伝わる想いに帳は下りる:前編
目を開ける。
正確な時間が分からないが、どうやらまだ深夜のようだ。
周りは暗く、こちらを覗き込む月明かりに照らされた天音さん―――いや、ミレニア姉さんだけが確かな存在感を放つ。
「ワイト、だったよね…ごめん…姉さん、全然気付かなかった」
心の底から申し訳ないと思う。
それを受けてミレニア姉さんは拗ねたように返してきた。
「…待ちました。それに、ここまで鈍感なんて思いませんでしたわ」
ぷい、と顔を背ける。
その様子が可愛らしくて、つい苦笑してしまう。
「本当にごめん、俺が悪かったよ。何でもするから許してくれないかな…?」
上体を起こして抱き締めようとする。が、そこで違和感に気付く。
妙に身に着けているものに空間的な余裕があるのだ。
「あれ?服大きくね?」
顔を背けたまま、ギクリと一際動揺する愛しの姉。
……何してくれやがりました?
「姉さん、正直に答えてくれ。俺が起きるまでに何をした?」
「あ〜…その、話せば長くなるのですが……」
微笑んで続きを待つ。無論、目は笑っていない。
正面に座ったマイシスターは今までの余裕が嘘のように冷や汗を掻きつつ、両方の指の先端を軽く付き合わせる。
「えー…と、その、何と申しましょうか。そう、出来心だったのですわ」
「具体的に話してくれないかな?お姉様。場合によっては容赦致しかねるので、割と切に願います」
話し辛そうだが、ここで折れる気は全く無い。
自分の声が若干高くなったようだが、本気で何だコレ。
嫌な予感がしているが確認するまでは現実ではない。頼むから違っていて欲しい。
ミレニア姉さんは観念したのか、机の上にあった小さな鏡を手に取ると鏡面をこちらに向けてきた。
周りが暗い筈なのに、やけにハッキリと見える鏡の中の自分。
間違いなく自分の顔だが、そんな筈はない。
―――これは自分が十代後半の時のものだ。
「え…、ええぇ……っ!」
ペタペタと両手で顔を触る。
感触は本物で、頬を抓ると痛みしかない。夢ではないのだ。
俺は一体何をされたのか。
「…お姉様、少々伺いたい事がございます」
「は、はい…私でお答え出来る事でしたら……」
目が完全に泳いでる。それに、こちらが怒っている事も察しているようだ。
余計な心情説明が要らないのは実に都合がいい。
「正座…」
ぼそり、と押し殺すように声を出す。
「…え?」
そうかぁ、聞こえなかったか。ならもう一度だ。
「正座あっ!!」
「は、はいいいぃぃぃ!!!」
およそ見せた事のない剣幕に飛び跳ね慌てて正座をする彼女。
座ったのを確認すると自分もそれに習う。
如何に自分の憧れであろうが恩人であろうが想い人であろうが、魔改造されて冷静になどなれない。
真意を問い質す。
取り敢えず、床は固いので彼女同様布団に向かい合わせで正座する事にした。
「姉さん、今から俺の質問にはしっかりと答えて下さい。でないと……」
「で、でないと……?それより、何故また敬語に戻っていますの?」
異様な空気を纏う俺に、不死者の女王が怯える。
口元だけ笑みの形を作り、目が一切笑っていない男が向かい合って殆ど瞬きせずに見つめるのだ。
自分も他人にされたら流石に怖い。
「凄い事をします」
ゴクッと固唾を飲み込んだ愛しの姉。
ああ、大丈夫。怯えないでくれ。大した事はしないよ。
ちょっと正座の時間を長引かせるだけだよ。
その後姉さんの足を触るけど。
「一つ目。今の俺の姿は何?何故こうなったの?」
「…はい。その、私、公人さんに私の記憶を共有して頂きましたわね?」
頷く自分。
記憶共有で俺の記憶を揺さぶられ、お互いの記憶が実際に有った事だと確信する。
今は完全に思い出しているが、忘れていた事は本当に申し訳なかったと思い出した今でも思う。
「当時の貴方は幼くてとても可愛らしいかったですわ。今ではすっかり一人前の男性で、素敵な殿方になりましたわ」
贔屓目に見られているようで恥ずかしいのだが、憧れの人に『素敵だ』と言われるのは満更でもない。
