連載小説
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8話:檻の澱
※約9600字程あります。お時間のある時にご覧下さい。
※花子(仮)さんは次回から復帰です。
 





 霞の探し物は視界に入れば簡単に見つかる範囲の物品だ。
 探し物は成人男性用の枕くらいの大きさで猫のぬいぐるみ。
 色は明るい黄系統で虎柄だそうだ。
 探す範囲が広大である為、俺達は病院の上下を手分けして探す事にした。

 霞は他所の病室や屋外への持ち出しは一切していないと言っていたので他人様の病室に忍び込む事はしなくて良くなった。
 結果、廊下や階段、トイレ等を重点的に探すのが俺の役目である。 
 ちなみに霞は落し物の届出がないかナースセンターに行って貰った。
 そこで見つかれば万々歳だし俺もさっさと帰れる。
 霞に口裏を合わせて貰ってここから出れるよう便宜は図って貰う約束はしているので、俺の社会的抹殺を逃れる為にも何かしら貢献はしなくてはならない。
 しかし――――

 「――――不気味なくらい静かだな。病院だから当然なんだろうが」

 正直言えばスニーキングミッションなどせず巡回する看護師でも見つけて適当に聞きたかったのだが。
 運悪く巡回がまだなのかこの階は終わってしまったのか、人っ子一人見掛けない。
 夜の暗さに目が慣れてきたとはいえ、正直こう暗いと心細くなる。
 それに俺はこんな光景を以前見た事があるような、ある種の既視感を感じていた。
 
 薄暗い廊下。
 人の気配の無い空間。
 仄暗く縁取られた人工物達。

 ここまでを想起して、俺は頭を振る。
 いや、無い。そんな光景、俺は記憶に無い。
 今回が初めての筈だ。
 数秒きつく目を閉じる。再び開かれた目蓋から肉眼が捉えた光景は、初めて目にするものだと俺に確信させた。

 「……ったく、人が居るくせにこんだけ静かなのが悪いんだよ。寝息くらい立てろっての」

 耳が痛くなるくらい静かだった。
 歩いている際に響く俺の足音くらいしかならないのは深夜の病院としては正解なのだろうが、こうまで静かだと本当に人が居るのか確認したい衝動に駆られる。
 
 例えばそこの病室の扉を開けば、本当に入院患者たちは横になっているのか。
 僅かに光る誘導灯を、区切るように配置されている真っ暗な階段の入り口から看護師は来るのか。
 曲がり角を覗けば巡回中の看護師や警備員が持っているであろう懐中電灯の光が、所有者の動きに合わせて向こう側に消えていかないか。
 
 そう、誰か居れば。
 自分がこの建物の中に閉じ込められたのではないか、という錯覚を否定してくれる誰かが居れば。
 そのような事を頭の片隅に考えながら、俺はすぐそこの女子トイレの前まで来てしまった。
 
 …………ここにあっては欲しくないんだがなぁ……。

 南無三。
 心の中でこの時だけは誰かに見つからないようにと祈りながら、俺は男子禁制の区画に足を踏み入れた。

 






 
 いっせいさん?で良かったっけ。あの『げいにんさん』のいう通りに来たんだけど、忙しいのかナースセンターにはだれも居なかった。
 うーん、ここにお姉さんやお兄さん達が居れば猫ちゃんがとどけられてないか聞いてみろって言われたんだけど。
 何人かは居るだろうからって言ってたけど、困ったなぁ、だれも居ないや。
 わたしは何となく周りを見てみる。
 
 壁には沢山のランプのついた機械がある。
 数字がランプの横にあるから、これがナースコールのボタンを押したときに光るんだと思う。
 部屋の真ん中には、わたしが横に寝てゴロゴロしても落ちなさそうな大きな机と沢山の椅子があった。
 他には封筒や薬の入った棚があっちこっちにあるくらいで何も無い。
 
 (居なかったらしばらく待ってろっていってたっけ)

 何にも出来ることがない。
 退屈だから椅子に座ってくるくる回ってみたけど、すぐ飽きてしまった。
 ちらりと壁掛けの時計を見ると、長い針が少し動いただけで違いが無い。
 
 あんまりにも変わらない。
 退屈で死にそうってだれかが言ってた事があるけど、本当にそう思う。
 一人ぼっちで友達を探して、見つからないから寝てまた探して。
 毎日変わらないまま、退屈を埋めてくれる友達をずっと探してた。
 
 (…………もう、見つからないのかなぁ)

