第八話:クエスト〜ニンジャ達を撃破せよ!〜
※注意※
長い上にノリだけの会話が続きます。
ご覧頂ける方は可能な限り、深く考えないで下さい。
神おわす社。
本来静謐と厳粛が支配するべき地は今、年の瀬を越え、年の始まりを健やかに過ごそうと願う人々で溢れていた。
願う思いの篤さ故か、願い人が傍に居る熱さ故か。
境内に吹き荒ぶ寒気は、所々に残る白化粧がその装いから意識に上るだけで人々の熱気に押し負けているようだった。
そして
「イヤーッ!」
「イヤーッ!」
その熱気の渦中とも言えるところに一組の影が見て取れる。
装いは色違いの同一であり、身のこなしは引けを取らず軽い。
飛び、跳ね、回る――――――
お互い寸分の狂いなく跳ね回るその姿は、平時見られぬその装束と軽業師じみた動きから人々の脳裏に一つの言葉を紡がせる。
時に幻惑し、迷わせ、影に葬る影に生きる者。
忍者と呼ばれるその姿は、今本来の意味とは裏腹に広く人々の意識に刷り込まれようとしていた。
「ハイッ!」
白いニンジャの両手には、計四つの白濁とした湯気の上がる液体が注がれた容器があった。
見るからに熱そうなそれは、実際熱いのか白ニンジャが近くから拝借したタオル越しに底から支えられている。
白ニンジャは何を思ったのか掛け声と共にそれを天高く放り投げてしまった。
支えから外され重力の虜となった湯気を上げる液体は、そのままでは引力に引かれ器である湯飲みの回転と共に自らの熱を振り撒き、周囲の参拝客を灼かんとする。
―――その筈だった。
「ハイッ!」
今度は赤いニンジャから掛け声が上がる。
白いニンジャはその声に応じると、中腰で何かを持ち上げるような格好のままじっと待っている。
赤ニンジャはそのまま白ニンジャに駆け寄ると、持ち上げるように待ち構えていたその両手に躊躇なく片足を乗せた。
その瞬間を待っていた、とばかりに白ニンジャも再度掛け声を上げる。
「ハイッ!」
「ハイッ!」
「「ハイイィィィィッ!!!」」
足を乗せた赤ニンジャをそのまま勢いよく頭上に放る白ニンジャ。
両者は絶妙にタイミングを合わせ、天高く赤ニンジャが宙を舞った。
刹那―――赤いニンジャの衣装が意思を持つかの如く伸び、回転を続ける湯飲みを全て絡め取ってしまう。
如何なる力が働いたのか。
絡め取った湯飲みとその中身を一滴も溢す事無く赤ニンジャは音を立てずに大地に帰還した。
「ハイッ!」
見得を切ったその姿に、境内から割れんばかりの拍手喝采が起こる。
赤ニンジャは何度目になるか分からぬその中でゆっくりと立ち上がると近寄ってきた白ニンジャと対峙し、おもむろに頭上でお互いの手を打ち合わせた。
「「Yeaaaaaah!!!」」
やり遂げた雰囲気の中、懐からプラスチック製のストローを取り出す紅白ニンジャ達。
両者の手に渡った白濁液―――境内で振舞われている甘酒である―――にそれを差し込むと一仕事終えた後の一服のつもりかそのまま啜り上げていった。
空になった湯飲みを返却した後、彼等はまた何かを始める準備をしていた。
最早境内の空気は異様な熱気を孕んでおり、彼等が披露する大道芸を参拝客達は目を輝かせながら望んでいる。
彼等はそれを確認すると、次の見世物を用意しだした。
「イヤーッ!」
白ニンジャが手招きすると、赤ニンジャは自らを指差しながら不思議そうな感情を体全体から表す。
「イヤー?」
「イヤーッ!イヤーッ!」
疑うまでもない、とばかりに頷きながら先程よりも強く手を振って呼ぶ白ニンジャ。
赤ニンジャは訝しみながらも寄っていく。
「イヤー?」
「ear!」
「ear?」
「Yeah!」
白ニンジャは自分の耳の部分を何度か小突いて赤ニンジャを呼び寄せる。
耳を貸せ、という事だろう。赤ニンジャもそれを察したのか、自分の耳の部分に手を添えて顔を寄せた。
数秒経過。
聴衆に聞こえぬ程度の打ち合わせを済ませ、紅白ニンジャズはまたしてもお互いの手を打ち合わせる。
「「Yeaaaaah!!」」
打ち合わせた余韻が響く中、何を思ったのか彼等が駆け寄る先は成人の背丈数倍はあろうかという程の大きな白い壁だった。
