同衾
最初は、ただ単に、寝顔を近くで見るだけのつもりだった。
折角全員を眠らせても、誰が一番に目を覚ますかは分からない。だから、これは半ば行綱の身を守るため。一緒の布団で眠っていれば、彼に何かしようとする者がいても、すぐに察知できる。
――なんて分かり易い、自分への言い訳。
「はぁ、はぁ……っ」
深い眠りに落ちたままの愛しい黒髪の青年と同じ布団の中、アゼレアはその肩口に顔を埋め、悶えるようにその豊満な身体を擦り付ける。なるほど、ヴィントの言った通りこの男の身体は凄まじい。柔らかい筋肉は抱き付き心地が良いだけでなく、触れているだけで、彼の戦士としての力量が伝わってきてしまう。
こうして触れていると、分かる。自分はこの男の妻となり、その子孫を孕むためにこの世に生を受けたのだと、魔物娘の本能が確信を持って訴えている。それがどうしようもなくアゼレアの鼓動を高鳴らせた。
更にそのまま深呼吸をすれば、最早自分にとって世界で唯一の雄である男の香りが胸一杯に広がる。
「………っ♥♥」
それだけで。
それだけで、アゼレアは絶頂を迎えてしまった。
その髪に負けないほど白い肌には朱が差し、内股をもぞもぞとすり合わせながら。人外の美貌をだらしなく蕩けさせ、身を震わせる姿は正に魔性と言うに相応しい妖艶なもの。
が、この場にそれを目にする者はいない。その身体が密着している行綱は、目を覚ます気配すらない。
――ゆきつなぁ、ゆきつなぁ……っ♥
息を深く吸い込むたび、その身に興奮と快楽がブレンドされた電流が駆け巡る。その甘美な感覚が、身体の裡から更なる欲望を燃え上がらせる。
駄目なのに。止めなきゃいけないと思っているのに。身体が、勝手に彼を求めてしまう。アゼレアを蝕む欲望は、その思考を徐々に桃色の霧で覆い隠しつつあった。
――少しだけ、少しだけならば……♪
そう、少しだけ。彼の精の味を、直接味わってみたい。
目の前には、うっすらと汗ばんだ行綱の首筋。これ程ぐっすりと眠っているのならば……少し舌が触れた程度では、起きる事もないだろう。だから、それだけなら大丈夫。その後なら、自分はきちんと自分を律し、眠りにつく事ができる。
アゼレアは乱れた息を必死に押し殺しながら、陶酔に満ちた表情で、犬のように浅ましく舌を突き出し――そっと、その肌に舌を這わせた。
――っっっ……っ♥♥
瞬間、アゼレアの脳内でバチバチと火花が弾けた。
それは今まで口にしたどんな物よりも、ずっとずっと甘美な味。だから形容できない。比較する言葉がない。それこそが魔物娘にとっての、夫の精の味。
それだけではない。この男の精は、その香りと味だけで自分を快楽へと導いてくれるのだ。
もしも。そう、もしも。
この男そのものをこの身体で味わい、交わり、精が最も含まれている男の体液である、精液を子宮に受けてしまったら――どうなってしまうのだろうか。
気が付けば、アゼレアはいつの間にか掛布団を振り払い。
その両手足を組み敷くような形で、行綱に覆いかぶさっていた。
きっと大丈夫だ。男性を襲った事から始まり、その後仲睦まじく暮らしている夫婦は数えきれない程にいる。だから大丈夫だ。魔王の娘である自分の身体が、如何に人間の劣情を誘い、魔性の快楽を与える事が出来るかも自覚している。だから大丈夫だ。きっと彼も、一度自分の身体を味わえば、病みつきになってくれるはず。だから大丈夫だ。
大丈夫な、はずなのに。
なぜ、こんなにも胸が締め付けられる――?
こんなにも本能が彼を求めているのに。同じく本能が、彼が自分から離れてしまいそうな時に必ず感じていた不安感が、彼に手を出すなと警告を発しているのだ。
強すぎる衝動に板挟みにされ。極上の食事を、最愛のオスを目の前にして手を出す事のできないアゼレアの瞳に、涙が滲む。
「なぜじゃ、なんで、なんで……っ!」
自分の魅力では、彼を強引に幸せにする事は出来ないのか。
他の姉妹のような力があれば、こんな思いをしなくても済んだのか。
「行綱、お前は……!」
それほどまでに、自分に魅力を感じてくれていないのか?
温泉で聞いたあの言葉は、やはり御世辞という類のものだったのか?
