3話:うっかり亡者の悲喜こもごも(中編)
※本編には若干の独自解釈/独自設定が含まれます。
ツッコミどころもありますが、ご容赦頂ければ幸いです。
「何だ!何なんだよ一体!?」
背に女子トイレのドアが閉まる音を受けながら全力疾走する。
返答を期待した訳ではない。寧ろ返答されない方が良い。
毒づきながら暫く全力で廊下を走って、途中で後ろを振り向く。
止まった廊下は月明かりに照らされて、俺以外の何者も映さなかった。
「気の…せい、か?」
月光の差し込む廊下の窓辺には俺しか居ない。
走り抜けてきた暗闇から開放され、闇を切り取る白い光で覆われた世界に安堵する。
さながら聖域のように暗闇を通さぬこの場所は、俺と同じ闇から抜け出そうとする者を容赦なく暴き出すだろう。
視線の先は極僅かな空間の闇。
其処から抜け出そうとするものは、見当たらない。
「…そうだよな、ある訳ない!」
わざと大きな声を出して自分の気持ちを持ち上げる。
ホラー映画なら此処で幽霊なり化け物なりが居るんだろうが、走ってきた先の廊下からは何も出てこない。
完全に見間違えか勘違いだろう。
念の為何時の間にか切れていた懐中電灯を勢い良く振り回して振り返る。
振る位置は自分の腹くらいのところだ。
誰かが居ても『物音がしたので吃驚した』とでも言えばいいだろう。
仮に当たったとしてもその距離は明らかに害意があると思われても仕方ない位置だ。
当たって怯んだらそのまま打ちのめすか逃げるかすればいい。
空振る。
何も居ないのだから当然といえば当然の結果だった。
このまま中央階段を目指せばいい。
そして下りて帰る。
だが、更に念の為同じようにして後ろを振り返る。
当然、佇むのは暗闇のみ。他に何もない。
和夫に乗せられる形となったが、気分転換とは言い得て妙だ。
確かに普段とは違う空気を感じられたし、新鮮だった。
明日からまた頑張るとしよう。
そう思い振り返ると、中央の階段付近で誰かが佇んでいた。
あぁ、そうか。和夫が居たんだったな。
「おい、和夫。居たんなら声くらい掛けろよ。吃驚するだろうが」
懐中電灯を点けながら人影に寄っていく。
途端、すぐに懐中電灯の光が消えた。
「あれ?接触悪いか?」
何度か叩くが反応が無い。もしかしたら電池が切れたかもしれない。
和夫も同じなのか、棒立ちのまま動こうとしない。
「お前もかよ…。100均で買ったのか?コレ」
懐中電灯を顔の高さまで上げて振りながら、心持ち足を速める。
和夫も居たたまれないのか俯いたまま無言だった。
月光で照らされた廊下を歩く。
光が差し込んでいる空間から抜け出るのは抵抗があったが、何時までもこうしては居られない。
俺達は帰らなくてはならないのだ。
「でも雰囲気あったよなー。気分転換には悪くなかったよ。ありがとうな」
この時ほど友人が有り難いと思った事はない。
心細い時に支えてくれる親しい人が居るのは、矢張り良い事なのだ。
和夫は微動だにしない。黙ってこちらが話し掛けているのを聞いている。
「さあ、さっさと帰ろうぜ?そういや此処からだとお前の車って何処に有るか見えるのかな?」
和夫も早くこんな辛気臭いところから帰りたいだろう。
努めて明るく声を掛けると同時に月光の差し込む窓を見る。
校庭を一望出来る其処は、暗くて分からないかもしれないと思いながら眺めたところ和夫と乗ってきた車を簡単に見つける事が出来た。
どうも、暗闇に目が慣れてきたようだ。
車に寄っていく人影が見える。和夫である。
「……え?」
懐中電灯は問題なく点いているようで、和夫の動きに合わせて中々光の当たる位置が安定しない。
和夫は親しげに何かを隣の空間に語り掛けていた。
だが、闇に慣れた目には其処に誰も居ないようにしか見えない。
若干興奮しているのか、熱心に語り掛けているようだが歩いているのはアイツ一人である。
校庭から目を離して中央階段付近に居る人影に振り返る。
人影は肩の位置まで右手を上げると、手招きしていた。
