経過
「件の少年は第2〜第6勇者部隊の総力にて封殺し、被害はありません。……ただ、部隊の者達からは気になる報告が。『少年はまるで魔王軍の誰かを探しているようで、我々との交戦は片手間で行なっているように見えた』、と。また、この数日の間に明らかに使用する魔法の種類が増えているとの声もあります。特に昨日は、それまで全く使用していなかった浮遊系の魔法を使いこなしているのを目撃されています」
「……そうか」
部下からの報告に、眼鏡をかけたアゼレアは視線を落とし、ペンを走らせたまま返事を返した。
あれから既に4日。アゼレアは眠る時間も無く件の少年の対応に追われて続けていた。
あれだけの力を持つ勇者が相手では、魔王軍の中でも相応の力を持つ者でなければ相手が出来ない。
少しでも対応を間違えれば、それは即甚大な被害へと繋がってしまう。
アゼレアはペンを置くと、手紙を封筒に包み、蝋で封をして……それを数度繰り返して、纏めて部下へと手渡した。
「母上と姉上達宛に。回せるだけの戦力を回して貰えるよう頼んでくれ」
「かしこまりました」
部下たちからの報告の通り、あの少年は未だに全力を出しては居ないのだろう。
彼に与えられた命令は、『行綱を殺さず捕らえて帰還する事』。魔王軍を倒す事ではないのだから。
そしてーー使う魔法の種類が増えているというのも、その通りなのだろう。
彼は、赤ん坊の頃に教団に拾われてからを、半ば幽閉されたまま過ごしていたという。
つまりは……戦闘や魔法の訓練を受けていた訳ではない。
ただ、幼い子が枝切れでそうするように剣を振り回していただけ。
ただ、感覚の赴くままに魔力を打ち出していただけ。
それが、学び始めてしまっているのだ。魔法を。剣術を。
魔界と教団。その双方の最高の兵士と術者が集まる、この戦場から。
現状で押さえ込むに充分な戦力が揃っていると判断するのは、危険過ぎる。
「……失礼します」
頭を下げ、封筒を抱えた部下と入れ替わりに、一人のサキュバスが入室してきた。
真っ赤に泣き腫らしたような瞼。
件の勇者を幽閉していた司教の元に、スパイとして送り込まれていた部下だった。
「どうじゃ、その後の様子は」
「……はい。もう毒は体から完全に抜けたようです。ただ……やっぱり彼でも、あの勇者に再命令は出来ないみたいで……」
「……そうか」
元より、それは予想されていることではあった。
『この命令が完了するまで、他の命令は一切聞いてはならない』
『例え――それが、自分の名前で下された命令であっても』
この命令は彼が服毒での自決に失敗し、その身柄が誰かに抑えられ、懐柔されてしまった場合ーーつまりは、まさしく今のような状態を想定していたものであっただろうから。
「……あの」
「そんな顔をするでない。お前からの報告が間に合ったお陰で、妾は行綱を失わずに済んだ。……本当に、感謝している」
アゼレアは眼鏡を外し、微笑みを向ける。
「毒は抜けたとはいえ、かの司教が心の平穏を取り戻すまではまだ時間がかかろう。……長期の任務、誠にご苦労であった。本件の報告は一旦今回で終わりとするゆえ、側で支えてやるがよい」
「……はい。ありがとうございます、アゼレア様……!」
涙を浮かべ、一刻も早くといった様子で駆け出した彼女の背中を見送って。
「…………」
一人残ったアゼレアは椅子の背に体重を預け、天井を見上げた。
ああ。
彼女に比べて……自分は、行綱に何をしてあげられるのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「…………」
「ミリア。……どうでしたか、行綱さんの様子は」
行綱の病室から戻ってきたミリアに、クロエが声をかけた。
……今にも泣きそうな様子でとぼとぼと歩く姿から、既に結果は察しているのだろう。
クロエがソファに座ったまま両手を差し出すと、ミリアはよろよろと倒れこむようにその胸に顔を埋め……すすり泣くのを必死に堪えたような声で、話し始める。
「ぅ、ぐっ……だめ、だった……やっぱりおにいちゃん、ミリアがはなしかけても、あたまをすりつけても……なにも……反応してくれない……」
小さな背中を、掌でさする。
