第6話「Mr.スマイリーが見てるA」
「その子から離れなさい! この悪党!」
最初に動いたのはクリスだった。魔杖を構え、ブラックジャックを持った少年に走りよろうとする。
だが、彼女の動きは突如として体に這い上がってきた、子猫ほどの大きさの生き物によって止められた。
「何よこれ……うぁぁっ!?」
足に激痛が走り、もんどりうって倒れ込んだクリスの喉を、Mr.スマイリーの革靴が抑え込む。衝撃で、魔杖が彼女の手から離れてしまった。
『『黒き浸喰』……闇属性の召喚魔法だ。馬鹿な真似は止した方が良い。この子達は私の命令一つで、君の肉体を骨まで喰らい尽くす』
クリスの足にまとわりついたのは、小動物らしからぬ狂暴な鳴き声をあげる、ドブネズミの群れだった。
Mr.スマイリーは彼女が暴れられないように左足にしっかりと力を込めると、エミリアを背後に庇って臨戦状態のコレールに向かって、おぞましい程丁寧に話しかけた。
『落ち着け。君たちは誤解しているんだ。真の悪党はあの少年じゃない。今縛り上げられているあの雌豚の方だ』
少年は無言のまま目を伏せている。
『この雌豚は……彼の家が貧しくて、物乞いをしているからという理由で、毎日の様に彼のことを汚い言葉で罵倒して、取り巻きと共に痛め付けて、ストレス解消の道具にしていたんだ』
少女は微かな呻き声を発した。まだ生きている。
『酷い話だろう? 彼女がこんな目に会うのも、因果応報だと思わないか?』
「ふざけないで! その程度のことでーーうあっ!」
クリスの顔面に、砂と小石がたっぷりつまった靴下が投げつけられた。先程まで一言も喋らなかった少年が、怒りに煮えたぎった顔で彼女に近寄り、ポケットから取り出したナイフを身動きのとれない彼女に突き付ける。
「『その程度のこと』だと? だったら同じことをお前にもやってやろうか? 」
少年は血走った目をギョロリと動かした。
「お前も他の奴等と同じだな! 助けを求めても『女相手に何も出来ないなんて情けない』とか、『お前の親が貧乏だからいけないんだ』とか、御託を並べやがって……。何で俺があんなクズ女の為に迷惑しなくちゃなんないんだ……!」
クリスは必死の形相で手元から離れた杖を取り戻そうとしたが、Mr.スマイリーとドブネズミ、そして少年に取り囲まれたこの状況では、形勢逆転は不可能に近かった。
「やめて……ください……!」
少年はビクッとしてナイフを声の主に向けると、ガタイの良いリザードマンの陰から現れたゴブリンが、小刻みに震えながらも自分に近づいていたことに気が付いた。
「よせ、よせ……来るな! 本気で刺すぞ!」
少年は自分より小柄な魔物の少女に怯え、ひきつった顔でナイフを振りかざす。
意外にもMr.スマイリーはエミリアのことを止めようとはせず、彼が召喚したドブネズミ達も彼女の姿を見つめるだけで、攻撃するそぶりは見せなかった。
「今だエミリア! そいつからナイフを奪い取れ!」
コレールが叫ぶと同時に、エミリアは少年の体に全力で体当たりをぶちかました。普通のゴブリンを遥かに上回る怪力を持つホブゴブリンの突進を受け止められるはずもなく、人形の様に吹き飛ばされた少年は、そのまま地面に突っ伏して気を失った。
『痛いじゃないか……乱暴な女だ!』
少年のすぐ横に、コレールのドロップキックをまともに喰らったMr.スマイリーが倒れこむ。すぐに立ち上がろうとした彼の眼前に、クリスの魔杖が突き付けられた。
「嗚呼、一時はどうなることかと思いましたタ! クリスさん、怪我はないですカ?」
「大丈夫よベント……エミリア。今の内にあの女の子を洞窟から連れ出して」
エミリアは静かに頷くと、ネズミ達の動きに気を付けながら、全裸の少女が縛られている奥の方へと向かった。ネズミ達は相変わらずエミリアの動きを目で追うだけで、何らかの行動に移ろうとはしなかった。
「酷い……これじゃあ当分目も見えなくて……」
何度も硬いもので殴られ続けたせいで、パンパンに腫れ上がった瞼を見て涙を浮かべながら、エミリアは少女の拘束を解いていく。
「さぁ、もう大丈夫ですよ。私に掴まってーー」
