連載小説
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枕投
戦場とは、究極の判断力が求められる場所である。
攻めるのか、守るのか。地形は、陣形は、増援は。数々の絶えず変動する要素の中から最適解を導き続けなければならない。
それを誤れば、味方が、自分が死んでしまうかもしれない。あまつさえ、相手を殺してしまうかもしれない。

だから、そんな戦場に身を置き続ける彼女達の判断は早かった。
まず誰と協力し、誰を倒すべきなのか。ほむら、ヴィント、クレア――彼女達はアイコンタクトで、素早く意見を交換する。彼女達の目的は勿論ただ一つ。この部屋に立つ最後の一人となり、行綱と同衾すること。逆に、彼女達の敗北条件とは。最後の一人となる前に眠りに落ちてしまう事だろう。この二つの前提を鑑みるに、彼女達には協力体制を敷く余地がないようにも思える。
が、彼女達には、それを考慮しても避けるべき、最悪の結末があった。

それは、行綱が最後の一人として残ってしまうこと。

行綱が最後まで残ってしまえば……彼の事だ。きっと自分達に手を出すこともなく、そのまま眠ってしまうのだろう。それは即ち、自分たち全員にとっての敗北。
ならば、少なくとも行綱を倒すまでは。自分達の利害は一致する。

「おらぁっ!!」

だからほむらは、迷うことなくヴィントとクレアに背を向け――全力で枕を投擲した。
行綱に向かって。

「――――っ!?」

とっさに顔の前で両手をクロスさせ、防御の姿勢を取る行綱。が、枕とはいえ、戦場では兵士を石ころか何かのように軽々と投げ飛ばすほむらの全力。ガードごと弾き飛ばされ、2回、3回と布団の上を転がる。
その勢いを利用して手を付き、片膝立ちに体勢を立て直すが。

「あはは、ごめんね行綱?」
「……ゲームセット。」

眼前には、今まさに枕を叩きつけんとしている魔物の影二つ。
人外の膂力で振るわれる枕が残像を残し、風切り音と共に行綱の顔へと――

「ふむ、どうやらチーム分けは決まったようじゃな」
「……っ。」

ヴィントとクレアの枕は、行綱の顔に当たる直前で。それぞれアゼレアの手によって、がっちりと握られていた。
そんなアゼレアの手を振り払おうと、枕を両手で掴み引っ張る二人。だが、まるで万力で固定されているかのごとく動かせない。
そんな二人を意にも介さず、アゼレアは腕を振り上げる。美しい白髪が舞い広がると同時、魔物二人の手から枕が奪い取られた。

「しまっ――!」
「ほれ、お返しじゃ」

それは取り上げた枕を返すという意味だったのか。行綱がされた事の意趣返しという意味だったのか。
至近距離から枕を投げつけられた彼女達は、ばふんっ!という枕の直撃音と共に。先程の行綱以上の速度で弾き飛ばされ、ほむらの足元まで転がってゆく。

「……危なかった。」
「あれ、アゼレア様はそっち側のチームなの?」

派手に転がった割には、何事もなかったかのように立ち上がってくる二人。防御は間に合っていたようだ。
当然のようにアゼレアも行綱を一番に眠らせに行くと思っていたらしく、やや意外そうな目でアゼレアを見る。

「うむ、お手柔らかに頼むぞ。……行綱、大丈夫かの?」
「はっ」

いつものように短く答え、アゼレアの前面を守るように。枕を手に持った行綱が進み出る。

「あはっ、結構いいゲームになりそうじゃねぇか!」

両手に枕を持ち、臨戦態勢の魔物達が並び立つ。

――そして再び、枕は投げられた。





――――――――――――――――――――






「どうした行綱ぁ、守ってばっかじゃねーか!?」
「っ、この……!!」

上下左右から、二刀流の枕を叩きつける。幾ら鍛えていると言ったところで、ただでさえ同種の中でも力自慢なオーガのほむらと、何の祝福も強化も受けていない人間。膂力の差は歴然だ。
目の前の男も、それは理解しているのだろう。両手で構えた枕で軌道を逸らし、直撃を受けないようにすることで何とかこちらの攻撃を防いでいる。

