本能
「えへ、えへへっ♪」
蕩けたような笑い声を上げながら襲い掛かってくるクロエの技は、しかし普段通りの冴えを持ってアゼレアを襲う。
だが、一対一ならば防げる。これなら躱せる。いくら姉妹に比べれば力が見劣りするとはいえ。リリムとは、魔王の娘とは、そういうもの。
だから、問題は。
「えへへ、どうしたんですかアゼレア様。反撃されないんですかぁ?」
「そう頭を隠されては、反撃のしようが無いじゃろうが……っ!?」
そう。デュラハンという種族、最大の特徴。それは『頭が胴体から外れる』こと。
クロエは左腕で抱えた自らの頭部を、胴体で庇うように背後に隠したままアゼレアと戦っているのだ。
このジパングに伝わるという遊戯『枕投げ』では、枕を相手の顔にぶつける事が唯一の勝利条件。
だというのに、その狙うべき唯一の弱点が、完全に体で隠されてしまっている。勿論対するクロエの枕は、一撃でも顔に当たってしまえばゲーム終了。
そして教団軍の真っただ中、一人で戦い続ける技量を持つ彼女は。決して自らの頭をアゼレアの攻撃可能な範囲に現さない。
行綱が身体能力の差で苦しめられていたのとは、対照的に。アゼレアはクロエとの戦闘技術の差に翻弄されていた。
「くっ!」
アゼレアは一際強く枕を叩きつけ、後ろに跳ぶ。
勿論、距離を離しても、直線的な軌道を描いて飛ぶ枕をクロエの顔に当てる事は出来ない。
だがクロエの強みは、片手で頭を抱えているからこそ発生するもの。両手で枕の確保と投擲をしていた他の者達に比べれば、当然ながら投擲の回転速度は落ちる。
即ち、防御に使う体力、精神力を減らし、この状況を打破するための策を練る余裕が出来る……!
「あぁ、逃げちゃダメですよアゼレア様ぁ♪」
だが、頭が外れても多少の冷静さは残っているのか。クロエはそれを許してくれない。
少しでも時間を稼ごうと投げつけた枕を、手にした枕で弾かれながら、再び距離を詰められてしまう。
「頭が取れた今なら、遠くから素直に枕を投げ続けるような、単純な子になってると思いましたかぁ?えへへ、残念でしたぁっ♪」
片手で振るっているとは思えない程の勢いで叩きつけられる枕を、防ぐ。防ぐ。
「アゼレア様、私はこれでも戦場で部隊を率いている立場なんですよぉ?頭がとれた程度で、そこまでお馬鹿になったりしません……♪」
想い人を手に入れるという、魔物にとって何よりも士気を高める目的。
頭を体の後ろに隠す事ができ、自身は相手を一撃で倒せるという絶対的な有利条件。そして戦場で培われた、技量と思考。今のクロエには、例え相手がリリムであっても。それを圧倒する事が出来る程の条件が揃っていた。
それは、アゼレアも当然分かっているはずなのに。
「……ふふっ」
縦横無尽に打ち付けられる枕を防ぎながら。
アゼレアは、我が意を得たりとばかりに、不敵に笑っていた。
「いやいや、それは僥倖じゃの。妾はてっきりすっかり思考が吹き飛んでしまっておるのではないかと困り果てておったのじゃが」
「えへへ、強がったってだめですよぉ?この条件なら、私はぜったいにまけませんからぁ♪」
「そうじゃな、これはただの強がりじゃ。……だからお情けで、少しだけおしゃべりに付き合ってはくれぬか?」
受け止めた枕で鍔迫り合いを演じながら、体の後ろに隠れているクロエの頭に向かって語りかける。
「クロエ――お主、自分で頭を外したであろう?」
「――――っ!?」
アゼレアの言葉に、ビクッと反応したクロエが後方に下がる。初めて自分から距離を取った。
明らかに様子が変わったデュラハンに、アゼレアは悠然と歩み寄る。
「そもそも、お主程の技量を持った者が。自身を狙っている訳でもない、流れ弾に当たるという事自体が不自然じゃ」
「そ、それは……!」
身体で隠された顔が、今どんな表情をしているのか、直接見る事はできない。
だが、先程よりも鋭さが落ち、僅かにぶれつつある枕の軌道が。彼女の動揺をアゼレアに伝えていた。
「それも、ミリアを守るという名目で最も枕の飛んで来にくい部屋の隅に居て、じゃぞ?普段の生真面目さでは行綱に勝るとも劣らぬお前が、よもや余所見をしていた訳でもあるまい?」
「いえ、そ、そうなんです!うっかり余所見をしていたら、頭に枕が当たってしまって……!」