その隣には人の背丈程もある大きな毛筆が立て掛けられており、近くには陶製の甕がいくつも並んでいる。
甕の中身は黒い液体で並々と満たされており、その液体が近くにある道具から墨汁である事が想像出来た。
そうなると大きな白い壁は、どうやら書初めに使われる巨大な紙という事になる。
大きな紙に人の背丈ほどもある毛筆でその年の抱負を書き初める。
有名なパフォーマンスを模倣したものであるが、毎年人魔協力の下行われるこの神社の目玉でもあった。
その前に佇む彼等の動向を参拝者達は静かに見守っている。
境内が一時、その本来の静寂を取り戻した矢先紅白のニンジャ達は動き出した。
「イヤーッ!」
動いたのは白ニンジャ。
その両腕には丸太と言って差し支えない位の大きさの毛筆が抱えられている。
「ハイッ!」
次に動いたのは赤ニンジャだった。
毛筆の隣に置かれていた墨汁の甕を、次から次へと白ニンジャの近くに置いていく。
「ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!」
総計四つ。
【赤】【濃】【やや淡】【淡】と書かれた札の貼り付けてあるそれらは、白ニンジャの背後に一定の間隔で鎮座させられた。
暫しの沈黙。
白ニンジャは閉じていた目を力強く開くと一気に躍り上がった。
「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」
【淡】【やや淡】の順に墨を使い、紙上を墨でなぞっていく。
含ませる墨汁の量が絶妙な加減なのか、立て掛けられているにも関わらず構成される線から無様に墨汁が垂れていく事はなかった。
奇声を上げながら白ニンジャの動きは更に加速する。
「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」
【濃】の墨汁を使い更に複雑化される線の集合体。
この時点で漸く参拝者達は気づく事となる。
彼等紅白のニンジャ達が描いているのは文字ではない。
「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」
使用する墨汁は【赤】。
これは線ではなく円を描き塗り潰される。
最後に空いた空間に『賀正』と力強く書き込められたそれは、富士、鷹、茄子に初日の出を加えた巨大な水墨画であった。
「New!Year!」
二本の長大な筆を両肩に担ぎながら見得を切る白ニンジャ。
その姿は墨汁を含んだ筆を振り回したとは思えないほど真っ白なままであった。
一切の黒点を身に付けぬその姿に、再び惜しみない喝采が鳴り響く。
老いも若いも男女の隔てもなく、等しく彼等の人間離れした妙技に驚き魅せられていた。
今この瞬間、割れんばかりの喝采の中、確かに彼等紅白ニンジャズは世界で最も注目を浴びる存在であった。
だがしかし。
頂点に居続けられるものは存在しない。
割れんばかりの喝采は次第に潮が引くかのように鳴りを潜め、代わりに祭りの後のような静寂が木霊する。
当初、紅白のニンジャ達にとってそれはまた喝采をぶり返す予兆に思われた。
自分達がまた何か軽業でもすれば祭りの熱気が戻ると考えたのだ。
白ニンジャが仰向けに倒れ足を曲げる。
赤ニンジャがその足に自身の足を乗せると、白ニンジャはそのまま勢いよく足を伸ばした。
蹴り出される事はお互いに了承済みだったのだろう。
白ニンジャを発射台に勢いよく飛び上がった赤ニンジャは、自身の衣装を大きく翻す。
何重にも巻かれていた両腕の赤い布は一気に解け、さながら羽を広げた蝙蝠のように擬似的な皮膜の翼を広げた。
天高く地上を見下ろす彼は見てしまう。
自分達の所業が霞むような存在が居る事を認めてしまったのだ。
人垣となっていた聴衆はいつしか聖書の一説のように左右に割れている。
割れた人垣は擬似的な道を作り今尚地上に居る自身の相方とそれを線で結んでいた。
遠目故に未だ詳細は分からぬものの、異質な存在感は少なからず彼の脳裏に警鐘を鳴らし続けている。
――――――『アレ』は何だ?
