装備しない防具に意味はない
戦場で勝利を得るには何を持てばいいか、という問いがあるとしよう。
ある者は『何者をも粉砕する剛力』と。
ある者は『何者をも圧倒する魔力』と。
ある者は『届かぬところからの攻撃』と。
問われた者達は、皆各々の信じる『力』を答えた。
だがその中で。
当たり前過ぎて見落とし、言われるまで殆どの人間が終ぞ答えられなかった解を口にした人間がいた。
曰く――『情報』と。
相手を一歩も二歩も抜き去る為の情報。
相手を撹乱し有利に事を運ぶ情報。
知る事とは選択肢が増える事を指す。
物事の理解を深め、把握し、本質を捉える事で新しい分野を開拓する事を指す。
有識とは理であり利である。
無知とは蒙であり害である。
『知る事』自体を武器と出来る、重要でありながら見落とされ続けた『情報』という存在。
これは弱い人間達が、かつての英雄達に倣い『情報』を武器に駆け抜けた名も残らぬ兵士達の戦いの記録である。
「全隊、注目!」
掲げられた光と十字架を象徴とした旗が空にたなびく中、旗よ奮えと言わんばかりの胴間声が轟く。
突然の声に驚く者は無く、恫喝にも似たその響きに男達の視線は集中した。
一般兵よりも細工の施された兜を被り、白いものが混じった髭面の男が部下を引き連れながら練り歩く。
「諸君。我が部隊、我が兄弟達よ。今日我々は神の名の元、あの忌々しい魔物達に鉄槌を下す機会を得た!」
芝居がかった台詞が低く響き、兵士達の腹の底に染み渡る。
そこに戦場への緊張も恐れも無い。
ただ己の、そして仲間達の力への絶対的な信頼のみが存在している。
兵士達の視線の中心にいる髭面の男――隊長は、無言の中に秘められた確かな闘志に内心満足した。
「恐れ多くも勇者様達を押し退け、我等はその加護を得るに至った――どうだ、貴様等。戦場が怖いか!」
隊長の部下はいずれも若輩が多い。
歳を取っても20代前半、若ければ10代前半だ。
ベテランと呼ばれる者達はその知識と技術を若人達に引き継がせ、あるいは貴人達の守りとして前線から後退させられる。
隊長の部下は彼の内心とは真逆に、若輩で戦場の恐怖も知らず只々英雄譚に憧れた夢見がちで血気盛んな若者達で溢れ返っていた。
「魔王が代替わりし、魔物が姿を変え、だがその性質は変わらない……獰猛で野蛮な、主神様の恩寵に賜る事能わぬ邪悪な存在のままよ。然るに! そのような存在をこの地上に蔓延らせて良いものか!?」
――――否! 否! 否! 否!
「街を攻めさせ、無様に蹂躙させ、人を贄とする――そんな行いを許せるか!?」
――――否! 否! 否! 否!
「純潔を守り、清廉に生きる者達を堕落させ嘲笑わせて良いものか!?」
――――否! 否! 否! 否!
異様な雰囲気の中、隊長は部下達の戦意を煽り続けた。
これから起きる戦を生き残らせる為に。
戦場だけに集中させ、余計な事を考えさせぬように。
若人達の人生を、次に繋ぐ為彼は為政者の如く部下達を鼓舞し続けた。
「諸君。我が同胞達よ。確かに我々は彼奴等に対し力で劣る、魔力で劣る、身の強さで劣る。しかし――我等には加護がある! 異界より参じた勇者達の知識がある! 恐れず進め! 我が兄弟達よ!!!」
――――オオオオオオォォォォォォッ!!!!!!!
