第40話「代償@」
――午前2時、ホワイトパレスの客人用寝室にて。
「くそっ、眠れやしない!」
コレールたちにあてがわれた部屋のベッドはまぎれもない高級品ではあったが、それでも 今夜のコレールを安眠にいざなうことは出来なかった。
日中のクリスとの言い争いも寝つきの悪さの原因の一つだが、それとは別に根拠のない胸騒ぎが彼女を苛んでいた。
「……便所にでも行くか」
――――――――――――――――――
カンテラを手に宮殿の廊下を歩くコレール。 その仄かな明かりが、自分以外の何者かの影を浮かび上がらせる。
「(……誰だ?)」
咄嗟に物陰に隠れて周囲を伺うと、見覚えのある人間が兵士を連れて廊下を進んでいく姿が目に入った。
「(ジャック=ロウ? こんな時間に何を……?)」
不思議に思いつつなんとなく後ろを振り返ったコレールは、もう少しのところで声をあげそうになった。
「(クリス、ドミノ! 何してんだ二人とも! ……いや、ちょっと待て……)」
コレールはロウの足音が遠ざかっていくのを確認してから、改めて口を開く。
「それで、どうしたんだ? 何かあったのか?」
「コレール……アラークがいないの」
カンテラの灯りで照らされたクリスの顔色は、いつになく青ざめていた。
「いないって……トイレかなにかだろ」
「いいや、便所も含めて行きそうなところは探したけどどこにもいなかった。他に探していないところは裏庭ぐらいだ」
ドミノが首を振りながら答える。
「なんだよ……こっちはこっちで怪しいんだ。ロウがこんな真夜中に兵士を連れて、廊下をうろついている」
三人はこの状況に対応するための対策を早急にまとめた。 コレールはパルムを連れてロウを尾行し、彼の行動の目的を確認する。クリスとドミノは裏庭まで行ってアラークを探し、見つからないようであれば一度部屋に戻ってコレールからの連絡を待つという方針だ。
「大きな騒ぎにならなきゃいいけど」
コレールはパルムが眠っている部屋に戻りながらぼそりとつぶやいた。
――――――――――――――――――
――午前2時7分、大司教の寝室。 大司教の心地よい眠りの時間は、寝室の扉が音を立てて蹴り開けられる音によって突如として終わりを告げた。
「おうっ!? ……ジャック? こんな時間に何事だ!?」
「大司教。元奴隷たちの中には貴方のことを慕っている者もいる」
兵士たちを連れたロウが首元のロザリオを展開すると、十字架を形成する2本のアームから、それぞれ細身の短刀が姿を現した。
「だから、なるべくおとなしくして頂けるとありがたい」
短刀の刀身がぎらつき、聖ホリオは恐怖で一気に縮こまってしまう。
「なぜこんなことをするのだ、ジャック……!」
「この国は、我々のような奴隷だった者の血によって創られた。物事の正当性を重視するならば、本来は我々の手に渡るべきだとは考えなかったのか?」
ジャックはさらに続けた。
「既にこの国の各地で同士たちが制圧に向けての行動を始めている。この国から、主神教団の信仰はその名残すら消え失せることだろう」
「そこまでにしておけ、ジャック=ロウ」
振り返ったロウが目にしたのは、部屋の入口に陣取るコレールとパルムの姿だった。その後ろにはリネス=アイルレットとフレイアが、さらに勇者カエデが続いている。
「前からきな臭い男だとは思っていたが……クーデターまで企んでいたとは。処罰されてでも殺しておくべきだった」
リネスの口調は冷静そのものだったが、その緑色の瞳には怒りの炎が宿っていた。
「ふふふ……」
「何がおかしい」
「出せ」
ロウは笑みを浮かべて取り巻きの兵士に告げると、大きな袋の中から何かを床にぶちまけた。
「アイリーン!」
床の上に転がされた少年の姿を前にして、リネスは驚愕に目を見開く。
「お前たちの邪魔が入ることを予想していなかったとでも? 人質の命が惜しければその場で跪け」
ロウはそう言うと縛り上げられたアイリーンの喉をブーツで踏みつける。
「跪け。この子の喉が潰れるところを見たいのか?」
ロウの卑劣なやり方に憤りつつも、うかつに動くことすらできなくなったコレールたち。
だが、ロウを含めて寝室にいる者たちは、その緊張感故に誰一人窓の外から飛んでくる物体に気が付くことが出来なかった。
ガシャァァン!!
