1話:働き亡者は諦めず。
※本編には若干の暴力表現、頭の悪い文章表現が含まれます。
ご覧頂く前にはご注意を願います。
もう、此処に居るようになってから、どの位経ったろう。
領主様から旦那様探しを勧められたのはいいけれど、未だに私が欲しいと思う人が此処には来ない。
春。花が咲く頃になると5〜6人の男女のグループが良く来ていた。
夏。日差しが強くなって暑くなる頃だと、それに加えてとても大きな音を立てて何人もの男の人が大勢来る事も珍しくなかった。
秋。春の頃より少ない人数が纏まって来る事が多かった。
冬。訪れる人は身寄りがなく住む所もない人達だけだった。
この国の季節を少なくとももう一巡しそうな位になるけど、未だに私は【良い人】に出会えない。
他の子はもう旦那様を見つけて、周りの一戸建ての家に移り住み毎日愛を囁きあっている。
誰でもいいから襲っちゃいなよ、と友達は言うけど、どうしても踏み込めない。
理由は簡単。前にした失敗をどうしても思い出してしまうからだ。
以前勇気を出して意識を繋げた事もあったけど、初めてで緊張してしまい何も出来なかった。
夕暮れの教室。
目の前にいる男性は先輩で、私は同じ部活の後輩。
今日は先輩の誕生日で放課後時間を貰って私が告白。
先輩にOKを貰ってその場で組み伏せられて犯された後、先輩に優しいキスを貰ってお持ち帰りされる予定だった。
部活でもクラスでも目立たないけれど、日に焼け易いのか若干黒い肌をしており細身の長身。
運動部でもないのにしなやかな筋肉が付いていて、日本人と思えない彫りの深い顔立ちをしている。
実は我が強いのか、眼光は鋭いのだけれど掛けている太目のフレームの眼鏡のお陰で暴力的な印象は無い。
そんな人を選んだのだけれど、私が何か言う前に教室を出てしまいそのまま消えていった。
あまりの唐突さにしばし呆然としていたのだが、我に返って急いで後を追った先に彼は居なかった。
何処に行ったか分からず、廊下を端から端まで移動したが結局見つからない。
諦めて別の所に移動しようとした所、隣の教室から喘ぎ声が聞こえた為覗いてみる。
すると、そこには他の子との女教師プレイにどハマリして腰を振っていた彼の姿が見えたのだ。
白状する。私はこの時点でもう彼を諦めた。
言いたくは無いが、私は今彼に組み伏せられているゴーストよりも身体つきが貧相だ。
胸は平均だろうが、腰は大きくくびれておらずお尻も大きくは無い。
取り立てて肉体的優位性の無い私がこのシチュエーションで選べるのは、後輩という付加属性だけなのだ。
相手を引き止められなかったという大きな失敗が横取りという結果を許してしまった。
獲物を逃したショックと嬉しそうに交わう姿を見せ付けられた当時の私はどうにも出来なかった。
今でもその光景は忘れられず私は少し、皆と距離を置くようになった。
三階一番奥の女子トイレ。
そこが私にとっての聖域だった。
大体のゴーストは決まった所に居らず自由気ままに行動している。
大勢の男の人が移動してくるならその先に。
大勢の男女が移動してくるならその中に。
少人数ならその後ろにと、それとなく付いていっては彼等の自宅に持ち帰られる。
私のように決まった所に引き篭もるゴーストなんて、あまり居ないだろう。
それでも皆は私に声を掛けてくれる。
『男一杯だよ、迷っちゃう♪』とか。
『あの人チョーイケメン☆ねね、どう思う?』とか。
『お持ち帰り…ジュルリ』とか。
決して私を無視せず、必ず声を掛けてきては一緒に行こうと誘ってくれた。
でも、ダメなのだ。私が欲しいのはあの人だから。
今日も何の気なしに窓から外を見る。
車が正面の校門から入ってくる。
ざわめくゴーストの皆。
どうやら男らしい。
ぼんやりと眺めると、私は大きく目を開いた。
あの人だ。
いや、正確には違うのだろうが顔立ちが瓜二つと言っていい。
頭蓋に衝撃が走ったような感覚。
動機は早くなり、下腹の辺りが物欲しそうな感覚を伝えてくる。
今すぐ行かなければ。
他の子に取られてしまう。
またあんな思いをしないように、強引にでも引きずり込んで自分の身体で相手を溺れさせてしまわなければ。
窓からすぐにでも飛び出そうとした時、不意に声を掛けられる。
「あ、花ちゃんいた〜」
女子トイレのドアから突然女の子の上半身が飛び出してくる。
長い髪をリボンで結わえ、前に垂らしている少しポワポワした雰囲気のゴースト。
確か、数日前に来た男の人の集団にくっ付いていったゴースト軍団の中に居た子ではなかったか。
…何でここに居るの?
とっくに夫を見つけてイチャついている筈のこの子が目の前に居る。
その異常事態に、つい動きが止まってしまう。
「今日はね〜、花ちゃんにちょっとお願いがあるの〜」
「…ねぇ、ミスティ。前にも言ったけど私、花子でもなければ花ちゃんでもないんだけど?」
「花ちゃん旦那様欲しいっていってたよね〜?」
「あの、聞いて?私、【花ちゃん】じゃないって何度言えば…」
「あの人なんてど〜お〜?」
うわぁい駄目だ。完全に向こうのペースになってる。
私は諦めて彼女の指差す方向にいる男性を見た。
ミスティのお陰で冷静に見れるようになったけど、やっぱりあの人よね……。
熱っぽい視線を送ってしまったからなのか、ミスティは悪戯を企む童女のような笑顔で続けた。
「いい感じみたいだね〜。じゃあ、花ちゃんがあの人と一緒になれるように協力するよ〜」
どういう風の吹き回しだろう。
手伝ってくれるのは有り難いが、彼女はそこまで仲が言い訳ではない。
手伝うという以上他のゴーストやらゾンビへの根回しや説得をしてくれるのだろうが、何故そんな事をするのか。
念の為問うてみた。
「旦那様もちの余裕〜…、うそうそ、冗談〜」
殺る気オーラ全開になりかけた様子に、慌てて両手を振って否定する彼女。
「本当は、わたしの旦那様のお願いだから〜」
何で彼女の旦那が私の恋人探しをお願いしてくれるのか。
今一繋がらない話に、ミスティは更に説明を続けた。
「わたしの旦那様が、いつまでも一人身のあの人にいい加減しっかりして欲しいからっていってたわ〜。でも残念な性格の人らしいからドッキリを仕掛けて〜、性格も直してほしいっていってたの〜」
相変わらずの間延びした話し方で眠くなりそうだが、そういう事か。
「つまり、私があの人を驚かせて性格をショック療法しろって事?」
「そう〜。終わったら煮るなり焼くなり好きにしていいって旦那様もいってたわ〜」
「貴女の旦那様に何故決定権があるのかは置いておいて。そもそも何で私が脅かすのよ?普通に取り憑けばいいじゃない」
「それじゃダメらしいの〜、脅かす事が大切だっていってたから、花ちゃんなら大丈夫かなって思って〜」
得意技でしょ〜?そうドヤ顔で言い放つミスティに、私はこめかみを押さえた。
「一応聞くわ…、何で【脅かし=私】なのかしら?」
「え〜?だってこの前だって〜、花ちゃんのおかげで沢山男の人きたじゃない〜」
…この前?脅かした記憶なんてないんだけど?