突然金切り声をあげたかと思うと、少女は少年の手から取り落とされたナイフに向かって豹の様に飛びかかり、その柄を握ると、そのまま動揺するエミリアに降り下ろした。
「ごろじてやる……! 貧民の分際でこのわたじに……!」
「錯乱してやがる!」
コレールはすかさず懐からダガーを取り出して、少女に狙いを定めた。
ナイフの刃は、既に先端がエミリアの喉に食い込んでいる。助けようとした人間に殺意を向けられて動揺している彼女では、これ以上耐えることは難しいだろう。
腕を振りかぶってダガーを投げつける寸前、コレールの脳裏に一瞬の葛藤がよぎった。
「(待てよ……? あの娘は既に理性のタガが外れてる。手足にダガーが刺さったくらいでエミリアを解放するか? 首筋や脳天を狙うか? そんなことしたら即死だ。素手で無理矢理引き剥がすか? いや、既にナイフの先端が食い込んでる。下手に動かしたらエミリアの喉が切り裂かれる。クリスの魔法は詠唱に時間が要るし、間に合ったとしても衝撃が強すぎてーー)」
コレールの迷いは1秒にも満たないほど短いものだったが、状況はその一瞬で既に変わっていた。
「うげえっ!」
少女の首筋に、目をギラつかせたドブネズミが何匹か取り付き、彼女の血管を食い破っていた。
少女の手から力が抜けてナイフが地面に落下し、解放されたエミリアがその場で崩れ落ちる。
しかしネズミ達は倒れ込んだエミリアには目もくれずに、何とか這い上がってくるネズミを振り払おうとする少女の肌を、眼球を、髪の毛を貪らんとして、次々と群がっていく。
クリスはすかさず倒れたエミリアの元に駆け寄り、少女の方にも腕を伸ばすが、その腕はガシリと掴まれて、少女に届くことはなかった。
「よせクリス。もう……手遅れだ」
コレールの言う通り、夥しい数が蠢くネズミの絨毯の下で、少女は只の物言わぬ肉塊と化していた。僅かに残った肉片すら、満足したネズミ達が散り散りに去っていく頃には彼らの腹の中に収まってしまい、もはやそこに少女が居たという痕跡は、何一つ残されていなかった。
『死なせるつもりはなかったんだけどな……まぁ、起こってしまったことは仕方がない』
Mr.スマイリーは人差し指で真っ白な頬を掻くと、気を失っている少年の体を肩に担いで、何食わぬ顔で洞窟から立ち去ろうとした。
「何処に行く気よ。逃げられないわよ」
クリスは激しい憤怒の炎が籠った目つきでMr.スマイリーの背中を睨み付けている。彼女の言葉を聞いて、Mr.スマイリーはクククッ、と低く唸る様な笑い声を発してから口を開いた。
『どうするつもりだ? 私を捕まえて衛兵に突き出すか? 次の日には牢屋は空っぽになってるだろうさ。今ここで起こったことを周りに言いふらすか? 拷問の末に獄中で事切れるのは、理不尽に虐げられてきた哀れな少年だ。君達魔物娘は弱者にも手を差し伸べる存在だと聞いたんだがな』
「屁理屈を並べるな! 人が一人死んでるのよ! 許されるはずがないわ!」
「止めてくれ、クリス。悪いのは私だ」
今にも飛び掛かりそうな様相で吠えるクリスを、コレールは苦々しい表情で宥めようとする。
「あの時、女の子を殺してでも私はダガーを投げるべきだったんだ。スマイリーが動いてなかったら、エミリアが代わりに死んでいた。私の……私の、責任だ」
Mr.スマイリーは付き合いきれないといった様子で二人に向き直った。
『君達魔物娘は、もう少し命を軽々しく扱うべきだ。さもなければ、つまらないことで、つまらない連中達と一緒に、共倒れすることになるぞ』
改めて背中を向けて洞窟から立ち去ろうとするMr.スマイリーに向かって、今度はコレールが声をかける。
「……待てよ。名前ぐらい名乗っていったらどうだ?」
『オニモッド。名前はオニモッドだ。さぁ、これで満足ーー』
「違うだろ? 本当はそうじゃない。アンタの本当の名前は……」
コレールは唾を呑み込むと、浅い呼吸を一つ置いてから口を開いた。
「ドミノ=ティッツアーノ。前からこんなことを続けていたのか?」
長い沈黙の後、もう一度向けられたMr.スマイリーの顔からは、既にあの不気味な笑顔は拭い取られていた。
