第二章【前編】
「ぐぅおおおぉぉおおぉぉぁぁ!?」
久しぶりに大き目の柔らかいベッドで迎えた朝は、人生で一番苦しいものとなった。
今の状況が自分でもよくわからないので、まずは整理をしよう。
まず、首から下が一切動かず、加えて激痛が絶えず続いている。首も若干絞められているようで、苦しいがこちらはまだいい。
もうひとつ、何故か私の正面にシロの寝顔がある。シロは隣の部屋に寝ていると思うのだが。
とにかく、この状況から脱しよう。
「ふぅぬぅぅうおおぉぉ」
口から雄叫びとも息を吐いているだけともとれる声を絞り出し、全身に力を込める。
腕や足に主に力を籠め、ぐいぐいと彼女の体を引き剥がそうと試みる。
「ぐぅぅ」
「……ん」
「きゅっ」
シロが身動ぎし、首に回されている腕――多分腕だろう――に力を籠めたのか、首が更に絞められ妙な声が出た。
それに加え、互いの顔の距離が縮まり、安らかな寝顔に一瞬でも見とれ、全身の力がふっと抜ける。
すると、私とシロの体の間に空間が出来、とてつもない力で再度密着された。
ゴギッという鈍い音がし「むぎゃ」口からまたも奇怪な声が出る。
それでも尚私の頑丈な体は、気絶という選択肢を選ばせてはくれず、二十数年生きてきて、初めていっその事気絶したいと思えた。
◇◇◇◇
「船旅って結構いいものなのね!」
「そうか……それはよかった」
船から降りると、シロは絶好調&上機嫌だった。
知らない土地にいることも理由のひとつだろうが、なによりも船上にいる時はずっと海を眺めていた。
山育ちの彼女は今まで海を見たことがないようだ。
「ところで、なんで右腕を吊るしてるの?」
「む……気にしないでくれ。自業自得だ」
「は?」
首から布で吊るしている右腕をシロの視界から隠すように立ち、さっさと歩き出す。
いくらシロの寝顔に見とれたとしても、結果がこれでは寝顔を見れた幸運よりも、それで怪我をした羞恥のほうが勝っていたのだ。
「あ、待って。どこへ行くの?」
「この港町には私の知り合いがいる。まずはそこで用事を済ませたい」
この港町へは、騎士だった頃に遠征などでよく寄ったことがある。その時に知り合った者だが、地図くらいは見せてくれるだろう。
ちなみに白蛇の情報も、その知り合いがくれたものだ。
「食糧も調達したいから、二日ほどここに留まる」
「短いのね」
「城の兵士どもが来たら面倒だからな」
「兵?」
「あ、いや。なんでもない」
誤魔化すように早足で歩き、知り合いの家へ向かう。
港から少し離れた場所にある石煉瓦の家――あれだ。
木製のドアを二回ノックして待つと、少し経って軋む音とともにドアが開き、茶髪の青年が顔を出した。
「やぁ、トイ」
「あ! あなたは――どうぞ、入って下さい。少し汚いですけど」
青年――トイが親しみの籠った笑顔を浮かべ、私達を家の中に入れてくれる。
そして私の背後にいるシロを見るなり、一層口元を緩ませた。
「白蛇を見つけてきたんですね! うわぁ、本当に真っ白だ」
「えっ、あのっ」
「ん、そうか。トイも白蛇を見たことがないんだったな。彼女はシロだ。シロ、こいつはトイと言って、私に白蛇について教えてくれたんだ」
「始めましてだね。ぼくはトイ。君達のような魔物を調べているんだ」
「あたしはシロ……よ。初めまして」
白蛇に会えたのがよっぽど嬉しいのか、身を乗り出して彼女を眺め、シロはトイの気迫に押されて少したじろいでいる。
トイが魔物に興味を抱いていることを知ったのは、三度目にここへ遠征の休憩にやって来た時だ。
その頃には既に私も魔物達に興味を抱いていたため、トイに尋ねてみたのだ。
――トイ、お前は彼女達――魔物達をどう思う? どう答えても手は出さんから、正直に答えてくれないか。
すると、言葉の意味を探るように数秒黙り、それからゆっくり、はっきりと告げた。
――えっと……ぼくは、好きとか、嫌いとかじゃないけど、会ってみたいとは思います。魔物ってどんな種族なんだろうって、いつも考えてます。だってここには、魔物がほとんどいないし……ホラ、そこに本や絵があるでしょう。全部、魔物についての物です。
それからトイは、魔物達について小一時間ほど熱弁してくれた。
――すっ、すみません! ぼく、つい……。
――いや、謝らなくていい。私も前々から興味があったから、勉強になったよ。
――え? けど……なら何故、彼女達と戦うんですか?
