっ、黙れ化け物っ! 人間並みに扱ってやったら調子に乗りやがってっ!! あんたは黙ってあたしの言う通りタカくんの病気を治せばいいのよっ!!」
「ち、ちょっとそれはさすがに、言い過ぎ……」
「うるさいうるさいうるさいっ!! どっちの味方だお前はああっ! いいことっ、あたしが本気出せばあんたたち、更紗市どころかこの国にいられなくなる──」

「いち市会議員に、そんな出過ぎた真似できるわけないでしょう」

 ヒートアップした岸沼市議に冷や水を浴びせるかのように、別の声が割って入った。
 その場の全員が振り返る。視線の先にいたのは三人の女子高生。一人は栗色の髪をポニーテールに結った、快活な印象の少女。もう一人はウェーブのかかった金髪が目を惹く、背の高い少女。
 そしてその間に立つ三人目──長い黒髪をツーテールにした小柄な少女が、顔の真ん中にあるヒトツ目と髪の中から生えた触手の先にある目で見返してきた。「おっさん、やっぱあんたが絡んでたか……」

「フミハさん、ルミナさん……ナギさんも」

 彼女たちの姿に、相好を崩すユニコーン娘。

「ど、どうして──」「ひいいいいいいいいっ!! あ、ああああんたたちどどどどっからははは入ってきたのよぉおっ!?」

 ここが……と言いかけた惣田の言葉におっ被せて、岸沼市議が金切り声を上げる。人外度の高いゲイザー娘に怯えながらも、それでも強気?の姿勢を崩さない。

「アイリがいなくなったって聞いて、昨日の放課後に門の外で出待ちしてたおっさんのこと思い出したんだ。ここの住所はもらった名刺に書いてあったしなっ♪」
「えらそうに言うな。どうせバフォメットかショゴスあたりの入れ知恵だろうが」
「うっせえよっ」

 腰に手を当て得意げにきしし笑いを浮かべていたナギは、横にいるルミナにそう指摘されて不満げに口を尖らせる。反対側で文葉が「また始まった」と額に手をやった。
 なんで名刺なんか渡したんだこのタコがっ! と秘書を足蹴にしていた岸沼市議が、憎々しげな目つきでそんな三人に人差し指を突きつけてくる。

「あ、あんたたちには関係ないからさっさと出ていきなさいっ!! でないと不法侵入で警察呼ぶわよっ!!」
「わたしたちは友だちを迎えに来ただけで〜す。おばさんに用があるのは別のヒトですけど〜」
「おばっ!?」

 目の前でヒスり続けるいい歳した中年女性に冷めた視線を向け、文葉がおどけたような口調(もちろん目は笑ってない)で応えた。
 と、そこで彼女たちの背後から四人目の人物──最初に割って入った声の主が前に出てきた。背中まである長い髪をうなじのあたりでまとめ、身につけているのは上品な白いブラウスとクリーム色のロングスカート、その上からライトパープルのサマーカーディガンを羽織った二十歳過ぎくらいの女性である。

「こんにちは、岸沼さん」
「マリカお姉さま!」
「え? ま、茉莉花っ、さんっ?」

 息子の婚約者がいきなり登場して、岸沼市議が驚きに目を白黒させる。「お姉さま」と呼ばれた彼女──棚橋茉莉花(たなはし・まりか)は、ユニコーン娘に向かってにっこり微笑んだ。

「こないだぶり、アイリちゃん」
「お姉さま、ど、どうしてここに?」
「ちょっと待ちなさいっ! 茉莉花さん、なんでこいつら……こ、この子たちと親しげなのっ!?」
「あら、後輩が困っているのですから、先輩として力になるのは当然ですわ」
「あ……」

 くすくす笑いながらそう返されて、岸沼市議は彼女が明緑館学園のOGだったことを思い出した。事務所の入り口で母校の制服を着たナギたち三人と遭遇し、事情を聞いて一緒に入ってきたのだろう。
 秘密裏にコトを進めようと惣田以外のスタッフを全員帰してしまっていたから、彼女らを押し止める者が誰もいなかったのだ。

「あと、アイリちゃんとは個人的に仲良くしてますの」
「はぁ?」「……!」

 わけがわからない、といった表情を浮かべる雇い主とは対照的に、惣田は何かに気づいて落ち着かなく目を泳がせた。

「アイリちゃんにやたらと治癒魔法を使わせないよう校長先生に進言したの、うちのお父様ですのよ」
「なっ!?」

 大病院の院長さんからすれば、魔法でケガも病気もほいほい治された日には商売上がったり──もとい、魔物娘とはいえ一介の高校生が持つ解析不能な特殊能力に患者を委ねるなど、医療従事者として認めるわけにはいかない。