「でも、行綱さんの前では泣かなかったんでしょう?」
「っ、……うん……」
「それだけでも立派ですよ、ミリア」
あの日からの彼は、まるで魂が抜けてしまったようだった。
話しかけても、触れても反応しない。何も口にしようとしない。
ただ、虚ろな目で虚空を見つめているだけ。
「…………」
クロエは、彼がああなってしまった日のことを思い出す。
『いいですか、皆さん。……今回の事で、ユキちゃんに対して『守れなくてごめん』だとか、『私のせいで』だとか、そういった事を言ってはいけませんよ?』
行綱の病室から出て。
一同を前に、舞が口を開いていた。
変わることのない、いつも通りの調子のままで。
『そうやってユキちゃんを慰めることは、今感じている無力感を改めて突き付ける事になるでしょう。それをしたら……今度こそ、ユキちゃんは本当に壊れてしまいます』
あの勇者に、手も足も出なかった……どころではない。
殺さぬようにと、極限の手加減をされてなお、その有様だったという事実。
『…………』
……いや、そんな事よりも。
行綱のあの姿を見て。何故、そんなに普段通りに振る舞えるのか。
魔物達は混乱したまま、言葉を返せず……少しして、ようやく何人かが口を開いた。
『でも、今回は相手が悪かっただけ。それは事実』
『……まぁ、半分神さまの領域だったよね。あれ』
そう。
言ってしまえば……あれに一対一で勝てないのなんて、当たり前。
本来ならば、高位の魔物や元勇者達、そうした者達を束ねてあたらねばならない相手なのだから。
力の差や、立ち向かった恐怖と痛みに怯えるのはともかく……彼が負けた事を責める者なんて、誰もいない。
だが、舞は静かに首を振った。
『……あの子にとって、相手が何者かは関係ないんです。勇者でも、神様や仏様そのものでも』
出てきたばかりの病室のドアを振り返りながら、続ける。
『それが仕える主に仇なす者である以上、その身に替えてでも倒せなければ倒せなければ己の存在する意味がない。あの子は、そうやって育ってしまいましたし……少なくとも、そう信じてしまっています』
そうして再び、アゼレア達へと振り返った。
『もちろん!もちろん、絶対にそんな事はないんですがっ!……でも、多分、今は何を言っても、ユキちゃんを追い詰めるだけになると思うんです。だから……ユキちゃんが少し落ち着くまでは、いつも通りに接してあげてくれませんか』
その通り、4日前と比べれば彼の様子は少しだけ落ち着いた。
怯えるように、自分の腕を握って身体を強張らせている事は無くなった。
だが……話しかけても、あの生真面目な返事は帰ってこない。
光の失われた瞳。日々やつれ、細くなっていく体。
それを前にしていると、知らずのうちに涙が溢れて止まらなくなってしまう。
彼にそれを見られまいとするだけで、精一杯なのだ。
そうして……何となく、感じてしまっていた。
「……よぉ、クロエ。ちょっと話があるんだが」
聞こえてきたほむらの声に、顔を上げる。
彼女の後ろには、クレアとヴィントも居て……そしてヴィント以外の二人は、泣き腫らしたように赤い瞼をしていた。
「……ええ。分かっています」
彼を今の状態から救えるのは……きっと、自分達ではないという事を。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「……お前達」
再び、アゼレアの執務室。
次に現れたのはーー行綱と舞を除いた、魔王軍第26突撃部隊の五名だった。
「っ、行綱は……いや、そうか……」
まさか、彼が回復したのかとアゼレアは腰を浮き上がらせ……殆どの者が瞼を腫らし、沈痛な面持ちをしているその様子を見て、そうではないのだという事を察した。
「…………」
彼女達と、目を合わせる事が出来ない。
合わせる、顔がない。
行綱を。彼女を。あの場所へ送り出したのは、自分なのだから。
何を言われてもーー返す言葉がない。
「…………え……?」
しかし、そんなアゼレアが目にしたのは。
無言で、一様に深々を頭を下げる、彼女達の姿。
「……アゼレア様。本日は一同より、お願いがあり参りました」
全員の声を代するように、クロエが口を開いた。