考えれば考える程に、思考は暗い方向へと向かってゆく。
漏れそうになる嗚咽を必死に堪えながら、アゼレアは男の上で涙を流し続けた。
――――――――――――――――――――
障子越しに感じる柔らかな光で、行綱は目を覚ました。
昼間でも常に薄暗い魔界に来てから、まだ10日程しか経っていないのに。こうして日の光にまどろむのも、ずいぶんと久しぶりな気がする。
夢現の間。至福の時間。ぼんやりとした意識に、極上の布団の感触がとても気持ちがいい。
通常の布団と比べるとやや重量があるが、それはその柔らかさと暖かさを自分に存分に伝えてくれる、心地よい重さ。
いつまでも嗅いでいたくなるような甘い香りや、その呼吸のリズムすらもどこか自分に安心感を与えてくれ――
――呼吸?
行綱はそこまで考えて。
「――っ!?」
自分の上に覆いかぶさっているものが、布団ではない事に気が付いた。
銀に近い美しい白髪、ねじれた黒い角に白い羽。豊満な肉体を浴衣に包み、その尻尾を行綱の足に絡ませ。彼の胸の上ですやすやと寝息をたてている。
そう、彼の主だった。
しかも、その頬には一晩泣き明かしたかのように、涙の跡らしき物が残っている。
勿論行綱は動転した。
まさか、まさかまさかまさかまさか――自分は昨晩、姫様を相手に過ちを犯してしまったのか!?仕えるべき主に、しかも神にも等しき血を引く姫様に手を出すなどと。しかも自分のような、これからの世界には不要な者が。だから責任を取る事すらできない。自分は子を成してはならないのだから。ならばせめて腹を切って詫びるしかない……!!ああ、せめて同じ死ぬのならば、戦場で誇らしく散りたかった。あの世で先祖様達になんと申し開きをすればよいのだ。クロエは、介錯を引き受けてくれるだろうか――
「――――……じゃ…?」
「……え?」
硬直した無表情の下、思考の渦に沈んでいた行綱の意識は、アゼレアの呟きによって引き戻された。
「――なぜ、妾は、こんなにも弱く生まれたのじゃ……?」
そうして、行綱は改めて己の主を直視した。
アゼレアは先程と変わらず、静かな寝息を立てている。先程のつぶやきは寝言だったのだろうか。
そして彼女の浴衣は、多少着崩れてはいるものの、事後という程明らかにはだけている訳ではなく。
「………」
行綱は、昨晩の事を順を追って思い出してゆく。姫様と魔灯花の花畑から帰ってきたら、何故か変なルールの枕投げが始まって。姫様以外の全員を眠らせ、姫様が具合が悪そうだったのを心配して――そしてようやく、自分が不意を突かれて、眠らされてしまった事に思い至る。
恐らくは、ほむら達の誰かが、枕が直撃したフリをして、狸寝入りをしつつこちらの隙を伺っていたのだろう。何たる不覚。これは相手を殺してはいけない魔王軍に属する自分にとって、戦場でも起こりうる事態。そうなれば自分が落としていたのは意識ではなく、命だった。
あるいは彼女達が自分に対して教訓を学ばせようと、わざわざこのような作戦で自分を倒してくれたのかもしれない。ならばこの失態、二度と犯してなるものか。そうする事で彼女達への感謝を示そう。
そして、姫様は――負けてしまったのだろうか。
行綱が見る限り、昨晩の戦いの中で一番高い身体能力を持っていたのは、明らかにアゼレアだった。他の者達のように戦場に身を置き続けているわけでもなく。自身の生まれ持ったポテンシャルのみでその全員と互角以上に戦っていたのだから。
それが如何に化け物じみた能力の高さであるか。クロエらと戦場で共に戦った行綱は痛いほど理解していた。
だが、それでも。
主の話を聞く限り、彼女の力は姉妹やその母である魔王殿に比べると、とても弱いのだという。にわかには信じがたい話ではあるが……姫様の姉君の中には、異世界を創造し、そこに国を作っている御方すら存在するというのだ。
あるいは、彼女は最後まで勝ち残ったのかもしれない。
だが、それはきっと、快勝と言えるものではなかったのだろう。あの花畑で聞いた、彼女の夢。それを本当に叶えられるかどうか、改めて不安になってしまったのだろう。
だから。主の頬に残る涙の跡を、その手でそっと拭う。
温泉で、皆に誓った言葉を。もう一度心の底に刻み直す。