俯いたまま、ゆっくりと。
闇に薄い光を放ったままダラリと脱力をして佇むその姿は、先程俺を誘ったどの少女とも異なっていた。
「和夫…の知り合い、だよな…?」
肯定も否定も無い。
手招きは変わらず、人影は未だぼんやりとしたまま佇んでいる。
思わず体重が後ろに掛かる。
知らず、俺は人影を正面に据えたまま何時でも逃げ出せるように少しずつ後ずさっていた。
「い、いや。知り合いでなくてもいいんだ…。俺、友達を待たせてるから帰らないといけないんだ…」
手招きは止まない。
だが、変化はあった。
俯いていた顔が、徐々に上がっている。
それに合わせて朧げだった輪郭や詳細が、徐々に形を成していたのが分かった。
ショートカットの少女。
彼女の目許は前髪で隠れており、引き上げられた口角だけが今の彼女の心情を語っているように思えた。
「さ、さっきの娘とは違うんだね…、知り合いだった?」
手招きが止む。
動かなかったもう片方の腕と同じように垂れ下がる。
猫背の状態から俯いたまま動かなくなった。
「違うのかな?で、でも君の方が可愛いかなー、なんて…」
完全に裏返った声が自分のものとは信じたくない。
自分でも何を言っているのか分からないが、先程動かなくなったのが何かしらの機嫌を損ねた結果なら命に関わりそうだ。
適当に機嫌を直して貰い隙を見て和夫と逃げるしかない。
彼女は俯いていた顔を再びゆっくりと上げる。
全体としては朧げなのに、表情はハッキリと見える矛盾。
引き上げられていた口角が人間では有り得ない大きさまで開いた。
まるで子供の似顔絵のような大きさの、最早『裂けた』と言い換えた方が良い開き方。
敢えていうなら、そう。
――――――漸く獲物を仕留めた、飢えた獣のような笑み。
俺は声すら出せず、元来た方向へ駆け出していた。
先回りした私は最低限の【化粧】をして彼を待っていた。
月光に切り取られた彼の姿は、衣服の黒が手伝って暗闇の残滓を纏っているようにも見えた。
首元のアクセサリーも装飾の乏しい出で立ちの中でさり気無く自己主張し、洒落者の雰囲気を漂わせている。
堀の深い顔立ちには陰りが差し、周囲を見る彼の表情に憂いを乗せる。
元々黒めの肌の色も加わり当たる光が白と黒のグラデーションとなってその顔立ちをよりエキゾチックなものにしていた。
彼の背後の暗闇も相まって、闇に染まった黒いビスクドールのような印象を受ける。
(黙っていれば【あの人】以上の容姿かもね…)
大事なのが中身といえど、最初に見るのは外見なのだ。
自分の伴侶であれば基本的に外見なんて二の次なのだが、贔屓目に見ている事を差し引いてもこれは当たりといって差し支えないだろう。
このレベルの容姿で人間はおろか魔物娘まで避けるというのだから、中々リフォームし甲斐のある物件である。
そんな事を考えていると、唐突に彼は大声を出した。
「…そうだよな、ある訳ない!」
どうやら先程の件は彼の中で無かった事になっていたようだ。
残念、現在進行中です。セーブとロードも出来ません。
≪ミスティ、そっちの準備はいい?≫
≪おっけ〜。言われたとおり方向操作のトラップは用意したよ〜。…でも、本当にこれだけでいいの〜?≫
私がミスティに頼んだのは、敷設式の方向転換魔法陣である。
踏んだ瞬間発動し、対象の移動方向を誘導する。
更に今回のものは予め設定されている光景を対象に投影するというものだ。
幻惑効果のある非殺傷の地雷と言い換えても良い。
とにかく相手を延々移動させ、疲弊させるというものである。
昔はエルフなどが人間を里から遠ざけたり、人間の村でも獣やゴロツキ除けとして使用されていた事も有る割と古臭い手段なのだが効果がハッキリしているだけに確実性が高い。
≪構わないわ。あんまり凝りすぎると私が把握しきれないもの≫
≪りょ〜かい。一部の出入り口には鍵かけとくね〜≫
ミスティのサポート宣言を受け、私は【化粧】を含めて実体化する。
さて。突然だが、私達魔物娘は直接体を劇的に変化させる事はしない。