嫌悪ではなく好奇。
存在一つで自分達の積み上げた存在に絶ち難い興味を覚え赤ニンジャ―――真崎 久は相棒の隣に降り立った。
急に静まり返る人々。
割れるような喝采も無くなり、こちらに刺さる好奇の目線も無い。
参拝客の視線を欲しい侭にしていたにも関わらず、飽きられた玩具のように急に見向きもされなくなった事に白ニンジャ―――近江 利秋は内心狼狽していた。
単に興味を無くされたなら、まだ分かる。
大道芸で視線を集め続けるなど度台無理な話である。
ネタが切れればそれまでであり、それまでであれば興味が失せる。
これは必定だ。
だが、人が離れるにしてもその始まりは緩やかなものの筈である。
一人、二人と離れていき右に習えとばかりに人々は散る。
聴衆が去る時など大抵はこのようなものだ。
しかし今、去るでもなく人垣の視線は一点に集中している。
左右に分かれた群集の視線の先は境内に続く門構えであった。
その前に『ソレ』は居た。
背の高いがっしりとした体格。
灰色の防寒着。
頭には白い飾りの付いた赤いニット帽を目深に被っている。
マフラーで顔を隠してはいるものの、『ソレ』はどうやら男であるようだった。
だが、違和感が拭えない。
――――――『アレ』は何だ?
女性特有の雰囲気の柔らかさや丸さが無いので男性には違いないだろう。
しかし視界に納めている人物からは、抗い難い魅力を感じるのだ。
余談だが、彼の纏っている装束は只のコスプレ紛いではない。
彼自身から生成される魔力を糧に外界から斬撃、衝撃や各種攻撃属性の魔法を緩和する云わば特別誂えである。
彼自慢の一品ものであるこの装束には、当然精神や肉体の行動を阻害する誘惑や麻痺等を防ぐ効果も持たされていた。
並みの誘惑は精神力で撥ね退けられ、魔力で増幅されたものですら簡単には通さない代物である。
その防御を突破し仕草一つ、言葉一つで何でもいう事を聞きたくなるような危険な魅力を放つ存在。
その存在に彼は心当たりがあったが、だからこそ狼狽する。
それは『女』であるのであって『男』ではない。
前提条件から違うのだ。
だが―――そうでなくては群集の向ける視線の意味が理解できない。
陶酔。
羨望。
肉欲。
期待。
それらの視線は一体となってその人物に突き刺さる。
しばしの間周囲の状況を含め観察をしていると、どうやらその人物には数名の連れが居るようだった。
ゆっくりと近づいてくる一行に対し体内の魔力を漲らせ装束に魔力を供給する。
相手が何にしろ、これだけ離れていても魅惑/誘惑の魔法効果を与えてくる相手である。
相手の出方を見る為にも万全の体制で臨まねばならない。
例えアルコールが入っても体に染み付いた部分は消えないのか、白ニンジャ―――利秋は余計な力を込めずに臨戦態勢を整えた。
しかし、その気構えは連れ立っている人物を認めると一瞬崩れそうになる。
(―――俊哉か)
周囲を残らず黙らせる位強力な魅惑の魔力を放出している相手の近くに居て涼しい顔をしているのは、何か対抗策を施しているからだろう。
そう考えると周囲の参拝客達にも何かしらの手段を講じた可能性もある。
そうでなければあっさりと新春青姦大会となっていた筈だ。
(―――面白い)
何をしたかは知らないが、俊哉の眼は普段の無気力が鳴りを潜め鋭い光が宿っている。
それだけでノリに任せた馬鹿騒ぎをした甲斐はあったと利秋は考えた。
(相手の出方次第だが、まだ遊び足りないんだよねぇ)
そのような事を考えていると、利秋の隣に降り立つ赤い影の姿があった。
彼の相棒である赤ニンジャ―――久である。
「おかえり、久。いや、今はレッド・ファング言えばいいのかな?」
「どちらでもいい。……利秋、あの一番目の前の人物は何だ。あんな奇怪な雰囲気は感じた事が無い」
「僕も初めてさ。レッド・ファング、僕等はどうやら気を引き締めないといけないようだよ?」
自分でどちらでもいいと言った割にはそっち使うんかい、という視線を投げ掛けながら久は答える。
「まだ羽目を外したいのかお前は……仕方ない、付き合ってやるぞ。ホワイト・ウィンド」
展開させていた装束を再度纏い、当初のように赤い忍装束とする久。
当初と異なるのは腰から地に着きそうな位の長さの帯が垂れているくらいである。