「4人くらいの男の子が花火もって遊んでたじゃない〜?あの時から〜」
あぁ、アレか。
郊外だからと羽目を外し馬鹿笑いして後始末もせずに花火を撃ちまくった挙句、ゴミをそのままに建物の中を土足で入り込んだ奴等が居た。
唯でさえ虫の居所が悪いのにそんな馬鹿がやってきたから、定位置のトイレの奥でやり過ごそうと思ったのだ。
私の居る階に近づいてきた時は嫌な予感がした。
でも催したんだろうと思ってそのまま、見て見ぬ振りをしたのだが、トイレの前まで来た時にその予感は更に膨れ上がった。
OK、まだ慌てる時間じゃない。そう自分に言い聞かせて落ち着けた。
普通男子トイレに行くだろうと思ったし、男子トイレには今か今かと5〜6人のゴーストが待機していたのだが何を思ったのかそいつ等はわざわざ女子トイレに入ってきた。
暫く人と距離を置きたい、プラスあまりにも好みからは掛け離れた思考の連中に私は興味を失くして流れに身を任せていたのだが、誤算があった。
私も迂闊だったかもしれないが、生前の習慣かついついトイレのドアを閉めてしまっていたのだ。
明らかに無人の建物内で不自然に閉まっているドア。
察しの良い人ならもう分かるだろう。学校の怪談だ。
トイレの花子さんという、有名すぎる怪談を想起した彼等は面白半分でそれを試した。
『花子さん花子さんお越し下さい。花子さん花子さんお越し下さい。』
ゲラゲラ笑いながら試す彼等に、内心彼等の人生を本気で心配した。
若さ故という事もあろうがコレは酷い。
そんな化石みたいな女より、隣に新品で出来立てホヤホヤの処女が居るのだからそっち行け、と思う。
まさか自分のお祖母ちゃん位の年齢でないと興奮しない奴らなのか?とぼんやり考えていたらノックが段々と大きくなっていた。
気付いたらそれはノックではなく、足の力だけで放つ蹴りになり今にも蹴破らんとしていたのだ。
あまりの無法に開いた口の塞がらない私はこの無作法者共を驚かす事にしたのだ。
以下、その一部を抜粋する。
≪女子トイレ編≫
「うるあああぁぁぁっ!」
勢いだけをつけて足を動かす。
先程までしっかりと鍵が掛かっていたトイレのドアが突然その抵抗を止め、足の力だけで放たれていた蹴りは何の抵抗も無くなったドアを容赦なく開け放った。
勢いをつけて返ってきたドアの思いの他大きかったその音に、まだまだ少年の域を出ないその顔は実に煩わしそうにそのドアを見つめ先程よりは幾分手加減をした蹴りを再度放つ。
今度はゆっくりと開かれたドアは、長年使用されていない器物独特の軋むような音で鳴きその内側を開帳する。
「あーぁ、拍子抜け。なんも居ねぇじゃねえか」
中は無人であった。鍵が掛かっていたと思ったのも、実は立て付けが悪かったのだろうと少年は解釈する。
「そんな事言ってよ?ホントは何も出なくてホッとしたんじゃねーの?オマエ」
もう一人の少年は付き添いだったのか、少し離れた位置から蹴り開いた少年を眺めている。
思いの外強く蹴破った事に関して咎めず少年の行動に煽りを入れる所から、彼等にとってはこのような乱雑な振る舞いをするのは日常茶飯事なのかもしれない。
「あ?んな訳ねーだろ。居たら腹に二、三発正義の拳を叩き込んで成仏させてやろうっていう親切だよ、し・ん・せ・つ」
「ぎゃは!どんな親切だよ、一応オンナノコなんだぜー?」
「冗談だろ。俺等のジジイの代から居るらしいんだから、もうババアだぜ?いい加減おっ死ねっての」
自分勝手な言い分を、さも正しいと思い込むのは単純に若さだけではなく他人に対する配慮が足りないからだろう。
その足りない分を埋めようとするかのように、彼等には滾るものが有った。
「でもよー?死んだのがガキの頃ならその頃から変わってないんじゃね?可愛かったらどうするよ?」
「あ?んなの聞くまでもねーだろ。腹ぶん殴って大人しくさせてから犯っちまうに決まってんだろ?どうせ死んでから迷惑掛けてんだから、少しは生きてる奴の役に立てってーの」
「ぎゃはは!オマエ鬼畜すぎー!だから女に逃げられんだよ、何人目ー?」
「うっせ。俺に着いてこれねー奴が悪いんだよ。別れ際にぶん殴ってからヒイヒイ言わせてやったしもういいわ」
そう言って踵を返す少年達。
その時、後でゆっくりとドアが軋む音がする。
訝しげに振り向く少年達だが、振り向いた先に大きな変化があった。
先程蹴り開いた時は、確かに開け放していた筈のドア。
それが今は閉まっていた。
二人の少年は顔を見合わせたが答えが出る筈も無い。
目の前の出来事は唯ドアが閉まっていただけ。
だが、先程と明らかに違うのは感じる空気が異なっていた。
中に誰か居るような、先程まで居なかった何者かが姿を現したような感覚。
「……おい、誰か居んのかよ?」
思わず話しかけてしまうが、当然返答はない。
先程まで話していた事もあり、仲間の居る手前弱気な所は見せられないと判断したのか蹴り開いた少年が必要以上に床を踏み締めてドアに近づく。
「あ゛ぁ゛っ!?はーなこちゃーん?居たんでちゅかー?お兄さんが遊んであげるから出てきたらどうでちゅかー?」
尚も返答は無い。先程無人だった事を考えると至極当然の光景だが、それに少年は苛立ち、再度ドアを蹴った。
「オラぁっ!出てこいやクソババア!死んでから何年経ったと思ってやがる!さっさと消えちまえ!」
「それとも俺が怖えぇのか!?上等だコラ!出てきやがったらテメエのケツ穴に俺のデカチン突っ込んでションベンしてやらあっ!」
「とっとと出てこいや死に損ないっ!俺がぶっ殺してやっからよお!」
最早前後の文脈が矛盾している事にも気づかず、感情の赴くまま罵詈雑言を重ねる少年。
罵言にあわせて蹴っていた扉が、また開いた。
ゆっくりと現れる個室内。
そこは矢張り無人だった。
「はぁ…、はぁ…、はぁ……どうよ?何も居ねぇぜ?おい、お前もこっち来いよ!何もないからよ!」
肩で息をしながら、安堵の表情で相方を呼ぶ少年。
呼ばれた少年の顔面は蒼白だった。
蹴り開いた少年は、自分を見ている少年を嘲る。
「あん?お前なんだ?俺にビビってんのか、ビビリ一号」
明らかな挑発にも関らず自分に食い付かない少年に、流石に違和感を感じる少年。
ビビリ一号と呼ばれた少年は歯の根が合わないのか、カタカタという音を発しながら震える指を蹴り開いた少年の空間に指していた。
思わず見上げてしまう少年。
もし少年が僅かでも置かれている状況を振り返れるのであれば、そこに居るものを見なくても済んだろう。
指が指されていた空間はトイレのドアの丁度上。
個室の中と外を仕切る厚さ数センチの金属フレームの上に目を見開いて血まみれになった少女の姿があった。
人間にはまず不可能な空間に、うつ伏せになったような直立姿勢で少年を見下げる怪異。
少女は蹴り開いた少年が自分に気付いた事を認めると、墨が染み出るように禍々しい笑い顔を刻んだ。
「う、うわああああああっ!」
思わず仰け反り、女子トイレ内から廊下に続く扉に一直線に駆け寄る少年。
青褪めた顔の相方なぞ気にもせず、一心不乱に外界へ続く扉へ取り付く。
が。
「あ、開かねぇっ!扉が開かねぇ!?」
扉はまるで溶接でもされたかのように微動だにしなかった。
後ろでベチャリと腐った果実が地面に落ちたような音がする。
止せばいいのに振り返ってみると、先程の少女が血走った目を前髪で隠しながら陰惨な笑みを浮かべて這いずり寄ってきていた。