最初に動いたのはクリスだった。魔杖を構え、ブラックジャックを持った少年に走りよろうとする。
だが、彼女の動きは突如として体に這い上がってきた、子猫ほどの大きさの生き物によって止められた。
「何よこれ……うぁぁっ!?」
足に激痛が走り、もんどりうって倒れ込んだクリスの喉を、Mr.スマイリーの革靴が抑え込む。衝撃で、魔杖が彼女の手から離れてしまった。
『『黒き浸喰』……闇属性の召喚魔法だ。馬鹿な真似は止した方が良い。この子達は私の命令一つで、君の肉体を骨まで喰らい尽くす』
クリスの足にまとわりついたのは、小動物らしからぬ狂暴な鳴き声をあげる、ドブネズミの群れだった。
Mr.スマイリーは彼女が暴れられないように左足にしっかりと力を込めると、エミリアを背後に庇って臨戦状態のコレールに向かって、おぞましい程丁寧に話しかけた。
『落ち着け。君たちは誤解しているんだ。真の悪党はあの少年じゃない。今縛り上げられているあの雌豚の方だ』
少年は無言のまま目を伏せている。
『この雌豚は……彼の家が貧しくて、物乞いをしているからという理由で、毎日の様に彼のことを汚い言葉で罵倒して、取り巻きと共に痛め付けて、ストレス解消の道具にしていたんだ』
少女は微かな呻き声を発した。まだ生きている。
『酷い話だろう? 彼女がこんな目に会うのも、因果応報だと思わないか?』
「ふざけないで! その程度のことでーーうあっ!」
クリスの顔面に、砂と小石がたっぷりつまった靴下が投げつけられた。先程まで一言も喋らなかった少年が、怒りに煮えたぎった顔で彼女に近寄り、ポケットから取り出したナイフを身動きのとれない彼女に突き付ける。
「『その程度のこと』だと? だったら同じことをお前にもやってやろうか? 」
少年は血走った目をギョロリと動かした。
「お前も他の奴等と同じだな! 助けを求めても『女相手に何も出来ないなんて情けない』とか、『お前の親が貧乏だからいけないんだ』とか、御託を並べやがって……。何で俺があんなクズ女の為に迷惑しなくちゃなんないんだ……!」
クリスは必死の形相で手元から離れた杖を取り戻そうとしたが、Mr.スマイリーとドブネズミ、そして少年に取り囲まれたこの状況では、形勢逆転は不可能に近かった。
「やめて……ください……!」
少年はビクッとしてナイフを声の主に向けると、ガタイの良いリザードマンの陰から現れたゴブリンが、小刻みに震えながらも自分に近づいていたことに気が付いた。
「よせ、よせ……来るな! 本気で刺すぞ!」
少年は自分より小柄な魔物の少女に怯え、ひきつった顔でナイフを振りかざす。
意外にもMr.スマイリーはエミリアのことを止めようとはせず、彼が召喚したドブネズミ達も彼女の姿を見つめるだけで、攻撃するそぶりは見せなかった。
「今だエミリア! そいつからナイフを奪い取れ!」
コレールが叫ぶと同時に、エミリアは少年の体に全力で体当たりをぶちかました。普通のゴブリンを遥かに上回る怪力を持つホブゴブリンの突進を受け止められるはずもなく、人形の様に吹き飛ばされた少年は、そのまま地面に突っ伏して気を失った。
『痛いじゃないか……乱暴な女だ!』
少年のすぐ横に、コレールのドロップキックをまともに喰らったMr.スマイリーが倒れこむ。すぐに立ち上がろうとした彼の眼前に、クリスの魔杖が突き付けられた。
「嗚呼、一時はどうなることかと思いましたタ! クリスさん、怪我はないですカ?」
「大丈夫よベント……エミリア。今の内にあの女の子を洞窟から連れ出して」
エミリアは静かに頷くと、ネズミ達の動きに気を付けながら、全裸の少女が縛られている奥の方へと向かった。ネズミ達は相変わらずエミリアの動きを目で追うだけで、何らかの行動に移ろうとはしなかった。
「酷い……これじゃあ当分目も見えなくて……」
何度も硬いもので殴られ続けたせいで、パンパンに腫れ上がった瞼を見て涙を浮かべながら、エミリアは少女の拘束を解いていく。
「さぁ、もう大丈夫ですよ。私に掴まってーー」
突然金切り声をあげたかと思うと、少女は少年の手から取り落とされたナイフに向かって豹の様に飛びかかり、その柄を握ると、そのまま動揺するエミリアに降り下ろした。