自分と並び立つ赤ニンジャの臨戦態勢に利秋は意外そうな声を上げた。
「おや、いいのかい?悪いねぇ」
「ふん」
自嘲気味に鼻を鳴らすと、久は言を紡ぐ。
「ここで私だけ降りてはつまらん。それに向こうも中々にやる気が出ているようだ。ブランクが長いので少々相手をして貰おうと思ってな」
「そうかい……ならせめて、その指のいやらしい動きは隠した方がいいんじゃないかな」
「善処しよう」
酒の力は偉大である。
下手をすればぶっ飛ばされかねないこの状況下でも暢気な事を考えられる分、正しく『百薬の長』と言えるだろう。
だが、俊哉達が頼るのは酒の力ではない。
「父さん、久さん。お話があります」
既にお互いの距離は数m程である。
豪を中心に悠亜が後ろに控え、俊哉が紅白ニンジャズの前に来る形となった。
「もう十分でしょう。『今ならまだ手心を加えておく』と母さんとエリスティアさんから言伝を承っています。こちらは、早急な解散を望みますが了承して貰えませんか?」
降伏勧告。
既に聴衆の意識は豪に向いており、誰も紅白ニンジャ達に興味は持たないという事実に重ねて相手の無血開城を俊哉は試みた。
母―――春海から彼等の纏っている装束が尋常のものではない事を聞かされ、豪の特性を踏まえた上での説得である。
母の手前首に縄を掛けると言っても、穏便に済ませるに越した事はないのだ。
「僕達からも口添えはします。この神社にも迷惑が掛かっていますし、謝って帰りましょう」
参拝客達は神社側の用意した何らかのイベントと思っていたようだが、無論そのような事実はない。
神社側は唐突に現れた不穏分子を速やかに捕縛するつもりで居たが多数の参拝客達の存在が枷となり出来なかったのだ。
近付くだけでも難儀するのは勿論の事、経緯は何にせよ彼等は集まった参拝客達に危害を加えるどころか楽しませていたのである。
当時の状況では仮に彼等の元に神社側の対処部隊が到着し転移等の措置を行えても、神社側に非難が集中する恐れがあった。
少しの不満ならまだしも、その不満が感染し肥大化/暴徒化する可能性を孕んでいる以上怪我人の出る恐れがあり、迂闊に手を出す事が出来ない。
結果、神社側は周囲の参拝客に被害が出ないように静観を決め込む他なかったのである。
だが、豪の働きでその状況が覆った以上神社側が遠慮をする必要性はない。
戦況としていえば彼等は不利であり、詰んでいるのである。
俊哉が降伏を促すのは彼等にとって穏便に済ます唯一の手段がこの方法だからであった。
「ふむ―――」
しばし黙考して利秋は考える。
久は臨戦態勢を解かぬまま、じっと相棒の返答を待っている様子だった。
程なくして答えが出る。
「―――断る。僕に何かを促すなら、実力を持って従わせるといい」
「そういう事だ若人達。どれ、ではまず私から相手をして貰おうか」
その回答に臨戦態勢の赤ニンジャ―――久が前に出る。
既に腰帯はもう一組の腕のように動き、前に出ようとする俊哉達を威嚇していた。
その様子に俊哉は脱力したように溜息を吐くと後ろに下がる。
「仕方ないですね……豪っ!」
「応っ!」
俊哉の掛け声に応じ、豪はその顔パーツの殆どを覆っていた帽子とマスクを取り払う。
帽子から現れたのは魔王の系譜を想起させる、銀に近い長い白髪。
魔に属する者を表す深紅の瞳。
上品に筋の通った鼻梁に男性的な鋭さを持つ柳眉。
骨格がしっかりとしている為女性的な柔らかさではなく、巌のような荒さの直線的な硬さを備えた輪郭。
もしも男性型のリリムが居たとしたら、正に目の前の存在がそれであろう。
文句のつけようがない程の美形である。
しかし、誰もその美貌に心奪われる事がなかった。
白粉の白。
血管や筋肉を表しているような赤い曲線。
足を開いて腰を落とし、両腕を前後に伸ばして下から睨め上げ見得を切るその姿。
見紛う事無く歌舞伎の隈取である。
後ろでは悠亜が拍子木を素早く打ち鳴らしていた。
俊哉は豪の前に立つと、豪が俊哉を肩車する。
二人分の身長を加算されたその高さは否が応でも周囲の視線を釘付けにする。
その空気に居た堪れなくなったのか、久は口を開いた。
「……俊哉君。それは、何だね?」
「白を切るつもりですか……いいでしょう。これは母さんから聞かされた貴方達の弱点です!」