「にゃはははははは!! 儂はウィルザードサバトの長、バフォメットのルーキ!! この国をロリコンパラダイスにするために、今ここに降臨した!!」
「……」
突然の事態に困惑する一同。
「リネス=アイルレット! お主の結界を破るのにはなかなか手こずったぞ! その上儂らの襲撃を予測して要所に伏兵を配置しておったとはな! だが連中は既に魔女たちの虜にされておる! お主も潔く白旗を上げることじゃな!」
この場の雰囲気にはおよそ似合わないテンションで、一方的に勝利宣言を浴びせてくるバフォメット。彼女の言葉を聞いたロウの方は反対に、みるみる青ざめていた。
「そ、そいつらはアイルレットじゃなくて俺の――」
ロウが無意識にアイリーンから足をどけたのを見たコレールは、即座に行動を開始した。
身をかがめてロウの足元へと突進し、相手が反応するよりも先にアイリーンの体に覆いかぶさることで、彼の安全を確保する。
彼女の行動を認識したリネスも直後に行動に移った。透明呪文(インビジブル)で擬装していた細身のサーベルが姿を現していくのと同時に、銀色の光が一瞬、薄暗い部屋の中で閃く。
ドサッ
鈍い音を立てて床に落ちたのは、切り落とされたロウの右手首だった。
「あああぁぁあああぁっっ!!!」
「……そこまでする必要はないだろ」
「いいや、首を落とされなかっただけマシだと思うべきだ」
アイルレットは鮮血をまき散らしながら悲鳴を上げるロウを冷たく見下ろしながら、コレールの言葉に答える。
取り巻きの兵士たちもパルム、フレイア、カエデの三人に取り囲まれると、武器を捨てて降伏の意を示した。
「アイリーン……」
リネスがその小さな体を抱き上げると、少年は微かに目を開いて意識を取り戻す。
「アイルレット様……あれ、私は確か……」
「大丈夫だ。何も心配しなくて良い。それより怪我はないか?」
「は、はい……」
リネスは安心して小さなため息をつくと、フレイアたちに指示を飛ばし始めた。
「コレール。少しの間アイリーンを頼む。フレイアは街の要所を回って、ロウの息がかかった兵士を取り締まってくれ。魔女に篭絡されているだろうが、念のためだ。カエデはここにいるロウの手下共を縛り上げるんだ」
「分かった」
「かしこまりましたでござる!」
フレイアが部屋から飛び出し、カエデが迅速に行動するのを確認すると、リネスはロウの方へと歩み寄る。
「そしてロウ。お前は私と来るんだ。私自ら特等席に案内してやる」
そう言って左の手首を掴もうとした瞬間、ロウは素早く懐から瓶詰めの液体を取り出し、その場で床に叩きつけた。
「麻痺液ガスだ! みんな部屋から出ろ!」
コレールの声に従って全員が寝室から飛び出し、新鮮な空気を確保する。
「旋風呪文!(ウインド)」
カエデは部屋の中に向かって魔法の突風を放ち、黄色い毒ガスの霧を吹き飛ばした。
「ロウは!?」
コレールたちが中に戻った時には、寝室には麻痺ガスをもろに吸い込んで気を失っているロウの部下たちを除いて、誰もいなかった。
「追うぞ! お前たちもついてこい!」
そう言って走り出すリネスの後に、コレールとカエデが続く。その背中を追おうとしたパルムの背中を小さな手が握りしめた。
「ウィルザード人はおっかなすぎるのじゃ……独りにしないでほしいのじゃ〜」
「……」
半べそをかいてすがりつくルーキと、怯え切った表情のアイリーン。そして彼の傍らに震えながら付き添う大司教の姿を見て、パルムも彼らのことを置き去りにすることは出来なかった。
―――――――――――――――――
ステンド王国の市街と大聖堂の中庭を一望できる、ホワイトパレスの屋根の上。寝室の窓から何とかそこまでたどり着いたジャック=ロウは、失った右手首の先から血の雫を垂らしながら歩いていた。