「行綱さんを、貴女の手で堕としてあげて下さい」
ーー震える、声で。
「私達ではダメなんです。……貴女で、なければ」
「……そうか」
部下からの報告に、眼鏡をかけたアゼレアは視線を落とし、ペンを走らせたまま返事を返した。
あれから既に4日。アゼレアは眠る時間も無く件の少年の対応に追われて続けていた。
あれだけの力を持つ勇者が相手では、魔王軍の中でも相応の力を持つ者でなければ相手が出来ない。
少しでも対応を間違えれば、それは即甚大な被害へと繋がってしまう。
アゼレアはペンを置くと、手紙を封筒に包み、蝋で封をして……それを数度繰り返して、纏めて部下へと手渡した。
「母上と姉上達宛に。回せるだけの戦力を回して貰えるよう頼んでくれ」
「かしこまりました」
部下たちからの報告の通り、あの少年は未だに全力を出しては居ないのだろう。
彼に与えられた命令は、『行綱を殺さず捕らえて帰還する事』。魔王軍を倒す事ではないのだから。
そしてーー使う魔法の種類が増えているというのも、その通りなのだろう。
彼は、赤ん坊の頃に教団に拾われてからを、半ば幽閉されたまま過ごしていたという。
つまりは……戦闘や魔法の訓練を受けていた訳ではない。
ただ、幼い子が枝切れでそうするように剣を振り回していただけ。
ただ、感覚の赴くままに魔力を打ち出していただけ。
それが、学び始めてしまっているのだ。魔法を。剣術を。
魔界と教団。その双方の最高の兵士と術者が集まる、この戦場から。
現状で押さえ込むに充分な戦力が揃っていると判断するのは、危険過ぎる。
「……失礼します」
頭を下げ、封筒を抱えた部下と入れ替わりに、一人のサキュバスが入室してきた。
真っ赤に泣き腫らしたような瞼。
件の勇者を幽閉していた司教の元に、スパイとして送り込まれていた部下だった。
「どうじゃ、その後の様子は」
「……はい。もう毒は体から完全に抜けたようです。ただ……やっぱり彼でも、あの勇者に再命令は出来ないみたいで……」
「……そうか」
元より、それは予想されていることではあった。
『この命令が完了するまで、他の命令は一切聞いてはならない』
『例え――それが、自分の名前で下された命令であっても』
この命令は彼が服毒での自決に失敗し、その身柄が誰かに抑えられ、懐柔されてしまった場合ーーつまりは、まさしく今のような状態を想定していたものであっただろうから。
「……あの」
「そんな顔をするでない。お前からの報告が間に合ったお陰で、妾は行綱を失わずに済んだ。……本当に、感謝している」
アゼレアは眼鏡を外し、微笑みを向ける。
「毒は抜けたとはいえ、かの司教が心の平穏を取り戻すまではまだ時間がかかろう。……長期の任務、誠にご苦労であった。本件の報告は一旦今回で終わりとするゆえ、側で支えてやるがよい」
「……はい。ありがとうございます、アゼレア様……!」
涙を浮かべ、一刻も早くといった様子で駆け出した彼女の背中を見送って。
「…………」
一人残ったアゼレアは椅子の背に体重を預け、天井を見上げた。
ああ。
彼女に比べて……自分は、行綱に何をしてあげられるのだろうか。
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「…………」
「ミリア。……どうでしたか、行綱さんの様子は」
行綱の病室から戻ってきたミリアに、クロエが声をかけた。
……今にも泣きそうな様子でとぼとぼと歩く姿から、既に結果は察しているのだろう。
クロエがソファに座ったまま両手を差し出すと、ミリアはよろよろと倒れこむようにその胸に顔を埋め……すすり泣くのを必死に堪えたような声で、話し始める。
「ぅ、ぐっ……だめ、だった……やっぱりおにいちゃん、ミリアがはなしかけても、あたまをすりつけても……なにも……反応してくれない……」
小さな背中を、掌でさする。
「でも、行綱さんの前では泣かなかったんでしょう?」
「っ、……うん……」
「それだけでも立派ですよ、ミリア」
あの日からの彼は、まるで魂が抜けてしまったようだった。
話しかけても、触れても反応しない。何も口にしようとしない。
ただ、虚ろな目で虚空を見つめているだけ。