そこに、自分の相方が急に動いた事で思考が戻ってきたのか蒼白だった少年も漸く今の事態を飲み込んだ。
「おい、早く開けろ!何やってんだもう来るぞっ!」
少年達の焦りを嘲笑うかのように、加工し過ぎて元の音が分からなくなったような声が頭に直接響く。
『アカ…ナイヨ…、ヒヒ、アカナイ…ヨ…』
じりじりとにじり寄り薄笑いすら浮かべる少女型の怪異。
この時点で漸く少年達は自分達が取り返しのつかない事をしたのだと悟った。
目の前のモノになす術もない事も。
もう、彼我の距離は殆ど無い。
「「ひ…、ひやああああぁぁぁぁ!!」」
心底嬉しそうな死者の姿に、少年達は肺に残る空気を最後まで搾り出すかのように悲鳴を上げ意識を失った。
≪教室編≫
悲鳴が響く。
二手に分かれてこの廃校舎を散策していたが、さして目ぼしい物もなく時間を無駄に費やしていた彼等には正に突然の出来事だった。
位置からすると上階からだろうか。片割れのグループが用を足しに行くと言っていたので、恐らくトイレかその近くからかと思われる。
トイレ。
そして廃校舎。
頭の中で結ぶつくものが在る。
そして、彼等がやりそうな事も見当がついた。
「悪戯か?」
「流石に違うっしょ。あいつ等にそんな演技力ないし」
真に迫る悲鳴は、断じて悪ふざけで発せられたものではない。
そもそもそこまでして此方を驚かしては笑い話にもならない。
それなりに付き合いがあるので、笑って許せる冗談とそうでない冗談の線引きくらいはお互いの中で出来ていた。
「一応見てくるか。もしかしたら先客や浮浪者でもいたのかも知れねぇ」
「あー…、仕方ないね。大丈夫だと思うけど」
振り返り、廊下を歩く。
廊下の端の階段を上ろうと進むが、奇妙な音に気付く。
トン、トン、トン、トン……
定期的なリズム。
それが廊下の端の階段、その上階から小さな音となって聞こえてくる。
音は、近づいてきていた。
「おい…、何かヤバくねぇか?」
体重が掛かっているのは変わりない。
だが、音の仕方に違和感がある。
まるで誰かが人を引き擦り、引き擦られた人間の踵が一段一段引っ掛かっているような軽い音。
音は段々と下の階に近づき、その音色を変えた。
トン……ズー…、ズー…、ズー…
明らかに重量物を引き擦る音に変わる。
二人は見る。
それには影が無い。まるで薄ぼんやりと、それ自体が発光しているようだった。
それには足が無い。人間であれば極当然な、体重を支えるべき部位が無い。
それには温度が無い。生きているもの独特の熱のようなものが完全に抜け落ちている。
だが二人は見た。
生きている筈の無い、人間であれば失血している事が間違いない位血塗れの姿で薄く笑う怪異の姿を。
ズー…、ズー…、ズー…
引き擦っているのが何なのか考えるまでもない。
あの二人だ。
どうやってかは知らないが、彼等を引いて進んでくる。
自分達の方に。
「!おい、そこだ。教室に逃げるぞ!」
片割れの手を引いて空き教室に入る。
幸い施錠されていなかったのか、特に抵抗なく扉は開いて少年達を受け入れた。
音は尚も近寄ってくる。
ズー…、ズー…、ズー…
「おい…あいつ等、あいつ等大丈夫なのかよ?携帯も繋がらねぇよ…?」
「もうあいつ等は忘れろ!助からねぇ!やり過ごして俺らだけでも逃げるんだよ!!」
ズー…、ズー…、ズー…、ズ
「……!」
声に反応したのか。
音は彼等の居る教室前で急に止まった。
見つかった。
そうとしか思えない沈黙。
永遠に続くとも思われた均衡に、我慢し切れなかったのか息のような小さな音が喉から漏れる。
「ぁ、ぁ、ぁ…」
………ズー…、ズー…、ズー…
「…行ったか?」
「多分…」
気のせいだとでも思ったのだろう。
音は二人を引き擦り、廊下の向こう側へと消えていった。
「っはぁ〜〜…、心臓止まるかと思ったぜ…」
「ぉぃ、もう帰ろうぜ?あいつ等だってきっともう帰ってるさ…」
先程の光景を夢だったと思い込み、確認もせず仲間の安全を確信する少年。
『モウ、カエルノ?モット、アソボウヨ』
「「……え?」」
覚めない内は悪夢の中であるという事を忘れてはならない。
二人の少年を引き擦っていた筈の怪異が三日月のように裂けた笑い顔でこちらを見ていた。
獲物を見つけて嬉しそうな、酷く含みのある笑みを浮かべている。
ニタァ
「「わああああああぁぁぁぁぁっ!!!」」
一目散に駆け出した二人は、最早仲間の安否など関係なかった。
唯ここから抜け出したい、という一心で教室の扉へ向かう。
教室を抜け出した所で二人とも何かに蹴躓いた。
バランスを崩して倒れてしまう少年達。
振り返ると、そこには引き擦られていた二人組みが居た。
蹴られた衝撃に苦悶しながら反応するところから生きていたのだろう。
だが、生存を喜んでいる暇などなかった。
開け放たれた扉から指が覗く。
指が床を掴む。
手が見える。
ゆっくりと、這い寄ってきている。
その全貌が見えるより速く、動けるものは恥も外聞も捨て一目散にその場から逃げ出した。
≪校門付近編≫
かつて学び舎として数多くの学生の出入りを迎えたであろう校門付近に、今は不審な影が四つ点在している。
そのどれもが慌てており、そのどれもが精一杯の願望を掛けて一心不乱に一つの行動を繰り返している。
「ひぃ!ひいいいぃぃ!」
「掛かれ!このポンコツ!さっさと掛かりやがれ!!」
「逃げなきゃ…!逃げなきゃ…!殺される…っ!」
「ごめんさないごめんなさいごめんさないごめんなさい」
何とか全員無事に逃走手段まで辿り着いたのだろう。
原動機付自転車のキーを、何度も回しては戻してを繰り返している。
最早壊れた人形劇のように同じ台詞を繰り返し、懸命に動こうとうする姿は哀れを通り越し滑稽ですらある。
彼等は今懸命に生きようとしていた。
どれだけ他者から指を指されて笑われるような姿であっても、【生きる】という行為において彼等は今、確かに輝いていた。
その輝きを次の日に、その次の日に繋ぐ為兎に角この場を離れる。
言外に一致された生きる者の選択である。
その思いに、応えるものがあった。
『キヒヒ、テ…イランカ?アシ…イランカ?アタマァ…イランナ?』
校門付近にある大きな木。
そこから逆さ吊りになって、先程の怪異が現れる。
その目は愉悦に歪みながら、少年達に問い掛ける。
―――逃げられるかな?と。
「「「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!」」」」
その声に応えたのか。
今まで空回りしていた原動機付自転車が、息を吹き返したように唸りを上げる。
その音に触発されたのか、次々と校門から抜け出る少年達。
音が小さくなっていくと、残された怪異もまたその姿を崩す。
血塗れだった姿はたちどころにその赤が消え去り、フリルの多い衣服を表に現した。
髪はうなじを隠す位のショートカットで、少し癖があるのか緋色のヘアバンドを使って押さえている。
顔立ちはまだあどけない部分が残るが目元は少し釣り上がり気味でやや活発な印象を見るものに与えている。
胸は並程度あるだろうが、腰のくびれと臀部の大きさはあまり目立たない。
可憐だが、特徴となる部分が特に少ない少女が鼻から荒い息を一息放つ。
顰め面で不届き者達の敗走を見送ると、少女は宵闇に融けるように薄く消えていった。
回想終了。
確かに。ほんのちょこっと、僅かに怖い思いはさせたかもしれないなー、的な事はした。
