連載小説
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花畑
あの後、明らかに仲間たちの目が獲物を狙うそれに変化し始めている事を察知したクロエの『み、皆さん!そろそろ夕食のお時間ですからお風呂から上がりませんか!?』という一言により何とか事なきを得た行綱。
ところ変わって宴会場。座布団の前に出された台の上には、ジパング料理をベースに魔界流のアレンジが加えられた料理の数々。

「……旨い……」

中でも、行綱が特に気に入っていたのは。

「そちらは魔界豚のわさび醤油焼きでして。人間魔物の双方から非常に好評価を頂いているお料理になります」

旅館自慢の料理を褒められた弥生が、嬉しそうに説明する。
故郷で罠にかかった猪や兎を食べた事はあったが、ここまでまろやかな旨みを持った肉というのは口にした事がない。そこにわさびという組み合わせが、濃厚な脂とお互いの短所のみを綺麗に打消しあっていて……。
そんな弥生の説明に聞き入っている行綱の視界の外、こそこそと話し合っている影が二つ。

(アゼレア様、貴女まで一緒に行綱さんに襲いかかろうとしてどうするんですか)
(いや、だってじゃな?行綱の奴があのような事を言うから――)
(「行綱を故郷の環境に近い状態でのんびりさせてやりたい」とここに決めたのはアゼレア様でしょう?ただでさえジパングの方は真面目で奥手な方が多いらしいんですから)
(うぅ……)

バツが悪そうに顔を逸らすアゼレアに、クロエは続ける。

(この面子が一斉に本気で襲い掛かったりしたら、流石の行綱さんでもひとたまりもありません。そうなった時に行綱さんを守ることができるのは、リリムであるアゼレア様だけなんですから……)
(っ……うむ、肝に銘じておく……)

「――つまり明瞭魔界は魔界とそれ以外、双方の作物を育てる事が出来るとてもお得な魔界なのです。火の国の人間なら、やっぱりお米は食べたいですよね♪ちなみに私のような稲荷は夫を手に入れますと、明瞭魔界を生み出す事も可能でして……そこでどうでしょう、私のおっt」
「貴様も何を堂々と行綱を口説こうとしておるのじゃ!?」
「うふふ、冗談ですよ♪」

全く。どいつもこいつも、油断も隙もあったものではない。

「…………」

それにしても。
行綱は自分と同じように料理に舌鼓を打っている面々を見回す。
魔界に向かう途中、教団の騎士や雇われの傭兵達と食事を共にする際、スプーンやフォークではなく箸を要求した時には、何だそれはという顔をされたものだが。

「……姫様達は、普通に箸を扱えるのだな」
「娯楽や食文化なんかは、規制や規律に緩い魔物達の間の方が広がり易かったりするからねー」

答えたのは箸をまとめてグーで握り、料理に突き刺して食べようとするミリアに、人化の術を使った手で箸の握り方を教えているクレア。
正しい使い方を教わったミリアは、拙いながらもなんとか箸を使って肉を掴み……ちょっと待て。ミリアはあの大きな肉球のままでどうやって箸を握っているのだ……?

「あ、行綱さん。魔物は大抵の事なら魔力で何とかなっちゃいますから、あんまり深く考えない方がいいですよ?」
「……そういうものなのか」
「そういうものなのじゃ。特に妾の母上が魔王となり、魔物が魔物娘に代わってからというもの、そのすべては人間の男と共に生活する為に特化しておるからの」

そう言いながらも楚々と料理を口に運ぶ姫様とクロエの所作などは、まるでそれが生来生まれた時から行っているかのような自然さで。下手をすれば、自分などよりよほど箸の使い方が上手いのではなかろうか。

「……お前とは大違いだな、ほむら」
「あ?喧嘩売ってんのかコラ」

ほむらも、正しく箸を持ってはいるのだが。何というか、食べ方が非常に豪快で、掻き込むように食べており。ほっぺたにご飯粒が付着してしまっている。
なのでそんな三白眼で睨まれても、全くもって怖くない。というか、酒で赤くなった顔と相まってむしろ微笑ましい。

「ほら、頬に米粒がついてい――」

指差そうとした腕を、がしっと掴まれる。
その顔は酒の効果で朱に染まり。瞳を恋する乙女のように潤ませていて。

「あはっ、どっちの立場が上か、その身体にたっぷり理解させてやんねーとなぁ……♪」

駄目だあのオーガ酒のせいでまた発情していやがる……!