ドラゴンが自身の羽根を四枚にする事は無い。
バフォメットが魔物娘になる以前の姿をとる事は無い。
リッチが木乃伊のようになる事もないし、エキドナが全身を鱗で覆う事も無い。
仮に変化させるにしても魔力で明らかに魔物と分かる部分を隠して人化しているに過ぎないのだ。
理由は簡単、意味が無いから。
イチャつくのにもエッチをするのにも、そんなものは邪魔でしかないのだから実行する意味が無い。
だが、注意して欲しいのは『出来ない』ではなく『やらない』という事だ。
私は以前興味本位で試してみたのだが、結論から言うと身体を外見のみ劇的に変化させる事は可能だった。
【エクトプラズム】というものがある。
霊媒物質とも呼ばれるこの存在は、その特性がある意味魔力に近い側面を有している。
通常は希薄で肉眼では知覚出来ない点。
高密度になると物質化、ないし物質に干渉する力を持つ点。
これらは大気中を漂う魔力が肉眼では知覚出来ない事や、肉眼で知覚出来る位になると既に何らかの物理干渉が出来る事と似通っている。
加え、スライムのように粘度が高く様々な形状を取る事が出来る。
私はこれで着ぐるみを作っているのだ。
【化粧】というより【仮装】が近いかもしれないが、言ったもの勝ちである。
私をすっぽりと覆い、かつ自分の魔力がベースなので私の考えた通りに動き行動の阻害もしない。
力や頑丈さも上がるので、むしろSFで言うパワードスーツと呼んでもいいのかも知れないものを、私は何となくで作り上げた。
他の娘も面白がって試したのだが、ある程度しっかりとイメージしないと形にならずすぐに崩れる上にディテールに凝るとかなり魔力消費も大きくなる為疲労が激しい。
不死者の魔力が濃密なこの土地以外では積極的に行うべきものではないだろう。
実際、私のように自在に形を変えられる子は居らず今のところ私がスペシャリストのような扱いとなっている。
尚、敢えて崩して生理的嫌悪を掻き立てるという方法もあるが多分私以外に出来るようになった娘が居てもやらないだろう。
ある意味自分を捨てる芸人根性が必要になるのだから当然といえば当然だった。
今私は、中央階段付近の廊下で彼を見ていた。
月光に照らされた黒装束の男は、不思議な踊りを披露した後こちらの存在に気付いたようだった。
「おい、和夫。居たんなら声くらい掛けろよ。吃驚するだろうが」
遠目だから分からないのは仕方ないのかな?
でも男と勘違いされるような容姿はしてない筈なのだけれど。
彼は懐中電灯を点けてこちらを照らそうとしていた。
おっと、邪魔者には黙っていて貰わないとね。
私はほんの少し【化粧】の一部を彼の懐中電灯に紛れ込ませた。
接触部分を遮るようにしたので、暫くは点かないだろう。
「あれ?接触悪いか?」
唐突に点かなくなった事に驚いたのか、懐中電灯を何度か振ったり叩いたりする彼。
構うならそんなものより私に構って欲しい。
私は自然、彼をこちらに引き寄せる為ゆっくりと手招きした。
この雰囲気なら無理に近寄るより良いだろうし。
彼も諦めてこちらに歩いてきた。
歩を進める度、彼の彫りの深い顔立ちがしっかりと見えてくる。
ヤバイ、直視できない。
自然、私は俯く形になったが手招きだけは止めなかった。
「でも雰囲気あったよなー。気分転換には悪くなかったよ。ありがとうな」
不意の感謝の言葉に、思わず胸が爆発しそうなくらい高まる。
私に向けられたものではないと分かっていても、こうも明け透けな態度と笑顔で言われたらニヤニヤが止まらなくなってしまう。
全く、旦那様は最高だぜ!と叫びたくなる位。
「さあ、さっさと帰ろうぜ?そういや此処からだとお前の車って何処に有るか見えるのかな?」
そうねぇ、一緒に帰りましょう。私のじゃなくて貴方の友人の車で一緒に、ね?
そんな事を考えていると、彼の歩みが突然止まった。
視線の先は……校庭か。
「和夫……の知り合い、だよな……?」
あ、警戒された。
でも逃げ出す程じゃないかな?
