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第十一話『兄妹』
 「人間、そう言えば、戦いの前に名乗るのを失念していた。
 差支えがなければ、名乗らせて欲しい」
 「聞こうか」
 「ヘリファルテと言う」
 「俺はキサラギ。キサラギ・サイノメだ。
 あっちのゴーレムは旅のパートナーで、ロトス・レマルゴス」
 足音を聞き、少女を送り届けて戻ってきたのであろう、レムを親指で指したキサラギは「ん?」と細く整えている眉を寄せた。
 小走りで自分たちの方に向かってくるレムはどういう理由か、少女を抱えたままだった上に、彼女の後ろを一人の青年が必死になって走っているのだ。
 それを見たキサラギは一瞬、レムと少女が青年に追われているのかとも思ったが、それならそれで、レムは彼に対して無慈悲に攻撃を加えていそうなものだ。
 キサラギの前で足を止めたレムは少女を傍らに下ろすと、直立不動の体勢を取って敬礼して見せた。
 「ただいま戻りました」
 「・・・・・・間に合わなかったのか?」
 「いえ、少女と薬は無事、送り届けられました」
 ようやく追いついた青年は肩を激しく上下させて、少女に背中を擦られ、どうにか呼吸を整える。そして、何とか、喋れるまで回復したのか、青年はヘリファルテの前まで歩き、唐突に苔で生した大地に膝を落とした。
 「そのゴーレムさんから、話は全部、聞かせて貰いました。
 まずは、薬壷の方をお返しします」
 そう言い、青年は懐から出した壷をそっと置く。
 「確かにっ、私の妹のしでしかした事は、許されない罪です。
 だけど! それは間抜けな兄である俺を助けようとして、冷静さを失ってしまった事によるものなんです。
 どんな罰でも、兄である俺が甘んじて受け入れるので、妹はどうか許してやってください、お願いします」
 彼は地面を叩き割りかねない勢いで額をぶつけた。
 そんな土下座をしてまで、自分を助けようとしてくれている兄の横に少女もまた座り込んだ。
 「いえ、悪いのは私だけっす。死ぬのは私だけでいいっす」
 「馬鹿っっ、プフラオメ、お前、何を言ってんだっ。
 お前は来月から、念願だった魔法学校に行けるんだぞ!!」
 「ビルケお兄ちゃんだって、一週間後、オリーヴェさんと結婚するじゃないっすか!!
 お兄ちゃんが死んだら、オリーヴェさんとお腹の子供はどうなるっすか!?」
 涙と鼻水で顔をグチャグチャに汚している少女が放った一言で、青年の顔色がザッと変わってしまう。
 「な・・・オリーヴェの腹の中に赤ん坊が?
 いや、でも、俺はそんな事、聞いていないぞ、一言も」
 「そりゃ、そうっすよ。
 オリーヴェさんだって知ったのは昨日なんすから。
 私、お兄ちゃんの看病で疲れて倒れちゃったオリーヴェさんと一緒に病院に行って、お医者さんから教えてもらったんっす」
 「・・・・・・だから、嬢ちゃん、こんな無茶をした訳だ」
 木の幹に背中を預けて、二人の話を聞いていたキサラギは呆れたのか、口の端を吊り上げて少女に尋ねた。
 彼の怒気に当てられたからか、キサラギの事をちょっと怖く思っている少女は小刻みに震えながら、それでも首を縦に振った。
 「大した嬢ちゃんだな。
 金でも、名声でもなしに、ただ、兄貴を助けたいってだけで、並みの冒険者でもやらないような真似をしちまうんだから。
 お兄さん、アンタ、こんな優しくて度胸満点の妹さんを持って、幸せ者だねぇ。
 嬢ちゃん、意外と、そっち系の才能があるのかもな」