「ごろじてやる……! 貧民の分際でこのわたじに……!」
「錯乱してやがる!」
コレールはすかさず懐からダガーを取り出して、少女に狙いを定めた。
ナイフの刃は、既に先端がエミリアの喉に食い込んでいる。助けようとした人間に殺意を向けられて動揺している彼女では、これ以上耐えることは難しいだろう。
腕を振りかぶってダガーを投げつける寸前、コレールの脳裏に一瞬の葛藤がよぎった。
「(待てよ……? あの娘は既に理性のタガが外れてる。手足にダガーが刺さったくらいでエミリアを解放するか? 首筋や脳天を狙うか? そんなことしたら即死だ。素手で無理矢理引き剥がすか? いや、既にナイフの先端が食い込んでる。下手に動かしたらエミリアの喉が切り裂かれる。クリスの魔法は詠唱に時間が要るし、間に合ったとしても衝撃が強すぎてーー)」
コレールの迷いは1秒にも満たないほど短いものだったが、状況はその一瞬で既に変わっていた。
「うげえっ!」
少女の首筋に、目をギラつかせたドブネズミが何匹か取り付き、彼女の血管を食い破っていた。
少女の手から力が抜けてナイフが地面に落下し、解放されたエミリアがその場で崩れ落ちる。
しかしネズミ達は倒れ込んだエミリアには目もくれずに、何とか這い上がってくるネズミを振り払おうとする少女の肌を、眼球を、髪の毛を貪らんとして、次々と群がっていく。
クリスはすかさず倒れたエミリアの元に駆け寄り、少女の方にも腕を伸ばすが、その腕はガシリと掴まれて、少女に届くことはなかった。
「よせクリス。もう……手遅れだ」
コレールの言う通り、夥しい数が蠢くネズミの絨毯の下で、少女は只の物言わぬ肉塊と化していた。僅かに残った肉片すら、満足したネズミ達が散り散りに去っていく頃には彼らの腹の中に収まってしまい、もはやそこに少女が居たという痕跡は、何一つ残されていなかった。
『死なせるつもりはなかったんだけどな……まぁ、起こってしまったことは仕方がない』
Mr.スマイリーは人差し指で真っ白な頬を掻くと、気を失っている少年の体を肩に担いで、何食わぬ顔で洞窟から立ち去ろうとした。
「何処に行く気よ。逃げられないわよ」
クリスは激しい憤怒の炎が籠った目つきでMr.スマイリーの背中を睨み付けている。彼女の言葉を聞いて、Mr.スマイリーはクククッ、と低く唸る様な笑い声を発してから口を開いた。
『どうするつもりだ? 私を捕まえて衛兵に突き出すか? 次の日には牢屋は空っぽになってるだろうさ。今ここで起こったことを周りに言いふらすか? 拷問の末に獄中で事切れるのは、理不尽に虐げられてきた哀れな少年だ。君達魔物娘は弱者にも手を差し伸べる存在だと聞いたんだがな』
「屁理屈を並べるな! 人が一人死んでるのよ! 許されるはずがないわ!」
「止めてくれ、クリス。悪いのは私だ」
今にも飛び掛かりそうな様相で吠えるクリスを、コレールは苦々しい表情で宥めようとする。
「あの時、女の子を殺してでも私はダガーを投げるべきだったんだ。スマイリーが動いてなかったら、エミリアが代わりに死んでいた。私の……私の、責任だ」
Mr.スマイリーは付き合いきれないといった様子で二人に向き直った。
『君達魔物娘は、もう少し命を軽々しく扱うべきだ。さもなければ、つまらないことで、つまらない連中達と一緒に、共倒れすることになるぞ』
改めて背中を向けて洞窟から立ち去ろうとするMr.スマイリーに向かって、今度はコレールが声をかける。
「……待てよ。名前ぐらい名乗っていったらどうだ?」
『オニモッド。名前はオニモッドだ。さぁ、これで満足ーー』
「違うだろ? 本当はそうじゃない。アンタの本当の名前は……」
コレールは唾を呑み込むと、浅い呼吸を一つ置いてから口を開いた。
「ドミノ=ティッツアーノ。前からこんなことを続けていたのか?」
長い沈黙の後、もう一度向けられたMr.スマイリーの顔からは、既にあの不気味な笑顔は拭い取られていた。
16/01/07 08:57更新 / SHAR!P
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