連載小説
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相談
「どうでした、たいしょー?いい旅館だったでしょう?」
「……あぁ、そうじゃな…………」
「え、いや、なんで行く前より疲れてはるんですか……?」

扉を開けて司令室に入ってきた友人に対し、自身が魔王城を空けていた間に溜まっていた報告書に目を通しながら答えるアゼレア。
内容としては、過去の遠征に比べ教団が非常に戦力の投入をハイペースで行っている事が特筆されている。しかし、教団内に密偵を持つアゼレアからすればそれは完全に把握していた事。アゼレアが温泉に向かう際に纏めて出していた指示に不足は無く、万が一あったとしても、その時は更なる指示を残していた。
だからアゼレアの頭の中でぐるぐると渦巻いていたのは、あの夜の事だった。
全く、自分は何をやっているのだ。『魅了やそれに準ずる手段は使わない』と決めていたはずなのに。ふらふらと彼の香りに誘われ、寝込みを襲ってしまうところだった。

「……まぁ、いろいろあっての……」

だというのに、己の行動は棚に上げて、あまつさえ『もっと力があれば襲えたのに』などと。
なんというか、自分の芯がブレ過ぎていて……余りの情けなさに、落ち込んでしまう。

「で、どうでした?行綱さんは喜んでましたか?」
「……うむ」
「そうですか、それは何よりでしたねぇ♪」

それは間違いなく、喜んでくれていたと思う。一人で故郷とは全く違うであろう環境に訪れ、あまつさえ戦の前線で戦うという事は、精神的な負担が大きかったのだろう。心なしか、あの鉄面尾も和らいでいた気がする。
それに、思い返せば、あの旅館では嬉しい事も沢山あった。自分の姿を美しいとも言ってくれたし、自分の夢を笑うことなく、いつまでも傍にいるとも言ってくれた。

――そして。

アゼレアは知らずのうちにその唇を自らの指でそっとなぞり、悩ましいため息をつく。

――途轍もなく、美味だった。

あの香りを、あの味を感じる度に体に駆け抜けた幸福と快感を思い出し、つい口元が緩む。
アゼレアは自分の頬が熱くなるのを感じて、彩にそれを悟られぬように慌てて書類で顔を隠し――

「ははぁ、どうやら大変な事ばっかりでもなかったみたいで」

何故バレた。

ともかく、あれこれ考えていても仕方がない。今回の温泉旅行で第26突撃部隊の面々は完全に行綱に対して本気であるという事が確定してしまったのだ。
今必要なのは、行綱を堕とすのに参考となる情報だ。他の者達が手を出してしまう前に、行綱との仲を深めねばならないのだから。

――そして、ゆくゆくは……

そういえば。
目の前にいる彩は未婚だが、刑部狸らしくジパングの生まれだったはず。彼女の両親の話は……ジパング人である行綱を堕とすにあたり、参考になるのではないか?

「因みにアヤ、お前の両親はどのような馴れ初めなのじゃ?」
「うちの親ですか?そうですねぇ……父さんに一目ぼれした母さんが、父さんの実家の商家の取引先に圧力をかけまくって、最終的に実家ごと父さんを買収したと聞いていますが」
「…………そうか」

あまり、参考になりそうになかった。

「あはは、期待に添えなくてすみませんねぇ。……でも、夫持ちの話を聞くっていうアプローチは間違ってないと思いますよー?結婚している方なら、たいしょーの力にはなれど、敵にはならんでしょうし……」
「あぁ、そういえばそうじゃな……!」

誰か心当たりがあるのか、アゼレアは席を立ち部屋の扉を開け、早足でどこぞへと姿を消してしまった。

「あ、たいしょー!頼まれてた特注品、見積書の方が返ってきて……って、もういませんねぇ……」

刑部狸は苦笑しながら、所在なさげに。手にした半紙をひらひらと振るのだった。





――――――――――――――――――――





ともかく、身近な人物――即ち、魔王城に住んでいる彼女の姉妹。その中でも既婚の者達に相談に乗って貰おう。
そう考え、彼女達の部屋を訪れたアゼレアを待ち受けていたのは――

『っ、うふふ……♥あら、まだまだ元気みたいね……?』

嬌声と。

『あぁん♪もっと……もっとどろどろにしてぇ……♥あなたの色に染め上げてぇ……っ♥』

嬌声と。

『おのれ勇者め……!やめろ、そこには触るんじゃ、ひゃうん……っ♪』

嬌声だった。

「ええい、こんな時に限ってしかも揃いも揃って!これは妾への当てつけか何かか!?」

しかも全員、扉をノックしても全く気づいてくれない夢中っぷりである。というか最後のは何だ。勇者に負けて慰み物にされる悪の女幹部とかそういう設定だろうか。……そういえば、あの二人はリリム討伐に来た夫とお互い一目ぼれで駆け落ちした夫婦だったはず。スムーズに行き過ぎたが故に、当時は出来なかったシチュエーションでの交わりを今楽しんでいるのだろう。
というか、改めて考えると姉妹夫婦の馴れ初めはそんなものばかりな気がしてきた。『自分の魅力に必死に抗おうとしている彼が可愛かった』というパターンこそあれど、行綱ほど平然としていたという例はあまり聞いた事がない。
そうなると、既婚の姉妹の話も、思っていたより参考にならないのではないか……?

