混乱
「……本当に火の国に帰ったようだ」
「ふっふっふ、凄いじゃろう」
「……なんで、アゼレア様が得意げなの?」
リッチのヴィントが、横を歩く上司に突っ込みをいれた。
だって仕方がないではないか。ようやく堕とすべき運命の相手が見つかったというのに、その男はリリムである自分を目の前にしてもまるで平然としているのだ。
力だけではなく、容姿までもが他の姉妹に劣っているのではないのかと、最近どうにも焦りが拭えなかった。
しかしどうだ。先ほどからすれ違う異性は悉く自分を視線で追いかけ、番がいるものはその折檻を受けているではないか。
ーーうむ。やはりこれが妾を前にした男の正常な反応よな!
一番その視線を向けて欲しい男が相変わらずなのはアレとしても、嬉しいものは嬉しい。
アゼレアの自信は爆速で回復していたのだった。
アゼレア達が訪れているのは、今や魔界の各所に存在している温泉街の一つ。
ジパングの伝統的な木造家屋がならび、温泉旅館はもちろん、お土産屋やマッサージなど様々な観光客向けの商売を行っている。
そういった店の店員達が身に着けているのも、ジパングの衣服だ。キモノやユカタと言っただろうか。
流石に、店員そのものはサキュバスを中心とした通常の王魔界の魔物が主だが。
不思議なもので、その衣装から受けるどこか清楚な印象は、それだけで魔界の爛れたイメージを――
「お兄さーん、何かお土産買って行きません?今ならおまけで私もお持ち帰り出来ちゃいますよー♥」
いや何でもない気のせいだった。いつもの王魔界だ。
「……少しだけ、火の国の妖怪達よりも開放的なようだが」
「あはは、まぁそこは仕方ないよねー。というか、ジパングの妖怪達の方が魔物としては異色なんだよ?」
でも雰囲気はよく再現してるよね、と行綱に答えるのはワイバーンのクレア。
彼女は魔王軍第26突撃部隊メンバーの中でも最古参であり、かつて実際にジパングを訪れた事もあるのだという。
「気に入ったなら、またお姉さんが背中に乗せて連れてきてあげようか?休みだけと言わずに、戦場で乗ってもらってもいいけど……♪」
「わざわざクレアが背に乗せんでも、魔王城からポータルがあるじゃろうが」
既に騎乗させる着満々の飛龍に釘を差しておく。
もちろん言外には、『その後は私が跨らせて貰うけどね!』と続いているのだろう。
「有難い話だが、馬以外に騎乗した経験が無い私が乗っても、足手纏いになるだけだろう。気持ちだけ受け取らせて貰う」
「そう?残念だなぁ」
普段はどうやって魅了を使わずに堕としたものかと頭を悩ませる行綱の生真面目さだが、こんな時ばかりは頼もしい。ひとまずホッと胸を撫で下ろす。
……それにしても、彼は魔王軍という魔物の巣窟に居ながら、その生態を知らなさ過ぎる。
原種のドラゴンのようなプライドこそないとはいえ。ワイバーンがその背中を許すという事に、どれほどの好意と敬意が必要なのかすら知らないのだろう。
やはり、魔物達の事を多少は詳しく教えておくべきなのだろうか。
いや、しかしそれでは彼がどれだけ多くの魔物から好意を向けられているのか気が付いてしまう。自分だって、まだまだ行綱との距離を詰めようと四苦八苦している段階なのだ。
彼が下手に他の魔物娘を意識するようになってしまっては、本末転倒にも程がある。あぁ、でも完全に知らないっていうのもやっぱり危ない気がするし……
「あ、ここですね。着きましたよ皆さん」
そんな事をぐるぐると考えているうちに、目的の旅館に到着したらしい。
クロエが指差す先には、『旅館 妖ノ湯』と書かれた看板。
周りの建物とは一線を画す広い敷地に、異国情緒溢れる門構え。
それはどこか並みならぬ静謐さ、荘厳さを湛えているというのに、しかし威圧するような印象は一切受けない。不思議な建物だった。
「すごーい、おっきーい!」
「……これはまた、立派な所を」
「うむ、この温泉街の中でも相当な老舗らしくての。妾も来るのは始めてなのじゃ」
温泉で泳げるかな?と、はしゃぐミリアを苦笑いで宥めつつ、一行はその門をくぐるのだった。
――――――――――――――――――――
「妖ノ湯にようこそおいで下さいました。当旅館の若女将を務めさせて頂いております、弥生と申します」
「うむ、世話になるぞ」
出迎えてくれたのは、楚々とした着物を着こなした三尾の稲荷だった。
頭の天辺から足の指先まで意識が行き届いたその所作は、『頭を下げる』というただそれだけの単純な動作であるというのに。まるで芸術品を見ているかのような感動すら覚える。
「それではお部屋まで案内しますので、靴をお脱ぎになってからお上がり下さい」
「はーい!」
「なぁ行綱、ジパングってホントに家に上がるときいちいち靴脱ぐのか?」
「あぁ。むしろ家の中でも脱がないこちらの文化に驚いた」
そんな事を話しながら、板張りの廊下を弥生について歩く。
目の前で、小麦色をした三本の尻尾がふりふりと揺れている。
「…………」
故郷で見た時も思ったが、稲荷様の尻尾は非常にもふもふしていて……何というか、触るととても気持ちよさそうだ。
尻尾とは人間で言うところの、どういった部位の感覚にあたるのだろうか?