これであのカズオって人の外見そっくりコピーしてたら逃げたかもしれないけど。
「い、いや。知り合いでなくてもいい……。俺、ちょっと友達を待たせてるから帰らないといけないんだ……」
訂正。……予想以上に警戒されてた。そろそろ潮時らしい。
目に見えてこちらから離れそうな彼に、私も動く事にした。
手招きは終わり。何時でも飛び掛かれる様に姿勢を低くする。
余計な力を抜き、重心を前にする。
先程レインについて何か言われたようだが耳に入らない。
≪でも私達、ゴーストだから力技って得意じゃないよね〜≫
≪その辺はイメージよ、イ・メ・ェ・ジ。逃がす訳にはいかないでしょ?≫
ミスティからのツッコミに律儀に答えておく。
人間だって思い込めば意外と何だって出来るんだから、魔物娘だって同じ事。
私の場合は外装である【化粧】にモロに影響が出るのだ。
コンディションは上げておきたい。
「違うのかな?で、でも君の方が可愛いかなー、なんて…」
…………はい?今なんと?
≪お〜♪花ちゃん、さっそく吊り橋効果あったね〜≫
≪今まで何処にそんな要素あったの!?……なんか逃げようとしてたわよ?≫
どう考えても不審人物を警戒している様子です。
ミスティに勢いで言った手前敢行したけど、何も思いつかずもう滑空でもしてとり憑いた後そのまま夢か幻と思わせて帰らせるつもりでした。
ついでにそのまま頂く予定でもありました。
≪ちっちっちっ、甘いぜ〜花ちゃん〜。これは複合効果なのだ〜≫
≪……どういう事よ?≫
何故かドヤ顔のイメージがミスティから送られてくる。この娘どうやってんのコレ?
≪考えてごらんよ〜。聳え立つ黒い廃校、そこに飲まれるように入っていく一人の男。仲間とはぐれて心細い時に、現れては消えていく美少女達〜≫
≪彼、勝手に来て自分から罠に嵌ってこっちが何もしてないのに驚いてるだけだけどね≫
≪出会う怪現象から逃げ惑い、ようやく人心地ついて親友に出会えたと思ったら次の瞬間美少女が呼んでいる!これは惚れるよ〜≫
≪普通怪しいと思うけど。というか無理がない?その流れ≫
≪まぁ〜、冗談だけど〜≫
私は何で一歩も進まずこのコントに付き合ったのだろう。
≪……もう行くわ。今のが彼の本心とは思えないし、適当に追い回してから眠ってもらうわ≫
≪じゃあ〜、私からちょっとやる気が出るサポートを〜≫
≪?何よ、またコント?≫
≪彼をご覧下さい≫
急に間延びした声を止めるミスティ。その声音は何時になく真剣だった。
≪見ていますね?では想像して下さい≫
≪貴女は愛されます。彼の視線は貴女しか見ません。彼の声は貴女にしか愛を囁きません。彼の滾りは貴女にしか注がれません≫
≪今を逃せば彼は離れます。……彼が、欲しいですか?≫
今更何を。当たり前である。
その為に私を担ぎ出したのではないのか。
≪想像して下さい。ある時は物のように口内を蹂躙し、ある時は獣のように激しく後ろから容赦なく突き、ある時は愛を注ぐ伴侶として貴女を正面から抱き締め最奥に精を放つ姿を≫
≪想像して下さい。昼も夜も。前も後ろも。ただただ貴女を自分だけの物にしようと躍起になって精を注ぐ彼の姿を≫
送られてくる念話にゴースト独特の想像力が掻き立てられる。
頭の中では他愛ない日常や夜の生活が思考の大部分を埋め尽くしてきた。
≪想像して下さい。その生活を。……貴女は、彼をどうしたいですか?≫
……欲しい。
欲しい、欲しい、欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい――――――
欲 し い
≪さぁ、どうぞ。彼は貴女のものです≫
慇懃に腰を折るミスティのイメージが送られてくる。
最早返答の念話すら出来ない程思考が一点に集中しているのが分かる。
再確認する。
彼に憑いていく。
九分九厘自分のものになっているのだから、彼と一緒に居る事に何の問題があるのだろう。
愛しさを注げる相手を見つめた次の瞬間、私は彼の呆けた表情を至近距離から見つめていた。