彼女は自分の胸を押さえるように手の平を当てて言葉を続ける。
「この部屋に入った時から少しずつ魔力を貴方に流し込んでいました。お互い大人ですもの。万一思い出さなくとも、きっと獣のように求めてくれるものと信じておりましたわ」
ちょっと待て。聞き捨てならない発言がなかったか。
「姉さん?今なんて「しかし!」
くわっ、と糸目を見開くミレニアさん。
開くと普段よりも大きな二重瞼の瞳が表に出るので、一瞬誰か分からなかった。
正座のまま、お互いの膝が突きあい顔が触れそうな位近くに寄って来た為、彼女の甘い体臭が鼻腔をくすぐる。
「一体どうしたというのです!身も心も準備万端な私を尻目に、一切手を出さないとは何事です!!」
それでも健全な男子ですか!とポスポス布団を拳で叩きながら、何故か自分が怒られていた筈なのになし崩し的に俺を怒る姉。
そんな姿でも領主だけあって迫力があり、相手が言を次げない勢いで捲くし立ててくる。
「もしかして浸透させる魔力量が少ないのかも、と不安になって密着しつつ魔力を増量注入しても一向に態度が変わりありませんし!」
「いくら人間に化けていたからといって私を思い出す様子もない。顔の造作は一切変えていませんでしたのに」
「忘れられているかも、とは思いましたが。まさか、完全に忘れられているなんて思いませんでしたわ…」
急に失速するミレニア姉さん。
そのまま俺の胸に頭を寄せ、軽く体重を掛けてくる。
「…初めて【天音 千代】としてお会いした時の事、覚えていらっしゃいます?」
覚えている。出会いがとても印象的で忘れられない。
そう答えると、幾分雰囲気が和らぐのを感じる。
更に強めに体重を掛けられた後、少し長くなりますが、と続けて彼女は話を進めた。
「私が故郷から希望する領民を引き連れてこの世界に来た頃の事ですわ」
「約束通り数年で準備を終わらせて無事到着致しました後、先だって手配頂いていた戸籍の取得と土地の売買も終わらせました」
「一緒に転移してきた城下町の一部も、購入した更地にこの世界の建築物に近づけるよう改修をして。この世界の領民の伴侶となる方々の受け入れ準備も整えましたわ」
「後は貴方を迎えに行くだけ。そう思って貴方に掛けたお呪いを辿ったのです」
「捜索も問題なく終了。でも、驚いた事がありましたの」
―――それは、まさか。
「俺が…予想以上に歳をとっていた事?」
無言で頷く彼女。
「私のミスですわ…、魔界とこちらの世界の時間の流れが同じだなんて勝手に思い込んでいました」
「ある程度の時間同調は可能でも、何らかの食い違いがある事は予想して然るべきだったのです」
「もっと早く到着出来ていたら…いえ、準備段階から早めていれば貴方にあんな追い込まれた顔をさせる事もありませんでした」
「この場でお詫び申し上げますわ…。お姉ちゃん、公人さんを待たせすぎてしまったようですわね。約束を破って、ご免なさい」
そう言って、彼女はゆっくりと俺の胸から頭を離した。
「貴方の容姿が若返ったのは、恐らく貴方に浸透させた魔力の副作用と思われますわ」
ハッキリと告げられた。
まず原因が分かった事に安堵する。
「分かったよ。後、姉さん。俺からも言いたい事がある」
頭に疑問符を浮かべてこちらを見返している。心当たりはないようだ。
なるべく優しくこちらの真意を伝える。
「…姉さんは悪くないよ。ちゃんと準備を終わらせて、こっちに来てくれた」
「俺を見つけてくれたし、こうして今も愛してくれてる。約束、守ってくれて嬉しいよ…」
「公人さん…」
彼女の細められた瞳から輝く雫が零れる。
ゆっくりと、今度は自分の意思で愛しい人を腕に抱く。
膝立ちの状態で、自分の胸にミレニアさんの頭がくるよう位置を調整した。
今の自分の顔は彼女に見せられない。
「姉さん…」
「…はい」
この行為で彼女の中で情欲のスイッチが入ったようだ。