 何となく浮かんだだけの言葉。
 なのに、意味もなくわたしを信じさせる言葉。
 
 もう、探し物なんてどこにもないんじゃない?
 ずっと昔になくなって、形も見えなくなって。
 触ることもできなくなった、わたしのお気に入り。
 そういえば最後に触ったのはいつだったろう。
 凄く近くにあった気がする。

 「いっせいさん、か……」

 どうやって来たのか知らないけど、わたし以外見つからないこの病院で久しぶりに触れた『他人』だった。
 あんまりにも面倒くさそうにわたしを扱うから、大人を呼ぼうとしたらすっごく慌ててた。
 面白がっていじめたら、今度はわたしを恋人だって言う。
 あの人は知らない人だけど、未来から来たっていう子供でも騙されなさそうな嘘を必死な顔でいうから悪い人じゃないって信じてあげる事にした。
 それにあの面白い顔、どうやって作ったんだろう。
 真剣な声であんな面白い顔するから、おなかの底から笑っちゃった。

 笑ったあとで見てみたらすっごい不思議そうな顔してたからもっと面白かった。
 きっと人を楽しませるのが好きな人なんだなって思ったら、怖い人かなって思ってた気持ちがなくなっちゃった。
 代わりに何だか温かいものが胸の中に残っているような感じがする。
 今も一生懸命にわたしの友達を探してくれてるし、いい人なんだって思う。

 「あんなお兄ちゃん、欲しかったなぁ……」

 寂しい時には居てくれて、楽しませて励ましてくれる。
 探す方法もわたしみたいに当てもなく歩き回るんじゃなくて、しっかりとどうすればいいか考えてくれた。
 あれだけ頼れると思った大人はお父さんとお母さんくらい。
 そこまで考えたら、小さく、自分でも気付くのが遅れたくらい自然な呟きが漏れた。
 
 ……そうだ、お願いしてみよう!
 『わたしのお兄ちゃんになって』って頼んだら、ずっと一緒に居てくれるかもしれない。
 そうすれば寂しくないし、友達だってずっと早く見つかるかも。
 友達が見つかれば今度は、いっせいさんのお手伝いをして助けてあげられる。
 われながら名案ね!

 そうとなればこんな誰も居ないところに居てもしょうがない。
 長い針がまた少し動いたくらいしか時間が経ってないけど、どうせ待っても来ないならこっちから探した方がいいんじゃないかと思える。
 いっせいさんは一番上から下に向かって探してるから、わたしは下から上に行けばそのうち会えると尾思う。
 もしかしたら途中で見回っている人にも会えるじゃないかな。
 
 でもきっとこの階には居ない。
 友達の猫ちゃんも居ないのは何となく分かるし、早く上に行かなくちゃ。
 お願いを叶えてもらえると思うと階段を上るのも楽しくなる。
 一段飛ばしでわたしは駆け上がっていった。










 結論:もう回収されてんじゃねぇの?
 病室以外歩き回って結構隅から隅まで探したが、それらしき物が影も形も無い。
 ちなみにトイレは探さない事にした。
 何か俺の脳内で其処が危険だという信号が嫌というほど発される為、近づく気が全く無くなった。
 というかこれだけ探してないっておかしいだろ。
 明らかに誰か持って行ったか届けてるって。
 
 おかしいと言えばこの病院の構造もおかしい気がする。
 どうやら総合病院みたいだから建物として大きいのは分かるんだが、異様に入り組んでて迷路みたいになっている。
 十字路通ってその先に十字路あって更に曲がって進んで十字路あるって十字路にどんな思い入れあるんだよここの院長。
 緊急搬送されてくる患者とか明らかに命に関わるだろ、コレ。
 職員なら慣れてるのかも知れんが、入院患者とか家族だったら付き添い無しで絶対迷う自信あるわ。
 幸い上下に繋がる階段は行く先に必ず確認が出来るので階層の移動は迷わないんだが、何処に繋がってるかが分からない。
 こう暗いとフロアガイドが有ったとしても気づけないだろうしなぁ……。
 そんな訳で俺は
 