そうだ。力が無い事が彼女を悲しませているならば。自分がきっと、彼女の『力』になってみせる。
――姫様は、私が必ず守り通す。
――いつか、姫様が自分の国を作る、その時まで。
折角全員を眠らせても、誰が一番に目を覚ますかは分からない。だから、これは半ば行綱の身を守るため。一緒の布団で眠っていれば、彼に何かしようとする者がいても、すぐに察知できる。
――なんて分かり易い、自分への言い訳。
「はぁ、はぁ……っ」
深い眠りに落ちたままの愛しい黒髪の青年と同じ布団の中、アゼレアはその肩口に顔を埋め、悶えるようにその豊満な身体を擦り付ける。なるほど、ヴィントの言った通りこの男の身体は凄まじい。柔らかい筋肉は抱き付き心地が良いだけでなく、触れているだけで、彼の戦士としての力量が伝わってきてしまう。
こうして触れていると、分かる。自分はこの男の妻となり、その子孫を孕むためにこの世に生を受けたのだと、魔物娘の本能が確信を持って訴えている。それがどうしようもなくアゼレアの鼓動を高鳴らせた。
更にそのまま深呼吸をすれば、最早自分にとって世界で唯一の雄である男の香りが胸一杯に広がる。
「………っ♥♥」
それだけで。
それだけで、アゼレアは絶頂を迎えてしまった。
その髪に負けないほど白い肌には朱が差し、内股をもぞもぞとすり合わせながら。人外の美貌をだらしなく蕩けさせ、身を震わせる姿は正に魔性と言うに相応しい妖艶なもの。
が、この場にそれを目にする者はいない。その身体が密着している行綱は、目を覚ます気配すらない。
――ゆきつなぁ、ゆきつなぁ……っ♥
息を深く吸い込むたび、その身に興奮と快楽がブレンドされた電流が駆け巡る。その甘美な感覚が、身体の裡から更なる欲望を燃え上がらせる。
駄目なのに。止めなきゃいけないと思っているのに。身体が、勝手に彼を求めてしまう。アゼレアを蝕む欲望は、その思考を徐々に桃色の霧で覆い隠しつつあった。
――少しだけ、少しだけならば……♪
そう、少しだけ。彼の精の味を、直接味わってみたい。
目の前には、うっすらと汗ばんだ行綱の首筋。これ程ぐっすりと眠っているのならば……少し舌が触れた程度では、起きる事もないだろう。だから、それだけなら大丈夫。その後なら、自分はきちんと自分を律し、眠りにつく事ができる。
アゼレアは乱れた息を必死に押し殺しながら、陶酔に満ちた表情で、犬のように浅ましく舌を突き出し――そっと、その肌に舌を這わせた。
――っっっ……っ♥♥
瞬間、アゼレアの脳内でバチバチと火花が弾けた。
それは今まで口にしたどんな物よりも、ずっとずっと甘美な味。だから形容できない。比較する言葉がない。それこそが魔物娘にとっての、夫の精の味。
それだけではない。この男の精は、その香りと味だけで自分を快楽へと導いてくれるのだ。
もしも。そう、もしも。
この男そのものをこの身体で味わい、交わり、精が最も含まれている男の体液である、精液を子宮に受けてしまったら――どうなってしまうのだろうか。
気が付けば、アゼレアはいつの間にか掛布団を振り払い。
その両手足を組み敷くような形で、行綱に覆いかぶさっていた。
きっと大丈夫だ。男性を襲った事から始まり、その後仲睦まじく暮らしている夫婦は数えきれない程にいる。だから大丈夫だ。魔王の娘である自分の身体が、如何に人間の劣情を誘い、魔性の快楽を与える事が出来るかも自覚している。だから大丈夫だ。きっと彼も、一度自分の身体を味わえば、病みつきになってくれるはず。だから大丈夫だ。
大丈夫な、はずなのに。
なぜ、こんなにも胸が締め付けられる――?
こんなにも本能が彼を求めているのに。同じく本能が、彼が自分から離れてしまいそうな時に必ず感じていた不安感が、彼に手を出すなと警告を発しているのだ。
強すぎる衝動に板挟みにされ。極上の食事を、最愛のオスを目の前にして手を出す事のできないアゼレアの瞳に、涙が滲む。
「なぜじゃ、なんで、なんで……っ!」
自分の魅力では、彼を強引に幸せにする事は出来ないのか。
他の姉妹のような力があれば、こんな思いをしなくても済んだのか。
「行綱、お前は……!」
それほどまでに、自分に魅力を感じてくれていないのか?
温泉で聞いたあの言葉は、やはり御世辞という類のものだったのか?