尚、彼等は仲間内か友人間かでこの出来事を広め結果彼等の三倍以上の数がここに押し寄せてくる事となったのは余談である。
人間、集まると気が大きくなるのか知らないが、あの4人組より更に態度が悪かったので虫の居所を悪くした私は再度教育的指導を行い、全員の顔から様々な汁が溢れ帰りたくなるまで指導を続けた。
ついでにいうが、あの時の少年4人組を含め全員ゴーストを最低一人はお持ち返したので現在此処に住むゴーストはかなり少なくなった。
私は誘惑ではなく恐怖で男を引き寄せ、沢山のゴーストに恋人や旦那をプレゼントした経緯からいつしか化石女である【トイレの花子さん】の異名を得るに至った。
そんなに嫌なら本名を名乗れ、と指摘されるのは予想済み。
名乗れるのならそうしているのだが、困った事に私は本当の名前を忘れてしまっている。
が、流石にGと同じような名前を拝領するのは乙女としてどうかと思う為辞退したにも関わらず、現在も【花子さん】や【花ちゃん】呼ばわりされている。
自分で何か名前でも考えればいいのかも知れないが中々いい名前が浮かばず、結局花子呼ばわりされては否定する、というやり取りを繰り返すのが通例となっていた。
「花ちゃん大活躍だったよね〜、領主様も凄くよろこんでたし〜」
「…エエ、ソウデシタネ」
あの一件以来『魔物娘がこの世界に来る前のガチヤバ心霊スポットが残っていた!』と噂が一人歩きし、怖いもの見たさや度胸試しで足を運ぶ者が時々現れてはゴーストやらゾンビやらスケルトンやらをお持ち帰りしていった。
私としては馬鹿を追っ払っただけなので、てっきり人間に危害を加えた事でお説教くらいはされるのかと覚悟していたのだが
『怖がらせて相手を引き込む!そういうのもあるのですね、勉強になりましたわ!』
と逆に褒められた。
そういえば領主様、この世界に想い人が居るんだっけ。会えたかなぁ。
「そんな大活躍の花ちゃんにも〜、そろそろ良い人は現れていいと思うの〜」
「もう殆ど元の世界から来た子もいなくなったし〜、良いタイミングでしょ〜?」
―――確かに、悪い話ではない。
手に入らないと思っていた思い人にそっくりの男性が今正に自分のホームに飛び込んでくるのだ。
上手く行けば前の自分の失敗を取り返せる。
今度こそ、自分だけの旦那様を得られるのだ。
だが、その為には彼そっくりの男を怖がらせなくてはならない。
正直、心が痛む。
どれだけ性根が悪いのか知らないが、根っからの悪人など居まい。
彼は欲しい。けれど、その為には嫌われかねない事をしなくてはならない。
ウンウン悩んでいると、ミスティが助け舟を出してきた。
「ね〜ね〜花ちゃ〜ん。吊り橋効果ってしってる〜?怖い思いをしたら、好きって気持ちが強くなるんだよ〜?」
そんな効果だったろうか。少し違うような…。
「ほんきで怖がらせるのも、最初の一回だけでいいんだよ〜?大きなショックを与えて〜、あとは花ちゃんにメロメロになるようにすればいいだけ〜」
何度も怖がらせる必要はないらしい。なら、大丈夫…、か?
「花ちゃんだっていわれたいでしょ〜?『もう君しか見えない。死んでも傍に居てくれ、花子(仮)』とか〜」
男性役をした女優のような低めの声でキリッとした表情を浮かべ、甘い台詞を放つ彼女にとうとう折れた。
「はぁ…、怖がらせるのは一度だけ。後は好きにしていい。それでいいのよね?」
「おっけ〜♪」
腹を括る。
こうなったら思いっきり怖がらせて、全力でその後のフォローをする。
甘々な癒しで今度こそ、恋人ゲット!
小さくガッツポーズをして気合を入れる。
私の様子に安心したのか、ミスティはその場で手を打ち鳴らした。
「みんな〜、ちょっときて〜〜」
その声に応え、壁から床から天井から、誰一人ドアを開けずに現れる人影達。
次々と現れる人影達は、この狭い女子トイレ内を満たさんとばかりに増えていく。
ミスティさん、なにしてくれやがるんですか…。
「あ、ミスティさんじゃん。お久ー」
「なになに、団体さんでもきたの?」
「あら、あそこ男の人がいるのね…、ちょっとご挨拶してきちゃダメ?」
など、エトセトラエトセトラ。
元々ない統制が更に破綻しかけそうになる。、
その様子に、もう一度軽く手を打ち鳴らすミスティ。
「はいは〜い、ちゅ〜も〜く。今日はみんなにお願いがありま〜す。今日来た黒いほうの人は花ちゃんがゲットするので、協力してくださ〜い」
まるで幼児を相手にする保母さんのような話し方だが、皆に集めた目的を述べるミスティ。
しかし相手は魔物娘である。
早い者勝ちの考えをする者も居るかもしれないので、反発があるのでは?と今更ながら危惧する。
「はいなー、了解♪」
「え?花さん結婚すんの!?おめでとー!」
「団体さんじゃないの?残念…」
「私も付いて行っちゃダメ?」
が。
他全員、協力に肯定的な返答をくれた。
理由が見当たらないので首を傾げていたところ、ミスティが理由を説明してくれた。
「花ちゃんが黙っててても男の人たちがくる環境を作ってくれたから〜。みんなも感謝してるんだよ〜」
マジか。人生何が自分に返ってくるか分からないものである。
大まかな方針としては、全員あの人には手を出さず私の所まであの人を誘導して、後は私任せという事で落ち着いた。
「せんせー、質問でーす!」
一人のゴーストが生徒のように手を高く上げる。
言われたミスティは教師のようにそのゴーストを指差した。
「はい、ファムちゃん。なんでしょう〜?」
ファムと呼ばれたゴーストは、腕を上げたまま質問を続ける。
「もう片方の男はどうすればいいんでしょうか!皆で頂いてもいいんでしょうか!」
徐々にテンションが上がってきたのか声が上擦っている。
この質問は他の子もしたかったのか、皆一様にミスティの返答を待っていた。
ミスティは少しの間考えると、のんびりと答えた。
「ちゃんと自己紹介と何をしたいか説明して〜、いいよって言われたらおっけ〜」
引率の先生か、お前は。
そう心の中で突っ込んだが他はそうではなかったようだ。
言ってしまえばお見合い形式で相手の了承を得られれば、何人でも憑いていける。
仮に相手が了承しなくてもそこは魔物娘。
了承させる手段などいくらでもあるので、後は自分がハーレムを許容できるかどうかだろう。
その点も心配なかったのか、彼女達のやる気は目に見えて上がっていった。
「いよっしゃー!絶対気に入って貰うぞーっ!」
「アタシもついに結婚か、ウフフフフ…」
「え?団体さんって私達の方だったの?」
「私は旦那様一人だけ愛したいけどなー。まぁ、皆一緒でも良いかー」
熱い一体感が広がる。
皆の目標が完全にもう片方の男に逸れたのは構わないのだが、私の用件はきちんと覚えてくれているのだろうか。
「それじゃ〜みんな〜、念話の送受信は準備おっけ〜?誘導のタイミングはこっちで指示するから〜お願いね〜?」
「「「「「はぁーーい♪」」」」」
各々散っては要所に待機をする手際に彼女達の本気度が伺えた。
しかし、単純だからこそ好き勝手する彼女達をこうまで統率出来るとは。
ミスティって実は凄い素質を持っていたんじゃないだろうか。
そう感心していると、不思議そうにこちらを見るミスティ。
「花ちゃん〜、ほら待機待機〜」
そういって女子トイレの一角に押し込もうとする彼女。
慌てて従うが、浮ついた心はどうしようもない。
こういう時何と言えば良かったんだろうか?
