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第十話『強弓』
 「・・・・・・男、何のつもりだ」
 「見ての通りだが、理解できないか? 
 あの娘を逃したのさ」
 「死にたいのか?」
 「死にたくもねぇし、殺される気もねぇし、許してやる気もねぇ」
 「たかだか人間ごときが、私を許さないだと。不遜の極みだな、全く」
 その整った肢体から滲み出したエルフの殺気に、吊り上げていた口の端を下ろしたキサラギは刀を抜いた。
 「確かに、盗みを働いたあの嬢ちゃんは悪い。
 罰は甘んじて受けるべきだとも思う。
 ―――・・・だが、それでも、家族の為に命を張ったあの娘を嘲笑った、テメェだけは勘弁ならねぇ」
 煙を思わせる形を持って、キサラギの引き締まった肉体から溢れ出した憤怒混じりの闘気は、エルフのそれに何ら劣っていなかった。穏やかそうに見える外見に見合わず、キサラギの放つ気の烈しさにエルフは若干たじろいだものの、幾らかは死を紙一重に感じる程度の修羅場を潜り抜けていたのか、彼女は臍へと力を入れてキサラギの気迫に耐えてみせた。
 そうして、彼女は目にも止まらない速度で矢を射た。
 彼女自身は不意をついたつもりであったが、怒りで脳が煮え滾りそうになっていても冷静さを決して失っていなかったキサラギは彼女の目の動きや呼吸、肩や指先の揺れなどを観察していた為に動きを予測していた。
 前に出たキサラギは、眉間に向かって飛んできた矢を宙で切り刻み、そのまま止まらずにエルフへと迫った。
 猫科の肉食獣を連想させるような、キサラギの無駄を削いだ俊敏な動きに慌てふためいたエルフは風系の魔術を展開させて、前方に砂埃を巻上げさせて彼の視界を覆い隠し、それと同時に足に纏わせると跳躍力を強化して、地面を思い切り蹴った。
 再び、見えない枝上からキサラギを射る肚でいたエルフは、キサラギの美しい顔が目前に迫っていたのに気付いた瞬間、言葉も出なかった。
 魔術こそ使えない体質ではあったが、血反吐も吐けなくなるほど、血尿すら出尽くすほどの厳しい修練と鍛錬を自らに課し続けてきていたキサラギは魔術なしでも、自力で中級レベルの身体能力強化の魔術をかけたのと同等の運動能力を、その身に備えていた。
 故に、十分な助走さえ付けられれば、風の力を借りて跳んだエルフより幾らか高く跳ぶ事など容易い事だった。
 エルフの頭上を取ったキサラギは右腕を高々と上げ、空気を握り潰すようにして硬い拳を作り出す。「ビキビキ」と言う鈍い音に、エルフの肉体は自動的に反応していた。
 が、大鉄鎚よろしく一直線に振り下ろした右拳は、彼女が身を守る為に咄嗟に盾にした愛用の長弓を木っ端微塵にしてしまう。それでも、拳の威力は大して削がれなかった。
 当たったら危険だと一瞬で判断を下した彼女は、全身から無駄な力みを抜き、開いた両の掌で拳を受け止めた刹那、軽く曲げていた肘を一気に伸ばして、自分から地面に向かって飛ばされた。
 拳に腹肉を殴った触感を覚えなかったキサラギは下手な口笛を吹き、空中で一回転してから着地する。
 キサラギが感嘆の滲んだ視線を向けた先には、彼の拳の破壊力を逆に利用して直撃だけは避け、地面にぶつかる直前で作った風のクッションで衝撃を見事に殺したエルフが平然とした様子で立っていた。
 本当に触れたのは一瞬だったのだろう、キサラギの拳を真正面から受け止めた掌は裂けてもおらず、少しばかり赤くなっているだけであった。
 「・・・なるほど」と自分の赤くなっている掌をまじまじと見つめていたエルフはおもむろに呟き、驕りが微塵も浮かんでいない瞳をキサラギへと向けた。
 「久しぶりに、冷たいものを感じたぞ、背中に」
 愛用の長弓の残骸を投げ捨てたエルフの周囲に、空気を限界まで圧縮した球が何十個と現れる。
 「この私を本気にさせた人間は本当に久しぶりだ。
 血湧き肉踊ると言う感覚も思い出せた」
 エルフが両手を横に大きく広げると、空気弾は高速回転を開始し、次第に形を球から矢状へと変えていった。
 「ラファ・ガ・フレチャ。
 礼に一瞬で命を獲らん・・・・・・嬲り殺しにしてやろう」
 「やってみろ」
 興奮で笑うのを堪えきれないキサラギは刀の柄を両手で強く握ると、土塊が高々と舞い散るほど右足で地面を蹴りつけて前に飛び出た。

 エルフに速度、角度、動きを短縮呪文によって組み込まれている風の矢は、周囲の空気から生み出される為に尽きる事はない。並みの人間の魔術師なら、そんな高度な魔術を使えば五分と経たずに自分の中にある魔力が枯渇してしまい、脳貧血を起こしてしまうだろう。
 しかし、今回の相手は魔力量が人間とは比較できないほどに多いエルフである。まず、魔力が切れると言う可能性は低かった。希望的観測を交えて、軽く見積もっても、岩にすら穴を開ける威力のある矢を三十分は操作できるだろう、しかも、十本同時に。
 それが解っているキサラギは決して、足を止めなかった。止めたが最後、怒涛の数の矢が自分を貫き、体をアニメに出てくるチーズよろしく穴だらけにされてしまうのは火を見るより明らかだったからだ。
 迫ってくる矢を刀で軌道を逸らし、弾き、砕き、ゆっくりとだが確実に、高い攻撃力に重ねて同時攻撃と精密射撃と言った、ハイレベルな魔術を展開しているが故に、その場から一歩も動けずにいるエルフへと近づいていく。
 焦ることなく、かと言って、悠然ともせず、一歩ずつ迫ってくるキサラギにエルフは、少しばかり薄ら寒いものを覚えた。
 (コイツ、どうして笑っていられるのよ?!)