境内に一陣、肌寒い風が流れた気がした。
その空気を知ってか知らずか、今度は豪が続く。
「ァ観念しろォ〜い!」カンッ
「これがァ、師匠〜達のォ……」カンッ
「あ、弱ゥ〜点ェン〜だァ〜〜〜っ!!!」カカンッ
「怒りでセクハラ力が二倍になったぞ、若造」
豪の背景に桜吹雪の幻を見つつも、そう言い放ち視線を悠亜に向ける久。
両手の十指はそのどれもが独立して蠢く触手のような動きを見せている。
その標的が分かったのだろう。拍子木を打ち鳴らすのを止め、悠亜はとっさに両腕で胸を隠すように庇った。
「ホワイト・ウィンド!貴様も何か言ってやれっ!」
「……」
あまりの馬鹿馬鹿しさに怒りを露わにし、咄嗟に相棒に同意を求める久。
しかし利秋は動かない。
口も開かず、怒りからか只小刻みに震えていた。
だが、何時までたってもその口を吐く筈の否定の言葉が利秋からは出ない。
様子のおかしさに怒りが散逸してしまったのか、先程より幾分固さの取れた口調で久は問うた。
「おい……大丈夫か?流石にあれは灸を据えんといかんぞ。あんな出鱈目、言う方も言う方だが信じる方も信じる方だ」
「……カ」
震えは止まらない。
寧ろ、時間を置く事でどんどんと大きくなっていく。
見ると白い装束から除く僅かな顔面部分が蒼白になり、歯の根が合っていないのかカチカチと音が鳴っていた。
「カブキ!コワイ!イヤーーーッ!!!」
「あの弱点お前のか!この間抜けがーーーっ!!!」
敵前逃亡を果たそうとする白ニンジャ。
その後頭部を正確に一条の閃光が射抜く。
射角は下段への撃ち下ろしである。
衝撃が強かった為か、うつ伏せの状態で勢いよくヘッドスライディングをした白ニンジャは声もなく沈黙し微動だにしなくなった。
「な―――」
久は絶句した。
相棒の無様な散り様もだが、その相棒を一瞬で仕留めたものが理解出来ないのだ。
驚いたまま振り返ると、腰帯を動かし自身の目の前を塞ぐ。
間一髪、何かが腰帯に当たる音がした。
短時間照射されたそれは光線や衝撃波の類ではなく、液体を噴射したような音であった。
(――――――水?……まさか!)
腰帯の片方を地面に食い込ませると、食い込ませた部分を引き寄せる。
人間では有り得ない機動で斜め前方向に移動すると、次いで姿勢を低くし豪の真横を突破。
正面から悠亜に突っ込む形を取る。
唐突な状況にも関わらず、悠亜は手にしていた拍子木を警棒のように突き出すもそのまま手を捻り上げられ久の腰を起点に投げられてしまう。
境内の固い石畳に打ち付けられる直前、久は悠亜の手を上に引き受身を取らせるとそのまま両腕を引き上げ腰帯で吊るし上げる。
久は瞬きする間に奥に居た愛娘を拘束した。
「―――くぅ……!」
「動くな、若人達。本来このような手段は死んでも取りたくないが、カラクリを知らねば死んでも死に切れんのでな」
愛娘を人質に取る。
その咎は受けるにしても、どうしても知らねばならない事がある。
「悠亜さんを離して頂きましょうか?久さん」
肩車されたままだらりと両腕を下げている俊哉。
両手は袖の長い防寒着の中に納まっており、久が当たりをつけた物品が見えないままになっている。
「そちらが命令できる立場かね?俊哉君。その両手の中身を見せ給え。さもなくば……」
腰帯を使い、更に高く吊るし上げる。
地に足はぎりぎりで着くものの、両腕を纏め上げられている為に形の良い美巨乳が服越しからその存在を主張した。
「十八禁の要領で揉みしだかせて頂く。娘の成長をこの手で味あわせて貰う事となるが、構わないかね?」
最早別種の生物が手首から先にあるような動きで赤ニンジャは指を動かす。
俊哉は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるが、降参の形に挙げて両手を袖から露出させた。
「中身を見せるだけで良いんですか?なら、これでいいでしょう。悠亜さんを解放して下さい」
「いや、その両手の物を渡して貰おうか。こちらに放るだけでいい」
言葉通り両手にぶら下げていた物を放り投げる俊哉。
放物線を描き放り出されたそれを、拘束を解き前に突き飛ばした悠亜と入れ替えるようにして腰帯を使って赤ニンジャは受け取った。
(矢張り水鉄砲か……しかし、この札は何だ?)
