第二話:夜型姉妹の攻防戦(前編)
真崎 有麗夜(まさき ありや)。
志磨市立第二高等学校の一年生であり、姉である真崎 悠亜(まさき ゆうあ)を追いかけて入学したヴァンパイアである。
入学当初からヴァンパイアらしくない言動を繰り返しており、そのせいか同じヴァンパイアの女学生とあまり会話が噛み合わない事がある。
家柄。
礼儀。
誇り。
貴族として背負うべき当然の諸々を、真崎 有麗夜は理解できなかった。
そのせいで軽く衝突する事こそあれど、彼女の姉と家庭環境を知られているお陰で大きい問題に発展した事は無い。
家柄など愛する人と過ごす事に比べれば些細な事だ。
礼儀など上っ面だけを取り繕うものより、日常で失礼に当たらないだけのものがあれば充分ではないか。
誇りなど、大きすぎれば邪魔なだけだ。
真崎 有麗夜はヴァンパイアが持つ当然の常識が分からない。
何故なら彼女に身近なヴァンパイアは母親しか居らず、その母親も彼女の考えを否定しなかったからだ。
致し方ないのである。
彼女の母親は既にダンピールの魔力に当てられて、一般で言われているヴァンパイアとは離れた価値観を持ってしまったのだ。
父親と愛する母親の姿を見て、有麗夜は自分もこうなりたいと胸を高めていた。
姉のような陽光のように輝く笑顔で好きな人と街中を歩きデートしたい。
自分の甘える姿に頬をほころばせながら困惑して欲しい。
ずっとずっと一緒に居たい。
母の生き方と姉の生き方。
決して矛盾しなかったそれらは彼女の中で一体となり、ヴァンパイアが伴侶のインキュバス化を経て得られる一つの境地を得るに至った。
故に、彼女は無意識に欲しがっていたのかもしれない。
番となる雄を。
近江 俊哉が直面した事態は至って単純だった。
階段から降ってきた女の子を受け止める。
只それだけだ。
受け止めたのも極自然に動いた結果であり、他意など無い。
強いて言えば自分に向かってくる大きなボールを反射的に受け止める位の気安さで少女を受け止めていた。
腕の中にすっぽりと収まった少女は、自分を襲う衝撃や固い感触がない事に目を瞬かせていた。
腕の中の少女に外傷が無い事を確認した後、俊哉は無言で彼女を立たせるとそのまま階段を下りて学食へ向かっていった。
背後から少女のものらしき名前を呼ぶ声が遠ざかるのを聞き、歩調を崩さず歩みを進める。
校舎内にいる何百人もの生徒の中の、たった一人。
名乗らず、あの様子では顔すらロクに憶えられまい。
仮に少女が自分を見つけようとしてもまず無理だと俊哉は判断した。
俊哉にとって少女は二度と会う事の無い対象である。
彼は、放課後自室に帰宅するまでにその存在を忘れていた。
そして深夜。
窓を叩く音によって、その認識が甘かった事を思い知らされる。
小さな、控え目な音がする。
芯の有る柔らかいものが硬い窓を叩いているようなくぐもった硬質の音。
小さな、しかし規則性のある音は俊哉を夢の中から引きずり出した。
―――こんな夜中に誰だ?