 エルフに少しでも近づく為に、完全には避けようとは考えていないキサラギの頬や肩、脇腹を風の矢は掠めて、渦を巻いている風の矢に肉を少しばかり持っていかれる度に鮮血が飛んでいるのだが、当の本人は致命傷にならないようなら小さな傷はどれほど負おうが気にしないと言わんばかりに足を止めないのだ。しかも、その端正な顔には楽しそうな微笑すら浮かべているのだから、エルフが気味悪く思うのも当然だった。
 (あの娘の為に、私を足止めしてるんじゃないの!?)
 勿論、キサラギは少女を殺そうとした上に、彼女の身内を嘲ったエルフに怒りを覚えたからこそ、足止めをするべく真正面から喧嘩を吹っ掛けたのだ。
 とは言え、根っからの戦闘狂であるキサラギ。魔王軍の射撃部隊のメンバーにも引けを取らない、目の前のエルフの正確な攻撃に段々と楽しくなってきてしまっていた。
 「くっ」
 エルフは左腕を勢いよく振り下ろし、風の矢を同時にキサラギめがけて落とすも、紙一重で躱されてしまい、地面に大きな穴を開けただけで終ってしまう。
 「ヂッ」と下品な舌打ちを漏らした彼女は、一際に大きい気弾を空中に作り出す。
 その大きさに危機感を覚えたキサラギは完成を阻止しようと飛び出したが、エルフは視線だけで彼の足元へと矢を放った。その矢の威力は大した事はなかったが、牽制には十分だった。
 キサラギがバックステップで距離を置いた隙に、エルフは気弾の形を変えて、風の矢を作り上げてしまう。そうして、彼女はその矢を溜めに溜めてから、自分に向かってトップスピードで真っ直ぐに突っ込んでくるキサラギへと射た。
 「ティ・フォン・フレチャァァァァ!!」
 さすがに、この大きさでは軌道を逸らす事も、受け止めるのも難しそうだと判断した彼はその風の矢をギリギリまで引き付けてから避けようとしたが、エルフは風の矢がキサラギの斬撃有効範囲内に入るなり、右の掌を前へと突き出してピッチリと閉じていた指の間を勢いよく広げた。
 「っっ!?」
 途端に、長く太かった風の矢は空中で弾けて、一瞬で数える事が不可能なほどの量の小さい矢に弾けた。一本の長さと殺傷力を削った分、速度が格段に増した風の投矢はスピードに乗りすぎて急には止まれないキサラギに迫った。
 回避も防御も無理と体で判断したキサラギは急ブレーキをかけて、地面を派手に抉りながら刀の切っ先を迫り来る、無数の投矢へと向けた。
 そして、真っ直ぐに伸ばされていた刀と彼の右腕の輪郭がブレる。
 数十秒後、刀と腕が下げられた瞬間、一帯に凄まじい破裂音が鳴り連なった。
 「一式・崩」
 全く、一切、見えなかったが、エルフはキサラギが自分の攻撃を、高速の連続刺突で迎撃して、風の投矢を全て砕いてしまった事を悟らされた。やはり、威力を落としてしまった分、脆くなっていたようだ。
 「このっ」
 両手の掌を胸の前でエルフが合わせると、二本の矢が左右からキサラギに迫ったが、彼は左からの矢を刀で逸らし、右からの矢を鉛を仕込んである靴の踵で蹴り砕いた。
 圧縮されていた空気が拡散し、荒れた風が砂埃を舞い上げる。それに乗じて、キサラギが自分との距離を詰めようとしているのを察したエルフは砂の幕の間に微かに見える人影へと、宙に固定している矢を全て放った。
 一本でもまともに刺されば、周囲の肉は無残に引き裂かれて、相手は痛みで身動きが出来なくなる。
 確かに、砂でキサラギの姿をはっきりと掴めないのは痛いが、砂煙の中にいるキサラギも迫ってくる矢の位置を正確に把握するのは困難の筈だとほくそ笑むエルフ。
 だから、刀を振り被ったキサラギが無傷とは行かないにしても、十二分に戦える状態で砂煙の中から飛び出てきたのを見た時のショックは小さくなかった。
 「貰ったぜ」と口の端を高々と吊り上げたキサラギ。
 彼が刀を振るえば自分に深手を十分に与えられる距離に足を踏み込んだ次の瞬間、エルフは右手を頭上まで跳ね上げた。
 刹那、それまで土の下で射手の指示を待っていた最後の矢が、キサラギの無防備な顎の下を狙って飛び出した。
 エルフは「今度こそは」と勝利を確信した。
 キサラギはこの攻撃を予想できていなかった。