――親がうるさくてな。魔物は受け入れるなだとか、醜悪だとか。親のほうがよっぽど醜悪だがな。
話はそこで途切れてしまったが、あの時のことはよく覚えている。
トイはうつむいてなにか考え事をしていて、私はそれをじっと見つめていた。
「トイ、シロはとてもいい女だ。探すきっかけをくれたお前には、感謝してもし足りないよ」
「やだ、そんな……」
「ぼくこそ、話を真面目に聞いてくれるのはあなただけだったから、とても感謝してます」
シロが何故か赤くなり、トイがへこへこと何度も頭を下げる。
「っと、そうだ。トイ、すまないが地図はあるか。出来るだけ広範囲の物がいい」
「地図、ですか。ありますよ。ちょっと待ってて下さい」
トイが奥の部屋へ地図を取りに行き、すぐに静けさがやってくる。
シロが、私を二、三回ちらちらと見てから、背後から抱きつくような姿勢でもたれかかり、ぐったりとする。初めて私以外の男と話したことに、緊張して疲れたのだろう。
「あと少しで終わらせる」
「……ねぇ」
「なんだ」
「さっき、私のこと、本当にいい女って思ってる?」
「もちろんだ。嘘は嫌いだからな」
シロの目を見て断言してみせると、白い頬が紅潮する。
その頬を両手で摘み、ぐにぐにと弄って遊んでいると、奥の部屋からトイが戻ってくる。
「お待たせ。あ、それいいな。柔らかそう」
「おお、中々気持ちいいぞ」
「いふまで触っへんのよ」
シロの尾の先端が、私の右手の甲をビシッと叩く。そういえば、いつの間にか治ってたな。
持ってきてもらった地図を広げ、大まかな地形をざっと確認する。
「雪国や砂漠なんかは、遠征でも行ったことがないな」
「寒い場所は嫌よ。身体が冷えると、動かせなくなるわ」
「じゃぁ砂漠? 夜は寒いけど、昼間は川沿いに進めば暑さは凌げるし、それなりの寝袋があればいいんじゃないかな。ちなみにアヌビスやアポピスなんてのもいたっけかな」
「それは興味深いな」
少し考えた末、初の旅行は砂漠で決定した。
初の旅行が砂漠というのもどうかと思うが、今のところは他に行きたい場所があまりない。
トイに礼を言って地図をひとつ借りると、私達は外へ出た。
「明後日までに荷物を纏めて、朝早くにここを出る」
「随分と早いんだね。じゃあ、準備も早くしないと」
「ああ。寝袋もそれなりの物を買うし、まぁそれで凌げないなら、シロとくっついて寝れば温まるんじゃないかな」
「だからあたし、寒いのは駄目だって……」
そんなやりとりをしていると、ふと、私達の足元に影が出来た。
最初は雲かと思ったが、次の瞬間、私は全ての思考を放棄した。
歌が、聞こえた。
意識が遠のき、頭の中がボーッとして――
我に返ったのは、足が地面から離れた瞬間だった。
久しぶりに大き目の柔らかいベッドで迎えた朝は、人生で一番苦しいものとなった。
今の状況が自分でもよくわからないので、まずは整理をしよう。
まず、首から下が一切動かず、加えて激痛が絶えず続いている。首も若干絞められているようで、苦しいがこちらはまだいい。
もうひとつ、何故か私の正面にシロの寝顔がある。シロは隣の部屋に寝ていると思うのだが。
とにかく、この状況から脱しよう。
「ふぅぬぅぅうおおぉぉ」
口から雄叫びとも息を吐いているだけともとれる声を絞り出し、全身に力を込める。
腕や足に主に力を籠め、ぐいぐいと彼女の体を引き剥がそうと試みる。
「ぐぅぅ」
「……ん」
「きゅっ」
シロが身動ぎし、首に回されている腕――多分腕だろう――に力を籠めたのか、首が更に絞められ妙な声が出た。
それに加え、互いの顔の距離が縮まり、安らかな寝顔に一瞬でも見とれ、全身の力がふっと抜ける。
すると、私とシロの体の間に空間が出来、とてつもない力で再度密着された。
ゴギッという鈍い音がし「むぎゃ」口からまたも奇怪な声が出る。
それでも尚私の頑丈な体は、気絶という選択肢を選ばせてはくれず、二十数年生きてきて、初めていっその事気絶したいと思えた。
◇◇◇◇
「船旅って結構いいものなのね!」
「そうか……それはよかった」
船から降りると、シロは絶好調&上機嫌だった。
知らない土地にいることも理由のひとつだろうが、なによりも船上にいる時はずっと海を眺めていた。
山育ちの彼女は今まで海を見たことがないようだ。
「ところで、なんで右腕を吊るしてるの?」
「む……気にしないでくれ。自業自得だ」
「は?」
首から布で吊るしている右腕をシロの視界から隠すように立ち、さっさと歩き出す。
いくらシロの寝顔に見とれたとしても、結果がこれでは寝顔を見れた幸運よりも、それで怪我をした羞恥のほうが勝っていたのだ。
「あ、待って。どこへ行くの?」
「この港町には私の知り合いがいる。まずはそこで用事を済ませたい」
この港町へは、騎士だった頃に遠征などでよく寄ったことがある。その時に知り合った者だが、地図くらいは見せてくれるだろう。
ちなみに白蛇の情報も、その知り合いがくれたものだ。
「食糧も調達したいから、二日ほどここに留まる」