これからの行為に、期待しているのだろう。荒い吐息が混ざり、背中に腕が回された。
「何で魔力注入したし」
「」
「足、痺れてるだろ」
固まる姉。図星だったようだ。
「正座は慣れてない人はすぐ痺れるからなぁ。ちょくちょく動くし、おかしいと思ったんだよ」
きっと今の俺の顔は彼女どころか同僚や親にも見せられないだろう。
こんな、豊潤な果実のように少し絞れば邪悪が邪悪汁として溢れ出そうな表情なぞ自分でも見たくない。
だが、出来てしまったものは仕方ないのだ。
仕方がないから今から行う行為も、また仕方がないとしか言いようがない。
「さっきの説明だと、『姉さんが俺に魔力を浸透させたから若返った』のが原因って事になるなぁ」
「丁度いいから二つ目の質問をするよ。俺の了承も無しに何でそんな事したの?」
我ながら異様な迫力を出せるものだ。
半分は演技だが、もう半分は一言もなく魔改造された怒りのせいかもしれない。
芯から冷えているこの声は、流石のミレニア姉さんも演技とは見抜けなかったようだ。
「そ、それは、その…そう!先程も申し上げたではありませんか、お互いもう大人。獣のように求めて欲しいと―――」
「それは姉さんの欲求だよな?…俺が聞いてるのは理由なんだよ」
そう言って未だに痺れているであろうその足に片方の腕を伸ばす。
頭の中で何かが噛み合う感触がし、違和感を覚えぬまま軽く触れる。
―――刹那。
「ひぃいいやあああぁぁぁっ♥♥♥」
嬌声とも絶叫ともつかない声が胸元から聞こえる。
片手片腕で頭を抱えるのは中々骨が折れるが、まだ離す気は無い。
「どうしたの?近所迷惑じゃないか。管理人なのに大声出して、恥ずかしくないの?」
そう続けて、そのままゆっくりと指でなぞる。
「ひ♥ぃいっああ♥や、め♥」
断続的な反応が心地良い。
が、話せないのはこちらとしても困るので、足から指を離す。
「公人さん…っ!悪戯にしては程が過ぎ「理由は?」」
顔を高潮させこちらの戒めを解いて離れようとする彼女の足を、今度は両腕で掬い上げた。
両方の足を持ち上げ、踝の部分を自分の両肩の乗せる。
持ち上げた事でハーフパンツの丈がずれ、一気に短くなる。
形の良い足が露わになり、少し変則的だが彼女を押し倒しているような形となった。
接触する面積が拡がったせいで言語に絶するであろう衝撃が彼女の脳裏を焼いたのか、声も絶え絶えである。
「……ぁ♥はぁ、ううっ♥」
情欲をそそる光景だが、まだ流されてはいけない。
目の焦点もブレ気味なので、このやり取りを楽しめる時間はあまりないのかも知れない。急がなければ。
「聞こえてる?お姉様。お姉様をお慕いして止まない弟が答えて欲しいんだけど」
「何時から、どうして襲わない約束を破って俺に魔力を与え続けていたのかなぁ?納得できる回答が欲しいなぁ、俺」
問いかけを投げると同時に、今度は強めに力を込めた手の平で大きく脛から脹脛を撫でる。
滑らかな感触が手の平を伝わり、死者特有の冷たさを持つ肌は生者と対極に有る筈なのに吸い付きたくなる位瑞々しい。
これが『正座で足が痺れている状態』でなければ、彼女も喜んでくれたろう。
だが、今は名状し難い電撃が走るお仕置きでしかない。
「あああぁぁあっ!♥言います、言いますからソレ、やめてぇ!♥♥」
「言うまで止めない。さ、続けて?」
今度は強弱をつけて撫で回す。若干の話す余裕を残させて、彼女の根幹を曝け出させる。
「公人さん、を♥お♥お♥ずっとずっと私の伴侶にしたかったのですぅ!♥♥♥」
「だって、あの時の公人さん…んぅ♥可愛く、て仕方なかったぁ♥ん♥ですものお!」
「久♥しぶりにぃ♥会えた♥ん♥と思いましたら、昔の面影が、残ったまま紳士にぃ♥ひぅ♥なっていらっしゃいましたし♥♥」
「どっちか選べ、と言われても♥無理ぃ♥ですわ♥♥♥」
声から判断すると、どうやら痛みから快楽になりつつあるようである。
それなら、と一気に片方の足の膝裏までの位置を肩に乗せ、もう片方は開放する。