――そんな事を考えながら歩いていると、急に右腕に痛みが走った。
「行綱よ、何をじっと見ておるのじゃ?」
横を見れば、笑顔ながらも額に青筋を浮かべ、腕をつねっている姫様の姿。
他の面々もどこかこちらを見る目が冷たくなっている気がする。
いけない。今の自分を傍から見れば、この若女将の臀部周辺を凝視していた不埒者に見えていたに違いない。
急いで弁明しなければ。
「いえ、違うのです姫様。ただ、柔らかそうな尻尾だな、と……っ!?」
――ほむらとヴィントとクロエにも無言で腕をつねられた。
魔物にとって、尻尾を凝視するという事は、それ程失礼にあたる事だったのだろうか。
……だとすれば、それは大変な事をしてしまった。
「尻尾ならば妾にもあるぞ!?妾の尻尾では駄目なのか!?」
「あれ、行綱って尻尾好きなの?しょうがないなー、お姉さんがひと肌脱いで……」
「違うよね、お兄ちゃんはもふもふしたいんだよね!?ミリアならいくらでももふもふしていいよ!?」
「……いや、別に触ろうとしていた訳では」
何だろう、確かに女性の体の一部を見つめていたのは自分だが。
自分は衝動に任せて女性に不埒な真似をする男に見られていたのだろうか……?少し落ち込む。
「その、申し訳ない。あまりに見事な尻尾だったもので」
「いえいえ、そう言って頂けると日々毛づくろいをしていた甲斐がありました♪」
ぎゅぅぅ……っ!!
「……………」
本人はあまり気にしていないようなので、出来れば手を放して欲しい。
何故だ。何故、謝っているのに腕をつねる力が強くなったのだ。
痛い。結構本気で痛い。
だが、それが面に出ることがないよう必死で堪える。武士たるもの、常に平常心であれ。父から受けた、数少ない教えの一つだ。
「では、こちらが皆様のお部屋になります」
そんな事をやっているうちに、今晩泊まる部屋についたらしい。
畳敷きの広い部屋。開けられた障子から見える枯山水の中庭。まさに行綱の知る故郷の旅館の一室だった。
姫様もこのような立派な部屋ならば十分な休息が取れるだろう。
自分の部屋はどのようなものなのだろうか。久々に畳の上での安息を――
「皆様、温泉にはすぐに入られますか?」
「……入る。この前はちょっと張り切りすぎて、疲れた。」
「いきなり聖騎士だけで固めて来ましたからね……」
「今回の教団は無駄に張り切ってるよな」
「そうだねー、今のうちに羽を伸ばしておかないと……」
「かしこまりました。では入浴の際の諸注意がありますので――」
しかし様子がおかしい。
三尾の稲荷は彼を別の部屋に案内することなく、そのまま宿泊にあたっての説明を始めてしまう。
「その、私の部屋はどこだろうか」
そんな彼に、若女将もまた首を傾げて答えた。
「――はい?魔王軍第26突撃部隊御一行様は、お一部屋でのご予約となっておりますが……」
「そうだよ、お兄ちゃん何言ってるの?」
いや、それを聞きたいのはこっちの方だ。
だが、周りを見回せば。皆が自分にミリアと同じような表情を向けていて。
「今回の旅行は親睦を深めるのも目的の一つですから。行綱さんも遠慮しないで大丈夫ですよ?」
「そうじゃぞ行綱。ちゃんと一緒に入れるように混浴だから安心するがよい」
遠慮とかそういう問題ではない。
そして何に安心していいかも分からない。
「ジパングではこういうの、裸の付き合いって言うんだろ?」
「わーい、お兄ちゃんとおっふーろー♪」
だが、こうも当たり前のようにそう振る舞う彼女たちを見ていると……
しかし、そんなまさか。
いや、もしかすると。万に一つの話だが。
――おかしいのは、私の方なのだろうか……?