「短いのね」
「城の兵士どもが来たら面倒だからな」
「兵?」
「あ、いや。なんでもない」
誤魔化すように早足で歩き、知り合いの家へ向かう。
港から少し離れた場所にある石煉瓦の家――あれだ。
木製のドアを二回ノックして待つと、少し経って軋む音とともにドアが開き、茶髪の青年が顔を出した。
「やぁ、トイ」
「あ! あなたは――どうぞ、入って下さい。少し汚いですけど」
青年――トイが親しみの籠った笑顔を浮かべ、私達を家の中に入れてくれる。
そして私の背後にいるシロを見るなり、一層口元を緩ませた。
「白蛇を見つけてきたんですね! うわぁ、本当に真っ白だ」
「えっ、あのっ」
「ん、そうか。トイも白蛇を見たことがないんだったな。彼女はシロだ。シロ、こいつはトイと言って、私に白蛇について教えてくれたんだ」
「始めましてだね。ぼくはトイ。君達のような魔物を調べているんだ」
「あたしはシロ……よ。初めまして」
白蛇に会えたのがよっぽど嬉しいのか、身を乗り出して彼女を眺め、シロはトイの気迫に押されて少したじろいでいる。
トイが魔物に興味を抱いていることを知ったのは、三度目にここへ遠征の休憩にやって来た時だ。
その頃には既に私も魔物達に興味を抱いていたため、トイに尋ねてみたのだ。
――トイ、お前は彼女達――魔物達をどう思う? どう答えても手は出さんから、正直に答えてくれないか。
すると、言葉の意味を探るように数秒黙り、それからゆっくり、はっきりと告げた。
――えっと……ぼくは、好きとか、嫌いとかじゃないけど、会ってみたいとは思います。魔物ってどんな種族なんだろうって、いつも考えてます。だってここには、魔物がほとんどいないし……ホラ、そこに本や絵があるでしょう。全部、魔物についての物です。
それからトイは、魔物達について小一時間ほど熱弁してくれた。
――すっ、すみません! ぼく、つい……。
――いや、謝らなくていい。私も前々から興味があったから、勉強になったよ。
――え? けど……なら何故、彼女達と戦うんですか?
――親がうるさくてな。魔物は受け入れるなだとか、醜悪だとか。親のほうがよっぽど醜悪だがな。
話はそこで途切れてしまったが、あの時のことはよく覚えている。
トイはうつむいてなにか考え事をしていて、私はそれをじっと見つめていた。
「トイ、シロはとてもいい女だ。探すきっかけをくれたお前には、感謝してもし足りないよ」
「やだ、そんな……」
「ぼくこそ、話を真面目に聞いてくれるのはあなただけだったから、とても感謝してます」
シロが何故か赤くなり、トイがへこへこと何度も頭を下げる。
「っと、そうだ。トイ、すまないが地図はあるか。出来るだけ広範囲の物がいい」
「地図、ですか。ありますよ。ちょっと待ってて下さい」
トイが奥の部屋へ地図を取りに行き、すぐに静けさがやってくる。
シロが、私を二、三回ちらちらと見てから、背後から抱きつくような姿勢でもたれかかり、ぐったりとする。初めて私以外の男と話したことに、緊張して疲れたのだろう。
「あと少しで終わらせる」
「……ねぇ」
「なんだ」
「さっき、私のこと、本当にいい女って思ってる?」
「もちろんだ。嘘は嫌いだからな」
シロの目を見て断言してみせると、白い頬が紅潮する。
その頬を両手で摘み、ぐにぐにと弄って遊んでいると、奥の部屋からトイが戻ってくる。
「お待たせ。あ、それいいな。柔らかそう」
「おお、中々気持ちいいぞ」
「いふまで触っへんのよ」
シロの尾の先端が、私の右手の甲をビシッと叩く。そういえば、いつの間にか治ってたな。
持ってきてもらった地図を広げ、大まかな地形をざっと確認する。
「雪国や砂漠なんかは、遠征でも行ったことがないな」
「寒い場所は嫌よ。身体が冷えると、動かせなくなるわ」
「じゃぁ砂漠? 夜は寒いけど、昼間は川沿いに進めば暑さは凌げるし、それなりの寝袋があればいいんじゃないかな。ちなみにアヌビスやアポピスなんてのもいたっけかな」
「それは興味深いな」
少し考えた末、初の旅行は砂漠で決定した。
初の旅行が砂漠というのもどうかと思うが、今のところは他に行きたい場所があまりない。
トイに礼を言って地図をひとつ借りると、私達は外へ出た。
「明後日までに荷物を纏めて、朝早くにここを出る」
「随分と早いんだね。じゃあ、準備も早くしないと」
「ああ。寝袋もそれなりの物を買うし、まぁそれで凌げないなら、シロとくっついて寝れば温まるんじゃないかな」
「だからあたし、寒いのは駄目だって……」
そんなやりとりをしていると、ふと、私達の足元に影が出来た。
最初は雲かと思ったが、次の瞬間、私は全ての思考を放棄した。
歌が、聞こえた。
意識が遠のき、頭の中がボーッとして――
我に返ったのは、足が地面から離れた瞬間だった。
13/11/01 17:42更新 / らーそ
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