 預けていた背中を幹から離したキサラギは静かな足取りで兄妹へと近づいていく。そうして、大きな手を二人へと伸ばしてきた。「ひっ」と息を呑んだ少女は反射的に、隣の兄に抱きついてしまう。青年も思わず、妹を守るような体勢を取ってしまう。
 キサラギはそんな怯えた反応を笑うように肩を幾度か揺らし、地面に置かれていた薬壷を拾い上げた。ニヤリと笑った彼は、目の縁に大量の涙が溢れ出している少女の手を唐突に取った。
 「・・・・・・え」
 少女は驚いて、手を引っ込めようとしたが、キサラギはちょっとだけ力を入れて阻み、彼女の手に何枚かの紙幣を乗せて強引に握らせる。
 「この娘は俺に頼まれて、エルフの集落から薬壷を盗み出した、兄の怪我を治す為の薬を買うお金欲しさに。そんで・・・」
 キサラギはエルフに薬の壷を投げると、足元に落ちていた矢を拾い上げた。そして、真っ二つになっていた矢を、そのまま自分の右腕へと突き刺した。
 その場にいたキサラギ以外の者が「ギョッ」と表情を歪めた。
 「マ、マスター!?」
 「痛ててて」と顔を顰めながら、キサラギが矢を力任せに引き抜くと、幾滴かの血飛沫が駆け寄ってきたレムの顔に飛んでしまう。
 「アンタはまんまと薬壷を手に入れた、黒幕の俺を仕留めて、薬壷もしっかりと取り返した。
 こんな感じで、話も丸く収まるだろうよ」
 そして、キサラギは矢尻が血で真っ赤になった矢を、唖然としているヘリファルテに手渡す。
 「き、貴様、どういうつもりだ」
 「こう言うつもりさ」と笑いながら、キサラギはレムの顔に付いている血を指先で拭い取る。
 「放っておけば、この兄妹はてめぇらで命を絶ちかねない。
 薬壷を盗んだ犯人を仕留めずに帰れば、アンタが仲間のエルフから制裁を受けてしまう。
 ただの旅人である俺が、悪者になっときゃ、誰も死なずにすむだろうよ」
 そんな乱暴な解決に、エルフは思わず吹き出してしまった。
 「キサラギ、お前、馬鹿なんだな」
 「酷ぇな。
 ま、よく言われるよ」
 さほど気を悪くした風もないキサラギに肩を竦めたヘリファルテはおもむろに、薬壷の蓋を開けると、中の軟膏を彼の腕の傷にそっと塗ってやった。
 ハーブの匂いが、キサラギの鼻をくすぐった時には、腕を垂れていた血は止まり、傷は綺麗に塞がってしまっていた。
 「まったく、兄妹愛の上に、自己犠牲など臭いものを見せられても、罰を与えるなんて言ったら、私はどれだけの悪党だ」
 蓋を閉め、壷を懐へと仕舞いこんだヘリファルテは未だに抱き合っている兄妹を睨んだ。しかし、そこにはもう殺意は一片も滲んではいなかった。
 「感謝するんだな、この馬鹿に」
 キサラギの顔を指しながら、それだけを言ったヘリファルテは左手を振り下ろした。その瞬間、小さな竜巻が彼女を包み込み、舞い上がった砂埃や落ち葉から顔を守った腕を皆が下げた時には、もうヘリファルテの姿はそこには無かった。
 「やれやれ」と苦笑いを漏らしたキサラギは固まり出している血を拭う。
 そんな彼へと兄妹は大急ぎで駆け寄り、お互いに頭を深々と下げた。
 「ありがとうございました!!」
 「大した事はしてないさ。
 ま、お嬢ちゃん、次からはもうちょっと考えるんだな。
 兄貴を助けられても、アンタが傷を負うどころか、自分の所為で殺されたとなりゃ、今度は精神的なショックで寝込んで、一ヶ月もしねぇ内に衰弱死しちまってたぞ。
 自分が傷付く事で、自分の大事な人も傷付くんだって事を知っとかないとな」
 「はいっす」
 一転して、険しい顔つきに変わったキサラギの、手厳しい言葉に少女は肩を落とすしかない。
 「旅人さん、何かお礼をさせてください!!