だらしなく開いた股に割り込むように身を進め、開脚を強要させる。
限界近くまで急に足を開かされた事に驚いたのか、体制的に正面を向く事が辛い事が加わって反射的に身を捩る彼女。
投げ出された足の方に空いている手を添えると、そのまま太腿の内側を撫で回す。
痛みの伴った快楽に布団を掴んで耐えるその姿に、本当に挿入しているような錯覚を覚える。
そろそろ彼女の発言通り、獣のように盛ってしまいそうだった。
最早快楽としてしか認識出来なくなったのか、当初に比べれば単調な力加減でしか動かしていないにも関らず彼女は自発的に続ける。
「一番魔力を強く注入したのは記憶共有の時です。ここで、ん♥公人さんの身体が変わりました♥」
「私、どちらかなんて選べませんでした♥昔の可愛い公人さんに会いたくもあり、ましたし♥再開した紳士な公人さんも♥欲しかったんです♥♥」
「悩んでいる間にもぉ♥魔力注入は止めませんでした♥続けていたら目覚める頃には確実にインキュバスになるは分かって、ひ♥いましたから」
「私、どのような結果でも受け入れよう、と思っていたら段々貴方は若くなっていきましたわ♥あぁ♥昔の公人さんになるのですね、とそう思いましたわ」
「でも、結果は違いまし、た♥貴方は、私の知りたかった時の貴方になった」
「目を覚ますのが待ち遠しかったですわ…♥手に入らないと思っていた時間の貴方が手に入る。嬉しくてどうにかなってしまいそうでした」
まだ大分息が荒いものの整ってきたのか、しっかりとした受け答えをするミレニアさん。
「このアパートで再開した時からアプローチしていましたが、結局【天音 千代】としての思い出しかなくて【ミレニア・ヴォルドール】は記憶に埋もれてしまったのだと分かりました」
「…時間が経ちすぎてしまったのか、と本当に怖かった。けれど、ならせめて【天音 千代】として添い遂げようと思い直して強攻策を取ったのです」
「でもやはり、私は貴方の射止めた【ミレニア・ヴォルドール】として傍に居たかった。だから強引に思い出して貰ったのですわ」
「これが私が貴方に魔力を注入した理由ですわ…納得、頂けまして?」
我が侭な女でしょう?そう、弱々しく胸の内を吐露される。
俺の見ていた【管理人 天音千代】は、もしかするとかつて彼女が周りから見られていた【領主 ミレニア・ヴォルドール】の焼き直しではなかったのだろうか。
役割を自分に課して。
本心を押し殺して笑顔の蓋をして。
それでも彼女は本当の自分の見つけて欲しかったのだろう。
かつて、幼い自分がそうしたように。もう一度見つけてくれる、と信じて。
もう、怒りは湧かなかった。
「分かったよ…忘れていたのはこっちだもんな」
「それと、俺の本当の気持ちを言うよ」
持ち上げていた足をゆっくりと下ろす。
「愛してる、姉さん。うだつの上がらない俺だけど、こんな俺で良いのなら貰ってくれ」
自分の正直な気持ちを伝えるのは、本当に慣れない。
上手く伝わったか全く自信も持てない。
しかし、少し卑屈な告白となったが俺がミレニア姉さんと添い遂げたいのは本当だ。
どうか、上手く伝わって欲しい……!
ミレニア姉さんは呆けたようにこちらを見たままだ。
内心、焦る。お仕置きが効きすぎてしまったのだろうか。
そう危惧していると、ゆっくりとミレニア姉さんは自分の頬に触っていた。
自身の造詣を確かめるように触る。
途端。
―――――――――あはぁ♥
両目を薄く開き、恍惚とした表情で俺を見た。
潤んだ瞳の奥は紅く情欲に灼かれており、期待を込めた眼差しは不死者に似つかわしくない熱を持っている。
予想以上の告白の効果に、今日は寝床から立ち上がれるだろうか、と軽く悪寒が走った。
外はまだ暗い。
カラン、と。
氷の融ける音が遠く感じた。
13/10/17 10:35更新 / 十目一八
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