 1・入院患者の居ると思しき部屋は覗かない。
 2・壁の陰や階段の踊り場、廊下の隅等に注意を払う。
 3・トイレ、特に女子トイレへの吶喊は絶対に避ける。

 という行動をしつつ真面目に失せ物を探していた。
 そういえばもう一つ気になる点がある。

 一度も巡回の看護師や職員に遭遇しないのだ。

 自分みたいに手探りで探している人間と違って関係者なら効率的な巡回ルートというのを知っていて然るべきだ。
 当然俺は時と場合によっては右往左往する羽目になるので、そのうち見つかるだろうと思っていたのだが一向にその気配が無い。
 何より物が動いている音が俺以外に一切しないのだ。
 途中までは俺も足音を殺して歩いていたが、就寝しているであろう入院患者達の衣擦れや呼吸音が僅かにでも一切届かないこの状況から防音がしっかりしているところだと考えた。
 よって今では音がしようが関係ないと考えて平気でコツコツ音を鳴らして歩いているのだが、逆に言えば今の今に至るまでそれ以外耳が痛いほど静かなのである。
 それこそ、最初に浮かんだ『自分以外の人間が実は居ないのでは』という考えが再び鎌首をもたげるくらいに。

 「しっかしここって何階あるんだ? そのへん霞に聞いておけば良かったな……」

 引き受けたは良いが先の見えない作業に気が滅入ってくる。
 ゴールが見えれば頑張れるんだが、それすら分からないとなると段々注意力も散漫になってしまい見つかるものも見つからなくなってしまう。
 俺は英気を養う為、少しの間壁を背にしてその場に座り込んだ。
 
 「おー、足痛ぇー……こんだけ歩き回ったのってどれくらい前だったかなー」

 少なくとも営業で走り回った時かガキの頃くらいじゃないだろうか。
 日差しに打たれて雨に打たれて、風に吹かれて歩き回ったもんである。
 
 (あの頃は忙しくって大変だった記憶しかねーけど……今思えば腐ってはいなかったよな……)

 働くのが新鮮で、アポを取っているとはいえ初対面の相手に緊張していた日々。
 それでも誰かと話すのが楽しくて、こっちの熱意が伝わって仕事を取ってこれると上司も同僚も喜んでくれた。
 それが兎に角嬉しかった。
 両親も俺の努力に喜んでくれたし、成幸にも社会に出る事の大変さと充実さを示してやれていたと思う。
 少なくともあの時の俺は人生に疑問なんて持っていなかった。
 お互いを認められて社会の一員として生きていく事を誇れていた。
 それが、いつからこうなったのか。
 
 売り込んだ先で困った顔をされた事もあった。
 戻った時に上司に苦い顔をされた事もあった。
 人一倍努力しようとして、誰よりも働いたらそのうち同僚の誰からも声を掛けられなくなった。
 最後に言われたのが底辺部署で続けるか辞めるかだ。
 
 時々今でも思う。
 
 あの時売り込んだ相手方の都合に合わせて時間をずらしていたら?
 上司の言う『肩の力を抜け』という意味が俺の体調の心配ではなく相手の都合を考えてみろ、という意味だったとしたら?
 もし誘われた時、素直に皆と一緒に昼飯でも食いに行ってたら?
 出世コースから外れたとしても、諦めずに働いていたら?

 もしも頑なにならずに誰かと歩調を合わせていたら、俺は――――

 「いや……、もう関係ない、か」

 辞めたのは二ヶ月弱くらい前でしかないのに、どんな仕事内容だったのかとんと思い出せない。
 駆けずり回って頭を下げて、ストレスを溜めたくらいしか憶えていない。
 ……この静けさと暗さは本当に嫌だ。どんどん思考の泥沼に嵌っていってしまう。
 
 無音で。
 薄暗くて。
 病院独特の重苦しいこの雰囲気。
 何でこんなにも、物事に集中するのに最適な環境を用意しやがるんだ。

 「あ、いっせいさん。見つかった?」

 「おわぁぁぁああああ!?」

 自身の内面世界に没頭してたら、途端に誰かに声を掛けられた。
 途中大声を出しそうになったのだが――――ここが病院だと思い出し何とか声を抑える事に成功する。
 大仰に飛び退いたお陰でソイツから離れる事が出来た。
 だ、誰だ!? 巡回かっ!? ここには俺しか居ないんじゃなかったのか!?