「ふっふっふ、凄いじゃろう」
「……なんで、アゼレア様が得意げなの?」
リッチのヴィントが、横を歩く上司に突っ込みをいれた。
だって仕方がないではないか。ようやく堕とすべき運命の相手が見つかったというのに、その男はリリムである自分を目の前にしてもまるで平然としているのだ。
力だけではなく、容姿までもが他の姉妹に劣っているのではないのかと、最近どうにも焦りが拭えなかった。
しかしどうだ。先ほどからすれ違う異性は悉く自分を視線で追いかけ、番がいるものはその折檻を受けているではないか。
ーーうむ。やはりこれが妾を前にした男の正常な反応よな!
一番その視線を向けて欲しい男が相変わらずなのはアレとしても、嬉しいものは嬉しい。
アゼレアの自信は爆速で回復していたのだった。
アゼレア達が訪れているのは、今や魔界の各所に存在している温泉街の一つ。
ジパングの伝統的な木造家屋がならび、温泉旅館はもちろん、お土産屋やマッサージなど様々な観光客向けの商売を行っている。
そういった店の店員達が身に着けているのも、ジパングの衣服だ。キモノやユカタと言っただろうか。
流石に、店員そのものはサキュバスを中心とした通常の王魔界の魔物が主だが。
不思議なもので、その衣装から受けるどこか清楚な印象は、それだけで魔界の爛れたイメージを――
「お兄さーん、何かお土産買って行きません?今ならおまけで私もお持ち帰り出来ちゃいますよー♥」
いや何でもない気のせいだった。いつもの王魔界だ。
「……少しだけ、火の国の妖怪達よりも開放的なようだが」
「あはは、まぁそこは仕方ないよねー。というか、ジパングの妖怪達の方が魔物としては異色なんだよ?」
でも雰囲気はよく再現してるよね、と行綱に答えるのはワイバーンのクレア。
彼女は魔王軍第26突撃部隊メンバーの中でも最古参であり、かつて実際にジパングを訪れた事もあるのだという。
「気に入ったなら、またお姉さんが背中に乗せて連れてきてあげようか?休みだけと言わずに、戦場で乗ってもらってもいいけど……♪」
「わざわざクレアが背に乗せんでも、魔王城からポータルがあるじゃろうが」
既に騎乗させる着満々の飛龍に釘を差しておく。
もちろん言外には、『その後は私が跨らせて貰うけどね!』と続いているのだろう。
「有難い話だが、馬以外に騎乗した経験が無い私が乗っても、足手纏いになるだけだろう。気持ちだけ受け取らせて貰う」
「そう?残念だなぁ」
普段はどうやって魅了を使わずに堕としたものかと頭を悩ませる行綱の生真面目さだが、こんな時ばかりは頼もしい。ひとまずホッと胸を撫で下ろす。
……それにしても、彼は魔王軍という魔物の巣窟に居ながら、その生態を知らなさ過ぎる。
原種のドラゴンのようなプライドこそないとはいえ。ワイバーンがその背中を許すという事に、どれほどの好意と敬意が必要なのかすら知らないのだろう。
やはり、魔物達の事を多少は詳しく教えておくべきなのだろうか。
いや、しかしそれでは彼がどれだけ多くの魔物から好意を向けられているのか気が付いてしまう。自分だって、まだまだ行綱との距離を詰めようと四苦八苦している段階なのだ。
彼が下手に他の魔物娘を意識するようになってしまっては、本末転倒にも程がある。あぁ、でも完全に知らないっていうのもやっぱり危ない気がするし……
「あ、ここですね。着きましたよ皆さん」
そんな事をぐるぐると考えているうちに、目的の旅館に到着したらしい。
クロエが指差す先には、『旅館 妖ノ湯』と書かれた看板。
周りの建物とは一線を画す広い敷地に、異国情緒溢れる門構え。
それはどこか並みならぬ静謐さ、荘厳さを湛えているというのに、しかし威圧するような印象は一切受けない。不思議な建物だった。
「すごーい、おっきーい!」
「……これはまた、立派な所を」
「うむ、この温泉街の中でも相当な老舗らしくての。妾も来るのは始めてなのじゃ」
温泉で泳げるかな?と、はしゃぐミリアを苦笑いで宥めつつ、一行はその門をくぐるのだった。
――――――――――――――――――――
「妖ノ湯にようこそおいで下さいました。当旅館の若女将を務めさせて頂いております、弥生と申します」
「うむ、世話になるぞ」
出迎えてくれたのは、楚々とした着物を着こなした三尾の稲荷だった。
頭の天辺から足の指先まで意識が行き届いたその所作は、『頭を下げる』というただそれだけの単純な動作であるというのに。まるで芸術品を見ているかのような感動すら覚える。
「それではお部屋まで案内しますので、靴をお脱ぎになってからお上がり下さい」
「はーい!」
「なぁ行綱、ジパングってホントに家に上がるときいちいち靴脱ぐのか?」
「あぁ。むしろ家の中でも脱がないこちらの文化に驚いた」
そんな事を話しながら、板張りの廊下を弥生について歩く。
目の前で、小麦色をした三本の尻尾がふりふりと揺れている。
「…………」
故郷で見た時も思ったが、稲荷様の尻尾は非常にもふもふしていて……何というか、触るととても気持ちよさそうだ。
尻尾とは人間で言うところの、どういった部位の感覚にあたるのだろうか?