 あ、その前にお金を返さないと」
 「いいさ。
 嬢ちゃん、今度、魔法学校に入るんだって? どこのだい?」
 「プルトナス学院の中等部っす」
 (魔王様サイドの学校か)
 「じゃ、その金は先輩からの入学祝いって事で貰っておいてくれ」
 「え? でも、プルトナス学院は去年、出来たばっかりの」
 「大きな声じゃ言えないが、俺もちょっと魔王様の息がかかっていた場所にいた事があるのさ」
 まさか、魔王軍の騎士部隊の一員として、教団相手に大暴れしていたとは言えないキサラギは眉一つ動かさず、平然と話を濁した。
 「旅人さん、何かお礼をさせて下さい!!」
 今度は自分に土下座をしようとする青年を慌てて制止するキサラギ。
 「なら、美味い飯を出してくれる宿屋でも紹介して貰うかな」
 「!! じゃあ、私の家に泊まってくださいっす。
 うちは宿屋っす!!」
 「そりゃ、話が巧い。お兄さん、構わないかぃ?」
 「勿論です。母さんとオリーヴェに事情を話して、うんと腕を奮ってもらいますね」
 「そりゃ、楽しみだ」
 こうして、キサラギとレムは兄妹の両親が営んでいる宿に泊まり、彼はこの土地名産の地酒をこれでもかと飲まされた。翌日、まだ礼をさせて欲しいと彼等の申し出を丁重に断った二人は笑顔で見送られ、再び、森に入った。

 案の定、森の中間地点ではヘリファルテが彼等を待ち受けていた。もっとも、武器は持っていなかったが。
 「マスター、下がってください」
 レムは殺気も露わに、右手を帯電させながらキサラギの前に立つ。
 「まだ、俺に用か? ヘリファルテ」
 「長が貴様に会いたがっている」
 「・・・話したのか?」
 「いや、長は『千里眼』をお持ちなのだ」
 「なるほど」とキサラギは昨日、ヘリファルテと戦りあっている時に感じていた視線の正体がようやく判って、しきりに頷く。
 「来てくれるか?」
 「マスター、わざわざ、罠の可能性が高い敵陣に足を運ぶ必要はありません」
 レムの言葉に、ヘリファルテの額に青筋が音を上げて浮かんだ。
 「私達は卑劣なダークエルフとは違う・・・・・・
 長が会いたがっているのはキサラギだけだ。
 ゴーレム、貴様は私が今すぐ、破壊してやろう」
 ドス黒い笑みを浮かべたヘリファルテは傍らに竜巻を発生させる。
 「できるものなら、やって御覧なさい」
 レムの右手から迸っている火花が更に大きく、青白く弾けた。
 「待て待て、二人とも」
 引き攣り笑いを浮かべながら、キサラギは彼女らの間に割って入る。
 「ヘリファルテ、お前の長に会う。
 だが、念の為にレムを連れて行きたい」
 キサラギはヘリファルテの方ではなく、背後を、舐めるような視線を感じる方向に顔を向けて告げる。
 「何の攻撃もないって事は、長さんはレムを連れて行く事を許してくれるみてぇだな」
 「そのようだな・・・命拾いしたな、ポンコツ人形」
 舌打ちを漏らしたヘリファルテは左手を振って竜巻を消す。
 「貴女もね、性悪耳長賊」とレムは冷淡に返し、放電を止めた。
 更に険悪な雰囲気を醸し出した二人を、胃に痛みを覚えながら宥めるキサラギ。
 こうして、キサラギとレムはエルフの集落に向かった。魔物娘の中でも珍しく、人間を毛嫌いしているエルフの集落に足を踏み入れるのだから、多少のドンパチは覚悟しておかないとな、と胸をドキドキさせていたキサラギだったが、意外にも敵愾心をむき出しにしている者がいなかったので、安堵と落胆を同時に覚えた。
 エルフの長は、自分の右腕でもあり自分の娘でもある、ヘリファルテと互角に戦い、勝ち、そして、生かして帰してくれたキサラギに丁寧に礼を述べ、酒宴を開いてくれた。
 三日後、二人はエルフの集落を後にした。長は門外不出である筈の薬をキサラギ達に分けてくれた。彼は断ろうとしたのだが、長は「君なら悪用はすまい」と半ば強引に鞄に押し込んできた。
 別れ際、ヘリファルテはキサラギには「次に会う時を楽しみにしてくれ。お前を本気にさせられるエルフになっておく」と、レムには「次こそ、穴だらけの鉄屑に変えてくれる。首を洗って待っていろ」と耳元で告げ、五月の風を思わせる爽やかな笑顔で見送ってくれた。
11/11/16 15:42更新 / 『黒狗』ノ優樹
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