「もう諦めろ、ロウ」
振り返った先にいたのはコレール、リネス、カエデの3人。彼らの姿を目にしたロウは狂ったかのように笑い声を漏らし始める。
「こいつはとんだ喜劇だよ……結局のところ俺たちは余所者と略奪者から自由を勝ち取れずに、惨めに死んでいくってことか」
「お前の言う『自由』っていうのは、『ホワイトパレスの悲劇』のような虐殺を再び引き起こす自由のことか?」
「『悲劇』? 『悲劇』だって?」
険しい顔で問い詰めるコレールの言葉に、ロウの顔から狂気を帯びた笑みが消え、代わりに憤怒の色が現れる。
「一方的に殺され、犯され、奪われるのが『悲劇』だってのか? 認識の食い違いってやつだな。俺が奴隷だった頃、そいつらは『悲劇』じゃなくて『日常』だった! 俺の家族もそうやって苦しみぬいて死んでいったんだ! 教団の馬鹿どもと違って弔いもされずに、家畜の様にな!!」
口角泡を飛ばしながら叫び続けるロウ。
「お前ら魔物娘はそんな境遇の俺たちに向かって、復讐の無意味さなんて説きやがったんだ!! Mr.スマイリーは違った! 俺たちの怒りに寄り添い、理解してくれた! ウィルザード流の問題解決のやり方を肯定してくれたのさ!!」
ロウは覚束ない足元でよろめきながら、短刀の先端をカエデの方へと突き付けた。
「魔物娘が本気で仲裁に入り、Mr.スマイリーを追い払ったせいで、俺たちの復讐は中途半端に終わっちまった。その結果がこの歪な国だ。主神教団のお膝元だってのに魔物が平然とうろついて、勇者も歩く死体だと!! あのいろはっていう女も、とんだ怪物を遺しちまったもんだ!!」
「え……?」
先ほどまで深刻な顔つきでロウの主張を聞いていたカエデの口から、呆気にとられた音が漏れる。
「いろは殿……? 彼女はゼロ=ブルーエッジ殿の奥方でござる。拙者と一体何の関係が……」
戸惑う彼女の肩に、そっとリネスが手を置いた。
「彼女は……いろはさんは、お前の母親だ」
リネスは下唇を噛み締めて説明を続ける。
「いろはさんが亡くなった時、彼女は既に臨月を迎えていた。『ホワイトパレスの悲劇』の被害者が土葬された次の日に、アンデッドの赤ん坊が墓場の土から這い出してきたんだ。……落武者であるお前が、勇者の加護を受け継いでいる理由がそれだ。お前の父親、ゼロが勇者だったからだ」
言葉を失うカエデを見たロウは、柵に寄り掛かりながらも彼女に向かって嘲りの笑みを浮かべる。
「今まで教えられなかった理由は何だろうな? 内政の混乱を防ぐためか? それともお前が俺に復讐心を抱くことを心配したのか? まぁ今やそんなことはどうでも良い。俺の部下の全員がサバトの連中に取り押さえられた確証も無い。例え俺が死んでも、俺の意志を継ぐ誰かがお前たちを地獄へと送り込んでくれるはずだ」
「待て!!」
柵を乗り越えようとするロウを止めようと、コレールがすぐさま走りだす。
「その時になって初めて俺たちの復讐は成就し、この国は造り上げた人間たちの手の中で正しい形を取り戻すってわけだ。俺の死はその始まりに過ぎないのさ」
邪悪な笑みを浮かべたまま重力に身を任せ、中庭へと飛び降りようとするロウ。
コレールの伸ばした手は、ぎりぎりのところで空気を掴んでしまう。
「くそっ……」
無力感に歯を食いしばる彼女の横を、小さな影が通り抜けていった。
――第41話に続く。
「くそっ、眠れやしない!」
コレールたちにあてがわれた部屋のベッドはまぎれもない高級品ではあったが、それでも 今夜のコレールを安眠にいざなうことは出来なかった。
日中のクリスとの言い争いも寝つきの悪さの原因の一つだが、それとは別に根拠のない胸騒ぎが彼女を苛んでいた。
「……便所にでも行くか」
――――――――――――――――――