ツッコミどころもありますが、ご容赦頂ければ幸いです。
「何だ!何なんだよ一体!?」
背に女子トイレのドアが閉まる音を受けながら全力疾走する。
返答を期待した訳ではない。寧ろ返答されない方が良い。
毒づきながら暫く全力で廊下を走って、途中で後ろを振り向く。
止まった廊下は月明かりに照らされて、俺以外の何者も映さなかった。
「気の…せい、か?」
月光の差し込む廊下の窓辺には俺しか居ない。
走り抜けてきた暗闇から開放され、闇を切り取る白い光で覆われた世界に安堵する。
さながら聖域のように暗闇を通さぬこの場所は、俺と同じ闇から抜け出そうとする者を容赦なく暴き出すだろう。
視線の先は極僅かな空間の闇。
其処から抜け出そうとするものは、見当たらない。
「…そうだよな、ある訳ない!」
わざと大きな声を出して自分の気持ちを持ち上げる。
ホラー映画なら此処で幽霊なり化け物なりが居るんだろうが、走ってきた先の廊下からは何も出てこない。
完全に見間違えか勘違いだろう。
念の為何時の間にか切れていた懐中電灯を勢い良く振り回して振り返る。
振る位置は自分の腹くらいのところだ。
誰かが居ても『物音がしたので吃驚した』とでも言えばいいだろう。
仮に当たったとしてもその距離は明らかに害意があると思われても仕方ない位置だ。
当たって怯んだらそのまま打ちのめすか逃げるかすればいい。
空振る。
何も居ないのだから当然といえば当然の結果だった。
このまま中央階段を目指せばいい。
そして下りて帰る。
だが、更に念の為同じようにして後ろを振り返る。
当然、佇むのは暗闇のみ。他に何もない。
和夫に乗せられる形となったが、気分転換とは言い得て妙だ。
確かに普段とは違う空気を感じられたし、新鮮だった。
明日からまた頑張るとしよう。
そう思い振り返ると、中央の階段付近で誰かが佇んでいた。
あぁ、そうか。和夫が居たんだったな。
「おい、和夫。居たんなら声くらい掛けろよ。吃驚するだろうが」
懐中電灯を点けながら人影に寄っていく。
途端、すぐに懐中電灯の光が消えた。
「あれ?接触悪いか?」
何度か叩くが反応が無い。もしかしたら電池が切れたかもしれない。
和夫も同じなのか、棒立ちのまま動こうとしない。
「お前もかよ…。100均で買ったのか?コレ」
懐中電灯を顔の高さまで上げて振りながら、心持ち足を速める。
和夫も居たたまれないのか俯いたまま無言だった。
月光で照らされた廊下を歩く。
光が差し込んでいる空間から抜け出るのは抵抗があったが、何時までもこうしては居られない。
俺達は帰らなくてはならないのだ。
「でも雰囲気あったよなー。気分転換には悪くなかったよ。ありがとうな」
この時ほど友人が有り難いと思った事はない。
心細い時に支えてくれる親しい人が居るのは、矢張り良い事なのだ。
和夫は微動だにしない。黙ってこちらが話し掛けているのを聞いている。
「さあ、さっさと帰ろうぜ?そういや此処からだとお前の車って何処に有るか見えるのかな?」
和夫も早くこんな辛気臭いところから帰りたいだろう。
努めて明るく声を掛けると同時に月光の差し込む窓を見る。
校庭を一望出来る其処は、暗くて分からないかもしれないと思いながら眺めたところ和夫と乗ってきた車を簡単に見つける事が出来た。
どうも、暗闇に目が慣れてきたようだ。
車に寄っていく人影が見える。和夫である。
「……え?」
懐中電灯は問題なく点いているようで、和夫の動きに合わせて中々光の当たる位置が安定しない。
和夫は親しげに何かを隣の空間に語り掛けていた。
だが、闇に慣れた目には其処に誰も居ないようにしか見えない。
若干興奮しているのか、熱心に語り掛けているようだが歩いているのはアイツ一人である。
校庭から目を離して中央階段付近に居る人影に振り返る。
人影は肩の位置まで右手を上げると、手招きしていた。
俯いたまま、ゆっくりと。