 「お〜、凄い動くね。さすが『げいにんさん』」

 本物のリアクションは勢いが違うね! など宣(のたま)う姿を注視する。
 薄闇の中これまた薄い白の病院着。
 簡単に前をあわせるだけの甚平みたいなソレを着て、小さく屈みながらニコニコ手を振っているのは先程ナースセンターに向かわせた筈の霞だった。

 「な、何でお前がここに居んだよ! 職員が来るまで待ってろって言ったろーがっ!」

 「え〜、だってひまなんだもん。誰もこないしー」(。・ε・。)ムー

 ガキかこいつ。いや、子供だったなそういえば。
 少し待てば巡回の職員が戻ってきて合流できるっていう合理性を全然理解しとらん。
 だから子供と関わるのは嫌なんだ……役割ってもんをキチンと把握しないからやり辛くって仕方ない。
 そこまで考えていると、霞が聞き捨てならない事を口にした。

 「待っててもたぶんいっしょだよー? わたし途中猫ちゃん探しながらきたけど、全然誰にも会わなかったもん」

 …………はい? 今、何て言った?

 「霞……? 今、誰にも会わなかったって言ったか? 」

 「うん、隅から隅まで探したけど、猫ちゃんも看護士さんもいなかったよ。上ってきて初めて会ったのがいっせいさんだったから」

 間違いないよ! と→Σd(≧ω≦*) グッ のような顔で自信タップリに霞は答えた。
 
 待て。まだ慌てるような時間じゃない。偶々遭遇しなかった可能性だってあるんだ。
 だって何でか知らんがこの病院、無駄に曲がり角やら分かれ道やらが多くてニアミスしまくりそうだもの。
 加えて霞は小さいし、光を照らす場所によってはその範囲に入らない事だって充分有り得る。
 そうだ、そうだよ!
 言い換えれば『この階に巡回の警備員や看護士も居る』って事じゃないか!
 今まで会わなかったんだから、最早これは確定事項だ。
 探し物も霞も、全部そいつに任せてしまおう。

 「おい、霞。多分職員がこの階に居るだろうから一緒に――「でもさ、おかしいよね」――ん? どした?」

 俺の台詞を遮ってまで疑問に思う事があるようだ。
 ほんのちょっとだけ苛ついたが、ここは年長者の余裕の見せ所である。
 俺は何でもない風を装って、霞の発言を待った。

 「だって、こんな大きい病院なのに誰もいないんだもん。ベッドにも誰も居ないなんて、みんな隠れてるのかなぁ?」

 それを聞いた途端、俺は駆け出した。
 間違いであって欲しい。
 小さい子供の勘違いであって欲しい。
 一番手近な病室の扉を乱暴に開き、俺はその中を見回した。











 ついしん。
 お父さん、お母さん。
 突然いっせいさんが駆けっこをし始めました。
 すっごく速いのでおいてかれないよう頑張ります。

 でも、なんで急に走り出したんだろう?
 まだわたしお願いしてないから、どこか行かれるといやなんだけどなー。
 それとも、いっせいさんは女の子と居るのが恥ずかしいのかな。
 たしかお父さんも、小さい頃好きな女の子の近くに居るのは恥ずかしかったっていってたし。

 (……それってつまり、いっせいさんは私のこと『好き』ってことだよね?)
 うわ、うわあぁぁぁぁああ♥
 これ、絶対お兄ちゃんになってくれるよ!
 あ、でも好きってことはいずれ結婚も…………
 
 
 どうしよう、すっごい迷う


 いっせいさんは『お兄ちゃん』と『お婿さん』とどっちがいいのかな?
 どっちでもいいって言われたら困るから、どっちか決めてもらわなきゃ!
 いっせいさーん!ちょっと大事なことだから止まってー!











 
 病室の扉を開いた俺を待っていたのは、予想していた、しかし認めたくない光景だった。
 
 居ない。
 誰も居ないのだ。
 
 病院独特のリクライニング式ベッドはある。
 マットレスの上に置かれた簡素な枕や掛け布団もだ。
 各ベッドを仕切るカーテンも常備されているし、引き出し付きのサイドテーブルの上には有料のテレビだってある。
 更に言えば、ここは相部屋なのだろう。
 扉を開いた真正面には、向こうの壁に一つだけポツンと大きめの洗面台が置いてある。
 
 だが、それだけだ。

 ここにはそれらを必要とする人間が、全く居なかった。
 
 「嘘だ……そんな訳が……」

 俺は身を翻(ひるがえ)すと、そのまま駆け出した。
 さほど離れていない位置に先程と同じような扉がある。
 俺は、迷わずそれを開いた。

 居ない。駆け出す。開ける。
 居ない。駆け出す。開ける。
 居ない。駆け出す。開ける。
 居ない。開ける。居ない。駆け出す。居ない。開ける。居ない――――

 何度繰り返しただろう。
 何度目かで漸(ようや)く俺は足を止めた。
 扉を開くとそこは前に開いた部屋と同じ造り。
 同じベッド、同じ配置、同じ装飾品。
 扉を開ける度、それらがずっと続いていた。