――そんな事を考えながら歩いていると、急に右腕に痛みが走った。
「行綱よ、何をじっと見ておるのじゃ?」
横を見れば、笑顔ながらも額に青筋を浮かべ、腕をつねっている姫様の姿。
他の面々もどこかこちらを見る目が冷たくなっている気がする。
いけない。今の自分を傍から見れば、この若女将の臀部周辺を凝視していた不埒者に見えていたに違いない。
急いで弁明しなければ。
「いえ、違うのです姫様。ただ、柔らかそうな尻尾だな、と……っ!?」
――ほむらとヴィントとクロエにも無言で腕をつねられた。
魔物にとって、尻尾を凝視するという事は、それ程失礼にあたる事だったのだろうか。
……だとすれば、それは大変な事をしてしまった。
「尻尾ならば妾にもあるぞ!?妾の尻尾では駄目なのか!?」
「あれ、行綱って尻尾好きなの?しょうがないなー、お姉さんがひと肌脱いで……」
「違うよね、お兄ちゃんはもふもふしたいんだよね!?ミリアならいくらでももふもふしていいよ!?」
「……いや、別に触ろうとしていた訳では」
何だろう、確かに女性の体の一部を見つめていたのは自分だが。
自分は衝動に任せて女性に不埒な真似をする男に見られていたのだろうか……?少し落ち込む。
「その、申し訳ない。あまりに見事な尻尾だったもので」
「いえいえ、そう言って頂けると日々毛づくろいをしていた甲斐がありました♪」
ぎゅぅぅ……っ!!
「……………」
本人はあまり気にしていないようなので、出来れば手を放して欲しい。
何故だ。何故、謝っているのに腕をつねる力が強くなったのだ。
痛い。結構本気で痛い。
だが、それが面に出ることがないよう必死で堪える。武士たるもの、常に平常心であれ。父から受けた、数少ない教えの一つだ。
「では、こちらが皆様のお部屋になります」
そんな事をやっているうちに、今晩泊まる部屋についたらしい。
畳敷きの広い部屋。開けられた障子から見える枯山水の中庭。まさに行綱の知る故郷の旅館の一室だった。
姫様もこのような立派な部屋ならば十分な休息が取れるだろう。
自分の部屋はどのようなものなのだろうか。久々に畳の上での安息を――
「皆様、温泉にはすぐに入られますか?」
「……入る。この前はちょっと張り切りすぎて、疲れた。」
「いきなり聖騎士だけで固めて来ましたからね……」
「今回の教団は無駄に張り切ってるよな」
「そうだねー、今のうちに羽を伸ばしておかないと……」
「かしこまりました。では入浴の際の諸注意がありますので――」
しかし様子がおかしい。
三尾の稲荷は彼を別の部屋に案内することなく、そのまま宿泊にあたっての説明を始めてしまう。
「その、私の部屋はどこだろうか」
そんな彼に、若女将もまた首を傾げて答えた。
「――はい?魔王軍第26突撃部隊御一行様は、お一部屋でのご予約となっておりますが……」
「そうだよ、お兄ちゃん何言ってるの?」
いや、それを聞きたいのはこっちの方だ。
だが、周りを見回せば。皆が自分にミリアと同じような表情を向けていて。
「今回の旅行は親睦を深めるのも目的の一つですから。行綱さんも遠慮しないで大丈夫ですよ?」
「そうじゃぞ行綱。ちゃんと一緒に入れるように混浴だから安心するがよい」
遠慮とかそういう問題ではない。
そして何に安心していいかも分からない。
「ジパングではこういうの、裸の付き合いって言うんだろ?」
「わーい、お兄ちゃんとおっふーろー♪」
だが、こうも当たり前のようにそう振る舞う彼女たちを見ていると……
しかし、そんなまさか。
いや、もしかすると。万に一つの話だが。
――おかしいのは、私の方なのだろうか……?
16/03/10 22:59更新 / オレンジ
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