闇に薄い光を放ったままダラリと脱力をして佇むその姿は、先程俺を誘ったどの少女とも異なっていた。
「和夫…の知り合い、だよな…?」
肯定も否定も無い。
手招きは変わらず、人影は未だぼんやりとしたまま佇んでいる。
思わず体重が後ろに掛かる。
知らず、俺は人影を正面に据えたまま何時でも逃げ出せるように少しずつ後ずさっていた。
「い、いや。知り合いでなくてもいいんだ…。俺、友達を待たせてるから帰らないといけないんだ…」
手招きは止まない。
だが、変化はあった。
俯いていた顔が、徐々に上がっている。
それに合わせて朧げだった輪郭や詳細が、徐々に形を成していたのが分かった。
ショートカットの少女。
彼女の目許は前髪で隠れており、引き上げられた口角だけが今の彼女の心情を語っているように思えた。
「さ、さっきの娘とは違うんだね…、知り合いだった?」
手招きが止む。
動かなかったもう片方の腕と同じように垂れ下がる。
猫背の状態から俯いたまま動かなくなった。
「違うのかな?で、でも君の方が可愛いかなー、なんて…」
完全に裏返った声が自分のものとは信じたくない。
自分でも何を言っているのか分からないが、先程動かなくなったのが何かしらの機嫌を損ねた結果なら命に関わりそうだ。
適当に機嫌を直して貰い隙を見て和夫と逃げるしかない。
彼女は俯いていた顔を再びゆっくりと上げる。
全体としては朧げなのに、表情はハッキリと見える矛盾。
引き上げられていた口角が人間では有り得ない大きさまで開いた。
まるで子供の似顔絵のような大きさの、最早『裂けた』と言い換えた方が良い開き方。
敢えていうなら、そう。
――――――漸く獲物を仕留めた、飢えた獣のような笑み。
俺は声すら出せず、元来た方向へ駆け出していた。
先回りした私は最低限の【化粧】をして彼を待っていた。
月光に切り取られた彼の姿は、衣服の黒が手伝って暗闇の残滓を纏っているようにも見えた。
首元のアクセサリーも装飾の乏しい出で立ちの中でさり気無く自己主張し、洒落者の雰囲気を漂わせている。
堀の深い顔立ちには陰りが差し、周囲を見る彼の表情に憂いを乗せる。
元々黒めの肌の色も加わり当たる光が白と黒のグラデーションとなってその顔立ちをよりエキゾチックなものにしていた。
彼の背後の暗闇も相まって、闇に染まった黒いビスクドールのような印象を受ける。
(黙っていれば【あの人】以上の容姿かもね…)
大事なのが中身といえど、最初に見るのは外見なのだ。
自分の伴侶であれば基本的に外見なんて二の次なのだが、贔屓目に見ている事を差し引いてもこれは当たりといって差し支えないだろう。
このレベルの容姿で人間はおろか魔物娘まで避けるというのだから、中々リフォームし甲斐のある物件である。
そんな事を考えていると、唐突に彼は大声を出した。
「…そうだよな、ある訳ない!」
どうやら先程の件は彼の中で無かった事になっていたようだ。
残念、現在進行中です。セーブとロードも出来ません。
≪ミスティ、そっちの準備はいい?≫
≪おっけ〜。言われたとおり方向操作のトラップは用意したよ〜。…でも、本当にこれだけでいいの〜?≫
私がミスティに頼んだのは、敷設式の方向転換魔法陣である。
踏んだ瞬間発動し、対象の移動方向を誘導する。
更に今回のものは予め設定されている光景を対象に投影するというものだ。
幻惑効果のある非殺傷の地雷と言い換えても良い。
とにかく相手を延々移動させ、疲弊させるというものである。
昔はエルフなどが人間を里から遠ざけたり、人間の村でも獣やゴロツキ除けとして使用されていた事も有る割と古臭い手段なのだが効果がハッキリしているだけに確実性が高い。
≪構わないわ。あんまり凝りすぎると私が把握しきれないもの≫
≪りょ〜かい。一部の出入り口には鍵かけとくね〜≫
ミスティのサポート宣言を受け、私は【化粧】を含めて実体化する。
さて。突然だが、私達魔物娘は直接体を劇的に変化させる事はしない。