「でも今回のアイリちゃんの行為は、後ろの後輩たちにも聞きましたけど、あくまで救急救命ですからなんの問題もありませんわよ」
「はい、お姉さま♪」

 横に立った茉莉花に背中(馬体)を優しく撫でられ、ユニコーン娘はくすぐったそうに目を細めた。

「ところで」

 改めて目の前の二人──岸沼市議と惣田秘書に向き直ると、

「正鷹(まさたか)さんがご病気とのことですが、お加減はいかがですか? 学園に断られているのにアイリちゃんを無理矢理連れてくるなんて、よほどご病状がお悪いのでしょうか? 心配ですわ」
「あ、えっと、そ、それは……」

 彼女は抑揚のない事務的な口調でそう問いかけて、青くなって言い澱む岸沼市議を冷ややかに見つめた。あー何もかもバレてるなこりゃ……と悟る惣田。

「きししっ、十中八九性病だろ? 偉いさんが優秀な治癒術師を誰にもナイショで呼びつけるのはたいがいそれだって、看護師やってるうちの母さんが言ってたぞ」
「……!!」

 後ろから黙って成り行きを見ていたナギが、ここぞとばかりに「爆弾」をぶっ込んだ。
 次の瞬間、岸沼市議の顔色が青から赤へと変わり……大噴火した。

「おおおおお前今すぐ出ていけえええええっ!! 更紗市からっ、いや日本からっ、いや地球から追放してやるうううううううううっ!!」

「ち、ちょっとナギ、それって元いた世界の話でしょ?(半笑)」
「いや、どうやら図星らしいな。……語るに落ちたというところか(真顔)」
「きぃいいいいいいい〜っ!! 選挙権もないくせにこれ以上しゃべるなガキどもおおおおおっ!!」「や、や、やめてくださいいいっ! まっ茉莉花さんが見てますうううっ!!」

 そして怒りにつき動かされるまま、ナギたちに殴りかかろうとする。さすがに見かねた惣田に羽交い締めにされ、邪魔するな触るなセクハラだと喚き散らしてじたばた暴れる義母……になるはずだった中年女性を呆れたように見つめ、茉莉花は両腰に手を当てて溜め息を吐いた。

「正鷹さん、婚約前に全て清算したっておっしゃってましたけど、何人かの女性とまだ関係を続けていらっしゃったみたいですね……」
「ち、違っ! 誤解よっ! 何かの間違いでっ! とにかくそんなつもりじゃなかったのっ! タカくんが愛しているのは茉莉花さんだけなのよおおっ!!」

 机の上に並べられた何枚もの写真──目の前にいる彼女以外の女性たちと抱き合ったりキスしたりしている息子が写っているそれらを見て、岸沼市議は早口でテンプレートな言い訳の言葉を畳みかけた。(不倫相手が複数人いるなんて)聞いてないよぉ〜と、渋面を浮かべる惣田。

「なあ、あれって浮気とかした当人が言うセリフだろ?」
「母親の過干渉というやつか……この国の病理だな」
「いや〜、ちょっと違うんじゃないかな」

 この場にその当人がいないのはもちろん病気で伏せっているからなのだが、それよりも婚約者がいるにもかかわらず複数の女性と性的関係をもった挙げ句、性感染症に罹患してしまった息子をほとぼりが冷めるまでヒト前に出したくない──という体面とか体裁とか世間体とかいった理由の方が強いようだ。

「何より一番許せないのは、それをわたしや父に黙っていたあげく、なかったことにしようとしてアイリちゃんを無理矢理巻き込んだことですわ」
「そっ、それはっ、そ、そうっ、ま、茉莉花さんにっ、し、心配かけたくなかったっていうかっ。……そ、そもそもそのウマ女、じゃなくてその子と茉莉花さんが、なっ、仲いいなんて知ってたらっ、こんなこと絶対しなかったわよおおおっ!!」
「言い訳は結構です。正鷹さん……息子さんの不貞の証拠はこれ以外にもいっぱいありますし、近日中に我が家の顧問弁護士さんを通して正式に婚約破棄を申し入れますわね」
「いいいいやあぁあぁあぁああああぁ〜っ!!」

 秘書に羽交い締めにされたまま、デモデモダッテとひとしきり弁解?し、この時点で息子の元″・約者となった女性の冷めた視線にがっくりとうな垂れる。
 お姉さまが不純な男の人と結ばれなくてよかったです……と、アイリは胸を撫で下ろし、茉莉花の横顔を見つめた。
 だが、岸沼市議はおとなしくなったと思って力を緩めた惣田を振りほどき、なおも食い下がってきた。

「わ、わかった、婚約破棄は認めるっ。認めるからその代わりにお願いっ! このことは……このことはおおやけにしないでえええええっ!!」

 息子の婚約がご破算になったことより、自身の議員としての立場が危うくなる方が重要らしい。

「それより結婚式場のキャンセル料支払いと招待した方々へのお詫び状発送、慰謝料代わりにそちらで全部やっていただきますわね。ちゃんと責任とってくださいな」
「いやだあああああああぁ〜っ!! あ〜だ〜じ〜わるぐないいいいいい〜っ!!」