考えれば考える程に、思考は暗い方向へと向かってゆく。
漏れそうになる嗚咽を必死に堪えながら、アゼレアは男の上で涙を流し続けた。
――――――――――――――――――――
障子越しに感じる柔らかな光で、行綱は目を覚ました。
昼間でも常に薄暗い魔界に来てから、まだ10日程しか経っていないのに。こうして日の光にまどろむのも、ずいぶんと久しぶりな気がする。
夢現の間。至福の時間。ぼんやりとした意識に、極上の布団の感触がとても気持ちがいい。
通常の布団と比べるとやや重量があるが、それはその柔らかさと暖かさを自分に存分に伝えてくれる、心地よい重さ。
いつまでも嗅いでいたくなるような甘い香りや、その呼吸のリズムすらもどこか自分に安心感を与えてくれ――
――呼吸?
行綱はそこまで考えて。
「――っ!?」
自分の上に覆いかぶさっているものが、布団ではない事に気が付いた。
銀に近い美しい白髪、ねじれた黒い角に白い羽。豊満な肉体を浴衣に包み、その尻尾を行綱の足に絡ませ。彼の胸の上ですやすやと寝息をたてている。
そう、彼の主だった。
しかも、その頬には一晩泣き明かしたかのように、涙の跡らしき物が残っている。
勿論行綱は動転した。
まさか、まさかまさかまさかまさか――自分は昨晩、姫様を相手に過ちを犯してしまったのか!?仕えるべき主に、しかも神にも等しき血を引く姫様に手を出すなどと。しかも自分のような、これからの世界には不要な者が。だから責任を取る事すらできない。自分は子を成してはならないのだから。ならばせめて腹を切って詫びるしかない……!!ああ、せめて同じ死ぬのならば、戦場で誇らしく散りたかった。あの世で先祖様達になんと申し開きをすればよいのだ。クロエは、介錯を引き受けてくれるだろうか――
「――――……じゃ…?」
「……え?」
硬直した無表情の下、思考の渦に沈んでいた行綱の意識は、アゼレアの呟きによって引き戻された。
「――なぜ、妾は、こんなにも弱く生まれたのじゃ……?」
そうして、行綱は改めて己の主を直視した。
アゼレアは先程と変わらず、静かな寝息を立てている。先程のつぶやきは寝言だったのだろうか。
そして彼女の浴衣は、多少着崩れてはいるものの、事後という程明らかにはだけている訳ではなく。
「………」
行綱は、昨晩の事を順を追って思い出してゆく。姫様と魔灯花の花畑から帰ってきたら、何故か変なルールの枕投げが始まって。姫様以外の全員を眠らせ、姫様が具合が悪そうだったのを心配して――そしてようやく、自分が不意を突かれて、眠らされてしまった事に思い至る。
恐らくは、ほむら達の誰かが、枕が直撃したフリをして、狸寝入りをしつつこちらの隙を伺っていたのだろう。何たる不覚。これは相手を殺してはいけない魔王軍に属する自分にとって、戦場でも起こりうる事態。そうなれば自分が落としていたのは意識ではなく、命だった。
あるいは彼女達が自分に対して教訓を学ばせようと、わざわざこのような作戦で自分を倒してくれたのかもしれない。ならばこの失態、二度と犯してなるものか。そうする事で彼女達への感謝を示そう。
そして、姫様は――負けてしまったのだろうか。
行綱が見る限り、昨晩の戦いの中で一番高い身体能力を持っていたのは、明らかにアゼレアだった。他の者達のように戦場に身を置き続けているわけでもなく。自身の生まれ持ったポテンシャルのみでその全員と互角以上に戦っていたのだから。
それが如何に化け物じみた能力の高さであるか。クロエらと戦場で共に戦った行綱は痛いほど理解していた。
だが、それでも。
主の話を聞く限り、彼女の力は姉妹やその母である魔王殿に比べると、とても弱いのだという。にわかには信じがたい話ではあるが……姫様の姉君の中には、異世界を創造し、そこに国を作っている御方すら存在するというのだ。
あるいは、彼女は最後まで勝ち残ったのかもしれない。
だが、それはきっと、快勝と言えるものではなかったのだろう。あの花畑で聞いた、彼女の夢。それを本当に叶えられるかどうか、改めて不安になってしまったのだろう。
だから。主の頬に残る涙の跡を、その手でそっと拭う。
温泉で、皆に誓った言葉を。もう一度心の底に刻み直す。
そうだ。力が無い事が彼女を悲しませているならば。自分がきっと、彼女の『力』になってみせる。
――姫様は、私が必ず守り通す。
――いつか、姫様が自分の国を作る、その時まで。
17/07/05 19:46更新 / オレンジ
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