三話
キッチンに立つ後姿に惹かれるのは何故だろう、とぼんやりと考える。
過去に見た母の残像が、記憶の中からその似姿と相まって今尚愛情を求めるからだろうか。
それとも男の望む心の平穏の何処かに、家庭的な風景を求めるからだろうか。
そんな事を考えながら苦笑する。
もっと単純な事なのだ、と。
大ぶりの果実のような大きさの胸は確かな重さを持って掌から零れ落ちようとするだろう。
余計な肉の少ないくびれは、掴めば滑らかな絹を撫でるような心地良さを与えてくれるだろう。
胸と同様に大きく育った尻は、瑞々しさと円熟さを危ういバランスで成り立たせており舐りつくしたい感覚に陥る。
最高の食材が目の前で右往左往して、視界に映る度食べ頃を主張しているのだ。
俺は静かにその後姿に近づいていく。
一歩、二歩、三歩と足音を立てずにゆっくりと近づくと、目の前の堅物そうな衣を纏った『果実』がその瑞々しさを主張しているのが目に映る。
両腕でその果実を支えている、しなやかな幹を抱え込んだ。
「もう、お料理中は危ないですから。いきなりはダ・メですよぉ♥」
こうは言っているが無論料理などしてはいない。
現在伊嘉瀬さんは、【終身介助プラン】なるものの実演をしている最中だった。
あくまで『フリ』でしかない上、本来こんな出るとこ出たら一発で負けそうな事をしている俺に彼女は甘い声で返してくるだけ。
彼女をこんな熱演に駆り立てるのは一体どんな理由なのだろうか。
しかし――――これは好機である。
突然だが一応俺にも彼女は居た。
よって年齢=彼女いない歴ではないが、あまりにライトな関係でしかなかった為『恋人』というよりは『よく付き合う女友達』程度の認識でしかなかった。
結局お互い反りが合わずあっさりと別れたのだが、それ故に俺は女性の肉体の良さというものをよく理解していなかった。
だが、今日。何故男が女に魅かれるのか。
俺は漸く理解出来た。
折れそうなくらい細く柔らかいにも関わらず、自分の力にしっかりと反発する芯の固さが手応えとして返って来る。
そのまま少しずつ腕を持ち上げると、ずっしりとした重みが圧し掛かってきた。
抵抗無く形を変えるそれは伊嘉瀬さんの双果実である。
腕に掛かるこの感触に、俺はある事実を知った。
(ノーブラ……だと……!?)
その事実に下半身に血流が集まる。
徐々に一点に集まり硬度を増すその現象に驚愕している間、彼女は震えるように身悶えしていた。
瞬間、我に返る。
「す、すみません。やり過ぎまし――――「あの、続きを……」――――はい?」
不意に下半身に圧迫感を感じた。
彼女がその熟れて瑞々しい桃肉を、惜しげもなく押し付けてきたのだ。
体全体を委ねるように体重を掛けてこちらを見るのは、本当に伊嘉瀬さんだろうか。
瞳の奥に燻っているものに見覚えがある。
母さんや姉貴が彼氏の話をした時に灯っていたのと同じものだ。
彼女は消え入るようなか細い、切なげな声で再び語り掛けてきた。
「あの、それで、続きは……」
「え? あ、いや……」
まさか拒絶どころか求められるとは思っていなかった俺は一瞬躊躇した。
腕を解いて少し掌を持ち上げるだけで、俺の両手には多くの男の夢が詰まった巨塊が収まるのである。
零れんばかりの重量を存分に味わい、固く尖った肉芽を転がせば彼女は一体どんな反応を返すのか――――
知識だけでしか知らない未知の領域へ俺を誘わんと、伊嘉瀬さんは俺の充血した股間にグリグリと張り詰めた美尻を押し付けてくる。
気付けば濃密な甘い匂いが充満していた。
鈍る思考の中、反射的に柔らかく当たる彼女の尻に布越しで肉棒を押し返した瞬間、彼女の表情が目に見えて柔らかくなる。
目元は緩み、瞳の奥の灯火は肉眼で確認出来る程猛っていく錯覚を憶える。
お互いの上がる体温を感じながら。
荒くなる吐息を感じながら。
はっきりと理解する。
――――俺も、彼女も発情しお互いを貪ろうとしているのだ、と。
掛かる体重に身を任せ、俺は彼女を後ろから抱き締める形でゆっくりと脱力する。
その瞬間、電撃のように身を走る衝撃を感じた。
「ぐぉぉおおおおおおっ!?」
衝撃は迅速に痛みへと変わり、俺はのた打ち回る羽目となる。
伊嘉瀬さんは『大丈夫ですか!?真さんっ!』と声を掛けてくれるものの、残念ながらそれに応ずるだけの余裕が俺には無い。