銃身部分に何重にも貼り付けられた札。
恐らくこれが先程白ニンジャを昏倒させた原因なのだろう。
水鉄砲が発射した水圧を何倍にも増幅し、あれだけの威力を生んだと考えられた。
だが自分の知り合いに符を使う者等居たか、と久は考える。
今日来た一行の中で魔術や魔法に秀でているのは自分の妻のエリスティアだが、彼女は符や札は使わない。
春海に至ってはそもそもそういった物自体使えない。
娘に至っては使えるのかすらも危ういレベルである。
よもや俊哉本人が使ったのかと思ったのだが、そもそも使えるなら普段から使用するだろう。
肩車している歌舞伎顔の少年は完全に除外していい。
(―――なら、誰だ?神社の関係者か?)
可能性はあるが、それならば何故当人達で制圧に掛からないのか。
学生の玩具を強化して渡すより、その方が余程周囲に対して安全で確実である。
この神社に自分の知り合いはまず居ない筈だった。
誰かを見落としている気がするのだが、どうしても浮かんでこない為久はその思考を黙殺する事にした。
「久さん、もう父さんも倒れました。これ以上は無意味です。投降して下さい」
豪の後ろに悠亜を庇いながら改めて俊哉は久に通牒する。
が、返ってきたのはある意味で予想が出来た返答だった。
「うん?何を言っているんだ君は?」
腰帯で水鉄砲を放り投げると、久は再度臨戦態勢を取る。
「年上を馬鹿にするのは許し難いな。今から少々お仕置きをさせて貰おうか」
その体に充実する力の漲りを感じると、俊哉は口を開いた。
「……非武装で立つ戦意の無い学生三人を相手に、襲い掛かってくると?」
「くどい。若人には人生の教訓を与える、娘の成長はこの手で味わう、私は楽しむ。どれも省略する気はないな」
前屈みで半身に構える。
今この瞬間、彼は愛娘の父・久でもなければ相棒と一緒に馬鹿をやっていた赤ニンジャでもなかった。
争いを常とし生死の境へ臨む一振りの牙。
―――レッド・ファング。
標的の血でその牙を濡らす、一匹の天鼠である。
故に、本来であれば聞き逃したであろうその一言を拾ってしまった。
「お父さん……」
今まで視界に入っていなかった事が災いした為、その声にいち早く反応してしまう。
声のする方を見ると、そこには彼のもう一人の愛娘―――有麗夜が居た。
「お父さん……」
先程よりもはっきりと聞こえる声。
周囲は雑音であり、娘以外の声が届かなくなる。
それに加えてレッド・ファングとなった久を普段の彼に戻し掛けている要因が他にもあった。
「何やってるの……?お父さん……」
父親に失望した眼差し。
普段の有麗夜の明るさからは想定できない程暗い、底の見えない眼。
汚物でも見るようなその目は、正確に『久』を射抜いていた。
「い、いや、有麗夜。これはだな……」
言い訳を繕う間もなく、有麗夜は言の葉を紡ぐ。
それは久にとって絶望的な呪詛であった。
「お父さん……」
――― さ い て い 。
「…………グポァ」
吐血して倒れ付す久。
久には言葉としては届かなかった。
彼の意識が瞬間的に聴覚を麻痺させたからである。
だが、彼はその良すぎる動体視力で有麗夜の唇の動きを追ってしまった。
唇の動きを追い、自身の脳内で当て嵌る単語を探し、文として脳裏に組み立ててしまった。
完成された呪詛は速やかに浸透し、久の中核を成している『父親としての部分』を滅多刺しにする。
結果、彼は力でもなく知恵でもなく、人間の、取り分け父親の持つ年頃の娘から突き放されたくない感情に負けた。
己の所業で娘が自分から離れていく空虚さに五体を投げ、全く動かなくなってしまった赤ニンジャから咽び泣く声が響いてくる。
「ぉ……おおおおおぉぉぉぉ…………さいてい……最低って……くおおおぉぉぉぉ……」