 「何だよ、ここ……おかしいだろ……」

 肩で息をする。
 駆け続けた疲労もあるが、それ以上にこの光景の異常性が俺の心拍数を嫌でも跳ね上げる。
 ここ、病院だろ? 人が居るんだろ? 何で

 「何で誰も、居ない、んだよ……」

 頭の中がグルグルと回っている。
 言葉の通じぬ異国の地に放り出されたような、正体の漠然とした焦りだけが駆け抜ける。
 ここは、この場所は一体『何処』なんだっ!?

 「とりゃー☆」

 突然の衝撃が俺を襲う。
 堪らず俺はバランスを崩し、そのまま何歩か跳ねていく。
 行き着く先は俺が見回していたベッドのマットレスだった。
 縁に足が引っ掛かってしまい、そのまま体勢を崩してボスッという軽い音と共に倒れこむ。
 俺が目を覚ました時と同じ光景を焼き直された形だ。
 既視感を感じ始めた段階で、俺の腹部はまた衝撃を受ける。
 最初に会った時と同じように、霞が俺に乗り上げてきたのだ。

 「つーかまーえた、ヘヘッ♪」

 最初よりも重さを感じないのは、霞の両脚がしっかりとマットレスを踏んでいるからだろう。
 膝立ての状態で乗り上げるこの姿勢は――――まさか、騎上位!?

 「お、おい! 降りろ! 流石にこの体勢はヤバい、誰か来たら「来ないよ」え?」

 俺は社会的に抹殺される可能性を恐れ、上体を起こして振り解こうとする。
 だが、不自然な体勢のせいで力が思うように入らず、華奢な少女の両手が押さえるだけでアッサリとマットレスに押し戻された。
 肘から先の前腕を俺の胸板に這わすように置いて、霞はこちらを覗き込む。
 うっとりとしたその表情は、とても幼い少女のものには見えず円熟した女性のようだ。

 「誰も居ないじゃない。探しても探しても誰も居ないなら、ここにはわたし達二人だけだよ? お兄ちゃん」

 「お、お兄ちゃん?」

 「あ、ごめん。今のなし」

 霞から妖しい微笑が掻き消え、歳相応の笑顔を浮かぶ。
 笑顔を浮かべたと思ったら、唐突に霞は声を張り上げた。

 「もー、いっせいさん速過ぎ! わたしを置いてくなんてひーどーいー!」

 霞は→o(`ω´*)o のような表情でプリプリと怒ってきた。
 同時に乗り上げたまま体全体をゆさゆさと揺する。
 本人は『とっても怒ってるんだゾ!』とでも言いたげだが、正直俺視点からだと入っているようにしか見えない。
 改めて見ると霞自身結構な美少女――但し長髪で少々幸薄そうではあるが――なので途端にいけない事をしているような罪悪感が生まれてくる。

 「悪かった、悪かったよ。とりあえず降りてくれないか?」

 霞の二の腕を軽く叩いて降参だ、と意思表示する。
 だが、霞は一切リアクションを取ろうとしなかった。
 それどころか――――

 「……ねぇ、本当に悪いと思ってる?」

 ――――あろう事か、こちらの顔を覗き込むように近づいてきた。
 軽口を許さぬ、有無を言わせぬ迫力が細められた瞳から圧力となって降り注ぐ。
 その強さに俺は、まともな返答の出来ぬまま生返事を返した。

 「あ、あぁ。まぁ、な……」

 「じゃあさ。ちょっとお願い、聞いて欲しいなーって」

 誠意を見せろという事だろうか。
 まさか金か!? コイツ俺からたかろうってのか!?
 上等だ、万年金欠の俺から取れるもんなら取ってみろってんだ!
 ……自分で言ってて泣きたくなるな、これ。

 俺の内情を知らず、霞は(on the bodyのまま)何度か深呼吸をする。
 深呼吸の間閉じられていた瞳が開かれると、そこには決意の光が灯っていた。

 「……いっせいさんってさ、大人だよね」

 うん? まぁコイツから見れば間違いなく大人だろうな。
 俺もう社会人だし。

 「わたしの為にすっごい頑張って猫ちゃん探してくれてるし、わたしが疲れないように待ってろって言ってくれるし」

 チョロチョロされると迷惑だからなぁ。
 一箇所で待ってて貰った方が分かり易いし、何より『探し物頼まれてて面会時間過ぎたの気付きませんでした、テヘペロ♪』みたいな言い訳が出来るからな。
 不審者と思われるよりは真面目な好青年と捉えて貰った方が良かったから看護士の居るナースステーションへ行くよう指示したんだが。
 まあ? 実際俺でも疲れた訳だし? 小さい女の子を歩き回らせないという俺の判断は正しかったって事になるな。
 