カンテラを手に宮殿の廊下を歩くコレール。 その仄かな明かりが、自分以外の何者かの影を浮かび上がらせる。
「(……誰だ?)」
咄嗟に物陰に隠れて周囲を伺うと、見覚えのある人間が兵士を連れて廊下を進んでいく姿が目に入った。
「(ジャック=ロウ? こんな時間に何を……?)」
不思議に思いつつなんとなく後ろを振り返ったコレールは、もう少しのところで声をあげそうになった。
「(クリス、ドミノ! 何してんだ二人とも! ……いや、ちょっと待て……)」
コレールはロウの足音が遠ざかっていくのを確認してから、改めて口を開く。
「それで、どうしたんだ? 何かあったのか?」
「コレール……アラークがいないの」
カンテラの灯りで照らされたクリスの顔色は、いつになく青ざめていた。
「いないって……トイレかなにかだろ」
「いいや、便所も含めて行きそうなところは探したけどどこにもいなかった。他に探していないところは裏庭ぐらいだ」
ドミノが首を振りながら答える。
「なんだよ……こっちはこっちで怪しいんだ。ロウがこんな真夜中に兵士を連れて、廊下をうろついている」
三人はこの状況に対応するための対策を早急にまとめた。 コレールはパルムを連れてロウを尾行し、彼の行動の目的を確認する。クリスとドミノは裏庭まで行ってアラークを探し、見つからないようであれば一度部屋に戻ってコレールからの連絡を待つという方針だ。
「大きな騒ぎにならなきゃいいけど」
コレールはパルムが眠っている部屋に戻りながらぼそりとつぶやいた。
――――――――――――――――――
――午前2時7分、大司教の寝室。 大司教の心地よい眠りの時間は、寝室の扉が音を立てて蹴り開けられる音によって突如として終わりを告げた。
「おうっ!? ……ジャック? こんな時間に何事だ!?」
「大司教。元奴隷たちの中には貴方のことを慕っている者もいる」
兵士たちを連れたロウが首元のロザリオを展開すると、十字架を形成する2本のアームから、それぞれ細身の短刀が姿を現した。
「だから、なるべくおとなしくして頂けるとありがたい」
短刀の刀身がぎらつき、聖ホリオは恐怖で一気に縮こまってしまう。
「なぜこんなことをするのだ、ジャック……!」
「この国は、我々のような奴隷だった者の血によって創られた。物事の正当性を重視するならば、本来は我々の手に渡るべきだとは考えなかったのか?」
ジャックはさらに続けた。
「既にこの国の各地で同士たちが制圧に向けての行動を始めている。この国から、主神教団の信仰はその名残すら消え失せることだろう」
「そこまでにしておけ、ジャック=ロウ」
振り返ったロウが目にしたのは、部屋の入口に陣取るコレールとパルムの姿だった。その後ろにはリネス=アイルレットとフレイアが、さらに勇者カエデが続いている。
「前からきな臭い男だとは思っていたが……クーデターまで企んでいたとは。処罰されてでも殺しておくべきだった」
リネスの口調は冷静そのものだったが、その緑色の瞳には怒りの炎が宿っていた。
「ふふふ……」
「何がおかしい」
「出せ」
ロウは笑みを浮かべて取り巻きの兵士に告げると、大きな袋の中から何かを床にぶちまけた。
「アイリーン!」
床の上に転がされた少年の姿を前にして、リネスは驚愕に目を見開く。
「お前たちの邪魔が入ることを予想していなかったとでも? 人質の命が惜しければその場で跪け」
ロウはそう言うと縛り上げられたアイリーンの喉をブーツで踏みつける。
「跪け。この子の喉が潰れるところを見たいのか?」
ロウの卑劣なやり方に憤りつつも、うかつに動くことすらできなくなったコレールたち。
だが、ロウを含めて寝室にいる者たちは、その緊張感故に誰一人窓の外から飛んでくる物体に気が付くことが出来なかった。
ガシャァァン!!