「…………」
クロエは、彼がああなってしまった日のことを思い出す。
『いいですか、皆さん。……今回の事で、ユキちゃんに対して『守れなくてごめん』だとか、『私のせいで』だとか、そういった事を言ってはいけませんよ?』
行綱の病室から出て。
一同を前に、舞が口を開いていた。
変わることのない、いつも通りの調子のままで。
『そうやってユキちゃんを慰めることは、今感じている無力感を改めて突き付ける事になるでしょう。それをしたら……今度こそ、ユキちゃんは本当に壊れてしまいます』
あの勇者に、手も足も出なかった……どころではない。
殺さぬようにと、極限の手加減をされてなお、その有様だったという事実。
『…………』
……いや、そんな事よりも。
行綱のあの姿を見て。何故、そんなに普段通りに振る舞えるのか。
魔物達は混乱したまま、言葉を返せず……少しして、ようやく何人かが口を開いた。
『でも、今回は相手が悪かっただけ。それは事実』
『……まぁ、半分神さまの領域だったよね。あれ』
そう。
言ってしまえば……あれに一対一で勝てないのなんて、当たり前。
本来ならば、高位の魔物や元勇者達、そうした者達を束ねてあたらねばならない相手なのだから。
力の差や、立ち向かった恐怖と痛みに怯えるのはともかく……彼が負けた事を責める者なんて、誰もいない。
だが、舞は静かに首を振った。
『……あの子にとって、相手が何者かは関係ないんです。勇者でも、神様や仏様そのものでも』
出てきたばかりの病室のドアを振り返りながら、続ける。
『それが仕える主に仇なす者である以上、その身に替えてでも倒せなければ倒せなければ己の存在する意味がない。あの子は、そうやって育ってしまいましたし……少なくとも、そう信じてしまっています』
そうして再び、アゼレア達へと振り返った。
『もちろん!もちろん、絶対にそんな事はないんですがっ!……でも、多分、今は何を言っても、ユキちゃんを追い詰めるだけになると思うんです。だから……ユキちゃんが少し落ち着くまでは、いつも通りに接してあげてくれませんか』
その通り、4日前と比べれば彼の様子は少しだけ落ち着いた。
怯えるように、自分の腕を握って身体を強張らせている事は無くなった。
だが……話しかけても、あの生真面目な返事は帰ってこない。
光の失われた瞳。日々やつれ、細くなっていく体。
それを前にしていると、知らずのうちに涙が溢れて止まらなくなってしまう。
彼にそれを見られまいとするだけで、精一杯なのだ。
そうして……何となく、感じてしまっていた。
「……よぉ、クロエ。ちょっと話があるんだが」
聞こえてきたほむらの声に、顔を上げる。
彼女の後ろには、クレアとヴィントも居て……そしてヴィント以外の二人は、泣き腫らしたように赤い瞼をしていた。
「……ええ。分かっています」
彼を今の状態から救えるのは……きっと、自分達ではないという事を。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「……お前達」
再び、アゼレアの執務室。
次に現れたのはーー行綱と舞を除いた、魔王軍第26突撃部隊の五名だった。
「っ、行綱は……いや、そうか……」
まさか、彼が回復したのかとアゼレアは腰を浮き上がらせ……殆どの者が瞼を腫らし、沈痛な面持ちをしているその様子を見て、そうではないのだという事を察した。
「…………」
彼女達と、目を合わせる事が出来ない。
合わせる、顔がない。
行綱を。彼女を。あの場所へ送り出したのは、自分なのだから。
何を言われてもーー返す言葉がない。
「…………え……?」
しかし、そんなアゼレアが目にしたのは。
無言で、一様に深々を頭を下げる、彼女達の姿。
「……アゼレア様。本日は一同より、お願いがあり参りました」
全員の声を代するように、クロエが口を開いた。
「行綱さんを、貴女の手で堕としてあげて下さい」
ーー震える、声で。
「私達ではダメなんです。……貴女で、なければ」
23/09/25 03:03更新 / オレンジ
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