もし、第三者が見ればその隊は異様だったろう。
兜も有る。馬も有る。
剣も、槍も、身を守る教団の紋章の入った盾も有る。
ただ、その体をすっぽりと覆う外套を全員が身に纏う事が異様さに拍車を掛けていた。
反魔物領への侵攻。
人間側から見れば迷惑この上ないと取られかねないが、その実は逆である。
何も手当たり次第積極的に落とす訳ではない。
ただ、その反魔物領が人権を無視した目に余る扱いを市民や捕虜に行っていたり。
親魔物領への余計なちょっかいを掛けてきたり。
高く売れるからと貴重な鉱石のある土地に攻め入ったりしてくるのが我慢の限界になった時に圧倒的質量と物量を用いて電撃的に、何が起こったのか分からせる間も無く全ての武力を破棄させる事で人命を失わせずに親魔物領にする――それが偶々人間側に『侵攻』という形で流布されるだけである。
なので、魔物娘側にとっては『闘っている』という意識がある者がどのくらい居るか怪しい程である。
殆ど新天地の婿を得る事を最優先に考えており、大まかに、本っっっ当にふわっとした外枠だけを伝えて作戦の体を成している、そんな大所帯が『侵攻軍』の実情であった。
「隊長ー、今のところ動きはありませーん。暇でーす」
空から偵察していたハーピーが声を投げる。
猛禽にも似たその視力を以って、数十km先の部隊の動きを逐一報告させている為彼女の声には非難が混じっていた。
だが、それは隊長と呼ばれたサキュバスも同様である。
既に魔法で書簡を送って数刻、未だに返答が無い。
わざわざ人間側が有利になるよう日中に行動し、こちらが害する意思を示さずに無血開城求めているにも関わらず門は硬く閉ざされたまま。
日差しは強くて肌は焼けるし、風は強めで髪も痛む。
暑さ寒さには強いといえど其処は女子。お肌も髪も大事にしたいのだ。
命令で来ているとはいえ処女の如く閉ざされた門を忌々しく思わずには居られない。
「約束の刻限を過ぎています、いい加減攻めても良いのでは?」
隣に居る副官のリザードマンが進言する。
彼女はこの烏合の衆で、数少ない『闘い』を求める存在であった。
勝負し、自分を打ち負かせる猛者と合体する。
その為だけに疼く体と期待を抑え、今か今かと待ち望んでいるのだ。
彼女も余計な戦いはしたくはない。
でもやっぱり闘ってスッキリしたい。
そんな野菜人的な思考の持ち主であった。
「そうね――」
数日前に領主の私室宛に送った書簡の回答期限は今日の正午まで。
現在朝食をとって腹ごなしに軽く寝て現在正午。
一切動きが無い門を前に、サキュバスもいい加減突っ込んでもいいか、と考えつつあった。
何せそろそろお腹も空いてきたのである。
反魔物思想に染まりきり、教団の教えを守り頑なに童貞処女を守り通しているご馳走が手を伸ばせば届く距離に居るのだ。
もういっか、とも思おうものである。
「全軍――」
やる気の無い仕草で突撃、と手を振り下ろそうとした途端、彼女は真剣な表情で振り返る。
尋常ではない様子に副官も背中から曲刀を引き抜いて身構えた。
「本陣にたった数名、だと? やる気があるのか、貴様等は」
既に剣を抜き、討ち取らんと接近していたのは外套に身を包んだ髭面の男である。
兜から僅かに覗くその隙間からは、漲る闘志で爛々と瞳が輝いていた。
叩きつけられる殺気をものともせず、サキュバスは不適に笑う。
「これはこれは。防衛部隊の隊長さんじゃない。なぁに? そんなに私が恋しかった?」
「黙れ……貴様のせいで俺は、不名誉に身をやつしたのだぞ……!」
飄々としたサキュバスの態度に奥歯を噛み砕かんばかりの憤怒を殺して隊長が応える。
隊長は元々、ベテランの騎士として誉れを賜っていた。
齢40を超えて清い身を保ち、家庭を持つ事無くその生涯を剣に、そして教団に捧げる事を誓った。
勇者の適性は無いものの、騎士の鏡とすら呼ばれた経歴を持つ身であった。
だがその経歴は目の前のサキュバスによって小さく傷を付けられ、心無い人々によって傷を広げられ左遷、という結果となった。
「不名誉って……私、貴方に何かしたかしら?」
遠く響く剣戟を聞きながらサキュバスは大変遺憾である、という感情を隠さずに眉をひそめる。
対して、隊長は顔を真っ赤にして爆発した。
「俺を惑わせやがって……! ほんの少し勃って、軽く発射しただけでどいつもこいつも堕落扱い! ふざけるな! 俺は……俺は教団に剣を捧げたんだぞ! お前が卑劣な策になぞ嵌めなければ俺は後ろ指を刺されずに済んだんだ!!」
「あー……」
隊長の発言でようやくサキュバスは思い至った。
夜中、好奇心で反魔物領付近を飛び回り一人剣の稽古をしていた目の前の男を見初めたのだった。
少々年齢は重ねているものの、引き締まった肉体に野生的な顔立ち。そして大人の男性独特の香りに混じる童貞の気配。
優良物件即合体と意気込んで組んず解れずしていたところ、やってきたのが神聖魔法を使う僧侶や神官が複数名。
流石に多勢に無勢と一旦引いたのが2週間ほど前であった。
「道理で同じとこに行っても居ないわけよね、お陰で探したわー」
「こ、の……馬鹿にしやがって……!」
顔面から炎魔法でも出せるのではないかと思わせるほど怒りで真っ赤に染まった隊長の顔に、サキュバスはふと疑問に思った事をぶつける。
「そういえば……風向きが変わって漸く分かったのだけれど。どうやってここまで接近してきたのかしら?」