「ほむらお姉ちゃん、お兄ちゃんと遊ぶの?ミリアも混ぜて欲しいなぁ……♪」
「むふふ、じゃあ何であそぼっかー?」
「……お医者さんごっことかは、どうかな?」

というか全員発情しっぱなしだった。そもそも、一度身体に火がついた魔物娘が、そう簡単に普段の調子に戻れるはずがないのだ。

「あー!あーあー!行綱さん、アゼレア様がお散歩に行きたいらしいのでちょっと付き添いをお願いしていいですか!?」
「……しかし、今何かをして遊ぶというような流れになっていたのでは」
「そ、そっちは気にしなくていいですから!ね、アゼレア様」

ここは私に任せて早く行って下さい!とアゼレアに必死のアイコンタクトを送るクロエ。

「う、うむ。そういえばちょうど妾も行綱に見せたい場所があったのじゃ!ついてきてくれるかの!?」

何か言いたげな顔をしている行綱の手を引き、有無を言わさず部屋から連れ出す。背後からは『なんで邪魔するのクロエお姉ちゃん!』『……絶許。』『いいから貴方達は少し空気というものを読んで下さい!』という声と共に、明らかに只事ではない轟音が聞こえ始めていた。

「……それで、姫様。私に見せたい場所とは」
「う、うむ。それはじゃな……」

とりあえず色々詮索するのを諦めてくれたらしい行綱に、アゼレアはホッと胸を撫で下ろす。
しかし今度は別の問題が出てきた。当然、先程のクロエとのやりとりはアドリブであり、急に思いつくような場所は――

「――あ」

その時、ふと一枚の看板が目に入った。
そうだ、温泉街といえど、ここは魔界の観光地。ならば――『アレ』があるはずだ。

「少しこの温泉街からは外れてしまうようなのじゃが、良いかの?」





――――――――――――――――――――





「……これは」

眼前に広がるのは、一面の花畑。
ただの花ではない。アゼレアの髪のように白い花弁を持つそれは、自らが淡く発光しているのだ。
赤い月に照らされた魔界の夜だから、余計にその白く柔らかな光が際立つ。その花畑は、まるでそこだけが別世界であるかのような神秘的な美しさに満ちていた。
思わず息を呑む。

「綺麗であろう?魔灯花というのじゃ」

期待通りの行綱の反応に、アゼレアが満足げな笑みを浮かべた。
しゃがみ込んでそのうちの一輪を覗き込むと、その花びらにそっと指を這わせる。

「人間には魔界の植物が禍々しかったり、奇妙な物に見えるらしいのじゃが……この花は別での。人間が見ても、魔物が見ても。皆一様にこの花を美しいと言う」

リリムであるアゼレアには、人間の美的感覚を完全に理解する事は出来ない。
何故あんなにも可愛らしい触手植物達を怖がるのか。 うねうねと元気に育ち、瑞々しい蛍光色の果実を実らせる魔界の木々を気味悪く思うのか。

だが、理解しようとする事は出来る。

「……行綱。良い国とは、どういう国の事を言うのだと思う?」

突然の問いかけに、少し間を開けて行綱が答える。

「……良き主君が治める国、でしょうか」
「なんというか、お前らしい答えじゃな……」

苦笑を浮かべたアゼレアが立ち上がり、行綱に背を向けたまま。
淡く光る花畑を眺めながら続ける。

「……妾はな、兵が必死で守りたくなる国の事だと思っておる。民が主君に興味が無くても構わぬ。隣人が好き。街角の美味しいお店が好き。……それが兵達にとって、本当に守りたいと思える物を守るためならば。きっと、皆必死で戦ってくれる」

だから、民や兵にそう思ってもらえるようにはどうすれば良いのか。それを考える事。

「魔物たちが皆母上に心酔しているのも。緩い規律ながらも、魔王軍が一生懸命戦ってくれるのも。魔物の夫となった者達が親魔物領を増やそうと協力してくれるのも。母上がこの世界を、より皆に『愛される場所』に変えているからだと思うのじゃ」

もちろん魔王軍の未婚の者たちは、夫の確保が第一目標であるだろう。
急進派の者達と、それ以外の者達の意見の対立だってある。
でも、そんな風に一枚岩ではなくても。魔王が作ろうとしている世界に賛同しているというのは、きっと誰しも同じこと。

「妾もいつか、そんな風に思われる場所を自分で作ってみたい」
「……それはつまり、自分の国を……?」

息を呑む様子の行綱に、アゼレアは微笑み、頷きながら振り返る。
勿論それは、行綱の気を引くために作った話などではない。
アゼレアが小さい頃より憧れてきた、本心からの彼女の夢。