「にゃはははははは!! 儂はウィルザードサバトの長、バフォメットのルーキ!! この国をロリコンパラダイスにするために、今ここに降臨した!!」
「……」
突然の事態に困惑する一同。
「リネス=アイルレット! お主の結界を破るのにはなかなか手こずったぞ! その上儂らの襲撃を予測して要所に伏兵を配置しておったとはな! だが連中は既に魔女たちの虜にされておる! お主も潔く白旗を上げることじゃな!」
この場の雰囲気にはおよそ似合わないテンションで、一方的に勝利宣言を浴びせてくるバフォメット。彼女の言葉を聞いたロウの方は反対に、みるみる青ざめていた。
「そ、そいつらはアイルレットじゃなくて俺の――」
ロウが無意識にアイリーンから足をどけたのを見たコレールは、即座に行動を開始した。
身をかがめてロウの足元へと突進し、相手が反応するよりも先にアイリーンの体に覆いかぶさることで、彼の安全を確保する。
彼女の行動を認識したリネスも直後に行動に移った。透明呪文(インビジブル)で擬装していた細身のサーベルが姿を現していくのと同時に、銀色の光が一瞬、薄暗い部屋の中で閃く。
ドサッ
鈍い音を立てて床に落ちたのは、切り落とされたロウの右手首だった。
「あああぁぁあああぁっっ!!!」
「……そこまでする必要はないだろ」
「いいや、首を落とされなかっただけマシだと思うべきだ」
アイルレットは鮮血をまき散らしながら悲鳴を上げるロウを冷たく見下ろしながら、コレールの言葉に答える。
取り巻きの兵士たちもパルム、フレイア、カエデの三人に取り囲まれると、武器を捨てて降伏の意を示した。
「アイリーン……」
リネスがその小さな体を抱き上げると、少年は微かに目を開いて意識を取り戻す。
「アイルレット様……あれ、私は確か……」
「大丈夫だ。何も心配しなくて良い。それより怪我はないか?」
「は、はい……」
リネスは安心して小さなため息をつくと、フレイアたちに指示を飛ばし始めた。
「コレール。少しの間アイリーンを頼む。フレイアは街の要所を回って、ロウの息がかかった兵士を取り締まってくれ。魔女に篭絡されているだろうが、念のためだ。カエデはここにいるロウの手下共を縛り上げるんだ」
「分かった」
「かしこまりましたでござる!」
フレイアが部屋から飛び出し、カエデが迅速に行動するのを確認すると、リネスはロウの方へと歩み寄る。
「そしてロウ。お前は私と来るんだ。私自ら特等席に案内してやる」
そう言って左の手首を掴もうとした瞬間、ロウは素早く懐から瓶詰めの液体を取り出し、その場で床に叩きつけた。
「麻痺液ガスだ! みんな部屋から出ろ!」
コレールの声に従って全員が寝室から飛び出し、新鮮な空気を確保する。
「旋風呪文!(ウインド)」
カエデは部屋の中に向かって魔法の突風を放ち、黄色い毒ガスの霧を吹き飛ばした。
「ロウは!?」
コレールたちが中に戻った時には、寝室には麻痺ガスをもろに吸い込んで気を失っているロウの部下たちを除いて、誰もいなかった。
「追うぞ! お前たちもついてこい!」
そう言って走り出すリネスの後に、コレールとカエデが続く。その背中を追おうとしたパルムの背中を小さな手が握りしめた。
「ウィルザード人はおっかなすぎるのじゃ……独りにしないでほしいのじゃ〜」
「……」
半べそをかいてすがりつくルーキと、怯え切った表情のアイリーン。そして彼の傍らに震えながら付き添う大司教の姿を見て、パルムも彼らのことを置き去りにすることは出来なかった。
―――――――――――――――――