困った。

――誰か、誰か相談に乗ってくれるような者は……

最初はクロエに話を聞いてもらおうと考えてもいたのだが、前回の温泉旅行で彼女も密かに行綱の事を狙っていた事が判明してしまった。そしてその他のメンバーは論外。
顎に指を添え、うむむと唸りながら城の廊下を歩いていると……ふと、とある姉妹の事を思い出した。

――そうだ、『彼女』ならば……!





―――――――――――――――――――――





『あら……アゼレアじゃない』

普段は戦場の様子を映している鏡型の魔道具。そこにはいつもと違い、アゼレアによく似た顔立ちの魔物の姿が映し出されていた。
アゼレアを上回るグラマラスな肢体、そして通常の淫魔と比べるとやや細身で小ぶりな先端を持つ尻尾。彼女は70番目のリリムであるアゼレアの姉。未婚であり、現在は世界各地で花嫁修業を行っている第69王女――キャサリン。

「久しぶりじゃの、姉上」
『えぇ、私が前に魔王城に帰った時以来かしら……?』

鏡に映る彼女は、こちらを覗き込むような体勢をとっていた。
キャサリンもまた、魔道具である水晶にアゼレアの姿と声を写しているのだ。その彼女が身に着けている衣服は、遙か東の国にてエプロンと同じ用途で使われる衣服、『割烹着』。
そう、彼女が今、花嫁修業で訪れているのは――

「どうじゃ、ジパングの料理は極められたかの?」
『いえ……あと少し、といったところかしら。この国の料理は、シンプルな見た目の割に奥が深くて……でも、とっても美味しいのよ?あぁ、未来の旦那様が、私の料理で喜んでくれる姿を想像しただけで、ゾクゾクしてきちゃう……♪』

――行綱の故郷、ジパングだった。
鏡に映るキャサリンは自らの体を抱きしめ、悩ましげに、悶えるようにその身体をよじり……ふと、我に返ったように鏡へと向き直る。

『それにしても……どうしたのかしら?アゼレアの方から私に連絡してくるなんて……』
「それが、その……妾の運命の相手、のような男が、見つかったのじゃが……」
『本当っ!?ふふ、詳しく教えて頂戴……!!』
「うむ、その男はジパング人なのじゃが、少々変わった男での……――」

アゼレアは、一つ上の姉に、魔界に攻め込んで来たジパング人の事を話した。
見た事のないような鎧を纏い、魔王軍の精鋭と互角に戦う程の戦士であること。固い言葉遣いに違わず、とても真面目な男である事。自分の事を姫様、仕えるべき主と慕ってくれていること。いろんな魔物達に目をつけられていること。
そして――他の魔物達はおろか、リリムである自分を眼前にしても劣情を抱く様子もなく、まるで平然としている事。

『あら……それは確かに、ちょっと変わってるわね……』
「……やはり、平均的なジパング人と比べてもか?」
『ええ、確かに真面目な殿方は多いけれど……二面性っていうのかしら。その実、えっちな事に興味深々だったりするの』

確か、彩もそのような事を言っていた気がする。

『後は……しっかりしているように見えて、甘えん坊だったり、寂しがりやだったり……』
「……聞けば聞くほど、行綱に当て嵌まっているようには思えんな……」

姉妹の目線から見たジパング人の事を聞けば、何か思いつくかもしれないと思ったのだが……やはりあの男は、ジパング人の中でもかなり異質な存在らしい。

『うふふ……有無を言わさず、押し倒しちゃえばいいじゃない。それで上手くいった夫婦、沢山見てきたでしょう……?』
「それは……妾自身が、お互い好きあってから結ばれたいというのもあるのじゃが……」

アゼレアは続けて、最近急に感じ始めた不安感の事を話す。
行綱が危険な時、誰かに取られそうな時に、必ず胸が締め付けられるような不安を感じること。そして、それは自身が行綱を襲おうとしたときにも感じた事。

「だから、何というか……あの男を、無理に襲ってはいけない気がするのじゃ」
『あら……それは……何とも言い難いわね』

流石に、毎回行綱の危機を正確に感知しているものを無視する訳にもいかず。

『でも……そうね、その人は……魔物と番になる事に、何か抵抗があるんじゃないかしら?』
「え……?あ、あぁっ!?」

人魔が共に栄える理想郷から来た男。妖怪と魔物が同じ物だと分かるや否や、すぐにこちらの味方となった男。
あまりにも魔物『そのもの』に対しての拒否反応がないものだから……その可能性を、すっかり失念していた……!!