「今日食べた料理のように。この魔灯花のように。そして、お前の故郷のように。人と魔物の両方に好かれ、そこに住む者達が自らの意思で守りたくなるような――王魔界に並ぶようなそんな国を、妾は自分の手で作りたい」

自由気ままな性格が多いリリムの中で、アゼレアが魔王軍に属している理由もそこにあった。
自分には他の姉妹ほど圧倒的な力はない。
だからいずれ自分の国を持つ事ができた時、他人を指揮出来なければ。きっと、それを守る事ができない。 『本当に恥ずかしい話じゃがの』と、はにかみながら言葉を続ける。

「だから、お前に手伝って欲しい。いつか作る妾の国を、お前に守って欲しい。だから、絶対に誰にも負けるな。決して妾の傍から離れるな」

淡く輝く花畑を背景に、頬を染めて。まるで、愛しい相手にその気持ちを伝えるように。
武士冥利に尽きる命令を受けた幸綱は、その目を真っ直ぐに見つめ返し。

「――はっ、我が家紋の細桔梗に誓って。必ずや」
「うむっ♪」

普通の男女ならば、愛の告白に聞こえなくもないこのやり取りだが……目の前の生真面目な男は、きっとそう思ってくれてはいないのだろう。
それは少し寂しくもあるが――でも、今はこれでいい。
少なくとも、この男はずっと自分の傍にいてくれる。
誰にも負けない、そう約束してくれたのだから。
彼はきっと、約束を破ったりしない男だ。時間はこれからたっぷりある。

「では、そろそろ宿に戻ろうかの。あまり遅くなると皆に心配をかけてしまう」
「……はっ」

騒がしくも暖かい、温泉街の光が近づいてくる。
美しい主の三歩後ろ、赤い月に照らされた道を歩きながら、行綱は考えていた。
自分にとっての守るべき場所は、この姫様の隣だと。
だって、こんなにも素晴らしい主を持った自分は――どんな死地にでも、喜んで飛び込めると思っているのだから。










――――――――――――――――――――









「あー、食ったし飲んだ!」
「いやぁ、久しぶりにこんなに騒いだねー」
「……美味しかった。」

行綱とアゼレアの二人が宿に戻ると、ちょうど食事が片付けられているところだった。
先程まで散々発情していた三人も、暴れて多少はスッキリしたのか。何事もなかったかのようにけろっとしている。
……クロエの視線が少し恨めしそうだ。

「ふふ、ご堪能頂けたようで何よりです」

弥生の三本の尻尾が揺れる後ろをついて歩く。
足の裏に伝わる、ひんやりとした廊下の感触が気持ちいい。

「お布団はお食事の間に敷いておきましたので、ゆっくりお休み下さいませ」

宿泊している部屋の前までたどり着き、三尾の稲荷が戸を開けると。そこには人数分の布団が準備されていた。
皺一つないその見事なベッドメイキングに、一同からおぉ、と感嘆の声が上がる。

「……では私は、この端の布団で」

同じ部屋で寝る事は受け入れたが、まさか婦女子に囲まれて寝る訳にもいかないだろう。
とりあえず部屋の隅、奇数の人数分であるがゆえに。一つだけ他から飛び出すように敷かれてある布団に腰を下ろす。

「ミリア、お兄ちゃんと一緒に寝るーっ♪」

そんな自分の膝の上に、山羊角の少女が乗ってきた。
腕に触れる、すべすべとした肌とやわらかな毛皮。
それらは幼子特有の高い体温と相まって、絶妙な心地よさを与えてくれる。

そう、幼い。

「………」

改めて見てみれば、凹凸の少ない小さな体。柔らかそうなほっぺた。仄かに香るミルクのような体臭。
一体この幼子はいくつなのだろうか?
戦場で転移魔法を使い神出鬼没に移動し、大魔法を連発していた存在だとはとても思えない。

「……だめ?」

くりくりとした大きい目でこちらを見上げているミリア。変な意味ではなく、本当に可愛らしい。
思えば、このような年端もいかない子が戦場で戦っているのだ。家族と会う時間も少なく、寂しい思いをしているのだろう。
自分を兄のように慕ってくれてもいるようだし……その代わりとして、少しでも寂しさを紛らわせてあげられるのならば。

「あぁ、ならば隣で一緒に寝――」
「「「駄目だ(じゃっ)!!」」」

物凄い勢いで止められた。

「なぁ、行綱もこんなちびっ子よりあたしと話してる方が楽しいだろ?あたしの隣で寝ようぜ」
「えー、お姉さんの武勇伝とか夜通し聞きたいよね?私の隣で寝るべきだと思うなぁ」
「……私の隣で、寝よう?」
「ええい、行綱は妾の隣でじゃな――!」
「お兄ちゃんミリアと寝るって言いかけてたもん!」