ステンド王国の市街と大聖堂の中庭を一望できる、ホワイトパレスの屋根の上。寝室の窓から何とかそこまでたどり着いたジャック=ロウは、失った右手首の先から血の雫を垂らしながら歩いていた。
「もう諦めろ、ロウ」
振り返った先にいたのはコレール、リネス、カエデの3人。彼らの姿を目にしたロウは狂ったかのように笑い声を漏らし始める。
「こいつはとんだ喜劇だよ……結局のところ俺たちは余所者と略奪者から自由を勝ち取れずに、惨めに死んでいくってことか」
「お前の言う『自由』っていうのは、『ホワイトパレスの悲劇』のような虐殺を再び引き起こす自由のことか?」
「『悲劇』? 『悲劇』だって?」
険しい顔で問い詰めるコレールの言葉に、ロウの顔から狂気を帯びた笑みが消え、代わりに憤怒の色が現れる。
「一方的に殺され、犯され、奪われるのが『悲劇』だってのか? 認識の食い違いってやつだな。俺が奴隷だった頃、そいつらは『悲劇』じゃなくて『日常』だった! 俺の家族もそうやって苦しみぬいて死んでいったんだ! 教団の馬鹿どもと違って弔いもされずに、家畜の様にな!!」
口角泡を飛ばしながら叫び続けるロウ。
「お前ら魔物娘はそんな境遇の俺たちに向かって、復讐の無意味さなんて説きやがったんだ!! Mr.スマイリーは違った! 俺たちの怒りに寄り添い、理解してくれた! ウィルザード流の問題解決のやり方を肯定してくれたのさ!!」
ロウは覚束ない足元でよろめきながら、短刀の先端をカエデの方へと突き付けた。
「魔物娘が本気で仲裁に入り、Mr.スマイリーを追い払ったせいで、俺たちの復讐は中途半端に終わっちまった。その結果がこの歪な国だ。主神教団のお膝元だってのに魔物が平然とうろついて、勇者も歩く死体だと!! あのいろはっていう女も、とんだ怪物を遺しちまったもんだ!!」
「え……?」
先ほどまで深刻な顔つきでロウの主張を聞いていたカエデの口から、呆気にとられた音が漏れる。
「いろは殿……? 彼女はゼロ=ブルーエッジ殿の奥方でござる。拙者と一体何の関係が……」
戸惑う彼女の肩に、そっとリネスが手を置いた。
「彼女は……いろはさんは、お前の母親だ」
リネスは下唇を噛み締めて説明を続ける。
「いろはさんが亡くなった時、彼女は既に臨月を迎えていた。『ホワイトパレスの悲劇』の被害者が土葬された次の日に、アンデッドの赤ん坊が墓場の土から這い出してきたんだ。……落武者であるお前が、勇者の加護を受け継いでいる理由がそれだ。お前の父親、ゼロが勇者だったからだ」
言葉を失うカエデを見たロウは、柵に寄り掛かりながらも彼女に向かって嘲りの笑みを浮かべる。
「今まで教えられなかった理由は何だろうな? 内政の混乱を防ぐためか? それともお前が俺に復讐心を抱くことを心配したのか? まぁ今やそんなことはどうでも良い。俺の部下の全員がサバトの連中に取り押さえられた確証も無い。例え俺が死んでも、俺の意志を継ぐ誰かがお前たちを地獄へと送り込んでくれるはずだ」
「待て!!」
柵を乗り越えようとするロウを止めようと、コレールがすぐさま走りだす。
「その時になって初めて俺たちの復讐は成就し、この国は造り上げた人間たちの手の中で正しい形を取り戻すってわけだ。俺の死はその始まりに過ぎないのさ」
邪悪な笑みを浮かべたまま重力に身を任せ、中庭へと飛び降りようとするロウ。
コレールの伸ばした手は、ぎりぎりのところで空気を掴んでしまう。
「くそっ……」
無力感に歯を食いしばる彼女の横を、小さな影が通り抜けていった。
――第41話に続く。
20/05/22 10:43更新 / SHAR!P
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