嗚呼、そうだ―――
―――狩リノ時間ダ。
口元が綻ぶのを抑えられない。
早く来て、愛しい人。
待ってるから。
ご覧頂く前にはご注意を願います。
もう、此処に居るようになってから、どの位経ったろう。
領主様から旦那様探しを勧められたのはいいけれど、未だに私が欲しいと思う人が此処には来ない。
春。花が咲く頃になると5〜6人の男女のグループが良く来ていた。
夏。日差しが強くなって暑くなる頃だと、それに加えてとても大きな音を立てて何人もの男の人が大勢来る事も珍しくなかった。
秋。春の頃より少ない人数が纏まって来る事が多かった。
冬。訪れる人は身寄りがなく住む所もない人達だけだった。
この国の季節を少なくとももう一巡しそうな位になるけど、未だに私は【良い人】に出会えない。
他の子はもう旦那様を見つけて、周りの一戸建ての家に移り住み毎日愛を囁きあっている。
誰でもいいから襲っちゃいなよ、と友達は言うけど、どうしても踏み込めない。
理由は簡単。前にした失敗をどうしても思い出してしまうからだ。
以前勇気を出して意識を繋げた事もあったけど、初めてで緊張してしまい何も出来なかった。
夕暮れの教室。
目の前にいる男性は先輩で、私は同じ部活の後輩。
今日は先輩の誕生日で放課後時間を貰って私が告白。
先輩にOKを貰ってその場で組み伏せられて犯された後、先輩に優しいキスを貰ってお持ち帰りされる予定だった。
部活でもクラスでも目立たないけれど、日に焼け易いのか若干黒い肌をしており細身の長身。
運動部でもないのにしなやかな筋肉が付いていて、日本人と思えない彫りの深い顔立ちをしている。
実は我が強いのか、眼光は鋭いのだけれど掛けている太目のフレームの眼鏡のお陰で暴力的な印象は無い。
そんな人を選んだのだけれど、私が何か言う前に教室を出てしまいそのまま消えていった。
あまりの唐突さにしばし呆然としていたのだが、我に返って急いで後を追った先に彼は居なかった。
何処に行ったか分からず、廊下を端から端まで移動したが結局見つからない。
諦めて別の所に移動しようとした所、隣の教室から喘ぎ声が聞こえた為覗いてみる。
すると、そこには他の子との女教師プレイにどハマリして腰を振っていた彼の姿が見えたのだ。
白状する。私はこの時点でもう彼を諦めた。
言いたくは無いが、私は今彼に組み伏せられているゴーストよりも身体つきが貧相だ。
胸は平均だろうが、腰は大きくくびれておらずお尻も大きくは無い。
取り立てて肉体的優位性の無い私がこのシチュエーションで選べるのは、後輩という付加属性だけなのだ。
相手を引き止められなかったという大きな失敗が横取りという結果を許してしまった。
獲物を逃したショックと嬉しそうに交わう姿を見せ付けられた当時の私はどうにも出来なかった。
今でもその光景は忘れられず私は少し、皆と距離を置くようになった。
三階一番奥の女子トイレ。
そこが私にとっての聖域だった。
大体のゴーストは決まった所に居らず自由気ままに行動している。
大勢の男の人が移動してくるならその先に。
大勢の男女が移動してくるならその中に。
少人数ならその後ろにと、それとなく付いていっては彼等の自宅に持ち帰られる。
私のように決まった所に引き篭もるゴーストなんて、あまり居ないだろう。
それでも皆は私に声を掛けてくれる。
『男一杯だよ、迷っちゃう♪』とか。
『あの人チョーイケメン☆ねね、どう思う?』とか。
『お持ち帰り…ジュルリ』とか。
決して私を無視せず、必ず声を掛けてきては一緒に行こうと誘ってくれた。
でも、ダメなのだ。私が欲しいのはあの人だから。
今日も何の気なしに窓から外を見る。
車が正面の校門から入ってくる。
ざわめくゴーストの皆。
どうやら男らしい。
ぼんやりと眺めると、私は大きく目を開いた。
あの人だ。
いや、正確には違うのだろうが顔立ちが瓜二つと言っていい。
頭蓋に衝撃が走ったような感覚。
動機は早くなり、下腹の辺りが物欲しそうな感覚を伝えてくる。
今すぐ行かなければ。
他の子に取られてしまう。
またあんな思いをしないように、強引にでも引きずり込んで自分の身体で相手を溺れさせてしまわなければ。
窓からすぐにでも飛び出そうとした時、不意に声を掛けられる。
「あ、花ちゃんいた〜」
女子トイレのドアから突然女の子の上半身が飛び出してくる。
長い髪をリボンで結わえ、前に垂らしている少しポワポワした雰囲気のゴースト。
確か、数日前に来た男の人の集団にくっ付いていったゴースト軍団の中に居た子ではなかったか。
…何でここに居るの?
とっくに夫を見つけてイチャついている筈のこの子が目の前に居る。
その異常事態に、つい動きが止まってしまう。
「今日はね〜、花ちゃんにちょっとお願いがあるの〜」
「…ねぇ、ミスティ。前にも言ったけど私、花子でもなければ花ちゃんでもないんだけど?」
「花ちゃん旦那様欲しいっていってたよね〜?」
「あの、聞いて?私、【花ちゃん】じゃないって何度言えば…」
「あの人なんてど〜お〜?」
うわぁい駄目だ。完全に向こうのペースになってる。
私は諦めて彼女の指差す方向にいる男性を見た。
ミスティのお陰で冷静に見れるようになったけど、やっぱりあの人よね……。
熱っぽい視線を送ってしまったからなのか、ミスティは悪戯を企む童女のような笑顔で続けた。
「いい感じみたいだね〜。じゃあ、花ちゃんがあの人と一緒になれるように協力するよ〜」
どういう風の吹き回しだろう。
手伝ってくれるのは有り難いが、彼女はそこまで仲が言い訳ではない。
手伝うという以上他のゴーストやらゾンビへの根回しや説得をしてくれるのだろうが、何故そんな事をするのか。
念の為問うてみた。
「旦那様もちの余裕〜…、うそうそ、冗談〜」
殺る気オーラ全開になりかけた様子に、慌てて両手を振って否定する彼女。
「本当は、わたしの旦那様のお願いだから〜」
何で彼女の旦那が私の恋人探しをお願いしてくれるのか。
今一繋がらない話に、ミスティは更に説明を続けた。
「わたしの旦那様が、いつまでも一人身のあの人にいい加減しっかりして欲しいからっていってたわ〜。でも残念な性格の人らしいからドッキリを仕掛けて〜、性格も直してほしいっていってたの〜」
相変わらずの間延びした話し方で眠くなりそうだが、そういう事か。
「つまり、私があの人を驚かせて性格をショック療法しろって事?」
「そう〜。終わったら煮るなり焼くなり好きにしていいって旦那様もいってたわ〜」
「貴女の旦那様に何故決定権があるのかは置いておいて。そもそも何で私が脅かすのよ?普通に取り憑けばいいじゃない」
「それじゃダメらしいの〜、脅かす事が大切だっていってたから、花ちゃんなら大丈夫かなって思って〜」
得意技でしょ〜?そうドヤ顔で言い放つミスティに、私はこめかみを押さえた。
「一応聞くわ…、何で【脅かし=私】なのかしら?」
「え〜?だってこの前だって〜、花ちゃんのおかげで沢山男の人きたじゃない〜」
…この前?脅かした記憶なんてないんだけど?