――やっぱり、鎧がないと打ち合いはキツいですか。

その攻防を部屋の隅で眺めながら、クロエは自分の考えが正しかった事を確認する。先の戦いで、鎧を着た彼の技に重みが増していたのは、気のせいではなかったのだ。
彼が使う、滑るように、いつの間にか移動している体術。あれは重心移動先導による移動を極限まで効率化したものであるのだろう。だから動き始めの気配が読みにくく、結果として一瞬で移動したように錯覚してしまう。
だが、だとすれば。彼が使う技術の本質は、相手に動きの気配を悟らせない事ではない。
重心の移動を核とし、筋力はその後押しに使うという技術体系。そうすることで、重たい鎧を着こんでも動きを鈍らせない。それどころか、体重が増加した分、その踏み込みから繰り出す技に乗るエネルギーは増加しているのだ。
彼の出自を少し考えれば、すぐに分かりそうなものだったのに。武士。主に仕え、代々が戦場に生きる血族。
すなわち、彼の体術は――鎧を着た状態でこそ、真価を発揮する。

だから間合いを与えず。重心移動によるエネルギーを生み出す暇すら与えず。身体能力の差に任せて、ひたすらに攻め続ける。
ほむらの戦い方は、クロエが行綱と再戦するときに実行しようとしていた戦法、そのままだった。やはり彼女も長い時間を戦場で過ごしている者。戦場で彼を見つめているうちに、彼に対してはこの戦法がベストだという結論に至ったのだろう。
こうなると厳しいのは行綱だ。間合いを開けられなければ、クロエと戦った時のように攪乱する事もできず。鎧の重量を技に乗せる事もできず。あまつさえ、彼が手にしているのは……真剣どころか、木刀よりも遥かに軽い、枕なのだ。

「行綱っ!」
「っと!?」

さらに行綱を押し込もうとするほむらに、アゼレアが枕を投げつける。枕を振りかぶった体制から、慌てて後ろに飛び退くほむら。
行綱はその機を見逃さない。地面を滑るように一瞬で移動し、バランスを崩したほむらへと追撃をかけ――

「……させない。」

ヴィントの放った枕によって阻まれる。さらにはクレアがほむらのフォローに入り、アゼレアの追撃の枕を体を張って弾く。
そして再再度始まる、遠間からの投げ合い。双方、空を切り裂いて迫り来る枕を弾き、躱し、逸らし、受け止め。そうして得た枕を投げ返す。だがこれも数で劣る行綱・アゼレア組が不利だ。
飛んでくる弾が多ければ、それだけ回避、防御に使う時間が多くなる。そうなればほむら達は更に攻撃に専念できる時間が増える。ジリ貧だった。

――何か、突破口は……!

アゼレアは考える、今は行綱が体を張って自分を守り、枕を投げ返す隙を作ってくれているが。これも長くは続かないだろう。
そして、行綱が眠らされてしまえば……通常の戦闘ならばともかく、枕を当てれば有無を言わさず一撃必殺のこのルールで、3人を相手に勝利するのは非常に厳しい。

「……っ!」

ほむらが投げた剛速枕の軌道を、額に汗を浮かべた行綱が逸らす。標的を失った枕が、轟音と共に布団を舞い上げた。

――布団?

「あはっ、本当に良く反応するなぁお前。ちょっとヤバいぐらい気に入ってきたかも――」

これだ。

「伏せろ行綱っ!」
「はっ!」

主の声に、男は即座に反応する。クレアからの枕を受け止め、半ば仰け反りそうになる身体を気合で抑え込み。アゼレアと敵の間に射線を確保。

「ふっ!!」

そうしてアゼレアが投げた物は……枕ではなく、敷布団だった。

「え、ちょっと待ってアゼレア様それアリなの!?」
「枕以外を投げてはダメとは聞いとらん!」

無論、敷布団が体に当たろうとも、催眠の魔術が発動することはない。
だが、広がりながら飛んでくるそれを避ける事は容易ではなく。一枚の布団であるがゆえに、枕のように弾こうとしても、体に巻き付くように覆いかぶさってしまう。

「っ、くそっ!?」

そうして視界を奪われたほむらが、布団を払いのけた時には。
既に枕を振りかぶった武士が、目の前に迫っていた。

ぱふんっ!!