 「すっごく、頼りになるなーって思って。かっこいいなーって……え? どしたの、何か泣きそうだよ?」

 ヤベェ、この娘天使や。
 そうだよ、俺、頑張ってるよ!
 仕事辞めて以降いつもいつも周り(大体は成幸)から『大した事してねぇだろお前』って言われ続けてたけど、それに見合う努力は割り振ってんだよ!
 一時期は俺の努力不足かって本気で思ってたけど、そんな事ないじゃん。
 周りの評価(主に成幸)がおかしかったって事が、今証明されたぞ!

 「……なんでもない。ちょっと嬉しかっただけだ」

 「え…………そっか、やっぱりそうなんだ。ウン」

 何やら満足げに満面の笑みを浮かべる霞。
 素直だなぁ、コイツ。
 成幸なんかじゃなくて、霞が妹だったら良かったのになぁ。
 そう思ったら何だか霞が凄く可愛らしく思えてきた。
 腹の上に乗ってるのも兄妹のじゃれ合いって思えば、微笑ましい限りだし。
 それにこっちに気を使ってくれてるのか、元々軽いと思われる体重が俺に掛かる分を最小限に抑えてくれているのでまるで羽毛布団でも乗せてるような感覚だ。

 「霞みたいな良い子が妹だったらなぁ」
 
 本当に小声で漏れただけの感想だったが、至近距離に居た霞には届いたらしい。
 耳聡く捉えたそれに対し、霞はぶつかるように俺に抱きついてきた。

 「いいの!? なるなる、わたしお兄ちゃんの妹になる!」

 心の底から嬉しそうな声を上げる霞に、俺も嬉しくなる。
 あぁ――――これは、アレだな。
 
 『妹が居れば弟は要らぬ』
 
 ンッンー、これだな。男兄弟にとって一番の敵は血を分けた兄弟だって今確信したわ。
 加えて――――
 
 「お兄ちゃんだとちょっと恥ずかしいから、『一兄ぃ』って呼ぶね、エヘヘ♪」

 ――――ベネ(良し)、ディ・モールト ベネ!(非常に良しッ!)

 上目遣いからの恥ずかしがっての笑顔。
 本来の文法から外れた、使い方を間違えての言葉の使い方すら許容出来る程ベネ!(良しッ!)
 『一兄ぃ』……馴染む、実に馴染むぞォォォオオオオオオオッ!!!
 俺が心の中で某腹筋に優しくないポーズを決めていると、我が妹(成幸?知らんな)が声を掛けてくる。

 「一兄ぃ、ちょっとお願いがあるんだー♥」

 「何だい? マイシスター。言ってご覧?」

 摩擦熱で煙が出るんじゃないかってくらい頭を撫でながら俺は答える。
 可愛い妹の頼みじゃないか。
 聞いてやろう。
 
 「え、とね。わたし、一兄ぃと離れたくないの。だから」



 ずっと、一緒に居てくれるよね?



 霞の『お願い』に、俺の手がピタリと止まった。


14/09/13 23:47更新 / 十目一八
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■作者メッセージ
上げて落とす事に特に定評がありません。十目です。
今回は会社から連休が貰えたので、休みを消化して一気に書けました。何よりです。
調子に乗って書き続けたら持病の長文病が再発したようですが。

今回は新キャラのロリっ娘 霞ちゃんの口調について補足させて頂きたいと思います。
当方、今作においては憑依する側とされる側で記憶の共有化が可能という設定を使用させて頂いております。
彼女の口調が漢字や平仮名が変な形で入り混じるのは、一成の記憶している言語に無意識にアクセスしているからなんですね。
また、霞が当初一成を手助けしようと思っていたのが自身の欲求を優先する形に切り替わったのは彼女が『成りかけ』だからです。
こちらは追って作中で明かしていきたいと考えております。

本来補足が必要ないように書くのがベストなのでしょうが、慣れてきたとはいえまだ素人故の荒さが目立ちます。
駄文&長文が続きますが、生温い目で何となくお付き合い頂ければ幸いです。

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