『それがトラウマに起因するものなのか、信念なのかは分からないけれど……私達リリムにまで全く反応しないとなると、かなり根が深いものでしょうね』
「…………」

自分が危機感を覚えるという事は、きっと。行綱の中で、魔物と結ばれる事を拒んでいる原因である『何か』を解消しない限り、彼に手を出してはいけないという事なのだろう。

『でも、そんなに難しく考える事は無いんじゃないかしら?』
「え?」
『ほら、だって――』

鏡の中のキャサリンはそこで一度言葉を止め、くすくすと意地悪気な笑みを浮かべた。

『その人も、今は魔界にいるんでしょう……?そのうち空気中の魔力に浸食されて、インキュバスになってしまえば。私達が魅力的に見えて堪らなくなるはずよ……♪』
「な、なるほど……!」
『そうなった時に、一番最初に押し倒して貰えるように、今は少しでも彼の傍に居る事が大事だと思うわ』
「流石姉上……っ!早速行綱をこの間見つけたジパング料理店に連れて行ってくるのじゃ!!」

決して『行綱を堕とすにあたり、魅了やそれに準ずる手段を使わない』という誓いを忘れた訳ではない。訳ではないが、彼が自然にインキュバスとなり、魔物を襲いたくなってしまった時。たまたま一番近くにいたのが自分であったならば……それはもう不可抗力。仕方のない事ではないか。そう、自分は彼の裡にある『何か』を取り除く為に、誰よりも彼の傍に居ようとしているだけなのだ……!
アゼレアは嵐のような慌しさで身なりを整え、部屋を飛び出したのだった。








――――――――――――――――――――





「ふふ、あの、アゼレアがねぇ……」

空間転移魔法の応用で水晶に映し出されていた妹の姿が消え、囲炉裏にくべた火が、ぼんやりと部屋の中を照らしている。
魔王城の中に引き籠り気味だった一つ下の妹、アゼレア。密かに、行き遅れてしまうのではないかと心配もしていたのだけれど……まさか、私より早く春が訪れるなんて。世の中、分からないものだ。

「あら……そういえば……」

私は炊いたご飯を蒸らしている途中だった事を思い出し、台所へと移動すると、竈の上で蓋の隙間から微かに蒸気を漏らしている釜の下に一握りの藁を入れ、魔力でそれに着火する。
乾燥させていた藁から上がる火は、一瞬で大きくなり……あっという間に、藁を灰へと替えてしまう。その火が完全に消えたのを見て、窯の蓋を開けた。

「うふふ……我ながら、完璧だわ……♪」

『始めチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、赤子泣くとも蓋とるな、最後にワラを一握りパッと燃え立ちゃ出来上がり』……ここ、ジパングの主食である米を炊き上げる際のポイントを要約した格言。
ジパングのほぼ全ての料理は、米と共に食される事を前提に作られている。すなわち、米を最高の状態に炊き上げる事は、ジパング料理を極めるうえで非常に重要なファクター。
そして、まだ気は抜けない。今はまだ、お釜の内と外、上と下でお米の炊きあがり方にムラがある。これを濡らしたしゃもじでかき混ぜ、米の柔らかさを均一にしなくてはいけない。

「――――♪」

鼻歌を口ずさみ、お釜の中のご飯をかき混ぜながら考えるのは、やはり先程まで話していた妹のこと。
彼女が運命の相手を見つけたという事が嬉しくもあり、相手の殿方の事を聞いて少し心配でもあり……あら、いけない。未来の旦那様に食べて貰う料理を作っているのに、別の男の人の事を考えるのは、あまりよろしくないわよね。
ご飯をお釜からおひつに移し、濡れふきんをかけて……出汁を取るために一晩水に漬けておいた煮干しを鍋から取り出し、味噌汁の準備に取り掛かる。

「うふふ……大丈夫よ。私達は、世界をこんなに素敵に変えたパパとママの娘なんだもの……私達に、ハッピーエンド以外なんて有り得ないわ……♪」

掌に置いた豆腐に、包丁を入れながら。私は妹の幸せと、まだ見ぬ運命の相手を想うのだった。

20/11/18 22:58更新 / オレンジ
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■作者メッセージ
REID様の『押し掛け女房な女王様』より第69王女、キャサリン様にご出演頂きました
文書のチェック&許可を出して下さり、本当にありがとうございました

確かですね、この連載を始めた時が、ちょうどリリムタグの70番目の作品でして。
それ以来アゼレアは自分の中で「70番目のリリム」っていう設定があったので、『押し掛け〜』を読んだ時から許可を頂いて絡ませて頂ければ嬉しいなぁ……と思っていたのですがマジで頂けましたぜいやっほぅ!!!

万が一『押し掛け女房な女王様』を未読の方がいらっしゃれば、すぐにご覧になってきて下さい。
エロスとラブの権化である「これぞリリム!」なキャサリン様の素晴らしい押し掛け女房っぷりがもう辛抱たまらんですから!

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