「4人くらいの男の子が花火もって遊んでたじゃない〜?あの時から〜」
あぁ、アレか。
郊外だからと羽目を外し馬鹿笑いして後始末もせずに花火を撃ちまくった挙句、ゴミをそのままに建物の中を土足で入り込んだ奴等が居た。
唯でさえ虫の居所が悪いのにそんな馬鹿がやってきたから、定位置のトイレの奥でやり過ごそうと思ったのだ。
私の居る階に近づいてきた時は嫌な予感がした。
でも催したんだろうと思ってそのまま、見て見ぬ振りをしたのだが、トイレの前まで来た時にその予感は更に膨れ上がった。
OK、まだ慌てる時間じゃない。そう自分に言い聞かせて落ち着けた。
普通男子トイレに行くだろうと思ったし、男子トイレには今か今かと5〜6人のゴーストが待機していたのだが何を思ったのかそいつ等はわざわざ女子トイレに入ってきた。
暫く人と距離を置きたい、プラスあまりにも好みからは掛け離れた思考の連中に私は興味を失くして流れに身を任せていたのだが、誤算があった。
私も迂闊だったかもしれないが、生前の習慣かついついトイレのドアを閉めてしまっていたのだ。
明らかに無人の建物内で不自然に閉まっているドア。
察しの良い人ならもう分かるだろう。学校の怪談だ。
トイレの花子さんという、有名すぎる怪談を想起した彼等は面白半分でそれを試した。
『花子さん花子さんお越し下さい。花子さん花子さんお越し下さい。』
ゲラゲラ笑いながら試す彼等に、内心彼等の人生を本気で心配した。
若さ故という事もあろうがコレは酷い。
そんな化石みたいな女より、隣に新品で出来立てホヤホヤの処女が居るのだからそっち行け、と思う。
まさか自分のお祖母ちゃん位の年齢でないと興奮しない奴らなのか?とぼんやり考えていたらノックが段々と大きくなっていた。
気付いたらそれはノックではなく、足の力だけで放つ蹴りになり今にも蹴破らんとしていたのだ。
あまりの無法に開いた口の塞がらない私はこの無作法者共を驚かす事にしたのだ。
以下、その一部を抜粋する。
≪女子トイレ編≫
「うるあああぁぁぁっ!」
勢いだけをつけて足を動かす。
先程までしっかりと鍵が掛かっていたトイレのドアが突然その抵抗を止め、足の力だけで放たれていた蹴りは何の抵抗も無くなったドアを容赦なく開け放った。
勢いをつけて返ってきたドアの思いの他大きかったその音に、まだまだ少年の域を出ないその顔は実に煩わしそうにそのドアを見つめ先程よりは幾分手加減をした蹴りを再度放つ。
今度はゆっくりと開かれたドアは、長年使用されていない器物独特の軋むような音で鳴きその内側を開帳する。
「あーぁ、拍子抜け。なんも居ねぇじゃねえか」
中は無人であった。鍵が掛かっていたと思ったのも、実は立て付けが悪かったのだろうと少年は解釈する。
「そんな事言ってよ?ホントは何も出なくてホッとしたんじゃねーの?オマエ」
もう一人の少年は付き添いだったのか、少し離れた位置から蹴り開いた少年を眺めている。
思いの外強く蹴破った事に関して咎めず少年の行動に煽りを入れる所から、彼等にとってはこのような乱雑な振る舞いをするのは日常茶飯事なのかもしれない。
「あ?んな訳ねーだろ。居たら腹に二、三発正義の拳を叩き込んで成仏させてやろうっていう親切だよ、し・ん・せ・つ」
「ぎゃは!どんな親切だよ、一応オンナノコなんだぜー?」
「冗談だろ。俺等のジジイの代から居るらしいんだから、もうババアだぜ?いい加減おっ死ねっての」
自分勝手な言い分を、さも正しいと思い込むのは単純に若さだけではなく他人に対する配慮が足りないからだろう。
その足りない分を埋めようとするかのように、彼等には滾るものが有った。
「でもよー?死んだのがガキの頃ならその頃から変わってないんじゃね?可愛かったらどうするよ?」
「あ?んなの聞くまでもねーだろ。腹ぶん殴って大人しくさせてから犯っちまうに決まってんだろ?どうせ死んでから迷惑掛けてんだから、少しは生きてる奴の役に立てってーの」
「ぎゃはは!オマエ鬼畜すぎー!だから女に逃げられんだよ、何人目ー?」
「うっせ。俺に着いてこれねー奴が悪いんだよ。別れ際にぶん殴ってからヒイヒイ言わせてやったしもういいわ」
そう言って踵を返す少年達。
その時、後でゆっくりとドアが軋む音がする。
訝しげに振り向く少年達だが、振り向いた先に大きな変化があった。
先程蹴り開いた時は、確かに開け放していた筈のドア。
それが今は閉まっていた。
二人の少年は顔を見合わせたが答えが出る筈も無い。
目の前の出来事は唯ドアが閉まっていただけ。
だが、先程と明らかに違うのは感じる空気が異なっていた。
中に誰か居るような、先程まで居なかった何者かが姿を現したような感覚。
「……おい、誰か居んのかよ?」
思わず話しかけてしまうが、当然返答はない。
先程まで話していた事もあり、仲間の居る手前弱気な所は見せられないと判断したのか蹴り開いた少年が必要以上に床を踏み締めてドアに近づく。
「あ゛ぁ゛っ!?はーなこちゃーん?居たんでちゅかー?お兄さんが遊んであげるから出てきたらどうでちゅかー?」
尚も返答は無い。先程無人だった事を考えると至極当然の光景だが、それに少年は苛立ち、再度ドアを蹴った。
「オラぁっ!出てこいやクソババア!死んでから何年経ったと思ってやがる!さっさと消えちまえ!」
「それとも俺が怖えぇのか!?上等だコラ!出てきやがったらテメエのケツ穴に俺のデカチン突っ込んでションベンしてやらあっ!」
「とっとと出てこいや死に損ないっ!俺がぶっ殺してやっからよお!」
最早前後の文脈が矛盾している事にも気づかず、感情の赴くまま罵詈雑言を重ねる少年。
罵言にあわせて蹴っていた扉が、また開いた。
ゆっくりと現れる個室内。
そこは矢張り無人だった。
「はぁ…、はぁ…、はぁ……どうよ?何も居ねぇぜ?おい、お前もこっち来いよ!何もないからよ!」
肩で息をしながら、安堵の表情で相方を呼ぶ少年。
呼ばれた少年の顔面は蒼白だった。
蹴り開いた少年は、自分を見ている少年を嘲る。
「あん?お前なんだ?俺にビビってんのか、ビビリ一号」
明らかな挑発にも関らず自分に食い付かない少年に、流石に違和感を感じる少年。
ビビリ一号と呼ばれた少年は歯の根が合わないのか、カタカタという音を発しながら震える指を蹴り開いた少年の空間に指していた。
思わず見上げてしまう少年。
もし少年が僅かでも置かれている状況を振り返れるのであれば、そこに居るものを見なくても済んだろう。
指が指されていた空間はトイレのドアの丁度上。
個室の中と外を仕切る厚さ数センチの金属フレームの上に目を見開いて血まみれになった少女の姿があった。
人間にはまず不可能な空間に、うつ伏せになったような直立姿勢で少年を見下げる怪異。
少女は蹴り開いた少年が自分に気付いた事を認めると、墨が染み出るように禍々しい笑い顔を刻んだ。
「う、うわああああああっ!」
思わず仰け反り、女子トイレ内から廊下に続く扉に一直線に駆け寄る少年。
青褪めた顔の相方なぞ気にもせず、一心不乱に外界へ続く扉へ取り付く。
が。
「あ、開かねぇっ!扉が開かねぇ!?」
扉はまるで溶接でもされたかのように微動だにしなかった。
後ろでベチャリと腐った果実が地面に落ちたような音がする。
止せばいいのに振り返ってみると、先程の少女が血走った目を前髪で隠しながら陰惨な笑みを浮かべて這いずり寄ってきていた。
そこに、自分の相方が急に動いた事で思考が戻ってきたのか蒼白だった少年も漸く今の事態を飲み込んだ。