どさり、という音を立て。ほむらの体が布団の上へと沈み込む。

「ほむらっ!?」
「……さて、これで2対2じゃな?」

――これは、まずい。

ヴィントがぎりっと奥歯を噛む。こちらが優位だったのは、行綱を封殺できるほむらという格闘のスペシャリストがいた事。そして数の優位を保っていた事。この二つの要素があったからに他ならない。
そのアドバンテージが二つ同時に失われたのだ。残されたのは、接近戦の経験が少ない自分と、部屋の中ゆえに旧時代の姿では戦えないクレア。

「クレアは妾が相手をしよう。行綱はヴィントの相手を頼むぞ」
「……はっ」

そしてアゼレアは、それをよく理解していた。近接戦闘要員の行綱を自分に向かわせ、自身はスペックで勝るクレアを相手取る。
ヴィントとクレアは、敗北の予感をその身に感じながら。枕を握りしめ、二人を迎え撃つのだった。





――――――――――――――――――――





「――それでも、流石は魔王軍の精鋭じゃったな」
「……本当に、強敵でした」

足元で幸せそうに熟睡しているリッチとワイバーンを見下ろしながら、主従がつぶやく。
だが、これで行綱を狙う者は全員ぐっすり夢の世界だ。この部屋で起きている者は、自分と行綱の二人だけ。

二人だけ。即ち、二人きり。
そのもう一人である行綱は、先程の枕投げで少量の汗をかいていた。その汗に含まれる、僅かな精の香り。先程までは枕投げに必死で気に留めていなかったそれに、気が付いてしまう。

「………っ」

他の男の物とは、明らかに一線を画し。もちろん、精補給剤などとは比べようもない、甘い香り。どうしようもなく食欲と性欲を刺激されるそれ。
そう。魔物としてのアゼレアの体は、一度の性交もないままに――彼の精の香りを、夫のものであると認識しつつあった。

「……姫様、どうされたのですか?」
「はっ!?」

気が付けば、アゼレアはその顔を真っ赤に上気させ。火に引き寄せられた蛾のように、ふらふらと。行綱にその顔を近づけていた。

「い、いや、こ、これは――」

――ぞくり。
ぽふっ。

「……え?」

アゼレアが、あの胸を締め付けるような悪寒を感じると同時。気の抜けた音と共に、行綱の身体がゆっくりと前へ倒れてゆく。

「ゆ、行綱……?」

身体をゆさゆさと揺すってみるのだが、男は安らかな寝息を立てるのみ。そしてその足元には。先程まで、自分たちが投げ合っていた枕が転がっていた。
誰かに枕をぶつけられた?馬鹿な。この部屋でまだ起きているのは、自分と行綱のみだったはず――

「えへ、えへへへ……♪」

いや。
あと一人だけ――眠っていない者がいた。

「っ、クロエ……っ!?」

声に振り向けば、そこにいたのは。自らの頭を左腕で抱え、剣の代わりに枕をこちらに向けているクロエの姿。見る者に温和な印象を与える目は色欲に染まり、普段は清楚な微笑みを浮かべている口元も、だらしなく開いてしまっている。

「申し訳ありませんアゼレア様……私は参加しないつもりだったのですが……流れ弾で、首が取れてしまいまして……♪」

そこには普段の、任務に忠実な、誇り高き魔界の騎士の姿はなく。

「行綱さんは、私が頂いちゃいますね……♪」


――戦いは、終局を迎えようとしていた。
17/07/05 19:44更新 / オレンジ
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