ドラゴンが自身の羽根を四枚にする事は無い。
バフォメットが魔物娘になる以前の姿をとる事は無い。
リッチが木乃伊のようになる事もないし、エキドナが全身を鱗で覆う事も無い。
仮に変化させるにしても魔力で明らかに魔物と分かる部分を隠して人化しているに過ぎないのだ。
理由は簡単、意味が無いから。
イチャつくのにもエッチをするのにも、そんなものは邪魔でしかないのだから実行する意味が無い。
だが、注意して欲しいのは『出来ない』ではなく『やらない』という事だ。
私は以前興味本位で試してみたのだが、結論から言うと身体を外見のみ劇的に変化させる事は可能だった。
【エクトプラズム】というものがある。
霊媒物質とも呼ばれるこの存在は、その特性がある意味魔力に近い側面を有している。
通常は希薄で肉眼では知覚出来ない点。
高密度になると物質化、ないし物質に干渉する力を持つ点。
これらは大気中を漂う魔力が肉眼では知覚出来ない事や、肉眼で知覚出来る位になると既に何らかの物理干渉が出来る事と似通っている。
加え、スライムのように粘度が高く様々な形状を取る事が出来る。
私はこれで着ぐるみを作っているのだ。
【化粧】というより【仮装】が近いかもしれないが、言ったもの勝ちである。
私をすっぽりと覆い、かつ自分の魔力がベースなので私の考えた通りに動き行動の阻害もしない。
力や頑丈さも上がるので、むしろSFで言うパワードスーツと呼んでもいいのかも知れないものを、私は何となくで作り上げた。
他の娘も面白がって試したのだが、ある程度しっかりとイメージしないと形にならずすぐに崩れる上にディテールに凝るとかなり魔力消費も大きくなる為疲労が激しい。
不死者の魔力が濃密なこの土地以外では積極的に行うべきものではないだろう。
実際、私のように自在に形を変えられる子は居らず今のところ私がスペシャリストのような扱いとなっている。
尚、敢えて崩して生理的嫌悪を掻き立てるという方法もあるが多分私以外に出来るようになった娘が居てもやらないだろう。
ある意味自分を捨てる芸人根性が必要になるのだから当然といえば当然だった。
今私は、中央階段付近の廊下で彼を見ていた。
月光に照らされた黒装束の男は、不思議な踊りを披露した後こちらの存在に気付いたようだった。
「おい、和夫。居たんなら声くらい掛けろよ。吃驚するだろうが」
遠目だから分からないのは仕方ないのかな?
でも男と勘違いされるような容姿はしてない筈なのだけれど。
彼は懐中電灯を点けてこちらを照らそうとしていた。
おっと、邪魔者には黙っていて貰わないとね。
私はほんの少し【化粧】の一部を彼の懐中電灯に紛れ込ませた。
接触部分を遮るようにしたので、暫くは点かないだろう。
「あれ?接触悪いか?」
唐突に点かなくなった事に驚いたのか、懐中電灯を何度か振ったり叩いたりする彼。
構うならそんなものより私に構って欲しい。
私は自然、彼をこちらに引き寄せる為ゆっくりと手招きした。
この雰囲気なら無理に近寄るより良いだろうし。
彼も諦めてこちらに歩いてきた。
歩を進める度、彼の彫りの深い顔立ちがしっかりと見えてくる。
ヤバイ、直視できない。
自然、私は俯く形になったが手招きだけは止めなかった。
「でも雰囲気あったよなー。気分転換には悪くなかったよ。ありがとうな」
不意の感謝の言葉に、思わず胸が爆発しそうなくらい高まる。
私に向けられたものではないと分かっていても、こうも明け透けな態度と笑顔で言われたらニヤニヤが止まらなくなってしまう。
全く、旦那様は最高だぜ!と叫びたくなる位。
「さあ、さっさと帰ろうぜ?そういや此処からだとお前の車って何処に有るか見えるのかな?」
そうねぇ、一緒に帰りましょう。私のじゃなくて貴方の友人の車で一緒に、ね?
そんな事を考えていると、彼の歩みが突然止まった。
視線の先は……校庭か。
「和夫……の知り合い、だよな……?」
あ、警戒された。
でも逃げ出す程じゃないかな?