「おい、早く開けろ!何やってんだもう来るぞっ!」
少年達の焦りを嘲笑うかのように、加工し過ぎて元の音が分からなくなったような声が頭に直接響く。
『アカ…ナイヨ…、ヒヒ、アカナイ…ヨ…』
じりじりとにじり寄り薄笑いすら浮かべる少女型の怪異。
この時点で漸く少年達は自分達が取り返しのつかない事をしたのだと悟った。
目の前のモノになす術もない事も。
もう、彼我の距離は殆ど無い。
「「ひ…、ひやああああぁぁぁぁ!!」」
心底嬉しそうな死者の姿に、少年達は肺に残る空気を最後まで搾り出すかのように悲鳴を上げ意識を失った。
≪教室編≫
悲鳴が響く。
二手に分かれてこの廃校舎を散策していたが、さして目ぼしい物もなく時間を無駄に費やしていた彼等には正に突然の出来事だった。
位置からすると上階からだろうか。片割れのグループが用を足しに行くと言っていたので、恐らくトイレかその近くからかと思われる。
トイレ。
そして廃校舎。
頭の中で結ぶつくものが在る。
そして、彼等がやりそうな事も見当がついた。
「悪戯か?」
「流石に違うっしょ。あいつ等にそんな演技力ないし」
真に迫る悲鳴は、断じて悪ふざけで発せられたものではない。
そもそもそこまでして此方を驚かしては笑い話にもならない。
それなりに付き合いがあるので、笑って許せる冗談とそうでない冗談の線引きくらいはお互いの中で出来ていた。
「一応見てくるか。もしかしたら先客や浮浪者でもいたのかも知れねぇ」
「あー…、仕方ないね。大丈夫だと思うけど」
振り返り、廊下を歩く。
廊下の端の階段を上ろうと進むが、奇妙な音に気付く。
トン、トン、トン、トン……
定期的なリズム。
それが廊下の端の階段、その上階から小さな音となって聞こえてくる。
音は、近づいてきていた。
「おい…、何かヤバくねぇか?」
体重が掛かっているのは変わりない。
だが、音の仕方に違和感がある。
まるで誰かが人を引き擦り、引き擦られた人間の踵が一段一段引っ掛かっているような軽い音。
音は段々と下の階に近づき、その音色を変えた。
トン……ズー…、ズー…、ズー…
明らかに重量物を引き擦る音に変わる。
二人は見る。
それには影が無い。まるで薄ぼんやりと、それ自体が発光しているようだった。
それには足が無い。人間であれば極当然な、体重を支えるべき部位が無い。
それには温度が無い。生きているもの独特の熱のようなものが完全に抜け落ちている。
だが二人は見た。
生きている筈の無い、人間であれば失血している事が間違いない位血塗れの姿で薄く笑う怪異の姿を。
ズー…、ズー…、ズー…
引き擦っているのが何なのか考えるまでもない。
あの二人だ。
どうやってかは知らないが、彼等を引いて進んでくる。
自分達の方に。
「!おい、そこだ。教室に逃げるぞ!」
片割れの手を引いて空き教室に入る。
幸い施錠されていなかったのか、特に抵抗なく扉は開いて少年達を受け入れた。
音は尚も近寄ってくる。
ズー…、ズー…、ズー…
「おい…あいつ等、あいつ等大丈夫なのかよ?携帯も繋がらねぇよ…?」
「もうあいつ等は忘れろ!助からねぇ!やり過ごして俺らだけでも逃げるんだよ!!」
ズー…、ズー…、ズー…、ズ
「……!」
声に反応したのか。
音は彼等の居る教室前で急に止まった。
見つかった。
そうとしか思えない沈黙。
永遠に続くとも思われた均衡に、我慢し切れなかったのか息のような小さな音が喉から漏れる。
「ぁ、ぁ、ぁ…」
………ズー…、ズー…、ズー…
「…行ったか?」
「多分…」
気のせいだとでも思ったのだろう。
音は二人を引き擦り、廊下の向こう側へと消えていった。
「っはぁ〜〜…、心臓止まるかと思ったぜ…」
「ぉぃ、もう帰ろうぜ?あいつ等だってきっともう帰ってるさ…」
先程の光景を夢だったと思い込み、確認もせず仲間の安全を確信する少年。
『モウ、カエルノ?モット、アソボウヨ』
「「……え?」」
覚めない内は悪夢の中であるという事を忘れてはならない。
二人の少年を引き擦っていた筈の怪異が三日月のように裂けた笑い顔でこちらを見ていた。
獲物を見つけて嬉しそうな、酷く含みのある笑みを浮かべている。
ニタァ
「「わああああああぁぁぁぁぁっ!!!」」
一目散に駆け出した二人は、最早仲間の安否など関係なかった。
唯ここから抜け出したい、という一心で教室の扉へ向かう。
教室を抜け出した所で二人とも何かに蹴躓いた。
バランスを崩して倒れてしまう少年達。
振り返ると、そこには引き擦られていた二人組みが居た。
蹴られた衝撃に苦悶しながら反応するところから生きていたのだろう。
だが、生存を喜んでいる暇などなかった。
開け放たれた扉から指が覗く。
指が床を掴む。
手が見える。
ゆっくりと、這い寄ってきている。
その全貌が見えるより速く、動けるものは恥も外聞も捨て一目散にその場から逃げ出した。
≪校門付近編≫
かつて学び舎として数多くの学生の出入りを迎えたであろう校門付近に、今は不審な影が四つ点在している。
そのどれもが慌てており、そのどれもが精一杯の願望を掛けて一心不乱に一つの行動を繰り返している。
「ひぃ!ひいいいぃぃ!」
「掛かれ!このポンコツ!さっさと掛かりやがれ!!」
「逃げなきゃ…!逃げなきゃ…!殺される…っ!」
「ごめんさないごめんなさいごめんさないごめんなさい」
何とか全員無事に逃走手段まで辿り着いたのだろう。
原動機付自転車のキーを、何度も回しては戻してを繰り返している。
最早壊れた人形劇のように同じ台詞を繰り返し、懸命に動こうとうする姿は哀れを通り越し滑稽ですらある。
彼等は今懸命に生きようとしていた。
どれだけ他者から指を指されて笑われるような姿であっても、【生きる】という行為において彼等は今、確かに輝いていた。
その輝きを次の日に、その次の日に繋ぐ為兎に角この場を離れる。
言外に一致された生きる者の選択である。
その思いに、応えるものがあった。
『キヒヒ、テ…イランカ?アシ…イランカ?アタマァ…イランナ?』
校門付近にある大きな木。
そこから逆さ吊りになって、先程の怪異が現れる。
その目は愉悦に歪みながら、少年達に問い掛ける。
―――逃げられるかな?と。
「「「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!」」」」
その声に応えたのか。
今まで空回りしていた原動機付自転車が、息を吹き返したように唸りを上げる。
その音に触発されたのか、次々と校門から抜け出る少年達。
音が小さくなっていくと、残された怪異もまたその姿を崩す。
血塗れだった姿はたちどころにその赤が消え去り、フリルの多い衣服を表に現した。
髪はうなじを隠す位のショートカットで、少し癖があるのか緋色のヘアバンドを使って押さえている。
顔立ちはまだあどけない部分が残るが目元は少し釣り上がり気味でやや活発な印象を見るものに与えている。
胸は並程度あるだろうが、腰のくびれと臀部の大きさはあまり目立たない。
可憐だが、特徴となる部分が特に少ない少女が鼻から荒い息を一息放つ。
顰め面で不届き者達の敗走を見送ると、少女は宵闇に融けるように薄く消えていった。
回想終了。
確かに。ほんのちょこっと、僅かに怖い思いはさせたかもしれないなー、的な事はした。
尚、彼等は仲間内か友人間かでこの出来事を広め結果彼等の三倍以上の数がここに押し寄せてくる事となったのは余談である。