「――ほう。『頭に』?」
そこでようやく、口を滑らせた事に気が付く。
「ならば何故、お主は眠っておらぬのかの?」
『流れ弾に当たってしまい、頭が外れた為、不可抗力で行綱を襲おうとしている』というクロエの大義名分が崩れ去る。
完全に理性を失っていれば、それでも問題が無かったのだろう。それがどうしたと、何の迷いもなく戦闘を続けられたのだろう。
だが、彼女はそうではなかった。魔物の本能に素直になってしまうと同時、普段通りの理性も持ち合わせてしまっていた。
「ち、違います違いますちがうんですぅぅぅっ!!!」
気が動転したクロエが、大振りな一撃を放つ。
それは彼女らしくもない、隙だらけの攻撃で。
その一撃を難なく躱したアゼレアは、クロエの背後に回り込む。
そして、涙目で真っ赤になっている彼女の顔に、手にしている枕を押し付けたのだった。
――――――――――――――――――――
「……よし、全員眠っておるな」
念の為にミリアを含む全員の顔に枕を当て、本当に全員が眠りについている事を確認したアゼレアが呟く。
枕投げでぐちゃぐちゃになってしまっていた布団は、彼女によって敷き直され、部屋に帰ってきた当初のように並べられていた。クロエ達はその中で、安らかな寝息を立てている。
ちなみにアゼレアの布団は、当然のように行綱の隣――奇数の為、唯一隣で接している場所だった。
一時はどうなる事かと思ったが、何とか自分が最後まで勝ち残る事ができた。
アゼレアは愛しい男の貞操を守り抜けた事に対する安堵の溜息をつく。
さて、自分もそろそろ寝よう。頭を枕に乗せれば、一瞬だ。それは目の前で何度も見てきた。
寝よう。
「…………」
そう、寝なければならないのに。
「っ…………♪」
隣の布団、黒髪の想い人から漂ってくる男の香りが、アゼレアを狂わせる。
「ゆき、つなぁ……っ」
アゼレアの頬に朱が差し、瞳が切なげに潤む。
股間は精と剛直を求めて潤と湿り、呼吸が荒いものに代わってゆく。
襲ってしまいたい。食べてしまいたい。
彼の体温と、肌と、精を。この身体で存分に味わってみたい。
駄目だ。自分がここで行綱を襲ってしまっては、一体何の為に最後まで勝ち抜いたのか分からない。
それに、それは自分を守りながら戦ってくれた彼に対する、裏切り行為でもあるのではないか。
――でも。
アゼレアは、そっと自分の布団を抜け出し。
行綱が眠っている布団へと、その身を潜らせる。
そして当然、まだ枕に頭はつけない。
自分だって、頑張って、最後まで枕投げを勝ち抜いたのだ。
少しだけ、ご褒美があっても……良いのではないだろうか。
蕩けたような笑い声を上げながら襲い掛かってくるクロエの技は、しかし普段通りの冴えを持ってアゼレアを襲う。
だが、一対一ならば防げる。これなら躱せる。いくら姉妹に比べれば力が見劣りするとはいえ。リリムとは、魔王の娘とは、そういうもの。
だから、問題は。
「えへへ、どうしたんですかアゼレア様。反撃されないんですかぁ?」
「そう頭を隠されては、反撃のしようが無いじゃろうが……っ!?」
そう。デュラハンという種族、最大の特徴。それは『頭が胴体から外れる』こと。
クロエは左腕で抱えた自らの頭部を、胴体で庇うように背後に隠したままアゼレアと戦っているのだ。
このジパングに伝わるという遊戯『枕投げ』では、枕を相手の顔にぶつける事が唯一の勝利条件。
だというのに、その狙うべき唯一の弱点が、完全に体で隠されてしまっている。勿論対するクロエの枕は、一撃でも顔に当たってしまえばゲーム終了。
そして教団軍の真っただ中、一人で戦い続ける技量を持つ彼女は。決して自らの頭をアゼレアの攻撃可能な範囲に現さない。
行綱が身体能力の差で苦しめられていたのとは、対照的に。アゼレアはクロエとの戦闘技術の差に翻弄されていた。
「くっ!」
アゼレアは一際強く枕を叩きつけ、後ろに跳ぶ。
勿論、距離を離しても、直線的な軌道を描いて飛ぶ枕をクロエの顔に当てる事は出来ない。
だがクロエの強みは、片手で頭を抱えているからこそ発生するもの。両手で枕の確保と投擲をしていた他の者達に比べれば、当然ながら投擲の回転速度は落ちる。
即ち、防御に使う体力、精神力を減らし、この状況を打破するための策を練る余裕が出来る……!