 床に座り込み、手足をバタバタさせて泣き叫ぶ。
 反省の色も見せずにひたすら自己保身?にはしる中年女性の醜態を一暼し、茉莉花は隣に立つアイリを促して踵を返した。「もう関係ありませんけど、息子さんはすぐにでも病院に連れていった方がいいですわよ。……あ、そうそう、惣田さんでしたっけ? そのお年で大変かもしれませんが、早めに転職活動されることをお勧めしますわ」

「あ? あ?」

 つまりは、そういうことだった。

 そして、結局アタシらは何を見せられたんだ? といった表情を浮かべたまま固まっているナギたちに向かって、茉莉花はにこりと微笑んだ。

「ごめんなさいね、こんなことに付き合わせちゃって。お詫びにみなさんを学園まで送っていって差し上げたいですけど……アイリちゃんがお車に乗れませんわね──」

 さて、どうしましょうかと小首を傾げる。見つめられたアイリは「大丈夫です、お姉さま」と応えて胸を張った。

「見ててくださいね。……変身っ!」

 人化維持の腕輪をはめ直し、その手をまっすぐ伸ばして魔力をはしらせる。
 光に包まれてケンタウロスの姿からヒトの姿に変わり、どうです? と腰に手を当てていたずらっぽくウインクするアイリ。
 茉莉花は驚きに目を丸くしたが、溜め息を吐くと諭すように言った。

「アイリちゃん、下はちゃんと履きましょうね」
「え……?」

 あわてて顎を引く。さっき元の姿に戻ったときに、ボトムの短パンはその余波で弾けとんでしまっていた。……下着ごと。

「…………」

 みるみるうちに、その顔が真っ赤になる。

「き、き、きゃあぁあああああああっ!!」

 Tシャツの裾を引っ張って前を隠し、アイリは事務所中に響き渡る悲鳴を上げた。

 ……だが、お前がみんな悪いいいいいい〜っと絶叫して秘書の頭を揺さぶる岸沼市議と、茉莉花の言葉に呆然自失となってされるがままの惣田には、それは全く聞こえていなかった。

 to be continued...



─ appendix ─

 ある日の放課後──

「「「アイリおねえちゃんがんばれ〜」」」

 ユニコーン娘アイリは、今日も公園で自転車に乗る練習を続けていた。応援する子どもたちの中には瑠璃や、元気になったけんじくんの姿もある。
 あの一件以来、癒しの力──治癒魔法で病気やケガを治してほしいという要望はひととき増加したものの、これまで通り学園側で全てシャットアウトしている。そのうちまた沈静化するだろう。

「い、いきますっ」

 自分自身に言い聞かせるように声に出して、ペダルに脚をのせ、反対の脚で地面を蹴る。
 アイリが乗った自転車はふらふらと、それでも初めて乗ったときよりは安定したバランスで前に進む……が、ペダルの漕ぎ方がやっぱりどこかぎこちない。

「あ、え? ……ととっ、……うわわっ!?」

 自転車が大きく傾いたと同時にペダルを踏み外し、脚がすっぽ抜けて転倒してしまう。

「ううう……」

 アイリは涙目になりながらも、土埃を払って自転車を起こした。気を取り直して再度ペダルに足をかける。

「前より長く乗ってられるようになってるよっ。がんばっ!」
「片足立ちもスキップもできないのに、やはり自転車は段階とばし過ぎだと思うが……」

 ベンチに腰掛けて見守っていた文葉がアイリに呼びかけ、隣でルミナが腕を組んでつぶやく。

「そういえば、ルミナって自転車乗れるの?」
「ふっ、愚問だなフミハ。私は馬に乗ったこともあるのだぞ。自転車など乗れて当然──」



 乗ってみた。
 思いっきりひっくり返った。



「ば、バカなっ!? なぜ乗れないっ!?(愕然)」
「あの〜、ルミナさん……あれつけてみます?」
「絶っ対イヤだっ!」

 瑠璃たちが乗ってきた自転車の補助輪を指差すアイリに、誇り高きヴァルキリーは間髪入れずにそう応えた。
24/10/09 20:46更新 / MONDO
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■作者メッセージ
 D組にチャリ通学が多いのは、実はみんなケンタウロス種のアイリと自転車で並走したいと思っているから──

 というわけで、後編でした。
 今回、デウス・エクス・マキナ的に登場した先輩(OG)の茉莉花さんですが、前編でもう少し彼女の存在の伏線を張っておけばよかったなと思いました。あと、タカくん本人を登場させなかったので、婚約破棄の動機もちょっと弱かったかもしれないですね。

 ではでは、また次回もよろしくお願いします。

追記
 公園のコンビネーション遊具は安全のために、芝生(人工芝)や砂地の上に建てられるそうです。

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