 だが、エルフが彼の拳を防ぐ為に弓を盾にしたのが、熾烈な戦闘の中で培った経験から来る反射であるように、死角から放たれた矢を髪一重で避けたのもキサラギの中で密度を増していた反射であった。
 顎の右端から頬の上を走り、キサラギの顔の右横を通り抜けていった風の矢。
 そして、キサラギの刀が閃いた。
 左腰から右肩まで引かれた一本の直線から無音で血が噴き出て、エルフはその場に膝を落としてしまう。
 引き攣る痛々しい傷が刻まれた頬を乱暴に拭い、手の甲についた血を振るって落としたキサラギは苦痛に顔を歪めて、傷を押さえているエルフの喉下へと刀の切っ先を迫らせた。
 「―――・・・どうした? 今更、怖気づいたのか」
 いつまで経っても自分にトドメを刺そうとしないキサラギに悪態をついたエルフだったが、彼が唐突に刀を引いて鞘に戻してしまったものだから、きつく眉を顰める。
 「何のつもりだ? 負けた相手に下手な情けをかける事が、逆にどれ程の惨めさを感じさせるか解らない貴様ではあるまい」
 「俺はアンタの命を取らない。
 もし、アンタがあの嬢ちゃんを殺していたのなら、容赦なく殺ってる所だがな」
 「私はあの盗みを働いた少女を、現に殺そうとしていたんだぞ」
 「アンタが本気で矢を射ってたのは判る。
 だが、結果的に嬢ちゃんは生きている。だから、俺もアンタを殺さない」
 そう言い切ったのと同時に、キサラギを中心にしていた一帯を包み込んでいた、重苦しい空気が霧散した。
 彼が殺意を消したのをハッキリと感じたエルフは改めて、自身の敗北を受け入れた。
 傷は深いが、全く動けない訳ではない。しかし、ここまでの攻防で、目の前の人間は自分が少しでも妙な素振りを見せれば、一切の躊躇なく、自分の首を大根でも切るかのように飛ばせるだろう。
 にも関わらず、キサラギがまだ戦える敵の前で臨戦態勢を解いたのは、自分の方が体力的にも精神的にも有利であると確信しているからだ。驕りでも何でもなく淡々と、それを簡単には揺るがない現実として見ていた。
 こんな余裕を見せ付けられては、闘争心も萎えてしまう。
 だが、エルフの胸にあったのは苦々しい物ではなかった。負けたのだから悔しいのだが、ダークエルフとの争いが終わった後に抱く、刺々しい憎悪とは対極の敗北感であるように、彼女には思えた。
 (久しぶりに、悪くない気分だわ)
 自然と口の端を緩めてしまうエルフに、キサラギは何かを投げて寄越した。
 「血止めしろよ。
 あんだけの術を使ったんだ、治癒魔術も使えないだろ、もう。
 まぁ、市販薬だから、アンタ等が作っている物には到底、及ばないと思うが」
 「それは厭味か?」
 肯定も否定もせず、キサラギは背を向けたままで肩を竦める。そんな態度を見せるキサラギにまた、口の端を緩めたエルフは胸の傷に軟膏を塗りこんだ。 少し沁み、エルフは「っつ」と苦痛の声を小さく漏らしてしまう。
 自分も頬の傷に薬を塗っていたキサラギは頃合を見計らって、背後の彼女へガーゼと包帯を投げてやる。
 礼を口にし、ガーゼを傷口に当てたエルフだったが、不意に包帯を巻こうとした手が止まる。
 「人間、すまないが」
 「何だ?」
 「巻いてくれるか? 傷が思ったより痛んで、腕を上手く動かせん」
 「お安い御用だ」とキサラギは快諾し、エルフの豊満な胸を半ば潰すようにして、包帯を巻きつけていく。普通の男なら、エルフの水を珠にして弾きそうな瑞々しい肌や、豊かとは言い難いが感度は良さそうな胸に欲情を覚えそうなものだが、数十分近くも続き、今の今まで殺し合いをしていた相手である上に、性欲を律している彼は平然としながら、時折、「痛くないか?」と尋ねながら、具合を調整していく。
 そんなぶっきらぼうだが、素朴な優しさが滲み出ているキサラギに、エルフは好意を抱いた。男女間の好意ではなく、一介の戦士に対する信頼が主に篭もった好意であったが。
11/11/08 14:19更新 / 『黒狗』ノ優樹
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