「あぁ、逃げちゃダメですよアゼレア様ぁ♪」
だが、頭が外れても多少の冷静さは残っているのか。クロエはそれを許してくれない。
少しでも時間を稼ごうと投げつけた枕を、手にした枕で弾かれながら、再び距離を詰められてしまう。
「頭が取れた今なら、遠くから素直に枕を投げ続けるような、単純な子になってると思いましたかぁ?えへへ、残念でしたぁっ♪」
片手で振るっているとは思えない程の勢いで叩きつけられる枕を、防ぐ。防ぐ。
「アゼレア様、私はこれでも戦場で部隊を率いている立場なんですよぉ?頭がとれた程度で、そこまでお馬鹿になったりしません……♪」
想い人を手に入れるという、魔物にとって何よりも士気を高める目的。
頭を体の後ろに隠す事ができ、自身は相手を一撃で倒せるという絶対的な有利条件。そして戦場で培われた、技量と思考。今のクロエには、例え相手がリリムであっても。それを圧倒する事が出来る程の条件が揃っていた。
それは、アゼレアも当然分かっているはずなのに。
「……ふふっ」
縦横無尽に打ち付けられる枕を防ぎながら。
アゼレアは、我が意を得たりとばかりに、不敵に笑っていた。
「いやいや、それは僥倖じゃの。妾はてっきりすっかり思考が吹き飛んでしまっておるのではないかと困り果てておったのじゃが」
「えへへ、強がったってだめですよぉ?この条件なら、私はぜったいにまけませんからぁ♪」
「そうじゃな、これはただの強がりじゃ。……だからお情けで、少しだけおしゃべりに付き合ってはくれぬか?」
受け止めた枕で鍔迫り合いを演じながら、体の後ろに隠れているクロエの頭に向かって語りかける。
「クロエ――お主、自分で頭を外したであろう?」
「――――っ!?」
アゼレアの言葉に、ビクッと反応したクロエが後方に下がる。初めて自分から距離を取った。
明らかに様子が変わったデュラハンに、アゼレアは悠然と歩み寄る。
「そもそも、お主程の技量を持った者が。自身を狙っている訳でもない、流れ弾に当たるという事自体が不自然じゃ」
「そ、それは……!」
身体で隠された顔が、今どんな表情をしているのか、直接見る事はできない。
だが、先程よりも鋭さが落ち、僅かにぶれつつある枕の軌道が。彼女の動揺をアゼレアに伝えていた。
「それも、ミリアを守るという名目で最も枕の飛んで来にくい部屋の隅に居て、じゃぞ?普段の生真面目さでは行綱に勝るとも劣らぬお前が、よもや余所見をしていた訳でもあるまい?」
「いえ、そ、そうなんです!うっかり余所見をしていたら、頭に枕が当たってしまって……!」
「――ほう。『頭に』?」
そこでようやく、口を滑らせた事に気が付く。
「ならば何故、お主は眠っておらぬのかの?」
『流れ弾に当たってしまい、頭が外れた為、不可抗力で行綱を襲おうとしている』というクロエの大義名分が崩れ去る。
完全に理性を失っていれば、それでも問題が無かったのだろう。それがどうしたと、何の迷いもなく戦闘を続けられたのだろう。
だが、彼女はそうではなかった。魔物の本能に素直になってしまうと同時、普段通りの理性も持ち合わせてしまっていた。
「ち、違います違いますちがうんですぅぅぅっ!!!」
気が動転したクロエが、大振りな一撃を放つ。
それは彼女らしくもない、隙だらけの攻撃で。
その一撃を難なく躱したアゼレアは、クロエの背後に回り込む。
そして、涙目で真っ赤になっている彼女の顔に、手にしている枕を押し付けたのだった。
――――――――――――――――――――
「……よし、全員眠っておるな」
念の為にミリアを含む全員の顔に枕を当て、本当に全員が眠りについている事を確認したアゼレアが呟く。
枕投げでぐちゃぐちゃになってしまっていた布団は、彼女によって敷き直され、部屋に帰ってきた当初のように並べられていた。クロエ達はその中で、安らかな寝息を立てている。
ちなみにアゼレアの布団は、当然のように行綱の隣――奇数の為、唯一隣で接している場所だった。
一時はどうなる事かと思ったが、何とか自分が最後まで勝ち残る事ができた。
アゼレアは愛しい男の貞操を守り抜けた事に対する安堵の溜息をつく。
さて、自分もそろそろ寝よう。頭を枕に乗せれば、一瞬だ。それは目の前で何度も見てきた。
寝よう。
「…………」
そう、寝なければならないのに。
「っ…………♪」
隣の布団、黒髪の想い人から漂ってくる男の香りが、アゼレアを狂わせる。
「ゆき、つなぁ……っ」
アゼレアの頬に朱が差し、瞳が切なげに潤む。
股間は精と剛直を求めて潤と湿り、呼吸が荒いものに代わってゆく。
襲ってしまいたい。食べてしまいたい。
彼の体温と、肌と、精を。この身体で存分に味わってみたい。
駄目だ。自分がここで行綱を襲ってしまっては、一体何の為に最後まで勝ち抜いたのか分からない。
それに、それは自分を守りながら戦ってくれた彼に対する、裏切り行為でもあるのではないか。
――でも。
アゼレアは、そっと自分の布団を抜け出し。
行綱が眠っている布団へと、その身を潜らせる。
そして当然、まだ枕に頭はつけない。
自分だって、頑張って、最後まで枕投げを勝ち抜いたのだ。
少しだけ、ご褒美があっても……良いのではないだろうか。
17/07/05 19:45更新 / オレンジ
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