人間、集まると気が大きくなるのか知らないが、あの4人組より更に態度が悪かったので虫の居所を悪くした私は再度教育的指導を行い、全員の顔から様々な汁が溢れ帰りたくなるまで指導を続けた。
ついでにいうが、あの時の少年4人組を含め全員ゴーストを最低一人はお持ち返したので現在此処に住むゴーストはかなり少なくなった。
私は誘惑ではなく恐怖で男を引き寄せ、沢山のゴーストに恋人や旦那をプレゼントした経緯からいつしか化石女である【トイレの花子さん】の異名を得るに至った。
そんなに嫌なら本名を名乗れ、と指摘されるのは予想済み。
名乗れるのならそうしているのだが、困った事に私は本当の名前を忘れてしまっている。
が、流石にGと同じような名前を拝領するのは乙女としてどうかと思う為辞退したにも関わらず、現在も【花子さん】や【花ちゃん】呼ばわりされている。
自分で何か名前でも考えればいいのかも知れないが中々いい名前が浮かばず、結局花子呼ばわりされては否定する、というやり取りを繰り返すのが通例となっていた。
「花ちゃん大活躍だったよね〜、領主様も凄くよろこんでたし〜」
「…エエ、ソウデシタネ」
あの一件以来『魔物娘がこの世界に来る前のガチヤバ心霊スポットが残っていた!』と噂が一人歩きし、怖いもの見たさや度胸試しで足を運ぶ者が時々現れてはゴーストやらゾンビやらスケルトンやらをお持ち帰りしていった。
私としては馬鹿を追っ払っただけなので、てっきり人間に危害を加えた事でお説教くらいはされるのかと覚悟していたのだが
『怖がらせて相手を引き込む!そういうのもあるのですね、勉強になりましたわ!』
と逆に褒められた。
そういえば領主様、この世界に想い人が居るんだっけ。会えたかなぁ。
「そんな大活躍の花ちゃんにも〜、そろそろ良い人は現れていいと思うの〜」
「もう殆ど元の世界から来た子もいなくなったし〜、良いタイミングでしょ〜?」
―――確かに、悪い話ではない。
手に入らないと思っていた思い人にそっくりの男性が今正に自分のホームに飛び込んでくるのだ。
上手く行けば前の自分の失敗を取り返せる。
今度こそ、自分だけの旦那様を得られるのだ。
だが、その為には彼そっくりの男を怖がらせなくてはならない。
正直、心が痛む。
どれだけ性根が悪いのか知らないが、根っからの悪人など居まい。
彼は欲しい。けれど、その為には嫌われかねない事をしなくてはならない。
ウンウン悩んでいると、ミスティが助け舟を出してきた。
「ね〜ね〜花ちゃ〜ん。吊り橋効果ってしってる〜?怖い思いをしたら、好きって気持ちが強くなるんだよ〜?」
そんな効果だったろうか。少し違うような…。
「ほんきで怖がらせるのも、最初の一回だけでいいんだよ〜?大きなショックを与えて〜、あとは花ちゃんにメロメロになるようにすればいいだけ〜」
何度も怖がらせる必要はないらしい。なら、大丈夫…、か?
「花ちゃんだっていわれたいでしょ〜?『もう君しか見えない。死んでも傍に居てくれ、花子(仮)』とか〜」
男性役をした女優のような低めの声でキリッとした表情を浮かべ、甘い台詞を放つ彼女にとうとう折れた。
「はぁ…、怖がらせるのは一度だけ。後は好きにしていい。それでいいのよね?」
「おっけ〜♪」
腹を括る。
こうなったら思いっきり怖がらせて、全力でその後のフォローをする。
甘々な癒しで今度こそ、恋人ゲット!
小さくガッツポーズをして気合を入れる。
私の様子に安心したのか、ミスティはその場で手を打ち鳴らした。
「みんな〜、ちょっときて〜〜」
その声に応え、壁から床から天井から、誰一人ドアを開けずに現れる人影達。
次々と現れる人影達は、この狭い女子トイレ内を満たさんとばかりに増えていく。
ミスティさん、なにしてくれやがるんですか…。
「あ、ミスティさんじゃん。お久ー」
「なになに、団体さんでもきたの?」
「あら、あそこ男の人がいるのね…、ちょっとご挨拶してきちゃダメ?」
など、エトセトラエトセトラ。
元々ない統制が更に破綻しかけそうになる。、
その様子に、もう一度軽く手を打ち鳴らすミスティ。
「はいは〜い、ちゅ〜も〜く。今日はみんなにお願いがありま〜す。今日来た黒いほうの人は花ちゃんがゲットするので、協力してくださ〜い」
まるで幼児を相手にする保母さんのような話し方だが、皆に集めた目的を述べるミスティ。
しかし相手は魔物娘である。
早い者勝ちの考えをする者も居るかもしれないので、反発があるのでは?と今更ながら危惧する。
「はいなー、了解♪」
「え?花さん結婚すんの!?おめでとー!」
「団体さんじゃないの?残念…」
「私も付いて行っちゃダメ?」
が。
他全員、協力に肯定的な返答をくれた。
理由が見当たらないので首を傾げていたところ、ミスティが理由を説明してくれた。
「花ちゃんが黙っててても男の人たちがくる環境を作ってくれたから〜。みんなも感謝してるんだよ〜」
マジか。人生何が自分に返ってくるか分からないものである。
大まかな方針としては、全員あの人には手を出さず私の所まであの人を誘導して、後は私任せという事で落ち着いた。
「せんせー、質問でーす!」
一人のゴーストが生徒のように手を高く上げる。
言われたミスティは教師のようにそのゴーストを指差した。
「はい、ファムちゃん。なんでしょう〜?」
ファムと呼ばれたゴーストは、腕を上げたまま質問を続ける。
「もう片方の男はどうすればいいんでしょうか!皆で頂いてもいいんでしょうか!」
徐々にテンションが上がってきたのか声が上擦っている。
この質問は他の子もしたかったのか、皆一様にミスティの返答を待っていた。
ミスティは少しの間考えると、のんびりと答えた。
「ちゃんと自己紹介と何をしたいか説明して〜、いいよって言われたらおっけ〜」
引率の先生か、お前は。
そう心の中で突っ込んだが他はそうではなかったようだ。
言ってしまえばお見合い形式で相手の了承を得られれば、何人でも憑いていける。
仮に相手が了承しなくてもそこは魔物娘。
了承させる手段などいくらでもあるので、後は自分がハーレムを許容できるかどうかだろう。
その点も心配なかったのか、彼女達のやる気は目に見えて上がっていった。
「いよっしゃー!絶対気に入って貰うぞーっ!」
「アタシもついに結婚か、ウフフフフ…」
「え?団体さんって私達の方だったの?」
「私は旦那様一人だけ愛したいけどなー。まぁ、皆一緒でも良いかー」
熱い一体感が広がる。
皆の目標が完全にもう片方の男に逸れたのは構わないのだが、私の用件はきちんと覚えてくれているのだろうか。
「それじゃ〜みんな〜、念話の送受信は準備おっけ〜?誘導のタイミングはこっちで指示するから〜お願いね〜?」
「「「「「はぁーーい♪」」」」」
各々散っては要所に待機をする手際に彼女達の本気度が伺えた。
しかし、単純だからこそ好き勝手する彼女達をこうまで統率出来るとは。
ミスティって実は凄い素質を持っていたんじゃないだろうか。
そう感心していると、不思議そうにこちらを見るミスティ。
「花ちゃん〜、ほら待機待機〜」
そういって女子トイレの一角に押し込もうとする彼女。
慌てて従うが、浮ついた心はどうしようもない。
こういう時何と言えば良かったんだろうか?
嗚呼、そうだ―――
―――狩リノ時間ダ。
口元が綻ぶのを抑えられない。
早く来て、愛しい人。
待ってるから。
13/11/08 00:05更新 / 十目一八
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