「……あの、そのように、言い争うような事では」

そう宥めようとするのだが、元が無口かつ口下手な行綱のこと。話に割り込む事すら出来ていない。
というか、何故か皆目がぎらぎらしていて……正直ちょっと怖い。

「すみませんすみません、騒いでしまって本当にすみません……!」
「ふふ、構いませんよ。殿方の隣を魔物達が取合うのは、この旅館に泊まる方々の間ではよくある事ですから」

首が落ちてしまうのではないかと心配になるほど、ぺこぺこと頭を下げているクロエ。
対してさほど気にしている様子もない弥生。 相変わらず着物の袖を口元に当て、目を細めてくすくすと品良く笑っている。


「しかし旅先で喧嘩とあっては、お客様方の楽しい思い出にも影が差してしまうでしょう。それは私達としても、望むところではありません。どうせ喧嘩をするのならば、楽しく!ジパング人が旅行をする際に宿泊先で行うゲームで決着をつけてみてはいかがでしょう?」
「あ?ゲームだぁ?」

弥生の提案に、ほむらが訝しげな顔で振り返る。

「はい、『枕投げ』と申しまして。ジパング人が複数人で泊まると必ずと言っていいほど行う遊びです」

耳慣れない単語に、揃って首を傾げる一同。

はて。
他の面子とは異なる意味で、行綱もまた首を傾げていた。
このような高級な旅館では、むしろ、そういった行為は禁じられているかと思っていたのだが。

「ふふ、ではルールを説明しますね」

言いつつ、弥生が枕の一つを手に取る。

ともあれ、枕投げ。懐かしい響きである。自分が最後にそんな事をしたのは、一体いくつの時だっただろうか?
折角旅館側がこのような事を許可してくれているのだ。今日くらいは、童心に帰ってはしゃぐのもいいかもしれない。

「この枕はワーシープウールを使い、さらに我々の呪術を組み込んで強化、改良した特別製でして。このとおり、手で持っても抱き着いても全く効果はないのですが――えいっ♪」
「わぷっ!?」

説明の途中で、弥生が突然手にしていた枕をミリアに投げつけた。
そうそう、そんな風に枕を相手に投げつけて。
顔面に枕が直撃したミリアは、くぐもった声を上げた後――

「すぅ……むにゃむにゃ……♪」

幸せそうな顔で眠りに落ちてしまった。

「……………」

ちょっと待て。
何だ、その枕は。

「この通り、首より上――顔や頭に当たった瞬間、その人物を一瞬で夢の世界へ送り届けてしまう効力を持っているのです」

何やら雲行きが怪しくなってきた弥生の説明。
さらにその手をぱんっ、と合わせると。何もない空間から、大量の枕がドサドサと現れる。

「この部屋には防音、防護の呪術がかけられていますので。今のようにこの枕を使っての攻防ぐらいならば、いくら行ってもらっても構いませんよ♪」
「つまり……?」

誰ともなしに、ごくりと唾を呑み込む。
興が乗ってきたらしい弥生が、楽しそうに言葉を引き取った。

「そう。全員を眠りの世界に送り込み、最後まで勝ち残った者が――今宵、この部屋の全てを意のままにする事が可能……!これぞ火の国、ジパングに伝わる遊戯『枕投げ』なのです!」

いや違う。絶対に違う。
明らかに魔界のローカルルールが混ざっている。

「ふーん、分かり易くていいじゃねぇの?」
「……恨みっこ、なしでいこう。」
「むふふ、お姉さん本気だしちゃうよー?」
「安心せよ行綱、妾は絶対に負けぬからな……!」

行綱は心の中で一人突っ込むのだが、当然それが届く訳もなく。女性陣は既にやる気満々だった。

「…………」

何故、皆してそんなに張り切っているのか……?

「えーっと、私はミリアが巻き込まれないように隅で見ていますので。……頑張って下さいね、行綱さん」

クロエは不参加らしい。涎を垂らしながらすやすやと寝息をたてるミリアを担いで、部屋の隅へと移動してしまった。
……まるで、友を死地に送り出すかのような目でこちらを見ていた気がするのだが。気のせいだろうか。

「それでは皆さん、私がこの部屋の戸を閉めた時が開始の合図です」

弥生が楽しそうに緩んだ口元を抑えながら、部屋の戸へと手をかけた。
アゼレア達の間に、緊張が走る。

「それでは、おやすみなさいませ♪」



――ぱたん。



今。

激戦の火蓋が、切って落とされた。


20/11/18 22:57更新 / オレンジ
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