二階の無い平屋。
ただ、面積だけはあり夫婦二人に子一人では少々持て余す広さである。
家屋としては洋室半分、和室半分といったもので俊哉は風呂場の近い洋室を使用している。
(物盗りの類じゃないよな……だったらもう押し入ってる筈だし)
未だになる小さな衝突音。
叩く間隔が段々と開いていくのは気のせいだろうか、と思いつつ俊哉はカーテンを開いた。
そこには、見知らぬ金髪少女が内股で震えながら涙目で俊哉を見つめていた。
思わず閉める俊哉。
その手には充電中であった携帯電話が握られていた。
「ちょっ、お願い開けてー!」
ガラス越しにくぐもった声が聞こえる。
何やら切羽詰っているようなその声に違和感を感じ、彼は携帯電話を寝巻きのポケットにしまうと机に上に放置していた中身の残っているミネラルウォーターのペットボトルを片手に持った。
容量が半分くらいあるので簡易的な打撃武器にはなるだろう、という判断である。
再びカーテンを開けると、涙目ながら若干安堵した少女が俊哉を見つめる。
その様子に一先ず害は無いと判断しサッシを開けると、少女は震えながら声を発した。
「トイレ……、貸して……」
「……部屋を出て正面の扉の中だ」
「ありがとっ!」
道を譲ると弾かれるように部屋を突っ切る少女。
入ってきたところを見ると、彼女の履いていたであろう靴がつま先を外向きにして並んでいた。
「……一応。礼儀はあるの、か?」
何処の誰とも知れぬ少女が外から部屋を通りトイレへ直行する。
嵐の過ぎ去ったような空気に、理解を追いつかせる事が出来ず俊哉は少女の戻りを待った。
「どしたの?俊哉、元気ないけど」
「いや……」
軽い頭痛に頭を指で支えながら、正直に出会いの頃を思い起こしていた事を伝えると有麗夜は得意げに胸を張った。
「窓から美少女の登場は流石に俊哉も驚いていたわよね!我ながらナイスアイデアだったわ!」
その様子にげんなりとして返す俊哉。
「そうだな。外から直接トイレを借りようとする奴は初めてだったからな。だがそうなるとトイレを借りるは計算外だったんだろう。僕が善人で本当に良かったな有麗夜」
「そ、それはわざと!ああやって俊哉を油断させて頂いちゃう計画だったんだから!実際俊哉が私を入れた時点で私は八割勝ってたのよ!?」
「で、残り二割で負けたと。正面から叩かれて負けるヴァンパイアなんて有麗夜以外居ないんじゃないか?」
顔を真っ赤にして吠える有麗夜。
その様子に、今まで静観していた悠亜が加わる。
「そうか、私が到着するまでにそんな経緯があったんだね。知らなかったよ」
既に食事は終えたのか、綺麗になっている皿を前にティッシュで口元を拭いつつ口を開く悠亜。
それに同調するように俊哉は記憶を掘り起こした。
「そうですね。悠亜さんと初めてあったのもあの時でしたっけ。その節はありがとうございました」
頭を下げようとする俊哉を、悠亜は手で制した。
「気にしないでくれ。実は私は、ただ可愛い妹が無事本懐を遂げられたか見たかっただけなんだよ。予想外の状態だったから有麗夜を回収しただけさ……で、実際何が起こってたんだい?」
興味深げに目を細めて俊哉を流し見る悠亜。
俊哉が口を開こうとした時に、両手を振りながら有麗夜は困惑と隠したい感情の混ざった表情で遮った。
「あー!何でもないの、悠姉が気になる事なんてこれっぽっちも!全然!全く!」
「大した事じゃありませんよ。正面から跳躍してきた有麗夜のこめかみをペットボトルで殴っただけですから」
「……ほぅ」
目を丸くして悠亜は感嘆の息を漏らした。
夜のヴァンパイアと人間。
埋まる事のない実力差を承知していた彼女は、この返答に驚きを隠さず賞賛した。
「凄いじゃないか俊哉君。君、インキュバスだったっけか?」
「いえ、まだ人間です。でも意外ですね。もっと怒るかと思っていましたが」
身内に狼藉を働いた加害者が目の前に居るのである。
有麗夜も俊哉が殴られるかもしれないと思い遮ったのだが、俊哉は殴られるのを覚悟で言い放った。
だが、予想に反して怒り一つ表に出さない悠亜に俊哉は質問をぶつけた。
「冷血と思うかな?」
妖しく微笑む悠亜に、俊哉は肩を竦めて答える。
「いいえ。普段から有麗夜を可愛いと言って憚らない悠亜さんにしては意外だった、と思っただけです」
「ふむ、そうだね。その辺りも含めて答えようか」
そう言い放ち席を立つ。
既に有麗夜も俊哉も食事は済んでおり、空になった皿が並ぶばかりである。
「その前に皿を片付けよう。それと、緑茶でいいかな?」
全員分の皿を纏め、勝手知ったる他人の家で悠亜は回答する席の準備を始めた。
14/01/01 17:37更新 / 十目一八
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