頭のどこか冷静な部分は偶然彼女を庇う形となって守れた事を自画自賛していたが、その誉れは未だ終わらぬ激痛によって勲章の授与を控えさせられている。
ホント何これ、めっちゃ痛いんですが? 我が身に何が起こったのか誰でもいいから三行で説明して欲しい。
「私が急に倒れこんでしまったせいで……あぁ、頭にこんな大きなコブが」
一行で済んだ。
彼女が後頭部に触れると、確かに鈍痛が走る。
予想外の怪我をさせてしまったからだろう。
先程の積極性は鳴りを潜め、純粋にこちらを心配する姿に何故か自分が小さい子供になったかのような錯覚を憶える。
大げさかもしれないが、聖女か修道女のような――――とても清廉な印象を与える顔がすぐ傍にあった。
「ま、まぁ天罰みたいなもんですよ。さっきのはどう見てもセクハラですし、出来れば訴えないでくれると有り難いかなーって」
何を言っているのか自分でも良く分からないのだが、彼女に心配を掛けたくない気持ちが大きかったので可能な限り軽い調子で言い放った。
まだズキズキと痛むのだが、この人に悲しそうな表情をされるとどこか別のところが痛む。
自分の軽口で少しは場が和むかと思ったのだが、彼女は酷く真剣な表情でこちらを見つめてきた。
「駄目ですよ。あまり軽々しく『天罰』なんて言っては」
その変わりようは異様とすら思える。
先程まで和やかに話し、艶やかな情事すら期待させた彼女が今はまるで彫像だ。
「『天罰』は確かに人に与えられるものです。ですがそれは決して安易に下されるものではありません」
同じ血の通った人間とは思えない程の冷たさを瞳に宿しながら彼女は語る。
まるで――――『天罰』とやらが憎んで尚余りある親の仇のように語る。
「『天罰』は人間の手に在らざる行為。故にそれを下す時は人の手に余る範囲に行われなければならない――――こんなのは、ただの『余計なお世話』と言うんですよ」
そういうと彼女は何も言えず固まったままでいる俺の頭を抱き寄せた。
どこまでも沈み込みそうな柔らかさに、懐かしい匂いが混じる。
「真さん……誰だって気持ちいい事は好きなんです。それを否定しないで下さい」
甘いだけではない。陽だまりに包まれたような優しい匂いだ。
抵抗無く収まった俺に、伊嘉瀬さんは血の巡りを取り戻したように熱を込めて語り掛ける。
「悪い事なんてないんです。望んで、望まれて。命はそうやって繋がっていくんです」
彼女は何故ここまで俺に構うのか。
自分達の関係はただ貸す側貸される側だけだったのに、何故こうも踏み込んでくるのか。
まさかこの人には、俺の馬鹿げた提案に乗る事で何か得られるものがあるとでもいうのだろうか。
「求め合う事は生きていれば当然の欲求なんです。それを拒む事こそ、『天罰』が下りますよ?」
分からない。
話は半分も頭には入らず、入ったとしても抱かれる心地良さが脳髄を支配する。
声は甘く、優しさは沁みて思考を奪う毒となる。
毒に犯された頭脳は情報の整理を放棄し、得体の知れない包容力は余計なものに触れないよう、大切に大切に俺という意識の中核を包み込みつつあった。
「俺、は」
もう何も考えなくてもいいのかもしれない。
思うところがあれば望めば良い。
為したい事があれば臨めば良い。
理性を除いて、ただ、目の前に居る雌を――――――――
「そう――――そうやって素直にプランをご利用下されば、それでいいんですよ?」
うわぁ、一気に醒めた。
何かおかしいなと思ったが、堕として嵌める気だったよこの人。
それに気付いた途端、俺は彼女からゆっくりと離れた。
「次、お願いしますね」
「え? あ、はい」
堕としたと確信していたのだろう。
拍子抜けする程あっさりと解かれた拘束と豆鉄砲を食らったかのような表情は中々見物である。
実際危なかったがそれを相手に知らせるのは得策ではない為、努めて平静を装う。
伊嘉瀬さんは何時の何か着衣の乱れを正すと、何事も無かったかのように案内を再開する。
「それでは次は浴場です。ご案内しますね(うーん、まだ足りませんかー。手強いですね」
頭の中の台詞が隠れていないのだが突っ込まない事にした。
恐らく碌な事になるまい。俺はそのまま彼女に連れられていった。
14/08/08 00:21更新 / 十目一八
戻る
次へ