「仕掛けておいて何ですが、素晴らしい位の崩れっぷりですね」
「お酒が入っていると地と本心が出るっていうけど、その分ストレートな物言いに弱いみたいだね。春海さん、ここまで読んでたのかな……?」
「ァ赤師ィ匠ォ〜、大ィ〜丈ゥ夫かァ〜?」カカンッ
最早乾くまで泣き崩れるだけの無害な存在に成り果てたその姿に近付く人物があった。
「……私は、ただ……娘の成長を直に感じたかっただけなんだ……それ以上疚しい気持ちは…………」
「久さん」
穏やかな、夫を気遣う優しい声を掛ける存在。
その声を聞き、うつ伏せのまま五体倒置していた久の目に幾分光が戻った。
「エリス……?」
「ええ、そうよ。久さん」
上品な、優しい声のまま近付くエリスティア。
彼女はそのまま久に近寄ると石畳に座り込み、彼の頭を自身の膝に乗せた。
「もういいでしょう?久さん。十分発散したでしょうし、帰りましょう?」
エリスティアは慈母のように優しい声音で、うつ伏せのままの久の頭を撫でる。
体制的に久はエリスティアの股座に顔を突っ込んでいるような形だが、周囲は特にそれを気にした風もなかった。
滅多刺しにされた久の心に、妻の優しさが沁みてくる。
「……エリス、私は―――」
「ところで」
優しい声、優しい手付きを変えぬままエリスティアは問い掛ける。
「そんなに大きな胸が好きなのかしら。ねぇ、久さん?」
「……え?」
一瞬、久は妻の発言が理解出来なかった。
だが直ぐに己が所業を思い出し、弁明の為に跳ね起きようとするが彼の頭はびくとも動かなかった。
万力のように力で固定しながら、エリスティアはクスクスと笑いながら尚も問い続ける。
「久さん、私の胸が小さくても気にしないって言ってくれたじゃない?私のお尻が一番魅力的だって言ってたじゃない?なのに何で娘の胸を揉もうとするのかしらね?」
久は、心当たりがばっちり当たってしまっている事を痛感した。
己の踏み抜いた地雷が今年初めて取り返しのつかないレベルで妻のコンプレックスを刺激しまくった事を確信したのだ。
不利な状況からは一時撤退し態勢を立て直すのが論理的な判断である。
が、彼の妻は日中でありながら彼を力で完全に押し留めており逃げる事も適わない。
久は、生贄のように息を荒く体を震わす事しか出来なかった。
「あん♥もう、久さんったら♥息が掛かってくすぐったいわあ♥……本当、くすぐったくてぇ、笑いが出ちゃうわね?」
もし彼が仰向けに倒れていたら、目が全く笑っていない妻の笑顔が見えたろう。
だが、見えても見えなくても彼の未来は変わらないらしい。
「さあ。色んな人達に迷惑を掛けてしまったし、きちんと謝って帰りましょうね?そうそう、帰ったらしっかり私の胸が大きくなるまで揉んで頂きますから。お願いね♥」
「……はい」
無論それだけでは済むまい。
そこから更に何回交わえば良いのか。
有給は貰えるだろうか―――と久はぼんやり考えていたが、次の瞬間彼の耳の届いた言葉で意識を覚醒せざるを得なかった。
「あれ!?小父さんが居ないよっ!?」
有麗夜の声に、その場に居た全員が振り向く。
彼女の指差す方向には、俊哉が撃ち抜き無様に倒れ伏していた筈の白い人影が忽然と消えていた。
「作戦は第二段階へ移行―――やはり、第一段階での完全な無力化は難しい、か。母さんの言った通りだったな」
誰に聞かせるでもなく若干眉根を寄せて俊哉は呟く。
彼の発言は、未だこの乱痴気騒ぎが治まらない事を如実に語っていた。
14/01/30 23:11更新 / 十目一八
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