その言葉に少しだけ溜飲が下がったのか、隊長は口角を吊り上げて笑い答える。
「ふ……いいだろう、教えてやる。これは厚手の布地に植物の汁を含ませ、内側に異界の物質――『ビニィル』を用い体臭と汗を内側に閉じ込めたのよ! 貴様等ご自慢の鼻を誤魔化す為にな!」
「「『ビニィル』?」」
聞いた事の無い名前にリザードマンもサキュバスも首を傾げる。
「異界の知識による産物――再現は苦労したが無理ではなかった。そして、これから貴様等が味わうのは更なる絶望……!」
唐突に隊長の纏う外套が膨れ上がる。
それが筋肉による膨張である、と気付いた瞬間隊長は己を覆い隠すものを大仰な仕草で取り払った。
「見るが良い……これもまた、異界の知識の賜物。その名も“純潔殺し”!」
剣を杖代わりに構え仁王立ちをする隊長の姿に、サキュバスとリザードマンは大きく目を見開いた。
はち切れんばかりの厚い胸板を覆う白いフリル付ブラウス。
意外と細い腰にはコルセットが嵌められ、その上の胸板をこれでもかと強調している。
視線を下に下げると筋肉の張り付いた逞しい太ももが、足の付け根を見せるか見せないかという際どいラインで黒いスカートに隠されている。
更にその足からは一切の無駄毛が排除され、膝上までを覆うスカートと同色の無地のニーソックスが筋肉に絶対的な領域を与えていた。
「「ぶふっ!」」
サキュバスとリザードマンは思わず同時に鼻を押さえる。
しかし、噴出した量が思いの外多かったのかポタリ、ポタリと掌を伝って血が大地に染みていく。
その様子に隊長は満足げな表情を浮かべた。
「やはり、な……貴様等は童貞や処女など『神聖なる者』を好む傾向がある」
一歩踏み出す隊長に二人はたじろいだ。
ヤバイ。何か分からないがこれ以上近づかれると色々とヤバイ。
そう思ったが故の行動であったが、隊長はどこ吹く風で洋々と口を開く。
「この装備はな、その『神聖さ』を殺す効果があるのだ……故に貴様等の求める存在を、最初から踏み躙る効果がある。クックックッ……いいザマだ。其れほどまでに衝撃的だったか」
結構結構、と隊長は非常にご満悦である。
ちなみに、彼女達にとってもご満悦である事を彼は気付けていない。
蒸れた布地から発する汗混じりの精が外気に晒された事で急激に蒸発し、濃密な匂いを隊長の周囲に満たす。
加え、彼の接近を気付けた理由の一つである『隊長が風上にいる』状態が濃密な匂いを彼女達に余さず届けるのである。
一見可憐な少女が身に纏うに相応しい衣装を中年男性が着るという背徳感。
悪戯が成功した子供のような満足げな表情が、歳を重ねた男性が浮かべるというアンバランスさ。
加え、野生的な肉体的特長を隠しつつ主張するという絶妙のバランス加減。
一発二発といわず三発も四発もいい感じで攻められては、如何な実力があろうと発揮は難しい。
このままお持ち帰りしたい、という欲求と滝のように止まる気配の無い欲望の滴を天秤に掛け、これ以上の無様を見せたくないという乙女心が勝った結果サキュバスは全軍に撤退を命じる事を踏み切った。
「良い、良いわ貴方――前も素敵だったけど、今はそれよりもずっと素敵……」
片手で顔の下半分を隠しながら、やや呼吸の荒い声で語るサキュバス。
もう片手で真っ白な光球を作ると空高くそれを打ち上げる。
弾けた光に目をしかめた隊長が、その光に慣れる頃にはサキュバス達の姿は何処にも見えなかった。
「――――逃げたか。まぁいい、効果は示せた。まずはそれで十分か」
いつの間にか剣戟の音も止んでいる。
静けさの中、一人少女服で女装をした中年が残されるという魂を削るような光景の中で彼を呼ぶ声が聞こえる。
「隊長ー! ご無事でしたか!」
駆け寄るのはやはり少女服を着た男。
隊長より二周りほどは若い彼は、平均年齢の低い彼の部隊の中でも副官を任せる存在であった。
「あぁ、取り逃してしまったがな……隊員の損耗率はどのくらいだ?」
「全員疲労はありますがゼロですよ! 流石神のご加護、勇者様の御知恵です! 快挙としかいいようがありません!!」
興奮し、年齢以下の幼さを隠そうともしない部下に隊長の表情が緩む。
だが、部下の云うとおり快挙である事も相違ない。
魔力によるゴリ押しではない。
怪しげな薬品による力でもない。
勇者による存在としての拮抗でもなく、卑劣ともいえる策略でもない。
人間の技術で意表を突いた。
人間の知識で有利にたった。
人間の研鑽で食らいついた。
全て、特別な道具や存在による勝利ではなく、『情報を有効に使えるか』という一点と有効に使う為の努力で得られた凡人の勝利。
被害を出さずに敵を撤退せしめた、正しい意味での『人間の勝利』である。
「隊長!」
「隊長!」
「隊長!」
「隊長!」
青く高い空へ向けていた目を地を振り向けば、あちこちから部下達が隊長の下に集ってくる。
一人として欠ける事無く、希望の灯火を内に秘め眼を輝かせて駆け寄ってくる。
――――人間は、魔物には決して屈しない。
この戦いは歴史上記録されていない。
一つだけ確かな事は、記録に残さずとも男達の胸の想いが人類側に、そしてその姿が魔物娘側に。
確かに刻まれた。それだけである。
尚、数日後。
全く同じ服装のサキュバス率いる侵攻軍に街を歓楽させられたのはバッチリと記録に残った模様。
15/10/03 01:12更新 / 十目一八