これであのカズオって人の外見そっくりコピーしてたら逃げたかもしれないけど。
「い、いや。知り合いでなくてもいい……。俺、ちょっと友達を待たせてるから帰らないといけないんだ……」
訂正。……予想以上に警戒されてた。そろそろ潮時らしい。
目に見えてこちらから離れそうな彼に、私も動く事にした。
手招きは終わり。何時でも飛び掛かれる様に姿勢を低くする。
余計な力を抜き、重心を前にする。
先程レインについて何か言われたようだが耳に入らない。
≪でも私達、ゴーストだから力技って得意じゃないよね〜≫
≪その辺はイメージよ、イ・メ・ェ・ジ。逃がす訳にはいかないでしょ?≫
ミスティからのツッコミに律儀に答えておく。
人間だって思い込めば意外と何だって出来るんだから、魔物娘だって同じ事。
私の場合は外装である【化粧】にモロに影響が出るのだ。
コンディションは上げておきたい。
「違うのかな?で、でも君の方が可愛いかなー、なんて…」
…………はい?今なんと?
≪お〜♪花ちゃん、さっそく吊り橋効果あったね〜≫
≪今まで何処にそんな要素あったの!?……なんか逃げようとしてたわよ?≫
どう考えても不審人物を警戒している様子です。
ミスティに勢いで言った手前敢行したけど、何も思いつかずもう滑空でもしてとり憑いた後そのまま夢か幻と思わせて帰らせるつもりでした。
ついでにそのまま頂く予定でもありました。
≪ちっちっちっ、甘いぜ〜花ちゃん〜。これは複合効果なのだ〜≫
≪……どういう事よ?≫
何故かドヤ顔のイメージがミスティから送られてくる。この娘どうやってんのコレ?
≪考えてごらんよ〜。聳え立つ黒い廃校、そこに飲まれるように入っていく一人の男。仲間とはぐれて心細い時に、現れては消えていく美少女達〜≫
≪彼、勝手に来て自分から罠に嵌ってこっちが何もしてないのに驚いてるだけだけどね≫
≪出会う怪現象から逃げ惑い、ようやく人心地ついて親友に出会えたと思ったら次の瞬間美少女が呼んでいる!これは惚れるよ〜≫
≪普通怪しいと思うけど。というか無理がない?その流れ≫
≪まぁ〜、冗談だけど〜≫
私は何で一歩も進まずこのコントに付き合ったのだろう。
≪……もう行くわ。今のが彼の本心とは思えないし、適当に追い回してから眠ってもらうわ≫
≪じゃあ〜、私からちょっとやる気が出るサポートを〜≫
≪?何よ、またコント?≫
≪彼をご覧下さい≫
急に間延びした声を止めるミスティ。その声音は何時になく真剣だった。
≪見ていますね?では想像して下さい≫
≪貴女は愛されます。彼の視線は貴女しか見ません。彼の声は貴女にしか愛を囁きません。彼の滾りは貴女にしか注がれません≫
≪今を逃せば彼は離れます。……彼が、欲しいですか?≫
今更何を。当たり前である。
その為に私を担ぎ出したのではないのか。
≪想像して下さい。ある時は物のように口内を蹂躙し、ある時は獣のように激しく後ろから容赦なく突き、ある時は愛を注ぐ伴侶として貴女を正面から抱き締め最奥に精を放つ姿を≫
≪想像して下さい。昼も夜も。前も後ろも。ただただ貴女を自分だけの物にしようと躍起になって精を注ぐ彼の姿を≫
送られてくる念話にゴースト独特の想像力が掻き立てられる。
頭の中では他愛ない日常や夜の生活が思考の大部分を埋め尽くしてきた。
≪想像して下さい。その生活を。……貴女は、彼をどうしたいですか?≫
……欲しい。
欲しい、欲しい、欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい――――――
欲 し い
≪さぁ、どうぞ。彼は貴女のものです≫
慇懃に腰を折るミスティのイメージが送られてくる。
最早返答の念話すら出来ない程思考が一点に集中しているのが分かる。
再確認する。
彼に憑いていく。
九分九厘自分のものになっているのだから、彼と一緒に居る事に何の問題があるのだろう。
愛しさを注げる相手を見つめた次の瞬間、私は彼の呆けた表情を至近距離から見つめていた。
13/12/03 01:04更新 / 十目一八
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